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私の勉強しているコロラドの大学は、神経学的音楽療法を立ち上げたT教授がいるのでその総本山まだ立ち上がってから15年ほどしかたっていないが、T教授はいくつもの賞を国内・外から受賞している。異分野からの講演の招聘もいくつも受けている。そのため、アメリカの音楽療法界の中でも有名で、まだ主流ではないが、確実にそのevidence-basedの研究方法の支持者・追従者が増えている。日本のある大学も、この大学と提携を結んだ。この神経学的音楽療法を日本にインプラントする、と言っていた。実際に、医療関係者に受けが良いらしい。それはevidence-basedだからである。治療目的と手段が明確だからである。教授はドイツ人なので、ドイツ、イタリア、イギリスなど、ヨーロッパ方面にもコネクションがある。その規模は良く分らないが、イタリア人、ドイツ人との共同研究や、英国にある提携研究所の存在が神経学的音楽療法の成長の勢いを物語っている。しかし同時に、ヨーロッパ方面の神経学関係の研究者が発表する音楽をからめた論文で、T教授の研究と似たようなことをしていても、全く彼の論文を引用していない論文も多数発見する。アメリカとヨーロッパの派閥関係があるのかな?それと、PhDを音楽でとっているT教授は、神経学者からみると引用するに足りないのかな?とにかく彼はカリスマ性がある。世界の研究の興味が脳神経に向かう中で、それを音楽療法にも取り入れたのは素晴らしいしかし、私はいくつかの不満・納得しかねる点が彼の作り上げた理論にあるのだ。これがここに来て最初に感じたことで、それが今全てのコース・ワークを終えた時点でも変わらないので、これをどうしようか、と考えている日本の大学で、行動分析のS教授がクラスで言ったことを思い出す。「僕は、スキナーの理論(学習理論)を全部知り尽くして、完全に納得したから行動分析を自分の生涯の研究対象にしようとしたんだ。」スキナーや、その前の行動理論は、大きな議論を心理学界で起こした理論だ。非人間的だ、と嫌悪する人たちも多く、現在では倫理性をとても重視して研究活動や教育が行われる。そのため、このS教授もこの理論が自分の生涯をかけて研究する価値があるものかどうか、慎重に見極めたのだろう。最近このS教授のことば・姿勢を思い出す。「完全に納得した理論だから生涯をかけて支持する」私にはこれができないのだ。今の神経学的音楽療法の理論は、私にとって最上の組み立てになっていない。このことをアメリカで音楽療法士として働いている男女二人に話したら、「なに言っているの~?なに生意気言ってるの~?そんな不遜なこと。」のような反応が返ってきた。まだ15年の理論がもうすでに完璧だと彼らは感じているのだろうか?全く疑問が無いのだろうか?というか、生意気ということではなくて、その理論内容に疑問を持つのは、学問をしている者にとって、意見のひとつに過ぎないと思うのだけれど。。。まあ、それは彼らの意見なので、それはそれでいい。問題は、3年かけて1千万近くの滞在・授業料を費やして、その理論が私を納得させてくれないことだ。私が音楽療法士として仕事をしだして、例えば日本でこの理論を紹介することになったとき、私は自信を持って紹介できない。またこの理論を私の日本の大学では、今のところとても紹介できないと思う。理論のあまいところを一発でつかれるのが目に見える。確かに、彼の立ち上げの頃の論文は素晴らしい。結果は明確で効果が良くでており、追試しやすい。しかし似たような内容で研究論文を量産していたり、自分たちの論文ばかりを引用していたりするのは、かなり疑問がある。また、神経学的障害の患者さんへのリハビリの研究ばかりで、認知的・精神的分野での神経学的論文がほとんど無い。Sensorimotor, cognitive, affective domainの3分野にアプローチすることがNeurologic Music Therapy (NMT)の基本になっているのに、これではまだ未完成といわれても仕方ないのではないかしら。命名されたモデルなども、紛らわしいものが多い。The Rational Scientific Mediating Model(RSMM)の4つの理論的なステップがMusical Response Model, Non-musical Parallel Model, Mediating Model, そしてClinical Research Model. この研究的枠組みを現実的にセッションに移行するモデルがTransformational Design Modelで、実際のセッションで使われる枠組みがStage Model。「モデル」だらけ。内容は良いので、後はネーミングのセンスなのだと思う。T教授はアメリカに30年くらいいるものの、元はドイツ人なので英語ネイティブ・スピーカーでは無い。それがこの紛らわしいネーミングになるのかしら?ちなみに彼の著作を読んで見ると"Rhythm, Music, and Brain"は、ものすごく読みにくい英語が満載だ。彼が新たなことばを新理論のために作りだすのだが、不自然な言い回しが多く私には感じる。他の優れた論文を読んですんなり納得した後に彼の著作を読むと、余計に感じる。なんか、全部の単語に意味が込められすぎているんだよな~NMTテクニックも30近くあるのではないかしら。Evidence-basedされていない精神面のテクニックなどは、ことばのやりくりにも見えることもある。また彼の立ち上げた神経学的音楽療法の基礎になる論文の紹介も(セミナーで覚えされられるが)、狭い範囲での論文抽出だと私には感じられて仕方が無い。それも古い研究が多い。脳神経科学など、最新の研究を拾っていかないだめだと思うのだけど。。。こう考える以上、私はこの神経学的音楽療法:Nuerologic Music Therapyを自分の使える技法のひとつとして扱うことしかできないでしょう。だから、私の音楽療法では行動分析、神経学的音楽療法、そして即興技法を用います、のような。。。またT教授のuncommunicative, unfriendlyな態度も、これを本当に自分の生涯をかけてサポートしていく価値があるのだろうか、という疑問がでてくる。日本の指導教官は、研究の楽しさを教えてくれた。外部からポッと入った研究に向いているとは思われないような私に、丁寧に根気良く研究の手ほどきをしてくれた。それが私の研究への今日への興味につながるのは明らかだ。それがT教授のところでは、研究が面白いという気持ちが失せている。彼の研究のクラスで初めてAをとった。でも彼は1回私のプロポーザルを褒めただけだ。結局彼は忙しすぎるのだ。Music Department Headでもあるし、海外にもしょっちゅういくし、研究する時間も削っているくらいなのではないかしら?教えはもうひとりの教授にまかせきり。。。1年前にプロポーザルをだした院生は未だに実験が終っていないといった。。。T教授のからんだ患者グループの実験。。。今後の目標としては、音楽療法士としていくつかの技法を自由に使えるようにすることにした。神経学的音楽療法を始め、行動分析、認知行動療法、オルフ・テクニック、ノードフ・ロビンスなどなど。自分の納得できる理論を求め、私の旅はまだまだ続く。まあ、これも人生だね~。That is life!
2008.06.01
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評価・批評をする際、対象となる発表や意見の長所と短所を両方述べ、短所の指摘の際はそれを分析的に部分的に観察してその弱点を分りやすく提示する。弱点の指摘後、それの改善可能性を指摘、具体的例を同時に提示して、発表者が発表内容や意見を改善できるように導くこと。こきおろして捨て置くのが一番簡単で、それは適切な評価の仕方では無いことこの評価の大原則を私はトースト・マスターズ・クラブ(スピーチの会)で学んでいる最中である。多分、何人かの大学の教授陣よりも、このスピーチの会で行われる評価・批評の方がずっと内容が高度で勉強になる。それは、トースト・マスターズ・クラブで、スピーチの評価をするコメントにも参加者が評価するシステムがあるからだと思う。Evaluationは重要なリーダーシップの技術のひとつで、私はまだ経験したことがなくいつも自分のスピーチを評価・批評を受ける側だが、今まで4回それを受けて、毎回本当に関心してしまう。良い点や進歩した点は大いに褒めてくれる。前回の私のスピーチも「相変わらず進歩しつづけている。アイ・コンタクトも良くできていて、使用されていることばも今回の目標(毎回スピーチにひとつの目標が定められている)に沿って、沢山の種類の生き生きとした形容詞が使われていて良かった。」そして改善点として「ただ、構成がイマイチはっきりしなかった。重要な点は、まずまとまりごとの論点を述べて、それにサポートする説明をつけること。1つの主張点が終ったら次の主張点に移る、という明確な進行をスピーチの中で示すこと。」この間私のスピーチを評価してくれた男性はコンテストで受賞経験者なので、大変に評価の仕方が上手い。分りやすく説明をするために、適切な動作の付帯もおこたりない。思わず聞きながら大きくうなづいていた。この適切な評価・批評を意識するようになってから、いろいろな場所でのコメント、その構成内容を興味深く観察するようになった。そして上手い批評というのは難しいな、と実感する。こきおろしておしまい、は手っ取り早く、後味が悪い。「この意見はおかしい。」それだけ。細かい分析なし。「この意見はおかしい。なぜなら発表者の人格がおかしいから。」これは評価・批評のルールにのっとっていなく、土俵外である。意見への評価は、人格への評価を切り離して行われ必要がある。別問題。そうでないと、活発な意見の発表を阻害する。この部分は適切でない、という評価をしたら、それに変わる改善策・代替策を提示することが必要だ。それでこそ評価・批評の価値がある。また、感情的に好き・嫌いを評価とすり替えてしまうこともいろいろな現場では多々起こりががちだが、あくまでもその公の場所で必要とされるところからの意見に徹底することが大切。トースト・マスターズではベテラン・スピーカーが人のスピーチを評価・批評する経験を積んでいるので、何気ない会話でも励ますことが上手だ。欠点を指摘して、それを先につなげて教えてくれる。私は沢山ここで励まして貰っている。私も彼らのように、理知的な評価・批評を適切に行えるようになりたいものだわ~。
2008.05.18
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今日、ある友人と1年ぶりくらいに逢って話をした彼とは1週間に1,2回ミーティングなどで会っていて特別個人的に親しくしていたわけではないのだが、なんというか最初から馬が合うという感じがあって、とても信頼していた。自分の都合で突然ミーティングに行けなくなりずっと話していなかったが、久しぶりにリラックスして彼と話した。それでとても実感したのだが、馬が合うなあという最初の感覚は当たっているのだなあということ。彼は歳も仕事上も全然上の人で奥さんも子どももいる。もちろん全く恋愛感情は無いのだが、話した後とても「心が温まった」感じがずっと残ったし、まだ残っている。時間がたっても、この感覚はすぐ戻るんだな~。多くはミーティング中に喋っていただけなのに。そういえば今年の冬に日本に一時帰国して私のアドヴァイザーのひとりと会った後、同じことを感じた。なんだか昔の素敵さ(顔の造作じゃなくてね!)がちょっと失われていてがっかりしたのだが、帰宅した後に復活してきた彼への信頼感を感じて「やっぱりこのアドヴァイザーとは馬が合うんだ~。最初に感じた通りだわ。」と同じことを実感した。また別の馬が会うと感じた友人と、今度1年半振りに再会できそうだ。やはりその当時の環境が原因で自然と会わなくなってしまったのだが、時々思い出しては(どうしているかな~)と思っていた。もう2度と会わずにこの街を離れることになるかな、とも思っていた。すると最近この友人がメールをくれたのだ。共通の知人を通じて私の話をし、その人からメールを教えて貰ったらしい。はじめ名前のつづりを知らなかったので誰かと思った。彼からだと分ると、いろいろと冗談を言うのが好きだった記憶が蘇り、とても懐かしくなった。父親くらいの歳で、とても信頼していた男性だ。こんな一時的に居る留学生にわざわざ再び連絡を取ってくれるなんて、やっぱり「馬が合うなあ」という感覚は間違っていなかったこれらの友人・知人たちに共通することは、特に頻繁に個人的付き合いをしたわけでは無いこと。でも気が合う感を出会った早い時期に感じて、皆でいるときの何気ない会話だけで交流ができていたこと。それがとても久しぶりにあってもすぐ蘇ってくること。面白いね。やっと忙しい勉強から開放されて、のんびりした日々を送ることができるようになって改めて実感した、人と人との目に見えない部分での交流。人間って本当に生ものだねえ。この感覚信じて、感じた人たちを大切にしないと。。。
2008.05.17
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日本の研究者の皆さま。どうか研究論文や重要な著書は英語で(も)書いて~日本語で書かれた興味ある論文や著作を使いたくても、英語で書かれていないので、その内容を納得してもらうのが大変特にその内容が話題の本筋をサポートする場合、英語で書かれていないとイマイチ信頼性が無いのだ教授が自分自身で読んでその内容を確認できないからだと思う。もちろんいろいろな論文で、英語以外の引用文献がその母言語を入れて載っているのはみる。でもそれはほんの少し。そして核心をサポートするとても重要な論文ということも私が知る限り少ない。例えば、脳性まひ児の特徴的な視覚障害のこと。日本の本では当たり前にリハビリテーションに載っている内容:眼球運動が定まらず、行を飛ばして読んでしまう、似ている文字、「ね」「わ」等を識別しにくい等、苦労なく図書館等で手に入る医者の書いた本、そして医者が当たり前に口にするこの問題点を私の教授に話したとき彼はその事実を知らず、それを信じなかった。音楽療法の教授だが、もちろん脳性まひ患者も扱ったことがあるのにだ。私はこの内容をあるボツになったプロポーザルに入れて持っていったのだが、疑っている様子だった。私の未熟な英語の説明も説得力が無かったのだろう。それでもうひとりの教授に尋ねると、彼もその脳性まひの問題点を知らなかった。「日本では周知の事実なのですけど。」と言っておいた。アメリカでそうでないのか、教授陣がただ単に知らないのか。ただ脳性まひ関係の本をざっと探してみても、それについて言及してある書目は無かった。ええ~、こんなに日本の医療界で当たり前のことが、アメリカでは違うの私が実績を積んだ研究者なら相手も信じるだろうが、なんせたいしてできの良くない院生、英語も流暢じゃない、なので余計に信じてもらえなかったのだろう~この話を心理学で最近PhDを取った人に話した。すると彼女は開口一番、「あら!あたしなんか、日本語の論文なんて読みもしないわよ~。英語で書かれてなきゃ世界では読まれないわよ。あたしだって、日本で研究職するけど英語の論文しか書かないもの。」アメリカの大学院に来て、多くの情報を大きく構築する仕方、その構造の大きさ、そして新しいアイディアなど、すごいなあ~と思うことが沢山ある。でも日本の研究のきめ細かさ、用意周到な研究もすごいと分るようになった。日本語研究論文も沢山良いものがあるのに、日本語だけで書かれているがために日の目を見ない。。。なので研究論文は英語で書いて、英文の雑誌に投稿して~~~日本人は英語の読み書きはかなりウエイトを置いてきたし、国民性的にも向いていると察せられるので、研究論文を英語で書く練習を大学教育などに取りいれて、是非是非将来はがんがんと英語で論文を発表してもらいたいです。「英語で論文?!?」と最初は壁を感じるかもしれないけれど、専門での決まった書き方をマスターすれば応用できるので、是非そうしてください。沢山優秀な研究があるはず。良い研究結果は全世界でシェアしましょう私も当然そうしなきゃだめなのよね。がんばろー
2008.05.16
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世界中のインターネット・ブログ界の中で、日本語で書かれたブログが、2007年の調査で英語の36%を抜いてブログ界の中でトップの37%ですって「フランスの日々」というブログで、詳しく紹介そしてまとめられています。http://mesetudesenfrance.blogspot.com/2008/05/blog-post_10.html直接の情報源はここ:http://www.sifry.com/alerts/archives/000493.htmlこの現象の分析で興味深いことは、「ネットの世界で優勢な言語は、情報を得るための手段ととしての価値が高い」という「フランスの日々」の管理者さんの意見ですこの「フランスの日々」では、日本語・中国語の読み・書きのウエイトの高さと、それに対する西洋言語の弁論技術の発達をウェブのエコノミクス情報誌にのった記事にも触れています。日本人の読み書き重視と、アメリカ人のスピーチ重視のことを以前にテーブル・スピーチとして話そうと思ったことがあります(失敗してしまいましたが)。大統領選のスピーチ合戦を見てとてもこの差を実感したからです。そんな中、この記事紹介を読んで、とーても納得しました各言語のブログ占有率(2007年調査)は、日本語37%、英語36%、中国語8%、イタリア語3%(同じ%だがスペイン語を上回る)、スペイン語3%、フランス語、ロシア語、そしてポルトガル語各2%。。。各言語の使用率を考えると、日本語のようなマイナーな言語が一位って驚きますね。日本語ブログは、日記のような日常生活を書き綴る内容が多いのに対して、英語ブログは、論評のようなまとまった内容のものが多いそう。そしてウェブのエコノミクス記事からの意見として、日本人もブログで自分の意見をこんなに発表しているのだから、これを実際に口から発してはどうか。。。というものそれに加えて、「フランスの日々」の管理者さんの意見として、この書くことに対する日本人の雄弁さをもっとブログで生かしてみると良い。。。という考えインターネットは紛れも無く利用率の高い、ゆえに価値の高い情報源。その中でブログの日本語占有率が高いことは、そこから情報を得るために日本語を理解する必要が他言語を話す人々に生じてくるかもしれません。たくさん日本語でブログを書いちゃえ!
2008.05.13
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留学して最初の1年の間参加していた聖歌隊のメンバーからメールがきた「ときどきDavinaがそちらのミサでピアノ伴奏をしているのをCさんから聞きました。こちらも土・日曜日に弾けるピアニストを探しているんだけど、もしその気があったら弾かないかな?」今は別の教会聖歌隊に1年くらい参加していて、ピアニスト:Cさんが病気や休暇のときにピンチ・ヒッターとしてときどきミサで伴奏をする。これが当日とか前日に依頼されたりすることがときどきあるので、私としてはチャレンジな活動なのだ。こうして「伴奏をお願い」という依頼を受けるのは光栄だ。私の与えられた能力・技術が必要とされるところで生かされるのだもの。ピアノ伴奏は、考えたら10歳くらいのころから教会の集会でしていた。小学校5,6年、中学校2,3年の合唱祭でも弾いた記憶がある。しかーし光栄な気持ちは半分で、残りの半分がやっぱりね。。。ピアノを弾けることが分ると、ピアノを弾く番がメインで回ってくるようになる。でも私は本当は歌いたああああああああああああいのである。子どもの頃からそうで、いつも「歌いたい」のに弾くことになるため、歌えない。いったん指が鍵盤を触ると、あれほど出ていた声が完全にシャット・ダウンするので、弾きながら歌うことが大変に難しい昨年、代替の伴奏者を名乗りでてから(ピアノ弾けることがばれて、歌う代わりに弾かされないといいけどな。。。)とちょっと心配したがやはりパート練習や弾く方の役割が回ってくることが多くなった。何度もいうのだが、私は歌いたい歌わせてくれ~~~そういえば以前、フィリピン人クラスメートがミサでやっと伴奏ができると喜んでいた。彼女は弾きたいのにいつも歌わされてしまう、と言っていた。。。反対かあ。。。私はうらやましいけど。とにもかくにも、依頼されることは嬉しい。教会の中の数少ない日本人、また聖歌隊の中のたった一人の日本人としてのアピールもできる。そしてピアノ=音楽は、英語、宗教と並んで世界共通語なのだなあ、とまたまた実感し、その存在に感謝。また弾けるようにしてくれた母親にも感謝しなきゃ
2008.05.11
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日本人にとって"Shy=シャイ(恥ずかしがりや、引っ込み思案)"な性格は、特別大きな問題では無く、ときとして「照れ屋で可愛い♪」のようなイメージがあるがアメリカ人にとってこの”Shy"というのは、本当にイメージが悪いらしい以前どこかの記事で読んだところによると、「Shyであることは、子どもにとって最も深刻な問題である。」という内容のもの。そんなものか~、日本だと"Agressive=攻撃的"の方がよっぽど問題にされると思うけどね~とのほほんと考えていた。しかし、最近そのアメリカ人の価値観を間近で感じる機会があった。インターン・シップ先へのアプリケーションの質問エッセイを作成し、writing centerに持っていったときのこと長所・短所を記述する質問があった。私は自分の短所について、「リーダシップがとれていない」という内容のパラグラフを作成、その理由として第二言語使用時の自分の"Shyさ”の記述を入れていた。同時に、"Overthinking=考えすぎ”だということばも使い、これらをインターン・シップ中に乗り越えたいと書いていた。すると私の文章を見ていたスタッフ(学生)が、この"Shy"ということばのところで引っかかり、とても困ったような顔と態度をした私はshyの記述に関して、過去の印象の悪いという記事と、日本人的感覚の別に特に問題があるわけではない、という考えが同時に頭に浮かび、彼女の反応を観察し始めた。まず彼女が指摘したのが「leadership, shy,そしてoverthinkingは別のことで、沢山の意味が混じっているわ。」ということだった。言われてみればその通り。一応私は、何故自分がleadershipのstatmentをサポートするためにこの2つのことばを使ったかを説明した。「分るけどね。。。でも読み手を混乱させるだけよ。」とう指摘した後、彼女は核心に触れる、といったような言い方で、「後、このshyっていうのはちょっと。。。」とことばを濁した。私は内心(やっぱりきた!)と思い、自分の好奇心がムクムクと沸いてくるのを感じた。「Shyはだめ?」すると彼女はもっともだという風に「うーん。shyっていうのはかなりnegativeなことなのよね。。。」と説明しだした。私が「Overthing=考え過ぎは?私はこちらの方がnegativeな性格に感じるけれど。」すると彼女は「Overthinkingはいいのよ。いろいろ考えてしまって決断を迷うとかは、対して悪いイメージはないの。だけどshyはね。。。このことばは使わない方がいいわね。」多分日本語だと、内気な人よりも考えすぎる人、の方が印象が悪いだろう。でもアメリカ人にとっては、やはりshyは大変問題な性格らしい!ときどき「あの人はシャイでね。。。」と言っているのを聞く事がある。そのときの場はシーンとしている。皆(それまずい性格じゃん?)って思っているのかなあ?私のメンターが彼女の自慢の孫娘を褒めるときに「Lは、頭が良くで美人でassertiveで。。。」と言ったとき、日本人的感覚でちょっと驚いた。Assertive=堂々とした、自信に満ちた、自己主張のできるということ。ええ 自己主張できることが長所なんだ!日本人的感覚で捕らえることばの意味の違いもあるかもしれない。自分の意見を明確に述べることができることは、ここでは能力のある証拠。一方、自分の自己主張をするということは自分の意見を無理にでも押し通す、というニュアンスを含む日本語のことば。まあ、日本も大分変わったきたとは思う。例えば最近の日本政府は昔と違い、交渉的になってきた、という特に対中国との関係に関してのBBCの記事など(中国の首相が日本を訪問することに関連して)がその良い例かもしれない。世界市民として、本格的に精神・文化的価値観に変化が訪れているかもしれない。とにかく、ここでは可愛らしく「私はシャイで。。。などと言うことは避けることにしよう
2008.05.09
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この間スピーチで、自分がものごごろついて最初にこの世界の印象を感じたことを盛り込んだのだが、それから、その4歳くらいからの生誕地でのいろいろな記憶が鮮明に蘇ってきている私の思い出深い場所・横浜で、一体この世界というものは何だろうと珍しくて仕方が無かった頃。いろいろな映像が未だに鮮明に残っている。最初に「自然」に対する感動を覚えたのは、幼稚園の友達とその親たち、そして自分の母親と社宅近くの小さな池に行ったときのこと。お天気の良い日で、太陽の光を受けて光る池の上にアメンボウが泳いでいた 「何で水の上を歩けるんだろう?」素朴な疑問。空も木々も水面も、全て太陽の光を浴びて輝いていた。幼稚園児の私はこのまばゆいばかりの風景の中にいて思った。「なんてこの世の中はきらきらしているんだろう!」やはりお天気の良い日、幼稚園に行く途中の坂でクモがいた。それを踏んだ私は、そのクモのお腹から沢山の子グモが散りじり出て行くのを見て驚いた。西宮から今は亡きおばあちゃんが横浜まで遊びに来たとき。夕方、近くの小学校へおばあちゃん、弟と一緒に散歩に行った。あるウサギ小屋の前を通りかかると、ウサギの子どもたちがいっせいに隠れるために走った。沢山の子ウサギたちの俊敏な動作にびっくりした。近所の家で犬を飼っていたのだが、その犬がいつもお腹を空かせて餌のプレートを狂ったようになめまわしていた。それを見て気の毒になった幼い私は、その犬を自分の住む社宅の鍵のかかっていない空き部屋に連れて帰り、餌をやって「保護」したつもりになっていた。ある日その空き部屋に行くと鍵がかかって、その犬の姿は見えなかった。ほどなくして夜に人が我が家を訪ね、その人から話を聞いた母親が私に聞いた「。。。その犬を連れてきたの?」私はその場で泣き出し、しばらくして犬が部屋を汚したのを掃除しにいくことになった。母親が先に行き、手袋をはめてぐずぐず準備していたら、母親が掃除を終らせて帰ってきた。母も父も何も言わなかった。小学校2年生のとき、プレハブの校舎から午後空を見上げると、雲の切れ間から太陽の光が黄金のように差していた。私はそれをとても美しいと感じ、「神さまが天から降りてくるんだ。。。」と頭の中で想像していた。家の前に3人の女子高校生が、夕方ソック・タッチを塗っていた。私は珍しくてずっとそれを見ていた。高校生って大人だなあ、と妙に関心していた。天気の良い平日、小学校から帰宅して庭から家を眺めていた。母親は仕事に行っていて留守だった。誰も居ない家ががらんとしているだとうな、と想像している自分。いちじくの木が大きく伸びていた。何十年も前のことをこんなに鮮明にありありと思い出せるのが不思議だ。この場所は大人になって6年間一人暮らしをしたから、余計に記憶を保てているのだろう。私の両親の影響もあって、私は本当に自然の良さを味わえる感覚を子どものころから養われた。お天気が良いだけで幸せになってしまう。今このロッキー山脈のふもとで、もっと素晴らしい自然に囲まれて生活している。しかもこの春は今までとは違い、卒業に向けて初めてゆっくりと春の訪れを味わえる余裕ができている。鳥のさえずりをキャンパスで歩きながら、部屋の窓から勉強しながら聴く。日の光に輝いた家々の白い壁に、完璧なまでの水色の空の色と若葉の黄緑、そして花々の桃色、黄色、白、紫が完全な調和を保って当たり前のように存在している。私は身軽な格好で、暖かい日の中で自分の心の芯から温められるような感覚を味わう。幸福感が身体中にみなぎる。もちろんまだまだ気が抜けない作業中なのだが、初めて感じるここでの開放感が私を幸せにしてくるのがとてもありがたいいくつかの大きな課題を乗り越えてきた自信からくる満足感もあるのだろうなあ。。。自分がベストを尽くした、と心から言えればもうそれでOkなのだ。完全燃焼したら、もうそれでいいんだ。東京の豪奢な人工美も私は好きだ。あれもひとつの芸術だ。でもここで3年間、自然に囲まれて人間の本来の感覚が呼び戻されたことは、本当に私にとって幸運だった。健康にも良かった。この先、私はまたどこの自然と出会うことができるのだろうか。
2008.05.08
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最近痛切に感じる周りからの期待は全体的に良いバランスがとれていることなのでは無いかと思うこれはスキル獲得する上でも日常生活でも、優先事項のトップなのではないかと私は感じるここアメリカでね。これに対して日本では、細部の完成度の高さに焦点が置かれていたように思い出される例え全体的なバランスが良くても、各所にアラがあるとそれを追求され、「適当にまとめている」というつっこみをいただいたものだがアメリカで勉強していると、各所のアラはある程度は目をつぶるけれど、いくら細部が緻密にできていても全体的なバランスが失われていると、評価が良くない日本的感覚で、細部にこだわって、でも全体的まとめにあまり注意を払わずに持っていくと受けが良くないのよね~例えば、日本のオルガンの先生が、レッスンの部分部分の小節の細かい分析を教えてくれて、何回も弾かされて、でも曲全体の構成までほとんど言及しないことに不思議を感じていたこと彼女の演奏も、全体的リズム感が良くないように感じたこと逆に、アメリカで全体の流れに重点を置いて、そのために細部の精密さが失われているように思えるときでも、その方がまわりの反応が良い例えば、言語のハンディで細かい説明が上手くできないプレゼンでも、全体的構成、まとまり、バランスがとれていると評価が良かったりする。そう、開始から終わりまで全て自分でまとめあげたとき。英語と日本語のリズムを考えると、これは私的に納得できる相違なんだな大きなリズムの言語の英語と、細かいリズムの言語の日本細かい説明は又別の機会にするとして最近は、全体的バランスの良さに注目してそれを保つように気をつけていますバランスが良い=人を安心させる要素が強いよね。民族性の違いって、面白いね~
2008.05.02
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BBCの調査で、日本は3年連続「世界に良い影響を与える国」に選ばれているそうですその情報は「フランスの日々」というブログが紹介しているので、是非訪れて見てください。http://mesetudesenfrance.blogspot.com/2008/04/blog-post_2457.htmlhttp://mesetudesenfrance.blogspot.com/管理者の客観的で分析的な的を得たエントリーを楽しめるブログです。その他の記事も秀越なものばかり日本のことを嫌いなのは中国と韓国で、その他の国の評価は高いのを知ってびっくり。まあたいていどの国もお隣さんの悪口を言うのは変わらないですけれど。。。日本のことを見下して言う日本人がいたり、アメリカ人で「日本は嫌われている。」と中国・韓国との関係のみを強調して言う人に何人も出会っていたので、この記事はとても嬉しいね~日本語記事で情報を得たというと「日本人が勝手に言っている。」という人たちもいるのですが、このブログにはきちんとBBCの記事が引用されています。なので、こちらもこの情報源を提示して偏った意見を持つ人に教えてあげることができますね~情報源のBBCの記事はここ:http://www.worldpublicopinion.org/pipa/articles/views_on_countriesregions_bt/463.php?nid=&id=&pnt=463日本人として誇りを持って世界にでていきたいです。ときどき日本の良さを知らない若者が日本を見下した物言いをするのに出会いますが、長い歴史と芸術と思想ベースをしっかり学ぶ心構えが欲しいものです。自分の家族の悪口を言う人は、自分も信用してもらえないことを覚えなくては。。。客観的に長所・短所が言えるようになりたいものです。
2008.04.27
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Negativeな情動や思考習慣が感情や選択に影響を与えることを実験した論文を少々紹介します。ちょっと古いんだけどね。「心的状態・機嫌」Positiveな心的状態は、抑うつ状態に比べて簡単に取り去られてしまうRachman (1981) The primacy of affect:Some theoretical implications. Behav.Res望まない侵入的思考は、人が情動不安の状態にあるとき取り除くのが難しいSutherland et al.(1982) Experimental investigations of the relations between mood and intrusive unwanted cognitions. British Journal of Medical Psychology.「認知機能」認知傾向と抑うつとの関係:Negativeな認知は抑うつを発生させ、positiveな認知は抑うつを抑える*Negativeな認知傾向は抑うつを持続させる。抑うつ的な状態はpositive,negative両方の認知機能の働きに大きく影響を与える(Bower's ssociative network theory of mood and memoryとBeck's cognitive modelとの比較)Teasdale (1983) Negative thinking in depression:Cause, effect, or reciprocal relationship? Adv. Behav. Res. Ther.抑うつ患者は、彼らの成功した過去への記憶や評価が低い*情動は認知よりも患者に影響を与えやすい:好ましい情動に患者を導くと、患者は彼らの過去の成功をより良く評価した。Teasdale & Spencer (1984) Induced mood and estimates of past success. British Journal of Clinical Psychology.なんだか自分がうつ気分だなあ、気持ちが不安定だなあ、考えたくない嫌な思いが勝手に頭の中に入り込んでくるなあという状態になりそれが持続するようなら、気分を明るい方向へ変えましょう。明るい音楽を聴く、運動をする、自分の好きなことをして自分の気分を安心できる気分に持って行きます。それができたら、自分の認知・考え方のチェックをします。悪いところばかり取り上げている、逃げ腰の姿勢である、責めてばかりいる自分の物事への認知の「くせ」を確認し、それを前向きで明るく希望のある考え方に置き換えます。人や物事を責めてばかりいる視線は、自分自身へも当然向かっています。自分のあら探しをして現実よりも低く評価していることが多々起こります。それは自分で自分を抑うつの状態にひっぱります。悪循環におちいり、negativeな心的状態そして認知ぐせを180度変えるには、最初は自分自身の中で大きな葛藤・衝突・抵抗が起きます。当然です。180度変えることは、ある意味自分の中に革命を起こすことだから。でも、この大きな抵抗を前にうろたえて諦めないことが肝心です。この大きな変動はずっと続くのではなく、慣れてくるに従ってだんだんと小さい変動へ変化してきます。それが何年かかるかは人それぞれですが、最初は正念場だと思って踏ん張って下さい。自分の中のvicious cycle(悪循環)はそう簡単には止まらないかもしれません。その悪循環を築き上げてきた年月分だけかかると思って間違いないでしょう。でも諦めずに進んでいけば、突破口が必ず見えてくるはず。気分が乗らなくても、positiveな行動・言動は続けること。行動することで、気分がそれに少しずつついてくるようになります。気分が乗らないからやらない、のでは、いつまでたってもその場にいるだけ、そして行動しない分後退するだけ。上の論文の実験から分ることは、もちろん抑うつを防ぐためにpositive thinkingをすることはもちろんのこと、楽しい気分は消えやすいから、絶えず自分で補給する努力をすることが大切だということ。そしてまた自分の行ったことを卑下せず誇りに思うようにすることも大事だということも覚えておくと手軽に生活に応用できますね。 そんなこんなで、今頃2年前に授業で読んだ論文を見て興味を持っているDavinaでした
2008.04.24
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今年の始めから乗り越えたいと思って努力していた自分の2つの未熟な部分が、花開いた 1つは「アメリカのフォーク・ソングをはっきりと通る声で歌う」こともうひとつは「人前でのスピーチを確実にこなす」こと声が弱い・歌詞が聞こえない、という指摘は音楽療法の現場で貰った。始めは意外の何者でもなかった。だって、聖歌隊ではディスカントとして良く声がでているし、日本でカラオケは得意だったし。。。でも確かに声が通らなかった。今のセッションは、音楽ホールの舞台上で行われているので、今までの限られた空間の部屋とは違い、通る声でないと聞こえない。私の場合はそれに加え、英語の発音がクリアに出ていないことも原因のひとつだった。英語の発音は、子音をはっきり発音する練習でなんとかなるメドはたった。しかし私の声域が、フォーク・ソングの声域では低くて鳴らせない。裏声ならかなり高いところまででる私は、地声で歌うことに変更。しかしそうすると、高い声が上手くでない。。。結局、軟口蓋を上げて歌うことが効果的と発見、ときには「井上陽水」の声を真似てみた。これがなかなかよく通る。彼のような発声の仕方は母が嫌いだったので、私は無意識に避けていた。しかしセッションで使える声は、クラシックの声ではなく、良く通る聞きやすい「普通」の声なのだ。もうひとつのスピーチは、トーストマスターズ・クラブでのパブリック・スピーキングだった。2月の末に1分のテーブル・スピーチで話すことが飛んでしまい、半分投げ出しながら話終わりものすごく嫌な、不愉快な思いをした。せっかく皆応援してくれているのに、皆にも後味の悪い思いをさせてしまった。これが一番自分の反省した点だ。なので、その後は聴衆に決して嫌な思いをさせないことを第一の目標としてスピーチを完了させるように気をつけた。1分用でも原稿を書き、ライティング・センターでチェックしてもらってから会に望んだ。失敗したときは、ライティング・センターのチェックを受けておらず、頭の中で不確か感が充満していた。この二つの事柄に対する努力の結果の手ごたえを感じたのが、先週のこと。要求される、またはバランスをとれる中心部分が見えてきた、と感じた。そして、無意識のうちに自分が要求されていること行っていた。筋肉が覚えたのだ。その結果、まわりのひとたちの反応が変化したことを肌で感じた。そして昨日。この二つの心配ごとへの努力は実を結んだ。音楽療法実習では、声が、ものすごくではないが問題なく通っており歌詞も皆が聞き取っていた。クライアントの音楽への乗りも良かった。スピーチでは、話したい説明的な部分を飛ばしてしまったが、5分のスピーチの全体的まとまりが良く、皆に「上達したね!今までで一番いいよ~」ととても褒められた。両方の件とも、自分自身の感触も満足できるものだった。「まだまだ上はあるけど、一皮むけたな~。今まで注いでいた努力が、一気に私を押し上げたなあ。」コツを掴んだともいうなあ。この3ヶ月くらいは、この二つの件によって結構プレッシャーを感じていた。2つとも、「外国人だからって差別してるの?他の生徒にはこんなに細かく言っていないじゃない。」とか、「もうスピーチ・クラブはやめちゃおうかな。別に義務でもないし。」とか、いろいろと逃げ道を探すことも多かった。しかしそれと平行して考えたことが自分を今まで諦めさせなかった。歌に関しては「アメリカ人が求める完成度の注意点が、日本人とは違うらしい。私は日本流の完成度で持っていっているが、彼らはそれで満足しない。ここはアメリカだから、せっかくの機会にアメリカ人の求める部分を知っておこう。」「私のできないところを鋭く指摘するスーパーヴァイザーや先輩・クラスメイト。でも日頃の態度を見ても、彼らはフェアに行動しようとしている。なら、きっと彼らは何か私の気がつかないとても重要なことを求めているのかもしれない。言っていることだけではそれが分らないけれど。」「6月から9月まで、聖歌隊がお休みになって私は歌う機会がへる。でもこの音楽療法では、私の歌声を皆に聞いてもらえる!こんなに良いチャンスはないじゃない。しかもソロよ~。」スピーチの会ではひたすら「もう二度と、聴衆を不愉快にさせることはすまい。」この一点を自分に言い聞かせた。これはかなり効いた。本当にまざまざと自分の努力が実ったことを感じ、反応を見た日だった。何度も書いているけれど、努力は順調に右上がりで現れるものばかりではなくじっと溜め込んで一気に花咲く過程を経ることも多いものだ。初心者の段階を過ぎるとそうなることが多いのだろう。また一歩上の段階を目指して、新たに努力を始めることとしよう
2008.04.23
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Bower(1981)の論文"Associative Network Theory of Mood and Memory"は、試験のために復習する必要のある重要な論文のひとつ。これを改めて読んで見るとなかなか面白い。彼の主張は2つある。ひとつはMood-state-dependant、もうひとつはMood-congruent effectsこの二つ目の仮説が今日の本題。「精神状態・心的状態が、人間の選択に影響を及ぼす」というもの。この仮説の裏づけのためにいくつか実験を行っているがなかなか興味深い。幸せ感の強い人、不幸感の強い人、怒りに満ちた人などに、ことばの再生・物語の再生・過去の再生・自由連想をしてもらう。すると結果は。。。ことばの再生:Happyな人はHappyなことばを沢山思い出し、Angryのひとはそれにそったことばをより多く思い出す。物語の再生: 二人の成功したひとと、失敗したひとの話を聞かせ、その物語を再生させると、幸せな人は成功したひとの話に、不幸なひとは失敗したひとの話により固執している事実が明らかに。過去の記憶:幸せなひとはより多く幸せな過去を思い出し、不幸な人はより多くの不幸な過去を思い出して語る。自由連想:幸せなひとは幸せな発想をより多くしたのに対し、不幸な人はより多くの不幸な発想をするそして興味あることとして、不幸な人は不幸な物語のことを80%も翌日に想起し、幸せな物語は20%くらいの想起だった。それに対して、幸せな人は幸せな物語を60%の確率で翌日想起し、不幸な物語は40%くらいで想起、大きなギャップが不幸な人ほど顕著では無かったのだ。幸せな人は幸せなことに敏感。対して不幸な人は不幸なことに敏感ただし、幸せな人は不幸なこともある程度注意を払うのに対して、不幸な人は幸せなことにかなり鈍感であるこれを読んで思い出した男性が3人もいた。ほとんど初対面状態で、私の欠点をわざわざ取り上げていた殿方たち劣等感が強そうだなーと直感的に思ったのに間違いは無かったか。こちらはまるで関心がないのに、わざわざつっかかってくるような態度だったけど不幸だったのね。。。この論文は、私の好きなダイアー博士など多くの心理学者に影響を及ぼしているのでしょう。Positive thinkingに関してのアドヴァイスを見ると、この上記の事実をふまえてそれを逆手にとりもし自分が不幸なこと、暗いこと、悲しいことばかり取り上げる、頭に自然に思い浮かんでしまうのなら、無理にでも楽しいこと、明るいことを取り上げ不幸なことと置き換えることで、自分を幸せな状態に持っていこうというアドヴァイス、攻略が自然と生まれてくるものね欠点ばかりを指摘して改善策を出さずに人の落ち込む姿を見て喜んでいる人には要注意。その人が不幸な人の確率は大。心からアドヴァイスをくれるひとは、代替策、改善策を提示してくれる人が多いものまた自分が、人の欠点ばかり気になるのなら、もしかして自分は不幸なのかもしれません。要自己チェック!
2008.04.21
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音楽療法実習にいる一人のクライアントさんが招待してくれて、隣町の消防署主催のBreakfast fund-raisingに友人と行ってきた。消防士さんと思われるごつい人たちが、大きなフライパンで卵をかき混ぜて、その前で、配膳の消防士さんたちが、なんとなく不器用に手先を動かしながら笑顔でスクランブル・エッグ、ソーセージ、パン・ケーキ、そしてグレイビー・ソースつきのマフィンを配っていた。消防署の中に入るのは初めてだ。日本でも入ったことはない。セッションときに、Bさんが着ている消防署の絵入りの特別ジャケットを見て、そこから彼が元ヴォランティアの消防士だということを知った。30年に渡る働きをしたらしい。背が高い彼は、左側に麻痺を残してしまい、今リハビリテーションに参加している。友人と朝食が終ると、Bさんが現れ、建物の内側、車、ユニフォームなどを見せに連れて行ってくれ、全部説明してくれた。アメリカの消防車は面白い。4台とても大きなトラックが停めてあったが、全部、形も色も違う。もちろん赤い車はあるが、そこに白が混ざり、この消防署独自のエンブレムが描かれている。他の車は、白ベース。聞くと、署によって、いろいろな色が使われるという。青も黄色もあるそうだ。えー、赤だけじゃないの!4台の消防車は、とてもかっこ良かった!消防車を見てかっこいいなんて思ったことの無い私だが、男の子の気持ちが分るような気がした。形も、色も、デザインもとても魅力的なのだ。かっこいいのだ~。エンブレムが沢山飾ってあるショーケースも面白かった。各署で違デザインのパッチが用意されているとのこと。Bさんのところの署は、昔の消防士が使用していた、ヘルメット、斧、はしご、そしてもうひとつの知らない道具。刺繍でできていて、これもかっこいい。帽子サイズの銀の鐘がケースに入って飾ってあった。それには、絵が装飾されていた。何でも、メンバーが亡くなったときに使用するのだという。そのときは1回だけ、鐘を鳴らす。その風景を思い浮かべ、少しジーンときた。何よりも嬉しかったのは、消防署のメンバー全員の大きな写真。長年消防士として貢献したBさんは、4人のエグゼクティブのひとりだった。今は教育に当たっているのだという。左側の手と足をひきずっていても、彼の貢献に敬意を表し、彼を現役のディレクターに置いているここは、なんて懐が深いんだろう!Bさんがセッションのときよりも生き生きとした表情に見えたのは、気のせいではあるまい。彼の消防署での存在を把握して、私の頭の中で記憶の検索がものすごいスピードで行われていた。私は彼の自尊心を傷つけるような言動をしていなかっただろうか。何もできない障害者のように彼を言動をもって扱うことは無かっただろうか。ひとそれぞれ、いろいろな経験を積み重ねてきて、それを誇りに思う。しかしリハビリの現場で障害を持った状態の彼・彼女らと出会うと、その姿しか知らないために起こりやすい加療者側からの過去の栄光を踏みにじるようなお世話の仕方がときとして起こりやすいことをわれわれは肝に命じて注意しなければならない。障害を持ってしまった現実から、過去の自由だったときの話をすることを嫌がる人がいるのは事実だ。だから過去の話に踏み入るときには注意が必要。でもこのBさんは、消防士の話を進んでしてくれた。だから私は尚更、絶対にこの「朝食募金活動」に行きたかった。彼とは、彼の義弟が埼玉アリーナを設計した、という話からたまに話すようになった。Bさんはアリーナのパンフレットを持ってきてくれた。日本語!日本に一時帰国したとき埼玉アリーナの横を新幹線で通った。なんかとっても不思議。彼が現役で本当に良かったなあ。そして、彼のお父さん、そして息子さんもそこの消防士をしているという。「3代に渡る、消防士家族ね!」と言ったら、Bさんはとても嬉しそうな顔をしていた。ひとりひとりのクライアントさんの過去への尊重の念を頭に置いて、リハビリテーションに携わらなければならないことを改めて実感させられた。。。
2008.04.08
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アメリカの大学院に留学してあと3ヶ月で3年が過ぎようとしているのだがあら、がむしゃらに勉強し習得した私の内容ってこんなもの?と、痛切に感じる今日この頃一番気にかかる点は、習得したはずの知識や技術が必要なときにのろのろ~~~とでてくることだ。スピードが遅い。もちろん自分の意思でコントロールしている訳だが、そのコマンドの結果が、「遅い出力」なのだ。現実に対処しなければいけないときには、スピードも同時に要求される。それが時間内でまとまらないと、使えない。スピードが遅いのは、自分の中にある経験・知識が、効果的に「統合」されていないからだ。手の機能もそうだが、いろいろな部位の統合が上手くいって、はじめてアウト・プットのスピード・アップが図れる。遅いのは、integrityの問題が大きいと思う。確かに、部分、部分の強化ばかりに走っていたよなー。だって基礎はそうやって身に着けるのだもの。。。だからこれからは、いろいろと種をまいて花を咲かせた部分、部分の統合をとり、バランスを安定させて、自分の技術・能力の出力スピードを改善させたーい。まだまだはめを外して遊ぶのは、当分おあずけだわ。。。
2008.04.05
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先週のイースターの午後、同じ聖歌隊で歌っている女性が、彼女の家に私を招待してくれた聖歌隊のカンター(ソロで歌い会衆をリードする人)で、気持ちのよい女性である。同じ時間のミサでよく一緒に歌う私たち。私にとって今回がこの街での最後のイースターになる可能性があるので、配慮をしてくれたのかもしれない。また以前、彼女の8歳の娘さんが聖歌隊の練習に一緒に来たとき、私がなんやかんやと娘さんを構っていたから、少し安心があるのかもしれない。前週の練習のときに誘ってくれた。アメリカ人は概してフレンドリーだが、家族が集う習慣になっている日は親しい友人だけを呼ぶ印象がある。なのでとても嬉しかった。1年目は、歌った後に、知り合いにちょっとした文句を言い、相手をむっとさせ、少しがっかりした雰囲気で大学に勉強しに行った(私が悪かったのであるが) 昨年は、友人とイエロー・ストーンに行った。イースター当日はとてもよいお天気で、ネイティブ・アメリカンのリザベーションの脇の道路をずっと車で走って帰ってきたそんなこんなで、隣町の彼女のお宅へ、蘭の花(日本と比べると、段違いに安い)と日本の美人画の絵葉書集(たまたま日本から持ってきていた!)を持って行った。時々教会で見かけるぷくっとしたご主人、10才の息子さん、8歳の娘さん、そして2歳半のやんちゃな娘さん。「アメリカの伝統的な料理を用意したわよ。。。バーベキューだけど!」お話しながらお料理を頂き、パイを食べ、彼女とご主人の学生時代の写真も見せて貰い、普段の歌の練習のときは話せないことを話したりしていた。この彼女が本当に家族と良い関係を持っていることは、普段から良く知っている。家族皆が愛し合い、支えあい、お互いにいなければだめな関係。理想的な家族彼女自身から安定した愛情を感じる。とくにニコニコしているわけでもないし、面白いことばかり言っているわけでもないのだが、彼女と話していると、こちらまで暖められてしまう。そう、この日私は本当に「暖められた」のだ私と彼女が話しているソファの前で、旦那さんと子どもたちが遊んでいる。旦那さんは時々話しにジョークで参加する。「しー、うるさいわよ。」ときどき子どもたちの声のヴォリュームが上がると注意する彼女。上の男の子と女の子がときどき2階へ二人で遊びにいく。また帰ってきては、パパと遊ぶ。一番下のおちびちゃんは、パパを取られて嫉妬して取り戻しにくる。幸せな図だなあ~。。。留学してから、自分がいろいろな局面で周りに追いつくことに必死で「家族」という一番基本的なところへの意識が遠のいていた。以前住んでいたメンターの家にもお孫さんが良く遊びにきたが、こんなに愛情深いところを感じたことはなかった。彼女の家だから、こんなに暖かいのかもな~全てが上手くいっているわけではない。末娘のおちびちゃんは、原因の分らない障害を持っている。それも全て包みこんでの愛情。ご主人が、なかなかできない3番目の子どもを欲しがっているときに「天の声」を聞いたそうだ。「今がそのとき!」そう思って彼女に話した。「笑わないで聞いてよ。。。」8年間授からなかった子どもが、その後1ヶ月で授かった。なので、きっとこの障害も何か将来の秘密・奇跡が潜んでいるに違いない。私たちはそう話し合って笑っていた。いや、私は本気で信じるのよ。マザー・テレサも神の声を列車の中で聞いたのだから!家族っていいなあ。私もすっかり自分の家庭が欲しくなってしまった自分の家族ができたら、彼女のように、バランスがとれた妻・母でいられるかしら。
2008.03.30
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今日、自分のペーパーを直していてとても強く感じたこと英語の文章を独立して自分の意思で操れる段階に入ったあたりまえじゃーん、もうすぐ留学して3年も経つんだもん、と思うが、いや、違うのだ!何かがはまったのだ。何かが自分の中で定着・沈殿したのだこの間の1分スピーチのときに、何か漠然と英語の文を組み立てることに手ごたえを感じたのだったが、それが予兆だったかしらん全体が良く見えて、それに合った言葉を「感覚」をともなって頭の中で選択できる。今までは、ただ頭の中だけで言葉を並び替え、選んでいて、言葉自体に対する実感が無かったのかもしれない。なんだか、やっと英語を操るスタート・ラインに立った感じだ。そう感じて、今までの先生たちの私の英文に対する反応を思い出した。あれは、戸惑いだったのか~。この分りにくい構文に対する。。。いや、ほんの1ヶ月前に自信を持って書いた文章を自分で読んでいらいらいら。。分りにくいんだよお、そして、1バラグラフに主張点が沢山盛り込まれているのよおおお今年の頭に、ニュースの英文を読んで、フレーズの区切りが自然につかめるようになって上達を感じたが、これはそれの延長なのかな?最近は、英語を話していて(要点をまず言わなきゃ。関係ない説明が長すぎる。相手の集中力がとぎれて、肝心の本題を話す時点で、もう聞いてもらえてないよ~)という自分つっこみを多々感じてもいた。激しく失敗した2月のスピーチ以来、しばしば読み出したBBCとCNNのweb news. 気を抜かないように、これからも続けていこう習い事何にでも共通する、ある日突然上がる、という経験。これだから、継続することはやめられない
2008.03.30
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"Three things clog your soul - negativity, judgment, and imbalance." Everyday Wisdom by Dyer, W.It is my favorite phrase. I always think of inverse three words, that is, Three things free your soul - positivity, flexibility, and balanceIn my case, "balance" is most necessary to pay attention. Positivity and flexibility may be managed by will to some extent. However, as balance depends on the integrity of a whole mind and body, it is hard to regulate well by only will.A certain priest wrote on a journal which said "The worst thing is to lost balance."We are always sensitive to hold our balance mentally and physically. Because of losing balance, a person is too dependant on others such as depending too much, abusing, or withdrawing. The way of keeping balance may be physically to regulate breathing. Stability of breathing coming from function of an abdominal muscle makes people calm and relaxed. Training how to stay with good breathing is essential. Keeping balance mentally is to think things positively and flexibility. Life is the way of coping with problems. How we take things happened is key when we face problems or concerns. Therefore, positivity and flexibility can create balance. In other words, negativity and judgment lead to imbalance. There is cause and effect!In conclusion, I am trying to avoid the attitudes of negativity, judgment, and imbalance.
2008.03.28
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どこかへ旅行へ行ったとき、特に一人の場合、旅の途中でほんのひとときの会話を見ず知らずの人と楽しんで、その良い余韻を持ったまま「さようなら」と別れて行くのは、案外に楽しいもの先日NYとNJにインターン・シップの面接に行ったとき、一期一会をしてきた。ひとりはミュージカルで横に座っていた年配の男性、そしてNYへ行くために乗っていた電車の二人の運転手さん。「ライオン・キング」を7年前にロンドンでチケット完売のために観られなかったので、これを機会にメゾネ(2階席の先頭、少し安い)で観劇。抜群の歌唱力で、東京とロンドンで観たどのミュージカルよりも魅了されてしまった。私が自分の席に通されて行くと、その横に白髪頭のじいちゃま。前の列と彼の左横は誰もいなく、私が手すり側で、じいちゃまがその横に座るというかたちだった。「すみません。私の席なので、通りますね。。。」そう声をかけて席につく。じいちゃまが「ああ、ごめんね。前の席との間が僕のところは狭くて、君の方へ足を出していたよ。幅がちがうよねえ。」その通りで、私のところはコーナーになっていて余裕があるが、じいちゃまのところは狭そうだ。「いつ切符を買った?今日?それとも前から?」「今日の朝です。11時ごろ。それからセントラル・パークへ行って、メトロポリタン美術館へ行って、それから歩いてきたんだけど、1時間もかかっちゃった!」地下鉄の駅が途中にないなあ、バスだと渋滞しそうだなあ、歩くのが一番確実かも!と、メトロポリタン美術館から歩いてきて、あやうく14時の公演に遅れそうだった私は、興奮して自分の状況を話した。あー、クラシックのコンサートみたいに、きりの良いところまで入れなかったら、この高いチケット代が。。。と焦っていたところ。そんなことから軽い会話が始まった。なんでもペンシルヴァニアから2時間もかけて来たという。この前は「マーメイド」を観て、とても良かったそうだ。話している感じからすると、70歳はゆうに超えている。この歳で一人でわざわざミュージカルを観に来るなんて若いなあ。よっぽど好きなのね「君は日本人?」そうよ、と答えると「やっぱりね。僕は日本人が一番好きだよ。韓国人・中国人・ベトナム人といろいろと会ってきたけど、日本人が一番いい。」そうでしょー、日本人っていいでしょーと満足しながら、リップ・サーヴィスかな?何か考えがあるのかな?とも同時に疑っているDavinaそんなこんなでintermittentをはさみ、お話をしていた。そのうちに前も横もびっしり人で埋まる。皆家族づれだったので、もし一人だったらちょっと寂しい思いをしただろうそして公演終了。これが日本人だと「ちょっとコーヒーでも飲んで行きますか?」と誘う感じかな?が、相手はじいちゃまとはいえ、アメリカ人の男性。日本人女性の時として”よろしくない”評判のことを思い出し、さり気なく帰り支度。じいちゃまも「これから2時間もかけて帰らないとなあ。」などと言いながら、そのままさよなら。これがいいのよね。楽しく会話をして、名前もお互い聞きもせず、良い余韻のままバイバイまた一人観劇の時に会いたいものだが、その確率はほぼ0%でしょう。まさに一期一会次の日にNJに行くために乗った列車では、白人女性と黒人男性の運転手さんたちと数十分お話した。特にアイリッシュの血を引く女性運転手さんはかっぷくが良くお喋りで、まんまるの顔をさらにまん丸笑顔にして、私の質問にいろいろ話し出した。NJ出身とのこと。そういえば、今年の日本帰国時の飛行機の中で、アメリカ海軍の男性と隣り合わせになり、その人と何時間も話していた。というか、彼がとても喋っていた。日本の横須賀に日本人の奥さんがいて、ノロケ話をたっぷり聞かせてもらった私はノロケ話が大好きなだ。彼の奥さんを大切に思う気持ちで、私まで幸せになってしまった。困ったのは、ずっと話してばかりいてお腹が空いてしかたなかったこと。2回の機内食ではとうてい足り無く「お腹すいたよー。」と繰り返していたら、彼が「近所の人に貰ったんだけど。」とクッキーを出してくれた。見ず知らずの人になんてこと彼は若くしてかなりの身分らしかった。とても紳士的で、まじめそうな人だ。ロシア語を理解し、暗号解読をする、とも言っていた。小さい声で言ってたので(本当かも)なんて思っていたが、真実のほどはいかに。NGだったケースもあり。NYでの観劇の後、イラン料理の小さなお店に入った。どう注文していいのか分らなかったので、ちょっと迷っていたら、そこの店長らしき若い男性が「何人なの?」と聞いてきた。当ててごらん、というと韓国、中国、それからやっと日本人。「僕の彼女、日本人だったんだ。ダンスの勉強に来てて、今は日本に帰ってしまった。8ヶ月くらい付き合ったんだ。」あーあ、こんなのと付き合う人もいるんだ~。「君はいいひとだね。」と言われ、ちょっと嫌な予感。案の定、食べている間もとても慣れなれしい態度を取ってきて、お会計のときには「遊びに行かない?いにまでNYにいるの?」と電話番号を聞いてきた。それが無ければ、楽しい思い出で終るのにこれは彼らにとっての挨拶かな?私のメンターの娘婿がイラン人なので、リラックスしたのが誤解されたかな~まあ、そんなこんなで、その他の過去の一期一会も思い出して面白かったDavinaです
2008.03.17
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昨日見た夢が、現実に英語を話すときの自分の状況を如実に表していたので、起きてから笑ってしまった元クラスメイト2,3人とテーブルを前に腰掛けて座り話している。日本語だ。私が日本語を話していて、でも彼女たちも日本語を話している。少したって「あ、この人たちには英語を使わなくちゃだめなんだわ。」と思い立ち、途中から英語で話し出す私。友人たちもそれからは英語で話す。話しながら、(私の英語って、まだ力はいって、たどたどしいんだよね~)と自分突っ込みをしているその後状況が変わり、別のクラスメイトも加わって、彼とコミュニケーションをしだすのだが、それが日本語か英語なのか自分ではわからない。はっきりしているのは、アメリカ人とコミュニケーションをとって意思疎通しているということだ。私はこんな夢が多い。まわりのアメリカ人がでてくると、コミュニケーションは取れている=意思伝達はしているのだが、どちらの言語で話しているのかはっきりしないのだ。よく聞く話は、「夢の中で英語を話していると、上達している証拠」といわれていることだ。一番最初に英語で話す夢を見たのは、留学して3ヶ月くらいたったとき。ものすごくぎこちない英語を喋っている自分が夢の中にいて、そのぎこちなさをまだ覚えているくらい。その後は、はっきり「英語で話した。」という印象がない夢が多い。映像ははっきり覚えているけれど、そこに言葉が介在しないことが多いかもしれない。以前から私は視覚優位かもな、と思うことがときどきあったのだが、自分の夢を振り返っても映像ばかりが印象に残って、話たことの記憶がほとんど無いのだ~「アメリカ人の友人と日本語で話していた!」と覚えていた夢を今年の頭に見たけれど、それ以外は、アメリカ人、日本人両方友人がでてきても、あまり言葉を交わした記憶が残ってないのはなんでなんだろう???今回の夢で「意識的に」英語に切り替える当たり、ものすごく生活を反映しているなーと面白かった。やはりまだ「意識的に英語を話している」毎日だ。でも、切り替えた後、すぐに英語がでてくるようになったのは上達したしるしだな。また、日本人の友人に話をしているイメージを頭に浮かべているとき、「英語で考え話している・説得している」自分がいたりする。生活の中で日本語・英語、日本人・英語を話す人、と分けずに、「話したい人、読みたいもの」を選択するようにしているからかもしれない。その選んだ対象が、英語を使うものなら英語を使い、日本語なら日本語を使うという状態を理想としている。英語コミュニケーション満載の夢をそのうち見るのだろうか
2008.03.13
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大統領選を控え、テレビで民主党のクリントン女史とオバマ氏の演説を見ることが多くなるにつけスピーチでいかに聴衆の心をつかむか、説得するか、そして鼓舞するかの重要性をまざまざと観察できる今日このごろ見ているだけならできそうなものの、実際に自分がスピーチしてみるとそう簡単にはいかないことは経験ずみそして、この人前でスピーチし聴衆を「酔わせる」ということは、本当に日本人の習慣には無いものだなあと再認識させられている日本人の場合、「立て板に水」のことわざにもあるように、あまり流暢な話しっぷりをすると逆に信頼を失うことが多々ある。「能弁」は、ときには「口がたつ」になり、日本人にとって決して褒め言葉では無いのだ。しかしここアメリカでは、このスピーチの上手い・下手が、頭脳の良さ・悪さに直結する部分が多くて、この文化の違いに最初は少しとまどい、不思議に思っていた。ところが面白いもので、何回もいろいろなスピーチを見たり聞いたりしていると自分が、スピーチや話が上手な人の方を良く評価していることに気がついたそう、「説得してほしい・納得したい」のだ。演説者の力強く、好ましく、でも知的で、ヒューモアのセンスで楽しませて貰いたいのだ。そして聞き終わったあと、こちらもやる気になっていたいのだ。この日米の習慣の対極的な部分を考えるときに、頭に浮かぶことがある。歴史的に、日本人は文盲率が低かった。それは文字の1対1対応のおかげが大きいだろう。開国の前にフランスの調査団がやってきて、日本人の識字率の高さに驚嘆し、「フランスは40%の識字率なのに、この国はほとんどが読み書きができる(正確な数字は忘れましたが)」と言ったそうだ。武士のような特権階級だけでなく、その他の農民・商人などの子どもたちにも寺子屋があって、読み書きソロバンが学習できるシステムが、その時代他国に比べてとても珍しかったらしい。何かお上からのお達しがあったときなどは、それらの伝達を文字を書いた看板を村人に読み上げた後、立てられている。それを村人たちは後から集まって「読んで」理解することを普通に行っていた。それに対して、例えば西洋のキリスト教カソリックの長い歴史の中で、信徒たちには聖書が与えられず、司祭・神父が説教していた。それはヒエラルキーを明らかにする意味もあっただろうが、文盲の庶民が多く、文字がさして重要な意味を持たなかった、という話を聞いたことがある。西洋の言語は、1対1対応ではなく、その文字全部のつづりと、多少違う発音を覚えなければならないため、日本語に比べて簡単には読めないのは皆さんもご存知だと思う。フランス語を例にとっても、話し言葉と書き言葉が大きくことなることが多い。加えて、日本語は表象文字、英語は表音文字、といわれる。これが日本人のより「文字」への注目度と、英語スピーカーのより「音」への注目度の違いに通じてくるかもしれない。欧米の世界で「話すこと、そして説得すること」の重要性が共通の認識となっている中、日本人の歴史的に「公に話して聴衆を説得する」習慣のないことが、日本人の実力を半減させている、と私は痛感する。日本人は、他のどの国の民族と比べても肩を並べられるくらいに優秀だ、というのは、留学してよく私が感じるところ。しかし事実として、日本人の良さが十分理解されていないのは、欧米人主導の社会の中での異人種、ということと同時に少なくとも英語で意見を明確に伝え、納得させる技術が、身についていないからだと考えている。はっきりと意見を言えない=能力が無い、と受け取られるのだ。アイ・コンタクトをとらずにキョロキョロする、すぐ目をそらす、という態度も、会話の場から存在を引いているように見えて、余計にマイナスだ。日本人の謙遜な部分は大切にとっておくべきだと思う。しかし、このスピーチをする技術は、世界の中で生きているうえで、必須のものだと思う。本当に、日本と西洋の文化って対極な部分が多いよね。大昔に大陸からやってきた日本人の先祖たちは、これら西洋の文化が馴染まない、正反対の思想の人々が多くやってきたのだろうか。時間ができたら調べてみるのも面白いかも
2008.03.08
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インターンシップの面接を受けに、NYに行ってきたそこで耳がとーっても興味を持ったのが英語のアクセントの違い子音を私が住むコロラドの人たちより多く発音し、早い。英英語を彷彿とさせる一人、とても早口なイギリス英語訛りの音楽療法士に遭遇テレビのローカル・ニュースのアナウンサー、レポーターの発音も子音を多く出すアクセント。口先から音がでるイメージだコロラドに帰って来て、地元のデンヴァーのニュースを見てみるも、やはり違う。ここは、滑らかに発音し、子音をあまり強く発音しない。喉の奥から音が出る感じだこれでやはり痛感した。私は子音を強くだすアクセントの方が好きだここに住んで、ニュースをあまり見たいとずっと思わなかったのは、発音が好きではないのだ。滑らかに喋り過ぎると思えるアクセント。今日、こちらのローカル・ニュースを見ながら、このアクセントにちょっといらいら一方、NYの宿泊先で、夜はテレビのニュースを沢山見た。確実にこちらのテレビよりも、子音をはっきり発音する英語の音が耳に馴染んだというのが大きな理由のひとつ不思議なもので、東の音を聞いてから、俄然英語を喋りたくなった。それも子音をはっきりだし、長く伸ばさない話し方。ほんの4日の滞在だったけど。。。帰って空港でスタッフに質問している時の自分の英語のアクセントが、東部のものを真似していたのを発見 それも自然に日本でも東部(東京など)にずっといるから、馴染みやすいのかしら?自分が心地よい発音、スピード、ピッチで話す方が、楽しく話せるよね~本当に音にばかり興味がいくので、これがもう少し文法にいってくれると英語の上達も早いと思うのだけれど。。。まあ、いいか~
2008.03.07
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最近つくづく実感するのだが、この街に暮らして、素敵な年上のおばさまたちに沢山出会うことが多い。日本での私の個人的環境・経験として、「おばさま」はとても気を使う存在だった。思わぬところで機嫌を悪くされたり、軽い感じで傷つくことを言われたり、甘えることができない存在のイメージがあった。でも、ここでは本当に「好きだなあ。尊敬できるなあ。」と思える女性に沢山会っている。音楽療法実習のスーパーヴァイザー教会の音楽監督、そして聖歌隊、ベル・クワイアのメンバースピーチ・クラブのおばさま皆優しくて、さっぱりしていて、ユーモアがあって、自分の意見をはっきり述べて、することはきっちりして、家庭を大切にして、そして綺麗なのだ。そして故郷を離れている私に、愛情たっぷりのハグをしてくれるのだ。。。彼女たちの本気の笑顔は本当に優しい笑顔なのだ。。。分らないことがあると、丁寧に笑顔で教えてくれ、頻繁に声をかけてくれる。そこらへんは年の功。若い女性たちよりずっと成熟していると思わされる部分。豊富な経験と余裕からくるのでしょう私の話し方がまだ子どもっぽいのかもしれない。留学生ということで、気にかけてくれるのかもしれない。私も、こんな熟女になりたい!とにかく、最近おばさまが大好きなDavinaである
2008.02.29
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1分のテーブル・スピーチが失敗原因は「自分の中からの声」に負けたこと一人だけ別のトピックで最後に語ることの違和感と「もう十分他の人のスピーチを楽しんだよー。話したくないよー。」という緊張感の無さと話し出して最初のセンテンスでとちり、その後も失敗して「今日はもういいや。適当に早く切り上げよう。」と早々に諦めてしまったこと出だしはとても良かったのに。。。途中で諦めて、修復の努力をしなかったこれが今一番後悔のポイントだ~本当に自分に自分で腹がたつ。メンバーたちは、いつも通り一生懸命聴いてくれていたのに、自分で勝手にスピーチを放棄してしまった。そういえば、最初の大学受験のときも同じようなことをしたよなー。練習をあまりしていない曲がでて、もう適当に弾ききってしまった。たかだか2分くらいの曲なのに。よくいう「自分に負ける」ということば。自分で自分を負けに導くのね。失敗が続いて起きても、その物事が全部終るまで諦めずに、常に「立て直しをはかる」こと。最後に立て直しして走り抜ければ良いのだから。逃げ腰で走り抜けるなんて、潔くないよ。あーこれを良い経験に、今度からは負け途中の「立て直し」をするパワーを身につけよう。。。
2008.02.27
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オバマ氏とクリントン氏のスピーチを初めてテレビで観た。前回のブッシュ大統領とケリーさんのときほど聞きたいとは思わなくて、今頃になってしまったが。。。前回は大統領候補のスピーチよりも、クリントン前大統領のスピーチがとても印象深かった。留学1年前の2004年にネットで見ていたが、言っている内容があまり良く分らなかった。が、クリントンさんのスピーチが「すごく効果的なスピーチ」だということは良く分った。彼の呼吸のタイミング、ゼスチャー、笑顔とうとう。会場の空気が次第にクリントンさんによってひとつになっていき、聴衆の絶賛を浴びるあたり、素直に納得してしまった!今回の両候補のスピーチを聴いて、とても大きな違いがあるなあ、と思ったところは、「希望:Hope」がスピーチに込められているか、そうでないかの違いが、聴衆が喜ぶか喜ばないかに大きく作用するのだというところたまたまクリントン氏がオバマ氏の批判をしている映像が流れていたのだが。。。希望など、ひとかけらもなく、後味の悪い印象が強く残った。彼女には未来への光り輝く希望を聴衆に与えるかけらすら無かった。たまたまオバマ氏のクリントン氏への批判を受けての反論場面だったのだろうがなんだかがっかりした。普通のおばさんだ。私は女性にアメリカの大統領になってもらいたいと思っていたけど、オバマ氏のことばかり引き合いに出す彼女の演説を聞いて彼女自身がそこにないように感じた。。。それと対照的に、テキサスで演説していたオバマ氏は、落ち着いて自分の言葉で語っていた。熟練されたスピーカーではないが、彼のスピーチは希望を感じさせ、それを聴衆と共有していた。スピーチは聴衆に、情報を与え、納得され、鼓舞し、そして楽しませる要素が盛り込まれることが必要だ(by TMC text)聴衆はスピーチを聴いて動機づけされたいのだ。その要素の中で具体的に盛り込まれるべきことのひとつ - それがHope:将来への希望だ。クリントン氏は、オバマ陣営の批判に反論する必要はあった。しかし、彼女が批判または非難しているときの顔や空気はよどんでいて希望など、ひとかけらも見られなかった。。。スピーチをするときは、この「希望」をしっかり盛り込むことにしよう。そうすればオーディエンスの反応が良いはずだ
2008.02.27
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今年の夏卒業後のインターン・シップに向けて、それぞれの出願場所での面接が始まった。3箇所出願している。今住んでいるこの街と、NY,そしてNJ我ながら上手い選び方だな、と思っている。皆、特徴が全然違うところで、全て私の興味あるところ。どこに行っても自分のためになるところばかりだ。神経学的音楽療法(NMT)、即興学的音楽療法(ノードフ・ロビンス)、そして読み書きを指導できる公立小学校先週、一番手で今ついているスーパーヴァイザーの面接を受けた。午前2セッション(障害を持つ子どもたちと大人のグループ)の後に、少々かしこまっての受け答えこういうときには、すらすらと喋れる。自分の歴史、興味、プラン等々。熱意があるから、多少英語がすぐでなくても大丈夫。落ち着いて話した。やっぱり、何気ない会話が一番難しいかもなあ~。即興だもんね来週には、あと二つの面接がある。初めて行くアメリカ東側。電話やメールは、ここと変わらないくらいに丁寧で迅速だった。どこもとても親切だ。これで会った印象がいいと、1番最初に受け入れを表明してくれたところに行くべきなんだろうなあ~全滅というオソロシイ事態は今はまだ考えないことにして、とにかく「正々堂々と」面接を受けてこよう。何か隠すと態度がこそこそするから、3つ面接を受けることも、その理由や決定方法も聞かれたらしっかり答えよう私が選ばれる立場なのはもちろんだけれど、同時にこちらも選ぶ権利がある。ちなみにもう一箇所出願をしようと連絡を取り始めていたのだけれどそのベテランの担当者の電話の印象やちょっとした対応が居心地悪く出願をとりやめた。なので、私もメールや電話で、相手が安心できるだろうと思われる対応を心がけている。そして「私はまだ音楽療法士の卵だけれど、私を取っても後悔はしないよ。」と思うようにしている。自分で自分をチェックして、好ましい自分で実習や面接に望む。自分が自分に対して好感が持てれば、他人も好感が持てるはずだ。これは特に、アメリカに留学してから強く学んだことだ。「私なんて本当にできが良くありませんので、どうぞ教えてくださいませ。。。」的態度は、それを身体全体で表してしまい、「できないの?能力がないの?役に立ってくれないの?」と悪いイメージを相手に与えてしまうのだ。文化・慣習の違い鼻にかけるのはご法度だが、「私は勉強してきて、身につけているものが沢山あります。未熟でも、学習能力は高いので、すぐ一人前になれます。」爽やかに、こうアピールするのだ~ちょっと早めにマンハッタン入りして、初めてのNYも観て来るつもり♪都会には全然興味無かったが、最近山の自然一杯の生活にも飽きてきたのかもしれない。東海岸トリップから帰宅後1週間で、卒業試験を迎える移動時間が多いので、その間暗記できるように、今週中に全部のノートをつくらなくちゃ!はてさて、どこのインターンシップ・サイトがとってくれるかな。このまま神経学的音楽療法をもっと勉強するか、とても有名な手法・ノードフ・ロビンスを1から始めるか、それともPhDで研究したい子どもの読み書き能力に携われるか。自分ひとり賭けしても面白いかもビンゴは変わったことにチャレンジするかな
2008.02.26
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「愛には3種類ありますね。エロス、フィリア、そしてアガペーの愛。バレンタイン・デイの日のために、この3つをよく思い起こしましょう。」バレンタイ・デイ直前のTMCのミーティングで、その日の議長である心理学者が言ったことばだ。ギリシャ時代から伝わるこの3つの姿。エロスは男女間の恋愛、フィリアは友情、そしてアガペーは親子に良く見られる無償の愛。ああ、そうか。"love"ということばは、この3種類があるんだっけ。そして、それは同時に、この3要素が含まれるということにもなるんだわ。。。何度も耳にしたことばだが、今回はとても実感を持って捉えることができた。そして、自分の大切に想う人への気持ちを思い出した。ソウル・メイトとは、この3つの要素を完全に満たす相手のことをいうのかもしれない。よく親友にならなければ恋人にもなれない、ということを聞くが、それが「フィリア」の愛。そして異性(同性でも?)への特別な気持ちとしての、「エロス」の愛。最後に一番実行が難しいと考えられる「無償」の愛。他人であるパートナーを見返りを求めずに愛すること。私にも、過去にそれに完全に当てはまる人がいた。今は側にいないけれど、将来はどうなるかな。。。思い起こすと、それ以外にお付き合いした人はこの3要素を満たしていなかった。皆付き合って良かったとは思っているけれど、この3要素を考えたときそこまで深く達していなかったのかも。最近友人のひとりが、ほのかに恋心を抱くひとを見つけた。ジョーク交じりに言う彼女、でもなんだかその純粋な気持ちが、私を嬉しくさせてくれる。昨年は3人のひとにデートを申し込まれたけれど、どれもご縁がなく。特定のパートナーがいないことは、さほど私に影響を及ぼさないけれど、ソール・メイトとの出会いは心から期待している。こちらがそう感じても、相手がそう思わなければどうしようもないもんね~そろそろ死ぬまで一緒にいたいソウル・メイトに出会いたいものだわ
2008.02.25
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「あなたは本当に良くやっているわ。」実習の途中で、ある患者さんの奥さんが私にこう言った。以前にも別の患者さんの奥さんから同じことを言われた。多分、私のセッション中のサポートの仕方を言っているのだろう。こういうところは日本人だな~、と強く感じるのだが、身体のケアの仕方が細かくできる・気がつくのである。本当に「お世話」をするという行動のことである。プラス、私は子どもでも大人でも、1対1の方が好きだ。なぜなら、その人に合ったケアを随時提供できるからだ。そのサポートの仕方が上手くいくと、「もっとこの人がやる気になるように!」と、自分のモティベーションが上がる。一種の楽しみである。日本人の私が当たり前と思ってする細かく気を使った世話が、アメリカ人は慣れていないらしい。彼らはもっと、大きなサポートの仕方をする。力強いサポートの仕方というのか。自然に一生懸命になってしまうので、自分ではこれが自然なのだが、この間は、Bさんというクライアントさんが、セッションが終わった後、横にいる私に初めてHugをしてくれた。ほとんど会話をしていなかった人だったので、ちょっと嬉しかった~それでも、ちょっと気をつけなきゃな、と思ったエピソードがあった。それは、始めから話しやすく、お話していたAさん。セッション後に、「今日、あるお店でケルト音楽の演奏があるよ。」と教えてくれた。私はアイリッシュ・ミュージックが大好き。(いつ話したかな?)と思いながらも、場所を確認。そしてAさんも行くことを確認。「じゃあ、TMCミーティングの前にちょっと寄ってみるね!教えてくれてありがとう!」そう言って別れ、約束の時間にお店に行った。Aさんは、奥さんとか友人とくるのかと思っていた。私の英語がちゃんと伝わってなかったようで、Aさんは私が店をでる5分前に来た。それもひとりで来た。私は内心(あれ、これって二人で待ち合わせみたいじゃない?)と思ったが、普通に話して店を出ようとした。すると「今週のバレンタイン・デイは、僕の誕生日なんだ。」と言う。私は「えー。。。じゃあ、emailを送るよ。メルアド教えて!」するとAさん「ああ、そうすると君のe-mail分るものね。。。」私はその後、スピーチのミーティング会場に向かったが、だんだんとAさんの言っていたことを繰り返して思い出し始めた。これって、セッション外で個人的に会いたかったってことかな?私は彼が奥さんがいると思ったけれど、いないのかな?お誕生日を私に祝って貰いたかったのかなあ~?セッション中、彼はとても話しやすく、まだ慣れない最初のころ、よく話してホッとさせてもらったものだ。もちろん患者さんだし、年齢も離れているし、特別に何かを感じることというのは問題外なはず。。。。でも、もしかすると、私の態度を誤解してしまった部分もあるのかもしれない。日本でヴォランティアをしているときは、いくら年上でも、男性への気遣いはちゃんと働くと思う。しかし、ここアメリカで、見た目が違う、言葉が違う、習慣がちがう、という中では、そちらの方に多く気を取られ、接近しすぎていた、ということも考えられるまたAさんは仏教に興味が深く、アジアに対する思いがオーバー・ラップした、とも考えられる。その次のセッションでは、なるべく側に寄らないように自然になってしまった。。。少し、やり方を考えなおしてみよ。とにかく、クライアントさんをサポートして、彼らができるようになるのを見ることは私の楽しみである
2008.02.21
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最近つくづく感じるのは留学を2年半していて、その生活の特徴を一言であわらすとすれば「選択と交渉」の連続選択に関してとても強く意識させられるのは例えば何かをしなければいけないときに、相手がこう聞くからだ。"Do you want to do?" こうしますか?と聞いてくるときに、「したいか?」という言葉を使うあたりそれに”Yes"と答えることは、例えそれをやらざるを得ない状況でも「したいから、選択したからする」という自主的に選んだ意味を大きく含む。このような聞かれ方をするようになって、日本では「やらされている。」的感覚のまま行動することが多かったなあ、と実感もちろんこちらでもその状況がくる回数は対して変わらないのだが不思議なもので、"want to do"の意味を行動に持たせることで力強く行動できる気がとてもするまた、「交渉」に関しては本当に交渉することが多いなあ~と最近つくづく実感語学力が以前よりも使えるようになってきていることも、そのような状況に合う機会を増やしていると思う。飛行機のキャンセルによる、ホテルの提供交渉教授と意見が違うときの話し合いルーム・メイトとの意見の相違による話し合い相手ははっきりと自分の意見を表明してくるので、こちらも考えをはっきりさせる必要がある。かといって、きつい物言いでは、交渉の空気を壊してしまい、上手く話し合いが進まない。暗黙の了解の部分はあるのだが、日本語と違うから、これを感じ取るまでにも時間がかかる。自分の意見を通して、自分にとって益になるゴールに達するには相手にも益がもたらされなくてはいけない。皆が交渉の結果勝者になる。これ、本で学んだルールである。はっきり意見を表す習慣のところでも、納得のできる好感のもたれる言葉遣い、態度がある。只今、それらを体験中!日本で長く暮らしていて、こんなに交渉したという記憶があまり無いものね。。。少なくとも、交渉する言葉を意識的に使うことは私は無かったわ。交渉が失敗するとストレスになるけど交渉が成功したときは、それは嬉しいものまだまだ人生退屈することは無さそうだ
2008.02.17
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「歴史的に、卓越した人物たちは、通常の人たちより楽天家です。発明には楽観主義が必要です。」嬉しいフレーズをトーストマスターズ・クラブの月刊誌で見つけた~辛口を言うひとたちに最近何人か出会って、それまで出会った似た人も連鎖的に思い出し、辟易していたところだったからだ特に、アメリカ人のおじさま、おばさまに沢山励まして貰い、ときには鋭い指摘も受け、でもその根本に愛情をひしひしと感じることが多いので出来ないところや、足りないところを指摘し、そのままホッポル物言い自分より周りの人は下、という態度をにおわせるところ言っている内容は、そんなに広い世間、広い経験でないのに、その限られたところからの自分なりの結論のみを正しいとするところちょっとできる人に多いすごく経験を積んでいるひと、頭の切れる人、良い環境にいる・いた人、経験が少なくても将来性のある人は、そういうことをしないこれ、私の経験からだなので、アメリカで何年もいるけれど、そんなに辛い思いばかりをしてきたの?八つ当たりなの?ここでしか威張る場所がないの?と感じてしまう。。。日本を尊敬し、でも悪いところもしっかり把握、そしてアメリカの良さも悪さも知っている私の知り合いたち大学生の時点で日本生活が4年しかなかったRちゃん高校の間アメリカで勉強し、社会人経験後、再びMBAの勉強のために戻ってきた実績ばりばりのKさんアメリカの学部を卒業し、CPAの資格をとって今では休暇もろくにとれないくらいの忙しさの中、夫婦でくらしているAさん皆、普通に会話ができる。なのに、少し長くアメリカで勉強し、働き、そんながんばっている人たちが日本をばかにしたような発言が多かったり在留年数の少ない日本人を下に見るような態度をとったり東京に行ったことのないひとが、東京は変なところだと言ったり。。。。。なんで、そんなゆがんだ認知の仕方をするのか。。。愛情の無い辛口、毒舌、意地悪な考えかた=ネガティブな思考回路!自分はこうならないようにしよう、と本当に感じた。。。そんなことで最近、口から何かでそうになっているときに上記にあげたフレーズを見てちょっと、ほっとした。。。楽観主義でいいんだよね。そこにもちろん注意深さも必要だけれど。とても素直で実力のある人が、先輩たちに、つまらないことでケチをつけられるところを何度も見てきた仕事場でも、学生の間にも前向きなことの話をして「でもさ、最近よくそういうけど、それもどうかと思うのよね。」それは当たっているでしょう。反省も必要。注意力を備えたうえで、やはり「楽観的ものの見方」これが、人生を大きく切り開いていく核になるに違いない。1mくらいの塀から見下ろして「君は僕に追いつけないだろう。」といっている目くそ鼻くそを笑うようなひとたちとは、軽いお付き合いで終らせられるように、振り回されないように自分を鍛えなきゃだめだな、と実感した最近でした
2008.02.10
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先日、以前ヴォランティアをしていた場所に事務関係のことで1年強ぶりで訪れた。話が終って事務所をでると、ちょうどそこに利用者さんたちがリビングに向かっていくとこだった。その中で一人の見覚えある顔が、立ち止まってこちらを向いていた。Jさんだった。私が留学して、最初の音楽療法の実習で、私のメイン・クライアントだった人だ。彼を担当している学期が終わり、夏の間、ヴォランティアとしてそのセンターに通った。クラス終了で彼と別れるのは、あまりにも私にとって不自然なことだったからだ。英語もあまり喋れない、聞けない、まわりの環境が慣れないことばかりでもたもたしている私に、Jさんはいつもよく話してくれた。もともとお喋りな人ではあるが、それ以上に、私の不器用さを分って助けてくれようとしているのが良く分ったものだった続く秋学期に入って、例のごとくクラスに追われた私は、そこのヴォランティアを続けることができなくなり、足が遠のいた。1度、サンクス・ギヴィングのときに訪れたことがある。やはり事務関係の所要で行って、一目だけJさんを部屋で見かけた。私を見つけると、Jさんは、真っ赤な顔をして声を出さずに大きく手を振った。私の勘違いか、私はそのときJさんが泣いているように見えた。。。それから1年間、2007年の間は、私にとって新しいことばかり起こり、自分の身辺に対応することで精一杯で、彼に会いに行く余裕が無かった。そして、今回、どんぴしゃのタイミングで会ったJさん。「おや、そこにいるひとは、私の良く知っているお嬢さんじゃないかな?」彼は私をすばやく認め、声をかけたくれた。私も懐かしさで一杯になり、側により、ずっとずっと言い訳をしながら一緒に歩いた。「ずっと、ずっとクラスで忙しくて来れなかったの。でももうすぐ卒業するの!」自分でも、彼の言っていることも分ったし、自分も喋っているし、2年前とは随分変わった状況になったなーと思った。Jさんは相変わらずお喋りで、止まらずに喋っていた。「うちの女房と、あの子はどうしたんだろうね、って言ってたんだよ。もう卒業しちゃったんじゃないか、とも話していたんだ。」「Jさんにさよならも言わずに卒業なんてできないよ!」「今度家においで。車はある?電話番号はもっている?卒業しちゃったかと思ったよ。」同じことを繰り返すJさん。全体てきに弱った感は否めないが、相変わらずのお喋り。「卒業したら時間ができるから、また来るから!」そう行って別れた。なんてありがたいこと。私はほとんど喋れなくて、彼の言っていることもあまり良く分らなかったのだ。でも、私が彼を好きなことはちゃんと伝わっていた。今回日本に一時帰国したときも、私を待っていてくれた3家族がいた。音楽療法的アプローチをしていた3人の生徒さんたちと、その家族。皆、私を暖かく迎えてくれて、そして、これからも待っていてくれる態度を表してくれた。あの時は、とにかく効果のある方法を見つけるのに一生懸命だった。そして、「障害があるっていっても、障害が無い子どもとそんなに違いはないじゃない?」と強く感じていた。基本はひとつだから。出来るところをベースに、徐々に出来ない部分をできるようにしていく、それはどの人にとっても同じ。とにかく、まさか皆がこんなに私を覚えていてくれて、待っていてくれたことにちょっと驚いたのだ。こうやって、一生続く関係が出来ていくんだなー、と幸せに思う。皆、大切にしてずっと続けていきたいと思う
2008.02.09
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日本への一時帰国後、自分の英語の能力が上達したように感じるまず最初に感じた部分は、英語の「読み」の部分そして「書き」に関して識別に敏感になり、それに伴って「話し」が以前よりスムーズになった。以前先輩が、「日本に久しぶりに一時帰国した後、アメリカに帰ってきたら、すごく喋れるようになったように感じたんだ。」という話を聞いていた。でも私の場合、反応は早くできるようになったけど、喋りは「なーんだ、あんまり変わらないじゃなーい。」と思っていた。ところが、英文を見たときに、文章の中の一区切りまで一気に目が走るようになることが多くなった。文章のなかのかたまりが見えるとでもいうのか。なので、最近は教科書や専門書以外の、軽い雑誌なども息抜きで読むようになった息抜き!そんな軽い読み物の中でも、まだ分らない単語もでてくるので、本気で、そう、TOEFLを受験後、本気でもっと単語を覚えたいと思うようになった。。。今頃、という気もするがいやー本気でクラスで一杯、一杯だったのだ。。。無理やり覚えた単語と、覚えたいと思って覚える単語では、入る数が違うと思う。あー、まだ英語でもたもたしているよーとフランス語の本を目の前にして思うこのごろのDavinaである。
2008.02.09
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今年の頭から思っていたこの2008年の抱負「核心をつく」論文を書きながら、いかに自分の文章が明確で無いかを実感したからだ良いと思って書いた文章を指摘されて読み返してみると自分でもうんざりしてしまった。。。思い込みとは恐ろしい。そのことも重々承知しているんだけど!特に書くことに関して、私の友人のアドヴァイスが本当に効いた。彼は独立して自分で仕事をし始め、とてもよく上手くいっているエンジニアなのだが彼が言う、普遍的な原理「何が与えられた情況の中で解決しているのか、そして問題なのか。それをクリアにしてその解決を提案すること。その扱う内容の構成をはっきりと図で表せること。」目の前で私に沢山質問をし、それを絵に書いて見せた友人を見て、その内容の整理整頓のされ度にびっくりした。な、なるほど~~~~~この図を考える作業に、全体の工程の半分程の時間を使うという。ブレイン・トーミングなどはするんだけど、この絵を描く作業はしていなかったなあ。話すことに関しても、質問に直接最初のセンテンスで答える、ライティング・センターの女性に出会って舌を巻いてしまった。私の話は、前おきが長いよね~。簡潔で、でも暖かい話し方ができるといいんだけどな。昨年の"Confortable"は、自分なりに達成できたと思う。なので今年は、"Get to the Point"で、切れ味よく、小気味よく、さくさくと進んでいきたいものだしかし、この2週間、家のネットが普通なのはつらいよ~
2008.02.07
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2005年7月より2年半ぶりに日本に一時帰国した昔なじんだ顔かおカオ。。。あまり皆が変わっていないので、それを逆にびっくりしたが私は服装、髪型がカジュアルになっていて、待ち合わせで何度か「分らなかった~」と言われた。髪を長くして、仕事柄、フォーマルに近いカッコをしていたかららしい。自分では全然気がつかなかった今回の帰国で強く感じたのは、自分の内部の変化二つ感じていたことがあって、これを見事に言い当てたのは私の恩師だった。さすが~ひとつは、自分自身の許容範囲が広がったこと。もうひとつは、子どものような自分がでてきたこと。両方とも、異国の地で沢山の新しい経験をし続けているからというは確かだろう。この両方の変化によって、以前よりもヘンに構える力が抜けたのもありそうだ。離れていることで私の前でホロリとする親や恩師を見て立場が逆になってきているんだと実感することもあった。昔はとても強くて、岩のような人たちだったのにね。。。そんな彼らをいとおしいと気持ちと複雑な気持ちで受け止められるようになったのが、自分ではとても驚き皆な同じ経験をしているんだろうなあー自分の中の新たな発見を良い方向に向けていけるといいな、と思っている。成長がとまる境のような気がするからね
2008.01.22
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先日、運転免許の更新を新I-20とともにしてきたのだが、引き続き、臓器提供に"Yes"としてきた事故時にもし助かる見込みの無い状態になったとき、自分の臓器を提供するというものこれは私の母の影響が強い。彼女はいつも「私が死んだら、全部持っていっていいわよ。」これに対して、父は真っ向から反対派。「そんなことはさせないよ。」USAで長く専門職をしている私の友人も反対派で、こう言っていた。「臓器が欲しい人のために、まだ息があっても持っていってしまうこともあるんですって。」実際のデータや証拠を調べたわけではないので、これがどの程度信頼できるのかは疑問だ。例えば、脳死状態でも心臓は動いているらしいから、それを「息がある」といえば、そのうちに取り出してしまう、というのは誤解が生じるかもしれない私などは、もう死ぬ運命ならば、新鮮な臓器を他の必要な人に使ってもらえば、その人の中で長生きできるなあ~と考える多分、母も同じ考え今回、改めて「臓器提供しますか?」と聞かれて「はい。」と答えたときに、正直、ちょっと不安な感じがしたでも、もし私が異国の地で死ぬようなことがあったとしても、私の臓器が他の人の中で生きて働いていることが分ったら両親は私に会えるようで、嬉しいのではないか、と思う魂は生きているから。肉体とは別だから。これが、私と母の共通の価値観
2007.12.24
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私のアドヴァイザーは、本当に学生の面倒見が悪い何人ものクラスメートが彼のことを悪く言っていた「ちょっと意地悪よね。」「簡単なことをわざわざ難しくする。」「いやな奴。」等々学校を辞めた友人は、このアドヴァイザーと、大きな声で口論したらしいトースト・マスターズの中で、私の大学内で働いている男性と話したときに、彼が言ったことにとても納得してしまった「MTが君のアドヴァイザーなの?彼は、外でも難しい人だよ。僕は一緒に仕事をしたけどね。」研究は独創的で、世界的に、異分野からも認められ始めていて、いろいろ表彰されたり、共同研究をしたり、忙しいでも、アポイントメントをとって会いに行って「あ、まだ君のプロポーザルのドラフト読んでない。来週メールするから!」って、どうよ2週間前に渡してるのに!あまり私と私の研究に関心が無いのでしょう。彼の前で、大きなへまもしていることも響いているのだと思う。私は彼が嫌いじゃないから、どうにかこちらに関心を持ってもらおうと努力しているのだけれど。。。とにかく今自分に言い聞かせていることは、「怒ったら負け。気長に勝負で、相手の力を利用すること」「相手の力を利用する」これは、ある護身術から思い出したこと。相手がこちらにつかみかかってきて手を出したとき、横に払おうとしても払えないのだけれど、それを手前に引くか、どこか別の方向に持っていくと、簡単に相手のバランスを崩すことができる。これが「相手の力の方向を利用すること」これだよなー、怒って「どうして読んでないんですか!私は時間を無駄にしたくありません!」と言ったら、もっと気難しくなっちゃうしなー怒ったら負け。先の高等教育のことも考えたら、論文を無事に仕上げることはとても大切。なので、「これはあの気難し屋の彼と、カード・ゲームをしているところ。切り札を沢山確保して、いつの間にかゲームを有利に持っていく」と考えるようにしている統計であれだけ頭の体操をしたので、同じくらいのエネルギーを使ったら上手く回るかな
2007.12.20
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USAで車を運転し始めてたった半年の間に、5回もチケットを切られた20分限定の駐車場所で4回(1箇所で3時間停車して2チケット、そしてその後2箇所で(でもひとつは無効になった)やられた~)、そしてスピード違反で1回合計、$230くらい払っている。。。日本では5年以上運転して、ゴールド・カードなのに。。。それまで時間オーバーしてもチケットが切られなかったので、自分は運がいいとタカをくくっていたら。。。面白かったのはスピード違反のとき学校につながる大きな道、寮などが道沿いにある、メイン通りに入ったとき前に車が全くいない昼間だったので、いつも通りに40マイル強(約70キロ)で走っていた。すると、パトカーが右手にいるのが見えた。本能的に、「やばい!」と思って、40マイルに落とした。40マイルリミットだから、大丈夫だよねー、ちょっとのオーバーくらい~そのパトカーは、私の走っているメイン通りに入って私の後ろを走り始めるやだー、後ろにいるなんて。でも、制限速度は守っているので、そのまま走り続けていたらしばらくして、赤と青のライトをピカピカしだした。あれ?事故かな?そう思って、ちょっと道を空けるように、右に寄ってみた。でも、抜かしていかない。気のせいか~そう思って信号待ちしていると、またちかちかさせる。そのうち、ウイ~ン、と音もさせる光も音も、短くて断続的。どうしたのかな?とりあえず真後ろにいるので、いつでも抜かしてもらって大丈夫状態で、ゆっくり走っていた。でも抜かさないなんだろう。私じゃないもんね。と思って走り続けるも、ずっと後ろをついてくる。なになに?!?私なの?それなので、途中で停車して降りて、おまわりさんのところに行って聞いてみた。私なの?すると、「そうだよ。」と言う。何か法律を破った?と聞くと、スピード違反だよ。えー。だって守ってたじゃない。エリザベス通りは何マイルか知っている?40でしょ。30だ。がーーーーんどうして止まらなかったんだ?だって、こんなこと初めてだし、40マイルと思っていたし!こちらもだんだん頭に血が上ってきて、自己弁護にはしりはじめる。たかがスピード違反なのに、いつの間にかもう一台パトカーが来ていた。2台って、飲酒のときだったよねえ~~~~とりあえずは、こちらは全く知らなかったので、それを一生懸命主張してみた。私がエキサイトしている側で、若いハンサムなおまわりさんは、冷静に免許証と保険の加入証明証をパトカーに持てかえって、中にいる美人なおまわりさんとなにやらお話している。こちらは授業前でぎりぎりの時間。遅れたくない。でも5分たってもこない。それで降りていって猛烈に抗議。「院の授業なの!遅れられないの!」完全に開き直っていたDavinaそのハンサムなおまわりさんは、「落ち着いて。今書類をつくっているから、車の中にいて。」もう一台のパトカーが、向かいの通りに待機している逃げないように、見張ってるのかな15分くらいしてようやく来たおまわりさんに、私は完全に喧嘩腰で「私、アピール(抗議)しますから。早くしてください。」日本ならしないでしょう。実感が無いとは恐ろしいおまわりさんは違反の情報が入った紙を見せてゆっくり説明しだした。「。。。もしアピールするなら、この日に裁判所に来て。」まあ、あとからルーミーと話して、「あの有名な道路の制限速度は知っておくべきだし、標識に書いてあるから、払うべきじゃない?」という説明に納得して払ったけどね。クラスメートは、「あら、私なら裁判所に行くのに。」と言ってたっけ。とにかく、アメリカ人のおまわりさんに関わったのは初めてだったので、怖さがいまいち分っていなかったようだ。それから、スピードにはとても注意するようになったのは言うまでもない
2007.12.15
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トーストマスター・クラブのポット・ラック ホーム・パーティがあった雪の積もる中、綺麗に飾られた明かりの中に幻想的に浮き上がるメンバーのお宅だったメンバーはそれぞれ、自分の家族、友人、恋人などを自由に連れていっていい料理はひとり何か1品持ち寄りのポット・ラック・パーティ私はこの、ポット・ラックのホーム・パーティが大好きだ家を開放するホストも大勢くるゲストの食事の心配までしなくていいし、ひとそれぞれ持ってくるものがその人を反映していて面白いし、これで、かなりの量になるそして、いろいろとプライベートにつっこんだ話までできるのがいい。ミーティングのときは、もっとフォーマルな雰囲気だからだ。キッチン、ダイニング、そしてリヴィングと、いろいろな場所で人々の会話に花が咲く。座ったり立ったり、場所を移動したり、同じ場所にずっといたり、普段から話したい人とこの機会に話ができるのがすごくいい私の昔のランド・レディーは、自分で料理を全部作っていた。何品もの大皿料理をキッチンのカウンターに並べ、それをゲストがお皿に持っていく。私も、自分の家で、ホーム・パーティーを開きたいなあ。憧れだこちらの料理は、簡単でシンプル、味もそんなに凝らないから、このようにできるのだろう。日本料理は手がかかるから、なかなか気軽に大量につくることは難しいなあ。。。でも、そのうちに自分の家を持ったら、必ずホーム・パーティをしよう!と思っている。いろいろなひとたちと、気軽に会話を食事をしながら楽しめるホーム・パーティこの習慣は、絶対身に着けて帰ろうっと
2007.12.13
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窓から見える木の枝えだに、5cmくらいの雪が積もっている道に積もった雪は、まさにパウダー・スノー。とてもやわらかい。明日はまた急遽、ミサでのピアノ伴奏朝7時半ころに家をでる毎週日曜日は、車のフロント・ガラス一面に雪の結晶が模様を描いている雪は降っていなくてもそれがびっしりと前も横も後ろも埋め尽くしているので、氷の結晶といったほうが良いのかな?車を運転し始めて始めての冬は、今までの中で、一番早い降雪そして生まれて初めてはっきり見る、氷の結晶本当に絵で描いてあるように、六角形のかたちをしていて、完璧なまでの美しさなのだ目の前に北斗七星が見える幸せ、大きな虹を沢山見れる幸せ、そして、雪の結晶を目の前で楽しめる幸せこの結晶を溶かさないと前が見えないので、いつも日曜の朝は溶かすので大変なのだが、東京・横浜では味わえない自然の美しさを経験できて嬉しいDavinaなのでした
2007.12.09
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価値観が対極的に違うと言っても許されるかもしれない、日本とアメリカその中のひとつで、最近感じるのは「立ち居振る舞い」に関して細かすぎる動作、周りをきょろきょろするような視線の送りかた、背を丸めて小走りに移動するような立ち居振る舞いここでは印象が悪い威張る必要はないけれど、「申し訳ございません」的態度は、信頼されにくいこれが日本では必要だから、日本人が海外に行くとそりゃ戸惑うよね~こちらで安心され、違和感なくその場にとけ込める態度は、そう例えて言えば「肉食獣のような態度」かなあくまでも私個人の表現だが、小動物のような態度をとることは、対等に扱って貰えない可能性が高くなる。余裕を持った態度、話し方、それにスマイルとユーモアがつくと最高点日本人のように細かく動作には出さないけれど、アメリカ人も、相手のことを気遣うところは同じである。それをシツコク出さないのが、彼ら。そして「結構です」というと、何度も何度も聞き返すようなことはしない。これに慣れてきた私は、とても居心地が良いこれって、完全に逆カルチャーチョックを味わうだろうなあ。。。
2007.12.05
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トーストマスター・クラブの長老の一人が、コメントに”You have come to a long way."と書いてくれていた。この方、強面のベテラン。初めて話したのが、10月頭の最初のスピーチのときだった。それまで目が合ってもそらして、挨拶もしたことが無かったが、アイス・ブレーカーのスピーチの後、向こうから話しかけてくれて、「テキスト(プロジェクトとしてstep10まで目標別段階があり、それをひとつひとつクリアしていくことで、スピーチの骨格を学ぶ)に沿って、やっていくのに~~~~」と、親切な細かいアドヴァイスをくれた。目が水色で、その強面で少し魚に似た(スミマセン)顔が不思議で(スミマセン2)、ずっと彼を見つめていたこの"come to a long way"の意味が正確に分らなくて、ようやく辞書を引いてその意味を知り、じーんとしたDavinaそうです。本当に言葉の通り、やっとここまで到達・上達しました。TMCに入会して約半年。私としては、そんなに大きく変わった感じはしないが、何人かのメンバーに「最初に比べて上達したね。」と言われた。この間のスピーチもそんなに出来が良いとは思えないのに、こんなに本気で言われるとは、渡米直後の短いプレゼンテーション@奨学金団体のはきっと皆な、私が何を言っているのか分らなかったのかなこの他、的を得たコメントがいくつもあった。先日日記に書いた「声をもっとだして」のほかに、・スピーチ全体を通して、自分のメイン・テーマをいろいろな角度から繰り返して主張するとよいよ・使用している言葉が易しすぎる(幼いという意味が入っていると思う)ので、論文で使うような言葉をもっと使ってごらん・アイ・コンタクトが良かった・例が分りやすく入っていたなどなど。とりあえず、このスピーチの会に参加している大きな目的のひとつは、修士論文に関してのやりとりを私のアドヴァイザーと満足して行えるようにすることアメリカ人の教授は、わりと留学生の英語に寛大なのだが、このドイツ人の私のアドヴァイザーは、自分が留学生だったからか、留学生にさほど優しくない。今年の初めにボツになった論文のトピックの説明のときに、私が十分彼を説得できるだけの説明をしなかった、と後から言われたのだ。当たっている、でも留学生なんだから、少しは考慮してよ。。。と思いながら、多分、彼が唯一、厳しい教授なので、まあ、緊張して英語を上達させようと思うところは彼に感謝しても良いかもしれない希望としては8月に卒業したい。その後、他州へ行ってしまうのなら、できればここで、Step10まで終らせたい。一月に一回スピーチ。。。きつまあ、そんなこんなで、チャレンジしている意味が大有りのスピーチ・クラブです。
2007.12.01
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先日のトーストマスター・クラブでのスピーチでの反応は、私に新たな発見をさせてくれたスピーチが終ると、メンバーは短いコメントをスピーカーに書いて渡すというルールがあるのだが私へのコメントで”褒め言葉”(アメリカ人の習慣で、必ず励ましてくれる)と同じくらいに多かったコメントがProject your voiceそう、声が小さくて聞きづらいので、もっと音量をあげて、というもの実は、最初からほぼ言われてきているのがこのことだった。しかし私はあまり気にしていなかった。だって、日本語では、どちらかというと声が大きいから。子どものころから、「声が小さいですね。」と言われたことはないし、歌を歌っても、大きな声がでる。しかし、短いスピーチをこのクラブでするようになって、確かに良く言われるのだ。会話のときにも、最初「え?」と聞き返されることが多い。日本語程、まだ自信を持って話してないというのもあるだろうな。また、注意して観察してみると、日本語の空気量と、呼気の器官への通し方が同じになっている。多分これだ。。。日本語は、あまり空気量を必要としない言語だ。しかし英語(その他フランス語やドイツ語もそうだけど)は、対極的に、多くの空気量を必要とする。子音を発音するために、多くの呼気を早いスピードで排出するからだと思う。これが甘いので、発音が曖昧になり、相手は聞き取りにくくなる。私も、子音をはっきり発音してもらえないと、相手が言っていることが聞き取りにくいとカン感じることが多い。発音はべた日本語発音では無いと思う。特に他の留学生にいろいろな場所で、その点を何度も指摘されたことがあるからだ。しかーし当たり前だけど、ネイティブにはやはり曖昧な発音に聞こえる。。。当然といえば当然だけどその点は気づいていて、子音を意識的に発音していたら、ある友人から「怒っているの?」と言われたことがある。それからちょっと抑えていたのかもね~トーストマスター・クラブは私にとって大きな挑戦で決して楽ではないが、英語の向上のために、ずっと続けていくつもりなので、皆が聞きやすい英語を話すためにも、子音をはっきり発音する練習をしようと思った。方法は声をひそめて、新聞を口に出して読むこと。これは以前日本語を綺麗に話すようになるための練習として、どこかでお勧めがあったものこれを英語にも応用して、子音をはっきり出す練習をする。母音は自然に出せるので、この子音部分を強化すれば、大部違ってくるのではないかと思う。いやーでもびっくりした!私が、「声が小さい」と言われるなんて!あれだけうるさい声で、人様に迷惑を多々かけていたのにねー
2007.11.30
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I'll make a speech in the meeting of TMC at night. This is the content of my speech, which is Level 2 with the project "Organize Your Speech"***********************No Sign Opens the Door One beautiful day, a young man stood rooted on the bridge. His face expressed a full of despair and his eyes just gazed at the surface of river. When he was attempting suicide, a cop was by him. He closed up to the young man in a hurry and asked, "What's wrong with the world? Why are you going to kill yourself although you are young. life is not as bad as youthink. Please just take 10 minutes to tell me what's your thoughts." Then, the young man bigan talking about his stories to the cop. In ten minutes, both guys jumped off the bridge. (wait for response) Life is sometimes hard. I talked to a Japanese graduage student a couple of weeks ago. She has studied English Literature in Texas. She has suffered from her old memories that was her past hardship in Japan. She said that she has experienced flashback while writing the thesis. She was completely rejected by someone who said "No," therefore, she came to study in the USA as her second best. I responsed to her, "Although the experience was bad, at a result that ,you chose another better way. Nobody can experience to study abroad, which makes us mature through different language, people, social systems, values and thoughts, customs, food and drink, and so on!" However, she seemed to be depressed, did not agree with me, and said, "If the event had not happened, if I had not made the mistakes, if the persons considered me more, I would have been successful in Japan, I would not been here..." She just focused on the negative side of the hardship. We sometimes confront "No Sign" in our lives. People say "no" or a certain group says "no." At that time, we sometimes feel like being denied entire ourselves and shutting down every oppotunity. Is it, however, true? After being rejected and proceeding another way, don't we often find a better way? I could find a positive side in the event of "No Sign" via Psychologist Dyer's phrase, which suggests that "Thanks to people saying No, I am here." When we receive "No," we could go different way and better way depending on our points of views. For example, my topic of the thesis was forced to change due to client recruiting condition in the beggining of this year, although I already began writing the proposal. This fact meant extension of my graduation time and I had to give up my old idea that I had developed in my research for 6 years in Japan. However, I realized that the new topic is the best under the supervision of my advisor and I can integrate what I have studied in Neurologic Music Therapy. In addition, I can pay attention to another way of researching my old topic, which I have never expected and it is much better way. For another example, when I had transferred into experimentally development psychology, I was rejected to apply for it by my misunderstandings. I was shocked and disappointed a lot due to my age. I applied for it the next year, however, it turned out the much better way. Two new excellent professors came to new posts at my university and I received the high level education from them. If I had not met them, I would not developed the way of evidence-based research in music therapy. Confronting "No Sign" is not comfortable for us, however, we can find positive aspects behind the crucial event. If we try to find the second best, it has great potential more than we'd expected. If we just walk down on our lives without "No Sign,"we may tend to go to easier ways. Consequently, we are recommended to do our best to choose the alternative thing when facing "No Sign." In conclusion, life is full of "No Sign", however, it can show another way to us, which leads us to a new world that we'd not expected. No Sign can open the door of the refreshed future as long as I do my best in the hardship.
2007.11.28
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My English skills has improved as reading faster,speaking and listening better. Recently I realized that I feel a big lag between thiking and speaking while speaking English. I come up with something to tell a friend when talking and my mouth starts to move.But English words do not come up to my tongue due to my thoughts in Japanese! I have been still awkward to think in English. If the suject is very interesting to me, I think it in English.But casual conversation can make me relaxed; at the same time, language part of my brain seems to take a rest~I'd like to master French as well as English so I need a bit more careful learning!The interesting thing is that I had felt like closing my ears when listening to English before. My ears seemed like to be stuffed up. Now, my mouth muscles are delayed and dull when trying to speak in English. Just move my mouth like training sports!
2007.11.26
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この街には、A-houseという100年ほど前に建てられた小さな家がある。当時の投資家・銀行家だったアメリカ人男性がこの地の調査で家族とともに移り住み、そこが週2回、オープン・ハウスをしている。日本でもよく見るつくりの家だ。三井倶楽部とか、その他の明治維新後に建てられた洋館と同じようなつくりここでは、「歴史的な家」と呼ばれる。アメリカ人がいっていたけど、アメリカは歴史が浅いので、2-30年で古いもの、ということになる。まあ、そのなんとも味のある洋館に、今年の夏、初めて訪れた。とても小さくて、日本人が違和感ないくらい。日本で巡った洋館を思い出しながら、最後の30分間、ひとりでガイドさんを独占して説明を聞いていた(向こうが私を独占かな?)その中で、長方形の綺麗な装飾をほどこしたピアノがあった。グランド・ピアノのように平たいが、ちょっと形がちがう。鍵盤に触れてみると、変わった音がする。100年くらい前のピアノ、だけど、毎年クリスマスにはある子どもの音楽教室があって、発表会があるのだという。「ええ、私もこのピアノで、クリスマスの曲を弾きたいなあ。BGMを弾いたりしていたんですよ、日本で。」「そうね、多分弾けるわよ。一曲くらいなら。他の生徒さんがいるしね。」まあ、そんな話をして帰ってきた。まあ、社交辞令でしょう。いきなり部外者がね。。。なんて思いながら。9月になって、”歴史的な家めぐり・ツアー”なる広告がこのA-house関連ででたので、友人と10軒くらいの家をまわった。1900年初頭にできた家々。。。。で、歴史的か家は今のオーナーが、毎年交代で開放する。だから内装は今の時代のもの。普通の家と表から見ても、中も変わらないジャン。まあ、これも話のネタ、と知り合ったばかりの友人と見学すると、途中のある家で、熟年の女性に声を掛けられた。「あなた、A-houseに来たわよね?ピアノを弾くって言っていたわよね?」彼女はスタッフの服装をしていたが、私が夏に訪れて、ピアノに関して他の女性スタッフを話している側にいたらしい。「はい、そうです。」「クリスマスにピアノを弾いてくれるの?」「はい、弾きますよ!弾いていいんですか?」まさかその日に、この話がもう一度でるとは思わなかった私は自分の名刺を渡し、彼女の電話番号も聞いた。家のカレンダーに、しっかり予定を書きこんだ。でもアメリカ人、長い先の約束はあまりあてにならない。だから予定の横にマークも書いたけどねサンクス・ギヴィングの休暇に入ってもまだ連絡が来ない。やっぱり知り合いや関連団体経由じゃないから、無理かなーと諦めていたところ電話がきた~~~~~「お金は払えないけど、11am-4pmまで空いている間、弾きますか?」もちろん弾きますとも!スタッフは皆ボランティア、私だって、お金は入りません。その、変わった形の見たことがないピアノで、大好きなクリスマス音楽を弾けるだけで満足仕事のときには、30分ステージを30分おきに弾くのが普通だけど、そのくらいしちゃおうかな。今年のお誕生日の日に行った家、100年前のオーナーが日本に旅行して、墨絵を買ってきてそれを飾り、当時のジャポネスクに影響され、ある部屋の壁紙は日本の柄を基調にデザインされ、富士山の油絵(全然富士山じゃないが)が飾られている、古い洋館良い経験ができそうだ最近論文に集中してピアノを全然弾いていないので、ちょっと練習しにいかないと!
2007.11.24
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サンクス・ギヴィング(感謝祭)は、アメリカで一番のお祝いの時なんだか日本のお正月に似ているルーミーによると、「クリスマスのときよりも、春休みのときよりも、飛行機のチケットが高い。」のだそうだ。開拓時代に、苦労してようやくその実りを得られたアメリカ人の先祖たちの苦労と喜びを共有し合うのだろう。果物、野菜、お酒などをいろとりどりに飾っているのを見ると、こちらもうきうきしてくるそんな中で、この間、日本へ修論のためにリサーチに行っていた友人と話す機会があった。彼女はディフェンスに成功したので、今仕事をいろいろと探している、といった。「日本の会社も入ってるの?」と聞くと、「入ってない。」という。彼女はUSで学部と院を出ているので、英語に問題がなく、英語圏全般を検索中だという。その時、彼女はこんなことを行った。「日本でリサーチしているときは気がつかなかったけど、帰ってきてすごく強く感じたんだよね。」「日本の文化って、褒めないじゃない。」はっはー、きたきた。同じことを最近私も感じていたところ。「欠点ばかり指摘されるのよね。なかなか認めてくれなくて、だんだん自信を失ってきたの。帰ってきて、それを強く感じたわ。」リサーチ先は、田舎ののんびりした良いところ。それでもそうらしい。「Davinaもすごく同感するよ。最近とくにね。例えば、トーストマスター・クラブでスピーチするでしょ。ひどかったりするのよ。でも、皆な、いつも”よくやったね”とか、”前より上達したよ”って必ず言ってくれるの。教会で音楽を演奏するでしょ。そうすると、ちょっとしたことでも”良かったわよ””ありがとう”って言ってくれるのよね。」この軽い"Good job!"は、挨拶で特に対したことがなくても彼らは言う、と先輩は言うし、私もそう思うが、やはり言われないよりは、言われた方が嬉しい。何か発表した後など、その反応があるとほっとする。それでもすごーくできの悪いときは、あまり言われないものね日本にいたときには気がつかなかったが、こちらで生活、勉強するようになって、本当にこの二つの文化の違いを感じる。心理学のPhDにいる先輩が、先行論文を例にとって解説してくれた。日本の反省する習慣と、アメリカの反省しない習慣の違いを学業で実験した学者がいるらしい。結果は、反省することの方が、後から修正が入ってのびる、という結果だった。「だから、一概に日本の習慣が悪いとは言えないのよ。」と彼女は言っていた。それもそうだよね。褒めてばっかりで、誤りを省みなければ、同じ間違いをまたする可能性は高いよね。でもどうやら、同じ間違いをして伸びない奴は、勝手に置いていかれてください、私たちはわざわざあなたがへこむことを言うつもりはありませんというのが、アメリカの教育現場のスタンスらしい。あくまで個人的見解ですが。それに先輩曰く「褒められてばかりで育ったアメリカ人の男性、だから皆、自己中でしょ。」あはははは。なるほど。確かに。どうりでヒーローに憧れるわけだまあ、それは置いておくとして私の過去を振り返ってみても、そんな言い方で、欠点ばかりつっこまなくたって、と思うようなことの方が断然多い私もインストラクターをしているとき、そうだったに違いない。。。ごめんね、生徒さんたち。。。アメリカの習慣が全て良いとは思わないが、この褒める、というのは、もう少し日本も取り入れても良いんじゃないだろうか。皆な、照れくさいのかな。
2007.11.23
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今、第二章の推敲に入り、このサンクス・ギヴィングの1週間の休みで、手をつけている第3章の研究手法と第一章の導入を書くつもりなのだがものすごーーーーーく長くなっている。。。この1・2・3章全部で、ダブル・スペースで30ページ強くらいを予定していたのだが第二章だけで、60ページを超えているのだ。。。この分だと、プロポーザル(第1・2・3章)だけで80ページ、介入が終わり結果と考察、参考文献、添付資料を含めて、150近くまで膨れ上がってしまうかもしれない。別の学部の友人が160ページ近く書いて、サブ・アドヴァイザーに、「ちょっと長いね~」と言われていた。これは博士論文の枚数に匹敵する。論文は長ければいいものではなく、必要な情報が盛り込まれて、かつ短いものがベストだ。私も必要なさまざまな情報を最低限に盛り込んだつもりだったけど書き始めて2ヶ月近くたって、「これじゃ、どおりでなかなか書きあがらないわけよね~」5月末に、新修士論文アイディアにOKをもらい、それから可能な限りの資料集めと読破、約2ヶ月。8月の一ヶ月で、重要な部分を全部タイプし、エッセンスの資料づくり(これは、ペーパーを書くときの、私のやり方)9月の1ヶ月は、新しいクラス、主に統計、のために執筆保留。そうだ、この月は、ジャズ・ピアノに狂っていたんだ。。。これはまずい!ということで、10月に入ってから書き出した。一番大変と言われている背景論文の紹介、構成。。。。最近、その第二章を書き終え、第三章に突入。あとは、音楽療法のアプローチの仕方を具体的に考えるだけ。第一章は、第二章のLiterature Reviewをベースに、この論文がいかに音楽療法の分野で貢献するものかをアピールこれらを休み明けにアドヴァイザーに持って行きたい。OKを貰ってから半年が経過している。かなり遅れているかしら?いろいろな情報で、修士論文(博士はもちろんのこと)は、本当に大変だ、苦しむ、と書いてあるが今まで書いてきて、多少焦るものの私は書いているのがとても楽しい。。。ある文章には、「もしそれが順調にいっているのなら、大きな勘違いをしているか、どこかで大きな間違いをしているはず」という表現をWebで見た。あたしのことか?私のアドヴァイザーは、細かく質問されるのを嫌がると予想されるので、細かい注意はほうぼう別の場所で情報収集、そして彼には、まとまってできたもをどーんと持っていく。あんま褒めないからなー。ドイツ人だしなー(ちょっと偏見)泣くくらいの訂正が入るかなー。特に11月に入って、書くことがとても楽しくなってきた。なので、毎日行っていたピアノの練習も行きたくなくなってしまい指が動かなくなってくる不安を毎日思い出しながら、でもわくわくしながら書いている。いやあ、私のテーマってそんな特殊なことじゃないんだけど知らないことを知っていくのって、楽しいねー書きながら同時に英語で上手く話せるようにもしなくてはならないので当分音楽の練習をたっぷりすることは無理かも。指がー、カンがー、鈍っていくー。まあ、専門はパフォーマンスではなく、evidenced-based Neurologic Music Therapyなのでここで一丁、踏ん張ってみることにする
2007.11.19
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この日記のキー・コンセプトである「ポジティブ思考」の源となったダイアー博士の講演会に行ってきた7時から開始で、30分は歌手の歌と娘さんの話、それから彼が7時半ごろから話し出したが10時半過ぎまで、休憩が入ったが、話し続けていた。。。講演の内容は、彼が著書で書いてあることが話されて、そこに彼のエピソードなどが加わっていた。嬉しかったのは、聖フランチェスコの話が沢山盛り込まれていたこと。この講演会の日は、私にとってある思い出深い日で、そこに私の日本の教会の聖人である聖フランチェスコの話を沢山聞けたことで、自分の過去のいろいろな思い出が整理された気分だ。その他、中国のタオというグルの話も盛り込まれていた。彼は今、東洋哲学に興味があるようだ。彼の話のメイン・ポイントは- Take your dream visualize- Just get your idea manifest- Doubt destroys everything- Become centered watching- Let an idea/disire go- Just let things flow- Be present- Be flexible; never be stiff- Harmonize with the surrounding- Just watch/observe the fact- No try no bearing fruits- Giving are receiving which is the universe lowと、だいたいこんな感じ。字で読んで知っていたけど、実際彼の口から聞くと、なんとも心にずしっとくる。そして、一番私の心を打ったのは、聖フランチェスコのことばMake Me the Instrument of Peace確か、私に洗礼を授けてくれた影響力の大きかった神父も言っていたような気がする。綺麗過ぎるくらいに感じるこのことばでも、マザー・テレサもそうだけれど、カッコつけたわけではなく、本心で言ったんだよねダイアーさんの本に出会ったのはいつのころだろう。多分2000年ごろ、ということは7年もたってるのね。そして私に多大な影響を与えてくれた神父さまに出会ってからは12年くらいになるだろうか。今年は、本当によくもまれた年だったけど、それも全て消化できるようなダイアー博士の講演会だった。$65だったけど!安くないけど!昨年、今年と、有り余る過去の思い出を整理している感じがする。留学自体がそうなのかも。今までの経験の結果、ここにあるわけだから。。。講義の内容は、私の意見としては、あまり上手く構成されているとは思えなかったけれどダイアーさんも、いろいろ人生苦しんできて、それで得られた「ポジティブ思考」なんだな、と、ちょっと身近に感じてほっとした。物事の良い面を見て、明日の活力にしよう
2007.11.17
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昨年の学部の統計に引き続き、院の統計のクラスをとっている院の統計は専門性が高まり、かなりの情報量だ。しかし、試験はダイレクトでひっかけはなく、それなりに勉強すれば何とかなるしかーし。どうも私の脳みそは数を扱うことに対して「ひらめき」や「かん」が鋭くないことが、本当に良く分る。音楽と比べると、その差は歴然。好きなんだけどね、統計。ゲームみたいで面白くて、ぱっぱと解いていく先生を見ていると「かっちょいーなー。」と憧れるしね~。まあ、そんなこんなで、動きのすばやくないところを埋めるために、先生に頻繁に質問しにいくことになる。クラスの皆はたいてい、TA(ティーチング・アシスタント)に聞きに行くが、メインの教授のところには行かない。私はTAが混んでいて個別に見てもらえないので、空いている教授の部屋に向かう。オフィス・アワーにずっといても、ほとんど他の生徒が来ないので、私はものすごーく簡単な質問や、私自身の論文のことの相談までできるようになる。そんなこんなで、昨年の300番台の統計の教授にも、そして今回の500番台の教授にも、ちょこちょこと会いに行ってアドヴァイスをもらうのだが本当に、本当に、数に関してはものすごーく鋭い教授たちが、私の初歩的な質問に丁寧に答えてくれるのだ。すごく嬉しい。。。!そして今日は、PhDへの進学に関してのアドヴァイスも求めてみた。メジャーを変えるかもしれなくて、それもUKで、すごく有名な大学で、でも私の成績はすっごーく良いわけではなくて。。。すると今年来たばかりの、若い教授はこうアドヴァイスしてくれた。PhDに進学するのに大切なのは、強いモティベーションと、クリエイティビティだよあー、私、アイディアは面白いって言われることがありました。日本で。でも、成績も同時に「とても優秀」ということが必要ですよね。GPAは3.8以上とか。。。そこまで良くないんです。。。すると教授は、成績は、PhDに押し上げるためのひとつの手段だよアドヴァイザーが、「この生徒は独創的なアイディアを持っている。」と認めてくれることが大切なんだ。クラス直前にオフィスに行ったので、歩きながら上の話になるまで、私の状況などを説明しながらクラスまで教授と歩いてきて、ここで教室に入って時間切れになった。この話を聞いて、またいろいろと考えを進めることができるようになった。アイディアか。。。まあそれでも成績が良いことは、多くの情報を処理する能力が優れていることにつながるので、保つことは必要だが、またここで改めて「面白いアイディア」の話がでてきたのは興味深かった。日本の教授も父も恩師も弟も、「面白いアイディア」が大切なんだよ、と言っていた。覚えた知識をただすらすら口に出しても、覚えたことはすごいけれど、それはそれでおしまい。だけど、それらの一般的情報から、いかに独自のアイディアを引き出せるか、で、その価値が変わってくる。私が20代の頃には、PhDに進学したい、なんて、どこの世界の話かと思ってたけどそう、学問の世界に向いている人間なら、PhDなんていうのは、10代の頃から考え始めるのが当然でしょう。でも私の場合、音楽療法の実践を通して、え?!?何、この音楽のパワーは?!?なんでこんなに効果があるの?!?てな具合で、そのパワーの秘密を研究したくなったから始めたわけなので、成績優秀ということを後からつくらなくてはならなくなっているのだ~悪くはなんだけどね、私の日本のアドヴァイザーのように3.9以上とかは望めないからさーまあとりあえずは、この院の統計のクラスを出来る限りのベストをつくして終えることだわ親切な教授が多くて嬉しいなー
2007.11.15
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私のクリスマス・ミサでの恒例の楽しみというと"Oh Holy Night"を聖歌隊で歌うことこれが無ければ、1年が終らないし、始まらない。なので、毎年9月になれば、もうそわそわだどうも今年から通い始めた教会の聖歌隊ではこの曲がレパートリーでは無いらしかったのでこのときばかりは、ピアニストさんや他のメンバーに言ってみた。「Oh, Holy Nightはクリスマス・ミサで歌わないのかなあ?あれはいいよね~。私は自分の教会で毎年歌うの!」そしたら、とうとうこの曲を歌いましょう、と音楽ディレクターのピアニストさんが言ってくれた。でも向こうとしては、私が「ソロで」歌いたいと思ったみたいで「自分の教会では日本語で歌ってたの?それとも英語?」私がソロで歌いたいと言ったらOKの雰囲気だ!な、なんと太っ腹な。。。私はこの曲を「聖歌隊で」歌うのが好きなのだ。大勢でハモると、それはそれは雄大で美しくてかっこいい。。。なので、楽譜をネットで探して持って行った。無料でも、結構良い楽譜をおいているのね。「じゃあ、コーラス前のソロの部分を日本語で歌ってね。」と、ピアニストさん。いつもカンター(ミサで、ソロで歌い、会衆を歌に誘導するひと)にも、「日本語で歌うべきよ。日本語よ。」なので、今年のクリスマスは、着物を着て、Oh Holy Nightの前半部分を日本語で歌うことになった予定通りに論文が進めば、もう来年は別の州に行っているはず。だから今年がこの街で過ごす最後のクリスマスそして、この”Oh Holy Night"を初めてサントリー・ホールで聴いて感動し、毎年演奏して12年目にして、初のソロ!加えて今年は私の改宗記念10周年大きなプレゼントを貰った気分だ~教会内のたったひとりの日本人が(多分)、日本語で歌を聴いた事が無く、生の着物も見たことがないアメリカ人たちの前で着物・日本語で歌ってみるちょっとした国際親善かも
2007.11.12
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