東方見雲録

東方見雲録

2025.07.11
XML
カテゴリ: ランドスケープ



意匠図案説明  旧日野橋と深田庭園、大山。
開設場所    〒683-0006 鳥取県米子市車尾2-18-36

旧日野橋


旧日野橋(きゅうひのばし)
日野川に初めて本格的な木造橋がかけられたのは明治21年(1888)ですが、大正12年(1923)の洪水で流されてしまいました。そのため、日野川をまたぐ全長365.8m、幅5.8mの現在の旧日野橋が、約2年の工期をかけて昭和4年(1929)に完成しました。2本の円柱をつないだコンクリート橋脚5基に6連の三角形組合せの骨組みを曲弦材(きょくげんざい)でつなぎ、垂直の間柱(まばしら)をいれる「曲弦トラス」という構造で、各連のつなぎ目に半円アーチをくりぬいた曲線型の橋門(きょうもん)梁(はり)を渡しています。親柱には四角い切石積みの花崗岩(かこうがん)が用いられています。道路のトラス橋としては県内で最大、最古の橋です。

大山を背景とする白い旧日野橋の姿は、米子を代表とする景観として、地域の人々に親しまれています。
引用サイト:米子市   こちら

 国登録有形文化財 旧日野橋     こちら
関連日記:2025.04.02の日記 こちら

深田庭園​


住所: 鳥取県米子市車尾5-6-22
アクセス:JR東山公園駅~徒歩
作庭・作者:池泉鑑賞式庭園
文化財: 国指定名勝

この庭園は、伯耆国の開拓に関わった豪族 深田氏が、江戸時代前期に住宅書院南面に築いた庭園。江戸時代に定型化した庭園様式の意匠や技法が凝らされており、国の名勝に指定されています。書院から展開する正面景観を重視した構成をとり,池中に鶴や亀を象徴した島を配置することなど,当時定型化した庭園様式の意匠や技法を基本とし,豊かな独創性が随所に見られます。(米子市HPより)

私的満足度「★★★」:ここの庭は素晴らしい。事前に電話で訪問アポをとる必要があります。鎌倉時代のお庭で、何せ後醍醐天皇に見せるためにとかいうほどです。また重森先生絶賛の見事な三尊石も見ごたえがあります。
引用サイト: こちら

関連サイト:米子市   こちら
深田氏庭園は、住宅書院の南側に築かれ地泉鑑賞の様式を取り入れた庭園です。昭和12年(1937)に著名な作庭家の重森三玲(しげもりみれい)氏によって世に紹介されました。

庭園は南西隅の築山(つきやま)に庭園の中心となる蓬莱式遠山(ほうらいしきえんざん)の三尊組石(さんぞんくみいし)が、池中には鶴石と亀石が配置されています。鶴石は、羽の下にひなを抱く親鶴の愛情に満ちた様子を模していると考えられます。鶴の首部は特に写実的で、それにふさわしい石材が使用されています。亀石は亀頭石が直立に用いられ、亀が首を持ち上げたところを表しているようです。

深田氏は中世に米子の開拓に関わった豪族で、後醍醐(ごだいご)天皇隠岐配流の際、深田氏の邸宅は行在所(あんざいしょ)になったという伝承があり、かつては築山に天皇を祀る小さな社が祀られていました。



関連サイト: こちら



関連サイト:くずも 語源 こちら
地名はもと「浜中の里」と呼ばれていたが、元弘年間に後醍醐天皇が隠岐へ配流の道すがら、当地の深田家へ立ち寄り、「春の日のめぐるもやすき尾車のうとし思はでくらすこの里」と詠んだのにちなみ、それを逆に綴って改名したといわれ、「くずも」は「くるまお」の発音の約音であるともいう。しかし、戦国期の「老翁物語」では「くつもう」と記されており、真疑は定かでない。当地は往時、砂山や水溜りの多い入江であったが、近江佐々木氏の後裔深田氏によって開墾されたといわれる。【出典】 「も」は「尾(お)」の転訛。  
出雲街道の宿場で、その昔、後醍醐天皇がこの地に寄った際に「尾車」と詠んだのを逆に「車尾」としたという。そして「くるまお」が「くずも」に転訛した。


引用サイト: こちら





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2025.07.11 00:00:14
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: