東方見雲録

東方見雲録

2025.12.25
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カテゴリ: ランドスケープ



意匠図案説明   六義園を描く
開設場所     〒112-0011 東京都文京区千石4-37-20
引用サイト: こちら



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千石の歴史
千川と小石川からの合成地名
1967年(昭和42年)の住居表示の際にできた町名。町の南部を流れる千川の「千」と、中山道の「せん」の読み、この地域名の小石川の「石」から取った合成地名。千川は小石川植物園のそばを流れるが現在は暗渠あんきょ(地中に埋設された河川)となっている。

御三卿のひとつ一橋徳川家より寄付された自然豊かな樹林地・千石緑地が史跡として残る。緑地内には樹齢100年以上と推定される文京区内でも有数のムクノキの巨木がある。
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小石川は昭和9年(1934)に埋め立てられ暗渠になりました。
埋め立てられた小石川の上を通っている道路が、現在の千川通りです。
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千石緑地は元は一橋徳川家所有の樹林地です。第12代徳川宗敬(むねよし)は、国土緑化推進機構の理事長として活躍し、都市内の自然林の保全に努められてきました。平成元年(1989年)にできるだけ樹林を末長く残すことを条件に、区に寄与されました。区ではその意向に従い、都内の貴重な樹林の保全と共に、平成6年(1994年)から区民の方にも自然を楽しんでいただけるように緑地として開放しました。園内の保全のため、樹林や植物が傷つけられたり、林床が踏み固められたりすることを防ぐために浮橋状の木製園路が設置されています。
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ちょっと道草:小石川 簸川神社。猫又橋



簸川神社(氷川明神)
御祭神
大巳貴命(オホナムヂノミコト)<大国主神>
素盞嗚命(スサノヲノミコト)<主祭神>
稲田姫命(イナダヒメノミコト)<妃神>



祭礼日 九月九日、十日(交通事情により前後の土・日曜日に斎行)

簸川神社の歴史

創建は第五代孝昭天皇 の御宇三年と伝えられる古社です。もとは小石川植物園 の地、御殿坂周辺の貝塚の上に鎮座し、八幡太郎源義家 公(1039〜1106)が奥州平定 の祈願に参籠した社とされています。元禄十二年(1699)に現在の高台に移転し、巣鴨の鎮守として定められ、江戸名所のひとつに数えられていました。明治二十三年十一月、大正天皇 陛下(当時東宮)が植物園に御成の折、御臨拝賜りました。

もとは社号に氷川を用いていましたが、大正時代、神主毛利昌教 が神社の由緒を出雲の国、簸川にあるとし、氏子中に諮り簸川と改めました。

(1)本殿


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簸川(ひかわ)神社・氷川坂(簸川坂) 千石2-10-10
・簸川神社
社伝によれば、当神社の創建は古く、第五代孝昭天皇のころと伝えられ祭神は素戔嗚命(すさのおのみこと)である。 源義家(1039~1106)が奥州平定の祈願をした社といわれ、小石川、巣鴨の総社として江戸名所の一つであった。 もとは現在の小石川植物園の地にあったが白山御殿造営のため、元禄12年(1699)この地に移された。社殿は、さきの空襲にあい全焼失したが、昭和33年(1958)に再建された。

境内の幟建一対は江戸時代、善仁寺門前町氏子中により奉納された貴重な石像物である。なお、1基は平成12年久堅町民会の尽力で修復されたものである。

・氷川坂(簸川坂)
簸川神社に接した坂ということでこの名がつけられた。氷川神社の現在の呼称は簸川神社である。坂下一帯は明治末頃まで「氷川たんぼ」といわれ、千川(小石川)が流れていた。洪水が多く、昭和9年(1934)暗渠が完成し、「千川通り」となった。神社石段下には千川改修記念碑がある。
-郷土愛をはぐくむ文化財-
文京区教育委員会
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猫又橋 親柱の袖石

この坂下にもと千川(小石川とも)が流れていた。むかし、木の根っ子の股で橋をかけたので、根子股橋と呼ばれた。

江戸の古い橋で、伝説的に有名であった。このあたりに、狸がいて、夜な夜な赤手ぬぐいをかぶって踊るという話があった。ある夕暮れ時、大塚辺の道心者(少年僧)がこの橋の近くに来ると、草の茂みの中を白い獣が追ってくるので、すわ狸かとあわてて逃げて千川にはまった。それから、この橋は、猫貍(ねこまた)橋・(猫又橋)といわれるようになった。猫貍は妖怪の一種である。

昭和のはじめまでは、この川でどじょうを取り、ホタルを追って稲田(千川たんぼ)に落ちたなど、古老がのどかな田園風景を語っている。

大正7年3月、この橋は立派な石を用いたコンクリート造りとなった。ところが千川はたびたび増水して大きな水害をおこした。それで昭和9年千川は暗渠 になり道路の下を通るようになった。

石造りの猫又橋は撤去されたが、地元の故市川虎之助氏(改修工事相談役)はその親柱と袖石を東京市と交渉して自宅に移した。

ここにあるのは、袖石の内2基で、千川名残りの猫又橋を伝える記念すべきものである。なお、袖石に刻まれた歌は故市川虎之助氏の作で、同氏が刻んだものである。

騒がしき蛙は土に埋もれぬ 人にしあれば 如何に恨まん

郷土愛をはぐくむ 文化財
文京区教育委員会
平成13年3月
引用サイト: こちら

ちょっと横道:妖怪 猫貍

佐脇嵩之『百怪図巻』より「猫また」


境港市水木しげるロードに設置された猫又のブロンズ像。尻尾が2本に分かれている。
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関連日記:2025.12.15の日記  六義園   こちら





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Last updated  2025.12.25 00:00:21
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