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フランツ・ヨーゼフ・ハイドン
神は私に朗らかな心をお与えになったのだから、朗らかに神にお仕えしても、お許しになられるだろう。
・ハイドンは信心深いカトリック教徒だったが、その人生や音楽は教派に限定されたものだはなかった。
・両親は息子が聖職者になるように促していたが、彼は神が自分の人生に求めておられるのは聖職に就くことではなく、自分の桁外れな音楽の才能を鍛え用いることだと確信していた。
・自分の才能は分不相応にも神から賜った贈り物だと言っていた。 「私は、賛美をすべて全能の神に捧げる。賛美は神にのみ帰すべきものだから。」
・彼は朝早く目を覚まし、作曲を始める前にひざまずいて祈りを捧げた。クラビアの前に腰をおろし音楽にとりかかろうと、楽想や主題、イメージを探り求めた。 「大して苦労もせず心に浮かぶなら、その音楽はさらに発展していく。」
・ 「先へ進まないようなら、何か間違いを犯していないか、そのため神の恩寵を失ったのではないか、それを見つけようとする。それから神のお許しが得られたと思えるまで慈悲を祈り求める。」
・ハイドンもまたバッハと同様、総譜を 「イエスの名にありて」 という言葉で始め、 「神に賛美を」 または 「神にのみ栄光あれ」 で締めくくった。
・信仰と作品の比類のない組み合わせが頂点に達したのは、66歳で完成させたオラトリオ『天地創造』である。 「『天地創造』を作曲した時ほど敬虔な気持ちに溢れていたことはない。あまりにも神への確信で満たされるのを覚え、ピアノに向かう前、神をその値に相応しく賛め称えられるだけの才能をお与え下さいと、静かに確信を抱いて神に祈った。」
・彼が顔を出した最後の演奏会は、彼が76歳の時に上演された『天地創造』で最後に聴衆が熱烈に拍手を送ると、彼は天に向かって手を掲げ 「私ではなく、あそこから、天からすべてがもたらされるのだ。」 と述べた。
・ハイドンは1809年、安らかに天に召された。77歳であった。遺言には、何十年もあっていなかった者さえ遺産相続の対象に名前が載っていた。もちろん愛人だったルイジアも。
聖三位一体のお方の御名により
我が魂をこの上なく慈悲深い創造主にお委ねする。

おわり![]()
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