”ぷろぺら”の,「一日は誰にもやっぱり一日」

”ぷろぺら”の,「一日は誰にもやっぱり一日」

太陽のあたらない部屋で休んでいきませんか



1年が過ぎようとしていた。会社と寮の往復の生活にも

慣れてきていたが、正直、少しうんざりもしていた。

しかし会社が終わればたくさんの音楽仲間が集まる 

日田の鏡坂にある、「ルブラン」 という喫茶店に直行していた。

当時、いきつけだった、楽器屋のご主人の紹介で、たまに行って

いたのだが、しばらくすると完全に入りびたり状態になっていた。

マスターは、自称日田で一番愛想のないマスターとして有名な

Kさんで、金のない俺はいつも、人の倍の厚みがあるトーストを

焼いてもらったり、コーヒーはただでおかわりさせてもらったり、

たまにはビールまで飲ませてもらい、ずいぶんとよくしてもらった

ものだった。



ある日の夜、みんなで順番に歌でも歌おうか、ということになり、

何人かの人が歌い そして、俺の番になった。

何を歌おうか考えていたが、とっさに思いついたのが勇造さんの、

「太陽のあたらない部屋で休んでいきませんか」だった。

誰も知らないだろうと、うる覚えの歌詞で1番を歌い、2番に入った。

その時だった、俺の目の前に一冊のノートが差し出された。

「これを見て歌うといいよ」と、一言いって、彼は差し出した。

それを見ると、

「太陽のあたらない部屋で休んでいきませんか」の歌詞とコードが

とても丁寧に書かれてあった。顔は知っていた。いつもカウンターの

一番奥で,バーボンを飲んでいる長野さんだった。

知っているだけで話をしたことはなかったが、歌い終わり 

ノートを返しにいった。



「ありがとうございました」・・・・。すると、

「勇造のこと、好きなの?・・。」  と聞かれた

「はい、高校生の時からのファンです」と答えると、もう何年来の

旧友のように、勇造さんの話で二人はもりあがってしまった。

俺は店に行く楽しみが一つ増えて、会うたびに勇造論に花が咲いた。



当時、俺は6畳二間に男4人という寮生活をしていて、

精神的に少しまいっていたところだった。ある日、そんな話を

愚痴るよう彼にすると、「君さえよければ、」と前置きをして

「うちの敷地に古い貸家があって、今空いている。先月、前の

住人が引っ越していって、今は住む人もなく古いので取り壊そうと

思っているところなんだ。もしよければ、越してこないか?」

俺はもうすこし詳しく話を聞いた。



「家賃は1万5000円俺にもなんとかなりそう・・・。」



お願いすることにした。



それから、当面の家財道具をそろえ、年が明けた57年1月引越をした。

お向かいに勇造ファンがいるということでほとんど毎日二人で、

音楽の話ばかりしていた。ところがしばらくして一人ぐらしを始めた

俺の所へ、別の音楽仲間がたむろするようになってきた。

中には居候うするようになった高校生まで出てきて、

大家さんにしかられるしまつ。なんだかますます面白くなってきたと、

ひとり喜んでいた。

まったく人の出会いとは分からないものだ。たった一人のシンガー

のおかげでこんな楽しい暮らしが始まるとは・・。

ところが、そのすぐ、あと、この家で、俺の人生を変える出会いが、

待っているとは・・。その時知るよしもなかった。



続く!


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