”ぷろぺら”の,「一日は誰にもやっぱり一日」

”ぷろぺら”の,「一日は誰にもやっぱり一日」

ブルースをやろうぜ三浦ふる!


高校時代だった。

豊田勇造さんの「さあもういっぺん」のレコードが欲しくてしょうがなかっ

た。

しかし、お金がなかった。月に1000円くらいのこずかいしかもらえない

俺にとっては,レコード1枚とはいえ高い買い物だった。

なんとか、お年玉を集め, 注文用紙を送った。

(当時勇造さんのレコードは通販だった)

ところが、1ヶ月たっても 2ヶ月たってもレコードは来ない。

忘れられているんだろうか?と不安になりつつも「きっと来るだろう!」

と、 待っていた。

そして3ヶ月が過ぎた頃だった近くの郵便局から、

「レコードが入りました」と,連絡があった。

やっと手に入ったレコード・・・。本当に嬉しかった!!

おんぼろプレーヤーでレコードに針を落とした。



A面の2曲目に「ブルースをやろーぜ」という歌がある。

九州は大分。地元で活躍していた六調子の「三浦ふる」 さんが

事故で亡くなった時の事を勇造さんが唄った歌だ。

同じ大分の人ということもあり身近に感じられたし、

何かしらとても印象的で 本当に好きな歌だった。

そしてその後、会った事もなければ、声さえ

聞いたこともないふるさんに 18の俺は、なぜかずーっと

あこがれるのだった。



それから3年の月日がたち、昭和57年春、日田の町で一人ぐらしを始めて

何ヶ月かたった頃、一人の女性がちょくちょくおれの家に

遊びにくるようになっていた。いつも音楽の話をしてすごしていた。

ある時、俺は豊田勇造さんの唄が好きで、特に「ブルースを、やろうぜ」

が好きなんだ!!という話をした。そして、「三浦ふるさんに憧れている」

という話もした。と、その時彼女が言った。



「知っているよ・・・」



「え!、何を・・・」 



「ふるさんの、本名は〇〇〇さんと言って、近所に家があったので

遊びに行くと、 いつも英語の歌を歌っていたよ」 とか、



「小さい頃からよく、遊んでもらっていた」 とか・・・。



たったそれだけの事なんだけど・・

いったい何なのかよく解らなくなって考え込んでしまった。

何を?といわれても自分でもよくわからなかった。

なんともいえない不思議な感じがした。





当時俺は、転勤で、日田に住んでいた。本当は日田に来るはずではなく

県北の中津の町に行くことになっていてその用意をしていたし、

心の準備もしていた。 ところが1週間前になって急きょ日田行きが決まった。

そんな話をすると、 彼女も

「実は、日田でなく県南の佐伯市に勤務するはずだっが、なぜか

日田勤務になってしまった。」という・・。

多分そんなこと、偶然なんだろうけど・・・。

でも、そこに何となく、ふるさんがいるような気がしてならない。

ふるさんの声が聞こえてきそうな気がしてならない。



おととしは、ふるさんが亡くなって30年目だった。

そんな時俺は、 長年憧れていた豊田勇造さんと出会った。

その上、勇造さんのライブを主催をすることになった。

そして, 亡くなったふるさんの、とてもたいせつな人や勇造さんの

古くからの友達とも出会うことになった。本当に人はどこで、

だれに会うか分からない。

本当に分からない・・・・。       終り


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