東欧 チェスキークロムロフ


            東欧4日目 プラハ→チェスキークルムロフへ


3日目から旦那さんは体調不良を訴えたました。彼は私より○歳 若いのにひ弱で すぐ風邪ひきます。(そしてなかなかうつらない私。こわっ)ハネムーンでフロリダなどに行った際も彼はダウンして、彼を半日ホテルにおいてMGMスタジオにいったのは私です。(苦笑)さて 今回も予定では今日プラハを発つ予定でしたが、ホテルを今晩はまだとってなかったのでプラハにもう一泊して体調調節をする?と聞いたのですが、彼は電車で寝るから予定通りでいいよ!とのこと。午前中は 彼はホテルで休んでるってことで、午前中は私ひとりでプラハの街を歩き回りました。


最初は昨日購入した木のおもちゃ屋さん。 昨日の夜ガイドブックでみたら、共和国広場の界隈にある Manufaktura は店舗の広さが一番大きくて、ボディケア商品も含めていろいろなものがあるというので朝寄ってみました。ボディケア用品はアメリカと比べて特に安くないので却下。替わりに分解できるピノキオ人形 (ダルマ落としのような感じを購入しました。


足早にお店を去り、また共和国広場に。。午前中の広場は夕方とはまた違った、爽やかな雰囲気。ぐるりと広場を見回しつつ、聖ミクラーシュ教会の脇の道を北の方面に数ブロック歩くと、ユダヤ人地区です。19世紀後半に整備されて今は普通の住宅街ですが、かつてはユダヤ人が隔離されていた居住区で細い路地やら迷路のような状態だったそうです。ナチスがユダヤ人迫害をしていた頃は、ここにユダヤ人が集められて強制収容所に送られていたそうです。”変身”の著者 カフカはまさにここのプラハのユダヤ人地区に生まれ育った作家。私は変身を途中で挫折しましたが、(読むのが辛かった)ここでの生い立ちは彼の作品に大きな影響を与えてるとのことです。そうだよなぁ。。


私は映画”ピアニスト”を思い出しました。 ユダヤ人地区の今の建物は、映画で主人公のピアニストが潜伏していたアパートの建物があったあのシーンのような感じ(爆破される前のね。)の街並み。 そしてモダンな建物ですが、シナゴークというユダヤ人が礼拝につかう建物や、集会場、儀式の家などは昔のまま残されています。 それらの建物は濃い目の茶色っぽいレンガ作りだったり、コンクリートのような壁だったりすごい質素な建物で、当時その地区が暗い感じだったんだろうなと連想させます。今も礼拝所はそのままつかってるそうですが、それらの建物の多くは当時の辛い生活や生活慣習、病気などの展示につかわれていたりします。


ちょっと重い気持になりましたが、そろそろ帰らないとホテルのチェックアウトの時間だ~と足早にホテルに帰る。 それから荷造りをぱ~っとして12時にはホテルを出ました。 地下鉄のチケットを買うのに小銭がなかったのでホテルで両替を頼んだら、細かいコインはないと断られました。えぇぇ 4つ★ホテルでしょ~。も~びっくり。 でも新聞を売ってるようなお店で地下鉄の乗車券を売ってるらしいので、近所のスタンドによってみる。 特に料金が高くなるわけでもなく、普通にチケット売ってました。 自動販売機だとコインしか使えないから、お札しかない時は新聞を売ってる小さいお店に立ち寄るといいかもしれません。


プラハの中央駅に行く前に、街中では使えないユーロのトラベラーズチェックから プラハの通貨に両替する為、新市街のヴァーツラフ広場にあるアメックスにいった。アメックスだと両替手数料はかからなかったけど,レートはカレル橋界隈の両替商より悪かった。でもさらにいい事が。旅行部門のカウンターで、”今日の夜1泊ですが、チェスキー クロムロフのホテル手配できますか?”と聞いてみた。今回ははっきり日程を決めてなかったので、所々ホテルの手配をしてなかったのです。 


今晩なんて嫌な顔されるかな~と思ったら親切にホテルをいろいろ紹介してくださって、予算にみあったホテルを さらに電話で予約をして下さいました。それも私達はVisaカードしか持ってなかったのに快く手数料無しで手配してくれました。多分後からホテルからコミッションが入るんだと思います。 そこで翌日のウィーンのホテルも頼もうと思ったら、国外の手配だとUSドルにして30ドル手数料がかかるという。10ドル位だったらよかったのですが、安いホテルに30ドルの手数料を出すなら、それをたしてホテルのランクを上げるほうがいいし~と思ってウィーンの以来は断念しました。


プラハの街ともお別れかぁとキョロキョロしつつ、プラハ中央駅に着きました。駅前の地上は大通りで横断歩道は無く、なんか荒れてるって感じでちょっとこわかった。あれ夜だったらマジでこわいって感じ。 気乗りしなかったけど汚い階段をおりて地下におりたら、地下はとってもきれいなコンコースのはしっこって感じでした。 私達はイーストレイルパスという 東欧&中欧5カ国で使えるパスをもってたのですが、案内所で電車の時間の確認をする。発車まで20分しかなかったので、急いでランチを買いに売店にいく。。そこで旦那さん ぼったくられそうになる事件勃発!?


お互いに自分の食べるものを探してて、先に旦那が早速何かを注文しました。何か話が長引いてて、彼がチケット貸してというのです。何故?と聞いたら、行き先によってサンドイッチの値段が違うので、チケットがないと サンドイッチが売れないと言う。そんな~バカな~。自分の食べ物を物色しつつ、耳をそばだててるとそのチケットじゃダメだとかもめている。。彼は高校からアメリカにいるので私よりよっぽど英語が出来るので、意思疎通にすれ違いがあるとも思えないのですが、行き先によって値段が違うなんてバカげてる。。それでも何だかもめてるしぃ。


私は ひえぇ 目的地まで4時間かかるのにランチ無しなんてぇとちょっと焦ってきた。。揉めてる旦那はおいといて、自分の食べたいサンドイッチをもう1人の店員に これ頂戴!といったら 難なく出してくれた。ついでに水も頼んでお金を払ってると旦那が ”ええぇぇ 自分だけ買ってるのぉと焦って 僕もこれと追加を申し出たら難なく旦那の希望もでてきた。” なんだったんだろう?? 旦那はからかわれていたのでしょうか。今でも謎です。 


その後 案内所の時もしつこく着いてきた酔っ払いのおじさんが、また戻って来て、どこにいくのか? 何番ホームか? としつこくついてくる。。 荷物に手を伸ばしてきて運ぼうとするし。。 うわっ 勝手に運んであとでお金をくれ~っていうタイプだなと警戒し、旦那と鞄の取り合いになってました。 他の旅行人は ありゃりゃ~大変だねぇ 同じ電車だからこっちだよ と 一緒にすたすた歩いてくれました。でも酔っ払いはしつこく結局電車までついてのってきて、6人乗りの個室にまで手を伸ばしてお金をせびってました。。こわい。。


そして チェスキークルムロフという 街全体がユネスコの遺産に認定されている街にむかいました。プラハからチェスケー ブディヨヴツェという街まで電車で2時間くらい、そこから2車両しかない小さな電車に乗り換えて チェスキー クルムロフへ向いました。その2車両の電車では近くの席の女の子が、私の大好きな元スーパーモデルの ヘレナ クリステンセンにちょっと似ててとってもかわいい子でした。よく見るとキャメロンディアスにも似てるんだけど。。かわいいな~とチョコチョコみてたせいか目があってしまったら、ニコッと笑いかけてくれました。


そんなことがきっかけで、チェスキークルムロフではバス乗り場を探したりとか、バス停からホテルに向う時も一緒に話したりとかしました。ちなみに彼女はボーイフレンドと旅行中で、彼はちょっと太ったデカプリオって感じでした。。(ごめん) でもお似合いカップルでした。。あ~かわいい彼女と一緒に写真取っとけばよかったなぁ。。さらに バス停近くで4人でどっちに行くか悩んでたら、日本人の女の子があっちだよ!と教えてくれました。彼女も朝 そこについて、同じように迷ったらしくて親切に教えてくれました。


その女の子は一人旅で、私達と逆まわりでブタペスト→ウィーン→チェスキークロムロフ→プラハという順で旅行中でした。ウィーンでは40ユーロくらいのホテルに泊まってたというので、ホテルの名前と連絡先を教えて頂きました!私達も知ってる限りの有益と思えるプラハの情報を交換したりして別れました。 早速 その夜ホテルの人に頼んで ウィーンのホテルに電話をしてもらって予約をとってもらいました。 翌日は午前中に観光をしてから ウィーンに向うので、ウィーンに着くのが午後6時過ぎだったので、ホテルが決って一安心。


あいにくの小雨でしたが、チェスキークルムロフの街はレンガ屋根のかわいいらしい街。散歩をしてても 素敵な建物や看板、そしてすごーーい大きな教会など びっくりすることだらけ。。ワクワクと散策しました。でもホテルに着いたのが7時近くだったため、あっという間に空腹に。夕飯は ホテルの近所の居酒屋チックなお店で。 ダークなビールと、郷土料理らしい ガーリックとポテトや野菜がたっぷりはいったオムレツ、キャベツとソーセージのスープなどなど 腹12分目くらい食べました。翌日の観光への期待を胸に爆睡しました。あ~ 食べてすぐ寝てしまい 旅行中に太ったようです。(涙)




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