三春化け猫騒動(抄) 2005/7 歴史読本 0
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モントリオール日系人会館訪問『旅するカメラ』でのメールがありましたので、転載します。 記モントリオール日系文化会館の山口です。先日(8月24日)は 遠路はるばる当会館をお訪ね頂き、ありがとうございました。その折の写真を当会館のウェブサイトに載せましたので、お礼かたがたお知らせいたします。携帯 電話のカメラしか持ち合わせておりませんでしたので、わざわざ見て頂くほどの写真はありませんが、それでも思い出の一端になれば幸いです。写真のサイトの リンク先は次の通りです。http://bonjourdemontreal.macmate.me/centrejaponaisdemontreal/PHOTOS-xie_zhen_ji/Pages/Visite-du-Japon-2012.html また、ウェブサイトのトップページには” http://jcccm.ca ”と入力して頂くと当会館にリンクします。 では又。まずは写真アップロードのお知らせまで。 モントリオール日系文化会館 評議員: 山口展霽(やまぐち のぶはる)ブログランキングです。←ここにクリックをお願いします。
2012.08.31
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ホノルル福島県人会の記念品 福島県による「北米移住者子弟研修」の生みの親、松本友作副知事が3月31日にて退職されることになりました。これに対してホノルル福島県人会では記念品を準備、ホノルル滞在中の私がこれを委託されました。3月22日午後、預かった記念品を持って県庁に松本副知事を訪問、記念品を手渡しました。ブログランキングです。←ここにクリックをお願いします。
2012.03.24
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Todo Todoroki(等々力)様大変申し訳ありません。連絡を頂いていたのは知っていたのですが、PCの使い勝手が分からなくて、しばらくもたもたして済みませんでした。遅すぎるのですが、Fukushima kenjinkai of foreign countries に全文を載せていただきますので、ご容赦ください。なお、その後のハワイ福島県人会の様子について、「街 こおりやま6月号」掲載されます。1日か2日に、このブログの「街 こおりやま」にアップします。もしまたニュースがありましたらお知らせください。今度は早急に対応します。よろしくお願いします。 記福島県人会 SHIKAMA YOJI様初めて連絡をさせていただきます。JAPAN BLOCK FAIRというストリートフェアーを主催している等々力と申します。この災害ではご地元宮城県は大変な被害をこうむったということで、佐々木さんをはじめ県人会の皆様は公私共に大変な時であると察します。先日のイン ターフェイスの式典でのSHIKAMAさんのスピーチは生々しく心を打たれるもので、参加された方たちの共感を得るものでした。ホクホク会の山本さんや岩手県人会の岩崎さんからお聞きになっているかもしれませんが、私どもは5月22日(日)にPARK AVNUEの39丁目と40 丁目の間でJAPAN BLOCK FAIRを行い、そこで集めた募金とそこでのポジティブな元気を被災地にお送りしたいと思っております。つきまして は、是非その10フィートX10フィートのスペースを有効にご利用いただければと思っています。私たちは今回、特に被害が大きかった東北6県と北関東3県 の県人会の方たちに無料でブースをご提供させていただくことで、そこからの収益を少しでも地元の復興支援のお手伝いをしたいと思っております。大変な時にお祭りかよ?と思われるかもしれませんが、復興に向けての元気をNYから送りたいということでご理解をただければ幸いです。今までのブロック フェアーですとちょうちんを飾ったりとお祭りムードでしたが、今回はちょうちんの変わりに菊の花を各ブースに飾るつもりでおります。ま たステージ上でのパフォーマンスもおふざけなど被災者の方たちに不快な思いをもたれないことを念頭において行っていくつもりです。5月22日の福島県人会としての活動をご検討いただければ幸いです。取り急ぎ-- Todo Todoroki(等々力)EMEMT INC / JAPAN BLOCK FAIR315 5th Avenue #804 New York, NY 10016o- 212-679-3345 c- 516-769-1683(Apr 1, 2011 01:11:17 AM) 以上ブログランキングです。←ここにクリックをお願いします。
2011.05.29
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北カリフォルニア福島日系人会会長のワペンスキー英子さんから、福島県の地震・津波・原発の放射線の影響、そして農業や漁業の風評被害を心配する メールが届きました。彼女は健康を害し、2月初めから検査をしていたそうで、そのために義援金集めができず、残念がっております。私は県民を代表する立場にはありませんが、ご苦労に対し本当に感謝いたします。募金された小切手の前で写された写真が送られてきましたので、掲載します。 彼女の出身地である郡山も地震で大きな被害を受け、放射線の影響も少々発生しておりまが、原発近くの避難民の受け皿となっていますから、まだ安全と考えてもいいのかも知れません。しかし原発事故が収束したわけではありませんので、まだまだ予断は許されません。早く元に復するようにと、祈るばかりです。北カリフォルニア福島日系人会の皆様、本当にありがとうございました。 March 17, 2011 福島日系人会会員の皆様へ 日本時間3月11日(金)午後2時46分頃に起きた地震・津波は太平洋沿岸に面する多数の県に、創造を絶する多大な被害をもたらしました。皆様もテレビ・インターネットで車・人・家屋などそこに存在していた町・集落などがどんどん押し流されてゆく映像に涙を流したり、心を痛められたことでしょう。 会員の方や会員のお子さん達から沢山メール・電話などで連絡があり私達の故郷も含め、ほかの県の被災者の方たちにも私達の出来る範囲でサポートしようと言う声が上がりました。 福島日系人会からは千ドルの義援金を出す事に役員会議で決まりました。会員個人からも寄付をしたいという声があり、各個人・友人・知人からも受け付ける事に致しました。 皆様からの大切な心のこもった義援金ですのでしっかりと管理させて頂きます。義援金は現金ではなく、必ずチェックでお願い致します。チェックのお支払先はJCCCNC (Japanese Cultural and Community Center of Northern California) www.jcccnc.org 、メモの所にNorthern Japan Earthquake Relief Fund と必ずお書きになってください。3月31日(木)まで。 送り先:Keiko Noui 5475 Prospect Road #114 San Jose, Ca.95129*JCCCNCはnon profit organizationでTAX deductible です。 ワペンスキー英子 福島日系人会会長 ブログランキングです。←ここにクリックをお願いします。
2011.04.27
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新聞TVに各国福島県人会の義援金募集の情報を提供しましたが、どこも載せてくれませんでした。そこでしばらく前に福島民報に投稿したところ、今日ようやく掲載されました。 なおこの投稿は、ちょっと以前のものでしたので、その後ご協力の連絡を頂いた南カリフォルニア福島県人会、ニューヨーク福島県人会、ブラジル福島県人会、ドミニカ福島県人会、ロンドン福島県人会の募金活動については記載できませんでした。ごめんなさい。 ブログランキングです。←ここにクリックをお願いします。
2011.03.30
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南カリフォルニア、ロンドン、及びニューヨーク福島県人会でも募金活動をはじめています。 ブログランキングです。←ここにクリックをお願いします。
2011.03.28
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各国福島県人会様福島県への義援金の入金先につきましては、次のとおりですので、どうぞよろしくお願いいたします。義援金1 受付窓口 福島県社会福祉課 024−521−7322(日本語) 福島県国際課 024−521−7182(英語)2 振込先 銀行名 :ゆうちょ銀行 加入者名:福島県災害対策本部 口座記号・番号:00160−3−5333 外国の銀行からの送金 次のULRをご参照ください。 http://www.jp-bank.japanpost.jp/en/djp/en_djp_index.html http://www.jp-bank.japanpost.jp/kojin/tukau/kaigai/sokin/kj_tk_kg_sk_gaikoku.html○日本語:http://www.pref.fukushima.jp/j/英語 http://www.worldvillage.org/fia/data/donation_0316_1600.pdfブログランキングです。←ここにクリックをお願いします。
2011.03.26
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今回の東北関東大震災に対して、ホノルル福島県人会と宮城県人会の義捐金募集の様子が、地元紙(The Hawaii Hochi)で報道されました。ブログランキングです。←ここにクリックをお願いします。
2011.03.25
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ブラジルやドミニカ福島県人会でも現在募金活動を行っているそうです。ブログランキングです。←ここにクリックをお願いします。
2011.03.24
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2011.03.18
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ハワイのテレビ(KITV4)、でホノルル福島県人会による大震災に対する募金活動の様子が、放映されました。下のアドレスからご覧になってください。http://www.kitv.com/video/27197897/detail.htmlなお、北カリフォルニア福島県人会でも、募金活動をはじめたとのメールがありました。ブログランキングです。←ここにクリックをお願いします。
2011.03.16
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2011/1/19 ハワイ島福島県人同志会ブログランキングです。←ここにクリックをお願いします。
2011.03.04
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Dear Karly, Christopher, Bronson, and Merick:Attached to this email is a memorandum from President James Y. Sato,giving you the latest status of your application forms for the FukushimaHome Stay Program for North American Kenjin Kai Youths.Again, we are very proud and glad to forward these forms to theFukushima Prefecture Government. We wish you much luck andsuccess and hope all four of you would get selected for this wonderfuland outstanding program.Thank you very much.Roy Tominagaブログランキングです。←ここにクリックをお願いします。
2011.03.03
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2011年 北カリフォルニア福島日系人会新年会北加福島日系人会(サンフランシスコ)の新年会は1月30(日)11時から昨年と同じ、サンマテオの日系市民協会(ガーデンホール)に於いて、総会と新年会を開催しました。新会員5名を含めた43名の出席となりました。乾杯の音頭は喜多方出身で保険事務所経営の手代木彊さん。会員の健康と県人会のさらなる発展を願いました。第2回北米県人会子弟短期研修生のエドムンド・シェパードさんが福島県内で過ごした感想を発表してくれました。その後ビンゴゲーム・餅つき・カラオケなどの余興があり、第一回北米県人会短期研修生の熊谷ロバートさんがビートルズのイエスタデイーを熱唱し拍手喝采を浴びました。 (以前はカラオケが始まると2世・3世の人達は帰ってしまったのです。)餅つきは今回はじめての試みで、2世・3世の子供達はつきたてのあんころ餅に大感激でした。また、昨年10月、日本クラウンレコード会社から日本音楽著作家連合特別企画作品として発売されたキム・ヨンジャの望郷千里のCDが売られました。これは日本女性で初めて農業移民として米国に渡った会津若松出身の(おけい)さんのことを歌ったものです。サクラメント(元歌手)とサンフランシスコ(元タレント)のお二人の方が日本の作曲家にお願いして作られたもので、当県人会に販売割り当て分がきました。 会長 ワペンスキー英子 (1列右から6番目)乾杯 手代木彊 (1列左から2番目) 熊谷ロバート (3列右から2番目) エドムンド・シェパード (右最後列)写真提供 ポール佐久間ブログランキングです。←ここにクリックをお願いします。2011/2/5 たった半月で、1日平均 アクセス数が72になりました。ありがとうございました。またよろしくお願いします。
2011.02.09
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2011年 ホノルル福島県人会新年会2011年1月9日、ホノルル福島県人会の新年会には、年齢を問わず、多くの人々が種々の日本の文化的な活動に参加しました。武道や日本の伝統的なダンス、それから餅つきなどです。特に子どもたちとって餅つきは珍しく、大好評でした。餅の他にも、福島弁当、納豆寿司、だんごとエビ天ぷらロールを売り出されました。 写真は、今年度の日本文化センターに参加している各グループが参加して行われたハワイ新年会の、ホノルル福島県人会食物売店の前のものです。2枚ののぼりは、以前福島県の皆さんから贈られたものです。ブログランキングです。←ここにクリックをお願いします。
2011.02.09
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2010/6/29 福島民報 北カリフォルニア福島日系人会壮行会6月26日(土)午前11時30分 サンフランシスコ日本人町のレストランで福島日系人会子弟3人の研修生の壮行会を開催いたしました。参加者は27名。昨年の研修生(斉藤グレン・吉田アヤ・熊谷ロバートさん)らから福島県訪問について感想を聞いたりいろいろ情報交換をしあい和やかな昼食会となりました。3人は福島訪問をとても楽しみにしております。 ファビオ・スカルポーネ(Fabio Scarpone) 16歳 サンフランシスコ(San Francisco) ヒラリー・スタンゲル (Hillary Stangel ) 18歳 パロアルト (Palo Alto) エドムンド・シェパード(Edmund Shepherd)22歳 ニューワーク (Newark) 12日間、橋本さんたちを含めまして福島の方達にお世話になります。どうぞ宜しくお願い致します。 写真左端からヒラリー研修生の父・(Harry)、母(Arlene)、ヒラリー研修生。エドムンド研修生の母(Masako)、エドムンド研修生。北カリフォルニア福島日系人会長・英子ワペンスキー。ファビオ研修生、ファビオの母(Elizabeth)。 ブログランキングです。←ここにクリックをお願いします。
2010.06.29
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2010年ホノルル福島県人会新年会の様子が、3/5の新聞に掲載されました。 ブログランキングです。←これをクリックして下さい。現在の順位が分かります。
2010.03.06
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2010年北カリフォルニア福島県人会新年会の様子が、2/19の新聞に掲載されました。 ブログランキングです。←これをクリックして下さい。現在の順位が分かります。
2010.03.04
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森口マリアンさんより、掲載した英文について連絡がありました。2008/11/22 の「ホノルル福島県人会 85 周年記念誌」の修正をしましたので、よろしくお願いします。 ブログランキングです。←これをクリックして下さい。現在の順位が分かります。
2010.01.03
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Hawaii Pacific Press 8月1日発行の Hawaii Pacific Press 新聞・32 周年記念誌が送られてきました。そのトップ記事は、天皇皇后両陛下のハワイ訪問の記事でした。その中の「創刊 32 周年企画・日系人史に残したい人物群像」の特集記事として「多彩な活躍をした獣医師・勝沼富造」が3ページに渡って掲載されました。 ブログランキングです。 50位以内に入れればいいなと思っています。ちなみに今までの最高位は、2008年7月22日の52位でした。←これをクリックして下さい。現在の順位が分かります。
2009.08.16
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エミコ スズキのルーツ探し 7月24日 福島民報共浜版(浜通り版) い わ き 民 報 (より) 2009年07月14日「ハワイ移民の父」の子孫、ルーツ探していわき訪問 ハワイ移民の父と敬愛され、アメリカ市民権を得た三春町出身の勝沼富造氏(1863—1950)の子孫にあたる、ハワイ出身でロサンゼルス州にすむスズキ・キャサリン・エミコさん(20)が11日、自らのルーツを知ろうと、同じく富造氏の子孫にあたる好間町の勝沼博さん(78)宅を訪れた。 富造氏は英語教師などを務めたあと、獣医学や政治学で身を立てようと明治22年に兄らとともにサンフランシスコへ渡った。その後、獣医師として「ドクトルカツヌマ」と呼ばれる活躍を見せる一方、ハワイ移民局の職員になり、日本人移民を支援した。 スズキさんは、父が日系4世、母は日本人で、祖父母が長野県に在住しており、現在は弁護士を目指して故郷のハワイを離れ、南カリフォルニア大学で学んでいる。今回は県が海外の県人会と協力して進める、福島出身者の子孫を県に招いて福島の文化や歴史を学ぶプログラムのために来日していた。 勝沼さん宅への訪問は、いわきハワイ交流会(小野英人会長)が取り持ち、実現した。スズキさんは富造氏の孫の孫にあたり、博さんは富造氏のおじの子孫にあたる。勝沼家の子孫がいわきにいると聞いたスズキさんは、博さん宅の訪問を希望し、訪れた。 博さん宅には、スズキさん、小野会長、富造氏についての書著を持つ郷土史家の橋本捨五郎さんらが訪れた。博さんは家系図や先祖の写真などをスズキさんに見せ、勝沼家の歴史を説明した。 「遠いところからきてもらい、うれしい。これからも交流を続けたい」と博さん。スズキさんは「いわきに来るまでは、自分のルーツをよく知らなかったが、ここにきていろいろな関係を知り、驚いた。知れてよかった」と話し、双方ともにまたの再会を約束した。 ブログランキングです。 50位以内に入れればいいなと思っています。ちなみに今までの最高位は、2008年7月22日の52位でした。←これをクリックして下さい。現在の順位が分かります。
2009.08.02
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北米移民子弟研修 福島県による北米移民子弟研修が無事終了し、7月13日、全員8名が無事帰国しました。しかし成田到着の6月30日、新型インフルエンザの1名が発覚、これの対応のために本人の母親が急遽来日するなど大変なことになりました。それでも7月6日には全員が研修に参加、8日には福島県知事を訪問することができました。 彼らの帰国に際して、集まった福島県各地の地名の入った「のぼり旗」約100枚を、ホノルル出身者が手荷物として持ち帰ってくれました。まもなくホノルルの空に、はためくことでしょう。 研修生たちに対して、また「のぼり旗」収集に関してお世話になった方々に、この場を借りてお礼申し上げます。 ありがとうございました。 ブログランキングです。 50位以内に入れればいいなと思っています。ちなみに今までの最高位は、2008年7月22日の52位でした。←これをクリックして下さい。現在の順位が分かります。
2009.07.16
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いよいよ6月30日、ハワイとカリフォルニアから、先祖の出身地福島県を訪れる訪問団が到着します。それに先立ち、その様子がハワイヘラルド(英字紙)とハワイパシフィックプレス(邦字紙)で報道されました。ブログランキングです。50位以内に入れればいいなと思っています。ちなみに今までの最高位は、2008年7月22日の52位でした。バナー←これをクリックして下さい。現在の順位が分かります。
2009.06.29
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2009.06.26
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三春からホノルル福島県人会へホノルル福島県人会に贈る「のぼり旗」が。三春交流館(まほら)からも寄せられました。これに伴い、館では次のようなポスターを掲示し、町民に協力を呼びかけてくれています。ありがとうございます。 ブログランキングです。 50位以内に入れればいいなと思っています。ちなみに今までの最高位は、2008年7月22日の52位でした。←これをクリックして下さい。現在の順位が分かります。
2009.05.17
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各国福島県人会の皆様、ごぶさたしております。ようやく1つの記事が、5月4日の福島民報に載りました。ファイルを添付しましたのでご覧下さい。なお今回私は出席していないのに、何故か出席した記事になっています。私は取材を受けていないので、記者が何かを勘違いしたしたようです。ビックリです。 ブログランキングです。 50位以内に入れればいいなと思っています。ちなみに今までの最高位は、2008年7月22日の52位でした。←これをクリックして下さい。現在の順位が分かります。
2009.05.06
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NEW ボイス朝日4月17日、朝日新聞郡山地方版(NEW ボイス朝日)に次のような記事に取り上げていただきました。この記事が発端になって、「のぼり」が集まればいいと思っています。皆さんの中で、福島県内の地名の含まれた「のぼり」がありましたら、是非、ご協力をお願いしたいと思います。なお当日、2件の問い合わせがありました。ありがとうございます。市民レポート No77 2004年に三春出身でハワイの移民窓口をつとめた勝沼富造を描いた小説「マウナケアの雪~福島県のハワイ移民」を出版した、郡山市富久山町在住の橋本捨五郎さん(72)。その後も、県内の歴史を自分の足で調査し、史実に基づいた小説を数多く発表されています。その橋本さんが、実は海外でも大活躍を始めました。小説が縁で移民の子孫のみなさんが作っている海外の福島県人会と交流が始まったのです。 歴史作家 橋本捨五郎さん (問い合わせ先) 福島の歴史を楽しむ会 桐屋商事株式会社 TEL&FAX 024-934-0820 E-メール qiriya@yahoo.co.jp 橋本さんのブログ http://plaza.rakuten.co.jp/qiriya/海外福島県人会のために眠っている「のぼり」を寄付してください! きっかけは、勝沼富造の調査のためにハワイを訪れたことから。そこで富造の子孫の方たちとも出会い、福島県出身のみなさんとの交流が始まり、2世、3世のみなさんが福島県に郷土愛を持って暮らしていることを知りました。 「海外にいると、日本にいる以上に、望郷の念が強くなるようです。『福島県を非常に誇りに思っている。ぜひ故郷の人たちとつながりたい』と、会う人ごとに話してくれます。福島県を誇りに思っているなんて、私たちは日頃考えないでしょう? その言葉には、非常に心を打たれました」 2008年は、ハワイ移民110年・ホノルル県人会創立85周年記念式典にも地元の作家として招かれた橋本さん。何とか、福島県知事のメッセージを記念式典に届けたいと奔走しました。「県庁にも掛け合いまして、その呼びかけが稔って、知事さんは無理でしたが副知事さんが式典に出席、スピーチをされました。県人会のみなさんも大変喜んでくれました。そこから、県のホームステイ事業にもつながっていくことになりました。海外で暮らす人たちの気持ちとして『自分のルーツが知りたい。もし親戚がいるなら会ってみたい。お墓参りもしてみたい』と切望しているのです。そこで私も何か力になれないかと思いました」 県の事業として、移住者の子孫たちが県内でホームステイできる仕組みも始まって、橋本さんは、ハワイだけではなく、ブラジル県人会、香港県人会、北カリフォルニア県人会ともつながりができ、まるで海外県人会の県の窓口のように動き出しています。 「私にできる範囲で協力できれば・・と思っているうちに、安積高校の香港・華南桑野会があることがわかって、一つのつながりから、次のつながりができてと、どんどん輪が広がっています。彼らが祖国やルーツにあこがれを持っていることを知って、その気持ちに応えたいと思っています」 あこがれの故郷が、すばらしい場所であるように、やさしい人たちがいっぱいであるようにと、橋本さんはさらに奔走中、現在の目標はのぼり(幟)の収集作業です。 「ホノルル県人会からのぼりをお祭りで沢山立てたいと相談されました。現地で盆踊りなど行う際に、日本語ののぼりがあると雰囲気が出るというわけです。できれば福島とか県内の地名の入ったものが欲しいのですが、もちろん中古で結構です。お店やイベント用に作ったもので眠っているのぼりがあれば、海外の県人会にご寄付いただけないでしょうか。どうぞご協力をお願いします」 海外からやって来る子供たちのために、県内を案内したり、県庁やホームステイ先と打ち合わせをしたり、橋本さんはますます忙しい日を送っています。「毎日忙しいのですが、みんなの喜ぶ顔が見られればそれで十分、そして彼らのためにも美しい故郷福島を残していきたいと思っています」 ブログランキングに参加しました。 50位以内に入れればいいなと思っています。是非応援して下さい。ちなみに今までの最高位は、2008年7月22日の52位でした。←これをクリックして下さい。現在の順位が分かります。
2009.04.18
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ホノルル福島県人会85周年記念式典での挨拶 この日本語部分については、マリアン森口が通訳をしてくれました。My name is Sutegoro Hashimoto, from koriyama-city in Fukushima-ken.I am very honored to receive this awards from Honolulu Fukushima Kenjinkai today. 約10年前、私はリタイアして間もなく小説を書きはじめました。短い期間でしたが、忘れられた福島県の歴史上の出来事や人物を捜し出すことをテーマにして書いてきました。 長い小説、短い小説いろいろありましたが、いままでに約30の話を書きました。そのうち本になったのは14冊です。このうちの1冊が「マウナケアの雪(サブタイトル)~太平洋の架け橋になろうとした男の物語」です。 これについては、このパンフレットに書いてありますから説明はしませんが、この主人公・勝沼富造が三春町出身であったということで、私のテーマに沿ったものと考えています。この富造の孫が、ここにおられるDr George Suzuki です。実は先程この会場で、Mr Tominaga の奥さんがこう教えてくれました。「マウナケアに雪が降りました」私は、富造さんが私に声を掛けてくれたと思えるような偶然に驚いています。 それからもう1冊、これは今年の6月に出版した「我ら同胞のために(サブタイトル)~日系二世アメリカ兵」という本です。ワンプカプカ、442連隊、522野砲大隊、MISについて書いたものです。 皆さん御存知のように、これらの部隊はハワイ、メーンランド、イタリア、フランス、ドイツ、そして太平洋で戦っています。その彼らは、二世という名の日本人でした。 先ほど私は、忘れられた福島県の歴史上の出来事や人物を捜し出すことをテーマに書いていると言いました。ですから少し話が違うのではないか? と思われるかたもおられるかも知れません。しかしこれらの部隊には、多くの福島県出身者がいたのです。このため私は、この話は、福島県の歴史の一環であると位置づけたのです。 福島市出身のロバート・サトウさん、TVの取材でお世話になった保原町出身のヒデオ・トウカイリンさん、そして取材に協力して頂いた多くの皆さんに心からお礼を申し上げます。そして再び、ホノルル福島県人会に心からお礼を申し上げます。Mahalo everyone 私の背後で同時通訳をしてくれているのは、マリアン森口さん。 2008/10/26 ブログランキングに参加しました。是非応援して下さい。←これです。
2008.11.23
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ハワイ島福島県人会110周年記念式典挨拶文 式典は、私が佐藤雄平福島県知事から預かって来た祝辞を、ハワイ島福島県人会長のウォルター・タチバナ氏の代読によりはじめられ、次いでハリー・キム ヒロ市長の祝辞へと続きました。私もうながされて壇上に上がりましたが、咄嗟のこととて話をまとめるのが精一杯。この挨拶は英語に翻訳されることなく、日本語で行いました。本当に、みんなに意味が通ったのであろうかという心配はありましたが。思い出すままに次ぎに記述します。 私は今までに、忘れられた、そして福島県で起きた歴史上の事 件や出来事、人物を掘り起こすことをテーマに11冊(16話) の本を書いてきました。 その中の1冊として、2004年に「マウナケアの雪」を書き ましたが、これは福島県でも知られることが少なかった「ハワイ 移民の父」と言われた三春町出身の勝沼富造のことを書いたもの です。また今年出版したものに、「我ら同胞のために~日系二世 アメリカ兵」がありますが、これは第100大隊に参加した福島 県人を中心に書いたものです。ハワイやヨーロッパでの出来事で あったにもかかわらず、これらを書いた理由は、福島県の歴史の 一端であると考えたことにあります。 これらを書いていて感じたことは、ハワイの日系人たちが、「片 思い」と思える程の感情を日本に対して持ち続けたということで す。日露戦争ではハワイから帰って日本軍に入隊して戦い、関東 大震災では多くの義捐金や物資を日本に贈り、太平洋戦争後は、 疲弊した日本に多くの援助の手を差し伸べて下さいました。20 世紀、日本の関係した戦争の歴史の折々に、ハワイの日系人たち は、実に多大な犠牲的精神を持って日本の戦時国債を買うなどの 貢献をなされたのです。それなのに我々は、あなた方にどんなお 礼ができたのでしょうか? 疑問に思います。 これら2冊の本は、ハワイの日系人が被った困難の事実を、一 部分でも日本に知らせることができればよいと思って書いたもの です。私は、初期の日本人移民たちが苛酷とも言える労働条件と 苦難を乗り越えその中から立ち上がった歴史を次世代に伝え、さ らに日系人としての誇りを忘れず立派な生活をなされている皆さ んに心からのエールを贈るものです。 次いで私は、この福島県人会と勝沼富造との関係を説明し、「マウナケアの雪」の主人公・勝沼富造の孫であり、ヒロ市在住のトーマス・カツヌマ夫妻を紹介しました。ヒロ市民でも知らなかった人も多かったらしく、小さなどよめきが起きたような気がします。ともかくトーマス氏を参会者のみなさんに紹介できたことは、素晴らしいことであったと思っています。 私が挨拶していた傍の台には、白黒一対の三春駒が飾られていました。これは私が日本を発つ前にトーマス氏に「ハワイ島福島県人会に寄付したいので買ってくるように」と頼まれたものです。 福島県を代表する民謡歌手の原田直之氏が、私と三春駒を前に、これが仙台の木下駒、八戸の八幡駒と並ぶ、日本三駒の一つであることを説明してくれました。 トーマス・カツヌマ夫妻 (2008/6/28) ブログランキングに参加しました。是非応援して下さい。←これです。
2008.11.21
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第 1 0 0 大 隊 資 料 館 「軍服は着ていても赤十字の大きなマークを付けた鉄兜をかぶり、武器を持たぬ衛生兵を射撃する敵兵がいた。衛生兵の腹部が破れ、半ば飛び出した内臓を、泥で汚れた軍服にこすり付けて拭いただけの手で押し込み、救援の衛生兵を待った」 ロバートさんが、戦場の思い出を語った。「今なら抗生物質があるからどうにかなるが、当時の医療技術ではどうにもならなかっただろう。そんなことをすれば、必ず死ぬ」「ジョージさんはさすがに医者だ。後で訊いたら、彼は亡くなったそうだ」 私が「我ら同胞のために」の本にも書いた千人針の話をすると、彼はそれを知らなかったと言う。私は説明をした。「日本では死線を越え(5銭玉)、苦戦を越えるようにと10銭玉1ヶずつ縫い付け、余白に赤い糸で千ヶの結び目を作ったものです。その結び目は1人1ヶとされたいたことから、千人針と言われたのです。それがどういう形でハワイに伝わったのかは分かりませんが、ハワイでは5セントと10セント玉を使ったそうです」「そうですか。われわれ100大隊では、誰も知らなかった。後にできた442連隊の連中かも知れない。そう言えば戦場で、戦友の一人が赤いものが付いた腹巻きみたいなものをしていた。誰かが『見せろ』と言って手を伸ばすと彼は『嫌だ』と言って手を振り払った。そうされると余計見たくなる。皆で押さえつけて腹を見ようとしたが、彼は必死で抵抗した」「それで、見たの?」「いや、あまり抵抗が激しかったので、結局見ることができなかった。いま思うと、あれが千人針だったのかも知れない」「いまの話、取材のとき聞いていたら、『我ら同胞のために』も大分変わっていたね。うーん、残念。それにしても、戦場に夫や息子を送り出す女性の切ない願いが、伝わってくる話ですね。国は関係ない。」 取材に応じるロバート・サトウさん(なお、この「第100大隊資料館にて」は、「我ら同胞のために~日系二世アメリカ兵」の「奇襲5」と「消えた大隊3」に関連しています) ブログランキングに参加しました。是非応援して下さい。←これです。
2008.07.24
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ホノルルに着いたこの日は、日曜であった。ホテルでのんびりした翌朝、ジョージさんが迎えに来てくれた車で100大隊資料館に向かった。「我ら同胞のために~日系二世アメリカ兵」を書くのに、大変お世話になった所である。除隊兵会長のロバート・アラカキさん、この本の主人公でもあるロバート・サトウさん、彼は90歳を超えている。それに事務局長のアマンダ・ステーブンさんの出迎えを受けて暫し歓談。帰り際に100大隊のメダルなどの記念品を頂いてここを辞した。 100大隊資料館にて。 その夕方、ジョージさんの設営で、ワイキキの一流ホテルで晩餐会が開かれた。ジョージ夫妻、ロイ・トミナガ夫妻、テッド・ツキヤマ夫妻に私たちの8人であった。テッド・ツキヤマさんは、「我ら同胞のために~日系二世アメリカ兵」のもう一人の主人公であり、MSIのアーネスト・トヨハラのモデルになって頂いた方である。私たちにとっては旧知の間柄なので、気の置けない、楽しい晩餐会となった。このとき私は、皆さんに『マウナケアの雪』と『我ら同胞のために』を贈った。『我ら同胞のために』を見ていたツキヤマさんが、15頁の写真を指し示しながら言った。「橋本さん。この写真(陣地構築に汗を流すROTC)はどこにありましたか?」「この写真は、昨年ハワイに来たとき第442連隊創立第64回記念パーティに招かれ、『U,S,サムライ・イン・ブリュエール』の著者、フランス人のピエール・モーリンさんと会ってその著書を頂き、写真の転載の引用の許可を得たものです」「そうですか。この中に私がいました、この写真は、私が撮ったものです」「えーっ」(この部分は、2008/8/14の『我ら同胞のために~日系二世アメリカ兵』『奇襲(1941/12/7~1942/6/21) 3』に関連しています) その奇遇に、みんなが目を丸くした。その後は、ハワイと福島県との交流が話題となった。すると今度は、トミナガさんが話をはじめた。「8月になると、私の親戚の子が英語の教師として福島県の郡山高校に赴任することになりました」 それを聞いて私たちは、また「えーっ」であった。彼の話によると、今回ハワイから、郡山、会津、相馬の3校に行くという、それなのに彼の親戚の子が郡山という奇跡に、ひとしきり話が盛り上がった。私は郡山に来たら、是非、私に連絡をくれるようにと言って名刺を渡した。 右からトミナガ夫妻、ツキヤマ夫妻、スズキ夫妻、私たち。 ブログランキングに参加しました。是非応援して下さい。←これです。
2008.07.23
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ALOHA! ハワイから帰って来ました。 最初はハワイ島ヒロ市のハワイ州立大学講堂で開かれた「ハワイ島福島県人会110年祭」のイベントに、福島県知事のメッセージを預かって出席、その後同市の「布哇日系人会館(Hawaii Japanese Center)」前庭に桜の記念植樹をしました。ここでは 2004 年に出版し、現在このブログに連載中の「マウナケアの雪」の主人公・勝沼富造の孫のトーマス・カツヌマとその家族と、旧交を温めました。孫とは言っても、彼は 65 歳になります。 それからオアフ島ホノルルに戻り、現在、福島県内の書店で販売中の新著、「我ら同胞のために~日系二世アメリカ兵」を持参して、取材に協力して頂いた「第100大隊資料館」を訪問しました。あいにく日曜でしたが、「第100大隊除隊兵会長」のロバート・アラカキ氏が来られ、事務局のアマンダ・ステーブンスさんの出迎を受けました。 その後トーマス・カツヌマの従兄のジョージ・スズキ宅に移動、「我ら同胞のために~日系二世アメリカ兵」の執筆取材でお世話になった第100大隊除隊兵のロバート・サトウ、MISのテッド・ツキヤマ、それに「ハワイ日系人会長」のロイ・トミナガが加わり、歓談の時を過ごしました。いずれ皆さんご高齢ですが、長寿をお祈りします。 Mahalo (左 トーマス・カツヌマ。 中 トミナガ夫人。 右 私。) ブログランキングに参加しました。是非応援して下さい。←これです。
2008.07.04
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「ハワイ福島県人会110周年」に出席することになりました。26日出発ですので、当日からしばらくの間、ブログの掲載を休ませて頂きます。帰りましたらまた続けますので、よろしくお願い致します。
2008.06.18
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ハワイ島の福島県移民110周年のイベントが、下記要領で開かれます。 原田直之コンサート;福島県出身・民謡歌手 日時:(ハワイ時間)6月28(土)、午後2時~4時 場所:ハワイ島ヒロ市・ハワイ大学ヒロキャンパス劇場 共催;ハワイ島福島県人会・ :ハワイジャパニーズセンター この記事は、ハワイ州立大学教授でハワイジャパニーズセンター(移民資料館)館長を兼ねる本田正文氏の依頼によるもので、目的は、このような集まりが開かれることを日本に知らせたいということです。できれば福島県からも参加される方がいればいいのでしょうが、具体的には、この頃ハワイに旅行中の方、またハワイ在住の方などに口コミででもお知らせ頂きたいとのことです。またもしできましたら、皆様のHPなどにこのポスターをペーストしてPRのご協力を頂きたく、よろしくお願い致します。 なお本田正文氏は、私が以前に出版し、現在このブログに連載中の「マウナケアの雪(太平洋の架け橋たらんとした男の物語・三春町出身勝沼富造)」の著作でお世話になった方です。福島県とハワイを結ぶ歴史と血縁について考える。よい機会でもあると思っています。 (イベントのポスター)
2008.05.01
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