『福島の歴史物語」

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2008.01.03
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 このとき、嘉膳は、三春に早飛脚を立てた。
  [秋の頃から、江戸の彦根藩桜田屋敷に切り込み事件があったという噂が
   飛んでいたこと。幕府の書物奉行に転じていた敬忠を目に掛けていた目
   付の岩瀬忠震が、一橋慶喜擁立に連座して免職させられたため敬忠も同
   罪とされ、甲府の勝手小普請に左遷されて赴任して行ったこと]
 そのため、今後の幕府の情報の入手が困難になるのではあるまいか、という不安なども込められていた。せっかく三人が江戸に集まったのに、今度は敬忠が甲府に行ってしまったのである。
 ──思うままにならぬ世の中か、昔の人はうまいことを言ったものよ。
 そう思うと、嘉膳は一人で苦笑した。
 やがて「尊皇攘夷」の合言葉が、憂国の志士の口に上るようになった。しかし孝明天皇自身は、「攘夷」のみを望んでいた。孝明天皇にとって将軍からの実権奪取は、思いもよらぬことであった。もし実権を奪取しても、天皇や朝廷にはそれを行使するに足る実力も経験もまったくなかったのである。しかしその「尊皇」という単語の追加が、天皇の意志とは無関係に、別の方向に進展していくことになる。
 万延元年、安政の大獄に反発した水戸や薩摩の浪士たちにより、桜田門外の変が起こった。これは譜代筆頭である彦根藩主・井伊掃部頭直弼の暗殺であったため、彦根藩が仇討ちをしに水戸へ攻めて来るという風評が立った。幕府は内乱状態なるのを恐れ、彦根藩には動揺しないようにとの使者を送りながら、水戸の斉昭に対しては条約勅許妨害の首謀者として幽閉の処分をした。外桜田門の警備にあたっていた三春藩としても、薄氷を踏む思いであった。
 一方、和宮の降嫁と引き替えに攘夷を誓った幕府は、その舌の根も乾かぬうちにアメリカへの最初の使節団を派遣した。幕府は自己が定め、二百余年も続いた鎖国にもかかわらず、初めて海外に使節を派遣するというもはや引き返しの出来ない一歩を踏み出していた。
 続いて坂下門外の変、寺田屋事件、生麦事件などが起こっていた。またこの頃、立て続けに起こっていた攘夷派による外国人襲撃は、幕府を困らせるのが目的ではあったが、むしろ外国には有利に働いていた。そしてこれらの事件の続出は、一般の庶民の間にも政治、外交へ興味を持たせ、幕府不変の意識を揺るがしていた。
 三春藩は、水戸藩と親密な関係にあった嘉膳の身の安全を考慮して帰藩させると、藩校・明徳堂の教授として迎え、長沼流兵法を講義させながら政治向きの顧問とした。

 会津藩主の松平肥後守容保が、京都守護職となった。この職に就くについては、会津藩家老の西郷頼母らが猛反発、容保自体も辞退に辞退を重ねたが朝廷の意志は強く、ついにこれを受けることとなった。
 容保の、「政治は利害にあらず、道理を以って為す」との藩祖・保科正之以来の家訓の引用が、その議論を終結させた。とは言え朝廷側は、容保の教育方針を受け継いだ優秀な会津の家臣団、さらにその強力な軍事力に魅力を感じ、無理矢理引き出して利用したという一面も否めない。この京都守護職とは、京都所司代、大阪城代及び近国の大名を指揮する権限を持つ役職で、京都の治安維持のため特別に設置された役職であった。
 このような情勢の中で、全国の浪士たちが江戸に集結して、さらに不穏な空気を増幅させていた。危機を感じた幕府は、これら浪士たちにまとめて禄を与え、幕府の援兵として京都へ送った。一石二鳥の策であった筈であった。というのは、この浪士隊の指導者であった清河八郎が反幕に転じたため、内部分裂してしまったのである。そのため浪士隊の一部は江戸に戻され、新徴組として庄内藩に預けられた。一方、京都に残った一部は、新選組として京都守護職であった会津藩に預けられたのである。

 坂下門外の変のほとぼりが少し冷めた頃、すでに三春藩の政治に深くかかわっていた嘉膳は、江戸屋敷に出仕していた。三春藩は、中央の情勢を見極める必要を感じていたため、再び嘉膳を江戸に派遣したのである。
 そこへ、久しく岸和田藩(大阪府)に行っていた政紀が、江戸へ戻ってきた。
「おう、岸和田藩では何を学んでおった?」という嘉膳の質問に、
「はい。エレキテルを学び、電気地雷の実験をしておりました」と政紀はこともなげに言った。
「エレキテル? 名は聞いたことがあるが、具体的にはどういうものか?」
 嘉膳もまた、興味深か気に尋ねた。
「はい。具体的にと言われましても目に見える物ではありませんので、説明しにくいのですが・・・。エレキテルとは、つまり、電気と申して目に見えない気のようなもの。それを人工的に発生させ、小型の雷を作る実験でした。私どもは電気地雷と申しておりました」
「小型の雷? ほほう政紀。これは大砲の代わりになるものか?」
 嘉膳は膝を乗り出した。
「はあ・・いやそれは・・・。本質的に無理かと思います。ただ私も実験中に一度触れたことがありましたが、激痛が身体を貫き、それこそ死んだかと思いました。二度と触れてみたいとは思いません」
 そう言うと政紀は、右の手を嘉膳の前に出した。その広げられた手の人差し指の第一関節から先が、にぶい黒色に変色していた。
「どうもそのエレキテルの気が、この指から入って足に抜けたようなのです。ただこれは目の前で起こったことで、これを空中に飛ばす方法は無いと思われます」
 政紀はそのにぶい黒い指を屈伸させて見せながら、くったくなく笑った。
「うむ・・・。それで痛くはないのか?」
「はい。今は痛くはありません。痛かったのはほんの一時でした。それに、先輩が考えられているようになるための、弾丸にあたる物がありません。兵器として使うのには、ちょっと方向の違う研究かと思います」
 嘉膳は少しがっかりした。
「そうか。するとそのエレキテルの気は、何に使えるのものかな?」
「はあ、まだ大変な力を秘めているなということだけで、具体的には分かりませぬ」
「うーむ、そうか・・・。ところで敬忠先輩のその後だがな」
「はい」
「甲府勝手小普請から幕府の主流に戻され、函館奉行支配組頭に任ぜられて、函館奉行の小田様とともに蝦夷地に赴任したわ。ちょっと遠隔の地だが、その内、また幕府の情勢を知らせてきてくれるだろう」
 嘉膳は話題を変えた。
「しかし、敬忠様も蝦夷地とは、随分と遠うございますね・・・。遠いといえば、薩摩藩と英国の間で戦争が起こったりしていますがどうなるのでしょうか?」
「うむ、薩摩藩も外国と戦争とはな。少し早まったかとも思われる。外国勢は兵力こそ少ないが武器は強力だ。いずれその武器で、薩摩藩も手痛い目に合わされるのであろう。ただこの戦争は、下手をすれば諸外国それぞれが自分の都合の良い諸藩に干渉する口実を与えることになるかも知れぬ。さすれば、敵味方の見極めもつかぬ内乱となるやも知れぬ。蝦夷も薩摩も同じ日本。遠いとばかりも言ってもおれんぞ。それにしても政紀、お前の電気地雷が武器になればなあ」
 嘉膳は政紀の指に視線を落としながら言った。
「いやあ、それは・・・」
 そう言うと、思わず政紀はどす黒く変色した指で頭を掻いた。
 (注:電気地雷とは、低電流高電圧を発生する感応コイルで、その放電現象による音や光からそう呼んだものと思われる)
「しかしそれなら、鉄砲は作れぬか?」
 嘉膳は以前から考えていたことを尋ねた。
「はい。鉄砲については長崎でいささかの経験もあります。それは可能ですが、原料の鉄をどう手に入れるか? それが問題です」
 それを聞きながら、嘉膳は考えていた。
 ──鉄・・・。これは水戸藩にある。しかし三春藩が、この鉄を買うカネと製造のための資金を出してくれるであろうか?
 そうは思ったが、嘉膳はすぐに動き出した。江戸家老に根回しをし、三春藩には建白書を提出した。やがてそれが功を奏したか、三春に呼び戻された政紀は水戸藩の提供してくれた鉄を使い、須賀川の鋳物師の内藤順次の協力を得て大砲四門と鉄砲二十挺を造った。これは三春藩の、新しい戦力となった。







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最終更新日  2008.01.03 11:27:43
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