『福島の歴史物語」

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2008.01.05
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三春戊辰戦争始末記

 十月二十五日、天狗党は大子(茨城県大子町)に入った。大子は水戸徳川氏歴代の墓所の地である。
 十一月一日、ここを参拝した天狗党は、西の黒羽の町(栃木県)へ向かった。しかし、その手前の明神峠で黒羽藩兵の抵抗を受けた天狗党は北に折れ、川上村に一泊した。
 二日、川上村を出た天狗党は、山を越えて寺泊に入った。ここで待ち伏せしていた黒羽藩兵は、逆に戦死者二名と多くの負傷者を出して敗退した。勝った天狗党は、河原村から両郷村にかけて分宿した。
 その河原村から黒羽藩の役人の下に、勝った天狗党から行動趣意書が届いた。趣意書とは言っても、実質的には黒羽藩内の通行許可の要請書である。
 それに対し黒羽藩は、「城下に入らない限り通行を妨害しない」と、口頭で返事をした。一応、戦った実績があり、これ以上の犠牲を出すことを恐れた黒羽藩は、幕府への言い訳も立つと考えて実損を増やさぬようにしたのである
 三日、黒羽藩の意向を受けた天狗党は、両郷村を出発すると、伊王野より芦野・越堀を通って鍋掛で宿営した。この行程は、黒羽藩の外周部を迂回した遠回りの道であったが、戦いを避けたい天狗党は、その道を選んだのである。
 そこで、黒羽藩は日光奉行に対し、[天狗党はわが藩との交戦で大きな被害を受け、北方へ逃げた]との偽の報告をした。
 日光警備の三春藩兵にも、緊張が走った。北方へ逃げたとすれば、三春藩の方角になる。三春はどうなる、大丈夫か? そのことが心配であった。
 四日、大田原藩(栃木県)には、前日、天狗党より、[大田原より先宿々]という宛名で、
[わき道を通り、各藩に迷惑をかけない]という主旨の書状が届いていた。
 黒羽藩から、とんでもないお荷物を受けた形の大田原藩は、一万一千石の小藩であった。堂々と城下を通られては面目が立たず、さりとて戦う力もなかった。大田原藩は軍資金を提供し、道案内をすることを条件として、鍋掛より更に北の高久本郷に宿泊させた。天狗党としてはまたしても回り道である。
 六日、大田原藩より日光奉行へ、
[五日の夕方、天狗党は間道を通り、下石上より山田方面に向かった]との報告が届いた。
 大田原藩は、うまく隣の旗本領に、つないでしまったことになる。山田に隣接する旗本の大友氏や堀田氏の代官たちには戦う兵力もなく、突然現れた天狗党に狼狽しながら、何事もなく通過するようにと軍資金を提供して祈るのみであった。
 これらの報告を受けて、日光の三春藩兵は極度に緊張していた。
 七日、宇都宮藩より日光奉行へ報告が届いた。
[六日、天狗党は小林に宿営したが、本日は鹿沼(栃木県)に向かっている]というものであった。しかし実際は、天狗党との衝突を避けたいと思っていた宇都宮藩が、[水戸を出た常野追討軍が、笠間(茨城県)に到着し、宇都宮に向かっている]と教え、間道へ逃がしたのである。
 日光奉行は、手元に来る報告が一日遅れであることにヤキモキしながらも、小林より南下したのを聞いて喜んだ。小林から日光へは、五里ほどの道のりであったのである。それでも三春藩主・秋田肥季は、まだ気を許すことが出来ないでいた。
 そんな八日、館林藩の増援部隊が日光に入った。秋田肥季の本陣のあった実教院に、若い館林藩隊長が到着の報告に訪れた。
「大儀」
 そう言った秋田肥季は、隊長の後ろに控えた嘉膳を見て驚いて言った。
「嘉膳! 何故ここに・・・」
 あれから館林に行った嘉膳は、日光警備に出発しようとしていた館林藩に頼み込み、同道させてもらったのである。
 隊長と嘉膳は、大柿村で天狗党と遭遇した様子を報告した。
「我ら館林を出ると北上し、佐野・足利を通って栃木の町に入ったところ、『天狗党が栃木に押し寄せて来る』と大騒ぎをしておりました。そこで我らは栃木から日光へ向かわずに、尻内より大柿へ迂回して日光に向かったのです。ところがその大柿で、宇都宮から西に来た奴らに面と向かってしまったのです。お互いが迂回していたのです」
「しかし館林隊は五十名ほど。天狗党は約千名と聞いておるが、いかが致した?」
 肥季は身体を乗り出した。
「はい。どうも風評が不安でしたので、我らの行軍に先立ち、先行の物見を立てておりました」
「ふむふむ・・・」
「ところが相手も物見を立てていましたので、物見同士が遭遇してしまったのです」
「それで?」
 秋田肥季は気ぜわしげに聞いた。
「はい。天狗党の物見は、『このまま黙って通してくれれば、何もしない』と言ったのです」
「ふーむ」
 肥季は一瞬、息を呑んだ。
「我らは無勢。急に遭遇した千名の多勢を相手に、勝てる戦は出来ません。とは言ってもこのまま引いては、館林藩の威信にもかかわります」
 嘉膳が口を挟んだ。
「実は私は、このとき館林隊から離れ単独行動を取ろうかと思いました。しかし私としても館林隊に恩義もあり、もし死ぬなら一緒、と覚悟致しました」
 肥季はちょっと嘉膳の顔を見たが、すぐ隊長に視線を戻した。
「私も一度は熊田殿に単独行動をすすめましたが、『ここで敵前逃亡は出来ぬ』と言われました。そこで、わが隊はそのまま前進し、大柿にてすれ違ったのです」
「・・・」
「千人は、さすがに大軍。しかし天狗党の軍律は、しっかりしているようでした。『何もせぬ
とは約束をしましたが、こちらはいつ囲まれるかと冷や冷やものでした。それでも彼らは我らの意志を知ると、通り易いように道を開け、罵声もなく、会釈してくれる者さえありました」「ほおー」
 肥季はちょっと気の緩んだような表情を見せた。
「ただ天狗党の中には、女や子どもも何人か見られました。まあ隊員の食事の世話などもあるのでしょうが、何人かの家族連れもいたのかと思われます」
「うーむ、女や子どもがのう。で、奴らはどこへ行くつもりかの?」
「はい。おそらく奴らは、尻内から栃木か葛生に行くかと思われます」
「そうか。小林・徳次郎・鹿沼を通っていたときは、日光へ攻めてくるかと心配したが、もう安心してもよいかのう?」
「はい、大丈夫かと思います」
 嘉膳は、黙って隊長が報告するのを聞いていた。
 ところが九日、安心していたにもかかわらず、天狗党の一部が日光周辺に入ってきた。町田政紀の造った三春藩の大砲が、初めて実戦で火を噴いた。それもあってか、小競り合いで追い返すことが出来たのである。
 嘉膳は政紀の肩を叩きながら言った。
「殿も喜んでおられた。よかったな政紀。しかしお前が対外国戦用に造った筈の大砲が、ここでの戦いの役に立つとはな・・・」
「はい。私も本来なら外国との戦いに備えた積もりでしたが、同じ日本人に向かって筒先を向けてしまいました。それにしても、大砲の効果のほどには驚きました」
  政紀の顔は上気していた。しかしその半面、政紀の気持ちに水をかけるかのように暗い顔をした嘉膳が言った。
「実はな政紀。わが藩を脱藩した久貝波門が天狗党に加わり、本隊の使番五名中の一人となっておった」
 政紀は、驚きの色を隠さなかった。
「それがこの四日、下総国猿島郡の岩井村(いまの茨城県岩井市)で自刃しおった。私はその報告を殿にする積もりもあって日光に来たが、それを聞かれる殿の心中を察すると、遂に申し上げることができなかった」
「・・・」
 十三日、天狗党の本隊は太田(群馬県)を通って行った。そして間もなく、
[天狗党は利根川を渡り、本庄(群馬県)に至った]との報告が入ってきた。
「奴らは、日光参拝をあきらめたようじゃ」
 肥季は傍らの、三春隊々長の赤松則雅に言った。
「もう戻ってくることはあるまい」
 十二月二十日、この天狗党は越前新保(福井県敦賀市)に至ったとき、禁裏守衛総督一橋慶喜(のちの将軍)の率いる幕府軍の総攻撃のあることを知り、加賀藩に投降した。そして翌年二月、八二三人が斬罪、遠島、追放などの刑に処せられ、壊滅した。結果として頼って行った筈の慶喜に滅ぼされるという、彼らとしては予想外の悲劇に終わったことになった。







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最終更新日  2008.01.05 11:23:39
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