『福島の歴史物語」

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2008.01.06
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 肥季はそれの立て直しのために人事の一新をはかった。不破関蔵を番頭格の用人に、中村多仲を政治方調役に、湊宗左衛門を近習目付とする新人事を発表した。なおこの人事で、熊田嘉膳は政治外事方とされたが、藩外には秘密とされた。
 しかし周囲の者は気づかなかったが、肥季はこの問題で疲れ果てていた。そしてこのこともあってか、慶応元年に急に病死してしまったのである。この葬送と八歳の万之助映季の相続はさらなる出費を強い、どうにもこうにもやりくりのつかない状況となっていた。肥季の弟の秋田季春は、幼い万之助映季の後見人となって、三春藩の家督相続を済ませた。このときの人事は、嘉膳を科学者としてより、さらに政治家としての色合いを濃くしていった。
 この年、第二次長州征伐が行われた。幕府軍が長州に進軍している間に、摂津沖に現れた英仏米蘭四ケ国の戦艦九隻が兵庫開港を要求した。やむを得ず開港しようとする幕府と、強く反対する朝廷の間に立って苦慮した家茂は、小御所に在京諸藩の重臣三十余人を召して意見を求めた。孝明天皇も簾中に出御し議論に耳を傾けた。薩摩、土佐藩士らは、強硬に開国論を展開し、鎖国を斥けた。しかしまぎれもなく、この時点での会津藩は、官軍であった。
 第二次長州征伐は翌年まで続いたが、幕府軍の戦意が低い上いくつかの藩が出兵を拒否したため、負け戦が続いていた。そんな折り、将軍家茂が死去したのである。幕府軍はそれを口実に撤兵した。しかしこれらにより、幕府の権威は地に落ちた。たかが一藩の反抗さえ止める力のないことを天下に知らせてしまったことになったからである。
「十四代将軍家茂様が亡くなられた。このため幕府の力が弱まり、将軍なき今、印度、清国の例にも見られるように日本も危ない」
 嘉膳はそう言って、藩に対して警鐘を鳴らし続けていた。政紀もまた、「三春藩も、もっと長距離を撃てる大砲を鋳造すべきである。藩のためもあるが、ひいては国のためである」と言って奔走していた。しかし何と言っても、三春藩は貧乏藩である。これ以上の出費は困難であった。
「政紀には言いにくいが大砲は無理じゃな。金策がつかぬ」
 そう言う嘉膳の顔は、科学者のものではなく、政治家のそれに変わっていた。
「済まぬな。お前のせっかくの業を生かせぬ」
 政紀も嘉膳に面と向かってそうに言われれば、黙って引き下がらざるを得なかった。政治家になった嘉膳は、経済政策も立てなければならなかった。そのため嘉膳は、あらゆる機会に百姓に対して、「お前たちを捨てて、何を宝と言うか。百姓以外に、国の宝はない」と説いて収穫を上げようとしていたが、これまた早急に成果の上がる話ではなかった。
「なあ政紀。敬忠先輩は江戸城二の丸留守居役であったがそれはうわべの話で、実際は外国作事方に出仕して外国御用を取り扱っていたそうだ。その後、目付に取り立てられたそうだが、その敬忠先輩から『薩長接近』の知らせが入ってきた」
 嘉膳は政紀に国内情勢の話をした。
「えっ、それはまた、どういうことでしょうか」
「どうもあの仲の悪い二藩が接近するとは、何か裏があろう。敬忠先輩は、『将軍不在で弱体化した幕府を、あの二藩が追い落とそうとしている』と推測しているが、何故そうしたか」
 嘉膳は腕を組んだ。
 ──たしかに薩長接近の根底には、薩長をはじめとする西南雄藩の幕府からの自立が目的なのかも知れぬ。それにしても国内に二つの政府が出来るとすれば、これは始末が悪い。 
 難しいことが起こると、腕を組むのが癖になっていた。
「しかし、実際に戦いを起こしたとして、幕府の軍を破れますか?」
 何も言わずにいる嘉膳に、政紀が訊いた。
「うむ。二次に渡る長州征伐の例もあろう。それにこの二藩、対外戦争の敗北を教訓として諸外国と手を結び、大量の新兵器を輸入し兵制を洋式としたという。その上、西国の諸大名もそれに続くとなれば、大勢力となろう。こうなれば幕府といえどもあなどれまい。あげくに米価の高騰に憤った庶民が、江戸や大阪で[打ち壊し]などを起こし、治安が悪くなってきている。これを幕府が抑え切れるかどうかが問題であろう」
「とすれば、三春藩はどうすれば?」
 政紀が聞いた。嘉膳は腕を組んだまま返事をしなかった。
 それからしばらくして言った。
「幕府の動きが分からぬ。私はまた江戸へ行かせていただこう。政紀、そのときはお前も一緒にな。藩への申請はわしがする」
「・・・」
 そして嘉膳は独り言のように言った。
「もし内戦が発生すれば諸外国に付け入られる。そうなれば日本は清国の二の舞い、何としても戦争は避けねばならぬ」
 政紀は口を歪め、下を向いて聞いていた。






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最終更新日  2008.01.06 08:43:45
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