『福島の歴史物語」

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2008.02.06
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 *会津猪 仙台狢(むじな) 安部(棚倉藩主)の兎はよく逃げた
  会津猪 米沢狸 仙台兎で 踊り出す
  会津猪 米沢猿で 新発田狐に 騙された
  会津桑名の腰抜け侍 二羽(二本松藩主・丹羽氏)の兎はぴょん
   とはねて 三春狐に騙された
  会津猪 仙台狢 三春狐に騙された 二本松まるで 了見違い棒
                 (違い棒は丹羽氏の家紋)

 これらの動物について、三省堂の大辞林には次のように記載されている。
 猪:「思慮を欠き向こう見ずにがむしゃらに突進する」
 狢:アナグマの異名。「毛色がアナグマに似ているので」タヌキの
   こと。
 兎(兵法):実際の役には立たない策略。
 狸:(比喩的に)表面はとぼけているが、裏では策略をめぐらす悪
   賢い人のこと。
 猿:小利口な者をののしっていう語「・・真似」「・・知恵」
 狐:狐は人をだましたりたぶらかしたりすると俗にいうことから、
   悪賢い人、他人をだます人。
  解説・動物になぞらえられたこれらの歌は、内容から言っても同
     盟側が自嘲的に歌ったとは考えにくい。新政府側が敗れた
     奥羽越列藩同盟諸藩を揶揄して作ったものであろう。それ
     にもかかわらず「三春狐」のみが悪くそして長く伝えられ
     たのは、三春藩の周辺のすべてが奥羽越列藩同盟であった
     ことから村八分的な立場に追い込まれ、なおかつ敗戦の憂
     さを、この戯れ歌に託されたからではあるまいか。そして
     より小さな守山藩は、大水戸藩を後ろ盾にしていたのであ
     る。それらを考えれば、三春藩は同盟側諸藩が受けた侮蔑
     を相殺するのに、丁度よい地域と規模でったということか
     も知れない。

         J 二本松藩の苦衷
 *二本松藩は仙台藩に疑われながら、何のために戦ったのか。

            仙台戊辰史 六〇七ページ
 (仙台藩の)増田曰ク 二本松ハ大垣ト婚ス 故ニ毎ニ密謀ヲ通ズ 
丹羽丹波ノ敗ノ如キ最モ怪シムベシ
  解説・仙台藩は二本松藩をも疑い、新政府軍とともに会津を攻撃
     すべきであったとも考えていた。

            仙台戊辰史 五九六ページ
 矢吹ニ陣セル(仙台藩)伊達将監ノ軍ハ六月廿三日ヲ以テ軍議ヲ開キシニ(中略)元来本藩ハ本来ヲ誤テリ(中略)即チ官兵ト議ヲ合シテ会津ヲ挟撃スルコト第一ノ策ナリ 

            本宮町史  七三〇~七三一ページ
 文久三(一八六三)年将軍家茂の上洛にともない、二本松藩は(中略)家老江口三郎右衛門が、番頭二名と兵一〇〇〇余を率いて江戸警衛に出役した。この任務は五月に解除されたが八月には京都警衛を命ぜられ、(中略)御所の建春門の警衛の任に就いた。藩は一〇〇日の勤務を終え、翌一八六四年二月末二本松に帰着した。(中略)京都警衛は慶応元(一八六五)年にも命ぜられた。

            二本松市史 八一七~八一八ページ
 江戸湾警備や京都警衛等、江戸・京都政権動向の近辺に身を置き見聞し時流の赴く所を知りながら世襲門閥制の重臣層と公儀第一とする藩祖以来の伝統による時代認識、脱藩して尊皇討幕運動に走る気力のある藩士もなく、このような藩の体制と山鹿流軍学とで戊辰の戦争がなされたのである。二本松藩の戊辰戦争ほど悲惨を極めたものはない。
 藩財政は枯渇し領内農商の献金を当てにして周囲の情勢に処することもできず、止むなく戦争に加わり元亀・天正の藩祖以来の兵器と戦術とで西洋式兵器と訓練を受けた西軍と戦い、戦いば必ず負けて敗走を繰り返す、余りにも勝利なき無益な戦いを続けた。
 二本松藩は戊辰の戦乱の主導権も握られないままに奥羽越同盟の最前線兵火の災いを最も多く被り、領内を焦土と化し領民を苦難の途に投じたのみであったことと、犠牲の大きさを銘記しなければならない。
  解説・二本松藩は、江戸や京都警衛を通じて会津藩との関係が密
     接になったのではあるまいか。また預かり地であった白河
     城の守備において、各藩の援助協力の義理を受け、それぞ
     れの思惑に翻弄されてこの戦いに巻き込まれた。二本松藩
     の苦衷が、隙間見える。  

         K 三春戊辰戦争の総括
 戊辰戦争における最大の悲劇は、奥羽越列藩同盟が攻守同盟に変質し、明治天皇に抵抗する賊軍・朝敵と目されたことにある。しかしこの戦いは、歴史として総括されていない。

            明治天皇 三〇ページ
 孝明天皇が、外国人(或いは、もっと厳密には西洋人)の出現を神々の国に対する許しがたい侮辱と考えていたことは間違いない。

            明治天皇 二四九ページ
 北における政府軍の数々の勝利は、常に事態が収拾されたという保証を伴って天皇に報告された。或いはこの時期、天皇の関心はこれら軍事的問題から逸らされていたかもしれない。間近に迫る即位と江戸下向の旅、いずれも遠隔地での戦闘より直に心に響く出来事が控えていた。しかし明治天皇が紛れもなく気づいていたように、幕府復活の脅威が永遠に葬られるためにも、相次ぐ反乱はことごとく鎮圧されねばならなかった。
  解説・この明治天皇二四九ページの記述こそが、戊辰戦争に於け
     る新政府軍の本音を表しているのではなかろうか。そう考
     えると、福島で暗殺された世良修蔵が持いた密書「奥羽皆
     敵と見て進軍の大策」と本質的に合う。それなのにこのよ
     うな朝廷での大きなうねりを知らずに、三春藩は御稜威と
     いう大いなる幻想を追っていた。その中で辛うじて領内の
     安定を確保した三春藩には、二足の草鞋(三春町史 第三
     巻五ページ)をはけるほどの積極的な力量などある筈もな
     く、双方の合間に沈んでいった。これを意識することこそ
     が、世上言われている「三春狐」「裏切り」から具体的に
     脱却することになるのであろう。   

         L 同盟側・新政府側一覧
 *奥羽越に於ける、同盟側と新政府側の一覧表。 

   歴史読本(勤王・佐幕、幕末諸藩の運命一六〇ページより) 
   (同盟側)            (新政府側)     
 仙台藩   六二・五万石    秋田藩   二〇・五八万石
 会津藩   二八        高田藩   十五
 南部藩   二十        新発田藩  十
 米沢藩   十八        弘前藩   九・四
 庄内藩   十六・七      新庄藩   六・八二
 二本松藩  十         三春藩   五
 棚倉藩   十         松前藩   二
 長岡藩   七・四       守山藩   二
 中村藩   六         本庄藩   二
 山形藩   五         秋田新田藩 二
 村上藩   五         与板藩   二
 一関藩   三         黒石藩   一
 平 藩   三         下手渡藩  一
 福島藩   三         椎谷藩   一
 上山藩   三         糸魚川藩  一
 村松藩   三         矢島藩   〇・八  
 松山藩   二・五
 八戸藩   二
 泉 藩   二
 亀田藩   二
 天童藩   二
 湯長谷藩  一・五
 七戸藩   一・一
 三根山藩  一・一
 米沢新田藩 一
 長瀞藩   一
 黒川藩   一
 三日市藩  一
  解説・この一覧表に基づいて、奥羽越状況図を作成した。なお状
     況図中、黒点は同盟側、白丸は新政府側、▲は中立を表し
     ている。ただしこの整理は、戦争終了の時点である。また
     白丸は、一ミリで一万石を表現した。









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最終更新日  2008.04.15 20:45:30
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