『福島の歴史物語」

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2008.06.21
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 一九四一(昭和十六)年三月、ヨーロッパの戦線で苦況に立っているイギリスやフランスを見たアメリカは、この両国に対して武器貸与法案を成立させた。しかし、まだヨーロッパの戦争とは一線を画していた。
四月、日ソ中立条約が締結された。ドイツとソ連の不可侵条約に、対応した動きであった。この条約でとりあえず北面の敵を制した日本は、七月、銀輪部隊(自転車部隊)で南仏印に進出した。日本は仏領インドシナを占領した。これを見て日本が南進政策に転じたとして警戒感を高めたアメリカは、国内の日本資産を凍結し、A(アメリカ)B(ブリティッシュ)C(チャイナ)D(ダッチ・オランダ)の包囲網を築いて石油、機械類、鉄屑、鉄鋼の禁輸に踏み切った。日本はその報復措置として、その支配の及ぶ地域のすべてのアメリカ資産を凍結した。日米貿易は、事実上完全に停止した。
 ──日独伊防共協定の拡大として日独伊三国軍事同盟が結ばれているのに、日ソ不可侵条約を成立させるということに、なにか不自然さを感じる。日本は米英と戦う積もりなのではあるまいか。もしそうだとすると、日本に統治が委任されている南洋諸島はここからは近い。ハワイも危ないのではないか? 戦争になって欲しくはないが、なる可能性も否定できない。
 富造はそう思っていた。
 ところがそのドイツは、独ソ不可侵条約を一方的に破棄するとソ連に侵攻した。そのあおりを食って、近衛内閣は瓦解した。その後に成立したのが東条内閣である。そこで関東軍は満州で大演習を行い、ドイツと戦うソ連を背後から牽制した。そのためソ連は日ソ不可侵条約がありながら、シベリア軍団をヨーロッパ戦線に回せなかった。日本が、日ソ不可侵条約を破棄する恐れを捨てきれなかったのである。日本では生活規制が強まった。ハワイでは戦争の足音のためパイナップルの輸出量が極端に減り、大暴落により再起不能の人もでていた。
 ──ひょっとすると日本は、日ソ中立条約を破棄して、ドイツに呼応してソ連に侵攻するのではあるまいか? できれば日本がソ連とは戦っても、アメリカと戦って欲しくはないな。
 富造はそう思っていた。しかしドイツによるヨーロッパの負け戦(いくさ)、イギリスの子どもたちのアメリカへの疎開、さらに一夜にして市民三〇〇〇の命を奪ったロンドンへのドイツ空軍の無差別大空襲、そしてドイツ海軍のUボートによるアメリカからの援助物資輸送船の相次ぐ撃沈が、アメリカの参戦を予感させていた。
 戦後分かったことによると、この八月十八日、ミシガン州選出のジョン・ディンゲル下院議員がルーズベルト大統領宛の手紙の中で、「一万人のハワイの日系アメリカ人を人質として強制収容し、日本のよい態度を引き出すよう」との提案をしていたという。
 十月、輸送船団護衛のアメリカ海軍の駆逐艦・カーニィは、アイスランド沖でUボートの攻撃を受け、十一人が戦死した。これはドイツ軍による最初のアメリカ軍兵士犠牲者となった。さらに三日後、アメリカ海軍の駆逐艦・ルーベンジョーンズが撃沈されて一一五人が戦死し、参戦の世論が高まっていたが、アメリカ政府はまだ沈黙を守っていた。
 十一月十二日、ロスアンゼルスのリトルトウキョウで、実業家やコミュニティ・リーダーら十五人の日系アメリカ人がFBIの急襲を受けて逮捕された。逮捕された十五人は当局に協力を表明するとともに「私たちはアメリカの基本原則と誇り高いアメリカン・デモクラシーを教えてきた、私たちは平和と調和の下にここで暮らしたい。私たちは一〇〇%忠節である」とのコメントを発表した。

 十一月二十日、日本から派遣された外交団は、アメリカに対し、次の要求を突きつけていた。
1 日本資産の凍結解除。
2 日本が必要とするだけの原油の供給。
3 中国に対するすべての支援の中止。
「どうも無理な要求だな・・・」
 相賀も言った。
「これでは、アメリカが納得すまい」
 相賀の言葉に、富造は黙ってうなずいた。
 しばらくして富造が言った。
「俺はもともと、東北とは日本の近代化のために栄養を吸い上げられた堆肥みたいなものであったと考えてきた。そのためすべての栄養分を吸い上げられて移民先に放り出された東北の移民たちは、その労力のみで生き延びてきたことになる。それなのに日米双方が、それぞれの立場でわれわれを利用してきた。だからもし日米が戦争ともなれば、またわれわれは双方の側から利用されることになる。そうなるとわれわれは、そこから逃げられないのではないか?」
「なんだ勝沼。随分と運命論者だな」
 この相賀の冗談めいた答えにもかかわらず、二人からは笑いが漏れなかった。ただ押し黙っていただけであった。
 巷間「日米戦争はない」と言われていたが、あまりにも多くのアメリカの軍艦が真珠湾に集結して来ていた。それはそれで、気になることであった。
「日本はアメリカと戦争をするつもりなのだろうか?」
 家に戻った富造は、ミネにそう言った。
「だって、日本とアメリカはずいぶん離れていますよ」
「そうは言っても、ハワイと日本の南洋諸島は近いぞ」
「じゃあなたは、日本が南洋諸島からハワイに攻めて来ると?」
 富造と同じく、日系人社会は沈黙の中にあった。そしてハワイは、いつもより寒い冬の季節の中にあった。
「めったに降らぬハワイ島のフアラライ山にも雪が降ったそうだ。青い海原から霞んで見えるマウナケアやマウナロアそしてフアラライの三つの山の頂上に、くっきりとした白い雪が、素晴らしい眺めだそうだ」
「まあ、それは見てみたいですね。私も子どもの頃、秋の深まったお城山に登って遊び、雪で白くなった岳山(安達太良山)を見て、『ああ、間もなく町にも雪が降るわ』などと言っていたことを思い出します。ああ、それにあなた、子どものころ頬張った雪の味を覚えていまして? マウナケアの雪も同じ味なのでしょうか」
「そう言えばそんなこともあったな。それに雪合戦などした後、雪を手で丸めて食うと微かに雪の匂いがしたな」
「まあ、匂いですか? そんなものがあったでしょうか?」
「あれっ、そうか? マウナケアの雪にも匂いや味があるかどうかは分からないが、三春の雪では気がつかなかったか? それにしても雪の話をすると郷愁を誘われる。多分今ごろ、三春は雪の中に埋もれているのだろうな・・・。そうだ、ミネ! ビックアイランドに雪を見に行かないか?」
「まあ、ハワイ島までマウナケアの雪を見に連れて行ってくださるのですか?」
 富造は、久しぶりにミネのはしゃぐ顔を見たような気がした。


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最終更新日  2008.06.21 06:36:01
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