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あ と が き
今になると、何故、私が『終北録』の存在に気がついたのかを忘れてしまった。しかしネットサーフィンをしていて函館図書館のサイトにたどりつき、『終北録』の原文を手に入れたのがこの話を書くきっかけとなった。それはともかく、この文書は私にとって手の付けられぬ代物であった。会津図書館に行けば現代語訳があるかも知れぬと思って行ってみたが、会津出身で、当時の樺太大泊女学校の校長であった方により一部分が訳されたものはあったが、全文というものはなかった。こうなれば誰かに頼んで訳して貰う他はない。知り合いに持ち込んだが思うにまかせず、これを訳して頂ける大久保甚一氏に出会うのに、さらに一年以上を要した。
大久保氏からキチッと製本された訳文を頂いたのは、二〇〇六年のことであった。それから二年、ようやくまとまってきたが、どうしても知りたいことがあって再び会津図書館を訪れた。ところが司書の坂内香代子さんが持ってきてくれた本に、あの『終北録』の全訳文が載っていたのである。驚いて奥付を見た私の目に飛び込んできたのは、この本の出版が二〇〇六年とあったことである。この二〇〇六年とは、大久保氏があんなに苦労をして訳しておられた時期にあたる。つまりまったく同じ頃、会津若松市も訳していたことになる。それであるから先の時点で、会津図書館が「ない」と言っていたのも、無理からぬことと思った。
そこで念のため、私は会津図書館に所蔵されていた『終北録』の原文と、私が函館図書館から取得した原文をチェックしたのであるが、大変なミスをしてしまっていたのに気がついた。私が函館図書館のHPから取得した原文に、数枚の取りこぼしのあったことを見つけ出したのである。
当然ながら、私はこれらの事実を大久保氏に告げるのに実にきまりの悪い思いをした。一つは『終北録』の欠落についてであり、もう一つは会津図書館に『終北録』の訳文があるのを知っていながら翻訳の依頼をしたと思われるのではないかと心配したからである。とにかく大久保氏には、私のミスのため、重ねて大変なご苦労をお掛けしたことを心からお詫びいたします。
さて本文にも書いたが、会津藩が北方警備に派兵されたのは、文化五年の一月であった。ロシアと戦争にこそならなかったが、帰国の途中で嵐に遭い、難破して船を捨て、徒歩で箱館に向かい、さらに徒歩で同じ年の九月に会津若松に到着した。この年の干支は、戊辰であった。
それから幾星霜。
幕府の施策と藩の思惑。
世界と日本という国の流れに巻き込まれていく会津藩。
北方警備のあった文化五年から六〇年後の慶応四年の戊辰の年の一月、鳥羽伏見の戦いで、会津藩は薩長軍と戦争状態に入った。そして九月、会津に利あらずして鶴ヶ城が落城した。いみじくもこの一月から九月は、北方警備に従事していた期間とまったく同じであった。この戊辰戦争で、北方警備に参加した藩士の多くの子や孫が命を落とすことになった。いずれにしても会津藩は、幕府、つまりは国のために北方警備に従事し、そして戊辰戦争を戦ったのである。これは会津藩にとって、まさに運命の皮肉としか、言いようがないのではあるまいか。
寛延元戊辰(一七四八)年=田中三郎兵衛玄宰が生まれる
文化五戊辰(一八〇八)年=北方警備 筆頭家老・田中三郎兵衛玄宰死去
慶応四戊辰(一八六八)年=戊辰戦争
昭和三戊辰(一九二八)年=松平勢津子が秩父宮雍仁親王へ入輿
私はこの寛延元年、文化五年、慶応四年、昭和三年という戊辰の年すべてが、会津にとって大きなインパクトのあった年であったことに驚いている。
特に慶応四(明治元)年の戊辰戦争において、多くの者は会津藩の再生を願って斗南(青森県)へ移り、さらには新天地・北海道の開拓に従事していった者がいる。北海道は前の世代が、辛酸をなめつくした土地である。だが彼らの生も決して明るいものばかりではなかった。その暗の象徴を日向三郎右衛門の長男の日向内記に、しかし一縷の明るさを山川兵衛重英の孫の山川兄妹に、そしてその労苦を丹羽織之丞能教の孫の丹羽五郎に見ることが出来る。なお、私の知り得た範囲において、北方警備に参加した人々の子や孫の消息を『資料』として後述する。これら短い説明文に、戊辰戦争の哀しみが読み取れよう。
そして最近、利尻町立博物館に、ある調査を依頼をした。博物館の西谷榮治氏からの懇切な説明や資料とともに、次のような手紙が入っていた。
『実は今年は、北方警備から丁度二〇〇年目の節目の年になります。利尻でもイベントの準備をしています』
戊辰という年にばかり気を取られていた私は、二〇〇年目という年にまったく気がつかなかった。自分としてこの話の締め切りを決めていた訳ではなかったが、このような縁のある年に、『北方警備』に関する本の出版へ漕ぎつけていたということに、不思議な縁(えにし)を感じている。
なお出版に際して、福島民報社出版部長の尾形徳之氏には大変お世話になりました。もし氏が居られなかったなら、出版は覚束なかったと思います。そして最後になりますが、次の方々のお世話になりました。お名前を添えてご報告し、御礼の形を表したいと思います。ありがとうございました。
大久保甚一 佐藤兵一 鈴木八十吉 西谷榮治 坂内香代子
氷室利彦 星美智子 (五十音順・敬称略)
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50位以内に入れればいいなと思っています。ちなみに今までの最高位は、2008年7月22日の52位でした。