『福島の歴史物語」

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2023.04.10
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8 ハワイでの出来事

 2015年の8月、私は別件での取材のためハワイ島のヒロ市を訪れていました。その打ち上げを、市内の居酒屋で行なっていたのです。しかもそこのご主人は須賀川市出身の新一世でしたから、日本語が飛び交っていました。そこでたまたま、日本における仇討ちについて話が及び、曽我兄弟の仇討ちの話に発展していったのです。この曽我兄弟に討たれた工藤祐経は、郡山最初の領主である伊東祐長 ( すけなが ) の父親になります。いかに古い話とは言え、私も郡山に住んでいるのですから、興味は深かったのです。ところがその時、ひとりで日本酒をたしなんでいた方が私たちの所へ来て、「済みません。失礼ですが私も話に入れて頂けませんか?」と言って仲間に入ってきたのです。彼は、本願寺のヒロ別院のジェフリー曽我和尚でした。ハワイで浄土真宗の開教が始まったのが1889年で、ハワイ島東海岸のヒロの街にあるこの別院は、この年に創建されたという由緒のある寺です。その話の中で、彼は、自分の実家である広島県三次市 ( みよしし ) の西教寺に、「曽我兄弟の墓があります」と言い出したのです。

 彼の話によると、「自分の家の苗字が曽我兄弟と同じ曽我であるから、先祖が曽我兄弟と何らかの関係があったのではないだろうと疑問に思っていました」と言うのです。私たちの仲間のほとんどが年配の二世でしたから、曽我兄弟の仇討ちについてもおおよその事は知っていました。彼の話に、皆んなが耳を傾けたのは、当然のことでした。彼の話を聞いていると、「そのことを書いた本が、今も自分の手元にあります」と言い出したのです。私は興味をかき立てられました。私が「是非、その本を読んでみたい」と言うと、彼は奥さんに、その本を持って来るようにと、電話を掛けたのです。それでは済まないと遠慮する私に、彼は「自分の家はここから近いから・・・」とそう言ったように、あまり時間が経たないうちに、奥さんが本を持って来てくれたのです。その本は、西教寺の本堂の大修理の完成に合わせて、西教寺総代の高杉和雄さんが書かれたという、『備後の名刹聖水山西教寺縁起』という本だったのです。私はその場で、パラパラと流し読みをしただけでしたが、その内容にとても興味をそそられたのです。しかし酒の席で読むわけにもいきません。その本を借り、後日、日本から航空便でお返しするという約束で、ホテルに戻ったのです。

 この本によると、富士の裾野で父の仇の工藤祐経を討って本懐を遂げた兄の曾我十郎は、いまの三次市甲奴町小童 ( こうぬちょうこひら ) に逃亡をした後に自害、近くの甲奴町塩貝にある小富士山に墓が作られたと書いてあったのです。小童という地名は、普通には読めない地名です。一説では、子どもが駄々をこねて泣き転げることを『ひちぐるう』と言うことから地名になった、と言われます。しかも地名ばかりではありません。その周辺には、芸藩通史に『曽我兄弟の墓』と記された二基の石造りの塔が、甲奴町字青近の毘沙門堂に残っているのですが、さらに、小富士山の上で、矢に当たって殺されたとされる曾我十郎の墓と言われる五輪塔が、十郎塚と呼ばれているというのです。その他にも、弔い桜、曽我兄弟の供養塔などの遺跡があり、しかもここの小童には曽我兄弟のものと言われる遺品の幾つかがあり、その他にも、後事を託された曽我兄弟の守り役であった鬼王丸と道三郎の兄弟が残したという口伝えや伝説がこの地域に広く残されているというのです。ですから小童の地元では、ここにある曽我兄弟の墓は間違いのない本物とされてきたというのです。それにしても遠いハワイに来て、曽我兄弟の墓についての本を借りるということは、何かの縁かと、不思議に思いました。

 曽我兄弟の墓については、さらに調べてみました。すると曽我兄弟の墓は、関東から九州にかけて14ヶ所もあるというのが分かりました。ところがそのいずれもが、遺跡、遺品、口伝、伝説の類を掲げてその正当性を主張しているのです。その中でも、曽我兄弟の墓とされるものの中で最も有力視されているものは、いまの小田原市曽我字谷津にある『曽我の里』の城前寺 ( じょうぜんじ ) が挙げられています。城前寺の本堂の裏手には曽我十郎と五郎の兄弟、養父曽我太郎祐信、実母満江御前の墓と伝えられる4基の五輪塔が建てられています。また、いまの元箱根の石仏群にの中ある五輪塔も、曽我兄弟の墓であるとされます。その石仏群の左側にある2基は曽我兄弟のもので、右の1基は兄の十郎の妻であった虎御前の墓であるとされ、永仁三年(1295年)に地蔵信仰の一つとして建てられたものと言われています。このように曽我兄弟の墓といわれるものが各地に多くあることについて、柳田國男氏は、御霊信仰によるものではないかと言っておられます。御霊信仰とは、不幸な死に方をした人の霊が、祟 ( たた ) りや災いをもたらすという信仰で、その人の霊をなだめるために、神として祀る信仰です。つまり怨みを残して死んだ曾我兄弟の霊に、『祟らないように』と願ったことから、各地での曾我兄弟の墓になったのではないか、としているのです。それにしても、この曽我兄弟の仇討ちの話が郡山と関係すること、しかも遠い広島県と郡山の双方に関係があったらしいということ、その上、異国であるハワイで知ったということは、不思議な巡り合わせだと思っています。

 ところで当時の庶民は、曾我兄弟の仇討ちのことをよく知っていたと言われます。事件後まもなく、箱根権現や伊豆権現の僧侶たちによって、曾我兄弟の仇討ち話が、仏教の唱導に用いられていたそうです。さらに弘安三年(1280年)、賦算と踊り念仏を布教の媒介としながら白河の関を越えた時宗の一遍上人と、その集団である時衆たちが話していた中にもこの話があったとされること、なかでも特に、郡山最初の領主である伊東祐長や箱根権現、そして伊豆権現とつながりの深かった郡山では、早い時期から『曾我語り』として流布されていたものと思われ、さらに瞽女 ( ごぜ ) たちによって曾我兄弟の生涯やその顛末が浪漫的に語られていたというのです。これらのことからも、曾我兄弟の仇討ち話の郡山への伝達経路は、何本もあったと考えられます。






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最終更新日  2023.04.10 08:00:09
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