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さて私は、『安積山のうた』は、これまでに述べてきたことから想像して、藤原仲麻呂に殺害されたらしい安積親王を比喩的に詠ったものと考えている。そう仮定すれば、葛城王が『安積山のうた』を万葉集に載せた時点で『安積香山』としたのは、藤原氏に疑われた場合に、『安積親王』を詠ったものではないとの言い逃れにしたとも考えられる。そして『山ノ井』である。つまり葛城王は、『山ノ井』が映したのは『安積山』ではなく、『安積親王の顔』を想像したのではないだろうか。すると『安積山のうた』の本当の詠み人は、『陸奥国前采女某』ではなく、葛城王ではないかということになるのではないだろうか。
ところで、以前に私は、郡山の歴史家・今泉正顕氏から、「奈良の春日大社の建つ丘の名が『安積山』であるということを、春日大社の宮司に聞いた」と教えられていた。しかしすでに亡くなられているその方の著書を図書館で漁ってみたが、それについての記述を見つけることができなかった。そこで奈良の春日大社に、それが事実かどうかの問い合わせをしてみたのである。ほどなく、春日大社宝物殿学芸員の松村和歌子氏より、『 奈良曝 』という本 のカラーコピーが送られて来た。その奈良曝の 序には、 『 古き京の残れる跡、春日・興福・東大或ハ栄行、今の寺社・名師・名匠・諸職・商店・町々の竪横を搔き集めしより奈良曝としかいふ』とあったのです。以下は、その 松村氏よりの、返事の手紙の内容である。
お尋ねの安積山( 浅香山 ) )については、貞享四年(1687 年 )刊行された『奈良曝』の第三巻の記載により、いまの奈良市高畑町の荒池畔の奈良ホテルがある小高い丘が浅香山と呼ばれ、近くに山ノ井があったことが分かります。奈良の采女神社のある猿沢池から言えば、南東方向になります。
奈良曝の浅香山の項には、お手紙にあった万葉集にある『安積山のうた』をあげたあとに、「菩提谷成身院のうしろなる山をいへり、きおん山のつづきなり・・・」とあり、興福寺の大事の書をうつすとき用いる水とされます。
『山ノ井』については、『水源が春日大社の建つ背後の 御蓋山 (若草山)で、その清流にある 水谷川 から流れてくる』とあります。近世の地誌ですので、これが、万葉集にある安積山という確証はありませんが、近世にはそう信じられていたようです。春日大社は、神護景雲二年(768)に、藤原北家の藤原永手が藤原氏の氏社として創建されたものです。なお御蓋山は、春日山の通称となります。
この手紙の内容は、私の予想を超えたものでした。この 奈良曝によると、近世からではあっても、奈良に『 浅香山』や『山ノ井』があったというのです。しかし近世からそう言われたとしても、古代から使われていた地名が現在も使われている例は、少なくありません。それですから、奈良にある『浅香山』も『山ノ井』も、これと同じと考えても良いのではないかと思われます。そう考える と、『安積山のうた』は安積で詠まれた歌ではなく、奈良で詠まれた歌と考えても無理ではなくなるようなのです。それに この 春日大社のある御蓋山に、水源となる『山ノ井』があったということは、『安積山』を『安積香山』と表現し、現実に奈良にある『浅香山』と誤解させることで、 橘諸兄が擁護する 安積親王を、藤原氏から隠そうとしたのではないかとの意図が感じられます。 このことは、以前に読んだ 澤潟久孝氏の著、『万葉集注釈巻十六』にあった『確証がないからこそ、安積山のうたが都の歌人によって作られた歌であると、思いたい』との記述を思い起こさせられるのですが、むしろ私は、これこそが事実であったと思いたいのです。 そしてそれと重なると思われるのが、安積親王が葬られた山の名、『 和豆香山 』です。この『和豆香山』のなかに『 香山』という文字があることから、郡山の地名の起こりとする説もあるようです 。
さてここまでくると、大伴家持が 万葉集を編纂しているとされているので、『安積山のうた』を万葉集に載せるについては、 大伴家持 が深く関わっていたと考えられます。ところで 延喜五年(905)、 紀貫之が編纂の中心となり、 奏上された 古今和歌集の前書きである仮名序には、次のように 『安積山のうた』が登場するのです。
なにはづのうたは みかどのおほむはじめなり
あさかやまのことばは うねめのたはぶれよりよみて
このふたうたは うたのちちははのやうにてぞ
てならふひとの はじめにもしける
現代文にしてみると、次のようになると思われます。
難波津の歌は、仁徳天皇の御代の初めを祝う歌である。
安積山の言葉は、采女の遊び心により詠まれたものである。
この二つの歌は、歌の父母のようなものである。
文字を習う人が最初に習うものである。
この2つの歌の書かれていた歌木簡は、 平成九年度に実施された宮町遺跡( 甲賀市信楽町宮町にある古代宮殿遺跡。国の史跡に指定されている)の 第22次調査で、西側の大きな溝から出土したものですが、その解読された文字を、太斜字で表してみました。
阿佐可夜 麻加氣佐閇美由 流夜真 乃井能安佐伎己々呂乎和可於母波奈久尓
あさかや ま かげさへみゆ る やま のゐの あさきこころを わがおもはなくに
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