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破局に導くものが前提そのものなら,その前提にもとづいた破局の回避に執着すると破局は必然のものとなる…そして,破局の回避ではなく,破局の向こうに目を向ければ,面白いものが沢山転がっているのかもしれない…破局に見えたものはそのとき別の姿をみせる…。
2012.04.30
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こどもの教育について大騒ぎをする人たちが自らの行動を省みることがないのなら,その人たちの大騒ぎはあたかも,自らの教育を忘却するために行われているように見えてしまう…。…その場合,騒ぎの大きさは彼らの忘却したい問題の大きさに比例するのだろう…。…彼らは「それは大騒ぎすべき問題の本質をあいまいにしてしまう」と言うかもしれない…それこそまさに彼らがしていることなのだ…その証拠に彼らは問題の本質の定義を嫌う…そこをあいまいにしたまま,「わかりやすい」キャッチフレーズが繰り返され,とりとめもなく騒ぎは発展する…それほどまでに目を背けたい問題を放り出せると信じて…。…彼らは他者に公正さを求め,自分たちには独断の自由を留保する…独断につきあわされるのはさぞ迷惑なことだろうけれど,そのことに彼らは頓着しない…そのことを指摘されると,決まって「拘り」という単語が飛び出す…それも彼らの拘りから目を逸らさせるものだと思えば納得がいく…。…けれど,こうした動きにもなんらかの「必然」があるのだろう…起こるべきことが起こっていて,それは「若干の」犠牲をともないつつそれ自身の目的に向かう……破局をむかえようともさらにすすみ,それは破局の向こう側を目指す…。
2012.04.26
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ここで少し方向をかえてみます。 なにかものがある。のではなく, 関係がある。としてみます。たとえば, 1+1=2 は,左の「1」と右の「1」そして「+」と「2」と「=」の関係を表現している。とみてみると, 左の「1」と右の「1」は「異なる」けれど,「1」の反復によって「同じ」ものを表すことになる…。反復を体験できるがゆえに「異なる同じ」「1」が表現できる…全く同じものはないけれど「同じ」記号をもちいることによりそれらが「同じ」という関係にあることを表現する…。
2012.04.02
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「異なる同じもの」は 反復・持続・パターンの体験からあわれてくるかのように感じます。 「同じこと」のくりかえしなどありえないけれどそれを体験する。 異なる「瞬間」どうしを等質と体験する。 対立する両者の体験する同じ型。そして, 1のくりかえし。
2012.01.02
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パルメニデスは多を(したがって2も)否定して一なる実体のみをみいだす。 老子は道をとき,道とはなにか?という問いの答えを否定する。 唯識論は意識を空とし,末那識も空とする。そしてもしかすると, 数がなければ,なにもない。かもしれません。もしなにかがあるなら,「それは何個あるか?」と問うことができるといえそうですから。
2011.12.09
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数がどのようにふるまうか?を対象に思考することはできるでしょう。それは 数とはなにか?の答えでもなく,まして数をつくりだしたわけでもないでしょう。 「数がどのようにふるまうか?」を対象にした思考はどのようにふるまうか?を対象に思考することもできるでしょうし, 「「数がどのようにふるまうか?」を対象にした思考はどのようにふるまうか?」を対象にした思考はどのようにふるまうか?を対象に思考することも…。そのどの段階でも数は現れ,決してそのものがなにかについては語られないでしょう。唯識との関連でいうなら,数論は意識の所産で,数そのものは末那識にかかわるといえるのかもしれません。そして数そのものを意識することはできないかもしれません。一切空なら数もまた空となるのかもしれません。
2011.12.09
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同一直線上にある3点A,B,Cにたいして,点Bが2点A,Cの間にあるとき,線分ABと線分BCの和を線分ACによって定める。とします。すなわち, AB+BC=AC。点Bが2点A,Cの間にあるなら,線分ABの長さ|AB|と線分BCの長さ|BC|の和も,線分ACの長さ|AC|としたくなるかもしれません。すなわち, |AB|+|BC|=|AC|。線分ABと線分BCの長さが等しいとき,すなわち,|AB|=|BC| のとき, |AB|+|AB|=|AC|。このとき,|AC|の長さを 2|AB| と書くことにすると, |AB|+|AB|=2|AB|。線分ABと線分BCは「異なる」線分で,長さは「同じ」。「異なる同じ」の「異なる」と「同じ」を分けて表現することができているようにみえます。もちろんこれは 「同じ長さ」とはなにか?のなかにやっかいごとをうつしただけでしょう。
2011.12.04
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結局, 1+1=2はもちろん 「(1)'」を「2」と書くことにします。も「2」の説明にはならないように思います。これらに先んじて「2」の体験はあるはず…。 「1」の体験は「2」の体験の説明にはならない。 「100円玉2個」「りんご2個」などという異なる体験に共通するなにかが「2」と名づけられている。そうした体験は, いち,に,さん,し…ととなえられるとできるのでしょうか(1,(1)',((1)')',(((1)')')'…)。それともそうとなえられるようになるには「2」がすでに体験されていなくてはならないのでしょうか。それともそうしたことは同時に起こるのでしょうか。少なくとも順序数だの基数だの1対1対応だのということは後づけにすぎないように感じます。「2」について十分よくわかっている人がそれらを理解できる…。そして計算機が表示する「異なる同じ」記号列をみて 計算機は計算ができていると思うのは「2」がよくわかっている人だけ…。
2011.12.04
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手品では言葉でない道具で人を騙すことがあるようです。そこでも「異なる同じもの」を利用しているのでしょう。 異なる同じもの 「1≠1」と「1=1」言語では「1≠1」を捨て「1=1」を取るのでしょう。100円玉やりんごなら,2つの100円玉のそれぞれや2つのりんごのぞれぞれを区別できるような気がします。でも2つの光子を区別できるでしょうか? 「1つの光子」と「2つの光子」はもしかすると区別できるかもしれません。 「2つの光子」は「1つの光子2つ」のことである。 2=1+1となるとなんとなく気持ちがわるい…。
2011.12.04
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やっかいは「1+1=2」の「=」あたりからはじまっているのでしょうか。 1=1はなんか正しそうです。で, 1+1=2はなんかうさんくさい。 100+100=200だけど,100円玉1個を2度見せられて,「200円だね」といわれても。 「区別のできる」すなわち「異なる」100円玉が2個なくちゃ200円じゃない。 いやいや,そうはいっても「同じ」100円玉じゃなくちゃ。「異なる同じもの」は「=」で結べそう。なので「異なる同じもの」は「=」では区別できない。 「異なる同じもの」が言語にはいっぱいある。数は「異なる同じもの」でできている。言葉にしたとたん,分別がなくなり「分別がつく」と思うことができるようになる。そして嘘をつくための道具として言葉や数はもっとも有効。750,813票獲得したから「正しい」と思う人たちには「分別」がある…。
2011.12.04
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「1+1=2」の2つの「1」は「同じもの」なのでしょうか?もし「同じもの」でこの2つに「区別がつかない」なら,「1」と「1」をあわせても「1」でしょう。例によって, 1は自然数である。 nが自然数ならば (n)' は自然数である。 m,nが自然数のとき,(m)'=(n)' ならば m=n。 nが自然数のとき,(n)'≠1。 mが自然数のとき,m+1=(m)'。 m,nが自然数のとき,m+(n)'=(m+n)'。としてやるなら, 1+1=(1)'ここで, 「(1)'」を「2」と書くことにします。とすれば,「厳密に定義できている」と思う人もいるかもしれません。その「定義」によって「2」を定めるまえに 「(1)'」にある「4つの記号」があることがわかっていなければまるで無意味であることに気がつかないでいられるなら,たぶん「厳密に定義できている」でしょう。 1+1=2が「わかっている」人は「1」を「区別できる」「同じもの」としてあつかえる人なのでしょう。
2011.12.04
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人間とアンドロイドの区別ができなくなる日がくる前に,実写とアニメの区別がつかなくなる日がくるのかも(今回はパフォーマン・スキャプチャーでしたが)。初3D体験でもありました。「pina ピナ・バウシュ踊り続ける命」2/25封切が楽しみです。
2011.12.03
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研究家にお会いする。歴史は文献でも文化遺産でもなく人が伝えるということを知る。
2011.12.01
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必至かもしれない。落城前にその城は果てしなく繁栄した。その城の落城の様は悲惨だった…。
2011.11.28
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彼らが省略したところ,彼らが触れようとしないことに注目せよ。
2011.11.28
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指し示す指はすべて異なる方向を向く。
2011.03.19
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「事実」というよくわからないものとは闘えないと「イメージ」と闘ってしまう。「イメージ」と「事実」を取り違えると話がややこしくなる。「事実」ははるか遠くにあるけど「イメージ」ならすぐそばにあって取り組むこともできる。「情報」という名の「イメージ」は変化しうる…変化しないと信じてしまうと取り組むことをあきらめてしまう。「イメージ」の変化によって「事実」は変化しうる…。
2011.03.17
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「津波は天罰」ではなかったことだけはわかる。「権力欲」に「天罰」がまもなく下ることを願う。
2011.03.14
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ちょうどよい機会なのかもしれない…。
2011.03.13
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人は「正しい」ことを考えがち…。あまりにも「正しい」ためにパニックはおさまらない。パニックから抜け出ることがもっとも肝心なとき「正しい」ことは役に立たない…。
2011.03.12
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検察と戦うといっていた人がいたっけ。もともと誰が悪かたっんだろう?
2010.09.22
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言語。この魔法に取り憑かれた人たちはこの魔法と世界の区別がつかなくなる。
2010.09.18
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人の使える魔法。それはけっして目にはみえない 1,2,3,…というものを感じることができること。さらにそれが 限りなく続くと思えること。 限りなく伸びるまっすぐな直線を想像できること。 無限の対称性をもつ円を他者と共有できること。異なる生き方をしている人どうしが, 神といって何ものを指すか,(それを信じるか信じないかは別にして)おぼろげにせよ感じとれること。これら目にはみえないもの,耳できくことはできないもの,手でふれることができないものを身近に感じとれること。
2010.09.14
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■村木元局長無罪 検察はずさん捜査を検証せよ(読売新聞 - 09月11日 01:43) 今度は検察が悪いらしい。
2010.09.12
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妄信と拒絶のバランスをとったものが信頼。
2010.09.10
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体験やプロセスを信頼できるかどうか。プロセス自体に時間がある。時間とプロセスは同義かもしれない。空間もまた。時間は空間で,空間は時間で把握される。時間と空間は同じものの別の側面かもしれない。体験やプロセスの再構成に,自覚的にせよ,無自覚にせよ,時間と空間は立ち現れる。それは再構成のひとつの様式。…別の様式もありうる。
2010.09.10
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体験は存在に先行する。今在るかどうかで悩む人はいない。体験そのものの再構成において「存在」が気になってくる。とくに目にはみえない,あるいは耳ではきこえない「存在」が。そして,いつか「在る」状態から「いない」状態にうつると思うとき…毎晩死ぬ練習をしている意識は,生き続けている身体の「存在」を信じている…そして「存在」し続ける魂を体験する…。目にみえるもの耳できこえるもの手で触れられるものは「わかりやすい」。それらを通して体験していると信じている。多くの体験の再構成では時間は欠かせないらしい。生まれる前と死んだ後もそこから「在る」とされる。時間は体験の神秘の一つかもしれない…。
2010.09.10
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体験を言葉にすると体験そのものとはちがったものになってしまう。「体験そのもの」については表現できるけど体験そのものは語りえない。体験の表現は別の体験になる。体験はこうしてつながっていくことがある。「体験」を伝える表現と,体験そのものを喚起する表現がある。「わかりやすい」表現は一面的で体験そのもののある側面は伝えてくれる。別の側面があるなら,それとのバランスをとるしかない。そして側面は2つじゃないし,それらはもともとは1つだった。体験そのものの一側面をきちんと再構成した表現 と 体験そのものが全体としてあることのバランス。そしてバランスは中途半端などっちつかずじゃない。
2010.08.21
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個人 と 集団個性 と 平等刹那 と 永遠有限 と 無限存続 と 停止そして,区別 と 同一視互いに一方が他方を否定しあえば混乱するばかり。秩序 と 混沌問題はバランス。そして, 両者に中途半端にかかわることと 両者のバランスをとることとは全く異なる。その違いを言葉にするのは難しい。
2010.08.20
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生きている人に会うにはその人のところに行かなくてはならない。それはとても素敵なことで,生きているうちにしかできない。そして,死んだ人に会うのは,もし本当に会いたいなら,どこにいても会える。それはそれで素敵なこと。生きている人に会うとその人に本気で向き合いやすい。それはとても素晴らしいこと。そして,死んだ人に本気で向き合うのは難しい。それはそれで素晴らしいこと。
2010.08.20
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一体なぜ?
2010.08.12
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自・民圧勝。
2010.07.11
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社保庁しかり。豚インフルエンザしかり。口蹄疫しかり。これだけメディアに操作される国民にたった1日の選挙で国政を決定させるのはなにかが間違っている。
2010.06.22
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私たちのためにある。 沖縄の人々は私たちの安全のために生きている。 発展途上国の人々は私たちの豊かさのために生きている。そういうメッセージが,表面的には異なる言葉によって伝わっていく…。
2010.06.20
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来年は木曜日!
2010.06.16
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言葉では表せないもの…。そして若い人たちが育っている。
2010.06.13
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---「わたしのお母さん」など、前衛舞踏家として国際的に活躍した大野一雄(おおの・かずお)さんが1日午後4時38分、呼吸不全のため横浜市の病院で死去した。103歳だった。北海道出身。近親者のみで密葬を行い、後日お別れの会を開く。喪主は次男慶人(よしと)氏。時事ドットコム(2010/06/02-02:07)…天寿を全うされたのだろう…。
2010.06.02
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野田地図『パイパー』みたいな話…。
2010.04.28
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数学ガール(ゲーデルの不完全性定理)「数学ガール」の本を初めて読んだ。不完全性定理に至るまでの道筋はユニークながら自然。不完全性定理の紹介本には珍しくきちんとこの定理とその証明を追っているのには驚く。それを可能にするための表記の工夫はすばらしい。定理の理解に必要でありながら,あまりにもあいまいにされがちな区別をきちんと表現している。最終章はきっともっとふくらませることはできるのだろう。でも,それはそこまで読んできた読者に残された楽しみかもしれない。そしてミルカさんのこの定理の解釈についての「禁欲的」な態度が面白い。
2009.10.28
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ピナ・バウシュ演出・振り付け“オルフェウスとエウリディケ”[出]パリ・オペラ座バレエ団チャンネル: 103ch : NHKデジタル衛星ハイビジョン放送日時: 10月3日(土) 23:00-24:55Gコード: 440244http://tv.starcat.co.jp/channel/tvprogram/0023200910032300.htmlピナ・バウシュ“カフェ・ミュラー”[再]チャンネル: 103ch : NHKデジタル衛星ハイビジョン放送日時: 10月3日(土) 24:55-25:41Gコード: 3585365http://tv.starcat.co.jp/channel/tvprogram/0023200910032455.html
2009.09.27
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あるのはそれぞれの利害をもった個人たちやこの世のさまざまなものとの間で絡み合った絆。その絆のなかで現れる亡霊としての「国民」。「国民」による支配ではなく,その絆の法則に従うことができたなら…。
2009.09.25
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目に見えない大連合
2009.08.30
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http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090822ddm005010149000c.html 郵政民営化という一つのテーマで、自民党が前回選挙で大勝利したことがよかったかが問われている。(有権者には)今回同じ失敗をしてほしくない。民主党はまったく同じ戦法でだまそうとしている。政権交代の一言で世の中が良くなるといううまい話はない。「大勝利」した党に復党した候補者の発言とのこと。そしてたぶんこの発言は正しい。
2009.08.26
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「郵政選挙」同様の茶番。
2009.08.18
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今心配している政治家はいるのだろうか?
2009.08.05
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徹底して見せない。巨大な「ひきこもり」。見せないことで, 一部を全体と感じてしまっている自分と さらに大きな「全体」の予感を体験させる。たぶん見てもなにが「見える」わけでもないだろう。 見せないという表現。 見えないということで「見る」体験。「現代日本」とはまったく異なるようでいて,確かな歴史的連続性がここにあるようにも感じる。たぶん見てもなにが「見える」わけでもないだろう。
2009.08.03
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第23 回京都賞 記念講演会「私を突き動かすもの」思想・芸術部門 受賞者ピナ・バウシュThe 2007 Kyoto Prize Commemorative Lectures: Arts and PhilosophyWhat moves mePina Bauschピナは,いる。
2009.07.03
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Heute morgen starb Pina Bausch, die T?nzerin und Choreographin des Wuppertaler Tanztheaters. Ein unerwarteter schneller Tod ergriff sie f?nf Tage nach einer Krebsdiagnose. Noch am vorletzten Sonntag stand sie mit ihrer Company im Wuppertaler Opernhaus auf der B?hne.Pina Bausch - News
2009.06.30
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Qを見てみたい。
2009.06.28
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「感染確認」された人の「発症」がおさまったにすぎない。
2009.05.23
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