昨今、世界史の事が話題になっているが、私が高校生だった40年前とは比べ物にならないくらい授業の内容が詳しくなっている。
娘が8年ほど前に高校を卒業して、その時使っていた『世界史図表』(教育図書出版・第一学習社)を娘の本棚から勝手に使っているのだが、詳しい。
これを必須で勉強しろというのは無理がある。まあ、要約・世界史になるのだろうが。
竹村健一は京都大学なのだが、試験科目は2科目だったという。ダイタイでやってこれた時代だから、あの程度の人でも、図々しさでカバー出来たのだが、だから日本がダメになったとも言えるし、兵頭二十八さんの主張のように高校撤廃を考慮する時期にきているのかも知れない。
膨大な歴史情報を全て学ぶ事は不可能である。その膨大な歴史情報から、今・現在必要とする情報をピックアップしなければならない。
そのためには自分の心のうちに「歴史を創る」イメージ・トレーニングである。
明治維新以降、薩摩・長州の勢力争いで説明が付く時期がある。しかし、大正期になると、軍閥というのが出てくる。それが軍縮を主張する。
既成の、手持ちの情報を整理していて説明が付かない箇所が出てくる。そういう時に、ふと手元に本があって、それを読むと空白の箇所を説明してくれる情報がでている。前にも読んでいる本だから、しかし、問題意識がないと見えないのである。
学校でいくら世界史を勉強しても問題意識のない生徒には歴史は分からない。
だから、「歴史は学ぶものではなく創るものである」と。
別の意味に取り違えて、夜な夜な、昼間でもいいのだが、事に励んで、少子化対策になれば、これ、また、幸いな事である。
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