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昨日、天才的な経営者と会ったんですが目がきれいやったー!一流のプロの選手のような目をしとった。この楽天などで、文章でほえるだけの人間格好でほえるだけの人間謙虚なだけで儲けれん人間商売しようとする人間(私はこれ)いろいろおりますが、この人はちがった。今までみてきた経営者の中で、一番目のきれいな人間でした。子供のような無邪気な目自信に満ちた野獣の目人をつつみこむ目こんな目をしている人間なら、儲けれるわ。「目は物を言う」を実感した1日
2003.11.30
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本日は久々にゆったりとしております。この3日間、クライアント企業数社に行ったりきたり、超スピードで販促しかけているので、ぐったりきました。2日前は、11月で契約が終了する、広島では知らない人はいない小売店の契約更新について社長と打ち合わせ。社長は、「森本さんは自信家だね、成果でんかたので、・・・」と契約うちきりたいのかと思いきや、「今までの条件でならお願いしたい・・・」と。???私は売上あがらんかったので、終わりかなと思っておったのですが。こういうときは、社長と私の一存では決めません。必ず現場の社員に聴きます。「幹部や社員に聴いて、決めますね。いくら社長に頼まれても、現場が嫌がっていたら私も面白くないので。必要とされていないのに参るのは苦痛ですので・・」と本音で申し上げた。それまで社長が優勢に話をしていたのですが、一気に私のペース。私としては、本当にそう思っているのですから。そして、まず総務課長へ。この人、実は私のDMを見て、社長にすすめてくれたらし。そのいきさつは知らなかったが、それを聴いてうれしかった。課長とは、店長の問題ですったもんだしたもんで、「森本さんには続けてほしい。条件が合わないかもしれないが、続けてほしい。でないと、うちは変われない」とお願いされた。これまたうれしかった。本音で社長に言えるのは私しかいないそうだ。どうしよう、、、社長との話で、もう終わり!そう思っていただけに、気持ちが揺らいだ。(時間をかなりかけて、成果報酬もらえなかったので、内心終わることに安堵感を少し感じていた)次に、営業部長をひっつかまえた唐突に、「私との契約が11月で終わるんですが、社長はどっちでもいい、みたいな言い方されたんで、終わろうと思うんですがいいですか? 現場で価値がないと思われるのなら終わりますし、まだ必要と思われるなら考えます。」と直球で聴いた。部長は、「○○も、○○も、もう森本さんとの付き合いは終わるんですかと心配していました。(私、びっくり)私としては、中途半端ですので続けてほしいのですが、社長は・・・」お二人の気持ちを聞いて、また頑張ろうー!とこれも縁だ!支援せずに、優秀な社員が辞めるほうが両者にとって幸せか、どうか、判断悩みましたが、お手伝いする方向で。これから、現場のキーとなる社員と雑談してきめよう。コンサルタントで年収1000万稼ぐほう本題に戻ります。コンサルタント会社での営業活動は、基本的にセミナーを企画するDMをおくる参加者に営業活動を行う契約するこれが基本です。どのコンサルタントも一緒です。その他に、商工会議所などでの講演会活動公的機関からの紹介私がやっていたような直接飛込み営業があります。飛び込みは、普通コンサルタント会社ではしません。効率悪いので。まず、何のコンサルタントになるか決めましょう。対象は会社、個人?会社ならば、DMうってセミナーしてが王道でしょう。個人なら、広告出してセミナーだしてでしょう。問題は何ができるか!DMもセミナーも所詮小手先です。結局どんな価値をお客に提供できるか!これに尽きるでしょう。これが整理されていないと、どうせ短期間でつぶれます。もっと考えると、何故独立するの?何の目的で?これをハッキリ言える人が極めて少ないと思います。私はハッキリ儲けたい。お金がほしい。 いたって不純な動機です。コンサルタントの仕事で独立するのは手段です。儲けるために、資本がいらず儲ける手段です。なおかつ、自分を高め、人に役立てる。またまた抽象的で本題からそれましたが、つづく。追伸:本日は楽天つながりで有名な方とお会いできます。ワクワク。
2003.11.29
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本日は怒涛の一日で疲れました。ぐったり・・・。私の棚卸しをもう少しさせてもらいます。父親はタクシー運ちゃん。金なし運なしのギャンブル好きで、夫婦喧嘩が絶えず、母親は鬼の形相で広島名産の牡蠣うちをしてくれていました。共働きの為、食事や洗濯などは子供達の仕事でした。おかげで、私は小学生4年生のころから楽に一人でご飯をつくれていました。そんな母親に喜ばれるのがうれしくて、人に喜ばれる仕事がしたいと思ったのでしょう。棚卸しもあきたので、本題にはいろう。飛び込みで仕事をとれるようになると、25歳になってコンサルタントとしてアシスタントの仕事や、研修などの一部をさせてもらえるようになった。はじめての研修では営業マン研修を行った。しかし、当時毎月のようにダイレクトメールの作成および封入作業がたてこんでおり、私は一番下っ端なため毎月2回、1万通のDMの封入および仕分け作業があり、気が狂いそうになっていた。たしか、研修を終えた日に会社を辞めると社長に言った。こんな中途半端な仕事しかできないのなら、やめると。今振り返ればこのDMの作成やら封入やらなんやらかんやら、した仕事が今大いに役立っている。コンサルタント会社の営業の仕組みを理解し、その現場仕事を詰めたわけだけら。とりわけDMの作成は、いろいろな実験ができた。当時、今でもそうかもしれないが、1万通のDMうって10人セミナー集めて一社とる、こんな構造だった。私はちなみに、独立後1000件にDMうって、20社以上集めた。しかも値段は5倍。クライアントもDMを見ただけで依頼をもらえた。あーしかし、コンサルタント コンサルタントと言葉が続くと気分が重たくなってきた。今日は眠いのでこれにて。
2003.11.26
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この楽天日記を、自社のHPからリンクをはずしたので、肩の荷がおり、書きたいことを書けるようになりました。それまでは、クライアントに見られていることを意識して、エー格好して、生意気で説教くさかったですが、これからは楽な気持ちで書いていきます。読んでいただける人もいるので。本日は、クライアント企業へ昼から訪問。コンサルタントと名乗るのはやめると決めましたが、やっぱり僕の仕事をする人間は必要だと実感しました。コンサルタントなんて詐欺師だとか、口ばっかりだとか、何とかかんとか言う人もおりますが、じゃーあんたやれー!って感じです。それが天命で生まれとるんだから、しょうがないやろー!と広島弁ぶつけてしまいます。文句あったら言ってきんしゃい。そりゃー、講演したり本書いたりなんだかんだ目立っている人が、コンサルタントなんて名乗るものですから、イメージ悪いですよ。だって言うこととやることが伴わないですもん。今日のクライアントなんかねー自宅の事務所で家族で大喧嘩しながら、毎年落ちる売上を必死でくいとめるチラシを死に物狂いで考えて、チラシ1枚に無茶苦茶時間かけて、チラシ代がどうのこうの言われたら、最悪自分で出す覚悟を決めて、ぐちゃぐちゃの会社の一つ一つを見直して、燃える後継者と出店だのFCだの夢を描いて、コンサルけなす前に、あんたやってみたらいいよって感じです。僕は頭がよくないんで、時間がかかりすぎるんかもしれませんけど、時間かけんと人の信頼も得られんし、工夫も出んのよ。パッとビジネスモデルを考えて、人を動かして、年収5000万?!好きにせー。そんな人生不安じゃない?なんか、このテーマで日記を書き始めて、違う事業もやるけど、今の自分がやっている仕事を多くの人にやってもらいたいと思った。年収1000万ぐらいとれるよ。えーじゃん、それぐらいで。家族で美味いもんくえるよ。クライアントと泥まみれになって苦労するよ。でもね、毎年落ちる売上とめてみんさい、地味だけど気持ちいいよ、かっこいいと自分で誇れるよ。そして夢なんぞ一緒にかたって、地道にすすめてごらんよ、それもまた楽しいよ。まーコンサルタントという言葉が悪いんじゃろう。誰か、いいネーミング教えてください。仕事のイメージは中小零細企業の売上をあげる現場で、ドロドロもがきながら細かい改革を積み重ね、売上減をくいとめて、かつ新しい儲かるモデルを描いて、準備する。これってコンサルタントなんだと私が思っていたんですが、世間一般のコンサルタントは講演して本出してなんとか理論をつくってかっこうよくて私はどこにそんな暇があるのか分からん。そんな仕事しとって不安じゃないんかな?僕は現場ドロドロの仕事をしている時が一番不安が少ない。凡人だからかな。私をよくしる家内は私にこういった「あんたは、コンサルタントをお客のためにしとるんよ。だから、楽しくないんよ。ほんまにその役割をまっとうしようとしているから、つらいんよ」「ほかの○○さん(コンサルタント)は、コンサルタントの仕事を自分のためにしようるから楽しいんよ。こういったら、人が動いて、こういう理屈が成立して・・・」そうかもしれん。俺は、お客のためにコンサルタントをしとった!でも世間一般のコンサルタント野郎たちは己のためにコンサルタントをしようるんやろう!なんか頭に血がのぼりだした。こうなったら、本物のコンサルタント的な人間を一杯つくって、競争さしたろう。そしたら、偽者はすぐばれるやろう!競争が少ないから偉そうに仕事があるんやろ。何が教授や診断士や、そんなん振り回す奴にろくなんおらん。私は、「楽しんで儲ける」とかいいながら、自分で全然楽しんでいないことに気付きました。人のためにコンサルタントをやるってことは、もしかしたら宿命なのかもしれない。自分で発案した事業も刻々と準備にはいっているが、それはそれとして、両方やろう。俺がせんでも、そいういう人一杯つくったろう。誰か本物のコンサルタントになりたい人おりませんか?インターン・かばん持ち、無料体験 大歓迎!人のために仕事できる人なら、年収1000万でよかったら、どうぞご志願ください。一度、現場に行ってみようや。どんなものか、それから批判したらいいじゃない。なんか、クライアントと正坐したあとは、興奮状態でした。批判は誰でもできるよ。偉そうなことは誰でもいえるよ。格好付けることは誰でもできるよ。じゃーあんたやってみんさい。以上。
2003.11.25
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そろそろこのテーマにあきてきましたが、始めたので続けます。飛込み訪問でコンサルの仕事なんてとれるわけがないと、皆さんお思いでしょう?!私は飛び込みで、2ヶ月に1件はコンサルタントの仕事を、そして研修は毎月1本コンスタントにとっていました。飛び込み当初は、全然お話になりませんでした。ほとんどさぼりの日々でした。上司も社長も飛び込みでとれるわけがないと思っていたそうで(自分がやったことがない)全然成果は期待されていなかったので、やりやすい。ただ、DMの封入やら、街頭アンケートや、データの打ち込みや、調査のした仕事など、雑用をあれこれこなしながら、意地になって毎日20軒以上訪問したのがよかったのか。次第に、提案できる案件がではじめて、セミナーは沢山集めたものです。創業経営者は、飛び込みを暖かく受け入れてくれました。もうなくなりましたが、広島では有名は宝石商の社長は、とても可愛がってくれまして、いろいろ教えてくれました。当事のマニュアルコンサルタントについて触れておきましょう。前回書いたように、マニュアルに書かれた内容をこなしていくコンサルタント、今では信じられません。よくそんな仕事をとっていたもんだと、我ながら。やるほうもやるほう、経営したことのない、いんちき野郎が偉そうに、ほざいて・・・。今でもアタマにきます。LCAの社員なんぞ、その典型。23歳でコンサルタント、アタマはいいのですが、全部マニュアル仕込み。まーこれつくった小林さんはすごい人なんでしょうが、恨まれてまでやる仕事なのか。飛込みでは、企業団地がありまして、この団地からは15件ぐらいのお仕事とりました。(ちょっと自慢)多分後にも先にも、私以外、飛び込みでこんなに受注した営業マンはいなかったでしょう。飛込みでは、私の顔写真をコピーして、その横に私のプロフィールを書いて、お役に立ちたいんです!ってキャッチ。今考えるとかなりうさんくさい、今でも、そのチラシが私の原点かも。毎日毎日飛び込みが楽しくて楽しくて、どんな人に会えるか、どんな受付嬢がいるか?!どうやったらあってもらえるか、どうやったら提案させてもらえるか、毎日悪戦苦闘、ない知恵を絞りに絞って、毎日工夫の数々。2年ぐらいたつと飛び込みに何の抵抗もなく、受付嬢ともお顔みしりに。何せ一応コンサルタント会社ですから、取り次いでくれるのです。一応。中には、名刺をひきさかれたり、塩をまかれることもありますが、全然気にならなくなります。毎日の”きづき”が楽しいのです。ちなみに、塩をまかれるのは本当によくあることです。コンサルタント嫌いの社長は「塩をまけー」と5回以上まかれました。力士みたい。一番いやな思い出は、目の前で名刺をやぶられて、なじられたこと。その経営者今でも覚えています。よほどコンサルタントにいやな思いがあったのでしょう。分かります。
2003.11.24
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さて、コンサルタント会社に入社する4月がきました。地域では名の知れた会社だそうで、「診断士が4~5名いるのは日本でもうちだけだ」と自慢されていました。入社して20歳、当然コンサルのコの字も仕事はさせてもらえません。毎日屈辱の日々でした。1ヵ月後より、営業マンをおおせつかって、飛び込みのスタート。当時は、「なんで、営業や?俺はコンサルタントなるためにこの会社入ったのに」と嘆きましたが、嘆く暇も無く飛び込みがスタート。そうしているうちに、中途で一気に3人採用。年齢の近い先輩が3人出来て、さらなる屈辱の日々がスタート。自分のほうが先に入社しているのですが、当然20歳と25歳や29歳では全然社会経験もちがいます。即戦力ですね。自分はできると信じていただけに、あとから入った先輩がたが先にいろいろな仕事を任せられるのが歯がゆくて歯がゆくて。飛び込みも、無茶苦茶抵抗ありました。私以外だれもやったことがない飛び込み。上司や先輩も、やらせることがないので、仕方なくやらせていたのだと思う。当時は、まだバブルの影響で、訳のわからん社員研修や幹部研修とかで仕事が成り立っていた。そういう100万円ぐらいの研修のパンフレットと、社員研修やセミナーを売りにいざ飛込みへ。初日は今でも覚えていますが、2件しか行きませんでした。いきなり公園でさぼりました。なんせ、会社の玄関をあける手が震えて震えて。その後、8年後に会社を辞める際に、それまでの会議の資料を全部調べると、飛び込みで2万件訪問していました。飛び込みで、100万もする研修やコンサルティングを何件も受注していたのは、私だけでした。日本LCAという知る人ゾ知るフランチャイズに加盟しており、そのコンサルが私を見下してものを言っていたのですが、「あんたが飛び込みしてとれるのか」と心の中でいつも叫んでおりました。数ヵ月後に入った先輩がた、その後順調にマニュアルコンサルタントの道を驀進。当時のコンサルタントなんて、マニュアルがあったんですよ。管理者研修のすすめかた、経営計画の策定の進め方、最初の挨拶から一言一句マニュアルがあって、・・・ふざけていますよ。私は、やりたくてもやれなくて、営業していましたが、後から考えると、この葛藤というか、くそったれという反骨心が増して、よかったのでしょう。当時、したたかな先輩の机を何度も蹴り飛ばして帰っていました。6歳上に、よく喧嘩していた先輩がいたのですが、今でもお付き合いしています。20歳のころから、あんたはコンサルタントなんかする人間じゃない、経営者になれと。うれしいことです。20歳、21歳の頃、飛び込みにあけくれて、靴を毎月のように買い換える日々。お陰で広島市内の中小企業はいまでも、3000件以上は社名と場所が一致します。その後、多くのコンサルタント志願者が入社し、仕事がとれずに辞めていきましたが、私は25歳でコンサルタントしていいよという解禁がとかれたその時から、仕事に困りませんでした。なんせ、飛び込みで他人のコンサルタントを受注していたのですから、自分を売るのはもっと簡単。「私が一生懸命頑張りますんで」この一言がいえますもん。コンサルタントが飛び込みでどうやって百万円以上のお仕事とるか、次回につづく。
2003.11.23
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まずは、私がコンサルタントを目指そうと思ったいきさつについて振り返ってみます。小学生の頃、4年生まで全く机に座ったことのなかった私が、5年生からの担任の出会いによって、勉強をしはじめた。そして、同級生の女の子に算数を教えて、喜ばれて。それが快感だったんですねよ。今でもその光景は目に浮かぶ。それまで、勉強したことがなくて、体育の時間と遊びの時間しか存在価値のなかった男が、勉強を教えるなんて。そのとき、「人に教えるってことは楽しい」とインプットされたんでしょう。その後、高校生になり進路を決めるころ、家庭の事情もあり、とても大学は無理ということで、専門学校に進学することに。高校生までは、学校の先生になりたい、教えることで成長したいという思いがありましたが、アッサリあきらめる。専門学校にすすんで、なにか事業をしたい、将来独立したい、という気持ちが強く、名にか無いかなーと探しているところに、中小企業診断士のかたが、学校の先生に。その方に会って、ピンときました。「これだ!」と。これなら、資本はいらず、しかも自分を成長させる最短距離をすすめるぞ!と。会った当日に、診断士という資格について貪欲に質問し、その資格校(日本マンパワー)の説明会が今日あるというではないか。即日いって、その日に申込。20万円の授業料を、月賦で払うこととしたが、結局滞納が続いてブラックリストにのってしまったけど・・・。19歳で診断士を受験するもアッサリ不合格。どうしてもコンサルになりたいと思い、その先生の事務所で働かせてくれとお願いして、就職の確約をもらった。しかし、直前になってやはり「個人事務所だからあなたのためにならない」と地場の中堅コンサル会社を紹介してもらった。高校3年生では、体育の授業以外1度しか授業に出ず、麻雀の日々。専門学校でも、2年生の折は就職も決まっており、全く受容に出ず、卒業証明書を出さないといわれ、あせって論文を60枚書いたことを思い出す。何はともあれ、念願のコンサルタントへの一歩を20歳で踏み出すこととなった。これが幸だったのか不幸の始まりだったのか分からない。近道をしたのか、遠回りしたのか分からないが、これがスタート。動機は至って不純!資本無く儲けたい!資本無く独立したい!ついでに、自分を成長させたい!体ひとつで喰っていける力をつけたい!親をあてに出来ない家庭だったが故に、自立心が人一倍強かったのか。誰も助けてくれない、どう転んでも行く場所は無い。この環境は、友人とは比較できない崖っぷちにいつも思えていた。今こうして振り返ると、やりたいことやってきたなー!勉強もせず、結局希望する進路を踏み出した。20歳のときに自分につぶやいていたことは、30歳で、独立して年収は1000万!夢のまた夢!そんな人生が成功と信じていたけど、その程度しか思えなかったのだから、器が小さいね。しかし、思ったことは実現する!当時始めて本屋で買ったロバートシュラーの本、京セラの稲盛さんが訳していた。ここまでは、ほぼ思ったとおりの人生だった。ありがとう。ここから、コンサルタント会社での泥まみれの8年間。次号に続きます。
2003.11.20
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脱・コンサルタントの一歩として私の実体験、考え方そのままにノウハウ公開しまーす。無形有料サービスで稼ぎたい方は是非!話題の一人ビジネスで1000万の本にもコンサルタントにまずなると書かれていましたよ。外に出すとちから強く一歩が踏み出せるし、それで1000万稼げる人が増えれば一挙両得ですね。それでは、今日は時間ないので、またー。お楽しみに
2003.11.18
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新しい事業の一歩を踏み出すと決めてから、すがすがしい気分で一杯です。毎日が楽しい。心の中だけで、気分が変わり、行動が変わるもの。新たな一歩を踏み出す。半歩でもいい。これから踏み出す。独立したときよりも、劇的な転換期を迎えようとします。コンサルタントで年収1000万稼ぎませんか!私の全ノウハウお教えします。私は自分だけのコンサルスタイルにこだわって、成果も出してきましたが、自分ひとりで成果を出したところであまり社会のお役に立っていません。もっと、お役に立てるコンサルを沢山つくりたいです。この日記を書かれている、読まれている人の中には自分に自信あるけど、売れない人が沢山いるのでは。一生懸命やれば誰でもなれます。
2003.11.11
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世間一般が考えるコンサルタントというのは、利益率がどうのこうのとか、回転率がどうのこうのとか、専門用語を並べ立てて、偉そうなこといって、人を導いて・・・。私は、いろいろ考え抜いて、コンサルタントという言葉を使うことをやめようと思います。コンサルタントという言葉、コンサルタントという肩書きに疲れました。私は、お付き合いの企業や人と、パートナーとなり提携し、お互いが利益を求め合い、切磋琢磨して利益をもたらすお付き合いをしていくだけ。そういうイメージの仕事は、どんな言葉がしっくり来るのでしょうか?教えてください。パートナー?利益創出人?メンター?事業創造人?事業家?いい言葉をみつけたい。自分で分かりません。コンサルタントとイメージが一番近い仕事をしているので、分かりやすくて使ってきたのですが、いつしかコンサルタントであらねばならない呪縛に縛られていたのかもしれません。といって、今の仕事をやめることではありません。今やっているご支援は、世間一般のコンサルティングとは違います。さらに、新たな一歩を踏み出していきます。そして、ご支援させてもらっている企業様に、より大きな成果を生み出したい。
2003.11.08
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利益をあげることは、お客との距離を縮めること。この3日間、パートナー企業の売上アップを図るミーティングで話し合い続けてきたキーワード。お客様との距離を半歩でも一歩でも縮めるために、何ができるか?言い合いあり、怒鳴りあいあり、喧嘩寸前あり、お酒あり、白熱の3日間でしたが最高でした。しかし、誰も途中で抜け出さなかった。いやなら帰れるのに。皆、自分の会社を良くしたい、変わりたいと願っているのでしょう。人間模様というか、人間研究というのか、楽しいです。
2003.11.07
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皆さん、それぞれいいもの持っています。昨日、ある小売店の各店舗で社員とミーティング。改革ののろしをあげて、取り組むにつれて、いつもうつむいていた方が、前を向いて自分の意見を!思いもつかなかったようなアイディアが飛び出し、後継者とビックリ。うれしい一日でした。人が能力を出すことが、一番の喜びです。全てが報われるような気がします。売上なんて本当結果にすぎません。後継者の方ともコンサルタントの必要性の談義。なんと、この方自らもコンサルタントを以前目指し、経営者として外部ブレーンの必要性を感じ、これまで100人以上のコンサルタントと会ったそうです。某大手総研から個人、本を出しているコンサル・・・その中から私を選ばれたのは、「数字があがって、何年かして会社が発展して、その時に一緒にお酒を飲んだ喜び合える人がよかった」とか。「何となく、森本さんなら、そうなれる気がした」と。コンサル選びなんて、最後は「なんとなく気が合うか」で決めるものだそうです。その後継者、無茶苦茶優秀です。なんと、世界最大手の外資系のコンサル会社にも採用が決まっていたが、親御さんの意向で会社に戻る。しかし、問題だらけで、自ら飛び込み訪問で、子会社を建て直し、今度は本体を建て直しにかかった。そこでお呼びがかかったのですが。コンサルタントって、本当に必要なのか?そう自問自答することも度々あります。このような方から、「やはり自分と社内だけでは、時間がかかりすぎる」「絶対に必要ですよ、森本さんの仕事は面白い事業ですよ」と言われると、そうなのかなー?と。自分で商売していると、自分の商売分からなくなりますよね!私も同じです。今後、この日記ではコンサルタントについて、考えていきたいと思います。
2003.11.06
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毎朝の通勤途中、感じること。バスの運転手の降りるときの一言。これがあるかないか、運転手のちょっとしたしぐさを見て、事前に想像します。読んで、今日は言ってくれる人?そうでない人?中には気持ちよすぎるくらい、ありがとうございます。といってくださる運転手、中にはこちらがどうもといっても、何一つ言いたくない雰囲気をかもし出す運転手。毎日楽しくないだろうなー。不幸だなー。何故バス会社は、そんな不幸な人間を沢山つくるのか。バス会社の社長はアホですね。自分さえ儲ければいいのか!偉そうなことを言っても、そうやって不幸な人間をつくる会社は沢山ありますよ。運転手の責任ではなく、会社の責任ですよね。今日は、朝の通勤散歩コースを変えまして、バスどおりを。そのとおりは、同じ警備員さんが、毎朝たって、子供の通学道に車が入らないように見張ってくれています。この方がすごい!毎朝、おはようございます、いってらっしゃい、と大きな声で笑顔でこえ掛けてくれます。最高ですね。毎朝、プレゼントを持っていきたい気分になります。今度、みかん狩りにいったら必ずもっていこう。この人、幸せそうです。人生の深みを感じます。別に、挨拶しなくても、お金は変わらないはず。もしかしたら、警備員のふりをしてボランティアでやっておられるのかもしれない。自分の心次第です。相手の心も照らされ、自分も幸せになるはず。私もこんなおじさんになりたい。そして、こんなおじさんとお酒を酌み交わしたい。
2003.11.04
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昨日、連休を利用して急遽九州へ。子供がスペースワールドへ行きたがったので。妹が福岡におり、家内の実家が熊本にあり、それをあてにしていざ九州へ。関門海峡をわたり、九州に入ったとたん、血が騒ぎ始めた。本来日帰りの予定であったが、博多にとまって、熊本まで行くことにした。熊本では3時間ぐらいしか時間が無かったが、あちらの方便がまた楽しい。なんだかエネルギーをもらって帰った。普通、5時間も運転すると疲れるものですが、今回は全く疲れ知らず。旅はいいですねー。しかも遠いところは。私、広島にいるんですが、近場へ旅行はラクなんですが刺激がないですね。九州便を聞きながら、ラーメンを食べ、玄界灘の魚を食べ(そこね)、海を見て、阿蘇山を(見れず)いろんな元気を頂いたような気がします。帰りの車中にて、いろんな発想が膨らんできました。すぐにチャレンジしますよ。一回きりの人生、好きなことやって、倒れるもよし、自分の感覚を信じて、やりたいことをやって生きていくパワーが再燃しました。是非、皆さんも旅しましょう。忙しい経営者さま、会社にいても閃きはありません。行き詰ったら思い切って、九州へ!いろんなところでいろんな人が生きている。あー、今度は海外へ行きたくなった。面倒くさがりの私が今年は、旅に目覚めた。
2003.11.03
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