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ナイル川クルーズ 6日目 アブシンベル・ナセル湖クルーズ
早朝:朝日に輝くアブシンベル神殿へ
昨日の午後は、アブシンベル神殿を十分見学したが、今朝は、
日の出に輝く神殿を訪れて、別の姿を楽しめ、心ゆくまで贅沢に
満喫。
午前: 世界遺産ヌビア遺跡群のカスル・イプリーム
ダムの建設で、引越を余儀なくされた、ヌビア遺跡群だが、
唯一つだけ元の場所に屹立するのが、カスル・イブリーム。
アブシンベルの北方40km、カスル・イブリームは穏やかな
ナセル湖の中の島に立つ城趾(QASR、カスル、なぜか発音
は英語のcastle似?)として現れる。
もともと、ヌビア統治の要塞として、かなりの高台に設置された出城
だが、平地や涸れ谷が水没し、いまでは島の要塞のような風体を
示す。
ハイダムが出来る前には、この地のイシス女神の信仰と共に、「アス
ワンのイシス・フィラエ神殿」に対する「南のフィラエ」と称され、巡礼地
として信仰者から敬われていた所。
現在は遺跡を水辺から眺めるだけだが、石ブロックと日乾レンガが
散乱、倒れそうなアーチが見られ、その廃墟からは、かつての栄華
を想像することは困難である。
かつては、イシス祈願のために、たくさんの老若男女の巡礼者が、
頂上の神殿を目指した姿を、「 瞼を閉じれば 」、覗うことも出来よう。
ローマ帝国がキリスト教を政治の道具に使ったため、イシス信仰は、
対岸のエジプトでは強い圧力を受けた。
しかし、この遠くヌビア地区までくると、圧力は薄まり、かなり遅くまで
信仰は残り、逆に、イシス女神信仰がキリスト教に影響を与えて、シン
ボルやモチーフに取り込まれている。
ヌビア地区の聖地は、イシス信仰、キリスト教、(後日ではイスラム教)
などにうまく利用され、その痕跡が残っているのだ。
ちなみに、ローマ皇帝テオドシウス大帝は帝国内のすべての古代
神殿を閉鎖し、キリスト教一色にしようとしたが、フィラエ神殿は抵抗
して、この地域周辺の宗教の自由は1世紀近く保証され、東ローマ
帝国のユスティニアヌス大帝が550年にすべての神殿を閉鎖するま
で、しぶとく生き残っている。
午後: アマダ神殿
アマーダにある神殿はヌビア遺跡の中では最も古く、トトメス3世、
アメンヘテプ2世、トトメス4世という3人の王の建設によるもので、
内部のレリーフが部分的だが「色つき」できれいに残っている。
ハイダムの建設に際して、移転を余儀なくされたが、解体するの
でなく、元の形のまま、鉄道輸送で移されたものである。
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