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めいてい君 @ 日本の純資産~過去最大の純資産で円建てでは世界最大 [東京 28日 ロイター] - 財務省は2…

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Dec 17, 2012
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カテゴリ: オセアニア州

日付変更線に密着、日の出が世界一早い首都あり。

「International Date line Hotel」

国民の肥満度 56% とCIAに出ているが、国王は

身長1.9m、体重100kg超と大きい。

国民は王族、貴族、平民の3つの身分に分別。

身分の変更は基本的に認められず。

伝統的に親日的。経済・技術協力が増大し,両国関係

が一層緊密化。

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日付変更線はこの国は弄らず、正当である。

けれども、いろいろと弄っている国がある。

「日付」や「身分」など人間の都合で決められるものは、

時により変化するのが当然かも知れない。

山登りで、天空に昇り、「人の上に立つ」ことは、他人

には迷惑がかからないので良いものだけれど、人間

の都合での「政治的変更」は傍迷惑であり、選挙で

堂々巡りするしかない。

今回の国政選挙では、マニフェストで公言していない

政策を国家のために先行させた政党への「独裁危機

意識」、隣国のあからさまな侵略予行圧力などを受け

ての「愛国心高揚」から、劇的な政権交代が起きた。

隣国の極端な動きは、ありがたいもので国政が引き

締まる。

ただ、自国の安定化のために、隣国を言葉で攻める

のは国際的に公正FAIRとは言えないだろう。

地球世界が一つになる時代は、他の宇宙から未確認

物体が襲来するときまで待つしかないかも知れない。

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 トンガ王国

  略史<資料出所:外務省、WIKIPEDIAなど>

年月

略史

先住民時代

考古学的な証拠で、最初の植民者は、サンタ・クルーズ諸島から船で渡来。6000年前頃から、東南アジアのオーストロネシア語を話す人々の祖先(ラピタ人)がポリネシアへ移住。2800 - 2750年前の独特のラピタ式土器が出土し、ポリネシアで一番古い遺跡。人類学者は、トンガ、サモアとフィジーをポリネシア文化・文明発祥地と評する。12世紀には、トンガ人、トンガ大酋長は太平洋中に知れ渡り、トンガ帝国とさえ言及される。15世紀と17世紀には、内戦が勃発。

1616年

オランダ人の探検家ヤン・ハウステン、ヤコブ・メールが最北部のニウアトプタプ島近海に到達、トンガ側は双胴船で航海中で直接接触無し。1643年に英国人サミュエル・ウォリスがトンガタプ島(現首都のある島)に来航。

1773年

及び、1774年、1777年にジェームズ・クックが来航、王でないことを知らずに、封建領主に友好的扱いを受けてリフカ島(ハアパイ諸島)をフレンドリー島と命名。最初のロンドン伝道教会の宣教師は1797年の来航だが社会的混乱があり布教に失敗、メソジストの宣教師は1826年の来航。

1845年

各諸島に王権をもった3者のうち、若き戦士、戦略家、雄弁家であるタウファアフ・トゥポウが、ポリネシア人王国として統一。首長の称号のTu'i Kanokupoluを持つが、ジョージ・トゥポウ(ツポウ Tupou)1世の名前でプロテスタントの洗礼を受けた。王はキリスト教( メソジスト )を広げる聖戦という形でトンガ全体を1852年に武力平定。1853年から隣国フィジーを植民地化せんと企てたが、米国、英国、NZ,独の干渉もあり、1867年にフィジー立憲王国が成立してフィジーから撤退した。

1875年

英通訳シャーリー・ベーカーをトンガ王国顧問に迎え、民法、憲法を作製した。隣国サモアを支配下に置いた独が1876年艦隊を派遣して友好条約を迫り、トンガの石炭貯蔵設備の利用権利を得たことに驚いた英国が同様の条約を1879年に結んだ。ベーカーはトンガの国益を主張したため、1880年に英国の圧力で豪州に召還される。しかし、ベーカーは独と通じて、軍艦でトンガに戻る。トゥポウ1世はベーカーを首相、外相に任命。ベーカーは法律改正を行うも、英国の権益を損ねて、1887年暗殺未遂事件を招来。

1900年

<英国の保護領>

ジョージ・トゥポウ2世はイギリスと友好条約を締結、トンガは 英保護領 となり外交権を失う。

1941年

英との関係は安定しており、1941年に始まった太平洋戦争では、トンガは連合国(英)軍の一員として参戦、 ソロモン諸島を占領した日本軍と戦った 。第二次世界大戦中にはNZ軍と米軍の拠点となったが、基地として固定化することはなく、大戦後には撤退している。1958年、英との友好条約によってトンガの自治が確立する。1968年の条約により、保護領として留まりながら、さらに権利が拡大した。1965年、タウファアハウ・トゥポウ4世が王となる。

1970年6月4日

英国より独立。イギリス連邦に加盟 。1972年、トンガの権益を侵す動きが露呈する。トンガの南西480 kmの無人島テレキトケラウ島、テレキトンガ島をミネルバ共和国として独立させ、タックス・ヘイブンとして利用する、首謀者は英と米の合弁会社。これを防ぐため、トンガは2島の領有権を主張、合弁企業の策動を防ぐことに成功した。

1987年、トンガ議会で初めて野党が一般議席の多数派となるが、トンガ議会には王自身や世襲貴族も議席を擁するため、ファタフェヒ・トゥイペレハヶ王子(タウファアフ・トゥポウ4世の弟)が首相に就任。1990年の選挙でも反政府派が一般議席の多数派となったが、やはり議会全体を押えるには至っていない。

1991年日本の無償資金協力によって建設中のファアモツ国際空港のターミナルビルが完成。同年、ファタフェヒ・トゥイペレハケ王子が首相辞任。

1999年には国際連合に加盟。

植民地化の力に晒されても、現地人による統治を失わなかったことが、太平洋島嶼国では珍しく、プライドを与えている。

2000年1月

バエア首相(当時)が辞任し,国王トゥポウ四世(当時)が自身の三男ウルカララ王子(当時外相)を首相に任命

2002年3月

総選挙では,首都のあるトンダカプ島で民主化推進派が人民代表の全議席を獲得。

2005年3月

総選挙後,初めて人民代表議員が閣僚に任命さる。また,王室の特権的立場への不満を背景に,5月に民主化グループによるデモが実施され、また,7月には公務員給与引き上げを端とする6週間の全国規模公務員ゼネストが実施され、首相等の辞任,全国会議員の普通選挙選出及び全閣僚を国会議員すること等の要求があり,国民の中に民主化支持が高まる<トンガ動乱>

2006年2月

ウルカララ首相(タウファアハウ・トゥポウ4世の三男)が辞任,3月末トンガ史上初の平民代表・セベレ首相代行が首相就任。7月5日夜、米合衆国で元首相ファタフェヒ・トゥイペレハケ王子夫妻と王室関係者が乗る車が激突され、王子夫妻、運転手、ほか同乗の2名の王室関係者が死亡。9月タウファアハウ・トゥポウ4世が89歳で死去。第1王子のツポウトア皇太子が王位を継承(ジョージ・トゥポウ5世)。

11月には政治改革要求に端を発した暴動(死者7名)が起き、トゥポウ5世が戒厳令発令、鎮圧のため豪州、NZ軍派遣要請(年末には帰国)。2007年4月戒厳令一部解除。首都では継続(~2012年現在も)。

2008年

憲法,選挙制度の改革に向け検討を開始。8月、動乱により延期されていたジョージ・トゥポウ5世の戴冠式を挙行。

2010年

憲法及び選挙制度改革法案が可決,11月の総選挙から人民代表議員の定数が9名から17名に増加(貴族代表議員の定員は変わらず),人民代表議員選挙では民主改革派が大勝。総選挙後,新政治制度が導入され,12月には トゥイバカノ貴族代表 議員が 国会で初めて選出された首相 に就任

2012年3月

ジョージ・トゥポウ5世死去。トゥポウトア・ラバカ王太子(前述の元首相ウルカララ王子)が アホエイツ・トゥポウ6世として即位

(トンガ その2 に続く)





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Last updated  Feb 22, 2013 11:04:44 PM
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