Erumo's  diary~

Erumo's diary~

幼い頃~小学校



私が小学校5年生の初夏、私の唯一の理解者だった祖母が病気で亡くなり

そして1ヶ月前祖母が亡くなった後生まれてきて一緒に成長していった

愛猫もなくなり・・・。今の家族構成となりました

私が幸せだったと感じれるのは妹が生まれる3歳までのような

気がします。多分その間が一番愛されていた・・そう思いたい

そうでありたい自分がいます。

妹は小さい頃から普通の子より成長が遅くそれはだんだん年齢を追う毎に

明らかになってきました歩行の遅れ言葉の遅れそして話しかけても

理解できてない・・妹が幼稚園に入る頃、知的障害児として認められました

なので、母親は私が抱っこして欲しい、いっぱいお話したい

そんな物心が付いた頃、妹の事での周りからのプレッシャーからか

ヒステリックになっていたように感じます私が「抱っこ~」と

抱き付いていったとき「嫌だ」と拒否された事「お母さんはerumoなんか嫌い」

そう言われた事ホントに幼い頃の事だけど今でも鮮明に覚えています

その心の傷は今も癒されないまま・・。

今、大人になって冷静に考える事ができるようになり、母の当時の

大変さは私の想像を超える以上に辛かったのだろうと思う事は出来ますが

だからと言ってどうしても気持ち的に許す事ができないのです。

小学生から中学生にかけて学校へあまり通った事がありません

小学校2年生の頃からいじめ(金銭の要求物を隠されそして言葉の暴力)が始まりました

妹が、入学すると他の学年の人たちからも妹の事でからかわれたり

色々、陰口を叩かれたり学校と言う場所がますます辛い所になりました

この事は、未だに親には話したことはありません言える雰囲気でもないのです。。

そして、学校へ行こうとすると腹痛が起きたり頭痛がしたり熱が出たり(ホントに痛いんです今思えば心身症ですね)

そして教室へ入る事ができなくなり職員室の隣にあるOA機器などが置いてある

狭い部屋に机とかがあったのですが、そこへ通う事になりました

その部屋で過ごした日々は意外にも楽しかったです。授業の時意外

の普段の先生達を垣間見る事ができいろんな先生が空いてる時間に

勉強を教えてくれたり学生時代の楽しかった話を聞かせてくれたり

お菓子をくれたりちょっと得した感じでした・・。良いのやら悪いのやら

そんな良い事ばかりではもちろんありません

教室へ行く事を強制されもしたし大号泣して「嫌だ!」と泣き叫んでる私を

引っ張って教室へ連れて行かれたこともあります

そして、5年生位からは保健室登校へと変わりました保健の先生は

とても優しく無理な強制をせず、たまに促す程度で理解のある先生で

よき相談相手でしたいまでも先生にはとても感謝しています。

ただ小学生の頃で一番強烈に残っている事は小学校高学年のときある子に「あんたなんか死んでしまえ」

その暴言を言われた時のこと・・。そして担任からは「何が嫌なの?先生がいけないの?クラスの子とか誰か何か言うの?」

と言い詰め寄られた事が保健室登校も出来ない決定的な出来事となりました

その頃から自殺を考え始め

手首を切ったり首を吊ってみたり実際には死ぬ事はできなかったけど

なので今生きてる訳だけど。。親も知らない位こっそりやってた事なので、死ぬほどの事はしなかった

でもその当時は幼さからかこれで死ねるそう思っていたんですね

これから先、生きていく事への辛さ

将来的なことへの不安が付き纏うようになりました。

学校の勉強の遅れは家庭教師で補っていました

家の母は教育ママみたいな所があり幼い頃は幼児英才教育セットなるものが

あったり家庭教師を付けることも「塾か家庭教師どっちかで勉強しなさい」

そう言われ「家庭教師が良い」と言った事で家庭教師の先生が付いて勉強していました

親からしたら期待するのが私だけという事があったのかもしれないですが

「あなたには医者になれるくらいのお金をつぎ込んできたのに結局・・」

と言い放たれた事もあるくらいで。。(いくらなんでも医者は無理だと思うが)

でも、家庭教師の先生をつけてくれたことには感謝しています

家庭教師で来てくれていた先生達は今でも私にとって良き相談相手の

お姉さんですから。

そんな将来への不安を抱き、そしてとても辛い日々を過ごしながら

小学校を卒業しました



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