マイペース~☆★☆★

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編入学へいたるまで



高校生の頃、漠然と四大へ行くものだと思っていた私。幼いなりにいろいろ考えたし、いろいろ探した。経営とか経済に興味があって、たぶん自分に向いてるだろうなぁとか思ってそれなりの学校を探して目標にして受験勉強していました。

高3の夏、予備校へ通い、すごいおもしろい先生に出会ったりしていくうちに、ふと1冊の本が目に入り読んだのが心理学系の本でした。それからすっかり心理学にはまってしまい、心理学を専攻したいって気持ちは高まっていきました。
専攻が変わったのはいいのだけれど、社会情勢が変化して四大卒の女子の就職率の悪化が心配になって、いっそのこと短大に行こうと決めました。親にはさんざん反対されて喧嘩の毎日だったけど、幼い私は漠然と自分はOLになるって思っていたから、そのためには短大のほうが早いと思っていました。事実、私の年で四大卒の女子は求人率が悪かったから正しかったのだけれど・・・・

就職してお茶汲みから始まり、たくさん仕事を覚えて社会人としてそれなりの生活を送っていたのですが、会社がとってもとっても忙しくなって、夜中の2時や3時、徹夜の日々もあって、身も心もくたくたになって、辞めたいって思ったとき(親は夜中まで働かせる会社を早く辞めさせたかった)、「やりたいことじゃないから辛いんだ」と気づきました。辞めたのは体がもたなかったことと親が怒っていることと自分が辛いことが理由です。

就職時は9時から5時辺りで帰宅できました。しかし会社自体がだんだんと変な方向へ向かい、心では「No!」と叫んでいたのに、言えなかったし行動できなかった(日本的なサラリーウーマン)。
従属していると、どんどん忙しくなってしまい、やたらとサービス残業が増え、夕食もなく、夜中まで働いたり徹夜を繰り返した。休日出勤や持ち帰りも当然であった。
どの企業でもあると思うが、私が思うには私の会社での残業に至るには、低レベルな事がどっさりと絡みついてくるものであった(役員たちの様々な自己賞賛を求めるものや威厳を形として表すものといった仕事、個人の社会的栄光を自然にではなく機械的に作らせるとか、一部の人たちだけの独裁的な方向性だった)。
最高潮に残業の日々を送っていた頃には、自分でも気づいていたなんとなく「洗脳」された、職員全員が頭がおかしくなっている状態が続いた。
そういうわけで、最高潮の頃、表面的に私は仕事で朝から家を出て夜中にタクシーで帰宅する(自腹)という状態であるので、親は私の体を心配するとともに、労働基準法に違反しているということで、怒りの矛先は役員へ向けられた。弁護士たてたり・・・私は間にはさまれて苦しかった。私が辞めたらみんながもっと大変になるとか色々と考えた。でも、身も心も疲れているのは事実であった。
結局、退職願を提出しても「今だけだから」とかいう根拠もない理由で受理してもらえなかった。役員へ直談判にもいったが、口では「申し訳ない」とか言っていたが、心からではない言葉であった。受理されたのは父が弁護士をたて動こうとしてからだ。どこでどのように回ったのか、世間は狭いと実感したのだが、役員の耳に弁護士が動いていることが入ったようで、やっと受理された。

体を壊しても会社は責任など取ってくれないと考えたり、やっと入った後輩になるべく苦労かけたくなくてすごく細やかな引継書を作成したり、私が辞めることで先輩たちの仕事量を増やしてしまうから悪いなぁと感じたりした。

でも、自分にとって賃金が目的ではない職業とは何か?と問うきっかけになったわけだし、就職して身体的につらい思いをしたのは、自己を向上させる良い機会だったと思っている。
そんな混乱した状態だったので、役員は己の身の危険を感じて仕方なく退職を受理した状態だった。「職員に大変な仕事を作ってしまった」とか、「最高責任者は自分であるので悪かった」とか、口先だけで言っていた。そして、そのまま退職の日が到来して退職した。


辞めると決めてから、何だったら自分は一生懸命やっても相当な賃金を払ってもらえなくても頑張れるんだろうとずっと考えました。マズローの「自己実現」だ!それから、好きだった心理を再度勉強したいととりあえず思い、退職後に某予備校「大学院入試対策講座」に入りました。

しかし、心理学を再度勉強していくうちに、「自己実現」なのか「自我同一性の拡散」なのかわからなくなってしまった私がいました。今思うとどちらも該当すると思います。

漠然と”四大に行く”ことと”OLになること”は、自分の頭で考えた結果ではなかったからです。

大学院入試については、法律によると、学校基本法?で、高卒&短卒でも院入試の事前審査に合格すれば大学院へ行けるそうです。しかし、現実はあまくありませんでした。母校の大学院を受験しても失敗。それでも、試行錯誤しながら勉強していきました。

本当にやりたいことなのか、臨床心理士。臨床心理士の置かれる状況のデメリットやメリットなどを比較検討して、毎日毎日考えました。

ある日あることがきっかけで、あまりにも自分は臨床心理士だけにこだわりすぎていることに気づいて、「もっと視野を広げよう」そう感じた瞬間から、軽くなり、スイスイと事が運び、ある大学への編入への合格の道が開けたのです。

退職してから半年あまりで院入試、一年強で編入入試、そして私は編入することになりました。福祉・心理・教育を基本とする学校です。

はじめから編入試験を受けていたら、きっと不合格だったでしょう。院入試を失敗したからこそ、自分に時間を与え、自分の頭で、自分の足で、人生を決める事ができたのだと思います。マズローの欲求階層の一番上「自己実現」だと思います。
私は、臨床心理士はまだまだなれるような人間性を持ち合わせてはいません。しかし、やはりセラピスト・療法系へ進みたい気持ちは変わりません。

心理・福祉は今日の日本では切り離されて考えられていますが、私は、自分が死んだ後でもいいけど、医療・福祉・心理が一体となる日本を夢見ています。

そう考えると自分は何ができるか?心理学も福祉も医療も勉強して「何もかもが中途半端なやつだ」から「多彩だね」と言われるような人間になりたいです。

教育は全てに関わるので、教育も大事!

だから、たくさんいろんな事を鵜呑みにするわけでもなく、批判するわけでもなく、新しい形を作りたいです。

そんなわけで、人間科学の福祉に籍を置き、心理学的知見や教育学的視点で福祉の状況を見極め研究することになりました。(4月から通う先生はいい顔してないけど)


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