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宮古島に移住して
久松五勇士の地
天気がいいので、ぶらりとドライブに出かけました。
自宅から平良市街地を抜けて、特別あてもなく隣の久松地区へ。
ここ久松地区は、まだまだ昔からの習慣やしきたりなども色濃く残っています。
平良ではほとんど見なくなった赤瓦の家も散見されます。
集落の中を通ると、自動車一台通るのが精一杯という道幅で、入り組んでいます。
そんな集落からほんの少し離れた西側に漁港があります。
海と島と、木々の緑と砂浜の白とのコントラストがきれいだったので、無意識のうちに堤防へ向かって散歩していました。
何気なく振り返って見た漁港の海面が、 一面の青
です。
撮った写真の中央に気になる物があったので、アップでもう一度撮影。
なぜか、ギリシャ神殿風の建物が漁港に向かって建っています。
凝った外観でひときわ目立っていましたが、何かの公共施設でもなさそうです
更に目一杯アップにしてみると、一番上に力強い5人の男性が浮き彫りにされているのが見えてきました。
漁港と隣接した場所に「久松五勇士顕彰碑」があります。
(長さ10mもない小さな船をかたどってあります)
御存じの方も多いと思いますが、
日露戦争末期、ヨーロッパから大西洋・インド洋・マラッカ海峡を通ってロシア最大の艦隊であるバルチック艦隊が来襲。
はるかに海軍力が劣る日本軍は、バルチック艦隊が「いつ・どのルート」で来るのか分からず、苦悩していました。
というのも、バルチック艦隊が入港予定のウラジオストックへのルートが、対馬沖から日本海ルートと津軽海峡から日本海ルートの2つ考えられたのです。
両方のルートに待ち伏せして急襲するほどの艦船を日本は持っていませんでした。
そんな中、一番最初にバルチック艦隊を目撃したのが宮古島・久松地区の漁師たちでした。
荒れる海の中を、小さな漁船(上の顕彰碑の船)で電信設備のあった石垣に向かって100Kmをこぎ続け、ついに「ロシア艦隊発見せり」という電報発信に寄与したのです。
この情報を基に、対馬海峡へ戦艦を集中させた日本艦隊が奇跡の勝利を収めたのは有名です。
そんな名もない漁師たちの勇気と行動を今も地区の人たちは大切に思っています。
歴史を変える事となった5名が、どんな思いと決意で荒海に船を乗り出したのか。
その思いを想像しながら、帰路に着きました。
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