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ここ3日間くらい、怒りとか喜びの感情について日記に書いています。人によっては、感情があることで苦しんでいる人もいるだろうし、逆に、感情があるからこそ、人らしいって思う人もいると思います。詳しい話は省きますが、爬虫類に感情はあるのでしょうか?動きを見ていると、何かが接近すると、威嚇するか逃げるかですね。人の感情で考えてみると、怒ると怖がるになるでしょうか。少し大きい動物や、サルなどの比較的人に近い動物を考えてみると、最近感情がある、ということがわかってきましたね。最近のテレビで、象がいつまでもかわいがってくれた人のことを覚えている、というドキュメントがあったり、白熊が人に育てられる時の愛着についてテレビで放映されていました。ここでの感情は、感謝するといった感じや、うれしいかった思い出などの記憶などだと思います。この感情は、虫にあるものではありません。では、この感情はどうして生まれてきて、なぜ必要なのでしょう。ここで、人について考えてみたいと思います。動物で考えると、人の出産の数って少ないですね。だから、大切に育てないと種の保存が出来なくなります。人は、生まれてくると最初は自力で動けないほど未熟です。そんな赤ちゃんを見て、親は純粋に喜びます。この喜びの感情を赤ちゃんが受け取ることで、感情というものが赤ちゃんの脳の中をビビビッと走り抜けます。バーってあやしてあげると、手や足が反応しますね。赤ちゃんがうれしいと思って笑うかどうかは別にして、ニコッとしますね。そんな風にして、喜びの感情というものを体得し、それが将来必要なものである、ということを赤ちゃんは認識します。それとともに、脳の中では、神経がどんどん結びついて、喜ぶという感情が強化されていきます。そんなやり取りを通して、自然に笑ったりという感情が確立していきます。そういう過程が親との間で少なかったりすると、どういう状態になるかはご想像の通りだと思います。最初の一年くらいで、こんなことが赤ちゃんの脳の中では進行しているのですね。
2006年01月31日
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昨日の日記で、怒りと喜びとどっちが感情として出しやすいのかな?ということを少し書いてみました。自分のことで考えてみると、やはり怒りの感情がすっとイメージに出てきます。あの時、あのことで怒ってしまったなーとかですね。喜びの方が、出した感じもあいまいで、イメージを思い出すのにも少し時間がかかります。脳について少し見てみると、怒りの感情って比較的動物的な部分の脳なんですね。怒りがあることが、生きていく上でより必要なのだと言うことだと思います。そこで怒れなければ、逃げる・・・すなわち恐怖も同じ部分にあるということになります。だから、人間として生きていく時に、怒りや恐怖が常にあるということは、より動物的な部分で反応して生きているということになります。いつも緊張していて、常に外側からの圧力に敏感で、攻撃的になってしまう。最近のこどもに、こんな様子って重なってきそうです。喜びはどうでしょうか?喜びは、生きる上でどんな役割をしているのでしょう?喜びはどちらかと言うと、動物的というよりは、より洗練された脳で扱われる感情です。喜びを表すことで、人間関係をより良好に保つことはあるかもしれませんね。そのことによって、理性的で論理的な思考も育つそうです。そういうことを見ていくと、小さなことにでも喜びを感じることが出来る、ということは、より理性的に物事を考える支えとなるということです。単純に怒ってばかりいると、論理的になんて考えている前に手が出てしまうかもしれませんね。自分に向かって書いてみました。
2006年01月30日
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人が持っている感情って、国により表現の差はあるけれど、そんなに大差ないですね。陰陽五行にある感情と言うのは、怒り、喜び、悲しみ、恐れがあり、そして、そんなことを思慮する、というものを合わせて、5つとなっています。こんな感情のうち、みなさんがよく出している感情ってどれですか?最近街を歩いていて、よく出くわす感情、これは怒りです。車が渋滞していて、交差点でふらふらしていると、後ろから罵声が飛びます。いきなり怒鳴り声が聞こえたと思って、びっくりして振り返ると、携帯に向かって誰かが怒っています。数年前、前の仕事をしていた時、私はいつも怒っていました。仕事柄やむおえないということもありましたが、だんだんそれが常になり、自分でも何に怒っているのかさえわかってなかったかもしれません。反対に、喜ぶ姿ってあんまりみないですね。テレビなんかで、何かに挑戦して結果を出した時の、喜びの姿を見ることはありますね。試しに、自分でどっちの感情がすぐ出てきやすいか考えてみました。怒りが早いですね。ぱっと怒っているイメージが出てきました。喜ぶイメージも出てくるんですけど、何か現実味がない感じがしました。今の自分がどんな生活をしているか、これでよくわかります。だからと言って、自分がいつも怒っているわけでもなく、むしろ心が落ち着いている感じが多い。けれど、いったん自分に怒りの状態が近づくと、すぐ火がついてしまうんですね。必要な感情だから、その時に出てきているのだと思うけれど、何か怒ってばかりだと、物事って進みにくいですね。バランスよくいきたいなって思いました。
2006年01月29日
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知らぬ間に、自分が思ったり感じたりすることって出来上がっていて、気がついたら、自分の性格が出来上がっている感じがします。いろんな環境で、変わっていく部分もあると思いますが、何かPCでいくとハードディスクみたいな感じでしょうか・・・やっぱり、それは、人それぞれで、人間関係なんかに悩むと、自分の性格がいけないんだ、変えたいなんて思うことがしょうっちゅうあるのかもしれません。中には、まったく逆の人なんかもいたりします。そんな人は、自分が大好きになれるはずですね。いずれにしても、性格って、そのままであっても、それ自体にはなんだ問題はないのだと思います。問題は、何か自分が変わりたいとか、こうなればいいのにと思った時に、初めて自分の中で登場してきます。自分が持っている性格が、いろんな人間関係の中で常に表に出ていると、ほんと嫌になったりします。この状態では、自分でその事実を見ているのですが、そこで変えようと本当に思えば、自分で何かを始めればいいのですね。それでも、そこで悩みはするものの、次第に忘れていったりします。そして、またある時に同じことにぶつかってしまいます。そして、また同じように過ごしてしまいます。一見すると、本当につらい事実ではあっても、結果的に事実を見逃している自分をどうみているんでしょうか。そこには、実は変えたいと思う自分と、変わりたくない自分がいて、変えたいと思っていても、実は変える必要がないと思っているから、そのままいたりするのかもしれないです。大事なのは、そのときの自分をしっかり見つめることなのかなって思います。生きていく上で、こんなことが常に自分で見ていられるようになると、なりたい自分にどんどん近づいていくような気がしました。
2006年01月28日
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自分にぴったりの靴、これがあれば、毎日歩いているだけで健康かもしれない。できれば裸足で歩きたいなー、なんて思ったりもします。それくらい、健康と歩く、ということは密接につながっているということが、今日改めてわかりました。それというのも、ある方が来られて、足の不調を言われました。細かくいろんなことを聞いていると、どうやら靴が悪いかもしれない、ということがわかりました。そこで、タッチフォーヘルス健康法を使って調整してみました。筋肉のテストをして、思ったように動いていない筋肉をすべて調整したのです。そして、靴を履いてしばらく歩いてもらいました。すると、調整した筋肉が元に戻ってしまっていました。あきらかに、靴によってからだの状態が変わってしまったような感じがしたので、足の底についているインソールを特別なものに変えてみました。そして、もう一度タッチフォーヘルスで調整して、そして同じように靴を履いて歩いてもらいました。すると、今度は変化がありませんでした。あまり意識していない人もいる靴。これって、健康を維持する上でとてもだいじかもしれませんね。専門に靴を作ってもらうのが一番いいのかもしれませんが、いろんなことを考えて、現状の靴で歩いている方も多いと思います。いろんなやり方がありますから、靴には是非意識を持ってみてはいかがでしょう。インソールで調整するという方法もありますので、気になった方は、メールでお知らせください。
2006年01月27日
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昨年の目標だった100キロ水泳が、わずかながら叶わなかったこともあり、今年はさらに20キロ増やしてがんばろう・・・と今水泳に一生懸命取り組んでいます。泳いでいる時は、きつくなってくるとひたすら耐えてるんですけど、余裕があると何かを考えていて、気のせいか脳がさえてる感じがするのです。運動の仕方が、はいはいに似ていたりするので、脳が活性化するのかもしれないなと思いました。そこでふと、動きが似ているジョギングもしてみようかな、と気軽に1回走ってみました。たった5分くらい走ったところで、息があがってしまいました・・・(なさけないよ)あまりになさけない自分のからだに愕然。水泳をしていたので、少しはいけると思っていただけにショックも大きかった。いかに脳が考える自分の体力と、実際が違うかを思い知らされました。それで、そこからスイッチが入ってしまって、時間が空いていると、用意がなくても走るようになりました。走り始めてみると、これまた忘れていた感情(走っていて気持ちがいいとか走り終えた後の爽快感)などが思い出されて、それはいい刺激になります。過去の記憶があまりよくない場合は、そうはならないのかもしれないけど、はっきりいってこの感覚って忘れていました。面白いことに、からだもすっきりするし心もすっきりするんですね。何時も走っている人は、当たり前の感覚なのかもしれないけど、とっても新鮮な感覚です。本当はもっと長く出来るといいんですけど、とりあえず15分くらいが今の自分にはいい感じです。ストレスを感じた時とかにもいいかもしれないですね。
2006年01月26日
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ここ最近脳ブームが続いていますね。脳に関するテレビ番組や、脳をトレーニングする商品もたくさんでています。聞くところよると、感情のコントロールに関する商品もでているとか。脳活性化のための、と聞くとついつい自分もどうかな?なんて思ってしまいます。基準が決められると、どうしてもそこと比べてしまいがちですが、人間ってそんな簡単に動いているものではないし、まあ手軽に出来る方法もあるしなーなんて思っています。聞くとなんだそんなこと?と思いますが、刺激があって脳は活性化されるので、あらゆる所でいろんな新しい動きをしてみるとおもしろいかも。○いつもの通勤方法を変えてみる。○階段を後ろから上がってみる。○山に入っていろんな音を聞く。臭いを嗅ぐ。○1日テレビを見ない。パソコンをしない。○空気を感じてみる気がつくと限りなく同じ事を繰り返し、安心している脳がいますね。刺激がなければ活性化しないのですが、脳は勘違いやごまかしがとても得意なようで、ともすれば怠けることを推奨しているとすら思います。使わなければしぼんでしまう筋肉みたいな感じでしょうか。人にもタイプがあるので、一概にはくくれませんね。それでも、自分がこうしたいと思ったときに、そうできるかどうか?というのは過去の経験や体験に左右されてくるので、そう考えると、日頃からいろんな刺激を脳に送っておくことは必要なのかなと思いました。
2006年01月25日
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何かストレスを感じた時に、それがプラスの意味を持つこともたまにはあるかもしれません。人によっては、ストレスがたくさんあればあるほど、勇気が出てくる人もいるかもしれません。けれども、だいたいの場合において、ある出来事から感じるストレスは、あまり自分にとっては良くない感じを持つ、ということが常であると思います。そんなストレスが重なっていくと、忘れたり考え方の転換をすることで、何とかしのいでいた心に、次第に重くのしかかったりしてきます。重なっていくにつれて、考え方そのものが、自分にとってストレスになってきたりすることもあったりするかもしれません。何でいつも自分はこういう風に考えるのだろう?といった感じですね。そもそも、ストレスだと感じた時に、1つ1つ完結できていれば、なんの問題もないのかもしれません。ストレスだと感じていても、それをほったらかしにしていると、ゴミのようにだんだん溜まってきます。そして、ついにはそれが普通であるかのような錯覚を起こしたりすると、今度はなくなることで不安になったりします。最初は、どういう自分が心地いいのかさえ忘れてしまいますね。私自身がしている、1日の最後に、こんな癖をつけてみることを提案してみますね。まず1日の出来事を思い出します。プラスだったことはおいといて、自分にとってマイナスの感情をもったものを出してみます。そして、そのことの始末の方法を自分で考えて見ます。自分の手をおでこに当てて思ってみましょう。自由な発想で、自分のマイナスの感情を川に流したり、箱に詰め込んだりしてみましょう。燃やすのもいいかもしれませんね。そうやって、毎日の出来事にまず向き合うことからスタートします。思うことがだんだんおもしろくなってくると、しめたものです。
2006年01月24日
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またまた福岡はぐっと気温が下がり、23日は、昼に雪が降ってまいりました。こんなの1波どころか、まだまだ寒さの波は絶え間ない感じもします。寒いので、繁華街に人はいないかと言うと、そんなことはあるはずもなく、また薄着の方もいて仰天してしまいます。寒さで固まってしまいそうなくらいなのに・・・すごい。そういえば若かった頃、外のプールで泳いでいた頃がありました。(水は温水なのだけれど、屋外プール)外気温と水温のあまりの差で、ずっと霧がかかった状態でした。練習で猛烈に練習していつもなら汗だらだらのはずなのに、上がった瞬間すぐ駆け出さないと、止まったら最後からだが動かなくなってしまうイメージを思い浮かべました。まあそれは置いといて、繁華街を歩いている時の喉の感じは、海の魚の群れ(風邪の菌)に網を張った状態(喉の感じ)に近い感覚があります。気のせいかもしれませんが、風邪要因がたくさんありそう。そんな風に思いながら歩いていると、食べ物を扱うお店で、食べ物を作っている人が、マスクなしでゴホンゴホンしているのを見かけました。おいおいとつっこみたくなります。休めない事情があるのかはわからないですが、それを見てしまうと、なんだかあまり良い気分ではないなー。自分の目から思うことは、自分にもあるかもしれません。どんなことでも、そうやって自分に返してみると気がつくこともあるなーと思いました。それにしても喉のいがいがが・・・うがいうがいっと
2006年01月23日
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自分の仕事場のイメージを形にしたくて、それでも自分には絵を描く才能がないので、以前知人に絵を1枚描いてもらいました。自分の仕事場にあって、何か自分の心が落ち着かない時にいつも見ています。絵を見ることで、自分の心に何かが起こるなんて、少し前には考えもしなかったことですが、最近妙に絵が気になったりしています。そういえば、昨年九州国立博物館に行った時に、気になった絵の前に行くと、意識が止まったように見ている姿になっている自分に気がつきました。まるで何かにからだを貼り付けられたような感覚になっていました。見えない力なんてありえない、という考え方もありますが、自分になかった不思議な変化や、何があるかわからない現実を目の当たりにすると、著名人が唱えているいろんな不思議にもついつい目を向けてしまいます。これが、描いてもらった絵です。
2006年01月22日
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こどものころって、「~しちゃだめでしょ」って怒られた経験が誰にでもあると思うんです。こどもだから、何で悪いのかなんてわからないから、何回も同じことをしてしまって、その度に「何回言ったらわかるの?」ってまた怒られてしまいます。何年もたつと、毎日の生活の中でだんだんとしちゃいけないんだな、ってことがわかってきて、なんとなく善悪の感覚がわかってくるんでしょうか。だから、周りの大人によって、ある部分の善悪の基準が違ったりなんかもしますね。だから、学校のような集団生活の部分で、こども自身が部分修正をしていくのかもしれません。これは、人間関係の中ではじめて生まれていくものなので、関係が疎遠であれば、もちろん善悪の考え方もずれたままになると思います。ところで、善悪って2つに分けられるものなんでしょうか?社会のいろいろなところで、身の回りに起こっていることを話しているのは、どんなことでしょうか?あれって良くないよね! 最悪! どう思う? いいと思わん?という善悪のかけあわせがたくさん行われています。自分自身が良い、悪いと思っても、周りが違うと進むことが止まっちゃったりするので、あわせなきゃいけないですよね。それともそのまま突っ走りますか?そして、その会話には終わりはなく、きっと一生を通じて行われていきます。永遠に善悪なんて決められないこともあるんですね。きっと、人ってそんなこともわかっているのかもしれません。それでも、善悪の会話を続けていきます。そんなことを考えていると、こどもの内に教えるべき善悪の判断、というよりも、そのことをどう思うか?というこどもの考え方を通して、会話したほうが、そのこどもにとって役に立つ気もします。考えられるから思い悩むものですね。
2006年01月21日
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私は福岡で、タッチフォーヘルスという健康法の、インストラクターをしております。タッチフォーヘルスについては日本タッチフォーヘルス協会のHPをご覧ください。こちらでも説明しています。タッチフォーヘルスにって何だろう?どんなものなのか?と聞かれると、それなりに説明は出来るのですが、体験していただくのが一番かな?と思っています。先日も一応説明をしてみたのですが、体験した方がいい、という話になって、実際にやってみました。最初は、自分のからだの反応に、???ばかり浮かんでいたようですが、足のように大きな筋肉がある部分を見てみた時、さすがに自分の足の状態が、思ったのと違ったことに気がつき、びっくりされていました。自分のからだがこう動いているはずだ、というその動きが違っていたら、怪我や事故の危険が必然的に増えてきます。(歩いていたらつまずいてこけた、とか)そんな状態は、心の状態ともしっかりつながっていて、その証拠に、緊張した時に胃が痛くなったり、とかいう経験がある方もいると思います。心の状態で、からだの筋肉に変化があれば、ストレスを受けると肩がこったり、腰が痛くなったりすることがあるということになります。なんかからだの調子がおかしい?と思っていても、そのままにしていたりすると、脳はそのことに反応しなくなったりします。その信号はいろんな形でされるので、その人が気がつかないと、いよいよになるまでわかないことが起こったりします。頑丈なようでも、やはり自分がちゃんと気がついてあげないと、ベストの状態で、仕事も勉強もできなくなってしまいます。じぶんのからだに常に意識を向けておくことは、とても大事なことだと思います。
2006年01月20日
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2日前から、自分が体験した捻挫について、感じたこと思ったことを書いています。最初は、1回で終わりのつもりだったのですが、日が経つにつれて。いろんなことが起こっているので、ここに書いておこうかなって思いました。捻挫をしてから3日目に、突然消えていた痛みが再発しました。すると、最初に捻挫した時に出てきたような、からだの感じがまた発生しました。1回目では、これは捻挫のせいで出てきたもの?と思っていたことが、証明できたような感じです。症状は、全て関節近くで起こっているもののようです。左足首の捻挫なのですが、膝は右足が痛くなるんですね。首の重みとボーっとした感じは、右左関係なく起こっています。お腹から上は、なにかものが通っていないような停滞感も感じました。捻挫は時間がかかると言われているので、これからどうなっていくんだろう?と少々不安な気持ちもありますが、自分の状態を冷静に見ていける生きた教材?みたいで、ちょっとうれしいかな?調子に乗らず、順調に回復させていきたいなと思います。
2006年01月19日
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昨日の日記でも少し触れたのですが、改めて気がついたことを、今日は書こうかなって思います。人って気がついたら、立って普通に歩いているので、普通に立っている事に何の疑問も持ったりしません。障害を持ったり、怪我をしたりして、立てなくなったときに、ふと立つことや歩くことについて意識が向きます。立っていることも意識しないので、自分がどんな姿勢でどんな歩き方であるいているか、なんてことも、だいたいの方は意識がないと思います。姿勢が悪い、なんて言われたり、自分がなにげなく鏡を見てふと気がつくなんてことはあるかもしれませんね。意識が向かないということは、脳をある意味ボケさせるのかもしれません。これが人間の持っている適応能力と言えば、良い感じにとれるかもしれませんが、このことでいろんな部分に負担がかかるのは事実です。事実私が捻挫をして、以前は気がつかなかったあることに気がつきました。それは、捻挫をした瞬間に、頭痛が始りました。そして、からだのいたるところに違和感を感じ、そして歩いていてもなにかぎこちなくなりました。そのときの筋肉の変化や、からだの変化を敏感に感じることが出来ました。動きとしては以前と同じですが、そのことでからだがどんな変化をしたか、ということに気がついたことが自分の中で大発見でした。こんな気づきがあると、日常のちょっとしたからだ(筋肉)の変化に気がつくようになるので、病気や怪我の予防になります。何気なくしている行動の変化に気がつくことで、その後の自分の状態を見るいい機会が生まれるかもしれません。
2006年01月18日
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自分のような人ってけっこういるんだろうか?というのは、実はまた捻挫をしてしまいました。さぞかし激しい運動をしていたのか、というのもそうではないんです。単純にサッカーのドリブルをしていたら、重心のかけかたがまずかったみたいです。その後、足がボールに巻き込まれ、グギッという音がしたかのような、鈍い感覚が訪れました。前回同じことをして、まあ大丈夫だろう、とほっておいたら、無残にも腫上がってしまった。それから、普通に歩けるまでの長かったこと・・・そんな教訓があって、今回はすぐ処置。これは、自分でもびっくりするほど迅速でした。まあお陰さまで、前回よりは比較できないほど状態が良いです。さて、自分のような人、これはどういうことかというと、若い時のからだと同じと勘違いしてしまう人間のことです。頭ではほどほどに動かないと、と思っているのに、ついエキサイトしてしまうとそのことなんかすっかりどこかに行ってしまいます。そして、まだいける・・・などと根拠のない妄想をして、運動を続けてしまうのです。挙句の果ての結果がこれ・・・学びのない人間だー、と少々悲しい気持ちです。しかし、かつて思ったように動けていた頃を思い出し、同じように動けるなんて錯覚を起こしてしまうのは、まだ若いのかな?まあ、心の状態もそうだけど、からだの状態もしっかりつかんでおかないと、こんな目にあってしまいますね。あと10分準備運動を増やすことにしよう。
2006年01月17日
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整顔なんて言葉がありますね。筋肉のイメージってからだにはあると思うんですけど、どうやら顔とからだは切り離されているみたいで、顔の筋肉ってイメージつかない・・・なんていう方もいらっしゃるんじゃないでしょうか?からだの場合は、左右差があったりしても、服を着ればそんなに目立つものでないかもしれません。顔は、マスクをしない限りは見えていますから、顔にある筋肉が硬直してくれば、それは顔の表情に直接出てきます。肩こり、と言えば、大抵の方はイメージできると思いますが、顔こり、なんて言っても「そんなのあるの?」なんて話になるかもしれません。自分の顔は、鏡などで見ていると、毎日の変化がわかったりすると思います。男性よりは女性の方のほうが気づくことが圧倒的に多いですね。肩こりで肩が痛くなるように、顔の場合は化粧の感じが違う、といった形で考えてもらうと、顔の状態がわかると思います。からだは違和感や痛みで、顔は視覚で変化を見つけることが出来ます。顔の大事なところは、人とコミュニケーションをとる時の、サポートをするという点です。笑う時に引きつれば、伝えたかったことと違った印象や内容を伝えてしまうかもしれません。常に伝えたい表情が豊かに出来ることに越したことはありません。それに加えて、脳からの神経が、からだに伝わる中継地点でもあります。それを上手く伝えるために、ある生理現象がありますね。あくびです。それでは、今日のエクササイズは、これを使って出来るエクササイズをご紹介します。これはとっても簡単。実際にあくびをしながらでもいいし、自分であくびをしている感じをイメージし、フアーッと言いながら手でマッサージをします。マッサージをする場所は、頬の上の方に指でたどっていくと骨の部分にたどり着きます。その頬骨のすぐ下辺りから、骨沿いに耳の下あたりまでを、くるくると指を回しながらほぐれていることをイメージしましょう。リラックスして、何回か繰り返します。上手くいけば、顔の動きがとってもよくなっていることに気がつきますよ。やりやすいところで、ちょこっとやってみてください。
2006年01月16日
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過去に書いたことがあったかもしれないですけど、かなり前なので、今日はこんなエクササイズをご紹介しようかなって思います。あんまり時間が取れない方にはもってこい。仕事の合間に、ちょっと抜け出してやってみてはどうでしょうか?5分もかかんないです。仕事によっては、肩こりがセットになってついてくるものもありますね。からだは、普通寝ると元に戻るようになっているんです。けれども、年齢や、いろんなストレス要因によって、だんだん疲労が蓄積していく感じを、からだで体感されているんじゃないでしょうか?最近は、小学生でも肩こりで毎日きつい、なんて言っているこどももいるそうです・・・あれれそれではエクササイズの手順を・・・っとその前に、準備としてお水をぐびぐび飲んでください。それから深呼吸を何回かしてみましょう。1 まっすぐ立って、どちらかの腕をまっすぐ上に挙げて見ましょう。2 もう一方の手で、挙げた手の手首を持ちます。3 手首を持っている手で、挙げた手を前に押し、挙げ立ては、前に押し出 されないようにその場で動かされないようにします。その状態で5秒く らい双方の押し合いを続けます。4 3の手順で、前、後ろ、右、左、と4方向で押し合いをしてみて下さ い。そして、終わったら腕を変えてやってみます。呼吸をしながら、動かす時にやりやすいように調整してみましょう。方向によっては、力加減が全く違ったりして、自分の腕の力具合がみれたりしますね。する前後で、からだの状態を確認しておいて、違いを感じてみてください。やり続けると面白い結果が出てきますよ。
2006年01月15日
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TVって、皆さん毎日どのくらい見ていますか?自分のことを考えてみると、一時期ほとんど見ていないときもありました。現在は、2時間くらいでしょうか。それに加えて、パソコンをしている時間がありますので、けっこう目に負担かけていると思います。人間の目は、3次元のものを見るようにできているので、本やパソコン、テレビのような2次元のものを見ると、通常よりストレスがかかります。仕事で関わっていれば、そのストレスも加わって、目にかかる負担は相当なものになると思います。疲れたら自然に休もうとするのが心とからだですが、仕事となるとそうもいかないですね。それでも、人間のからだは相当なストレスに耐えることが出来るみたいで、痛みが出てきたり、しびれたりするというのは、本当に限界に近くなってから出てくると思ってもいいのかもしれません。それでは、人間のからだって鈍感なのかな?なんて思ってしまうかもしれませんが、そうではありません。この前、テレビを見ている時に、ふと首を左右に回旋させてみました。すると90度行かないうちに止まってしまいました。そこで、首のエクササイズをしてみました。1 目線の高さに腕を上げ、親指を立てる。2 親指を立てた腕を、横8の字に回し、首を動かさないように目でその動 いている指を追う。(中心を通る時は下から上に腕が動くようにする)3 片腕3~5周したら、反対の腕でもやり、最後に両腕を組んでやってみ る。この間数分。そして首を動かすと、120度くらいまですっと回旋できました。その状態でテレビをまた見てみました。すると、一瞬で首が回らなくなってしまいました。そこで、テレビを見るのを止めて見ました。すると元に戻りました。体の反応って一瞬なんですね。一度試してみてください。使えそうなら、自分のメンテナンスに使ってください。
2006年01月14日
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テレビでは、毎日いろんな情報が発信され、それが自分たちの生活や、その他いろんなことに役に立つことってあります。文学のことであったり、芸能のことであったり、健康のことであったり・・・。各分野では、その分野に秀でた人たちが、いろんなものやことを発明し、私たちに還元してくれます。また、もうちょっと自分たちの身近な部分で考えてみると、それと同じようなことが同じように繰り返されています。例えば、地域であったちょっとした情報や役に立つお知らせは、近所の人によっていろんな形で伝えられます。ごく少人数のグループでもいろんな情報が行きかい、それが役に立ったりしますね。役に立つ情報や、自分が、なるほどと思ったことは、すっと自分の心にはいってきます。ただ、これだけ情報が氾濫し、いろんなものを通して無限に手に入れることが出来る状況では、必ずしも自分に必要な情報ばかりではないのかもしれません。何を信じていけばいいんだ???なんて状態になったりする可能性は、みなさんの心の中に、ふと大きな影を落としていくのかもしれません。昔のように情報がほとんどない時代には、家族とご近所さんがすべてで、それによって絶大な信頼関係ができていったことでしょう。ところが、現在では、そういう状態になることは少ないかもしれません。情報がたくさんあるということだから、それ自体は、私たちにとって有益であるはずです。問題はそこからです。その情報から、何を誰が選ぶか、ということです。誰かがこれは正しい、と言えばそれを信じるのでしょうか?その場合は、それが違った場合、人間不信に陥ったりするかもしれません。たとえそれが、著名な人であったとしても、100パーセント絶対である保障は何もありません。あるいは、言われるままに誰かの指示に従いますか?いやいや、その選択の前に、まず自分がどう思うか、ということを大切にしていますか?それは、自分が決定したことに責任を持つということになります。誰かの選択に従って、また自分で選択して、それが違っていたら、そのことを批判する、ということでは、なんだか自分を責め続けているように感じます。自分がどう思うか、に重きを置くことで、自然と自分を大切にするということができていくのかもしれません。
2006年01月13日
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周りには、風邪で苦しんでいる人が増えてきているように思います。年末休んで、仕事始めに風邪を引いている方もいて、免疫低下の人に向かって、風邪菌もインフルエンザ菌も容赦なく襲ってきますね。人が呼吸する時は、普通鼻を使います。当たり前のことのようで、最近はそうでもないようなのですね。それは、街を歩いている人の口の状態を見ているとわかります。口を閉めていても、からだの状態で、寝ているときには口を開いているなー、と推測できる人もいます。けっこう多いんです。鼻がする加湿とばい菌除去の役目を、口にさせたらどんなことが起こるでしょう・・・喉が仕事過剰でオーバーヒートしてしまいます。鼻は鼻の仕事、口は口の仕事としていることで、とりあえずはバランスが取れるのです。そのことを考えてみると、通常の健康な状態でいたとしても、口で呼吸する人は、いろんなばい菌にやられやすいということは、容易に推測できると思います。起きているときは、ちゃんと閉めているんだけれども、寝ているときはどうなっているかわからない、という感じの人もいると思います。ある1つの目安としては、起きてうがいをした時に喉にどんな感じがするかで、おおよそ見当をつけてみてください。家族がいれば、寝ているときに見ていてもらってもいいかもしれません。ちなみに寝ているときに閉めるようにしたい、と思われた場合は、専用のテープを使って、矯正していくこともできます。目覚めよい朝を迎えましょう!
2006年01月12日
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昨日の日記の続きです。只今3歳くらいまでの、乳幼児の子育てに関わっておられる方に知って欲しいことを書いています。生まれてからの様々な活動のヒントにしていただければ、と思います。人の脳のつくりを考えてみましょう。5感で生きていけるとすれば、それ以外の脳は存在しなくてもいいはずです。確かに、それだけの脳で存在している動物がいますね。ところが、進化の過程で、それだけの脳に加わった脳があります。そこには、感情というものや、理性というものが入っていました。そして、考えて行動したり、予測して動いたり、他者とコミュニケーションをとったり、といろんなことができるようになりました。それでは、ここから何がわかるのだろう?それは、5感をしっかりと発達させないと、その後の脳がしっかりと発達していかないということなのだろう。そうだとすると、いかに小さい時に、その5感を発達させるのか!ということが、その後のこどもの人間としての活動にとって重要な課題となるということだ。感情を持って、人とコミュニケーションをとり、考えて行動できるその生活力は、5感という元がいかに発達しているか、が鍵となってくる。人は、生まれながらにして、外界から得た情報を3次元的に組み合わせ、統合する練習を繰り返すことによって、複雑な思考や感情をやがて理解し、発達させることが出来るようになっていくのだ。赤ちゃんの時に本能的に出ている感情とは、違う質のものだ。そこで、生まれてきた赤ちゃんの環境を、もう一度考えてみることにしよう。人は動物なので、動物としての5感は自然の中で育まれるということだ。自分の家の中を考えてみると、どうしても自然にあるというのには程遠いものがある。それは・・・・・2次元の中で動いているもの。そうそう、TVとPCなのだ。これを長時間受け入れるだけのシステムは、実は人間には入っていないのだ。大人ですら相当な疲労を要するものなのに、これが、生まれたばかりの動物に受け入れられるか、というとなかなか厳しいかもしれない。それでも人間は、なんとかしてそれを受け入れようとしてきた。その結果が少しずつ今のこども達にでてきていることは、みんな知っていることであると思う。これをどう考えてもらうかは、人それぞれだと思う。これが人の進む道なら、きっとそれを受け入れる脳が必ず登場してくるのだろう。もうすでにあるのかもしれない。ただ今の現状を考えると、どうなんだろう?あるがままを受け止めて、それでも何かの方向へ進んでいくことになると思う。それでも川の流れのように、発展的に進んでいくようにしていきたいなと思った。
2006年01月11日
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自然で遊ばせることって、こどもにとってなんで大事なんだろう?教育現場では、自然体験学習ということで、キャンプがあったり、登山があったり、遠足があったりしています。保育園や幼稚園でも、それに似た体験行事はたくさんあります。昔は、少々危険が考えられるようなことでも、行事として存在していたりしましたが、最近は、実際にどんな内容で行われているんでしょう?ところで、それよりもっと小さい年齢のこどもって、自然を体験する機会ってあるんでしょうか?きっと大昔なら、少しはいはいしたら、無限の自然が広がっていて、思う存分自然を体感したことでしょう。砂をなめ草を食べ、川に落ちたりいろんな動物の危険にさらされながら生きたのでしょう。そんな状態の時には、5感がどんどん発達して、ある程度の年齢になると、生きていくためのからだができあがっていったはずです。現在では、そんな状態になることはまずないので、必然的に昔のように5感は発達しないにしても、それでも赤ちゃんはテレビに反応し、落ちているものを食べ、いろんな形で感覚を育んでいますね。それでは、そういうプロセスはどうして必要なのかなって疑問が出てきます。もちろん、それぞれに役割があって、味わう、見る、匂う、触る、聴くということは生きていく上でとても大事な感覚です。でも果たしてそれだけなのかな?
2006年01月10日
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無邪気に遊んでいるうちは、あんまりわからないことも、かけっこの競争があったり、サッカーなどをしたりしているうちに、段々と自分のレベルを知ります。これって、机上では学べないことで、体験を通して体感していくものです。このことを私も昔から感じていて、なんとなく自分って、人よりなんかするのに時間かかるなー、って思っていました。だから、すばやい動きがあるようなスポーツとか、細かい作業とかは、人よりものすごく時間をかけて、やっと追いついていた記憶があります。そして、時間がないことがわかると、ものすごく雑になったり、適当になってしまって先生に指摘されたりしていた。美術なんかだと、人のするのをじっと見ていて、どうしているのか真似しようとするんだけど、どうにもできなくて、時間切れーみたいな感じだった。でも時間が限りなくあって、自分の好きに出来ると、下手ではあっても自信があるものが出来上がっていたし、スポーツにしてもそれなりに出来るようにはなっていたかも。学習障害という言葉が言われている世の中だけれども、昔の自分もそれに当てはまっていたかもしれないなーと思った。そんなことって、きっと小さい頃の生活経験(自然の中で生きるという人間本来の動き)が少なかったんだろうなー。これってすごく大事みたいです。
2006年01月09日
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いろんなこどもたちと関わっていると、日々楽しいことばかりでなかったりもします。最近のこどもは、何か言うと別に・・・とか、どうでもいい、とか言ったりして一見選択を任せているかのように感じることがあります。ところがその部分を越えて、もう少し突っ込んだ質問や話し込みをしていこうとすると、突然切れてしまったり、逃げようとします。その時に出てくる言葉で、「お前に言われる筋合いはない」というフレーズがあります。親がこどもに何かを言っているときでも、これに似たことを言われたりして、かーっと逆上しそうになった方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。ようするにあなたには関係ないでしょ、ということなんだと思います。親だと今まで育ててきて、関係ない、なんていわれること自体心外なことです。とっても大目に見て、自分がしたことは自分が責任取るんだから、大丈夫だ、という心強いメッセージと受け止めてあげる、というのはあまりにもつらいことでしょうか。そう言っているこどもは、実はとても見られていることを意識しているかもしれないな、と思うのです。そうされたい思いが募るが故に出てくる言葉だったら、言葉もきついものになって当然のように思います。言われて気持ちいいものではないけれど、その言葉の裏にあるものに触れるために、時には突っ込んでいくことも必要なのかな。壁が高くなりすぎたら今度はなかなか突っ込めなくなるかもしれないもんね。やっぱり人は見ているし、見られたいし、見て欲しいんじゃないだろうか。子供も大人も。
2006年01月08日
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小さい頃から将来は~なりたいなーなんて思っていても、実際はいろんなことが重なって断念したり、思っていたものと違う、なんてことがあったりするうちに、あるところにおさまってしまう。それが必要なら、それでいいんだと思うけど、生きているうちに段々と苦しくなっていくのなら、そこでどうしたいのかが問われてくる。それでいいんだ、と思えずにズルズルいったら、このストレス社会におぼれてしまって、なかには精神的に参ってしまう人もいる。キーワードは、自分がどうしたいか、だ。何を言っても、言い訳をしても、それは結局は自分が決定したことだ。嫌だ嫌だと言っていても、そこに自分が必要なものがあったとしたら、いればいいのだと思う。納得できなければ、出来るまで話せばいい。だめなら降りればいい。したいことをするということは、一見とてもわがままに感じるかもしれないが、それは勝手に生きるということではないと思う。生き方を選択して、そのことに責任を持って生きるということだと思う。だから、自由に生きるってことは、本当はとても大変なことだ。どういう生き方をするかは自分次第だから、組織に入る人も自由に生きる人も、自分で決定したはず。つらいときに、それを忘れてしまうと、どんどん苦しくなってしまう。決めたのは自分。誰の責任でもない。
2006年01月07日
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年末になると、今年度のベスト10、といった総括がいたる分野でされています。なんとなくどんなのだったのかな?と想像しながら時事通信社の昨年度のベスト10?ニュースを見てみました。人のよって見方が違うし、ニュースはあくまでも客観的なものなので、いじりようがないのかもしれないけど、残念なニュースばかりだった1年だったという感じがします。1位は小泉自民党の圧勝。そして、福知山線の事故、耐震偽装疑惑と続いて4位はライブドアの株ニュース、そしてアスベスト、株の高騰となって、7位にようやく名古屋万博の大成功のニュースが来ていました。8位には、靖国参拝のニュース、そして9位には女児殺害や少年の凶行のニュース、そして10位に紀宮様のご結婚となっていました。ここで自分のベストテンを考えて出してみることにしました。1位 タッチフォーヘルス創始者ジョンシーに会うため渡米2位 仕事場の転居3位 水泳100キロ達成ならず4位 オンサセミナー、タッチフォーヘルスセミナーの開催5位 バイク故障6位 仕事が3つに増える7位 仕事の方向性に戸惑う8位 家事に大忙し9位 仕事で遠征10位 原因不明のデキモノこれは完全な主観なので、第3者から見ていたら、順位付けは変わってしまうかもしれません。全体的には小さい残念と大きなハッピーの1年だったでしょうか。みなさんのベスト10ニュースはどうだったですか?1年の印象を聞かれると、よかったなーなんて思っていても、よく考えてみると、あーいろいろあったなーなんて改めて私自身は実感しています。
2006年01月06日
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昨年の忘年会からの帰り道、寒いなーと思っていたら、飴をもらったことを思い出しました。包み紙から飴を取り出し、おいしいなーなんて思いつつ酔っぱらっていたのか、包み紙をぽいっと捨ててしまいました。しばらく歩いていて、ふと我に返りました。あれ?紙どこに捨てたんだろうって・・・急いで戻ってみたんですが、紙などあるはずもなく、そこにあったのはただただしまったという罪悪感。単純に紙捨てたぐらいで、なんて思えばなんてことないのですが、しばらくそのことをひきずっておりました。その感じとは、自分の寝ているところに泥水をかけた感じ。ある時からこんな感覚になりました。不思議なことなのです。お墓のこともそうだし・・・ゴミはゴミなのだけれども、言葉ではゴミでもものがあること自体は、人もゴミも同じ。むしろ人の方がいろんなものを出しているので、生きているだけで汚いのかもしれない。それだったら、せめて周りが少しでも綺麗になるようにしたいなと思った。ものの思い方で変われるのだったら、簡単に変われるのだと思うけど、ついついやってしまうこと、思うたびに変えていきたいな・・・
2006年01月05日
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年末年始で時間が少しあったので、新聞をいつもより細かく読むことが出来ました。いつもそれなりには読んでいるんですが、きっと良い記事を見逃していたかもしれないな・・・と思うほどおもしろいことがたくさん書かれていました。その中でびっくりしたのが、(自分が知らなかっただけかもしれない)水の量。量というのが、地球上にある水の量のことです。水という液体で考えると、いろんな形で水分は地球上に存在する(海、氷河など)ので、それを全部と考えて想像して下さい。直径1メートルのボールが地球だとします。すると、上で言った水の量というのは、ビールの大瓶一本くらいなんだそうです。自分たちが日頃想像できる広大な海のことを考えてみると、あれがたったのビール瓶一本?って感じなのです。さらに、自分たちが飲み水なに使っている生活用水に至っては、スポイドから垂れ落ちる一滴だとか・・・地球を1メートルの球体と考えると、一滴の水が、地球上に住んでいるすべての人の水だということなのです。使い切ってしまえばそれで終わり、という感じですが、実際は、その一滴がいろんな方法で再利用されたり、川となって私たちの所へ戻ってきてくれます。記事の中では、それを地球の温暖化のことと合わせて語られていましたが、それはいかに私たちが自然の一員であるか、を問いかけられている気がしました。寒い冬ではありますが、温暖化に拍車をかけない生活をしようと改めて思いました。
2006年01月04日
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1年間仕事をしていて、それこそ休みはあるけれど、年末のように何日か休むなんて事は普通ない。これは、仕事をし始めてから毎年経験したことなので、毎年同じように過ぎ去っていたはずであった。ところが、今年は違った感じが明らかにあった。それは、いつもより動かないでいると、からだがだんだん固まってくるような感じがしたのである。どんな感じかというと、血液が循環していなくて、息苦しい感じがあるはずないのに、からだの全てが息苦しいのです。肩が段々凝ってくる感じが前進にある感じ?なんかいろんな言い方が出来るんだけど、とにかく休んでいる気がしなかった。そこで、外に出て気を晴らすことにした。すると、なぜだかからだは段々元の感じに戻っていった。これは今までの正月には感じなかったことだ。単純に年だからだろうか・・・1年の疲れを全て出し切ったのかもしれないし、なんだかよくわからない3日間だった。ちなみに今年くらい動かない日は今年が初めてだったので、それもあるのかもしれない。動くことも体力を使うけど、動かないこともまたある意味体力を使うのかもしれないな・・・
2006年01月03日
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戌 Λ_____∧年 │´・ ・`│〓 │〓 Ω 〓│┌─┴∪───∪┴┐│ 〓Å〓 ││ 〓Ηαρρч〓 ││ 〓Йёш〓 ││ 〓Чёαγ〓 ││ ││今年もょろしくぉ││願ぃします〓〓 ││ ││2006年 〓││ 元旦 〓│└───○─○──┘ こんな年賀状を頂きました。人の目って点だけだとただの点だけれど、それがだんだん集まって、何かをあらわすものになるとちゃんとそれを見分けることが出来ます。 それが人の顔だと、とくに明確に見分けることができるそうですね。だから、1つだと何の変哲もない棒だったり点だったりするんだけど、集まってくると、 心温まる絵に早がわり。昨年の某ドラマでも、それが随所に出ていて、人の心をほっと温かくしてくれました。そんなことを思いながら、年賀状を眺めていると、絵だけでもそうですが、文字にもそんなことがあるのかもしれない、と思ったりもしました。この前にも日記に書いたのですが、文字を見ることでほっとしたり、なんてこともあるのかもしれないなって感じです。それは意味ではなく文字自体でもありそうな気がします。そこにはもちろん、送ってくれた人のバックグラウンドが入っているのだと思います。念頭から、とても心が温かくなりますね。
2006年01月02日
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新年明けましておめでとうございます。そうは言っても、もう1日目は終わりに近づいております。そんな風にして、今年1年が過ぎていかないように、今年はどんな年にしたいかな?と昨年に引き続きいろいろと考えています。1日ずっと家にいると、それはそれでやることもあるのですが、自分の中で考えることも多くなるみたいで、ふとしたときに何か考えています。そんなときにTVの番組で、干支と血液型と年齢?かなんかで今年の運勢を占う、なんて番組があったので、見ていました。すると、私の組み合わせでは、今年は全ての組み合わせ中10位とでていました。かなり高順位でびっくり。まあすべては自分がどう動くかだと思うので、今年は昨年よりさらに良い年になるようにがんばらないと!と思っています。ちなみにTVでは、この年末に、勇気という言葉がたくさん出ていたような気がしました。動くときには、必ず勇気がいると思うので、ひょっとすると自分で何かしようと言う思いがあって、その言葉が妙にひっかかったのかもしれません。みなさんの1年が、良い年になりますように!
2006年01月01日
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