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前回の日記があまりにもいい加減になってしまい、改めてもう一度書くことにしました。人間、感情的になると、日頃抑えていることや、詰まっている思いがどばっとでてきますね。そんな時に理性的に、とか冷静になんていっても、なかなか・・。お酒が入ったときなんかは、その加速度たるや、ベンジョンソンもびっくりでしょう・・・あとになってよく考えてみると、なんであの時こうなってしまったんだろう、とただ後悔する経験も数限りなくあります。みなさんはどうですか?いっそのこと感情なんてなかったら、失敗しなくて済んだのに、なんて恋愛のドタバタを反省したり・・・でも感情がなければ、人間としての知性や洞察は発達しない、という運命を人はそれぞれ持っています。喜怒哀楽の経験をすればするほど、人としての思いやりや、気持ちの共感、他己中心的な考え(自己中心の反対)を脳は発達させます。人は1人では生きていけませんから、そのための感情表出は欠かせないもので、もし感情を上手く出せない人がいれば、生きていくことすら大変になってしまうかもしれません。最初は、人前でぷんぷん怒りながら、やがて経験によってそれでは人とのつき合いが上手くいかないことを知り、感情から人とのつき合い方を習得していく部分は大きいと思います。(最近は、感情を出さないか、感情を爆発させてそのままというのが増えている)現在のこどもたちが持つ、根本的な問題の大きな根っこの部分ですね。ちなみに感情表出は、右(ゲシュタルト脳)で、理性的な判断が左(論理脳)なので、感情的になっているときは、脳がバランスを失ってしまいます。これを続けると、癖のように脳がそれを正常と判断し、怒りっぱなしなんてことが起こってしまいます。いらいらの連鎖なんて経験をしたことのある人もいるのではないでしょうか。
2006年11月30日
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日記を書いていたら、どこかの指がどこかに当たって全部消えてしまったーーーーーーなんてことだ・・・こんなことがあるんだろうか・・・ちくしょー 現在書く気持ちがすっとんでしまいました。同じ経験したことある人いますか?
2006年11月29日
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人の振り見て我が振り直せ、という言葉がありますが、脳が自分のことを正確にわかっていなかったら、永遠に自分のことなんて見つめられないのかもしれないですね。でも、それより深刻なのは、そのことすら意識できていない人もいる、という現実です。ついさっきこんな会話を聞いてきました。会話の雰囲気だけ察してもらえたら、と思います。A「その件についてですが、先日~のようにして対応してきたのです。それで相手方と話したこと で誤解がずいぶん解けました。まだまだ、いろんな対応が必要になってくると思いますが、よ ろしくお願いします。必要かと思って、先方にこの紙を渡してきました。B その紙を見て・・・「これは渡すものではないですね」A 「一応参考になるかと思っておいてきたのですけど・・・B 「だから、私が言いたいのは、この紙は必要ない、ということ。」A 「・・・そうですか・・」職務上のやりとりが、こんな風にされているのを聞いていたのですが、信頼関係ができているのだろうな・・・と思う反面、人の話を全然聞いてないな、という印象を受けてしまいました。Aさんは、仕事のBさんが出て行った後、別の人にそのことを聞いてもらっていました。自分を全面に出すと、聞いて欲しいし話したいし、やりたいし認めて欲しいとなり、その欲は止まることを知りません。それで最期は猜疑心でいっぱいになり、自滅していった君主の話は数限りなくありますね。常に謙虚に、受け入れる気持ちを忘れないでいたい、と改めて思いました。
2006年11月28日
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季節もまさに冬を目前にして、毎日寒い日々が続いております。文明の力で、外は雪が降っていても、裸で過ごせるような環境さえ手に入れた私たち。きっと数千年前は、火とからだの暖かみで、冬を越していたのでは、とかつての人肌のありがたさを感じたくなる今日この頃です。普段は何気なく過ごしていますが、からだの中では常に熱が発生していて、それはいろんな形で発散されています。息となって出て行ったり、汗となって出て行ったり、寒いはずの部屋の中に、100人くらい人が入ると、熱気でムンムンしていて、人が熱を発生していることが実感できます。人の肌に触れると、いろんな反応が期待できます。まったく知らないところから突然触れてみると、ほとんどの人はビックリして肌がひきしまります。同じようなことは好ましくない人に触れられても起こりますね。反対に、触れて欲しい人に触れてもらうと、とても心地よくて、大好きな人に触れられているだけで心が安らいだりします。人に触れてもらって安らげる感じは、経験のある人ならイメージできると思いますが、自分自身でも、触れるだけで心が安らぐ感じがすることがありますよね。例えば手をおでこにあてたり、腕を組んだりなんて感じです。知らず知らずのうちに、自分で触れていたりなんかもします。触れるって、それだけで力が出たりもするので不思議ですね。
2006年11月27日
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今朝の新聞の記事を見て、なんだか日本もどんどんアメリカ的になっていくなー、と思い読んでいきました。合理的にするなら、徹底的にすればいいのに、日本の民族性は残っているものだから、なんだか見ていてとっても中途半端で、受け入れがたいものになってしまいます。スパっと切っていこうとすれば、それはちょっと人情がないんじゃないか?なんて文句が入り、このくらいでいいだろう、と発表すれば、被害者の心情を考えてないと横やりが入る。内容を見ていくと、いじめが発生した所に専門のチームを派遣すると書いてありました。これも、中途半端な感じです。いじめの発生件数全てを網羅するだけの専門家チームのキャパがあるのだろうか?と疑問に思います。そもそもいじめを起こした人間、と限定するのってできることなのだろうか?これは、記事にも載っていましたが、場面だけの対処になってしまうのではないか?と早くも批判の声をあげていました。確かに、いじめの起こる環境は、学校全体にあるという考え方もできるのです。それなら、極端な話全校停学、となってしまったりして、案外こどもは喜んでいたりなんかするのかもしれません。アメリカのように、別の機関が入ってケアをするみたいな、大胆なことができれば別だと思いますが・・・じゃあどうすればいいんだ?ということですが、これは先生に聞くのが一番いい、とやっぱり思います。内情は学校の先生が一番よく知っているからです。そして、指導のための様々な環境を整備することだと思います。教育は上から下、ではなく次元を増やさないと対応できないことだと思います。
2006年11月26日
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学校で、人のことを思いやれる人間になりなさい、と言われた人ってほとんどじゃないでしょうか?道徳で、学活で、人のことを考えて行動することは、当たり前のこととして書かれています。実際、病気でいるとき、困っている人がいるとき、大丈夫ですか?と声をかけるのは人として当たり前のことだと思います。それは、自分も同じ思いをして、助けられた経験があるなど、経験的に感じて出る言葉だと思います。そのことが、最近出来なくなっていると言われているのは、その人の経験が、行動に移せるほどの濃さではないからなのでしょうか。でも、それが薄さ濃さで行動に反映されるだけなら、単なるロボットのようになってしまいます。体験的学習で、学校では様々な活動が行われていますが、そこではこどもの姿は少し違っているそうです。場所と環境が違うことで、人間の脳の中で使うチャンネルが変わっているということでしょうか。本来だれでも、困っていたら助ける、という情報は人間の中に入っていると思います。そうでないと人間は、今まで生きてこられなかったと思うのです。では、その場所と環境が人間をどう変えてしまったのでしょう?そして思いやりはいつしか重い槍のような存在になっているのです。しかも心の中で・・・そんな人が増えている気がします。
2006年11月25日
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歴史の本など読んでいると、勝手な妄想をします。今現在から100年遡ると、1906年で時代は帝国主義の時代。空を飛んでいる人工物などほとんどなく、メディアなどはせいぜい新聞と本くらい。(無声映画はありましたね)徒弟制度がまだ残っていて、家族はもちろん父親君主。三度の食事は米で、おかしなどほとんどなかったのでしょう。万国博覧会なるものが世界で行われ、お伊勢参りなどは、さかんに行われていましたね。船の大きさが競われていた時代でもあります。なにより日本は、軍事国家への道をまっすぐ進んでいました。平均寿命は、このころ40そこそこくらいで、それで考えると、孫の顔を見れればラッキーといったところでしょうか?現在は、働き盛り真っ最中の年齢ですよね。さて、現在ですが、国民が中心の民主主義時代?!世界の移動は空を中心にするようになり、あわよくば宇宙に手がかかってきています。メディアは、光ファイバーをを使った大量通信時代になり、だれでもどこでも世界中の情報がすぐわかるようになりました。家族制度はほぼ崩壊し、父親君主も残りはわずかなのでしょうか?たまの家族旅行は海外に飛行機で、食事など全てが、便利で早く、親切というサービス業にゆだねている時代。その為、こどもは生気がなくなり、成人病が蔓延するという結果になっています。平均寿命は、100年前のほぼ倍。60代だとまだ若者と言われる時代。この後100年後はいったいどうなるでしょう?戦争の時代になるのでしょうか?それとも、便利さに拍車がかかり、人間は病魔に滅ぼされるのでしょうか?2050年には、人工は1億人を切り、労働者の人口も20%ほど減少するという報告がされています。今まで増え続けていたものが、これだけ一気に減ってしまうということが起これば、いかにテクノロジーの進歩があったとしても生産性は落ちてしまいます。今考えても、どうでもいいことかもしれませんが、子孫のためにできることを考えておく、という情報が、人間の中に組み込まれているのかも知れません。突然ふとこんなことをかんがえていたりするのです。
2006年11月24日
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第10回植村直己賞を受賞された、リヤカーマンこと永瀬 忠志さんの特番がテレビで放映されていました。アルバイトをしながら、旅行費を稼ぎ、30年間の世界での歩行距離が地球一周を超えるというまさに鉄人とも呼べる方です。大切なものの1つとして彼が言っていたもの、それは針と糸。なぜなら、からだにできたまめをそのままにしておくと痛いので、その処理のために必要だとか。特集で流れていたのは、アマゾンの危険地帯と言われるところでした。それは、彼が以前渡ろうとしたときに、危険だからと言われ、涙をのんで断念したマナウスという町からの900キロ。それをつないでしまわなければ心残りだ、と危険を承知でのチャレンジとなりました。ジャガーの恐怖と、50度を超える暑さにもめげず、それに立ち向かう彼の表情は、感動ものでした。そこに、地元の住民のさりげない優しさが、見ていて心が温まりました。旅は、本来、命をかけたつらいものである。人生をなぞらえたものである。しかし、それを実行するものは少ない。人生には必ず老いがやってくる。そして必ず歩けなくなるときがやってくるのだ。だから、その時までは歩き続けたい。これが背中で生き方を語るということなんだ、と心が熱くなりました。勇気をもらった一時となりました。
2006年11月23日
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「なんで生きているの?」知り合いの先生に、こんな質問を突然されました。唐突だったので、即答もできずじっくり考え込んでしまいました。すると、その先生は、今日の授業でそれをしたんだ、と言われました。同じ質問をされた生徒たちは、誰一人答えられる人がいなかったのだそうです。ところが、いつもはおしゃべりが多いこどもたちが、真剣に考えている姿に、ちょっと手応えを感じだとおっしゃっていました。テレビでも同じみの、スピリチュアルカウンセラーの江原さんは、最近の自殺の連鎖について、死んで楽になると思ったら大間違いだ、と言われています。私は、今生きているので、死んだときのことがわからないのですが、死んだときの思いは、決して消えることがないということはわかる感じがします。それでいくと、悔しい思いをして死んだら、その思いで永遠にくるしむことになるのです。ロングセラーで大人気だった寅さんシリーズで、どのバージョンだったか忘れましたが、寅さんが生きるってどういうことなのかなー?という問いに答えているシーンがありました。うる覚えの記憶ですが、その時の寅さんの台詞は、生きてりゃ少しくらい生きてて良かったと思うこともあるだろう?だから生きてるんだよ・・・と言ってたのを思い出しました。寅さんらしい答えだなーとその時思ったのですが、おそらくそういうことなんだろうって思いました。ちょっとした喜び、聞いて心にしみた音楽、言われて感動した言葉、おもわず見続けた景色、すべて生きていたからこそ感じることができたこと。そんな些細な喜びをエネルギーに、できるとしたら、幸せですよね。生きるってどういうこと?みなさんはどう思いますか?
2006年11月22日
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ダンスと言えば・・・イメージに出てくるのがダンス甲子園。ある年齢から上の人しか分からない伝説の番組の1コーナーでした。ここから山本太郎さんは、その後俳優に転身し、現在も活躍中ですね。ところで、ダンスのイメージって人によって全然違うと思いますが、みなさんのイメージってどんなのなんでしょうか?最近の若い人のイメージは、やっぱりヒップホップのような感じなのでしょうか?私が最初に出会ったダンスと名前が付くものは、フォークダンス。小学校の時に、男女で組んで練習し、体育大会の時に披露するものでした。こども心に手を繋ぐことなんかにわくわくして、毎度毎度の練習が楽しみだったことを思い出します。今はやっているのでしょうか?そして、またダンス復活の兆しがあるようです。この前、あるショッピングセンターに行ったのですが、そこではまだ、3,4才?くらいのこどもが見事なダンスを披露していました。踊り方があって決まったものを覚えていくのだと思いますが、その中でも個々の個性がでてきます。見ていてそう思ったのですが、それが心の発達にもとても+になっている感じがしました。お国柄で、人前でからだを使った表現をするなんてのはなかったと思うのですが、こういう傾向は国民性の変化の現れの感じもします。たぶん音を聞いたら踊り出すのって、本能から出る感情表現かもしれないですね。そういう意味で、小さいこどもが踊っているのが、とてもたくましく思えました。
2006年11月21日
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まだまだ続くいじめに関してのメディアの報道ですが、ようやく別の立場からの報道がされてきた、と少しほっとした気持ちでいます。それというのも、こどもが苦しいと訴えるイメージは、どうしてもされる側の感じだからです。まあ、当然と言えばそうなのですが、実際はアクションを起こしているこどもすべてに、なんだかの問題があり、苦しんでいるのはいじめを受けているこどもだけではないのです。いじめをする人間、される人間の構造の中には、常に不安定な人間関係が背後にあります。それは不安定な状態にあるこどもたち全体に、いじめが起こるお膳立てをしています。それは大人の世界でも同じだと思います。(仕事の中でのいじめもかなりありますよね)不安定な状態にあるこどもたちは、その状態を形にすることで心の安定を図ろうとするのです。これが、いじめの背景にあるものです。結局結論としては、いじめの解決をしようとしても、こどもの不安定な状態がかわらなければ、変わることがないのだと思います。新聞の記事があったので、ここに載せておきたいと思います。<いじめ>加害者からの相談も急増 いじめ自殺が社会問題化する中、各種機関への子どもたちや親からの相談が急増している。「どうしたら抜け出せるのか」など被害者からだけでなく、加害者側からの相談も目立ってきたという。電話やメールで子どもたちの世界に接してきた担当者からは「被害者と加害者が簡単に入れ替わる環境の中で子どもたちはストレスを抱えている」との指摘が出ている。【長野宏美】 ◇「本当はいじめをやめたい」…苦しい胸の内も 79年にトヨタ自動車の協力で開設された「トヨタ子ども110番」(東京都港区)では、この数カ月、いじめる子どもからの悩み相談が増えているという。 いじめる理由は「悪いと思うがやめられない」「相手が自分より弱いと思うと安心する」「以前いじめられた仕返し」など。「仲直りの仕方が分からない」と関係修復の方法を尋ねるケースもあるという。 相談業務をまとめる米沢琴江さんは「いじめている子は、怒られるのが怖くてなかなか誰にも相談しない」と話す。「じっくり話を聴き、自分を見つめさせること」を心掛けているという。 NPO法人「チャイルドライン支援センター」(東京都港区)では、いじめている子が「本当はいじめをやめたい」などと苦しい胸の内を訴える声がこの1、2年目立つという。 かつての「不幸の手紙」と似た「チェーンメール」で、いじめへの加担を強いられたという悩みも届いた。「あいつウザイ」とメールが回り、メールを次の子に送らないと、自分が攻撃対象になる。同センターの徳丸のり子常務理事は「子どもの世界では、いじめるかいじめられるか流動的な面がある。標的になりたくないという理由で、いじめに加わるケースも少なくない」と話す。 相談機関への訴えは急増中だ。法務省が急きょ「いじめ問題相談強化週間」とした10月23~29日、同省の「子どもの人権110番」には8月の強化週間の約9倍の647件の相談が寄せられた。うち49件については「学校や教師の対応が不適切」との意見を受け、学校に対する聴き取り調査を始めた。 東京弁護士会の「子どもの人権110番」でもいじめに関する相談は昨年度は月平均17件だったが、10月ひと月で33件あった。相談に応じている川村百合弁護士は「学校側が適切な対応ができず、かえっていじめを陰湿化させることもあり、保護者は学校だけに問題解決を任せられないと感じている」と語った。■いじめに関する主な相談窓口◇法務省 子どもの人権110番 0570・070・110(平日8時半~17時15分)◇東京都教育相談センター 03・3493・8008(平日9~21時、土日祝9~17時。メール相談受付あり)◇東京弁護士会 子どもの人権110番 03・3503・0110(平日13時半~16時半、17~20時、土13~16時)◇警視庁 ヤング・テレホン・コーナー 03・3580・4970(平日8時半~20時、土日祝8時半~17時。メール相談受付あり)◇チャイルドライン 0120・7・26266(地域により番号と開設時間は異なる。詳細はホームページ参照)◇トヨタ子ども110番 03・3470・0110(月~土17~21時)※国立教育政策研究所のホームページから、いじめ問題などを相談できる公的機関を見ることができる。(http://www.nicer.go.jp/integration/user/map.php)(毎日新聞) - 11月21日15時38分更新
2006年11月20日
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こどもの時って、何か気に入らないことがあると、態度や言葉で出したものです。怒られれば「うるさい」ほめられれば「やったー」。悲しければ泣き、そしてすぐ忘れてしまう。その毎日の繰り返しです。そして、だんだん大人になってくると、それを抑えることで人間関係を上手くこなしていく術を覚えていきます。感情むき出しのある時期を、怪物の~才なんていいますが、生きていく上ではかかすことのできない過程なのですね。ところが最近は、思春期近くなってだんだんと感情をコントロールできるどころか、感情が爆発してしまうことが多々あって、それを「きれるこども」などと言っています。幼少の時に上のような経験が少ないこどもが感情をコントロールできなくて、ためた物が爆発してしまう癖をつけてしまうのですね。そういう場合のこどもは、恐ろしいと思われがちですが、それまでのおとなしくて優等生であった時は忘れられています。また、そう思わないという場合には、親の意志決定でこどもを動かしているので気がつかないのですね。大人になると、感情をいちいち出していては仕事が出来なくなってしまいます。~して下さいと言われ、気に入らなかったから「そんなのいやです」なんて言ってしまえば、その先はもう見えてしまいますね。そこまで露骨にはならないとしても、大人であっても人それぞれ我慢の限界みたいなものがあって、そこを超えてしまうと、感情がむき出しになってしまいます。何かに対して感情を出すということは、自分の中にあるものを外に出すということなので、大人であっても出す必要があると思うし、人間味がある感じがします。ただその時に、どう出すかによっては、+にも-にも転びます。そしてその転び方が、自分の感情をどう見ているかということと密接な関係があります。ヒントはこどもの感情の出し方にあるようです。ここでギャング時代が役に立つときが来るのですね。
2006年11月19日
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また電車事故が起こってしまいました。人的ミスとかそうでないとかの話はあると思いますが、結局私たちは、自分で勝手に大丈夫だろうと思いこみをしているのかもしれないですね。自分の所はまさかね・・・なんて勝手な思いこみをしてしまう。この思いこみというものが、他の国に比べて日本人は深い感じもします。(自分勝手な思いこみです)私も何度となく、交通事故(タクシー・バス)に遭ったことがあります。まさか事故に遭うなんて思いもしていませんでした。乗車して読書をしたり、景色を眺めていると突然ぼこっと音がして、すいませーん、これ以上進めませんので下車して下さいとなる。急いでいたときもあったのですが、事故だからそれ以上は進めず、改めて別の車に乗り換えたりしました。幸いどの事故もひどいものではなかったので、怪我などはなかったのですが、それでもしばらくすると大丈夫、という根拠のない気持ちを持っている感じがします。そういうわけで、ここらで意識を変えておかなければならない、と改めて思いました。それでも起こるものは起こるという考え方をすることもできますが、それではあまりにも無責任になってしまう。また、人1人がそう思うことから、ひょっとすると起こるものが起こってしまうのか・・なんて思ったりします。まずは自分から、ということが何においても前提にあがってきますね。
2006年11月18日
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おいしいミカンが食べたいな・・と思って近くのミカン狩り農家に電話するも、予約制だったみたいで、少し遠出をしてみました。それでも車で1時間も走ると、市内とはうって変わってのどかな田園地帯になります。途中いつもの渋滞にすこしはまったので、実際に走った距離で行くとものすごく近いはず・・・久しぶりにこんな所に来たな・・と思わず上を目指しました。(実はおいしいみかんは下の方なのかもしれない、とあとで気がつく)どうしてもとりやすい所のミカンがなくなっていて、山のようになっていたミカンは、ある一部の所に固まってしまっていて、命がけ?でがんばってとりました。減農薬でされているらしく、ミカンの形は様々。いい感じのみかんは、とても取れそうにない上の方にあったりしたのですが、探すのもなかなかおもしろい。畑の中を行ったり来たりしながら、ふと立ち止まった所で、こんなビックミカンを発見こうやって自然の中に来ると、なぜだかホッとする自分を発見すると、やっぱり田舎住まいがいいな・・・と実感した1日でした。
2006年11月17日
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メディアのいじめに関する記事は、あいかわらず多い。当然情報を得た保護者や、一般の人間は、おかしいと思うところに意見を述べるだろうし、実際に教育委員会への問い合わせは多いのだとか。それを受けた教育委員会は、自治体による違いはあるものの、学校に対して実態の調査と、いじめについての対応を、もう一度再確認しているところなのだと思います。ところで、いじめって何をもっていじめとするんでしょうか?こう書いたら、は?と返されるのかもしれません。いじめについての定義もちゃんとでているので、何言ってるの?となりそうです。ただ、いじめは何がいじめかというようなことは、人間が思っていることで、実際に起こっているところを見ながら話しているわけでもなく、不確定要素のかたまりだったりすると思うのです。例えば、ある人が思っているいじめの姿と、別の人が思っているいじめの姿は、同時に同じものを見ていない限り、同じにはならないということです。いじめられる側がいじめられている、と感じたらそれはいじめです。いじめている方も、いじめているということが自分でわかっていたり、指導を入れているときにいじめをしていたんだ、と自覚することはあると思います。ところが、周りの大人が、これはいじめだいじめでないといくら論議をしても、その間にいじめは起こり続けているのかもしれません。ここでやって欲しいと思っていること、それは、いじめが起こっている事実がどこかでニュースに出たなら、こどもがいる親が、こどもとそのことについてもっと話す時間をとって一緒に考えてみることです。大人が論議するいじめ討論もいいですが、当事者になるこどもが周囲にいたら、彼らと話す機会をもっと多く持つことの方が大事だと思います。自分のこどもでもいいし、近所のこどもでもいいと思います。大人同士のような話にはならなくても、その積み重ねは、きっとこどもをいじめの連鎖から絶つ、何かをこどもに投げかけるはずです。大人だけで話すのではなく、こどもに目を向ける記事も必要ですね。
2006年11月16日
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この名前を聞いたことがある人は、限られていると思います。最近ようやく有効な治療法がみつかったということが、テレビのニュースで報道されていました。名前を聞くと、なんだか特別な病気であるかのような感じもしないではないですが、実は私たちの誰もがなる可能性のあるものなのです。なぜなら、からだに受ける衝撃でなることがあり、それは車を運転している人なら可能性があるからです。さらには、普通にこけて転倒したり、あるいは女性なら出産によってなるというケースも報告されているそうです。数人の症例が、テレビでは報告されていました。その中の1人の方は、ずっと首の後ろにおもりを乗せている感じがして、頭痛が止まらないとおっしゃっていました。頭痛持ちの方は、1日中そうであったときのことを想像すると・・・たまらないですよね。そして、ふらついたり、めまいがするので、1日中寝ているのがやっとで、しかも痛みで寝れないのだそうです。付け加えて、精神的につらいことには、以前は医師ですらその名前を知らない人もおり、仮病と勘違いされたのだそうです。寝ていてもつらいのに、仮病扱いされた時には、本当に死にたいと思った、と話されていて心にその言葉が残りました。今では、有効な治療法が見つけられたのですが、それでも長期間その症状が続いている方には、有効でない場合もあるそうです。詳しくは、リンクをクリックしてもらうと、そのことについてのHPに行きますので、ご覧下さい。脳脊髄液減少症について
2006年11月15日
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ファーストフードは健康食品のようになりえるのか?皆さんどう思いますか?これだけ様々なファーストフードが出てくると、どこかで差別化して生き残るか、値段を安くするか、それとも立地で勝負するのか?など多くの戦略が生まれてくる中で、健康志向に向いているファーストフードもあるようです。以前某ファーストフード店のハンバーガーだけで、1ヶ月間生活するという実験をしている人がいました。結果はご存じと思いますが、体調不良で途中リタイアという結果でした。まあ、他の様々な事情も影響していると思うので、何とも言えませんが・・・また、あるファーストフード店では、野菜や食品を独自で開発したり、農家と契約を結び、よりよい材料を使ったハンバーガーの販売を展開しています。欧米人にとって主食は肉。けれども日本人の主食はお米。これだけをとって考えてみても、日本にファーストフードの文化がやってきて、そして受け入れられたことは、かなりの国民的なマイナス要因なのかもしれないと思います。からだの作りの違いも考えると、いっそう日本人はお米を食べて力が出る民族だと思います。そんなこといいつつもおいしいので、やはり食べてしまうのって、からだが良いと感じてしまうからなんでしょうか?脳はからだによいものだけを取り入れるようにできているはずなのに、なんだかだまされてしまって、いつのまにかハンバーガーの虜になってしまいます。毎日ハンバーガーだけで生活していたら、そのことに慣れた脳が普通通りに機能するかは誰にもわかりません。
2006年11月14日
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何日か前に、知り合いの先生との話で思ったことを書いたのですが、その続きがあるので、今日はそのことを書こうと思います。その先生が言うには、やはり社会の景気と教育の関連があるのだとか。だから、経済が豊か?だったときに比べて、現在の方が集金の未納は多いのだそうです。それに加えて、親のストレスの方向が学校へ向かっていくのか、ちょっとしたことで苦情が来ることが増えたそうです。そのことはしっかりこどもも知っていて、それを上手く使ったりもするのだそうです。こどもが何か問題のある行動をしたときに、ちょっと遅くまで残したりすると、連絡したのにもかかわらず、指導がおかしいと一方的に怒るのだとか。また、けんかなどをして怪我をすると、もう危ないので、学校へは行けない、どうしてくれるんだ?なんて親の理屈で一方的に責め立てるのだそうです。こどもは、しめた!とばかりに親の理屈に合わせるものだから、こどもの思うつぼです。親がそういう論調だと、きっとこどももそのことを見ているので、同じように生きていくのかもしれません。そのこどもは、それがおかしいということを全く気がつかずに、平然とおかしいことを公言しながら生きていくことになるのです。そして、もうどうにも変換出来なくなった頃に、自分のまずさを味わうことになります。それに気がついて、自分なりに努力すれば、苦しいけれど変わることも出来ると思います。こどもが一生懸命生きようとしているところに、親があーだこうだと土足で踏み込むと、その埋め合わせは一生ものになるでしょう。ところが、いったんそういう状態を作っておいて、さあどうぞというのも???です。親の行動言動を真似て生きていくのが、本来の姿だと思います。
2006年11月13日
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ディベートという言葉、聞いたことがある人が多いと思います。あることについて賛成する、反対するという立場を決め、そのことについて論点を整理し、反対の考えの人と議論し合うものです。日本でも、最近では選手権があるほどですが、アメリカでは日常的にされている、という現状があります。そこでの議論なので、それが終わればあとは元に戻る、というさらっとしたものであれば理想なのですが、日本の場合は、そのあとの夜の付き合いに第二ラウンドが待っていたりしますよね。小学校や中学校でも、最近ではそのディベートを上手く利用して、ある課題についてルールを設けて、自由にそのことについての意見を交わす時間がもたれたりしているようです。初めはこう思っていたけれど、だんだん話し合いが進むにつれて思うことが違ってきたら、反対の立場に移ることもOKなのですね。そして重要なのは、ポイントが結論を決めることではなく、話し合って自分がどのように変容したか、という過程にあることです。競争社会においては、どうしても是か非かという部分に焦点がいき、それはこどもにおいても同じ。これが正しい、あれが正しいなどと自分の意見だけで終わってしまっています。それは、話し合っているようでも、自分の世界を述べたに過ぎず、心の世界は広がっていないと言うことになります。学校のテストのように、正解、間違いということもある意味必要なのかもしれませんが、心を変容し成長させるためには、いろんな意見の中で、自分の気持ちをいろんな立場において考えてみる過程が大事なのかも知れません。そして、それが生きていることの面白さだと感じるようになれば、なんか見えてきそうな気もします。
2006年11月12日
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しばらくまとまった雨を見ていなかった気がしていましたが、2日間にわたってまとまった雨が降りました。秋の深まりは、木々の紅葉でも感じられますが、寒さと匂いがそれに必ずついてきます。それが、今年は寒さがあまり加速しなかったので、少し感じにくかったです。雨が降ったお陰で、秋らしい寒さと匂いになりました。それをからだに変えて考えてみると、今年の冬に充電していたものを春から少しずつ出し、あくを汗として夏に出して、そして少しずつ冬に備えていく時期。動物に冬眠というものがあるように、人間もある意味で冬眠に入ります。それが、季節のいたずらで遅くなったりしてしまうと、そのツケは来年の夏に出てくるようです。そして寒くなると当然出てくるのが風邪、そしてインフルエンザ。私も今年はじめてインフルエンザにかかり、健康管理のまずさを露呈してしまいました。その上、病院では弱いねー、と言われる始末。今年は、少し前から運動を少し休んでいるので、ちょっとずつ再開して、体力つけないと・・・それから、来年は変換の年になりそうなので、少し考えて来年の目標を作ろうと思います。どうやら、自分がやりたいことが、再確認できた感じがします。かなり遠回り?になったかもしれませんが・・・
2006年11月11日
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自分が持っている、いわゆる持病というもについて日記にたまに書いています。以前の日記で、自分の皮膚についてのことを書いていて、良い病院が見つかったことと、薬を処方してもらったことを書いていました。病気が治る、ということがあると一番良いのかもしれませんが、からだも常に変化しているもの。何を持って良くなったとか、健康かなんていうのは、自分の中だけで思うことなのかもしれません。重い病気を持っていても、心がとても健康で、病気と向き合いながらがんばっている人は、病気だけれど健康的なのかもしれないし、からだが健康?だと思っている人でも、精神を病んでいる人は、周りから見れば、いつも大丈夫?と言われている存在かもしれません。結局、自分がどう思い、自分がどうありたいと考え、そしてどう実践しているか?というバランスでからだは動いているのだと思っています。ところで、その病院で処方してもらった薬をしばらく使っていて、かなり良くなったと自分で思いました。それで薬をすべて止めてみました。すると、数日たった頃から少しずつ、また同じ症状が出始めました。そこで気がついたことがあります。それは、薬を止めたということが、何を意味していたかと言うことです。今考えれば病院を探している頃は心が戦闘モードで、そして見つけて薬をもらった瞬間に、自分を見失っていたかもしれません。それで、薬をもらって治ったと思ったら、闘いを終えるかのように、薬も止めてしまったのだのです。自分では日頃健康に関して思っているつもりでも、無意識のうちに何かが動いているようで、その結果をからだが出してくれています。からだよりも心が先行していて、見事に脳がだまされてしまっていました。病気と上手くつきあえる心を持てる自分でありたいと思いました。
2006年11月10日
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なんかここ数日、スーパーモーニングばかり見ています。狙いは特集教育。学校の現状を探っていくのですが、昨日、保護者の特集について、として昨日の日記に書いておりますので、それと会わせてみていただけるとと思います。先生の世界に触れている?こともあって、いろんな先生とお話しする機会があります。今日のテレビの内容である、先生の苦悩については、同様のことを聞いたこともあり、局地的ではなくどこにでもある深刻な事情である、と感じました。とくに、若い先生などは、親よりはかなり年齢がしたになるので、大変だというのです。ところで、番組の中で言っていたこどもが言うことを聞かない、これには、裏があります。こどもだけならいいのですが、そこでこどもに指導を入れると、保護者が出てくるのです。明らかにおかしい言いがかりをつけるのです。それに味を占めたこどもは、ますます親を利用するようになります。親はそんなこととはつゆ知らず、こどもをかばい続けます。そして、いつしかこどもは、親に対してかつてしていた理不尽なことをやり始めます。そうなると、火の粉が親にかかるわけですから、自分のまいた種なのに、今度はぎゃくに学校に怒鳴り込んできます。「おまえのところは、親に反抗しろと言う教育をしているのか」と。一生懸命に先生をしている方ほど、それでも自分ががんばれば、と必死になって教材研究や指導をされるそうです。先日、教師の自殺の報道がありましたが、きっと一生懸命だっただろうと思います。そして、がんばり続けても、それでもだめで、教師の道を離れるのです。その一方で、そうでない教師が少なからずいます。その教師は、がんばる教師の裏に隠れていますから、窮地に立たされることもなく、定年までいくのです。そんなことを聞いていて、責任者(校長)は知っているはずだから、どうにかならないの?と聞くと、こう返ってきました。「そういうところは上手くやっているんだ」
2006年11月09日
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今日もスーパーモーニングを見ました。特集で教育に関することをしているのと、いろんな社会で起こっている珍現象を特集してくれているのが、とても面白いです。教育に関する特集で、今日のトピックとなっていたのが、あきれた保護者たち。専門家がコメントで述べていた、学校の先生たちがおそれる、保護者たちです。つじつまの合わないことや、いじめのようなことで責められるのは、一理あると思うのですが、今日紹介されたことは、なんとも信じられないような本当の話だとか・・・そんな親を持つこどもは、心がとっても傷ついているだろうなと、とても哀れにすら思えました。1 校内に盗聴器をしかける2 保護者たちで、できの悪い先生をターゲットに辞めろコールをする。3 諸経費を払わない書いている内に、いったい誰のためにこんなことしているのだろう・・・と純粋に考えてしまいました。どう考えても、こどものためとは思えず、明らかに自分たちのストレスをぶつけているに過ぎないとしか思えません。様々な事情があって、そうせざる終えないとしても、もっと正当な方法で話し合うことはできないものだろうか?と思いました。学校を開かれた学校にするのはいいけれど、開いたとたん大人の論理がぶつかってきそうです。
2006年11月08日
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今回は写真はありませんが、またしても妹の赤ちゃんを見に行ってきました。1日目よりも、明らかにたくましくなっている感じがしました。今回は元気だったので、そばにいって手を触ったり抱っこしたりなどしてみました。考えてみれば、1年前はかけらもなかったものが、自ら考え?生きる生命体としていることが、じわーっと感じられて、改めて赤ちゃんを見ながら、生きていることの意味をぼーっと考えてしまいました。人って、どんな人でもこの繰り返しで、このことは誰にも変えることの出来ない真理なんですよね。みんな同じことを繰り返しているのに、生まれてから死ぬまでの間に、生まれた場所、国、宗教、環境、家族でまったく違う人生を歩み、そして様々な感情を体験し、様々な経験をし、様々なものを探求し、そして死んだ後はやがて跡形もなく消えていってしまうんですね。言葉にするとこんな感じですが、赤ちゃんを見たときに、そんな感じのイメージが、しばらく頭にとどまっていました。勝手な思いこみですが、きっと赤ちゃんの時は人のあるべき本当の姿を知っていて、だからこそ人をあれだけ引きつけるエネルギーを持っているのかもしれないって感じます。それが薄れると、人は現実を見て生きていきますが、からだのどこかが、赤ちゃんの時のことを忘れないのです。そして、死ぬ間際にまた思い出す。この赤ちゃんは、どんな人生を歩むのだろう・・・
2006年11月07日
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毎日書いているのを見てみると、その日はこれを書きたいと思って書いているのですけど、しばらく通しで見てみると、なんか自分のこだわりみたいなものが反映されてるな・・・と思いました。そう考えると、自分はこだわりの虫眼鏡で社会を見ているのですね。だから自分が毎日見ていること、聞いていること、話していること、考えていることが誰かと同じなどと言うわけがなく、それは独自なもののはずだけれど、そんな人同士が集団を作り、誰かを応援したり、されたりする。そして社会が出来る。そして、1人1人のこだわりの虫眼鏡が、どんどん精巧になっていく。自分でそうは思っていなくても、そんな動きって勝手に人の中で起こっていっています。話のまとまりがないですが、今日は自分の50音ってのを書いてみたいなと思います。かなり前に1回した記憶があるんですけど、自分の今の状態のヒントになるので面白いです。あ 青い いけすう 宇宙え えびせんお おんぼろか 髪の毛き きらきらく 黒け 獣こ コーラさ 酒盛りし 塩す 素敵せ せんべいそ 空た 太刀魚ち 力つ つるつるて 手と とんがりな 菜っぱに にこちゃんぬ ぬるま湯ね ねっころぶの 野菊は 歯ひ ヒルふ ふうせんへ 減らず口ほ ホッとま ママさんみ みっちりむ 無理め 目頭も もろいや 休むゆ ゆっくりよ ようかんわ わからんやってみると、変な言葉も登場してきます。早速考えてみよう!
2006年11月06日
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朝は少し余裕があるときがあるので、そんな時いつも見ているのが、朝のニュース番組。ここしばらく教育の問題にスポットが当たっていて、メディアもこぞってその問題を取り上げています。見ているときは、必ずと言っていいほど、いじめ問題か、高校の履修問題ですね。その中で、先生が怖がっているのは、PTA、メディア、教育委員会(文部科学省?)なんて専門家が言っていましたが、時間の関係で、これら番組を見ている先生方はほとんどいないので、録画でもして見てみるといいのではないか、と思います。いつものように、メディアは問題ばかり取り上げているな・・・と疑問に思ってみていたら、今日は少し違っていました。高校の履修問題にはまりながらも、そこから脱却して、有名大学への進学率を上げた、という学校を紹介して、その中身に迫っていくという内容でした。そこで私が、すごいなと思ったことがあります。それは、大人の論理を持ちつつも、子どもの立場に立った教育が、そこでなされていたことです。勉強する場を作る工夫、学ぶことに意欲が持てるカリキュラムの工夫、というものがその学校ではなされていました。当然そこには膨大な時間がかかるわけですから、先生も勤務時間なんかない感じでしたが・・・環境と内容を考えるだけで、こども達が変わるなら、それは量ではなくて質の問題だということになります。それらの学校も、量の弊害を経験的に知り、変わっていったのだということでした。やらされているという意識から、学ぶという意識を持つだけで、こども達の能力は飛躍的に伸びるのですね。感情が意欲に影響を与えることは、だれでも経験的に知っていることです。もちろん大人にも言えること。先生方が意欲的になれる環境を文部科学省は考えて欲しいものです。
2006年11月05日
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福岡県の中学校の、いじめの新たな続報で、指導後にまたいじめをしていた、ということがニュースになっています。もうこうなると、完全に中学校への不信感は、もう覆せないほどのものになってしまったのかもしれません。こども達が大人を舐めているのか、大人の指導がそれほど意味のないものになっているのか・・・きっと両方なのだと思いますが・・・今日の西日本新聞新聞で、こんな記事が載っていました。横浜市の教育委員で、ヤンキー先生と呼ばれた義家先生と言えば、皆さんもご存知だと思いますが、彼がいじめ関連の記事に、いじめに取り組む本質は1つだ、と言っています。彼が余市高校で実践をしている中で、多くのいじめ問題に取り組んで、わかった本質、それは、大人(教師が)本気になること。大人が本気になって、問題に取り組んでいることを、こども達に分からせることだと言っています。言うだけではなく、実際に行動することで、いじめに立ち向かうこどもを増やすのだそうです。そして、一緒に闘うんだ、という気持ちをこども達に伝えることで、こども達はやがて、いじめに立ち向かっていったのだそうです。福岡のいじめ事件に関して、同じように考えてみると、その一緒に闘う大人達(教師)が、いじめはなかった!?ということを言っているのだから、愕然とした、と義家さんはコメントに載せていました。雷と落とすのはオヤジ、と昔は恐れられていましたが、こどもに本気だからこそ、その本気度を雷という言葉で、揶揄したのだろうなって思いました。今雷オヤジ、雷先生は、どのくらいいるのだろう・・・
2006年11月04日
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妹がこどもを産んだ、と今朝電話があり、???と思っていた。なぜなら、父親によると、昨日は何事もなく、妹と別れたよ、と話していたからだ。ところが、よく聞いてびっくり。病院に入ってから生まれるまでに、1時間ほどしか経ってなかったのだそうだ。夜中に陣痛が来て、旦那さんが慌てて病院へ連れて行ったそうだ。赤ちゃんが生まれるってこんなにあっけないもの?とびっくりもした。何はともあれ、赤ちゃんがちょっと怪我をしているみたいだったが、母子ともに無事でなによりだ。とても小さいのだけれど、これだけ愛おしい、と思わせるものってただ者じゃないですよね。赤ちゃんだけが持っている、絶大なエネルギーだからなせる技です。抱っこなどしてみたかったのですが、あいにく私自身が風邪気味で、それは断念。遠巻きに見るだけにしました。ただ見ているだけでも、飽きないこの感覚って不思議ですよね。名前はまだなのだそう!これからが楽しみだ!
2006年11月03日
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今年の初め頃から、からだの肌荒れで悩んでいて、病院にいったり、できることをしたりしても、いっこうに回復の兆しは見えませんでした。そして、それは肌の問題だけでなく、睡眠に支障を来したり、いらいらに火をつけたりしていました。かゆいときには、それはもう正常な精神状態でいれるわけもなく、ただかゆいのをなんとかするために、頭は働きます。(経験者の方はわかると思います)それが、先日も日記で書いたのですが、いろんなつてから見つけた病院に行き、いろいろと説明を受け、そして処方された薬をつけていくと、あれよという間に改善し、今ではつるつるになってしまいました。自分で言うのも何ですけど、天使の肌?のようなのです。ところが、これはステロイドが入ったイル薬。別の病院で、ステロイド反対の医師にそのことを話すと、今だけ、と言われました。今現在は、保湿を行って、様子を見ています。きれいな肌を保てていて、これがどうなるのか?が見所。元に戻るとしたら、どうなるのか・・・
2006年11月02日
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論文試験、というものがすでにいろんな試験として用いられています。いろんな教科のテストをするのもいいが、人物を評価するときに、論文を書いてもらうことでとても参考になるのだそうです。高校がとくに力を入れて、入試対策として授業に組み込んだりしています。もちろん企業や、公務員の採用試験でも使われています。私もかつて、論文試験を受けたことがあるのですが、その時に、いかに自分が文章を書けないか、ということを痛感して以来、遠ざかっているものです。ところで、日記をつけている人は、どのくらいいるのでしょう?日記をつけていると、毎日書く癖が出来ているので、自分の心情を含め、様々なことを文章で綴るのは、比較的容易ではないのでしょうか?話をするのが苦手な人でも、心の中で深めたことを筆にしたためると、とても奥深いものになるのかもしれません。反対に、話し好きな人は、それをそのまま文にすればいいのですが、話し言葉と書き言葉は違うので、、ついつい話が文章になり、これはこれで書きにくいのかもしれません。そんな論文を克服しようと、練習することとなりました。以前書いた目標の第一ステップですね。日記が書ければ論文が書けるか?というとそんなこともないと思うので、ちゃんとみてもらうことになりました。久しぶりに、気持ちが学生にもどれそうな感じです。まあ、コツコツと練習して、数ヶ月をめどに、少しは成長したいと思っています。ちなみに、脳のタイプで考えてみると、論理脳(左)が優位で、右手が利き手だと、思ったことを書くことに抵抗がないタイプ、となります。ゲシュタルト脳(右)で左手の利き手だと、小説家タイプでしょうか・・・
2006年11月01日
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