remi's room

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少年の記憶[1940-1955]


少年の記憶
[1940-1955]誕生-15才


[誕生と別離] -父さんは海へ出ていったきり戻ってこなかった-

ジョン・レノンは、第2次世界大戦の最中の1940年10月9日にイギリスのリバプールで生まれました。
生後まもなく、船員だった父アルフレッドは航海に出たまま戻らず、母ジュリアは身切りをつけ、ジョンを妹のミミにあずけると、別の男性と暮らし始めます。
ジョンは親の愛情には恵まれずに育ち、一生心に深い傷として残り、消えることはありませんでした。

母さん 僕は母さんのものじゃなかった
だけど 母さんは僕のものじゃなかった
僕は 母さんがほしかったけれど
母さんは僕なんかいらなかった
だから言うしかないんだ さよならって -「マザー」



[才能] -僕は狂っているか、天才か、どちらかにちがいない-

ジョンは幼い頃から本が好きで、「不思議の国のアリス」等を読みふけり、11歳の時には本に登場する人物を描き、それに文章をつけて雑誌を作ったりもしました。
ジョンは自分の感性が他人とは違っていることに早くから気づいていて、 「自分に見える世界がほかのひとには見えない」 と悩んだりもしました。

僕の木には 誰もいない
きっと 僕の木は高かったり 低かったりするんだ
 -「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」



[反抗] -僕と遊んじゃいけないって、自分の子に言ってたらしい-

1952年、ジョンはクオリー・バンク中学校に入学するが、既成の価値観や知識だけを押しつけようとする学校や教師に対する不信感と反発があり、学校の成績は下がる一方で、素行はますます悪くなり、札つきの不良となっていきました。


★展示品★

・作詞原稿「ジュリア」 ・・・母ジュリアとヨーコへの愛を歌った曲

・小学校時代の国語練習帳 ・・・英単語の練習、学校生活や当時の感心事が綴られている

・11歳のころ作った雑誌 ・・・古い雑誌のページに自作の絵や文章、車やスポーツの写真の切り抜き等を貼って仕上げている

・11歳のころ描いた水彩画 ・・・ダブデイル小学校の美術の授業で描いた作品で、アルバム「ジョンの壁、愛の橋」のジャケットに使用された

・17歳のころ描いた似顔絵集 ・・・中学校時代、学校の教師を皮肉って描いた似顔絵集

・成績表 ・・・担任の教師が「もっと努力をすれば成績も向上すると思います。点数が悪いのは心がけがよくないためです。やる気と覚悟さえあれば、もっとよい成績が残せるはずです」と記入されている。

・バンジョー ・・・ジョンにギターの弾き方を教えたのは母ジュリアだが、バンジョーしか弾けなかったため、バンジョーのコードを使って教えていた。ジョンにとってバンジョーは母の思い出につながる物である。





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