1966年3月、ジョンがイギリスの新聞のインタビューで「キリスト」について発言したことがアメリカで大きく報道され、7月にアメリカでビートルズ排斥運動が巻き起こりました。8月に入るとビートルズはアメリカ各地で予定されていたコンサートを行ったが、熱狂するファンと排斥運動のために混乱が生じ、それが直接のきっかけとなってコンサート活動の停止を決断、ビートルズのひとつの時代が終わりました。 1966年、9月、コンサート活動を停止してまもなく、ジョンは反戦をテーマとした映画「僕の戦争」(How I Won The War)にビートルズを離れて初めて単独で出演しました。 トレードマークの長髪を切り、メガネをかけて、戦争の犠牲になって死んでいく一兵卒を演じ、これまでのイメージから脱皮、自身を見つめ直す大きな転機となりました。
1967年6月、ビートルズは世界初の世界同時衛星生中継特別番組「アワー・ワールド」(Our World)にイギリスを代表して出演しました。それは新曲「愛こそはすべて」(All You Need Is Love)のレコーディング風景を同時生中継で全世界に向けて放送するという、今までにない試みでした。「愛こそはすべて」は、デビュー以来ビートルズが歌ってきた君と僕の「ふたりの愛」を「人類への愛」にまで高めたジョン自身の愛のメッセージでもありました。