初面会


そこまででも結構遠く感じ、1週間の寝たきり生活とその後の術後の生活のため、自分の体力がかなり落ちていることを感じつつも一目でも我が子を見てみたいという気持ちで窓にたどり着く。中で、主人は怜大を触っているが、私は遠い窓からで顔を良く見ることもできない。もともと目も悪いし、距離もありすぎ。NICUの看護婦さんが『お母さん、いすを用意しましょうか?』といわれるが、強がって断る。
そこから見てもよく分からないせいかあまり赤ちゃんの小ささを感じることはなかった。でも、NICUの中にいるたくさんの子供たちはピーピーなる機会音の中眠れるのだろうかと思ったし、我が子を自分の手でなかなか抱くことのできないふがいなさに涙がこぼれそうになった。そこで三分も立っているときつくなって貧血になりそうだったのでそうそうに部屋に帰った。主人が言うには、体重はまだほとんど変わらないそう。
その日までに、毎日看護婦さんからお乳は張ってきていないですかと聞かれるが、又、その感覚がよくわからない。でも、未熟児にはおっぱいがいちばんだから、血圧が落ち着いたら絞りましょうねと言われ、そんなことできるのかと思った。
実際には数日後から子供のためにと3時間ごとに起きて、1ヶ月以上、胸にあざができ腱鞘炎になるまで絞りつづけるのだけれども。
翌日、個室から大部屋に移ることになる。婦長さんに部屋を替わるけどといわれたとき、何となく、普通のお母さんたちが母子同室でいるのに、一人でいるのが嫌だからと産科ではなく婦人科の部屋にしてほしい希望を伝えるとすんなり異動させてもらえて、本当に助かった。
大部屋では子宮ガンのおばさんと退院までずっと一緒だったが、この方が大変よい方で本当に助かった。何故、選ばれたのか分からないが看護婦の学生さんまで担当についてしまって、この子と話すと又気晴らしになった。で、怖い看護婦さんたちに乳マッサージをしてもらった後はこの学生さんと二人で分からないなりに、母乳マッサージをした。最初はほんの3ccくらいしか出ず、すぐにNICUに持っていかなくても良いよね、とそのまま置いていたら怖い看護婦さんに滅茶苦茶怒られた。暑い時期で腐るから少しでもすぐ持っていくように!!と。
で、学生さんの研修と一緒にその日から沐浴の練習を受けるようにも言われた。はっきり言っていつできるか分からない練習をするのは本当に嫌だった。でも、その練習のために連れてこられた赤ちゃんはレオより一日前に生まれた2300グラム台の男の子だった。見た瞬間、2300グラムでこんなに小さいの?と声を出していってしまい、そのこのお母さんには大変失礼なことを言ってしまったと思うが、じゃあ、1068グラムで生まれてしまった自分の子の小ささはどんなだろうと本当に心配になってしまった。

そんなこんなで、その日の夕方、初めて我が子に面会した。
まず、履物を2回NICUにたどり着くまでに履き替え、そして、手を2回くらい消毒した後、いわゆる医者の手術着のような服、帽子、マスクをして足でドアを開けて(ばい菌が入らないように)NICU内に入る。
そこは、前日窓越しに覗いたように機会音がいろいろして不思議な空間。看護婦さんにこっちですよ!と言われ、レオの保育器のところに行く。椅子が用意され、受付で預けたカメラを渡される。看護婦さんが保育器ないの温度、湿度を調整した後、その日の体重、ミルク量を教えてもらって、何か変わったことがあればその時聞いて、更に手をその場で消毒して、保育器の横についた小さな窓をそっと開ける。そして初めてレオを触ることができた。
本当に小さい!!はっきり言って、とても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。その時までは自分のことで精一杯だった私もレオのためにできる限り頑張ろう、乳を絞ろうと思った。大きさは頭から足まで私の手首くらいからひじ位までしかないし、おまけに手や足の太さは私の小指程度の太さ。その小さな細い足の静脈に、低血糖と貧血を治すための太い点滴がさしてあった。sこの点滴の後は、のけた後ほぼ一年間、黒いあざとなって残ってしまった。横で酸素濃度が減るとモニターが強くなり、慣れないうちはちょっとでもその音がすると怖かった。
でも頑張って生きるために戦っているんだ、そう思うと私も頑張ろうと思った。



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