La Mode

*La Mode*

poell

La Mode *Suit*

先日、ある男性誌で俳優やモデルが3ー4ページにわたって1ブランドを着るみたいな特集があったのですが、その中でびっくりするくらいだめなものがありました。

妻夫木聡、Dior hommeを着る

というもの。

あー、だめだー、ここまでだめなものを今まで見たことがない・・・。アートディレクターもスタイリストもなにを考えているんだろうというもの。妻夫木聡自体は別に問題ではないし、Dior hommeも問題ではない。(最近、マンネリぎみだが。)ただ、この2つを一緒にするというセンスの悪さが問題です。

いまの、妻夫木聡のイメージを考えたらDris Van Notenなどを着せた方がしっくりくると思うし、新しいイメージを打ち出したいのならば、ヘアメイクや写真の取り方を工夫しなければいけないはず。例えば帽子やウィッグを使うなり、目の周りを黒く塗るなり。しかし、あのポートレート風はないだろう。

以前、どこかの雑誌で、お嬢さん女優、安田成美が下着姿の挑発的なページをやったことがあったけど、それはけっこうよくできていました。そこに書いてある英語のキャプションはチャチでとほほでしたが、新しいイメージとしてはとてもよくできていました。

街を歩いていても「流行っているだけで」または「みんなが着ているから(または持っているから)」というだけで自分に取り入れてしまっている人がいます。似合う、似合わないは関係なしに。

大切なのは自分を知ることです。または全体像を見てしっくりきているかをチェックすることです。人は「違和感」というものに思っているより敏感です。派手な服でも似合っていれば「派手だ。」という気持ちしか持ちはしませんが、違和感があるとなにかもやもやした不愉快な気持ちになってしまいます。(ぼくのもやもやは、ゴスロリ系の女の子がかなりいかつい格好をしていて、なのに普通の通学用の銀縁眼鏡をかけていたりすること。もしかしたら、その業界ではいけていることなのかも知れないので、実のところはわかりませんが。ただ、しっくりきているゴスロリの子達に関しては「ふーん。」くらいしか思わないので、多分これが「もやもや」なんだと思います。)

流行っているもの、みんなが着ているもの、イコール、わたしにも大丈夫という考えは捨てた方がいいですよ。

La Mode *Le sac - deux*

街を歩いていてぼくが何度見ても「いかん。」と思うのは高級ブランド(または高級化粧品)のミニ紙バッグをサブバッグとして持ち歩いている女性。

なんでですか?そこのブランドで買い物したこと(過去に)を見せびらかしたいのでしょうか?そのブランドのロゴバッグ(紙)をステイタスにおもっているのでしょうか?

残念ですが貧乏くさいこと、この上ありません。

ただ人にものをあげるなどで、そのバッグもあげてしまうのであれば別に問題はないのですが、ぼくの言っているのは、かなり雨風にさらされたものを確実に自分のために持ち歩いている人で、そういう人をを見るとげんなりします。

いろいろ理由はあるかも知れません。例えばお弁当を別に入れて持ちたいとかなどメインバッグとは別にしたい理由が。ただぼくとしては、ミニバッグを持っている人を見るとどうしても「全てのものが入る上で、センスのいいバッグを選ぶことができる選択眼を持っていない人」「ブランドのロゴ命(そのブランド自体がどうかということよりブランドの名前が好きな人)」にどうしても見えてしまうのです。

言い訳としては「ブランドとかじゃなくて、色がきれいだから。」っていうのもありかも知れませんが、でもそこに印刷されているのが「CHANEL」や「TIFFANY&Co.」ではなくてスーパーのロゴだったら使わないでしょう?ね?

所詮、紙袋は紙袋。それ以外のなにものでもないのです。

La Mode *Accessoires*

アクセサリー、本当にしないです。
したとしてもほとんどがブレスレット。HERMESやDior hommeのシンプルでシルバー金具の物ばかりです。

金か銀かは好みの問題があるので全然、構わないと思うのですが、かばん同様、着ているものとの相性を考えない人が多すぎです。
まずぼくは金の金具の物がついた洋服やかばん、靴などをほとんどもっていません。(ぼくはあくまでも銀色好みなので。金色を否定する気はまったくないです。)ぼくの中で嫌なのが金と銀の金具やアクセサリー、付属がバッティングすること。ぼくとしては違和感を感じます。もし金の金具が着いているものを身に付ける時は徹底して他の部分から銀色の物をなくします。逆もしかり。

金と銀は大変強い色なので使い方が大事です。それが一緒に使われているジュエリーなどは否定しません。それがそのものの完成している形なのですから。

この大原則をもとにしても、ぼくの中で理解できないのはいつでも同じネックレスをしている人。なんか戒めのため?
何を着ていても、いつ会っても例えば同じ細いチェーンのネックレスをしていると「なぜ?」と思ってしまいます。(多分、生活の一部ではずしたりしないんでしょうけど。)なのでぼくはミサンガや革を水でのばして装着するなどのはずせないものはつけられません。

いつもつけている程気に入っていたり、いろいろそれに思い入れがあるのはわかります。でもネックレスやペンダントは特にシャツの形やニットの形、要するに襟元の形との相性を考えて欲しいのです。例えばぼくはHERMESのクロシェット(でっかい鍵カバーのペンダント)を持っていますが、なかなか使う機会がありません。あれは極力無駄を省いたシルエットと合わせてこそ生きてくるものだと思うので。(エルメスの広告に使われているボタンなしの前が下まで開いているシャツなどは抜群の相性です。)

以前にも書きましたが欲張りはいけません。(もちろん、最近はスタイリングも主流はオーバーコーディネイトですが、正直、美しく思えない。)アクセサリーを主役に置く時にはそれを主役におきましょう。そうじゃなかったらそれを感じさせない程度にしっくり馴染む程度の物を(結婚指輪でもシンプルであれば気になりませんよね?)チョイスした方がいいと思います。

とはいえ、ぼくが金と銀の美しい調和を認められないことが、本当はまだまだなのかも知れませんね。

La Mode *Value*

最近はストリートファッションが花盛り、ということでなにかと少量生産がもてはやされています。が、ぼくはこの少量生産というものに疑問を持っています。少なきゃいいのか?限定だから欲しいのか、それがほんとに欲しいものなのか、そこが曖昧になってきているような気がするのです。唯一ぼくが少量生産(または一点もの)に価値を見出せるのは宝石です。その時に手に入る最高のものだけを使って作られるものは最高の物です。それは代わりがきかないもので、制限がある中で創造されたものです。アンティークのCartierやTiffanyは本当に素晴らしい。

よく見かける「3000個限定」「200枚限定」の文字ですが実はファッション業界のなかで3000はかなりの大量生産に属します。200でもそんなに少なくはないのです。ま、飢餓感をあおるのは売り上げにつながりますからね。あと、店員さんがよく口にする「今季だけなんですよ、このアイテムは・・・。」って、当たり前です。シーズンの最初に生産数が決まっているんだし、次のシーズンには新しいものを出さなきゃいけないんだから。それを「今季限定」というのはおかしいです。(ま、評判がよかったら生地やディテールを変えてまた出しちゃったりするんだけどね。)

あと、「古着リメイク1点もの」、これもくせものです。ぼくはこれに全く価値を見出せません。それは1点ものである理由が「1点しかどうしても作れない、なぜなら偶然の産物だから。」という場合が多いからです。「古着のT-shirtにxxxを付け、ステッチを入れました。」というものはプロの仕事ではありません。学生仕事です。「そのアイデアに対して代価(お金)を払うんだからいいのでは?」と思われる方はそれはそれで構いませんが、ミシンを10日もいじってみればそれがどういうものであるがおわかりになると思います。ぼくは大量生産をプロの仕事と見なしているのではなく、「必要であれば大量生産も可能である」ものをプロの仕事と見なしているのです。きちんと計画して作られたものは仕上がりが違います。

たしかにいろいろなアイデアをかたちにしていくということはとても大切なことです。これがないと新しいものは生まれてきません。ただぼくはプロとして働いているので中途半端(Develop-発展途中)な段階では表に出そうとは思いませんし、出せません。プライドの問題ですが、これは。

ものの価値はあくまでもそれぞれの主観的なものです。ですので、ぼくの言っていることが完全な正義ではありません。言っておきたかったことは見る目を養ってお買い物をしましょうということです。

La Mode *Le sac*

みなさんはかばんについてどのくらい真剣に考えているでしょうか?
ぼくはものすごく真剣です。
「今日はこのかばんをどうしても持ちたいからこの服にしよう。」と考えることもしばしばです。

悲しいことですが(別に悲しくないかも知れないけど)日本人とアジア人の人はかばんがトータルコーディネイトに占める重要性についての意識がとても薄いと思います。

みなさんが持っているLouis VuittonやPRADAのかばん。
ぼくが疑問に思うのはなぜそれを選んだかということです。
Louis Vuittonを持って歩いている人の95%は間違いなく貧乏臭く見えます。高いはずのLouis Vuittonのはず・・・。なぜでしょう?

答えは簡単。その95%の人はブランドというものにファッション性ではなく情報しか見出せていないまま買ってしまい、持ち歩いているからです。
情報とはLouis Vuitton→ブランド→高い→持っている私にステイタスを与えてくれる、という図式です。

間違いです。

その95%の人たちはそれがLouis Vuittonでなかったらそのかばんを(とくにモノグラムやダミエのこげ茶系のもの)を選ぶでしょうか?選ばないでしょう。そのこげ茶色のかばんはあなたの着ている服に合っていますか?PRADAではないナイロンかばんにそこまで大枚をはたくでしょうか?

ぼくはどうしても欲しかったLouis Vuittonのダミエのナヴィグリオを買ったことがあります。デザインもよかったし手持ちの服と合わせられると思ったからです。しかし、無理でした。どうしてもそのブランドイメージが先走ってしまいどんな服と合わせてもしっくりこなかったのですぐに手放しました。(はずしとして使ってもよかったんだけど、それすらも気分がのらなかった。)

高いかばんを無理して買って無理矢理持つのならば、もっと自分に似合うリーズナブルなかばんを3つ買う方が素敵に見えると思います。
高いものを持っていても、それが馴染んでいなければ、人は「高い。(または高そう。)」という記号しか読み取ってはくれません。

なによりも大事なものは「ブランドものを持っていることがかっこいい自分自身」ではなく「ブランドを持っていることを他人に意識させないくらい、かっこいい自分自身。」ではないのかな?


La Mode *Sophisticated*

さてさて最初のお題は洗練とはなんぞや?ということです。
ぼくが洋服を選んでいる時や仕事に関わっている時はとにかくなによりこのことが大事です。こればかりはセンスや才能と一緒でなかなか得難いものです。

世の中にはなにを着てもあかぬけて見える人(ケイト・モス、桃井かおり、樋口可南子など)や、なにを着ても、うーむな人(林真里子、飯島愛、沢口靖子)がいます。こう考えてみると目の離れた人はあか抜けて見えがちですね。(シャネルのマリア・カルラとか)でもそれだけではないはず。

高いものを着ればいいわけでもないし、かといってある程度のお金は使わなければいけない部分もあると思います。それはブランドに頼らなくてもできることです。ただ高い服というのはそれだけいろいろ考えられています。生地、パターン、縫製などものすごく吟味されているのでおしゃれをする際の大きな手助けにはなります。(ロゴだけで売っているブランドは除外します。)

ぼくの考える洗練というのは「ぬけのよさ」です。潔さ。ミニマムなHELMUT LANGもぬけがいいと思うしいろいろなものがミックスされているMARNIもぬけがいいと思います。ギャルソンの常に革新的(ま、賛否両論だけど。)なところはかっこいい。
ようするに「ここを見せたい。」と思うところがはっきりしていることです。

ブランドもいばりたい、値段もいばりたい、そしてわたしも見てーという人はあか抜けて見えない場合が多いです。あくの強い服を着てもすごくかっこいい人もいますが(たとえばBjorkなど)それはほんの一部の人であって、そういう人は服よりその人の才能や生き方がまさっている場合がほとんどです。それこそ普通はまねできません。

ぼくも洋服を選ぶ時に今日は自分はなにをするのか、どこに行くのか、主役のアイテムはなんなのかものすごく考えます。(そのせいで遅刻ばっか。)ぼくはいろいろな色を使うことがまだできないので(ぼくもまだまだです。)どちらかというと少ない色数で全体をまとめることが多くなります。そうなると例えば上下黒だったら違う素材感のものはなるべくあわせたくないし、インナーや靴の色もものすごく考えます。かばんもきっちり合わせます。(そして遅刻。)足し過ぎと思ったらすぐ引き算します。そして物足りなくなってしまったら、また少し足します。(そして遅刻、とほほ。)
ここまですると考えすぎなのかもしれないけどすっきりしてみえるのは確かです。(多分。)すっきりと洗練は違うものですがよっぽどの熟練工ではないかぎり足して足して足しては撃沈しがちです。(その点でぼくはMARNIやFENDIはすごいと思います。ぎりぎりのうまさ。)

あまり、まとまった文章になりませんでしたが、ぼくが最近目指しているのは洗練された色使いです。下に参考にこれは!と思わされた色使いのコレクションを上げておきます。

日々、勉強です。

*プラダの唇プリントがあった時のレディライクコレクション 
  紫、ダークチェリー、若草色、焦茶のバランスが本当によかった。
*ラングのピンクのチュールを使った時のコレクション
  モノトーンに差し色として使われていてかっこよかった。
*マルニの今回の春夏
  あれだけいろいろミックスされていて毛皮まで使って嫌みにならないのはすごい。
*チャラヤンがやったTSEのコレクション
  ベージュ系のグラデーション。すごくまとまりがあった。

みなさんはお気に入りのコレクションはありますか?
ぼくの好きな本にVisionaireがありますがその「Chic by Mario Testino」ではこんな言葉がありました。

Chic is nothing. But Right nothing.

まさにこれですね。

ではでは。


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