友人との別れ。
歩いてくる道が満月に照らされていた。ぼんやりとして綺麗……
”地震”という言葉や”津波”とか”原子力”という言葉が人々の間で日常用語となりつつある。
地下鉄は節電でどこかうら寂しい。北朝鮮へ拉致された人々の顔写真が載った”東京へ帰せ”という広告がその闇の中では印象的だった。それでも、浮かれ騒ぐことで今現在起こっていることを無視するのか?
”わからないなぁ”と思った。私には”わからない”
けれど”わからない”ということは簡単なことで、”わかろうとする”努力が必要なはず。
相変わらず坊主頭は私の行く先に衝撃を巻き起こす。どうして自分のスタイルを持つことで生き難いのか?
”お前は自分の人生から逃げるのか?”とスナックの兄さん。”それなら母ちゃんと一緒だ”そして歴史は繰り返される。
小さな時から、物事は繰り返されるということが怖かった。虐待された子供が更にその子供を虐待するようになる……可能性。
”死んだ方がましだ”と母親が言葉の暴力を投げつけると、私には信じるものがなくなる。ならばどうして?と。ちょっと母親と距離を置きたいと思うのはそういう時。
”おたがい愛してる、おたがいにくんでる、お互い泣いている”という河島英五の歌詞はそのまま私達にもあてはまる。昨日スナックで歌った天秤ばかり。人間そのものへの愛情、慈愛の念がないと書けない歌。
そういう人間が生きたという現実がとても救いだ。果たして世界に平和の日がくるのだろうか?人は人にひどいことをする時、理由をつけたがる。いい訳をする。
ああ、考えたらお腹がすいた。彼の歌を何度も聴く。心が透き通るようだ。何もかも。
それなのに、動く気がしない。
この歌が言いたいことは何だろう?この歌が伝えたいことは?
この歌を私に教えてくれた恩師は何を思ったか
ありとあらゆる所で怒っている先生。けれど、気がついたら怒っているのではなくて、叱っているのだった。愛情を持って、その日出会うありとあらゆる人々を叱っている先生。
それに気がつくか否かは関係がない。行動がただそこにあるのだ。その行動の清さがあるのだと、今の私は思う。
そして、あの時の私は残酷だ。今でも十分残酷だ。昔ほどではないにしても。
事実を突き止めることが全てだと思っていた。真実が一番なのだと。だから、気がついたままに私は言ってしまう。時々、ぼそっと呟く。先生曰くその呟きがなかなか的をついていて怖い時があるのだそうだ。
先生の為にも今日をそして、明日を生きていこう。恩返しというのが、例え先生当人にではなくても、誰かに還そうというのが、先生のメッセージなのだから。
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SEAL OF CAINさんComments