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それは、今大学1年のよしが、小5の時ですから、かれこれ8年前になります。子育て奮闘してました日記になってしまいます。
よしが、体調不良で、総合病院に行ったのは、夏休み真っ盛りの8月始めのことでした。
お医者さんの診断は、溶連菌から来る急性腎炎とのこと。
数週間前、近くの町医者にかかりましたが、溶連菌とわからず、ただの風邪として放っておかれていたため、菌が生きていて、腎臓に来てしまったのです。
お医者さんは、「3週間ほど入院しましょう。」と、さらり。
私とよしは大ショックです。これから夏休み本番で、キャンプや海水浴や、いろいろ計画を立てて、楽しみにしていたのに・・・・・・・・私はどうして町医者にかかってしったんだろう、最初からこの病院で診てもらえばよかった、と自分を責めました。
失意の私たちを看護婦さんが病室に案内してくれました。
そこは小児専門ではなく、普通の男の人と一緒の部屋でした。
3人の無愛想な(その時はそう思いました)おじいさんがいて、テーブルには思い思いのジュースやお茶や、おいしそうなお菓子が置いてあり、それぞれ時代劇を見たり、昼ねをしたりと、入院生活がしっかり定着している様子でした。
親以外のおじいさんとは、あまり接する機会がない私は、この相部屋のかたがたにどう対応すればいいのかわかりませんでした。ましてや、子どものよしなんてなおさらです。
ここに3週間もいなくちゃいけないのか・・・・・私たちは途方に暮れました。
看護婦さんから、いろいろ注意がありました。「ジュースもお茶もお菓子もだめ。おかずは当分、味はありません。」と。
私は「せめて、スポーツドリンクはだめですか。」と聞いたら、「はい、だめです。飲めるのは水だけで、毎日決まられた量だけ飲んでください。」と、きっぱり。
ますますよしがかわいそうになりました。
下の子がまだ3歳なので、私は泊まらずに、母に付き添ってもらいました。
次の朝、よしの病室に飛んでいった私は、びっくりしました。
なんと、おじいさんたちのテーブルの飲み物が、ジュースやお茶ではなく、ミネラルウオーターに変わっていたではありませんか。お菓子も全然見当たりません。
私たちと看護婦さんとの会話を聞いてくれてたのです。おじいさんたちの細かな配慮がうれしくて、私は泣きそうになり、ちょっとでも、途方に暮れたことがすごく申し訳なく思いました。
数日後、よしは、高血圧から意識障害を起こしてしまいました。パニックになる私の目の片隅に、おじいさんたちの心配そうな顔が映りました。
重症ということで、個室に1週間ほど移っていました。
そして小康状態になり、また元の部屋へ。最初無愛想だと思っていたおじいさんたちが、しゃべるしゃべる。「お~帰ってきたか~」「もう大丈夫か~?」「また一緒に水戸黄門見られるな~」と、よしを、暖かく迎えてくれたのです。そして飲み物は変わらずミネラルウオーター。
よしのこと、本当に心配してくれていたんだ、と、心の底から感じ、私はうれしくてなりませんでした。
よしの退院の日が来ました。もうすでに2人のおじいさんは退院していて、木村さんというおじいさんだけになってしまいました。その頃にはもうよしは、木村さんと大の仲良しになっていました。
私は、木村さんに万感の思いを込めて、「ありがとうございました。本当にお世話になりました。」とお礼を言いました。
夏休みを奪われ、おいしいものも口にできないかわいそうな少年を、木村さんたちは、精一杯励まし、元気付けてくれたのです。
楽しいはずの夏休みが病院生活で終わってしまったよしでしたが、3人のおじいさんという人生の大先輩から、心からの優しさというかけがえのないものをもらうことができました。大きな心の財産ができた小5の夏休みでした。
私は8年たっても、このことは忘れられません。
一生忘れたくありません。
そして、今度はわたしたちが、人に優しさをあげられる人間になりたいと思っています。
それが、木村さんたちへの恩返しになれば・・・・・