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私は茨城県に住んでいます。
今回、震災に遭いました。といっても、こうやってパソコンに向かっていられるのですから、宮城や岩手の方々に対して、震災に遭うという言葉を使うのが申し訳なく思います。
しかし、今回、震度6強という、まったく経験したことのない、地震に遭遇して、本当にこわくてたまりませんでした。
帰省していたよしは友達の家、りんは学校、両親は散歩、ということで、家にいたのは、私一人でした。細かい縦揺れから始まり、それがだんだん強くなり、家の中での危険性を感じ、外に出ました。家中のそちこちから、ものが倒れる音、割れる音が響いていました。
その中を、二階のこたつで丸くなっていたねこのくうを助けるのがやっとだったのです。
帰ってきた両親と、くうを抱きながら道路で近所の人たちと非難していました。
何度も何度も余震が続く中、家が揺れる音を聞きながら、家が崩れるんじゃないかとパニックになっていました。
そんな中、よしと連絡を取ろうとしたら、お友達のお母さんが車に乗せて連れてきてくれました。
また、近所のお母さんが来てくれて、小学校にお迎え行っていいみたいですよ、と言ってくれました。
小学校に迎えに行くと、りんが泣き泣き駆け寄ってきました。
みんながそろって家に入ると、倒れていたものは下駄箱、本箱、ピアノが斜めに移動、二階はひどく、押入れの中のものがごっそりちらばり、ガラスの額縁が落ち、ガラスが粉々になり、りんの机の周りには、教科書、本、ぬいぐるみなど全部散乱していました。
すぐに停電になり、暗くならないうちにと、片付けに入りました。
よしが力仕事など、懸命に手伝ってくれました。りんは、片付けをしたくないらしく、飲み物をくばりま~す。なんてやってました。あらためて、みんな無事で本当によかったと、実感しました。
停電は続き、断水にもなりました。
ろうそくと懐中電灯、配給の水での生活が始まりました。
プロパンガスは使えたので、食事は何とか作れました。
暖房は石油ストーブたった一つ。
そんな生活が3日間が続き、昨日、やっと電気が復旧しました。断水は続いています。
そして、あらためて清掃し、落ち着いて見てみると、内壁にひびが何箇所も入り、外のコンクリートブロックもずれていました。地震の凄さを物語るものでした。
停電、断水、ガソリン不足、食料不足、と、11日のあの時間以前には、まったく想像していなかった、非日常の生活を送っています。
あらためて思うのは、ごく普通の平凡な生活がおくれることがどれだけ幸せかということです。
そして、自分は地震当初、パニックになるだけで、子供たちのことでは、他のお母さんたちのおかげで対処できました。これで津波の地域とかだったらきちんと子供たちを守れたのかと、疑問に思います。
今回、水はあるのかとか、充電は大丈夫とか、いろいろな人から声を掛けてもらいました。こんな時だからこそ暖かさが身に染みました。”助け合い”って、すばらしいなと実感しました。
宮城、岩手などの地域では、たくさんの方が亡くなり、避難生活の方も苦しい生活をされています。
亡くなった方へのご冥福をお祈りいたします。また、行方不明の方が一日も早く救出されることを、ただただ祈るばかりです。