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横浜の山下公園に、かつて太平洋航路で活躍した貨客船「氷川丸」が係留されています。当時は日本一豪華な客船だったそうですが、現在の超豪華クルーズ船と比較すると、随分小さく見えます。
氷川丸の誕生は1930年(昭和5年)。以来1960年(昭和35年)の引退まで、30年間活躍しました。製造されたのは当時の横浜船渠、後の三菱重工業横浜造船所。つまり、ランドマークタワー等の林立する、現在のみなとみらい21地区です。
この氷川丸の歴史について書かれた HP があります。それによると、戦前に国際航路で活躍し、戦争中は病院船として海軍に徴用されました。同時竣工の姉妹船が次々に戦争に巻き込まれて沈没していく中で、奇跡的に生き残ったと言っても過言ではないでしょう。なにしろ戦争終結当時、大型船の殆どが沈没し、 太平洋を横断出来る船はたった3隻 しかなかったのですから。
戦後しばらく復員輸送船として活躍し、1953年(昭和28年)に太平洋航路に復帰、7年間活躍の後引退し、横浜港開港100周年記念事業の一環として山下公園に係留され、現在に至っています。
第二次大戦中に軍用商用を問わず、多くの船が沈没した中で、無事生き延びて戦後も国際航路で活躍した氷川丸。そうした歴史を知ると、戦争遺跡のひとつにも見えてきます。
そんな氷川丸ですが、ここに来て最大のピンチに立たされている様です。入場者数の減少に歯止めがかからず、赤字が続いていて、このままでは 運営会社 が手を引くかもしれないらしいです。万が一の時には、かつての所属先の日本郵船が、「何とかして守りたい」との意向も示しているらしいですが、果たしてどうなるでしょうか?しかしこれだけの強運の持ち主ですから、きっと良い方向に進んでいくのではないでしょうか?
やっぱり混んでいました 2007.05.03 コメント(6)
桃も桜も花盛り 2007.04.08