不惑過ぎても惑いっ放し

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rose_chocolat @ Re:今年下半期に観た映画(12/31) こんばんは。 この中に、見逃してしまっ…
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rose_chocolat @ Re:2009年下半期に観た映画(12/31) 『パチャママの贈りもの』は未見です。 …
ihisaki@ Re[1]:2009年上半期に観た映画(07/04) 逆立ち天子さん、メッセージありがとうご…
2006.08.13
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横浜の山下公園に、かつて太平洋航路で活躍した貨客船「氷川丸」が係留されています。当時は日本一豪華な客船だったそうですが、現在の超豪華クルーズ船と比較すると、随分小さく見えます。

氷川丸の誕生は1930年(昭和5年)。以来1960年(昭和35年)の引退まで、30年間活躍しました。製造されたのは当時の横浜船渠、後の三菱重工業横浜造船所。つまり、ランドマークタワー等の林立する、現在のみなとみらい21地区です。

この氷川丸の歴史について書かれた HP があります。それによると、戦前に国際航路で活躍し、戦争中は病院船として海軍に徴用されました。同時竣工の姉妹船が次々に戦争に巻き込まれて沈没していく中で、奇跡的に生き残ったと言っても過言ではないでしょう。なにしろ戦争終結当時、大型船の殆どが沈没し、 太平洋を横断出来る船はたった3隻 しかなかったのですから。

戦後しばらく復員輸送船として活躍し、1953年(昭和28年)に太平洋航路に復帰、7年間活躍の後引退し、横浜港開港100周年記念事業の一環として山下公園に係留され、現在に至っています。

第二次大戦中に軍用商用を問わず、多くの船が沈没した中で、無事生き延びて戦後も国際航路で活躍した氷川丸。そうした歴史を知ると、戦争遺跡のひとつにも見えてきます。

そんな氷川丸ですが、ここに来て最大のピンチに立たされている様です。入場者数の減少に歯止めがかからず、赤字が続いていて、このままでは 運営会社 が手を引くかもしれないらしいです。万が一の時には、かつての所属先の日本郵船が、「何とかして守りたい」との意向も示しているらしいですが、果たしてどうなるでしょうか?しかしこれだけの強運の持ち主ですから、きっと良い方向に進んでいくのではないでしょうか?






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Last updated  2006.08.13 15:10:13
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