23 コーラ・ディ・リエンツォ氏の誘惑

LA VENTITRESIMA PUNTATA  "LA TENTAZIONE DI SIGNOR COLA DI RIENZO"
第23話 コーラ・ディ・リエンツォ氏の誘惑

まったく彼には魅了されてしまっている。
わたしの大好きな ジェラートもパスタも食べさせてくれる し、
洋服もオシャレなものばかり 持っている。
疲れた時にはホッと一息、 安らげるところを提供してくれる懐の深さ もある。
ただでさえ人気者なのだから、
ましてや日本人には紹介したくないのだが…。

話は 14世紀にさかのぼる
当時のイタリアは一つの国家を形成してはおらず、
ヨーロッパの諸貴族が所有する土地の寄せ集めみたいなものであった。
ローマはご存知、ローマ教皇(法王)領であった。

この中世イタリアで、
古代ローマ時代のような 市民による政治を取り戻す べく、革命を試みたのが、
われらが コーラ・ディ・リエンツォ である。

1347年、カピトリーノの丘に市民議会を召集し、
反貴族の意思を表明したコーラは、
ローマの群集から拍手喝采を浴び、
古代ローマ時代に存在した 「護民官」の地位 を得た。
税制、法制など政治制度の改正を宣言し、
市民による ローマ皇帝 選挙までも発案したのである。

しかし彼の活躍をおもしろく思わなかったのが、
貴族やローマ法王であった。
犯罪者、異教徒の汚名を着せられ、アブルッツォに隠れたコーラは、
プラハに亡命せざるを得なくなる。
そこでドイツの神聖ローマ皇帝に助けを求めたものの、
裏切られてローマ法王クレメンス6世に引き渡され、
しまいには宗教裁判にまで かけられた。
無実は認められ、次の法王の代になってローマに戻り、 元老院議員として返り咲く も、
貴族コロンナ家の搾取によって苦しめられていた
ローマ市民の 暴動に巻き込まれて殺されてしまった
まだ41歳の若さであった。

そんな彼、コーラ・ディ・リエンツォの名の付いた
コーラ・ディ・リエンツォ通り(Via Cola di Rienzo) には、
おいしいジェラート屋さん、レストラン、素敵なブティック、
庶民的な露店、デパートにスーパーに喫茶店と何でも揃っている。
ヴァチカンのサン・ピエトロ広場の北側、リソルジメント広場から
東に延びる三本の道のうちの一つである。
ヴァチカン付近へお越しの際は是非どうぞ。

(2006年6月)

参考にしたサイト
コーラ・ディ・リエンツォの説明 (英語のサイト)

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