三昧境と懼敬



ルーミー語録 
談話その四十一

「先生がため息をつきなさるとたんに、
せっかくの三昧境がきえてしまいました。
どうかため息などおつきにならないで下さい。
瞑想が乱れます」

と、だれかが言った。

この人に師はこうおっしゃった。

「だが、ため息をつかないと、三昧境が消えてしまうこともある。
時と場合によって違ってくる。
それだからこそ、「まことにアブラハムはよくため息をつく穏やかな人である」
と神は仰せられたのである。
また、そうでないなら、懼敬(くぎょう)の心など外に表さないほうがいいのだ。
およそ内心の状態を外に表すことは、すべて一種の三昧なのであるから。
そなたが今、言ったことは、三昧境を味わいたいという下心があって言ったこと。
つまり、三昧の状態に引き入れてくれる人があれば、そういう人の傍にいて、
三昧境を味わわしてもらいたいという気持ちがそなたにはある。

 これはちょうど、ぐっすり眠っている人に誰かが大声で
「さあ、起きるんだ。もう日も高い。キャラバンが発ってしまうぞ」
と、怒鳴る。

すると他の人が、
「怒鳴るんじゃない。この人は、今、三昧にある。
怒鳴ると三昧がくずれてしまう」とたしなめる。

今問題になっていることもこれとよく似ている。

第一の人の言い分は
「今、この男が沈潜している三昧は彼の破滅だ。
あっちの三昧こそ破壊からの救いだ」ということ。

第二人の人の言い分は
「この男の心を撹乱してはいけない。
そう怒鳴りたてては三昧の障りになる」ということ。

すると、第一の人が言う
「いや、こうして怒鳴ってやってこそ、三昧に入れる。
さもなくば、あんなにぐうぐう眠っていて、何が瞑想だ。
目が覚めてから、ゆっくり瞑想させようとでもいうのか」と。

してみると、同じ怒鳴るにも二種類あることがわかる。
もし怒鳴る人が相手よりも実在認識において上位にある場合は、
怒鳴られた人の瞑想は深まる。
・・・・中略
反対に、呼び覚ます人が自分より知性的に低次にある場合は、
呼び覚まされた人の視線はどうしても下に向く。
・・・・略




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