「黄金」その3



 黒澤明の「七人の侍」における勘兵衛こと志村喬に似ています。ハワードは勘兵衛ほど禁欲的でも、深いところで絶望的でもありませんが。寛容さを持ち合わせています。姿かたちがやさしさに満ちています。

 数十人が宿泊するドヤ(簡易旅館)で、山師ハワードが長広舌を振るっています。

 「黄金は人を変える」「5000ドル掘り当てれば良いと思っていたのが、あと1万ドル掘るためには死んでも良いと思うようになる。」

 「5万ドル掘れば10万ドル欲しいとなる。」
 「掘り当てるまでは友情も続くのだが。」

「俺はアラスカやカナダ、ホンジュラスまで世界を股にかけて掘ってきた。」

 聞いてた男たちの一人がまぜっかえします。
 「その口ぶりでは昔は大金持ちだったようだが、このザマはどうだ。」

 ハワードは平然と、反省するかのように、達観した口ぶりで
答えます。

 「それが黄金の魔力だ。一山当てたらもう一山当てようとして儲けをつぎ込んでしまう。」

 「黄金は高価なのはなぜかわかるか。金鉱を捜し当てるのは1000人に一人だ。金を探して山をほっつき歩いても、のたれ死にするのがオチだ。」

 1948年の映画ですが、現代に置き換えても何ら色あせた感がしません。永遠の真理を老人は語っています。

 黄金を株式上場とおきかえてみたらどうでしょう。よき伴侶を見つけること、司法試験に合格すること、文学賞を受賞することではいかがですか。

 昨年末にも、弊社の勤続8年の編集部員は文学者になりたいと辞表を出しました。自分より若い新人が次々と受賞するのを仕事柄、記事にしていると、焦燥感がつのってどうしょうもなくいらだつ、とは本人の弁でした。

 「君は文学がやりたいのか、有名になりたいのか、ベストセラーを出して金持ちになりたいのか、どれなのか?」
 と、たずねても「どれも当てはまることを否定できません。」という返答でした。

 ここにも黄金を掘ろうとしている人がいます。

 えらそうなことは言えません。実は私も10年以上前、メキシコで鉱山を漁っていた(あさっていた)ことがあることを告白します。
(続く)次回は「偽の黄金=馬鹿の黄金fool'sgold」からお話させてください。


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