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私
: カカオ豆
の栽培が ゴールドコースト
で行われるようになったのは、一人のアフリカ人の力だという。
彼は、 ゴールドコースト
に生まれたが、仕事で他の植民地に行ったとき、 カカオに魅せられ、ゴールコーストに種を持ち込んで育て、農民に広がった。
これが 1870
年代で、 30年後
に種が成木になった頃、タイミングよく 板チョコやココアを求める世界の大合唱
が始まった。
しかし、 カリブ海とラテンアメリカのカカオのプランテーション
は 病害に襲われ対応
できない。
A氏 : ギニア湾のポルトガルの島 があるのではないの?
私
: 奴隷制廃止論者が告発
していた。
だから、 イギリスのキャドバリー社
は スキャンダルにまみれていないカカオ豆を求めてゴールドコースト
に目をつける。
この時点で、 イギリス政府
は新しい市場が開けたことに気がつき、増産に介入してくる。
1920年代
には、 ゴールドコースト
は、 世界最大のカカオ輸出国
になっていた。
A氏 : ゴールドコースト は 1956年に独立 するね。
私
:建国時の 大統領 エンクルマ
は、 国名を ガーナ
とする。
独立国ガーナは以降、 カカオによって富
を蓄えることになる
。
そして、 カカオ豆生産者が団結して価格を安定的に設定できるようにカルテル結成
を試みる。
この カルテル破壊
に ハーシー
が乗り出し、買い占めてからたたき売りする。
1970年代
、 カカオ豆
はこれにより暴落し、 カルテルは崩壊し、ガーナは膨大な債務を抱える。
多くの農民がカカオ栽培を断念し、食料生産に切り換えた。
追い討ちをかけるように 1980年代初め
、 山火事が農園地帯に壊滅的な打撃
を与え、 ガーナのカカオをほぼ全滅
させた。
A: そこで カカオの最大の供給地としてのコートジボワールの登場 になるのか。
私
: 1960年
、 コートジボワール
は フランス植民地から独立
し、 ウーフェ
が初代大統領
となる。
彼は移民を受入れ、外資を導入し、 カカオを増産し、独立10年でコートジボワールのGNPは倍増
した。
「 経済の奇跡
」と言われる。
しかし、彼も多国籍チョコレート企業との戦いに敗れ、 多額の債務
を抱えるようになった。
A氏
:そこへ 世界銀行とIMFが介入するというパターン
だね。
債務国
では、 農産物は輸出向け商品作物
に絞られ、 自国で消費する食糧は殆どアメリカから輸入
する。
国営企業は民営化され、売却
。
まさに 世界銀行とIMF指導による 新市場原理主義の導入
だね。
その結果は、 カカオの暴落
となった。
私
: コートジボワール
のカカオ栽培の農民たちは低コストでカカオ豆を作らねばならないため、児童を無給で長時間働かせるために 児童の人身売買
をかくれて行うようになる。
そして、 ジャーナリズムがそれを暴露
する。
2001年
、 アメリカの下院議員
の エリオット・
エンゲル
は、 コートジボワールのカカオ農園の児童奴隷の記事
にショックを受け、 チョコレートにラベルをつける提案をした。
児童強制労働と無縁の製品であるときは、チョコレートに「 奴隷不使用・ スレイブフリー
」という表示ができるというものだ。
これが 下院を通過
する。
A氏 : アメリカのチョコレート大企業 である マーズとハーシー は驚いただろうね。
私
:アメリカのチョコレートのカカオはほとんど コートジボワールのカカオ
だ。
大企業は コートジボワール政府
のせいにするが、 コートジボワール政府は否定
する。
大企業は ロビースト
も使う。
しかし、 2005年7月
までに クリーンなチョコレート
にすることを企業は約束する。
しかし、この約束は、 戦争
によってあまいになる。
A氏 : 戦争 ?
私
: コートジボワールに内戦が起きた。
移民とコートジボワール人との対立となり、 2002年9月にコートジボワール北部で反乱が発生
した。
こうして、 経済の奇跡を起こしたコートジボワールは、最悪の内乱を迎えることになる。
明日は、その経過についてふれよう。
「ポスト戦後社会」吉見俊哉著・シリーズ… 2009.09.01
「イスラムの怒り」内藤正典著・集英社新… 2009.08.24