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私
:図書館に予約してから大分待って俺の番が来たね。
今、 NHK
で「 プロフェッショナル仕事の流儀
」というド キュメンタリー番組
があるが、この リンゴ栽培の主人公 木村秋則
氏は 2006年に登場
しているんだね。
これが大きな反響を呼んだらしいね。
この本は、 1949年生まれの、その木村秋則氏のこれまでの多彩な人生
の記録だね。
ノンフィクション・ライターの 石川拓治
氏がうまくまとめているね。
A氏 :無農薬でうまいリンゴを作りだした青森農家の人の苦労話しかね。
私
:それどころではないね。
これは、 まさに身をもって示した文化論、文明論
だね。
俺は、 「かけがえのないもの」養老孟司著
との関連
を考えていたよ。
木村氏は、 青森農家の三上家の次男
として生まれる。
頭がよかったらしい。
機械いじりが好きだった。
高校時代は オートバイに熱中
し、 中古のオートバイのエンジンを改造
する。
A氏 :もし、都会に生まれたか、もう少し生まれるのが遅かったら、優秀なレーシングドライバーか、自動車メーカーのエンジン開発者になっていたろうね。
私
:高校を卒業し、次男なので 集団就職で川崎にある会社に入社
する。
週末には、 湘南のチューニングショップ
に通った。
エンジンの改造に没頭
する。
川崎に1年半いたが、長男がパイロットになりたいと言って、自衛隊に入隊してしまったので、 青森に帰る。
自衛隊に行くといった兄が思いなおして帰ってくるが、 22歳で木村家に婿養子
に入り農家を継ぐ。
A氏 :農業の道を進むのが運命だったのかもしれないね。
私
:彼は、 農業トラックター
にひかれ、イギリスの高馬力のトラックターを買い、トウモロコシの大規模農業を目指す。
こうして、トウモロコシは成功するが、一方、リンゴもやっていた。
しかし、妻は、リンゴの農薬には弱い体質だった。
冬はヒマなので、 木村氏は読書に精を出す。
あるとき、偶然、 福岡政信
の「 自然農法
」という本に出会う。
福岡政信
は農学者というより、思想家で、 無為自然の老子のような思想
を持っている。
リンゴの栽培には、 春先から9月の収穫前まで十数回の農薬散布
を行なっている。
リンゴの葉は真っ白になる。
農薬散布という人為
がなかったら、 虫や病菌
にやられリンゴは取れない。
A氏: その福岡氏の本が、 木村氏の無農薬リンゴの発想 につながる。
私
:福岡氏の農園は愛媛県にあるが、リンゴでなく ミカン栽培
であった。
そして、 完全な無農薬でも、無肥料ではなかった
そうだ。
まず、木村氏はリンゴ園の 化学肥料を止め、鶏糞などの堆肥
を使うようにする。
農薬も減らすようにしだした。
しかし、 自分のリンゴ園を完全な無農薬栽培に移行し始めるのは
1978年頃
という。
4つのリンゴ園を逐次無農薬にしていく。
A氏 :昨日の新聞の広告に「 奇跡のリンゴ 」が載っていたが 、「『絶対不可能』を覆した農家 木村秋則の記録 」とあるが、ここからスタートするわけだね。
私
:実は、青森のリンゴ栽培の歴史を辿ると、 無農薬は無謀
だった。
青森県は 明治40年代にリンゴの病害で壊滅状態
になる。
しかし、大正時代に欧米で使用されていた 農薬のおかげでめざましい防除効果を発揮
する。
A氏
:農薬がなければ青森県でもリンゴ栽培が終息したかもしれないんだね。
その 歴史的な原則
を覆そうというわけだね。
私
:木村氏は、自分のリンゴ園を無農薬にしてから、成功するまで実に 9年
ほどかかるが、その 成功の秘訣
は 、「『絶対不可能』を覆す
」というものでなく、ある意味、最後は、 当然の自然の摂理に従っただけだ
とも言えるね。
本の広告文は正確でないね。
一時は、 リンゴの木は枯れ出し 、 自殺を覚悟するほど窮するね 。
明日は、その中身にふれよう。
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