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私
:ところで、 昭和20年末
には、 日本中に40万人
、 東京には4万人のアメリカ兵士
がやってきた。
「 ワシントンハイツ
」の名称が示すように、 占領軍
は東京のいろいろな所に アメリカ人に都合のいい名前
をつけ出す。
GHQ本部から銀座にかけての一帯
を「 リトルアメリカ
」、 銀座四丁目交差点
を「 タイムズスクエア
」、 銀座通りは
「 ブロードウエイ
」と呼んで 英語の標識
が掲げられた。
宝塚劇場
が「 アーニーパイル劇場
」と呼ばれる。
A氏 :当時、日本人はよく DDTの白い粉 を吹きかけられたね。
私
:焼け野原の東京は インフラが破壊
されていたから、衛生状態が悪かった。
アメリカ兵士が病気にかからないように 防疫が必要
だった。
アメリカ軍は主 要な食料
は本国から運んでいた。
新鮮な野菜は、日本のものがいいのだが、 日本の肥料は当時は人糞
だ。
そこで日本の農地を決め、 化学肥料
を使わせて アメリカ兵専用の野菜
を作った。
売春婦による性病が増加した時期があったようだね。
A氏 :アメリカ兵士には、 娯楽も必要 だね。
私
:そこで 劇場が接収
され、日本人がバンドを組んで、演奏するようになる。
これらの バタ臭い芸能人
が、次第に日本の芸能界の中心となっていく。
この本では、 トニー谷
が登場するね。
俺たち世代にとっては、 懐かしい名前
だね。
トニー谷
は、通訳や事務職としてあちこちの米軍施設で働きながら、やがて日本の芸能界へ入っていった。
A氏 : トニー谷 が、 ソロバン で音頭をとって漫談をしていたのを思い出したよ。
私
: NHKのカムカム英語
も出てくるね。
この番組は 50万人の日本人
が聞いたという。
俺もその 50万人の一人
で、アメリカ帰りの 平川唯一
氏が流暢な英語でしゃべっていたね。
学校英語とは違う英語
が新鮮だったね。
俺の地方都市にもアメリカ将校の家族が来ていたが、 高校の英語の時間
に 将校の奥さんが来たことがある。
俺が「 風と共に去りぬ
」を原書で読んでいると言ったら「 映画になったから見るとよい
」と言われたよ。
当時、市に 立派な図書館ができ、全部、洋書
だったね。
アメリカが文化面でも、金をかけ アメリカ化
を急いでいたのがわかるね。
A氏 : 昭和26年9月 に サンフランシスコ講和条約 が締結され、 翌27年4月28日に発効 し、 7月26日までに占領軍は撤退 することになっていたが、「 ワシントンハイツ 」はどうなったのかね。
私
: サンフランシスコ講和条約
は、 日米安全保障条約
とセットだね。
「 GHQによる接収」された施設
は、「 駐留軍に対して提供」する施設
と変わっただけだ。
「 無期限使用」の施設
に「 ワシントンハイツ
」や 横田、立川の飛行場
があるね。
「 一部使用
」には「 アーニ-パイル劇場
」などがある。
敗戦後、7年たったこの時点で、 日本全国で1264件の物件が「GHQによる接収」された施設 であったことがわかる。
ところが、 昭和36年5月
に突然、「 ワシントンハイツ」の全面返還
の話がアメリカら出る。
日本は 東京オリンピック
を控え、選手村として返還要請をしていたのがけられたので、 選手村は 朝霞
としていた。
「 ワシントンハイツ
」は 府中と大和の空軍基地に移転
で、 移転費用80億円は日本側負担
だった。
返還で喜ぶはずの 東京都が反対
したのは、 オリンピック用の道路計画
が大きく変わるからであったという。
当時の 池田首相
は、 80億円の出費で難色
を示したが、結局、アメリカに押し切られる。
しかし、 渋谷区
は大喜びだったという。
A氏 : 東京オリンピック は 昭和39年10月 に終わるね。
私 :選手の宿舎用として残されていた アメリカハウス は取り壊され、 昭和40年、「ワシントンハイツ」は完全に消滅 した。
ところで、著者は、 最後の章 で、 未だに東京都内に治外法権の米軍ヘリポートがあることを指摘 しているね。
アメリカは、その根底にまだ、 占領意識 があるのだろうか。
今、民主党は、 普天間移転
、 核密約
、 アフガン支援
という問題で相変わらずタフな米国と外交をしなくてはならない。
皆、 安全保障問題
だね。
沖縄問題同様に根が深いね。