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A 氏 : 1914 年 6 月 28 日 、 ボスニア・ヘルツェゴビナ の首都 サラエボ で、当時のボスニアを領有していたオーストリア・ハンガリー二重帝国の皇太子が暗殺され、 第1次世界大戦 が勃発するきっかけとなる「 サラエボ事件 」が起きたんだね。
暗殺実行犯のセルビア人
青年
が、川ぞいの通りを走っていた専用車に向かって銃弾を放った「 ラテン橋
」たもとの現場には、多くの人が訪れた。
人々は、 1千万人
ともいう犠牲を出したこの大戦の歴史の原点
に見入っていたと報じているね。
私 : だが、 首都サラエボ を舞台とした国家主導の行事は開かれなかった。 EU各国の首脳らのサラエボ訪問もなかった 。
それは、内戦をひきずってボスニア国内を二分する「 準国家
」の一つである セルビア人共和国の側
は、オーストリアによる支配からの解放をめざした 実行犯の青年を英雄視
する。
一方、 旧ユーゴ内のほかの民族勢力の間
では「 テロリスト
」との見方が大勢。そうした説に対して セルビア
人側
は、 大戦の開戦責任
を自分たちに押しつけるものだ、と反発してきた。
この いびつな状態
が最大の障害となり、
100
年たっても事件についての 統一した見解
もまとめられずにいる。
現地が和解を描けない以上、 EU首脳らの現地訪問も不可能
だったというわけだ。
ボリス・クルシェフ教授 は「事 件をめぐり、全く異なる解釈ばかりが強調される現状は、歴史の事実とは関係ない政治の反映だ 」と語ったという。
A 氏 :この青年の 相反する二つの像 が存在したまま、 事件 100 年 を迎えた。 20 世紀 をめぐる 歴史認識の溝 に足を取られ、 前に進めない姿 は、 日中、日韓の現状 とも通じるね。
伊藤博文
を暗殺した 安重根
は 韓国
では「 英雄」
、 日本
では「 テロリスト
」。
私
: 民族主義
は、和解を妨げる「 怪物
」ともなりかねない。
歴史認識の違い
を克服し、共存の未来につなげられるのか。
ヨーロッパも東アジアも戦争の世紀を終えた 人類の英知
が問われているね。