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私 : 俺 も この記事 を読むまでは「 縄文時代 は、狩猟採集で生活し、自然と共生していた、貧富や身分の差がなかった、日本文化 の原点 」などという イメージ を持っていたんだが、それは「 つくられた幻想 」だと、 先史学が専門の山田康弘 氏が 指摘 していることが理解できたね。
高校の教科書 もこの 30年位 で大きく変わっているんだね。
A 氏 :「 石器時代 」に「 縄文式文化 」「 弥生式文化 」という言い方は 戦前 からあったが、 戦後 になって、 アメリカの教育使節団の勧告 などのよって、 これまでの神話にもとづく歴史教科書 では ダメ だ、 新しい歴史観で教科書をつくれ ということになった。
最も科学的な歴史観 と考えられていた「 発展段階説 」に合わせて、 狩猟採集段階 の「 縄文式文化 」から 農耕段階 の「 弥生式文化 」へ発展したとなった。
ある意味では 政治的な理由で導入され、決められた という。
私 : 変化が起きたのは1950年代後半 。
1947年に代表的な弥生遺跡である静岡県 の登呂遺跡の発掘調査 が始まり、 広い水田や集落の跡 が発見され、「 弥生式文化」の範囲 も、 西日本だけでなく関東や東北まで広がっていた ことがわかり、 その段階で「弥生時代 」という言葉 が出てきた。
A 氏 :「 文化 」から「 時代 」になったわけだ。
私 ; 50年代 は、 戦後の日本が講和条約を結び、国連に入るなど、国際社会の中で地歩を占めていった時期 で、それと並行して、 日本とは何か、日本人とは何かが強く意識される ようになり、 その中で、「石器時代」、「青銅器時代」、「鉄器時代」といった世界史共通の区分とは別に 、「 石器時代 」を、「 縄文時代」「弥生時代 」と分け、日本独自の時代区分が求められたのだ と思うと 山田 氏はいう。
そして、「 弥生時代 」は、 稲が実り、広々としたのどかな農村 という、 非常にポジティブなイメージ とともに広まり、 戦後まもない頃の日本人 は、「 弥生時代」に日本の原風景、ユートピア を見た が、その一方で、 裏表の関係にある「縄文時代」は、貧しい、遅れた時代ということにされてしまった 。
A 氏 :ところが、 70年代 になると、国土の開発が盛んになり、 大規模な発掘調査 が数多く行われた結果 、「 縄文」のイメージ は大きく変わり、「 縄文」は貧しいどころか、豊かな時代だったという見方 が出てきて、「 縄文は遅れていた 」「 弥生は平和 」という イメージ が 崩れてきた 。
私 :背景に 高度成長 も終わって、 一息つく時期になるという世相 があり、 社会がアメリカ化されてきた反動 で、 日本の原点とは何か を探すようになった。
芸術家の岡本太郎 は、 50年代に縄文土器 を美として「発見」 し、 日本文化の基底にあるものとして「縄文」を新しく提示 してみせ、 縄文ブーム が起きる。
呪術 を行う一方で、 工芸など高い文化 を持ち、 みんなが平等 で、 自然と共生していたユートピア として、「縄文」が描かれるようになった 。
A 氏 :ところが、また、 90年代 になると変化して、「 縄文階層社会論 」が盛んになる。
青森県の三内丸山遺跡 などが発掘され、これほど大型の遺跡がある以上、 「縄文時代」は単なる平等社会ではなかったはずだという見方 が出てきて、 平等社会というイメージに疑問符が投げかけられた。
この背景にある世相は、バブル崩壊後 、 格差や社会の階層化 が問題になった時期 で、 「縄文時代 」ですら階層があったという話に安易に乗る人も出てきてしまった という。
私 :「 縄文幻想 」から 脱する には、 どんな時代も、過度に美化しないこと で、 ある時代の一側面 だけを切り取って、 優劣をつけるのは、様々な意味で危険 で、 「縄文は遅れていた」「縄文はすばらしかった」と簡単に言ってしまうのではなく 、 多様な面をもっと知ってほしい と 山田 氏はいう。
気をつけないと、まさに「 歴史は後世によって作られる 」面が大きいね。