退院後、すぐに「運動ニューロン病」について調べた。
そこで見た、運動ニューロン病の定義。
運動ニューロン病(MND)は狭義には筋萎縮性側索硬化症(ALS)と同義に用いるが、
広義にはALSのほか、同じように運動ニューロンの変性を主体とする
球脊髄性筋萎縮症(ケネデイ・オルター・スン症候群)や、
ウェルデニッヒ・ホフマン病、クーゲルベルク・ウェランダー病、
慢性脊髄性筋萎縮症などを含めて用いている。
上位ニューロン(錐体路)の障害か、下位ニューロン(脊髄前角細胞以下の運動性末梢神経)の障害か、
延髄の機能の障害なのか、はたまた全部なのか。
自分の症状と照らし合わせれば、どう見ても「筋萎縮性側索硬化症」なの。
その時初めてその病名に出会った。聞いたこともなかった。
それが一体どういうことなのかを知った時、泣いて泣いて、も~水分出尽くしたくらい泣いた。
病気を受け入れなくてはいけないことと、体を使う仕事上、仕事を辞めなくてはいけない準備と、
家族や彼、友達に何て言おうっていう3つが、とにかく苦しかった。
退院後、初の診察日に「先生、いろいろ調べて覚悟はできてますからハッキリ言って下さい」と伝えた。
それでも先生は、まだ「確定」を避けて、「敢えて言うなら脊髄性筋萎縮症」って言うのよ。
んな訳な~~~い!
と思ったんだけど、先生は、まだ違う病気かもしれないから希望を捨てないで様子を見よう、って。
そして私が取った行動は・・・「耳鼻科通院」
もともと鼻炎で花粉症がひどかった私は、もしや鼻すらも自分でかめなくなるのかと思い、
だったら今のうちに治そうと思ったのです。
そして、「敵と闘うには敵を知れ!」と、毎日毎日、神経学を勉強しました。
そうすることで、自分を落ち着かせることができたのかも。
退院から約3ヶ月経った2004年3月の診察日。
3ヶ月の間にかなり悪化してるから、リルテック試してみる?と言われた。
「でも、リルテック飲むには、筋萎縮性側索硬化症って病名がないとダメなんだ。」
なんつー告知だ。
ということで、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の病名を頂きました。
病名が確定して、ひとつ肩の荷が降りた。
異変を感じてからここまで、約1年10ヶ月。
仕事のこと、生活のこと・・・親に病気を伝えるまで。
書いたらキリがないので書かないけど、ほんとーにしんどかった。
親なんて、私が退院した時「快気祝い」までしてくれちゃったもんだから、余計言いにくーい。
大体、「検査入院」だっていうのに。
無事に退院したもんだから、「異常なし」だと思い込んじゃったみたいで。
だから余計、大変でした。
ここまで読んで頂いてありがとうございます。
体はどんどん弱り果てていくのに、気持ちはどんどん強くなっているから不思議です。
自分がこの病気になったことは、不幸とはまるで思っていません。
人にかわいそがられることが大キライだからかも。
今、のほほんと生きてます。
2006年8月