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2012年8月28日、役所へ行ったら、無期限の滞在許可申請手続き続行と、さかさか事が運んだ、びっくりな日だった。いろいろな事が重なって、この日に手続きをした方がいろいろと面倒でないという手続き規定をさっぱりすっぱり無視した判断をしてくれたのは、休暇から帰ってきた、いつものおにーちゃんだった。足りないっていわれた書類を持っていったんだよね。「書類は揃ってるね」「あと、指紋を押したりする手続きの予約を取って、1週間くらい先になるんだけど」まあ、それはいいんだけど、急に働くことになったところは常勤なのでフリーランスのビザだとどうなるの?っていうのがあって。正規雇用の一種なので、労働許可、違うのがいりますかね?と話しかけてみた。「うーん、そうかぁ…じゃあ、今日手続きしちゃうかぁ」え?なんですと?「写真持ってる?」「登録料135ユーロなんだけど、持ってる?」え、えっと、写真はいつも用意してある。お金、ないよ。けど、銀行行ってきてもよければおろしてくるよ!というわけで、なにやら手続きが進んだ!!なんと!!おにーちゃん、事務手続きの内規、思いっきり無視(笑)ありがとうだなぁ…。滞在許可のことで、言ってみれば戦いだしたのは、多分2008年だった。博士論文を提出し、口頭試問を受け、そこでドイツでの勉学は一区切り(合格すればね)。しかし、それは、終わりではない。ドイツの博士号取得条件は、博士論文を「出版」すること。正確には、出版しない限り博士号は取得できないし、一定期間中に出版できなければ、博士号取得資格は剥奪されうる。日本は違う。博論を出して、OKをもらって修了証が出れば、ドクター。出版は不要。さて、口頭試問を受ければあとは単なる出版だけだから~と早々に博士を名乗りはじめる人もいるが厳密に言うとそれは詐称にあたる。出版に検閲はないとはいえ、出していないものは出していないのであり、大学からも博士号授与証書はもらえない。その為、そういう「これから明らかに博士になります」という人たちにはDr.des.という称号が用意されている(にもかかわらず、大学でいいといわれたという事を理由に早々とDr.と名乗る人もいる。いいか悪いかを判断するのは大学じゃなくて司法なのだが)。話がずれた。滞在許可の話だ。学生としての滞在資格、いわゆる「学生ビザ」なのだがドイツは入学式や卒業式というものがない。マギスター、マスターといった「修士」や、昨今流行の(企業受けはよろしくない)バチェラー、日本でいう「学士」は、大抵、最終口頭試験修了=学業修了になる。学生の在留資格は、学生でいる間だけ、発行される滞在許可。つまり、試験が修了し、学業が修了となればその滞在許可は早晩無効になる(知人のなかに試験終了後10日間で荷物をまとめて帰れといわれたイスラエル人がいる)。次に、首尾良く修了した場合、ドイツでは、*1年間の「就職先探しのための滞在許可」が出る。これは2005年からの措置。*2013年に確認したら、この期間はいつからか、18ヶ月に延長されていた。めでたいことではある。そこで、である。博士号の場合、いったい「首尾良く修了」というのはいつになるのか。これはまだ解釈が定まっておらず、自治体によってまちまち。私が住んでいた街は、厳しく厳しく、最初は「論文提出で」といってきた。アホちゃう?論文提出したって、口頭試験はまだ残ってるんですけど。抗議したら、「じゃあ、口頭試験日で」私は学校に聞いてみた。「そりゃあ、正確には出版しないと修了とは言えないね。」というお答えだった。しかしながら。この部分については、未だ解釈が分かれている。自治体は、金ばかりかかる学生は追い出したいので、さっさと期限を切ろうとする。しかし、誰がなんといおうと、学問についての専門的な判断を下せる機関は、役所ではなく、大学。そうなんだけど、何か勘違いしている自治体は「いや、そんなことはない」と言い張るんだな。そんなわけで、うやむやむにゃむにゃと、私の場合は不思議なことに、口頭試験から更に半年が過ぎた次の年の春、2009年にいったん修了と見なされた。理由は、2009年春にうちの教授が「博論が認められ、あと出版が残っています」と一筆書いたからと。まったく、アホですな…。そんなアホな某大学街の自治体外人局とは異なり後光が差して見えたのが、今、住所をおいている隣町の自治体のおにーちゃんだった。たぶん、あのおにーちゃんは、よいように、よいようにと持っていってくれるなんといったらいいんか、ポジティブな決定の仕方を模索していてくれたように思う。ほんとに、最初におにーちゃんのところに書類持っていって良かった。彼は、私のアルファベット頭文字では、本来全然関係ない掛なのであった。その続きはまた今度って事で。
2012年08月29日
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無期限の在留許可(ビザ)を引き続き申請中なのだが市役所から手紙が来て、「健康保険契約書と住居賃貸契約書を持って来て下さい」なにゅー。いずれも前回行ったときにみせて、コピーはいらないんですか~?と聞いたんだがおじちゃん、疲れてたんかな~。ちなみに前回訪問から20日間経過。そんなモンだろう。来週持っていかねば。週末、英語で履歴書やらなにやら用意せねばならなくなり、気が重いどころか(私は英語は苦手なのだ)月曜日はなにやら英語で面接ですと?!かと思えば急ぎの映像素材の翻訳仕事がきて(いきなりで急ぎはいつものことだが)、そして土曜日は日本からのお友達がわざわざ会いに来てくれ、旅から帰ってきたら、2,3日でぱたぱたと急展開。でも、ちょっとワクワクしている。
2012年08月25日
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いきなり旅に出た。しばらく前から招待されていたが、どうも踏み切れず。とても魅力的だがどうにも遠い。900キロメートル以上は離れているのだ。そもそも900キロメートル離れるという距離感が良く分からない。日本で900キロメートルというと名古屋から札幌くらいになるんだろうか。私は東京にいたので、そこから広島辺りまでなのか、九州までいけるのか。それにしても遠い。ドイツはどちらかと言えば縦に長い。とは行っても日本とは比べ物にならない。全長(?)は多分、良いところで1200キロメートルといったところだろう。私は南西部に住んでいる。ここから900キロメートルも南に下ればローマである。ついでに、西へ700キロメートルほど横移動すればパリにつける。そして私が招待されたのは北の島。そう、島である。ドイツにも島はある。最も有名なのはドイツ最北のSyltズィルトという島。他の島と一緒にノルウェー国境の北海に浮かんでいる。お金持ちが遊びに良くいく島で、Syltズィルトに行くというと「ほえ~優雅だねぇ」という反応が帰ってくる。このズィルト島と一緒に群をなしている島がいくつかあり、観光客が休暇を過ごすのは大抵Amrumアムルムという島かFöhrフューアという島になる。ちなみに東へ行くと、Rügenという島がある。こちらもいいところ。最近はがけが崩れて女の子が生き埋めになり、経済的な状況も含めた保全と観光の難しさが改めて議論された。ドイツ人は休暇というと大抵南に向かう。でも、ドイツで海に行きたいといったら北だ。海を見るのは何年ぶりだろう。2006年にフューアへ行って以来かもしれない。家を何日も空けること。経済的なこと。仕事のこと。色々考えて、行きたいけどそんなにお金もないし。と思っていた。900kmを移動するにはそれなりにお金がかかる。あまり貧乏を強調したくはないが、稼ぎが少ないのは事実。旅行するような高揚した気分でもない。招いてくれた、デュッセルドルフでお世話になった知人というかお友達というかもう75歳になるのだがとても元気な彼女は「私のほかに私の娘親子が3人泊まってるけど部屋は一つ余ってる。来るなら交通費だけ考えれば良いよ」といってくれた。うーん。でも踏ん切りがつかなかった。もう長いことそんな旅行をしたことはない。でも、北の島は素敵だ。しばらくしたころ、テレビでアザラシを見た。砂地に転がるアザラシたち。うーん、みたい。私は海の生き物が好きなのだ。いや、アムルムでアザラシが見られるわけではないが。砂丘は見られる。島に向かう船に乗ればくらげが一杯浮いている。運がいいと、鯨が潮を吹いているのがわかる。調べてみた。おお、朝8時前に出て夜8時過ぎに到着か。すごいなー。行ってもいいかな。ちょびっとだけ、思った。でも、行かないで終わっちゃうかな。2週間くらいそう思っていた。役所に税額査定通知書を出しに行って、行こうかな…という気が少しずつ、ほんの少しずつわいて来た。すっぱりさっぱり今出来ることはやったしとどこかで思ったからかもしれない。でも、すっぱりチケットを買ったり日にちを決めたりは出来ず、この日くらいがいいかな…と思いながらも後戻りが出来るよう、ギリギリまでチケットも買わず、迷っていた。そして昨日、とうとうバーンカードを買い、朝が早いことを考えてチケットも買い求め。なんだかんだで結局ほぼ徹夜で片付け、早朝にしばらく持ったこともない大量の荷物を背負い、また引きずり、ぜーはーいいながら結局ギリギリの時間に駅まで歩き、うわー、やっぱり間に合わないよ…と思った電車に間に合って、おそらくゾンビみたいな顔で電車に乗り、一時間ばかり。シュトゥットガルトで乗り換えてから5時間。そろそろハンブルクに着く。旅はまだ、半分。
2012年08月09日
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税額査定書が届いたので役所にいった話の続き。と思ったが、書いていたら労働目的での滞在許可についてになってしまった。自由業でビザを取るのは、今は簡単ではないと先日書いた。昔というか20世紀中はわりと緩やかだったらしい。しかし、昔はゆるかったのにねーといったところで今は何の役にも立たない。今の状況はいわゆる外国人在留資格法が2005年に新しくなって以来、大体一貫している。EU内の条件に合わせて改正され、EU内出身者の移動は楽になる一方で、EU外からの労働目的の移動(というか参入)は一部厳しくなった。これは日本人のみならず、アメリカ・アジア・中近東全ての国から来る人に当てはまる。法律上はxxと▲▲と○○は滞在OKという必要事項が以前より明らかになり、その条件さえ満たせば良いので門戸は開かれたと考えることもできる。このあたりは微妙だ。総じて思うのは、法律の文言にしっかり当てはまるくらいフツーというかノーマルというか当たり障りのない暮らしをしているならば、文言がはっきりして在留資格が増えた分、滞在許可を貰うのは楽になったのだろうということ。例えば、ドイツで学びたい、ドイツのことを知りたいという人に対する門戸は以前より大きく開かれた。いわゆる語学ビザも門戸開放の一つ。例えば、以前は学業が修了した時点で「国にお帰り下さい」ということになっていた。ドイツにとっては根本的に大損といえる措置。公的負担でせっかく育て上げた人材を国外に押し出す馬鹿は普通いない。ドイツでの学業にかかる費用はおよそ自治体が負担するものとなっていて、これは外国人にも等しく適用される。昨年まで一時期、一部地域で大学の学費徴収制度が導入されていたが、今年から再び無徴収となった(ただし一定期間超過者等については徴収)。税金を費やして手取り足取り丁寧に育てあげた各種エキスパート、しかもいわゆる修士以上の人材に「ドイツ人の職が奪われるから帰れ」というのはアホな話以外の何ものでもない。2005年の法改正以来、これは基本的に「学業を修了した日から1年間、ドイツで職探しをしても良い」という形に改正された。勿論、基本的な条件はあって、その間の滞在費用を自分で賄えることが大前提。(ときどき勘違いしている人がいるが、滞在費用と学費は別)。これで、学業を終えてもすぐに帰らなくても良くなった。この新しい法律のおかげで助かった友人は幾人もいる。普通に学業を終え、就職活動をし、一般企業に勤めれば何の問題もない。基本的には。しかし次のハードルはきちんと用意されている。規定にないようなケースになったが最後、滞在は以前より面倒になった。続。
2012年08月08日
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と思って目が覚めた。えー、なんで枕が…と思いつつ、寝返りを打っても消えない香り。仕方なく、歩くか…とのっそり起き出してバスルームへ行った。バスルームから出たら、やっぱりくさい。トイレよりくさい部屋って…と思いつつ、換気…と窓辺へ行ったら余計に匂う。あ。こりゃぁ肥料を撒いたな…しかも早朝に!!私の住んでいるところは裏手とはいえ街のど真ん中、市庁舎から歩いて2分。そんな街中のどこに肥料を撒くというのか、といえば、郊外の畑しかない。歩いて15ー20分くらいのところから、確かに畑が広がっている。しかし本当にそこから漂ってくるのかは、見たことがないので知らなかった。まあいいや、歩こう。そそくさと準備して、歩き始めた。やっぱり外の方がにおいが強い。それでも歩き出したら収まったような…と思って歩いた。てくてく歩いて町外れ、畑が広がりはじめるところまで来た。結構においが強くなったような…。そして風も出始めた。畑はすぐには広がらず、最初は果樹園と牧草地、それにクラインガルテン(シュレーバーガルテン)と呼ばれる市民農地。なのでその辺りに盛大に堆肥を撒くはずもなく。その脇を上りはじめたら、においは更に強くなった。うへぇ、村のぼっとん便所とか高速脇の誰も掃除していないトイレの匂いだよ…道には馬か何かの糞が落ちた様子があったので、もしやこれなのか?これは糞を運んだあとの匂いなのか…と思いながら、もう少し上った。匂いは既にかなりきつくて、全身に匂いがついたらいやだなと思うくらい。少し歩いていると糞もなくなってきたし、匂いももう少ししたら収まるかな…と歩いていたら、上っている小高い丘(牧草地)の下、道路をはさんで向こう側に見える畑の一部が茶色くなっている。うーん。あの茶色はもしや…。あまりの匂いに歩く気は結構失せていたが、自分の道の少し先には牛の一群がいて、子牛っぽいものも見えたので、子牛を見たいかな…と思い、もう少し歩いた。歩いているうちに、下の畑の茶色の部分が広がっている…というか、タンクに積んだ何かを確実に撒いている車が見えてきた。うわーバキュームカーなのか!?…バキュームカー?本当にバキュームカー?と思ってまじまじと見てしまったくらいに衝撃だった。銀色のタンク。だが、車に近づいて確かめる勇気は、私にはない。茶色いものを後ろからしゅぱーっと撒いてまわっている散布ノズル、多分幅が2ー3メートルくらいあるよ…。しかし!しかし!その畑のすぐ脇に、とても走りやすいアスファルト道が一本走っているのだが、そこをよく走っている人もいるのだが、そこを今、走りかかっているお姉さんがいる!うぉぉぉぉぉ…お気の毒。と思ったら!そのお姉さんは、なんとバギーを押して走っているよ!えーーーー!赤ちゃん、乗ってるんですよね…?茶色いもの(敢えて書かないというより書けない…)をしゅぱーっと撒いて回っているそのすぐ脇を…バギーを押して走り抜けようとするジョギングお姉さん。その道のり、あまりにも長くないですか?多分そこから300メートルは上に上っている私ですら、きっつぅ…と思っている匂いなんですけど…。ひたすら走っていくお姉さんに畏敬の念すら覚えながら、風が収まればいいのに…と思いつつ、私はとりあえず子牛を見てからUターンしよう…と思って歩いた。そういえば、運転している人も仕事とはいえ気の毒だよね…おじさんぽい人が運転してた。匂い、ついちゃうんじゃないかなぁ…。そして子牛のはずの牛、近くで見たら、もう殆ど子牛じゃなかった(笑)牛さんたち、どうしちゃったの?っていうくらい、みんなまん丸になっていて、どう見ても肥満だ…牛の肥満だ…え、赤ちゃん産まれるのかなぁ…と今書いていて一瞬思ったが、それにしても顔までまん丸になってるとかないよね…。気を取り直してその先にアヒルたちがいるのを見てもう少し歩こうかなと50mくらい進んだが、このくらいでいいや…と引き返すことにした。もう、アヒルは今度でいい。今日は匂いに負けた。街に向かって歩き始めたら、風が吹いてきて肥だめの中ですか…という匂いになってきた。ああ…と思いながらさくさく歩く。そういえば家を出てきたときは「匂いが収まればいいなぁ…」と思って出てきたが。あの車は散布をはじめてまだ20%くらいしか終わってなかった!ということは!匂いがまだやってくるんだ~~~。しかもこんな風のある日に、どうして撒くんだ…と思いつつ、坂を上り、坂を下り。ああ、坂下は匂いがたまるんだな…。それでも街中に近づくと、まあまあ匂いは…収まった…とは言えないが、弱くなった。家の中に入って、やっぱりほのかに匂う…仕方なく、扇風機を回し、匂いをなるべく追い出しつつ、起き出してきた同居人が「牛小屋のにオイしない?」というので外からだから、窓、閉めた方がいいよ~と苦笑しつつ告げ、なんとなく農場にいる気分で珈琲を飲んだ。これを書いている今も実はまだ、少し農場の香りがする。
2012年08月07日
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フリーランスから無期限の滞在許可へ、半歩前進。というべきか。自由業から無期限の滞在許可を取るのは、そう簡単ではない。更にいうと自由業の滞在許可を取るのも簡単とは言えない。高額所得者でない限り。もしくは何らかの才能に秀でていて、それが認められているか。もしくはそういう審査のユルーイ街に住んでいるか。でもそんな審査がゆるい街がどこかなんて、実際、行ってみなければ分からない。ベルリンは幾つかの意味でゆるかったらしいが、ベルリンから3月にうちの街に来た今の同居人は「最近厳しい」と言っている。多くの自由業でネックになるのは大抵「安定した収入」という条件。自由業に就くのには、私のように多くの場合、何らかの理由があるから。何度も書くけど、もちろん高額所得者は別。さて、来ないな-来ないな-と思っていた税額査定通知書が週末にすとんと届いた。来れば来たでどきどきする。書類を隠してしまいたいと訳の分からないことを思ったりもする。しかし、出かけねば。と気を取り直して各種書類を検分し、この月曜に役所に行ってきた。春に「無期限の滞在許可を下さい」と役所に行ったら、担当のお兄ちゃんに「税額査定通知書がないとね~審査できないんだよね~」といわれ、通知書を出すのは税務署なので、じゃあ、まあ仕方ないか。と待っていたのであった。自由業(と自営業)では税務署の査定した収入額が唯一の公なものなので外人局はどうしてもこれを見ないことには審査ができない。ということらしい。そんなわけで「自由業就労目的の在留資格」が仮延長されて数ヶ月。今まで宙ぶらりんといえば宙ぶらりんな身分だったのである。「まあ、仮延長期間内に届かなくても、届かないってことはないと思うけど、その時は無料で延長するからさー」とお気楽に言ってくれたお兄ちゃん。「でも通知書が来たらすぐ来てね。期限まで待たないでね」ともいっていたので、月曜にすたこらと足を運んだのであった。行ってみたら今日は人が結構いた。そして受付はいつもの半分しか開いていない。しかも一つは予約者専用。予約を取ってくる人は、指紋を採ってベルリンに書類を送るために来る人たち。つまり申請内容が審査済みか、決定事項が明らかな人。私は予約はいらないからーと言われていた。ということは、審査事項は決定ではない。そんなことを考えるとどきどきする。今日はいつものお兄ちゃんは夏休みでおらず、こういう審査を受け持っているらしい、ちょっと偉いおじさんだった。税額査定通知書をそそくさと手渡し、収入額が6月からのもの、つまり半年分であることを強調する。これ、とても大事。続く。
2012年08月06日
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最近また少し歩き始めた。私はジョギングは好きではないが、歩くだけというのもなんとなくつまらない。まだ大学にいたころ、ノルディック・ウォーキングというものが流行りだし、大学でもコースが用意された。聞けばノルディック・ウォーキングはジョギングと同じくらいカロリーを消費するらしい。いいじゃないか!コースではスティックも用意してくれるというのでいってみた。スティックと歩くことをあわせるのは結構難しい。最初はドイツの町のいいところは、良く近くに緑があること。ないところもあるけど。今日は森の中を歩いていたら柏の香りがすごく、息を吸うたび柏餅を思い出した(笑)気持ちよかったです。
2012年08月05日
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労働滞在許可が下りる自由業は、ドイツでは法律でがっちりと規定されている。誰でも自由業を営めるわけではなく、また、自由業に数えられる職業も決まっている。まず、自由業は「Gewerbeordnung(営業令)」という事業法の一種に含まれないもの。営業令に含まれるのはいわゆる商工業種なので、そもそも儲けを図る商売ではないものということになるらしい。加えて所得税法(Einkommenssteuergesetz) 18条や自由業者のパートナーシップ共同体に関する法律Gesetz über Partnerschaftsgesellschaften Angehöriger Freier Berufe第1条には、専門知識に基づき、他者に左右されることなく、個人の責任で、依頼人及び公共の福祉に役立つこととある。なんか、こうしてみると高邁な職業…。そういえば法廷通訳士とか認証翻訳士になったときは裁判所で「宣誓!」なんてさせられたわけで、インディアンならぬ「翻訳士、ウソつかない」って約束させられたりなんかして約束を破っちゃた(つまり間違った訳をしちゃった)日には懲役3年未満だかの罰が待ってるし、 さらに裁判関係でお呼び出しがかかれば「公共の福祉」のためにぎりぎりの報酬でお仕事へ向かう。それもお役所仕事だから「生きられればいい」報酬な訳で。でも、生きられればいいって、誤解したらいけない。公的機関にかかわる報酬は通訳なら交通所要時間も含め一時間60ユーロ70ユーロ。(2013年7月1日より改訂)つまり、通訳中のみならず、家の扉を一歩出た瞬間から帰ってくるまでの時間の全てに、この報酬が支払われる。これはドイツの手工業者のお仕事と同じ数え方。逆に考えれば、それが、その職業をきちんと営むために鍛錬を積み重ねた報酬であり、生きるために必要なお金として認められているということ。自由業者はもちろん保険も税もその中から払うし。学生のバイトとは訳が違う。そう考えると、日本の買いたたきの激しい通訳探しの方がよっぽどあくどい値段を出してくる。それはさておき。自由業に認められる職業として具体的に挙げられているのは、例えば医師、弁護士、税理士、通訳士、翻訳士、芸術家、文筆家、ジャーナリストなど。系列でいえば、学術系(研究職)・芸術系・文筆系・出版系・医療系・理工(技術)系・法律経済の資格系・教授/教育系。ただ、この中でも認められるものと認められないものとがある。細かいところはそれぞれ検索してくださいまし。さてさて、そうして、こんな職業を営む資格があると各方面から認められると、晴れて自由業者として仕事を始めることができる。 しかし、税金を必死でかき集めている自治体は、そうそう簡単には自由業に労働滞在許可を出さない。
2012年08月04日
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ドイツでは、自由業と自営業は違うもの。法律上も区別されている。和独&独話辞書では時々ごっちゃにされているが、それは間違い。似ているとはいえ、ドイツ人も素人は間違えるとはいえ、辞書なのだからこういう間違いはやめて欲しい。自由業も自営業も、はじめるにはそれぞれ別に、労働局や税務署への申請/認可がいる。EU外からの外国人は加えてお役所の労働滞在許可も取り付けなければいけない。「自由業者として」「自営業者として」働いていいですよという許可である。(これもそれぞれ別物)ちなみに自由業とフリーランスも少し違う。フリーランサーは単純にいえば「会社に属さないで働く人」。対価報酬のみで働く、一匹狼風な働き方をいう。これは働き方の問題なので、本来、職種は問わない。ドイツではこのような働き方をする人をfreier Mitarbeiter(フライアー・ミットアルバイター)とかFreischaffender(フライシャッフェンダー)と呼ぶ。こういう意味のフリーランスで下りる滞在許可は、残念ながらない。結構書いて消えたので、萎えて一度公開。(IEめ…分かっちゃいるが、IEめ…)
2012年08月03日
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最近穴埋め中なので7月ごろの日記を更新中です。ドイツに居る友達が、ソラマメ食いたいといった。近所のスーパーREWEに行くと、なーんか、ソラマメっぽいものがあるなぁ・・・と思っていた。でも、私は日本でもソラマメを自分で調理(?)したことがないのでうーんと思いつつも横目で見て通り過ぎていた。ソラマメを食べたいと言った友達をそこに連れて行き、これは?と聞くと、「皮の上からじゃわからない」という。そりゃーねぇ…私だって剥けば分かるよ(笑)というわけで、ひとつとって剥いてみた。違ったら、剥いたのだけ買って帰ればいい。あ。ソラマメだ。じゃあ、買ってゆでてみるか~と。家に帰って剥いたら、こんな感じ。写真はお借りしました。黒い森の白いくまさんが「あれ、おへそが黒くないねぇ」といっていた。確かに、ソラマメのおへそは日本では黒かった。こっちは黒くない。笑いすぎてぱちんとおなかがはじけたりしなかったのかなぁ。でもおいしかったよ。
2012年08月02日
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ドイツでザーサイを食べようと思ったら、日本食品店で桃屋のお高ーいザーサイを買う位しかなかったあのころ。っていうか、それはデュッセルドルフなどにいる人しかできない。最近は通販でも買えるのかな。でも高いです。というわけでアジア食料品店へ行ってみたら、こんなのが1ユーロくらいで売ってた。これ調理するの?って聞いたら、お店の人がうんというので買ってきた。それが始まり。しばらくして南西ドイツへ戻り、アジア食料品店をのぞいたらこちらにもあった。そうか、メジャーな缶詰なんだ。そして何回かやってみて、しばらくお休みしてた。先日、前に買っておいたこの缶詰を発見。再びやってみた。今回は少し塩気がきつかったかなと思ったが、つまみにしたら割といける。丸ごとザーサイ搾菜からおつまみザーサイへ料理名:ザーサイ搾菜作者:schatzky☆■材料(8~10人分)缶詰のザーサイ / 一缶ごま油 / 適宜タカのつめかチリ / 中1本好みで酒 / 大匙3好みでみりん / 大匙1~2好みで醤油 / 小さじ1~好みで出汁 / 小さじ1~ゴマ / 大匙2-3ドイツでザーサイを食べるのはかなりハードルが高い。久しぶりにザーサイ缶詰を見つけて調理。詳細を楽天レシピで見る楽天レシピで公開しろっていうのでしてみたら、なんと面倒くさいこと・・・。 これでもなんだかアフリカの子供たちに何かが行くらしいような。でも何回も消えるんだよねー。疲れちゃうよ。━━━━━━━━━━━━━━━━━━…↓↓ ポイントが貯まるレシピ サイト ↓↓>>最短約 30 秒!▼無料▼会員登録<<━━━━━━━━━━━━━━━━━━…
2012年08月01日
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