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今日は朝7時半頃家を出て毎年恒例の香嵐渓に紅葉を見に行きました。今年は紅葉が遅くていつもなら11月10日~15日くらいには行くのですが、さえパパがネットの情報を見て「ようやく見頃になった」と言ったので、今日は「いい夫婦の日」で晴れ予報だったので行ってきたのです。ところが!?いつもなら真っ赤な紅葉一色になるはずの香嵐渓が今年はまだ全然でちょっと残念💦どうやら見頃はまだ来週に遅れているようでした。それでも銀杏は真っ黄色でとっても綺麗でした!!川の流れと青空と山の景色がとっても気持ちよくて癒されました。毎年恒例の日光猿軍団の猿回しも来ていましたが今までとは違う人と猿でした。観光の人たちはたくさんいました。いつも食べるフランクフルトは今年は凄く高くなっていてしかも大勢並んでいたのであきらめて、つくねとみたらし団子だけ食べました。他の人たちは竹の器に入ったうどんを食べている人が多かったですが高かったので貧乏性の私たちはやめました。結局少しお散歩しただけで早めに帰ってきました。いつもならずっと写真を撮り続けるさえパパが今年はあまり写真を撮りません。まだ紅葉には早かったことがその原因です。ちょっと寂しいですがこれも異常気象のせいでしょうか??昔みたいに真っ赤に染まった山の見事な景色はもう見れないのかな。今年は赤い葉っぱより緑の葉っぱの方が多かったです。(今日の香嵐渓の様子) 香嵐渓を出てから知立市役所に行き知立市長選挙の期日前投票をしてきました。投票日は24日(日)ですがこの日はまたお出かけの用事があるので早めに済ませてきました。市長選挙と同時に市議会議員選挙もありちょっとビックリ。市長に立候補された方が抜けたので行われたようです。新しい市長はどなたになるのかわかりませんが私たちのボランティア活動に理解ある方になって欲しいと願うのです。その後は銀行へ寄って、最後にいつものスーパーで大量のお買い物をして家に帰ってきました。やはりお腹が空いている時に買い物するとつい大量買いしちゃいます(^-^;貧乏性のさえパパと私は露店の高い食べ物はあまり買えず結局はスーパーのお惣菜とお弁当を買って家で遅いお昼ご飯を食べました💦結局デートというよりただのドライブとお散歩でしたが、今年も行けて良かったです。来年はもっと綺麗な真っ赤に染まる香嵐渓の紅葉の景色が見たいなあ。そして来年もまた元気でさえパパとお出かけできること願っています。こうした何気ない毎年恒例なルーティンを長く続けられることこそ一番の幸せだから☘(さえりん6歳1カ月 お庭の柿をとったよ)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年11月22日
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ここ最近急に寒くなってきて昨夜寝ようと思ったら毛布をかぶっても背中がスースーして寝られずようやくコットンのシーツから冬用のあったかいシーツに取り替えました。我が家は鉄筋コンクリート造りの賃貸マンションの3階で南側のリビングは比較的あったかく北側の寝室は寒く感じます。あったかいシーツに交換したら快適に寝れました。ここ数日何となく調子がよくなかったりメンタルが下がっていたのはやはり急激な気温の変化に身体が対応できなかったような気がします。まだ年寄りではありませんが若くもない50代後半の私です(^-^;暑がりのさえパパに合わせてまだ春秋用のシーツのままでしたがやはり寒くなっていたのです。加えて夜なかなか寝れず朝は早く起きれず生活リズムの乱れも身体と心に影響していたんだと思いました。それで今日は久しぶりに近所の公園までお散歩に行きました。今年の夏前まではよくお散歩に行っていたんですが、夏の暑さで家に引き籠りになりその間クラフトハンドメイドにハマりそのまま秋になってもお散歩を再開せずに、ボランティア活動や買い物以外は家で殆ど引き籠り生活だったのです。今朝はちょっと早く起きたらお天気がとっても良かったのでまず布団を干して、朝ごはんを食べて洗濯物を干してからようやく重たい腰を上げてさえパパとお散歩に行ってみました。いつも行く近所の水広公園へ行ってみると釣りもできる池が完全に干上がっていました。看板には「今年10月から来年5月まで池の水を全部抜いて地盤の補強工事をします。池にいた魚は別の場所で保管しています」と書いてありました。知らないうちにこんな風になっていたんだとちょっとビックリ。公園内には犬のお散歩の人が歩いていて、幼稚園児のお散歩の子たちがガヤガヤ賑やかなに走り回っていました。池を通り抜けて遊具がある方の広場に行くと大きな木が黄色や赤に紅葉していました。とっても気持ち良かったです。ついでにもう1つの公園の方まで歩いて階段を登りお散歩しました。ここは春にはさくらがとっても綺麗な公園でしたが今は枯れ木になっていてよッとさむしかったです。でも枯れ木をよく見るとまだ固い蕾のようなものがついていてこれがまた来年桜になるんだなあっと春になるのが楽しみになりました。一度に長く歩くと疲れてしまうのでそのまま家へ戻りました。ちょこっと散歩でしたがスマホの万歩計を見ると4950歩で気持ちよく歩けました。(今日のお散歩の様子) やはり家の中ばかりだと気分は滅入りがちになるけど、外に出て歩くと気持ちまで前向きになれるような気がします。お散歩に行けて良かったと思います。明日は朝早く起きて毎年恒例のあの場所へ行きたいと思います(*´艸`*)明日も秋晴れであまり寒くなく気持ちが良いお天気だといいなあ。(さえりん6歳1カ月 妹と一緒に)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年11月21日
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今日のブログはお休みします。体調やメンタルが悪いからではありませんが、今日はあまり書くこともないしやる気が出ないからサボります(^-^;今はこうして毎朝ブログを書いて皆さんのブログへお邪魔したりそのあと午後からクラフトハンドメイドをしたり買い物へ行ったり単調な毎日です。そんな毎日は穏やかであったかい日常ですが、ふとこのままでいいのかなと思う気持ちも湧いてきました。かといってまだ大きく生活を変える自信はないんですが。ゆっくりですがこれからのライフスタイルも考えていかなければと思っています。(さえりん6歳1カ月 家族でくらがり渓谷へ)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年11月20日
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昨日は体調がイマイチで家でのんびりしながらいろんなことを考えていました。それはここ最近また変わってきた家族のカタチです。私は今まで過保護で娘たちが一番大切でこれまでの20数年間ずっと娘たち中心の生活を送ってきてしまいました。こんな私だからさえりんが突然亡くなってしまったとき自分の一部が喪われたみたいで生きる希望も未来も全部奪われたのです。それでもまだ死んではいけないと思ったのはもう1人の娘、次女がいてくれたからです。そして主人の実家で義両親との同居生活を続けてこれたのも娘たちがいてくれたからです。私も義両親もさえりんと次女を想う気持ちだけは愛情深く本物で、だから2人の娘たちが家族の架け橋になっていたんです。ところがさえりんが亡くなり我が家のバランスが崩れ家族みんなが哀しみと空虚な気持ちの行き場がなくなりみんながぎくしゃくし始めました。それでも何とか次女が大学を卒業するまではと自分の気持ちをだましだまし暮らしていたのですが、次女が大学を卒業し社会人になり1人暮らしを始めるともう留まる理由は無くなり、ちょっとした事で売り言葉に買い言葉になりあの家を出ました。そしてさえパパと2人暮らしが始まりました。最初は勢いで出てきたのですが今ではこの生活がすごく気に入っています。気ままな夫婦2人暮らしは時には夫婦げんかになったり四六時中夫婦2人でいることが鬱陶しく感じることもお互いありますが、それでもやっぱりこの生活がすごく好きなんです。先日次女がこんなことを言いました。「おじいちゃんとあーちゃんと3人で話していたら、あーちゃんが『パパとママに早く家に帰って来てほしい』って言い、おじいちゃんが『あいつらはもうこの家には帰ってこないぞ。気楽な生活を一度したらもう戻らんよ。俺たちが死んでから帰って来るんじゃないか』って言ってたよ。でも私もそれで良いと思ったよ。だってママは今までずっとお姉ちゃんと私の為に同居生活もおじいちゃんのことも耐えてきたでしょ。おじいちゃんは私とお姉ちゃんには優しいけどママには厳しいよね。きっとタイプが似ているからかな??私も自立したし、ママはもう自由になっていいんだよ。これからは娘の為じゃなく自分自身の幸せを見つけてね」と。最近特に思うことは今までの私はどこか自己犠牲的で家族の為にとか娘たちの為にと自分は後回しだと思っていました。だから何度も家出しようかと思っても、結局は娘たちの生活環境を変えたくなくて家を出る勇気がなかったのです。でもそれは娘たちのせいにして自分が出来ない言い訳をしていただけなのかもしれません。そんな私の心を次女は鋭く見抜いていたのかも。それで思い切って義両親と別居してから少しずつ考え方も変わってきたように思います。それは家族も大切、主人も大切、もちろん娘たちは一番大切、だけど自分自身も大切なんだ!!と思えるようになってきたことです。この前の次女との旅行中にそんな話をすると次女は「それが一番良かった!!ママが幸せならきっとお姉ちゃんも喜んでいるし、私も嬉しいよ」と言ってくれました。これから先はどうなるのかわかりませんが、私は今の生活を守りたいです。そして義母の期待には応えられないかもしれませんが、今はまだあの家には戻ることはできません。きっと戻ればまた義両親の言うことは絶対だし自分の思いを通すなんて許されない窮屈な生活に戻ってしまうから。わがままで自分勝手なのかもしれませんが、義実家のことは出来る範囲でしかやれないのが私たちの今の現状です。やはり義父はこんな私の心をよく察しているのだと思いました。そして出来る限り義父にはまだまだ元気で義母と共に穏やかに暮らしてほしいと心から願うのです。この先のことはまたその時に考えます。 義父が退院して3日後の11月12日に次女の仕事が休みだったのでさえパパと3人で、もみじ饅頭のお土産を持って義実家へ行きました。義父は珍しくさえパパと私に「今回はいろいろ世話になった、ありがとう!!」と言ってくれました。さえパパは「親父、また掃除させてね」と言って廊下に掃除機をかけていました。義父は次女の顔が見るととっても元気そうでたくさん話をしていました。義母もベッドから起きてきてリビングで次女と義父と3人で話に花が咲いたようでした。やはり義両親は次女の事が一番可愛いのです。私とさえパパは2階で待ちながらそんな様子を感じてほっこりしました。義父も早く退院してきたのは義母の事が心配だからです。義父は義母の世話をしなくてはと思う気持ちが生きる原動力になっているようです。そして今まで掃除も洗濯も買い物も全部父任せだった義弟は今では自分で洗濯くらいはやっているようです。義母も義父が帰って来て安心したようで、この3人は微妙なバランスで成り立っているのです。そして時々来る次女は太陽のような我が家のアイドルです。私とさえパパは今は少し離れた場所(車で30分の距離)に住んでいますが、今回のような緊急事態にはいつでも飛んでいきます。そして自分たちの生活を大切にしたい、私も自分のことも大切だと思えるようになれたことが本当に良かったのです。気づけば今の家族の状態が一番良かったのではと思えるのです!!また家族の状況が変われば変化は必ずあります。でもその時々で一番良いカタチを見つけていきたいと思うのです。決して誰かが我慢するのではなくその時々の最善を。きっと家族が良いカタチになるように導いてくれたのはさえりんだよね☆彡(さえりん6歳 盆踊りへ)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年11月17日
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後悔しない生き方って、いったいどんな生き方なのでしょうか??ある日突然子供の命を理不尽に奪われてしまった私たちは、いつの間にか遺された家族、遺族と呼ばれるようになってしまいました。遺族はこの上なく計り知れない悲しみと身を切られるような苦しみを味合わされてそのうえ加害者の誠意ない行動言動に憎悪と嫌悪、裁判では到底納得できない判決に泣かされて二重三重の苦しみを与えられて生き地獄を味わうのです(>_<)そうなんです!!交通事故にいいことなんて何一つありません!!後悔しない生き方なんて、本当はないのかも知れません。私も後悔でいっぱいです!!あの時、私が休みだと伝えていればさえりんはあんな横断歩道を一人で通らず、真っ直ぐに家に帰って来て、死なずに済んだのではないか??あの時雨が降っていれば、私が送り迎えして安全に家に帰れたのではないか??そもそも職場の人間関係に悩んでいた時、すぐに辞めさせていれば・・・(;'∀')こんな事故になんて遭わずに済んだのです!!転職して今も元気だったのに・・・私の命より大事なかけがえのない娘の命を奪われて後悔しないはずありません!!被害者遺族なら誰でも同じことを想うはずです。「どうして、大切な我が子の命を守ってやれなかったんだろう・・・」その想いは時にナイフとなって、私の心に突き刺さるのです!!何度も何度も血まみれになってボロボロに傷ついてズタズタになって生ける屍となるのです。そうなんです。私たち遺族に待っているのは絶望と地獄なのです!!それでもこんな絶望の先に、ほんの少しでも明るい兆しが見えてきたのなら、私は必死になってしがみつき、その兆しを頼りに光を見つけたいのです。それはどんなに小さくてもたとえ消えそうであっても希望の光なのですから!!私は思うんです。絶対に後悔しない生き方なんて本当はないかも知れませんがその一筋の希望の光へ向かって、もがきながら一進一退を繰り返しながら少しづつ前に進んでいくことこそが「後悔しない生き方」なのではないでしょうか?? 幸いにも私の周りには、絶望の中でも一筋の希望の光を見つけて歩き出してみえる遺族の方、くじけそうになりながらもなんとか踏ん張って一歩一歩前へ前へ進もうと模索しながら頑張っていらっしゃる方々がたくさんみえます。そうした遺族の方々から物凄く勇気と希望をもらって支えられているのです!!先日我が家に小さな郵便小包が届きました。中身は本でした!!送り主は九州にお住いの高木博子さん。以前このブログにも書かせて頂いた、大分県で通勤途中にバイク事故で亡くなられた23歳の高木啓至さんのお母様がご自分で本を書かれたのです!!!それで、私に1冊送ってくださいました!!タイトルは『星になった啓至』 高木博子自費出版ではなく、無限ブックスという会社に無料で本を作ってもらい、6月7日からアマゾンで通信販売もされているそうです。送られてきた本と共に入っていた、博子さんの挨拶文をご紹介します。前略この度、本を出版しました。私の日記を元に作りました。啓至の納骨の日までです。私は、悲しみの日々の中で、どうやったら啓至の魂を慰めてやれるか、魂が安らかになるかを考えています。本の出版もその一つです。作業中に、ほとんどみない啓至の夢をみました。「おふくろ、本を作ってくれて、ありがとう。」と啓至ははっきりと言ったのです。カットした部分もあります。書き足りない部分もあります。ご了承ください。つたない文章です。発行を急いだため、おかしいところもあります。なるべく漢字を使わず書きました。場所や人名もイニシャルにしましたが、読んでいただけると幸いです。夫婦で力を合わせて作りました!啓至の最期は、悲しく苦しいものでしたが、23年余り真面目に夢を追いかけて一生懸命生きた人生だったと思います。どうか、啓至のことを覚えていて下さい。お願いします。時節柄、ご自愛下さいませ。2021年5月23日高木博子博子さん、送っていただきありがとうございました!!大切に読ませていただきます(^-^)いつかは私もさえりんの本を出版できたらいいなあと思っちゃいました(*´艸`*)私の周りには、悲しみを抱えながらも前向を向いて頑張ってみえる遺族の方がたくさんいらっしゃいます!!皆さんとても素敵な笑顔で輝いて見えます!!人の人生は様々です。私はさえりんが亡くなったとき私の人生ももう終わったと思いました。もう一生笑うことも、心から楽しいと思えることも訪れることはないんだと諦めました。でも、今こうして遺族の方々が亡きお子さんのために出来ることはないかと頑張ってみえるお姿を目の当たりにすると、私もうずうずじっとしてはいられなくなるのです!!私もさえりんのために、さえりんと共に歩む新しい人生を始めなくてはと心の底から意欲が湧き上がってくるのです!!1年8ヵ月前のあの日meronさんに出会って、何かに突き動かされるかのようにこのブログ「さえりんの部屋」を始めた時と同じ感覚です!!今ならわかります!!多分、それはさりんの仕業です(⋈◍>◡<◍)。✧♡これからの私の第2の人生は、さえりんと共に歩む人生です!!私にはこれが自分なりの、後悔しない生き方だと思うのです!!(さえりん10歳の時 名古屋市電気の科学館に遊びに行ったよ)(博子さんから送っていただいた本とさえりんへのお供えのお菓子)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2021年06月02日
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昨日は午前中、名古屋のガストで春日井支部のOさんと打ち合わせをしました。これからもこうして月に1、2回はOさんとゆっくり今のボランティア活動の様子をそれぞれ話し合って方針を進めていきたいと思いました。Oさんもお蔭で公式のパンフレットもあと一歩です。そしてこれから出来湧くであろう問題を一つ一つ必要に応じて対処してゆくことが大事なのだと再認識しました。Oさんの想いも聞きながら私の想いと共有しながら2人の結論はこれからも仲良く活動を広げながら長く続けてゆくことなのです!Oさんこれからのどうかよろしくお願いいたします!(昨日の我が家の金木犀、お花が開いてとっても優しい香りに包まれました) そして昨日午後から、さえりんの同級生がご家族と一緒に来て下さいました。それは29日金曜日に柳原三佳さんが書いて下さったヤフーニュースの記事を見て、インスタからご連絡を頂いたのです。その子は高校の同級生の女性Sさんでした。高校を卒業して4年半ぶりの再会。最後に会ったのは2年8ヵ月前の「成人を祝う会」(2019年2月)でした。その4ヵ月後に交通事故でさえりんは・・・(>_<)私もさえりん自身も、他のお友達も先生方も、まさかこれがさえりんとの今生のお別れになってしまうなんて思いもしなかったのです・・・ 2年8ヵ月前のその日、私は風邪気味で体調が悪くて、行くのをやめようか紗愛理を一人で電車で行かせようか、それとも紗愛理も欠席させようか迷っていました。でも紗愛理は「久しぶりに懐かしい先生やお友達に絶対に会いに行きたい!!」と言いました。それで、私は決心しました。「もしママが熱が出てきたら駐車場の車の中で寝てるけど、それでもいい??」と紗愛理に聞くと「うん!!それでもいいよ。ママ調子が悪いのにわがまま言ってごめんね…」と申し訳なさそうに、でも物凄く嬉しそうな顔で私に抱き着いてきました。それで私は毛布と布団を車に積んでいきました。パーティ形式で円卓のテーブルに席が決まっていて紗愛理の名前が書いた席へ2人で行くとそこは校長先生と担任の先生と同じテーブルでした。紗愛理は卒業式以降2年ぶりに会えた担任の女性の先生に大喜びでした。他にも懐かしい先生方お友達に物凄く喜んでいたのです。紗愛理は最初から最後まではしゃいでいました!!メチャクチャ嬉しそうでした!!私は思いました。私の体調のせいで欠席させなくて本当に良かったとホッとしたのです(´▽`) ホッ今思えば、あれが本当の今生のお別れだったのです(>_<)もしもあの時、欠席させて「また次の機会もあるから」なんて紗愛理に言い聞かせていたら、私は紗愛理に申し訳なくって今頃は自分を許すことができなかったでしょう。本当に無理をしてでも、せめて最後にみんなに会わせてあげられたことだけでも、良かったと胸をなでおろすのです(´;ω;`)ウッ… 昨日我が家へさえりんのお参りに、お父様とお母様と妹さんと一緒に来て下さったSさんはとっても可愛らしい赤ちゃんを抱っこしていました!?私はとってもビックリしました\(◎o◎)/!Sさんは昨年12月に女の子を出産していたのです!!Sさんはさえりんの仏壇に手を合わせて下さり、お手紙も書いてきてくれました。「まさか坂ちゃんがこんなに早く亡くなっちゃうなんて??お葬式にも行けなくてごめんね…」と悲しそうにそう言ってくれました。高校の時代のさえりんのあだ名は「坂ちゃん」だったのです。久しぶりに聞いた懐かしい響きに胸がキュンと締め付けられそうになりました。私がお母様お父様とお話をしていると、Sさんの赤ちゃん(10ヵ月)がハイハイしていろんなものに興味津々でした👶ゲーム機やコントローラーを一生懸命にいじっています。そして廊下や隣の部屋にハイハイしてどこまでも行きそうになりました。目が離せなくて可愛くってとっても懐かしいような愛おしい気持ちが蘇ります。思わず「私も早くこんな可愛い孫がほしいなあー!」と言いました(^.^)Sさんご家族に今私がボランティア活動をしていることなどお話してストラップをもらって頂きました。帰られてから「事故現場へもお参りに寄らせてもらいました」とお母様からメールを頂き、心から嬉しくてSさんご家族に感謝しました!! 私はさえりんの同級生のSさんが様々な困難を乗り越えて、いつの間にか若いママになっていたことにとても驚いたのですが、とても微笑ましくあたたかく見守りたい気持ちになりました(^-^)と同時に寂しくもなるのです・・・さえりんがもしも、今も生きていたらどうだったのだろうか??もしかしたら、いつかさえりんも可愛い赤ちゃんが生まれていたのだろうか??私もお祖母ちゃんになり、孫を見る日は来たのだろうか??さえりんだってきっとそんな日が来ることを密かに願っていたよね・・・そう思ったらまた、やり切れない気持ちになりました・・・(>_<)ごめんね、さえりん・・・もっと生きていたかったよね・・・もっと楽しいことも辛いことがあっても乗り越えて生きてゆきたかったよね・・・もっと家族と一緒に泣いたり笑ったり怒ったり仲直りしたりしたかったよね・・・もっともっとずーーーーっと一緒にいたかったよね・・・(>_<)でもね、ママはさえりんと今もこれからもずっーと一緒に生きてゆくからね!!そしてSさんも同級生も先生方も周りの方々も、生前の紗愛理のことは知らない人までも、みんなみんなさえりんのことをずっーと忘れないでいてくれるからね!!だから、さえりんは人々の心の中でずーーっと生き続けるんだよ!!決してさえりんは独りぼっちじゃないよ!!寂しくはないからね!!ママたちは、これからのSさんの赤ちゃんや未来の子どもたちが、安全で安心して暮らせる、事故死無き社会になるようにストラップ配布活動を頑張るからね!!さえりんはお空の仲間たちと一緒に虹🌈の上から応援してね!!(さえりん12歳の時 祖父母と妹と4人で初めての北海道旅行part4)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会🌈公式インスタグラム始めました。https://www.instagram.com/aichinijiirokai/会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2021年11月01日
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実は昨日7月5日はさえりんの誕生日ともう一つ記念日があります。それは「あいち交通死をなくすボランティアにじいろ会」が2周年を迎えました🌈にじいろ会は2021年7月5日付けで発足しました!!そして初めてのボランティア活動が2年前の今日、2021年7月6日にメープルけやきのメープルルームをお借りして行われました。当時はまだボランティア登録したばかりで会場を借りれなかったからです。本当に懐かしいです。2周年といってもこれといって何の行事もありませんが💦それでもこの2年間たくさんのボランティアメンバーさんや関係者の方々のあたたかいお気持ちに支えられながらこうして続けてこれたことに心から感謝いたします!!メンバーさん・関係者の皆様本当にありがとうございます!!そしてこれからもにじいろ会は末長く継続していきたいと思っていますので、これからもどうか宜しくお願いいたします!!そしてさえりんとお空の仲間達もこれからもお空から応援してね🌈昨日はたくさんの方々からさえりんへのお誕生メッセージをいただき心がとってもあたたかくなり救われました♡ありがとうございました!!いのちのミュージアムからとっても素敵なお誕生日カードが届いて感激しました✨きっとさえりんもお空のお友達と楽しく過ごしていることでしょう(*^^*)(さえりん生後6カ月 私の友達Hちゃんが遊びに来てくれました) 昨日はもう一つ忘れてはならない大切な日でした。それはにじいろ会メンバーIさんの息子さんアツキ君のご命日でした。中1男子生徒死亡事故から5年 安全運転呼びかけ愛知県豊橋市で中学1年の男子生徒がトラックにはねられ死亡した事故が起きてから、5日で5年となるのにあわせ、男子生徒の遺族や警察官などが現場の交差点で交通安全を呼びかけました。平成30年7月5日、豊橋市野依町の交差点で、自転車で通学途中だった当時、中学1年生の石渡睦規さん(当時13)が左折してきた大型トラックにはねられて死亡しました。事故から5年となる5日は、石渡さんの両親や通っていた学校の教師、それに警察官など20人あまりが事故現場に集まり事故が起きた午前7時40分ごろに静かに祈りをささげました。このあと、集まった人たちはプラカードを掲げてドライバーに安全運転を呼びかけるとともに、小学生や中学生の登校を見守り、車をよく確認して横断するよう声をかけていました。石渡さんの母親の真代さんは「突然、息子がいなくなり胸に大きな穴が開いてしまってもう埋まることはなく、悲しいとか苦しいという気持ちは変わることはありません。生きていたら息子は18歳です。息子の友達は車の免許の取得を考えるころだと思います。車は便利な乗り物ですが、ちょっと確認していなかったとか一瞬、携帯電話を触っていたとか、ささいなことで命を奪ってしまう凶器にもなるということを忘れずに、安全に運転してもらいたいです」と話していました。 アツキ君が当時通っていた豊橋市立南稜中学校では毎年7月5日に「南稜いのちの日」が行われて、昨年はにじいろ会の代表として講演をさせていただいて生徒さん方にストラップを配布してきたことがつい最近のことのように感じます。今年は愛知県内で命の授業をされてみえるベテランの方が講演されました。こうしてアツキ君のことを忘れずにずっと受け継がれていくことは大切な事だと感じます。昨日は豊橋警察署とIさんがアツキ君が事故に遭った時間に現場で献花と取材が行われました。たった一人の命の重さは何年経ってもどれだけ時間が経っても決して忘れてはならないのです。もう二度と同じ過ちと、残酷な悲劇が繰り返されないために・・・ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2023年07月06日
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今日、3月12日は坂本瞳さんの祥月命日です。今から4年前の2020年3月12日に当時、滋賀大学3年生だった坂本瞳さんは彦根城の目の前の横断歩道を歩いて横断中に30キロオーバーで70キロのスピードで片手運転していた男の車に跳ねられて死亡しました。瞳さんはさえりんと同い年で、この時21歳でした。本来なら守られるべきセーフティゾーンの横断歩道上でまたも尊い命と未来が奪われた現実に深い憤りを感じずにはいられません!!私がお母様の坂本さんに出会ったきっかけは、福島県に住まれる坂本さんが私のこのブログ「さえりんの部屋」を読んで連絡を下さったからです。坂本さんとはその後何度かさえりんの事故現場にも来て下さって今では大切な遺族友達です。よく私のブログに書いていたSさんが実は坂本さんです。今まではまだ民事裁判が終わるまでは弁護士の先生に裁判への影響を考えて止められていたので瞳さんの事故のことも公に出来なかったのです。坂本さんとはLINEや電話もしたり彦根の瞳さんの事故現場への献花に行く途中でよく三河安城駅で途中下車してさえりんの事故現場にお花を供えて下さったときに一緒にランチを食べてたくさんお話しもさせていただいて元気をもらっています。瞳さんとさえりんが同い年でお寿司が大好きだったり、横断歩道を通行中の事故で警察のずさんな操作や到底納得がいかない刑事裁判の状況など本当に共通点も多いのです。祥月命日の今朝、ジャーナリスト柳原三佳さんのヤフーニュースに坂本瞳さんの事故の記事が出ていましたので引用させていただきます。「なぜ警察と検察は『ながらスマホ』の捜査を怠ったのか…横断歩道上で未来奪われた娘の無念」柳原三佳ノンフィクション作家・ジャーナリスト3/12(火) 6:00成人式の晴れ着に身を包む坂本瞳さん。この翌年、交通事故で亡くなった(遺族提供)■『脳死状態です…』突然の連絡「娘が車にはねられ、病院に搬送されたという第一報が入ったのは、2020年3月9日、午前2時半頃、彦根警察署からかかってきた一本の電話でした。次にかかってきたのは、彦根市立病院からでした。受話器を取った妻が突然泣き崩れたので、私が替わると、担当医師は『脳死状態です。まず助かりません』と……。あのときの絶望、そして、奈落の底に突き落とされたような感覚は、言葉にできませ……」 福島県の坂本勝さん(58)は、4年前のあの日を、苦渋の表情で振り返ります。 長女の瞳さん瞳(当時21)は、滋賀大学に通う3年生。前年のお盆に帰省したとき、来年は大学を休学して語学留学したいと両親に告げていました。『留学先はカナダに決めた』というメールが母親の喜美江さん(62)に届いたのは、つい数時間前のこと。それだけに、いったい何が起こっているのか、にわかに信じられなかったといいます。 いわき市の自宅から滋賀県の彦根市までは約700キロ。どんなに急いでも移動には7時間以上かかります。一睡もできぬまま夜明け前に家を出た坂本さん夫妻は、JR湯本駅から始発の常磐線特急と東海道新幹線に乗り、病院に着いたときにはすでに正午を過ぎていました。 集中治療室でようやく面会できた瞳さんは、いくつもの管につながれ、意識不明のまま処置を受けていました。 喜美江さんは振り返ります。「そこには顔を大きく腫らした、別人のような瞳の姿がありました。私たちは必死で声をかけ続けました。『そんな顔では留学に行けないよ、頑張れ!』と」事故現場。瞳さんはこの横断歩道を横断中、速度オーバーの乗用車にはねられた。見通しのよい直線道路だった(遺族提供)■加害車は30キロオーバーで直進、そのときどこを見ていたのか… 父親の勝さんが事故の状況について警察から説明を受けたのは、翌10日のことでした。その内容を聞いた喜美江さんは、さらに怒りと悔しさがこみ上げたと言います。「瞳は彦根城近くの横断歩道を一人で渡っているとき、制限速度(時速40キロ)を30キロものスピード超過で走行してきた加害者の車(トヨタ・エスティマ)にはねられ、10メートルくらい飛ばされ、頭を強く打ったそうです。歩行者が守られるはずの横断歩道上で、なぜこんなことが……。いったい加害者はどこを見ていたのか。納得できませんでした」 以下は、本件事故を報じた『読売新聞』の記事です。【車にはねられ重体=滋賀】8日午後11時20分頃、彦根市本町の県道で、横断歩道を渡っていた近くに住む大学3年坂本瞳さん(21)が乗用車にはねられ、頭などを強く打って意識不明の重体。彦根署は乗用車を運転していた近江八幡市堀上町、会社員荒井真容疑者(43)を自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致傷)の疑いで現行犯逮捕した。発表によると、現場は信号機のない片側1車線の直線道路。荒井容疑者は「気づいてブレーキを踏んだが、間に合わなかった」などと話しているという。(『読売新聞』/2020.3.10) この日、坂本さん夫妻は、瞳さんがひとり暮らしをしていたアパートの部屋に初めて入りました。「机の上には勉強道具が置かれ、台所にはゆで卵が4つ、冷蔵庫には作り置きしたご飯、温野菜、手作りの豆腐ハンバーグ……。大学生としてのきちんとした生活ぶりが見えました。でも、瞳はこの部屋に二度と戻ることはできませんでした、事故から4日目の夜、一度も意識を回復することなく息を引き取ったのです。21歳と10か月、叶えたい夢がまだまだたくさんあったはずなのに、これまでの努力、希望、未来、すべてが奪われてしまったのです」(喜美江さん)瞳さんが大切にしていたぬいぐるみと、愛用のスーツケース。今も自宅に再現された部屋にそのままの状態で置かれている(筆者撮影)■遠くをぼんやりと見ながら、考え事をして片手運転 事故から半年後の9月25日、加害者は「過失運転致死」の罪で起訴されました。起訴状には、横断歩道を横断中の瞳さんに気づかなかった理由や衝突直前の状況について、以下のように記されていました。『被告人は(中略)速度を調整せず、考え事にふけって、前方左右を注視することなく、同横断歩道を横断する歩行者の有無及びその安全確認不十分のまま漫然時速約70キロメートルで進行した過失により(中略)横断歩行中の坂本瞳を前方約23.1メートルの地点に初めて認め、急制動及び右転把の措置を講じたが間に合わず、同人に自車左前部を衝突させて路上に転倒させ、よって同人に急性硬膜下血腫の傷害を負わせ、(中略)死亡させたものである』 刑事記録を閲覧した坂本さん夫妻によれば、加害者は事故直後の警察の取り調べで、次のように供述していたと言います。<加害者の供述調書より抜粋>●私は交通量も少なく閑散としていたことに油断して、進路の遠くの方をぼんやりと見ながら考え事をしていました。●決して居眠り運転はしておらず、左手は肘掛けに掛け、ハンドルは右手で片手で持ちながら運転をしていました。●カーナビのテレビは走行中でも表示されます。事故当時テレビはついていましたが、私は考え事をしていただけで、カーナビゲーションのほうに脇見はしていません。●スマホはコンソールボックスの上に置いており、触ったり、操作等は絶対にしていません。■加害者が「ながらスマホはしていない」と言ったので… 勝さんは語ります。「考え事にふけって、前方左右を注視せず、安全確認を十分しないまま横断歩道に突っ込んだ……、このような事故でまず疑うべきは『ながら運転』ではないでしょうか。実際に、加害者が警察で取られた供述調書には片手運転の記述もあったので、私たちは大津地検彦根支部に『加害者はながらスマホではなかったのですか?』と質問しました。ところが検察官は『加害者本人が、スマホは操作していないと言ったので、操作履歴等の捜査確認はしていない』と答えたのです。私たちが依頼していた弁護士が、検察に対して『スマホの操作履歴の捜査をするべきだ』と申し入れてくださったのですが、『スマホの使用履歴は半年で消えるので、もう無理だ』という返事が返ってきたのです」 喜美江さんも憤りを隠せない様子で語ります。「実は、私は事故から2ヶ月後、警察で私と瞳のスマホの中身を見られました。事故当日の夜、娘と交わしたメールと通話記録が残っていると話したら、確認したいと言われたのです。被害者の携帯を調べておきながら、死亡事故を起こした加害者の携帯の履歴を調べもしないとは、いったいどういうことなのか。また、加害者は大手自動車ディーラーの店長でしたが、走行中でもテレビを見られるよう自社でカーナビの改造をしていました。事故時もテレビ画面が映し出されていたようですが、なぜ見もしないテレビを運転中につけていたのでしょうか? 本人が見ていない、やってないと言えば、裏付けも取らずに鵜呑みにしていいのでしょうか」写真はイメージです(写真:アフロ)■「ながら運転」に捜査規定なし、証拠保全も規定なし? 2021年3月、加害者に下された判決は、禁錮3年執行猶予5年。検察の求刑は、禁錮3年6月でした。 納得できなかった坂本さん夫妻は、2023年の夏、警察庁、検察庁に宛てて「なぜ、スマホの履歴を確認しなかったのか?」など、初動捜査に関する質問状を送りました。しかし、検察からは形式的な電話での返答があったのみ。警察庁からは「捜査担当は滋賀県警である」という、たらいまわしのような回答が返ってくるだけでした。「そこで、今度は彦根警察署に出向いて話しをしたところ、『ながら運転には捜査規定なし、証拠保全も規定なし』という信じられないような答えが返ってきたのです。では、実際に交通事故が発生した際、『ながら運転』はどのように立件するのでしょうか。そもそも、『片手運転』が物語る行為とは何だったのか? たとえ本人がやってないと供述しても、あらゆる方向からその裏付けををとるのが捜査機関の鉄則ではないでしょうか。ありえない危険な行為で人の命が奪われているというのに、加害者の供述だけを鵜呑みするのは言語道断です」(喜美江さん)事故から4年間、滋賀の事故現場へ出向き、花を手向ける母の喜美江さん(遺族提供)■ながら運転の捜査徹底を求め、法務省に「要望書」提出 2024年2月、法務省は「自動車運転による死傷事犯に係る罰則に関する検討会」をスタートさせました。この会で、「ながら運転」の取り扱いについての議論も予定されていると聞いた坂本さん夫妻は、2月下旬、法務大臣宛に下記の内容を記した「要望書」を送ったといいます。 私どもは、交通死亡事故により大切な娘を亡くした遺族です。2019年12月、道路交通法の改正により、「ながら運転」が厳罰化されました。しかし、いくら厳罰化されても、捜査する側の警察、検察が「ながら運転」についての捜査をしていないケースが見受けられます。 私たちは、交通事故捜査において、「ながら運転」の捜査の明確化と裏付け捜査の実施を要望します。そして、飲酒運転のアルコール呼気検査同様に交通事故発生時は、携帯スマホを押収し、操作履歴及び通信履歴の確認を実施することを強く要望します。 国が改正道路交通法を施行し、「携帯電話使用等」に関する罰則を強化したのは2019年12月1日のこと。携帯電話での通話だけでなく、カーナビやテレビの操作、携帯でのゲーム、SNS、漫画を読むといった行為も対象です。これらを真剣に立証するためには、事故直後からのち密な捜査が不可欠ですが、施行から4年、具体的にどのような捜査が行われてきたのでしょうか。 坂本さんの被害者代理人を務める中隆志弁護士は、捜査機関の対応についてこう指摘します。「捜査機関は、加害者の供述のみで捜査をすることなく、客観的証拠があるのかどうか、客観的証拠があった場合、加害者の供述と矛盾しないかを常に精査していただきたいと考えている。被害者代理人として事件に関わる中で、加害者の供述と客観証拠が矛盾しており、私が指摘をして起訴状を修正することになったこともある。交通事故は多発しているが、犯罪であることには変わりがないので、より一層捜査には意を尽くしていただきたい」■亡き娘のアパートの部屋を再現 瞳さんを亡くした後、坂本さん夫妻は東日本大震災で大きな損傷を受けていた自宅を建て直しました。生前、瞳さんが「新しい家に住みたい」と言っていたからです。 新居の2階には、瞳さんの部屋も作りました。そこは、彼女がひとり暮らしをしていた彦根のアパートとほぼ同じ間取りで、ベッドも、机も、そして教科書や洋服、食器棚やごみ箱にいたるまで、ほぼ当時のままのレイアウトで再現されています。瞳さんの部屋で窓を眺める父親の勝さん(筆者撮影) 出窓の上には勝さんが作ったという彦根城の小さな模型が置かれていました。「瞳のアパートの部屋からも、ちょうどこんな風に彦根城が見えていたんです……」 勝さんはそう言って、寂しそうな笑みを浮かべます。 喜美江さんもこう言います。「私にとっては、消しゴムのカスひとつでも瞳の大切な形見なんです。捨てることなんてできませんね……」 警察庁によれば、運転中に携帯電話を使用した場合、死亡事故につながるリスクは約3.8倍に上るとのことです。 過去に私が取材した事故でも、「ながら運転」が立件され、刑事罰を問われたケースがいくつかありましたが、いずれもドライブレコーダーなどにその様子が記録されていたことで裏付けられました(以下の記事参照)。<「スマホ漫画」で追突死亡事故の男に懲役3年 遺族が法廷で訴えたこと(2019/8/22><迷い犬保護中の女性「ながらスマホ」の大型トラックにひき逃げされ死亡 被告に下された判決は(2022/12/19)><【速報】異例の控訴取り下げで判決確定 女子大生死亡の「ながらスマホ事故」 遺族のやりきれぬ思い(2023/5/8)> 喜美江さんは、語ります。「通話やメール、ゲームのほか、車の中でテレビやビデオも視聴できるようになった今、便利になればそれだけリスクが増えたということでもあります。前を見ずに起こった事故の真の原因は何だったのか? なぜ被害者の命は奪われたのか? 事故発生直後にきちんと捜査のメスを入れない限り、ながら運転の厳罰化は絵に描いた餅だと思います。この記事が発信された本日(3月12日)は、瞳の命日にあたります。私たちは大切な娘の死を無駄にしないためにも、引き続きこの問題についてしっかり訴え続けていきたいと思っています」東日本大震災で被災した自宅を再建した坂本さん夫妻は、新居に瞳さんの部屋を作り、生前のアパートをそのまま再現している(筆者撮影) 私はこの柳原さんが書かれたヤフーニュースの記事を読んで一番怒りを覚えたのが、警察は被害者とご遺族が通話していたことを調べるためにスマホを捜査したのに、どうして加害者のスマホは捜査しないんでしょうか???その理由は加害者が「スマホは触ったり操作等は絶対にしていません」と供述したからだそうです!?加害者は誰しも自分の身が可愛いので自分有利な供述をするものなんです!!罪が重くなると知っていてわざわざ正直に自分の罪を重くする人がどのくらいいるのでしょうか??さえりんの加害者も私たちは「スマホのながら運転だ」と最初から疑っていましたが警察は「通話履歴はなかった」と簡単なチェックしかしていませんでした!!スマホは通話だけではありません!!ネットもLINEもゲームも使う要素は他にもたくさんあるのに警察は加害者のスマホを押収して捜査はしてくれませんでした。しかも事故直後は「自分が見ていなかったから娘さんを轢いてしまった、全部自分が悪いんです」と泣いて認めていた加害者が、刑事裁判では豹変し「自分はちゃんと見ていました。見たけど見えなかったんです!!」と嘘の供述を平気でしました。これが加害者の本性なんです!!自分の不注意で殺した被害者のことなんてどうでもよくてただ自分の罪を軽くしたい我が身を守りたいだけなのです!!警察や検察はその道のプロでありながら、どうして加害者の本性を見抜けないのでしょうか??どうして加害者が嘘の供述をしているとわかるはずなのにそれでも加害者を擁護するのは何故なのでしょうか???実はさえりんや瞳さんの死亡事故以外にも被害者が泣き寝入りのケースは山ほどあるのです!!それでも遺族が勇気を振り絞って世間に公表しない限りは誰も知らないうちに闇に葬られるのです!!こうやって皆さんに知っていただくケースは氷山のたった一角だという真実を知っていただきたいのです!!私も坂本さんも警察と検察のやり方を到底赦せなかったから勇気を振り絞って世間に公表し闘う決意をしたのです。そして皆さんはこの記事を見てどう思われましたか??加害者の供述を鵜呑みにしてしっかり捜査もしてくれない警察や検察のやり方に対してどう思われますか???もしもご自分の大切なご家族が被害に遭ったとしても、それは仕方がないことだと簡単にあきらめたり赦すことが出来ますか???(さえりん3歳1カ月 海で海水浴part2)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年03月12日
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ここ数日私のメンタルは急激に下がっていて何もやる気になれず悶々と過ごしていました。どうしてこうなるのか何が原因なのかさっぱりわかりませんでした。ただ虚しくて寂しくて憂鬱だったんです。こんな私はもう誰からも必要とされていないような気がしてここからいなくなりたいような気持だったんです(-_-;) ところが昨日の午前中はある報道関係の方が我が家へさえりんのエンバーミングの話を聞きに来られました。最初はこのブログのメール蘭にご連絡を頂て我が家へ来ていただいたのです。詳しいことはまだ書けませんが、私がブログに書いたエンバーミングについて調べてみえる方でした。私たちはご協力出来ることなら何でもお話ししたいと思っています。というのは、私のように交通事故や不慮の事故またはご病気で大切なご家族を亡くされて、その大切な家族とのお別れの時間を少しでも長く持てたことや生前通りの綺麗な姿で最後に送ってあげられたのは、エンバーミングのお蔭だと心から感謝しているからです。そしてこのエンバーミングはもちろんお金もかかりますし何より施行できる専門技術を持ったエンバーマーが日本にはまだ少なくなかなか受けられない現状があるからです。私はたまたま友人Tさんがお勤めの葬儀会社がエンバーマーを雇ってみえる数少ない葬儀会社だったので、その点では運が良かったのです。もしかしたらこの葬儀会社とのご縁もさえりんが繋いだかもしれません。昨日来られた報道関係の方は若い女性で、年をお聞きしたらさえりんより一つ上の方でした。そしてにじいろ会のストラップを渡したらある警察署で見かけたことがありこれについてもいつか取材したいと思ってみえたそうです。その方と話をする中で私の気持ちは少し明るくなり前を向こうという気持ちになってきたのです。お天気も朝は小雨から曇りになりだんだん晴れてきたころでした。 午後からは冷蔵庫の中身が空っぽだったので久しぶりに買い出しに行けました。そしてブロ友さんが今の私の状態を心配してLINEを送って下さいました。そのLINEを読んでいたら私の不安定な心の状態の正体が分かったような気がしました!!それは「空の巣症候群」ではないかと書いてくださったのです。私も名前は聞いた事はありましたがよくわからなかったのでGoogleで調べてみました。「子どもが成長し巣立って、巣(家)が空っぽになってしまったことが、一種の喪失体験となり、寂しさなどを感じることを空の巣症候群と言います。精神医学的にはうつ状態の一種であることが多いものです。特に内向的で人付き合いが苦手、外出より家にいる方が好きで、子育てを生きがいにしてきた専業主婦に多く見られます」「長い子育てを終えてやっと一人の時間が出来るそんな風に、子育てを終えた解放感を味わう人もいるでしょう。ですがその反面、強い喪失感や虚無感に苦しむ方も存在します。自分の手から、子どもが外の世界に巣立つ。子どもの自立を考えると喜ばしいことなのですが、自分の役割がなくなってしまったと強い寂しさを感じる場合があるのです。これが空の巣症候群とも呼ばれる、子育て終了後の心身の不調です。子どもの自立によって『自分の役割が喪失した』と感じ、空虚感や喪失感が強まっている状態のことです。主に子育てを終えた40代~50代の母親に多く見られる状態で適応障害の一種であることが多いです。更年期障害と重なることで、症状はさらに重くなることも少なくありません。このような状況が続く中で、そのままうつ病を発症してしまう方も存在します」(東京横浜TMSクリニックネット記事より引用) これを読んでいたらまさに私に当てはまることばかりでしたΣ( ̄□ ̄|||)私の場合は4年前に突然さえりんを交通事故で亡くして、その後は次女のために次女の成長を生きがいに精一杯生きてこられました。ところがこの春大学を卒業し就職とと共に1人暮らしをはじめた次女は、最初こそ引っ越しや手続きなどに私も世話を焼いて手がかかりましたが、今ではすっかり落ち着いて自分のペースを見つけながら仕事や生活を送っているのです。そうなるともう私は母親として必要なくなったような錯覚が生じてきてとっても虚しく寂しい気持ちになってくるのです。次女の成長は本当に喜ばしいことだし、いつかは自立してもらわないと困ることはよく分かっているのに・・・これが「空の巣症候群」の原因だったのですΣ(゚Д゚) 実は自分でも今回こうなってしまったことに心当たりが見つかりました。それは13日(土)に次女は仕事が休みだったので一緒にニトリへ夏用の布団やシーツを買いに行きました。そしてレンタルで借りた漫画本を返しに行って、夜は珍しく次女が「初任給が出たから」と私にご飯を奢ってくれたのです。本当はもっと高いお店にお寿司を食べに行こうと誘ってくれたのですが申し訳なくて回転ずしに2人で行きました。それでも私はとっても嬉しくてたくさん食べました。会計をする次女を見ながら、大人になってきたことが誇らしくて心から喜びました。その後次女のアパートに戻って、さえパパが昼間買って持たせてくれたケーキを一緒に食べました。たったそれだけの事ですがとっても幸せを感じました。ところが私のメンタルが急降下したのは、その直後だったのです!?今まで私が次女のために車で迎えに行ったら買い物や食事をしてもお金を払っていた時にはまだ私は次女にやってあげれたから良かったのかもしれません。ところが今回は次女が私に奢ってくれたことでとっても嬉しかったのですが、その反面もう母親を必要とされなくなったような気がして寂しくなって「空の巣症候群」の症状がでてしまったような気がするのです。本当に次女がいてくれるだけで幸せなはずなのに贅沢な悩みだと思います💦たまたまお天気も雨が続いてお散歩にも行けず憂鬱で、庭の花に水をやる必要なかったので余計に自分が必要とされない様な気持ちになってしまったのだと思います。(13日土曜日の夜、次女が奢ってくれた回転ずしと、さえパパが買ってくれたケーキを次女と一緒に食べた時、この時は食欲もあり楽しかったのに・・・) 空の巣症候群の「からだ」の変化(身体症状)は・食欲不振 ・動悸、息切れ ・強い倦怠感、疲労感 ・吐き気 ・頭痛「こころ」の変化(精神症状)は・胸にぽっかり穴があいたような喪失感、虚無感 ・何事もやる気が出ない、無気力な状態が続いている ・ふとした時に涙が流れる ・強い孤独を感じる ・「自分はもう不要な人間だ」と思ってしまう ・この先自分が何をしたらいいのわからない予防策としては、家庭と切り離された趣味の場を持つ。好きだったものを紙に書きだす。子どもに関わる仕事やボランティアを始める。ハートナーと話し合う。ご自身やご家庭の状態と「空の巣症候群かな?」と感じたら、早めに医療機関に相談して下さい。と書いてありました。ここに書いてある身体と心の症状はまさにここ最近の私の症状でした(-_-;)きっと本当は早く医療機関に相談に行った方が良いのでしょうね💦 それでも、昨日は報道機関の若い女性にエンバーミングやボランティア活動の話をしたことと、午後からコアラドライブへストラップをお届けしたことで、またボランティア活動への意欲が少し湧いてきて気持ちも少し前向きになれたような気がしたのです。在庫が少なくなり久しぶりにストラップを作ろうという気力も出てきました。きっとボランティア活動は今の私の心のリハビリなんだと思います。ついつい母の病気のことなどですっかり気持ちが疎かになっていたことも「空の巣症候群」の引き金になったのでしょうか?とにかくもう少し様子を見てこの症状がもっと長く続いて酷くなるようなら精神科へ相談に行こうと思います。皆様ご心配をおかけしました。(コアラドライブのストラップと昨日作った50個まだ袋詰め前です) それにしてもいつまでたってもいつもいつも悔しいのは「今ここにさえりんがいてくれたら・・・」と思ってしまうことです。さえりんがいてくれたら私はここまで次女に依存することはなくもっと普通に子離れできたと思います。やっぱり私にとって一番の心の支えを喪ったことがこの空の巣症候群やメンタル崩壊の大きな原因です。これはもうどうすることもできないんです・・・だからまたいつ落ち込んでメンタルが急降下するか自分でも分からないくらい情緒不安定なのです。特にさえりんの祥月命日とさえりんの誕生日が近づくこの季節は(´;ω;`)ウッ…(さえりん生後3カ月半)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2023年05月16日
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昨日はさえりんの高校の時の同級生だったSさんとお母様と妹さんが、さえりんのお参りに来てくれました。昨年10月末に来てくれて2回目です。Sさんは1歳4ヵ月になる可愛いらしいとっても元気な女の子の赤ちゃんを連れてきてくれました。昨年10月末に初めて会った時はまだハイハイしか出来なかったその赤ちゃんは、半年たってもうしっかり歩いて元気いっぱいです。少しもじっとしていません。人見知りもないようで知らないお家でも平気でどんどん散策しています。目がクリっとしてとっても可愛いかったです。今は実家に住んでいてSさんは産休が終わり、仕事をしているので昼間はお母様が赤ちゃんの面倒を見ているそうです。目が離せなくて危なっかしくて笑った顔がめちゃくちゃ可愛くて孫がいたらこんな感じなのだろうかと思いました。(シナモンが気に入って抱きついたり登って遊ぶSさんの赤ちゃん) Sさんは6人兄姉弟妹で、今は9人家族で賑やかに暮らしてみえるそうです。そして、ご兄姉のお子さんもSさんのお子さんと3人同い年で、お母様は「孫が3人もいると大変ですよ」と言いながらそのお顔にはとっても幸せそうなオーラがみえました!!もちろん6人の子供さんたちのこと、3人のお孫さんのことなど、決して順風満帆ではないかもしれません。どのご家庭でも悩みや不安はもちろんあると思います。それでも、やっぱりみんな元気でそれぞれに自分の生きる道を見つけて成長し、自分の力で歩いていってくれたら、そんな幸せなことはないと思います。Sさんはすっかり心も大人になり、優しいママになっていました。たとえ困難があってもこの子はなんとしても私が守るんだという、強い母性を感じました。その成長ぶりがすっごく微笑ましくて、そのSさんを全面的にサポートされるご両親も本当におおらかで素晴らしいなあっと思うのです!!私はそんなSさんと赤ちゃんとお母様と中学生の妹さんの4人のお姿を見ながら、あたたかい幸せな気持ちになりました。そして、やっぱり思うのは紗愛理のことです。(昨日Sさんがプレゼントしてくれた、高校の修学旅行広島で、もみじ饅頭をみんなで作ったときの写真)もしも紗愛理が生きていたら、今頃どうだったのかな??何をしてるのかな??もしも紗愛理が生きていたら、Sさんの赤ちゃんを見たらなんて言うのかな??もしも紗愛理が生きていたら、どんな24歳の大人になっていたのかな??もしも紗愛理が生きていたら、恋をしていたかな??今を楽しんでいたのかな??もしも紗愛理が生きていたら、いつかこんな可愛い孫を見せてくれたのかな??もしも紗愛理に未来があったなら、私たち家族は今もずっと幸せだったのかな??私の頭の中は「もしも・・・」でいっぱいになるのです。そんなこと考えても仕方がないことだと分かっていても、考えずにはいられない、それが母親なんです。きっと月日が流れたらもっとこの思いは強くなるのかな??どんどん成長し立派な大人になって自分の人生を悩みながらも歩いていく同級生たちと、永遠に20歳のままで止ってしまった紗愛理との差は開く一方で、取り残されたような寂しい気持ちになっていくのかなと想像するのです・・・ 昨日Sさんたちが帰られるとき、玄関まで来ると1階のリビングにいた義父の姿を見て、お母様が「坂ちゃんのお祖父ちゃんにもこの孫を見てもらえたら」と言いました。私は一瞬迷いましたがドアを開けて義父に「紗愛理の高校の時の同級生のSさんが来てくれました。この子はSさんのお子さんです」と赤ちゃんを抱っこして義父に見せました。義父は「そうか」と言って少し笑ってくれました。そしてぽつり…「紗愛理も、もし生きていたら・・・」と父の心の叫びが小さく聞こえました。私は義父もきっと複雑な気持ちになったのではないかと申し訳なくなりました。決してSさんのお母様が悪いわけではありません。お友達の家に遊びに来てそのご家族のお顔を見たらご挨拶するのは当然の常識でごく当たり前のことです。それでも、我が家は常識では測れないちょっと特殊な事情があるから複雑なんです。私が義父とはうまくいっていないのもすべては紗愛理の命を無残に奪われてしまったから!!大切な大切な初孫の紗愛理を亡くし、義両親もまた心に深く悔しい傷を負い一生消えることの無い重い十字架と悲嘆を背負うことになってしまったのですから。(昨日、庭に咲いていた花) 昨日は嬉しいような切ないような複雑な気持ちになりましたが、それでもどうかSさんと赤ちゃんがこれから幸せになりますようにと心から願わずにはいられませんでした。きっとさえりんもお空からそう願っているはずだから・・・そして、私はこう信じているんです。「リアルな夢は本当なんだと!!」だからさえりんのあの世で新しい家族を見つけたんだと!!優しそうなちょっと年上の旦那様とニコニコ笑顔の可愛い女の子の赤ちゃんと幸せに暮らしているんだと!!せめてそう思わずにはいられないんです。きっと紗愛理はこの世でも、あの世でも、今も幸せなんだと・・・(さえりん14歳の時 家族全員沖縄旅行part20)最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年04月17日
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昨日は安城ボランティア活動の日でした。豊橋からIさんが参加してくれると連絡を頂いていたので、久しぶりにIさんとボランティア活動が始まる前にランチをしてゆっくりお話しすることに。安城市民活動センターのすぐ近くのハンバーグ専門店で待ち合わせをしました。場所はいつも通る道なんですがこのお店には初めて入りました。ランチを頼んだんですが選べるハンバーグの種類がすごくたくさんあって、鉄板できた焼きたてハンバーグはすごくボリュームがあって大きな器のお味噌汁もおひつできてお代わり自由なご飯もとっても美味しかったです。久しぶりにIさんとお互いの今の現状などお話しできて嬉しかったです!! 午後1時、市民活動センターに着くとTさんが先に来ていて私の車に荷物を取りに来てくれました。みんなでたくさんのクラフトテープのタイヤや材料を運び込みました。ブロ友さんから送って頂いたタイヤもかなり小さく細くなりました。昨日はさえりんの同級生のSさんとお母様と赤ちゃんの3人が初めてストラップ作り体験に来て下さいました。おこのみ会の方もお2人材料を取りに来て下さったついでに少しお手伝いしながらお話の仲間に加わって下さいました。少し遅れてMちゃんが可愛いお子さんお2人と一緒に来てくれました。Sちゃんの赤ちゃんと3人の子供さんが可愛くて、自由に遊ぶ姿を見ながら私もたくさんパワーをもらいました!!Yちゃんと2人で「早くこんな可愛い孫が欲しいね~」と微笑ましく関わりました。みんなでワイワイとそれぞれの家庭の悩みや様々な問題も明るく話し合いながら、唯一の男性Mさんをちょっと圧倒しつつ、材料のカットやストラップの仕上げをみんなで楽しく作業することが出来ました(^-^)さえりんの同級生のSちゃんとお母様もストラップ作りが出来たこと、みなさんが気さくで楽しかったとまた参加したいと言って下さいました。みんなも楽しそうに新しい仲間を歓迎してくれました。私はこうしてあたたかい人の輪が広がっていくことが、何より幸せだなっと実感します。ストラップ作り通して優しい気持ちの仲間が増えて、このストラップを手にしてくださった方にも優しい気持ちが伝わり、多くの人々が優しい気持ちで他者優先の譲り合いの社会になったら、交通死亡事故は自ずと減っていくんだと思いました!!(昨日の安城ボランティア活動の様子) 今朝は洗面所にずっと置いてあった、もう使わない干からびた石鹸とそのケースをようやく捨てることがました。これはさえりんが使っていたものだから今まで捨てられなかったんです。手を洗うのがこだわりになっていて何度も何度も潔癖症なくらい手を洗うさえりんの手はハンドソープだと手荒れが酷くて血が出るほどボロボロになっていました。ストレスがたまると余計に手洗いの時間も増えて可哀そうなくらい荒れた手をなんとか守ってやりたいと辿り着いたのがこの石鹸でした。ハンドソープより手に優しくて手荒れも徐々に良くなってきました。さえりんはいつもこの石鹸を使っていました。私たち家族は誰も使いません。さえりんだけの物でした。さえりん亡きあとこの石鹸は誰も使うことなくどんどん干からびて行きました。私が時々洗って綺麗にしていたのですが、ずっと捨てられずにいたんです。捨ててしまったらさえりんとの思い出まで一つ無くしてしまうような気がしたから・・・ でも、昨日Iさんとランチをしながら話す中で「生きている私たち家族はどんどん変わっていくのは仕方ないことなんだよ。子を亡くした頃には絶対に出来ないと思っていたことも、時が経てば少しずつ出来るようになる。それは仕方ないことだし、当然のことなんだよ。だって遺された家族も前に進まなくちゃならないから、それでいいんだよ」とそんな会話が蘇り、とうとう今朝石鹸を捨てることが出来ました。人からみたら些細な事でそんなの簡単な事だと思うかもしれませんが、私にとっては一つ一つに想いが込められていてすごく勇気を出しての行動なんです。こうして少しずつ新しい未来を、さえりんのいない未来を進んでいくんだなと、ちょっと神妙で感傷的な気持ちになりました。だけど決してさえりんを忘れるわけじゃない!!これからも少しずつ物を捨てたり部屋を片付けたりきっと変わっていくこともあるけど「さえりんはずっと私の心の中で新しい未来を一緒に生きていくんだからね!!」と心の中でさえりんに語り掛けました。(さえりん14歳の時 ナガシマスパーランドpart6)最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年05月15日
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昨日6月4日は紗愛理の命日でした。今年で4年目・・・私たちは午前中に事故現場へお花を供えに行きました。すると加害者の運送会社の花はありませんでした。加害者は午後我が家へ来ると言っていたので多分その時に花を持ってくるんだと思いますが。運送会社はもう4年経ったので、これからは知らん顔をするつもりなんだと思いました。所詮自分たちの会社の体裁のためのパフォーマンスに過ぎないから。そんな無責任な会社だということはよく分かっていますからただ呆れるだけです。それよりもカルピスが供えてあって、どなたがお供えいただいたかわかりませんが本当にありがとうございました。そのお気持ちがとってもありがたいです。(昨日さえりんの4年目の命日に現場へお花を供えに💐) 実は昨日は朝起きた時の体調はそれほど悪くはありませんでした。それでも心はずしっと重たく憂鬱な気分でした。それは午後1時に加害者が我が家へ線香をあげに来るからです。さえパパも昨日から憂鬱で体調も良くないようでした。だけど電話で訪問を承知したからには嫌でも投げ出すわけにもいかず受け入れるしかありません。私はもしさえパパがダメでも一人で対応する覚悟を決めていました。それが心無い加害者に、娘の命を奪った罪を忘れさせないせめてもの方法なのだから!! 午後1時になる5分前に家のチャイムがなり加害者が旦那は2人で喪服を着ていました。私は黙って門を開けて家に上げました。加害者と旦那はまずお線香をあげて、持ってきた花を差し出しましたが、私は受け取らず「紗愛理の為にたくさんお花を送っていただいたので家には飾る場所もありません。それは現場へ供えて下さい」と言うと、加害者は「わかりました」と花を横へ置き床に座りました。すると加害者は突然涙目になってこう言いました。「紗愛理さんを死なせてしまって本当に申し訳ありませんでした。交通事故のニュースや紗愛理さんと同じ年頃の娘さんを見るたびに、本当に紗愛理さんのことを思って胸が締め付けられます。今まで一度も紗愛理さんの事を忘れた日なんてありません。紗愛理さんにも坂田さんご家族にもずっと申し訳ない気持ちいっぱいで、これからも一生償います」と言いました。私はそんな加害者を真っ直ぐに見ながらとっても冷静に観察しました。さえパパは黙ってソファに座って聞いていました。私は加害者に言いました。「私たちは何年経っても紗愛理が殺された事実は忘れることは出来ません。そして一生あなたのことを恨み続けるでしょう。紗愛理はもうすぐ25歳になります。同級生には可愛らしい赤ちゃんがいる子もいて、紗愛理も生きていたらいつかはこういう可愛い孫も生まれたかもと思わない日はありません。だから私は母親としてあなたを許すことは出来ません!!」ときっぱり本心を言いました。加害者を目の前にして出てきたこの想いが私の本心です!!やっぱり私には綺麗ごとではない恨みの心を消すことなんてできません。でもハッキリ言えたことで自分の中でこれで良いんだと覚悟ができました。私は良い人になんて到底なれないんだとそれでたとえ地獄に落ちようとも仕方がないこれが本心なのです。加害者は「それはわかっています。ただ一つだけお願いがあります。旦那の親の体調が悪くて三重県の実家へ帰らなければいけないかもしれません。その時は月命日にお花を供えることが出来ないかもしれないので許して下さい」と言います。私はやっぱり加害者も本性を出してきた!!と呆れました。さっき泣いて謝罪したのに「一生償います」と言った舌の根も乾かないうちにこれです。加害者は何とか理由を付けて現場へ花を供えるのをやめようとしているのです!!!私は冷静な口調で言いました。「三重県なら隣の県なので月に1度くらい事故現場へ来ることは出来ますよね。私も実家の母が心臓の手術をして家で闘病生活をしているので忙しいのは同じです。運送会社はもう花を供える気はなさそうですがあなたは紗愛理に一生償うつもりがあるのなら花を供えるのは当然ですよね!!」と。すると加害者から意外な言葉が。「運送会社は昨年8月に自己都合で退社しました。今新しい仕事を探しています。車の免許は約束したのでとっていません」と。それで運送会社が現場への献花を辞めた理由がわかりました。もう会社は関係ないとでも思っているんでしょうね!!これは会社としての誠意の問題なのです。本当に無責任で残念な会社だと烙印を押すしかありません。それはともかく加害者には裁判で誓った約束は守らせなければいけません。理由を付けてやめるのは卑怯です!!さえパパが「俺たちは365日毎日辛い想いをしているんだから、せめて1ヵ月に1回くらいは現場に花を手向けてもいいんじゃないか!!」と言いました。すると加害者は「わかりました」とそれ以上食い下がることはありませんでした。そして「また来年もこの日はお線香をあげさせてください」と言いました。私は毅然とした態度で「わかりました。1年間あなたにせめてもの紗愛理への償いの気持ちが本当にあるのなら、来年も来ていいです」と言いました。我が家で焼香と会話をして約15分で加害者と旦那は帰って行きました。今回は驚くほど冷静に加害者と対面が出来たことに自分でもびっくりでした。そして加害者の涙にも惑わされず、冷静に自分の気持ちがはっきりと言えたこと。加害者のズルさもあわよくば逃げようとする卑怯なところもちゃんと見抜いて「それはおかしい」ときっぱりと指摘できたことも良かったと思います。そして何よりもさえパパも怒りを抑えて、加害者と感情論で喧嘩にならなくてホッとしました。加害者がまた1年間サボらずちゃんと月命日には現場へ花を供えるのか、来年も祥月命日には約束通り焼香に来るのかどうかは、私にはわかりません。それは相手の領分です。来なかったらその時どうするかはまた考えます。運送会社と一緒でその程度の償いだったんだと落胆せざるおえませんし、所詮その程度の人間だったんだと軽蔑するだけです。それでも昨日の涙がほんの少しでも嘘ではないのなら約束は守るはずです。あとは加害者の人間性と信用の問題です。(さえりんの命日にたくさんのお花を送って下さって心より感謝いたします) 昨日は春日井支部のOさんもさえりんにお花を送って下さいました!!いつもお気遣いありがとうございます!!みなさんのお優しいお気持ちのお蔭様でさえりんの周りはまるで可愛らしいお花畑のようになりました💐そしてくらさんちーさんやさえパパのお友達からも材料のご支援やお優しいお言葉をLINEでいただいて本当にありがとうございました!!思えばみんな殆どの方はさえりん亡きあと知り合った方々ばかりなのです。そして「亡くなった後でも私たちの心の中にさえりんがいてくれるのはさえパパとママのお蔭だよ。ありがとう」と言葉をもらったとき私は涙が出そうになりました。実は最近特に感じていたことは、私たちがどんなに交通事故の啓発活動をボランティアでやっても交通事故は一向に減らないし(当然ですが💦)今更何をしたってさえりんは二度と帰ってこないし、少し馬鹿らしく全部が無駄な事だったように思えて虚しい気持ちになっていたのです。ところがそうではなかったのです。一見馬鹿らしいと思える啓発活動もコツコツ続けていけば伝わる人の心には確実に伝っているのです!!一見無駄な事のように思えるブログや公式LINEやHPの発信もちゃんと届く人の心には届いているのです!!昨日はこうした皆様からのお気持ちが感じられ支えられている安心感と信頼感で勇気が湧いて加害者とも冷静に毅然とした態度で対応できたんだと思います!!皆様本当にありがとうございます!!これからも浮き沈みはありますが、少しずつ前に進んでいけるようにさえパパ共々頑張ります!!さえりんありがとうね!!(さえりん生後4カ月半)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2023年06月05日
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昨日は朝9時半に刈谷市のアイシン株式会社本社へ行きました。目的は社会貢献事業部のHさんと打ち合わせのためです。11月に刈谷ハイウェイオアシスで行われる警察の行事と同時に昨年に引き続きテントで生命のミニメッセージ展をアイシン本社が主催で行うためその設営などの相談をしてくださったのです。今年も私たち「にじいろ会にもぜひお手伝いをお願いします」とHさんがおっしゃられました。私たちは生命のメッセージ展にはぜひともお手伝いしたいのでこちらからお願いしたいくらいです。それはさえりんのお仕事だからです!!1時間くらいで打ち合わせが終わった頃ちょうどコアラドライブ安城自動車学校からストラップの在庫を届けてほしいと依頼が入ったので、一度知立市の自宅へ安城メンバーさんが作って下さったストラップ200個を預かっていたのを取りに行き、コアラドライブへ届けました。昨日はちょうど三河方面にいたのでグッドタイミングでした。お昼過ぎに名古屋のマンションに戻って来てからまた電話が入り刈谷市役所からストラップの在庫を届けてほしいと言われましたが、こちらはちょっと遅かったので今度20(金)の知立ボランティア活動に行くときに持って行こうと思います。それまでの間にまたストラップ作り頑張ります。(さえパパと分業でストラップを作る) 私たちがこんな小さな交通安全啓発のストラップを手作りして一部の三河地方と尾張地方と美濃加茂市の公共施設に置いて頂いて配布したところで一向に愛知県の交通死亡事故は減るどころかまたも不名誉なワースト1に返り咲いてしまい虚しい気持ちもたくさん出てきます。こんなささやかな草の根運動では何の足しにもならないんではないかと無意味なことにも思えます。このストラップをもらった人もただ可愛い飾り物をもらってラッキーではなくちゃんと交通安全への願いが届いているのかも疑問になるときもあります。一見馬鹿馬鹿しくも思えるようなこのにじいろ会の活動ですがそれでも私たちにはこれしか方法がないのです!!全国には毎年約3000人の交通事故死亡者が出ています。それは事故から24時間以内の死者数なので24時間を超えて無くなった方はこの数字には含まれていません。ということはほぼ即死以外はカウントされておらず24時間を超えて亡くなった方も含めたら1年間にいったいどれだけの方が交通事故の犠牲になっているのでしょうか??その中で遺族が交通事故防止の啓発活動や遺族の会などを立ちあげてみえる方はほんのごく一部です。その方々は法改正を目指したり、遺族の心のケアや交通事故防止のための講演活動や講習会を開いたりして励んでみえます。ご遺族の方々は「自分の家族のような交通事故の犠牲者はもう増やしたくない」という共通の想いを強く持って気力を振り絞って活動に踏み出してみえるのです。それでもその方法は様々で決して一枚岩にはなりません。皆さん思い方や状況が違うので当然です。そうした方々のお話しを聞くとつい「私なんてこんなことしかできなくて・・・」と悲観的な気持ちもでてくるのですが、それでも私には知識も人脈もないし法改正とかこの社会を変えるなんて難しいことは夢のまた夢です。馬鹿みたいに小さなストラップに願いを込めて1つ1つ丁寧に手作りしてボランティアメンバーさん達と共に地道に実直に啓発活動を行うことしかできません。それでもこれが私たちらしさだと思って自信を持とうと思います。社会や世の中を変えるような大きなことは出来ませんが何もせずにただ悲しみと恨み辛みと復讐心だけの人生を送るよりよっぽど人間的だと感じています。そして何よりこうしている方が亡きさえりんが喜んでくれているように感じるからです!!心優しく人の役に立ちたいと願い、人から必要とされることに喜びを感じていたさえりんだから!!最近はストラップの依頼が多く入って在庫が少なくなって焦って時間があればストラップ作りをしているのですが、昨日はこれもさえりんが願っていた事なんだとあらためて強く感じていました。「ママには難しいことは出来なくてもいいんだよ。『どうして愛知県の交通死亡事故はいつもワーストワンなの??』とあの日言った私の疑問の答えを見つけるためにストラップに願いを込めて作って配ってくれている。それだけで充分だよ。いつかきっと願いが届く日が来るって信じてるよ」ってさえりんならそう言ってくれるでしょうか??今の私にはこれしか出来ませんが、これがむしろ私らしい、さえりんらしい唯一の交通安全啓発の活動方法なんです。いつか誰かのために、ささやかでも必要とされる喜びを感じながら。(さえりん1歳)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2023年10月19日
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昨日は朝いつもより早めに家を出て知立市のアピタの花屋さんでさえりんの月命日の花を買いました。この頃いつもいたバイトのお姉さんは私の顔を見るとこの花は事故現場へお供えするお花だとわかって下さっていたのでとても安心して買いやすかったんですが、昨日は新しそうなバイトのお兄さんだったのでラッピングを頼むと「ご用途は??」と聞かれました。私は「事故現場へお供えなので長めにラッピングして下さい」と説明すると、お兄さんは「では包装紙は紫色にしますか??」と言われ、私は「ピンク色で可愛らしくしてください!!」とお願いしました。店員さんにとってはお供えなら紫で地味が常識で当たり前のように思われたんでしょうが、私は地味なのも菊の花も嫌いなんです。さえりんにはピンクで可愛らしい花が似合うから。こんなほんの些細な事でも遺族はとても敏感になるのです。暫くして出来上がった頃取りに行ったら、注文通り可愛らしくラッピングして下さったのでお兄さんに「ありがとう」とお礼を言って店を出ました。個人店の花屋さんだと常連になって覚えてもらえる利点はありますが、1本の花の値段も高いし馴れ合いになるのも嫌なんです。その点スーパーに隣接した花屋さんだとお手頃価格で注文通りのラッピングもしてくださるから良いのですが、店員さんが殆どバイトでコロコロ変わるので時々行き違いがあったり嫌な思いをするリスクもあります。それでも毎月4日に花を買いに来る変わったオバサンなので覚えてくれたらラクなのになあっと思います。些細な事でも毎月のいろんな感情になります。事故現場へ行くと年末に私がラッピングして供えた花がまだ元気に咲いていて、そこにもう1つ花が供えてありカードが付いていてさえパパの知人のミュージシャンNORIさんからだとわかりました。NORIさんはいつもライブがあると観客の方々にさえりんストラップを配って下さって時々現場へ足を運んでお花を供えて下さって本当にありがたいです。そして、加害者の形だけのパフォーマンスの花もありました。毎回どんどんしょぼくみすぼらしくなってきています。経費節約でしょうか??毎月嫌々アリバイ造りのように来ているのがよく分かる誠意のかけらも感じられない花です。でも来なければ私たちに文句を言われるから仕方なくやっているのがよくわかります。私も「誠意もなくそんなにイヤならもう来なくていい!!」と怒鳴ってやりたくなりますが、そんなことを言えば加害者の思うつぼで「ラッキー」と思われるだけなのでぐっと我慢しています。刑事裁判で自分から「一生償います」という形だけの反省の言葉で刑務所へ行かずに済んだのだから、せめて事故現場の花くらいはその言葉通り一生死ぬまで毎月命日には供えてもらいます!!加害者にはせめてそれくらいさせなければ、さえりんがあまりにも惨めで可哀そうすぎるから!!(1月4日、さえりんの月命日の日の現場のお花) 昨日1月4日警察庁より、2023年交通事故死者数が発表されました。2023年の交通事故死者数(事故発生から24時間以内)は8年ぶりに増加して、全国で2678人、前年より68人の多くなっています。そして全国のワーストランキングのワースト5位までは1位 大阪府 148人(前年より7人増)2位 愛知県 145人(前年より8人増)3位 東京都 136人(前年より4人増)4位 北海道 131人(前年より16人増)5位 千葉県 127人(前年より3人増)本当に愛知県は一体いつになったらこの不名誉なワーストランキングから外れることが出来るのでしょうか??これは人口当たりの数ではないからと言う方もいますが、それでもこれだけ多くの方々が交通事故で亡くなっている事実は変わりません!!しかもここには交通事故が原因であっても24時間を1分でも超えて亡くなった方はこの数字には入っていないんです。本当ならもっともっと多いはずです。地震や自然災害での死亡者ももちろんご遺族にとって突然のお辛いお気持ちは計り知れないと思います。決して比べようもない奈落のどん底と絶望に突き落とされるもの同じです。それでも、残念ながら相手は地震や自然災害で人間の力ではどうすることもできない天災です。しかし、交通死亡事故は天災ではありません。加害者の無謀な運転やついうっかりが原因で招いた明らかな人災なのです!!人災ならば人が意識さえすれば起きなかったことなのです。さえりんのような交通事故の悲惨な被害者は、加害者が交通ルールをしっかり守って確認さえ怠らなければ出さずに済んだはずなのです!!だからこそ、遺族は何年経っても何十年経っても決して納得もできず赦せないのです!!天災だから仕方がないなんてどうしても思えないんです!!私は毎年この季節特に心が憂鬱になります。この交通事故死者数の発表があるたびにこの数字はただの数ではなくたった一人のかけがえのない命の集合体だと思えてなりません!!人災ならば人間の知恵と力で無くすことはできないのでしょうか??自動運転、自動ブレーキの車に代われば交通死亡事故は無くなるのでしょうか??世の中の信号機がすべて歩車分離式信号機に変われば交通事故は無くなるのでしょうか??車が地上ではなく空を走れば交通事故は無くなるのでしょうか??私はそれだけでは無理だと思います。もっともっと人類すべての人たちが決して交通事故は他人事ではなく我がこととして真剣に考え、行動に移さなければ無くならないのではないかと思うんです。私たちがいくら草の根運動でストラップを作って配ってもそれだけではただの自己満足で終わってしまい何にも変わらないんです!!明日の交通事故被害者の1人は、もしかしたら自分かも知れないし、自分が愛するかけがえのない家族かもしれません!!私も実際にそうだったのですから。そうならないように交通事故を無くすためにはどうしたら良いのかをみんなで一緒に真剣に考えて欲しいと心から願います。それが一被害者遺族のささやかな願いなのです。(さえりん2歳2カ月 初めてのサンリオピューロランドpart4)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年01月05日
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昨日は朝から忙しく予定が入っている日でした。まず午前10時に家を出て安城警察署へ向かいました。安城警察署の警務課長と明日行われる安城市デンパークイベントの最終打ち合わせと搬入経路の説明を受けました。すると9時30分の開園前には正門の入場ゲートは開かず、東側の第4通用口が8時から9時15分まで搬入経路になっていて人も開園前にはここからしか入れないことがわかりました!!すぐにメンバーLINEにそのことを流しました。午前のみの人と1日の人はこの東側の第4通用口に集合場所を変更してもらわなくてはいけないからです。案内経路の地図もメンバーLINEで送りました。 次に向かったのは、刈谷自動車学校へストラップ100個を届けに行きました。ペースはゆっくりですが刈谷自動車学校でもストラップを置いて下さっていて在庫が少なくなると校長先生からお電話で「またストラップを持って来て下さい」とご連絡くださいます。本当にありがたいと思っています。 その次は刈谷ボランティアセンターへ行きさえパパがCiel Sarryの秋用のポスターを印刷に行きました。ボランティアセンターではA1サイズのカラーコピーを800円で綺麗に印刷できるからです。さえパパが家で印刷した明日のデンパークでのアンケート用紙も裁断機を借りて半分にカットしてくれました。 午後1時半から知立ボランティア活動で知立市福祉の里八ツ田へ行きました。私たちは1時頃着いてしまったので近くのコスモス畑に今年初のコスモスを見に行きましたが葉っぱの緑は茂っていましたがコスモスの咲き具合はイマイチで残念でした。早めにボランティアセンターへ行き3階のエレベーター前でみんなが来るのを待ちました。Hちゃんが「今コアラドライブにストラップ200個を届けてきたよ」と早めに来てくれました。Hちゃん助かります!!いつもありがとうね♡午後1時半にはみんなが集まってボランティア活動を始めました。昨日は名古屋市、瀬戸市、西尾市、岡崎市、豊明市、安城市から総勢12人が参加してくれました。初めての方が3人みえました。3人とも西尾市のYさんのお仕事のお客様で、Yさんがストラップをお渡ししたら「参加したい」と言って下さった方だそうです。その前にもお友達3人を連れてきて下さりボランティアメンバーさんに入ってくれています。本当にYさんは人材収集能力がすごい人だと感心しています(⌒▽⌒)昨日は新しい方も3人みえたのでまずは自己紹介をしてから、一緒におしゃべりしながら和気あいあいと楽しくストラップ作りができました!!みなさん遠くからこのボランティア活動に参加して下さって、中には「ボランティア活動に参加したいから金曜日は仕事を休みにしました。ストラップを作っていると癒されるから」と材料を毎回持ち帰って次の活動までに100個ずつ作って来て下さる方もみえます。本当にありがたくて嬉しくなりました!!(昨日の知立ボランティア活動の様子) 帰りに知立市の実家へ立ち寄り探し物を見ましたが見つからず、我が家へ帰ってきました。家に着くと夕方5時半頃でしたが、疲れてしまいソファでゴロンと横になるとちょっと寝てしまいました(^-^;夜7時ごろ起きて簡単に晩ごはんを作って食べました。お風呂に入って疲れたからもう早めに寝ようかなと思っていたら夜9時ごろに次女から電話が来ました。「ワッフルメーカーってママの家にあったよね??明日友達と作りたいから貸して欲しい。今から取りに行ってもいい??」と。私は次女からの誘いは出来る限り断らないので服を着替えて次女のアパートまで迎えに行きました。次女は夜勤明けで疲れて夕方まで寝ていて起きてお風呂には入ったようですが晩ごはんは食べていなかったので、我が家で簡単に豚肉と白菜の鍋とおつまみも少し作ってチューハイを飲みながら食べました。次女と一緒にアニメを見てから次女の仕事の話などを聞きながら楽しいひとときを過ごしました。次女は2日続けての夜勤明けテンションなので夜になると元気になってたくさん喋りました。気づけば夜中の2時になっていて次女を送って行こうと駐車場へ行くと次女が駐車場の出入り口で人が倒れているのを見つけましたΣ(゚Д゚)それが人かどうか最初は分からずに大きなゴミ袋が落ちているようにも見えましたが近づいてみるとやはり人だったので私は慌てましたΣ( ̄□ ̄|||)こんな時間(夜中の2時)にどういう状況なのかもわからず安易に声をかけたらこちらが襲われるかもしれないと怖くなって、次女と一緒にすぐに我が家に戻って寝ているさえパパを起こして呼びに行きました。さえパパはすぐに起きて一緒に3人で駐車場に戻るとまだその人は倒れていました。さえパパと一緒に次女が倒れている人に声をかけると、その人は若い女性で酔っぱらって駐車場まで帰ってきたけどそこで寝てしまったようでした💦次女の呼びかけで起きた若い女性は「もう大丈夫です」とフラフラ立ち上がりマンションの部屋へ戻って行きました。私はもしかしたら人が死んでいたらどうしよう??とか、事件に巻き込まれて血だらけだったそうしよう??とか、救急車や警察を呼ばないといけないかもと物凄く怖かったです💦すぐに倒れている人を見つけて冷静に声をかける次女を見てさすが看護師だなと見直しました!!でも心配なので次女に「もし道端に人が倒れていたらすぐに声をかけるのではなく近くのお店などに助けを求めて必ず誰かがいる状態で声をかけるんだよ。1人だと逆に襲われる場合もあるからね」と伝えました。こんなこと滅多にあることではないけど、本当に驚きました!!昨日は朝から夜中まで本当にいろんなことがたくさんあってすごく疲れました💦でも警察沙汰になる様な事にならず本当に胸をなでおろしました(´▽`) ホッ本当にいつどこで何が起きるのか誰にもわからないとつくづく思いました。今日はさえパパと明日の安城市デンパークのイベントの準備をします!!(さえりん5歳8カ月 愛知教育大学プレイセラピーの先生と)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年10月19日
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今日はさえりんの写真からです(*^^*)(さえりん14歳の時 ひな祭りの日におこしものを作ったよ!) 最近気になる交通死亡事故のニュースを私なりの見解で検証してみました。あくまでも私の狭い知識での見解ですので正しいかどうかはわかりませんが。・まずは、にととらさんがLINEで送って下さった読売新聞のコラムから。この記事によると「統計がのこる1968年から日本の事故死者が0人だったのは昨年4月8日しかない。」と書かれていました。1968年というと私が1歳の年で、ということは54年前からということです。54年間の中で、たった1日だけ事故死者が0人だったのです。それ以外の約2万日は必ず誰か交通事故によって亡くなっていたということです。しかも1日に1人なんてことはなくきっともっと複数人が亡くなっておられるのです。そしてもちろんですがこの数字には事故から24時間を過ぎて亡くなった方は入っていませんので、それも合わせたらもっと膨大な方々が亡くなられてみえるのです。この数字だけ見ても、交通死亡事故は決して他人事なんて言えないはずです!!毎日必ずどこかで誰かの大切な命が奪われてしまうのです。明日は自分のかけがえのない家族が被害者になるかも知れないんです!!・「3人乗り」に潜む危険 3歳児死亡で見えた育児ママの葛藤(毎日新聞 ヤフーニュースより引用) 4月11日の朝、東大阪市で起きた痛ましい交通死亡事故です。被害に遭ってしまったのは、37歳の母親が運転する3人乗りの電動自転車。路肩を走行中に転倒してしまい、自転車前方のチャイルドシートに座っていた3歳の男の子が道路に投げ出されて接近したトラックにはなられ死亡してしまいました。後ろには5歳の兄も乗っていて、幼稚園に送り届ける途中だったそうです。この事故は私も本当に他人事とは思えないんです。何故ならかつて私もこの母親のように、自転車の前に3歳の次女を後ろに5歳のさえりんを乗せて幼稚園へ送り迎えしていたからです!!3歳と5歳の子供とはいえかなりの重さになるのです。しかもこの母親は電動自転車でかなり重いのです。何かの拍子に転んでしまう可能性は凄く大きいのです。それでも幼稚園が他の園児の事故防止のために車での登園を禁止されていたり、車がない場合はこうした登園方法は仕方がないのが現状なんです。私も何度も危険を感じたことを覚えています。自転車を止めて子供を1人づつ降ろすときも1人降ろした時に自転車がバランスを崩して倒れてしまったり、先に降ろした子どもが走って道路へ飛び出してしまったり、常に危険と隣り合わせだったのです。実は、我が家の主人の父方の親戚も交通事故に遭っていたのです!!私は嫁ぐかなり前なので、姑からよく聞かされていました。もう40年以上前の話です。舅の茨城県に住む兄家族に起きた惨劇です。母親が運転する自転車の前に弟さん後ろにお兄さん(主人と同い年の従兄弟)を乗せて3人乗りで登園途中に交通事故に遭いました。母親はとっさに前にいた弟を庇いました。後ろの兄は飛ばされましたがケガで済み兄弟は助かりましたが、母親は亡くなってしまいました。私は姑からその話を聞くたびに「あんなに優しい良いお義姉さんだったのにどうして??」と悲しそうな姑の顔を今も忘れられません。だからこそ、このような自転車事故は決して他人事なんかではないのです。一体どうすれば若い母親と幼い子供たちの命を守れるのでしょうか??・小学生2人死傷事故 赤信号で交差点に進入したとして男を過失運転致死傷罪で起訴 名古屋地裁 (メーテレヤフーニュースより引用)この記事を見ても昔の私なら違和感を感じずに、「赤信号で侵入した運転手を逮捕して起訴されたんだ」くらいにしかきっと思いませんでした。みなさんはこのニュースの何がおかしいのか、どこが違和感だと思われますか??まず、警察が当初過失運転で逮捕したこの男を、捜査した結果危険運転に切り替えて検察へ書類送致したのです。それなのに、検察はわざわざまた過失運転に戻して起訴してしまったのです!!しかも、3月24日の事故を4月15日に起訴するなど有り得ないほどの異例の速さなんです!!交通死亡事故で1ヵ月足らずでこんなに急に起訴した検察のやり方はあまりに酷いと私は落胆せずにはおられませんでした。さえりんの事故でも最初から過失運転だと言われていましたが、事故から1ヵ月後に警察の事情聴取、事故から3ヵ月後の9月に検察に書類送致、その後正式起訴されたのは翌年3月事故から9ヵ月後のことです。明らかに過失運転だと分かっていてもこのくらいはかかるはずなのです。しかも同じ名古屋地検です!!(その中の岡崎支部でしたが)この事故の場合は、危険運転なのか過失運転なのかまだしっかり捜査しなければわからない事例ではないでしょうか。しかも実はこの3月から4月にかけては人事異動があるため検察もバタバタしているはずです。それなのにこんなに早く起訴をしたかった理由は何なのでしょうか??検察は何を恐れてこんな横暴な措置をとったのでしょうか??もしも過失運転だったらそれ程の刑は絶対にありません。良くても禁錮2、3年、悪ければ執行猶予が付いて刑務所に入らずに済んでしまうかもしれないのです!!これは私の憶測でしかありませんが、名古屋地検はこのようになるのを恐れたのではないでしょうか??今は悲しみに暮れるご遺族に時間を与えたら、知恵を付けてこの波多野さんのように世間を味方につけて危険運転を主張してくるのを恐れたのではないでしょうか??だから、捜査もそこそこに1ヵ月も経たないうちに異例の速さで過失運転で起訴したかったのではないでしょうか??だとしたら本当に検察のやり方は横暴です!!名古屋地検は「証拠と照らし合わせて妥当と判断した」と発表していますが、果たしてその証拠は何なのでしょうか??ご遺族にとって納得できる証拠があるのでしょうか??もし、私がこの事故の被害者遺族なら絶対に許せません!!これらはあくまでも私の狭い知識での偏った見解かも知れません。真実と違っていたらごめんなさい。でも一被害者遺族として黙ってはいられなかったのです!!私はもう交通死亡事故が決して他人事ではなくなってしまったのですから!!最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年04月19日
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昨日から大型連休が始まりました。世の人々が楽しそうに家族で過ごすであろう、ゴールデンウィークも私たち被害者遺族にとっては辛く苦しい季節です。私はテレビはあまり見ません。新聞も読みません。次女と一緒にドラマは見ますが、バラエティー番組も特にニュースを見るのが苦手です。理由は事件事故のニュースを知ると自分のことのように苦しくなり、メンタルが保てなくなるからです。だから自分の心を守るためにも、外からの情報はなるべく遮断しておきたいのが本音です。それでも全く情報と無縁で生きていくわけにはいきませんので、スマホでネットニュースなどには少しは目を通すようにしています。最近は特に知床汽船の転覆事故のニュースと共に、毎日流れてくるのは、山梨県道志村で子供の頭の骨と靴が見つかったニュースです。私はこのニュースを見るたびに、胸が苦しくなるのです。小学1年生の娘さんが行方不明になったのは2019年9月。それから2年半以上、お母様は行方不明の娘さんの無事を信じて気丈に捜査活動を頑張って来られました。マスコミに顔も名前もさらして呼び掛け、時には心無い人の言葉に傷ついたことも多々あったのではと思うのです。相当な覚悟の上でそれでもどうしても、もう一度娘に逢いたい抱きしめたいと思う母の気持ちは痛いほどわかるのです。そして行方不明当時大勢で捜索された場所で、約3年経って今頃になって頭の骨と靴などの発見で、今毎日眠れずに祈るような気持ちで、娘さんのではないと信じたいそんな張り裂けそうな想いは計り知れない苦悩だろうと、私まで苦しくなるのです。そして中学生になったばかりの長女さんの想いも察するといたたまれなくなるのです。(一昨日の庭の花 谷汲山で買った牡丹がやっと咲きました)(さえりんが大好きだったサクランボ🍒の実が大きくなってきました) 娘を諦めきれない母の願いは、私も同じだからです!!紗愛理は子供の頃から元気いっぱいで多動だったので、私はずっと心配でした。2歳~8歳くらいまでは自分の気が向いたところへ一人で行ってしまいよく迷子になって紗愛理は全然平気なのに私は生きた心地がしませんでした。「もう二度と紗愛理と会えなくなってしまうんではないか」と怖くて泣きたいような不安な気持ちで、必死で大声で名前を呼んで近所中を探し回りました。ご近所でも有名でした。近くの幹部交番にも紗愛理の写真に名前と私の連絡先を書いて「もし迷子になっていたらうちの娘ですから連絡してください」と頼んでありました。見つかったときは紗愛理をぎゅっと抱きしめて泣きました。この娘を絶対に無事に育てるんだと心に誓いました。そのくらいの思いで必死に大切に育ててきたので、紗愛理がの成長が本当に嬉しかったんです。小学校中学校高校を卒業して社会人になったとき、仕事を覚えて毎日真面目に働く姿や、成人式を迎えた時の喜びはひとしおで「もう紗愛理はこんなに成長したから大丈夫!!これからは自分の力でしっかり生きていける」と親としての肩の荷が下りたような誇らしいような頼もしいような、ホッとした気持ちになりました。そんな矢先に生まれて初めて交通事故に遭い、紗愛理はあの世へ逝ってしまいました。今まで20年11か月の間、交通事故に遭わないように、ケガをしないように、病気にならないように、誘拐されないように、痴漢に遭わないように、人に騙されないように、事件事故に巻き込まれないように、過保護なぐらい想定できる最善を尽くして細心の注意を払って、大切に育ててきたかけがえのない娘の命は、たった一瞬にしてういうっかり見落とした大型トラックに奪われてしまったのです。あの日さえりんが突然亡くなってからも、私は娘の死を認められませんでした。お葬式もあげたのに、これはきっと嘘なんだ悪い夢を見ているんだと、信じられない気持ちでいっぱいでした。辛い現実から逃げたくて必死で庭の草取りに没頭したこともありました。真夏に汗をたくさんかいて頭が朦朧としてくると錯覚が起きます。「そうだ紗愛理はあの日交通事故に遭ってケガをして入院しているんだ。足を轢かれて車椅子になってもうじき退院するんだ。だから家を改造して2階にエレベーターを付けてバリアフリーのリフォームをしなくっちゃ。私は紗愛理を一生面倒みるんだから!」と幸せな妄想にふけりました。でも、暑さに耐えられなくなって2階のエアコンが効いた涼しい部屋へ逃げ込むと、そこには、紗愛理の遺影と遺骨があり、辛い現実に引き戻されるのです。やっぱり紗愛理は死んでしまったんだ、もう二度と帰って来ないんだ、ぎゅっと抱きしめることもできないんだと、絶望感に打ちひしがれ仏壇の前で泣き崩れるのです(>_<)最初の夏はそんな繰り返しでした。 ある日突然子どもを亡くしたり、子どもに会えなくなってしまった母親はみんなこうなるのではないかと思うのです。世界にたった一人しかいないかけがえのない我が子をそう簡単にあきらめることなんて出来ません!!「きっとまた会える、どこかで生きている」そう思わずにはいられないんです。それがある日突然、我が子と引き離されて、遺されてしまった母親の切なる願いなんです!!だからあのニュースのお母様のお姿が、かつての自分と重なりあの時の切ない想いが蘇って、とても他人事とは思えないのです。どうかほんの微かな望みでも叶いますように!!どうかもう一度娘さんを抱きしめてあげられますように!!私も胸が張り裂けそうになり、そう願わずにはいられないんです・・・(さえりん14歳の時 キッザニア甲子園part4)最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年04月30日
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昨日はハンドメイド仲間のOさんが我が家へ来てくれてクラフトバッグ作りをしました。昨日は日曜日だった為他の方々はご都合がよくなくてOさんだけでしたがとっても楽しく優しい時間でした。 昨日はOさんの作りかけの四つ畳みバッグの仕上げをすることが目標でした。お昼にはホットサンドとサツマイモのおやつを作って、Oさんが作って来て下さったロールパン玉子サンドとサツマイモポタージュも美味しく頂きました!!持ち寄りのお昼ご飯も楽しみの一つです(≧▽≦)午前10時半頃から午後3時過ぎまでの時間で仕上げと最後にはさえパパに飾りのバラ作りも教わってあとは取っ手を巻く作業だけ家出することにして出来上がりました。最後に写真を撮ってOさんは帰られました。昨日はOさんとさえパパと私の3人だけだったのでこれからのボランティア活動のことや、お互いの娘のことや、この先の自分自身の人生のことなどたくさんお話ができて本当に穏やかで優しい時間を過ごすことが出来ました!! Oさんも私も子供2人のうち1人を交通事故で亡くしてしまい、お互い娘が1人ずついる母親です。今一番の願いは年頃の娘の幸せです。私もOさんももちろん女の幸せは結婚だけじゃないとわかっていますがもしも自分が亡くなったらこの先親も姉弟もいなくて1人ぼっちになってしまうであろう娘のことが一番の気がかりなんです。だから娘には幸せな結婚をして支えになる家族を作ってもらいたいのです。そんなの娘の自由なのですが、母親として娘の幸せを願う気持ちは同じです。私も次女には幸せになって欲しいです。もう1つの気がかりは自分自身の老後のこと、出来れば娘にあまり迷惑をかけないように自分自身も幸せな老後を迎えられたらと思うのです。私は今までどこか自分は被害者遺族だからとか、娘が無残な死をこんなに早く迎えてしまったからとか、逆縁の親だから、自分自身の幸せを求めてはいけないような気持ちになっていたのです。亡き娘が可哀そうだから私が楽しんだり幸せを感じたらいけないような卑屈な気持ちが強くあり何をしても心から笑ったり楽しんだりは出来ませんでした。それは今でも決して無くなったわけではなく心の奥底のその想いは一生消せることはできません。でも最近ではそういう想いも抱えながらそれでも出来る限り笑って過ごしたい、楽しいとか嬉しいとかそういう気持ちも大切にしていきたいと思えるようにようやくなれた気がします。それはきっとさえりんがそう望んでくれているから!!だからOさんも幸せになってもらいたいです。それがボランティア活動という新しい一歩を踏み出したことがきっかけだったら凄く嬉しいです!!昨日はクラフトバッグを作りながらそんな話がたくさんできたことが幸せな時間でした。(昨日ハンドメイド仲間Oさんとクラフトバッグ作りの様子) 昨日Oさんが用事があり早く帰られてから、休みで家にいる次女に「今、何してるの??」とLINEしてみました。すると次女は「久しぶりに休みに晴れたから洗濯をたくさんして部屋の掃除してた」と返事が来ました。さすが1人暮らしをしたら自分のことはやれるようになった次女です。今まで一緒に住んでいた頃は洗濯も掃除もご飯も全部私任せだったから、本当に自立して良かったんだと思いました。私が次女に「誕生日ケーキまだ食べてなかったから今から買いに行く??」と聞くと次女は「いいね!!ケーキ買いに行こうよ。ついでにママの家で晩ごはんも食べようかな??」とちゃっかり甘えてくるところも次女の可愛いところ(≧▽≦)私はすぐに次女を迎えに行きケーキを買って我が家で晩ごはんを食べてから、10日遅い次女の誕生日ケーキをみんなで食べました。今年の次女の24歳の誕生日には母娘2人旅行ができたこと、少し遅い誕生日ケーキを家族揃って食べれたことこんなささやかな幸せも優しい気持ちで穏やかに過ごせて本当に良かったです!!次女は「私もいつかママみたいにハンドメイドをして自分のブランドを作ってママと一緒にマルシェとかで販売できたらいいなあ」と言います。私もいつかそんな日が来たら楽しそうだなと夢が広がります。次女もさえりんと同じようにハンドメイド好きな娘に育ってくれたようです。次女はもっぱら毛糸を使ったハンドメイドですが、「ママが小さい頃からお菓子作りや、ミシンやフェルトのマスコット作りやアイロンビーズとか一緒に作ってくれたからだよ。小さい頃から危ないからこれは触っちゃダメとか言わずに一緒に何でもやらせてくれたからね」と嬉しいことを言ってくれます。私の子育ても自分では手抜きばかりのダメ母だと思っていましたが、次女とさえりんの心の中で楽しかった想い出として残っていてくれたことが嬉しいです。5年5カ月前にさえりんが亡くなり重い十字架と言う荷物を背負ってしまった私たち家族は被害者遺族と呼ばれるようになり、遺族だから悲しんで一生過ごさなくてはいけないと呪縛のように思い込んでいたのです。でもようやくこんな私でも倖せを望んでいいんだと思えるようになったのです。そして同じように家族も、他の被害者遺族の方も辛い体験を乗り越えてどうか幸せになって欲しいと強く願うのです。だって私たちは大切な亡き我が子から大切な未来を託されて決して忘れることなく、もうこれ以上悲惨な被害者を増やさないようにと世間に知ってもらい亡き我が子の想いを背負って今も生きているんだから。(さえりん6歳1カ月 大好きなウサギと一緒に)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年11月18日
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昨日は特に何もない日だったので家でゆっくり過ごしました。さえパパと一緒にテレビを見ながら私はスマホポーチを作っていたらいつの間にかまたたくさん完成していました。さあこの完成品をどうしようかな??自分でマルシェとか申し込んで販売にいけばいいのですがまだその一歩が踏みだせずにいます。やはり新しいことに挑戦するにはかなり勇気がいります(^-^;一歩踏み出すまでが大変な動力を必要とするのです。実は今新しいことに挑戦しようか、このままのんびり暮らしていけるのだろうかとまた迷いがたくさん出ています。定期的にこういうメンタルになるのです。現状維持はラクで楽しいのですが、本当にこのままで良いのかこの生活をいつまで続けて行けるのか不安になるのです。これが私の性分なのです💦さえパパは現状維持が好きなので何も考えずテレビを見てのんびり過ごす日々に抵抗はないようです。だから余計に私はいろんなことが不安になるのです。ところが急に寒くなりメンタルも低下して、身体も重く足も痛くてあまり動きたくない状態で余計に気持ちだけ焦っています。焦っても機が熟して一歩踏み出さなければ何も始まりませんが。今はその前の準備段階なのかな??気持ちだけ焦っても仕方ないとわかっていますが、時々こういう悪循環になるのです。(昨日の夕陽と月) 今日は亡き祖母の誕生日です。明治42年生まれだったのでその頃は数え年で産まれた時が1歳、1カ月半で年を越せば2歳になってしまうので小さい頃は大変だったと祖母から聞いた記憶があります。秋生まれの祖母と同じく次女も秋生まれ、何となく私が好きな人たちは11月生まれの人が多いような気がします。私が高校1年生の時、67歳で亡くなってしまった祖母ですが今でも時々思い出します。厳しい人だったけど私は好きでした。私もあと10年したらあの頃の祖母と同じ年なんだと思ったら感慨深いです。戦争時代も農業をしながら和裁の先生や繕い物や野菜の種を売ったりヤギを飼って乳を売ったり何でもやってひ弱な祖父を養い乗り越えて生きてきた人です。祖母の苦労に比べたら私なんて本当に甘えているなあっとつくづく思うのです。「栄子しっかりしなさい!!」と厳しい祖母の声が聞こえてきそうです💦(さえりん6歳1カ月 わんわん動物園へ)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年11月19日
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昨日はまたも雨☂。朝、大学へ行くために電車に乗り、岐阜県へ向かう次女を駅で見送りました。一昨日は大雨特別警報が出た岐阜県へ行くことをとても心配しながら、それでも「何とか無事に帰って来て!!」と祈るような気待ちになりました。雨が降るたびに思い出すのです。私はずっと前から疑問に思っていたことがありました。「何らかの原因で突然、子供を亡くした親のその先の人生はどうなっちゃうんだろうか??」交通事故、殺人、不慮の事故、災害、病死、自死・・・死因は様々です。以前の私は子供の命が突然亡くなってしまったら、私はもう生きていけないと想像していました。天と地がひっくり返って、いきなり天国から地獄へ落ちて加害者をいるのなら恨んで呪って復讐を考えて、恨む相手がいないのならこうなってしまった運命と神を恨み、自分のせいだと責めて呪うのでしょう。私は新聞やニュースで子供が犠牲になる事件事故を見る度にそう思っていました。今から4年くらい前、次女が高校1年生の頃こんな殺人事件がありました。『能登の高校で部活を終えた1年生の女子生徒が母にラインで学校まで迎えに来てと頼んで学校近くのバス停で母の迎えを待つ間に、男子大学生がわいせつ目的で近づき頭を殴って車に乗せて空き家に連れ込みその女子高生を殺害して、その後男子大学生も高速度道路に飛び込んで自殺したという事件。』数ある事件事故の中でも鮮明に覚えていたのは、次女と同い年の女子高生という事と、私も次女に頼まれて高校までよく迎えに行っていたからだと思います。次女の高校も周りも田舎で田んぼと畑と裏には山があり、車は通るけど、人はあまり通らず少し離れたところにコンビニがあるくらいです。帰りが遅くなると毎日のように心配になりました。変な人に出会っていないかと。次女が私にお迎えを頼む時は雨の日、夕方真っ暗な中、高校下の工事現場の横で待っていた次女。私は何度も「人がいるコンビニの中か駐車場で待っていなさい」と言っているのに、面倒だから言う事を聞かない次女。本人は平気でも私は車を走らせながら気が気ではありませんでした。その度にこの殺人事件を思い出し、もしも私の迎えが遅かったせいで次女が変な事件に巻き込まれでもしたら・・・と思うと1分1秒でも早くと焦って超特急で2つ隣の市まで飛んで行くのでした。私は娘たちの命が理不尽に奪われてしまうことが人生の中で一番、死ぬほど怖かった!!絶対に起きてはならないことだと思っていた!!私は2人の娘が無事に大人になって、楽しい人生を送り、愛する人を見つけて、結婚し新しい家庭を築くまでは、責任を持って守り育て、送り出すことが母親としてのささやかな願いであり、喜びであると信じてやまなかった。さえりんはしっかり者で危ないことは絶対にしないから大丈夫だと信じていた。それより次女の方が自由人で危なっかしくて心配だとずっと思っていた。それなのに、どうして・・・どうして・・・どうして・・・・・さえりんがこんなことになっちゃったの????大丈夫だと信じていた私がいけなかったの?????何故もっともっとさえりんにことも心配してやらなかったんだろうと怒涛のように後悔が押し寄せる・・・・・人は皆、「さえりんは交通ルールを守り何にも悪くなかったんだから、加害者の女トラック運転手が全部悪いんだから、仕方なかったんだよ。」って言ってくれるけど、だけどどうしても「仕方なかった」なんて諦めなんて付かないし、思えないし、思いたくもない!!!!ましてやさえりんはたまたま運が悪かっただけの可哀そうな子なんて絶対に思いたくもない!!!!そんな風に簡単に片付けたくもないし、割り切れないから、私は自分で自分を苦しめるのです・・・・人は良く時間薬って言うけれど、いったいどれほどの時間を過ごせば薬が効くの???私はいつまで自分を責めて悶々と過ごせばいいの???私は今まで想像でしかなかった、「子供を亡くした親の、その先の人生・・・」を今、自分が歩いて行かなければならなくなってしまったのです・・・(>_<)きっとあの殺人事件の高校生の母親も、他のたくさんの交通死亡事故や事件の被害者の母親も、震災で子供が犠牲になった母親も、病気で辛い闘病の末に子供が亡くなった母親も、みんなみんな同じなのかな??????????15日(水)の判決の日が近くなったせいでしょうか???私の心は穏やかではいられないのです・・・(>_<)(さえりん5歳近所の公園と南知多ビーチランドにて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月10日
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