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あなたは餓鬼をご存じですか?
仏教では、悪行の報いとして餓鬼道に落ちた亡者のことを指します。
やせ細って、喉が針の穴のように細くて飲食することができず、常に飢餓に苦しんでいる絵姿を寺などで見た方もみえるはずです。
インドの仏典には、「無財餓鬼、少財餓鬼、多財餓鬼」の三つがあると書かれています。
人間は、財貨が無くても有っても餓鬼になりうるのです。
つまり、餓鬼とは財貨の多寡にかかわらず、
「現在の状況に満足しない姿」を指します。
現在の私たちは物質的には豊かになって、昔の人から見れば極楽のような、何の不自由もない生活もしています。
ですから、いつまでたっても、安らかで心豊かな(幸せな)暮らしとは程遠い生活をしています。
そんな私たちの姿は、まさに餓鬼そのものです。
消費は人間に満足を与えないというのは、古くはキリストの生まれる前のローマの哲学者ルクレティウス以来、言われ続けていることです、
また、二千年以上も前に、アリストテレスは、
「人間の欲望には限りがない」
と言いました。文豪トルストイも次のように言っています。
「物乞いであろうと百万長者であろうと、自分の境遇に満足している人間がいるだろうか。千人に一人もいないだろう。
今日、外套とオーバーシューズを買えば、明日は懐中時計と鎖を買わずにはいられない。明後日は、ソファーとブロンズ製のランプのあるアパートに入らなくてはならない。その次は絨毯とビロードのガウン、そして屋敷、馬と馬車、絵画と装飾品だ。今日の贅沢品は明日の必需品となり、前世代の贅沢品は次の世代には必需品となる・・・」
人間の欲望が限りなく肥大していくことは、古今東西を問わない人間の性のようです。世の富豪たちが、税金逃れにケイマン島などに財産を隠すのを見れば明らかです。
この欲望の拡大をどこかで止めない限り、どんなに外見的には豊かに見える生活を送っていても、心の貧困から抜け出すことはできず、私たちはいつまでも餓鬼のままです。
(注)昨日矢沢永吉が次のように言っていました。
20代で長者番付に出たけど、心がちょっとも温かくない。「神様、成功したら寂しさや、悲しさは消えるんじゃなかったの」と聞いたら、神様が指さした。見るとサクセスとは違う。もう一つのハッピーというレールがあった。成功と温かくなることは別なんだ。
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