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オープントップの二階建てバスに乗り、それから女人街を散策し、社員旅行一行はホテルの到着。それぞれ思い思いで夜の街に繰り出したり、ベッドに入ったりしたわけですが、私は一人で臨海部の散策に出かけました。最初の写真は、「ガーデン・オブ・スターズ」という、香港のスターをモチーフにした公園の夜です。夜のブルースリー。そこから海沿いを歩いて、香港文化センター方面へ。「シンフォニー・オブ・ライツ」を見た舗道の下には、たくさんの若者が集まって、演奏を聴いたり、ダンスしたりしてました。ストリートミュージシャンが何組も演奏する脇を通しぬけて着いたのは、フェリー乗り場。ここから香港島に渡るフェリーが出ているようです。そこから「1881Heritage」へ。ちょっと中を散策していたら、12時になって、締め出されましたが、なかなか立派な施設です。1881年に建設された歴史的な建造物を生かして、商業施設として生まれ変わらせたもののようですね。香港というところは、横断歩道が少なくて、大通りの向こう側に行くために大回りしないといけないなあ、と思っていたら、地下には、結構な通路網があり、そのまま地下通路を通って、ホテルの脇まで行けました。ZZZZZZZZZ・・・・一夜明けまして、夜明け前の早朝。再び散策です。高層ビルの上の方は雲に隠れていて、あまりいい天気ではない模様。海沿いを歩いて、東の方へ。夜明けの時間となりましたが、残念ながら、お天道様は姿を現さず。ぼんやりと周囲があかるくなってきました。朝もやに包まれる香港。対岸の香港島もかすんでます。前日の夜も行ったフェリー乗り場。前日の夜も行った「1881Heritage」こんな感じですね。そして、ホテルで朝食後、WOODPRO一行は、正規のツアーコースへ。まずは、「パーク・オブ・スターズ」。朝のブルースリーと、戦いを挑む人。ジャッキーチェンの手形。そこから、一行が向かったのは、香港で一番人気のお寺。黄大仙廟。みなさん、願いを太く長い線香に込めてます。願いがかなったらしっかりとお礼をするのが中国式。旧正月の前で、中国では年末ということなのだと思いますが、人がいっぱいです。これが、新年ともなれば、大行列だとか・・・。新年の準備も進んでます。「万事如意」。すべてのことは意の如く・・・。超能力ですね。門前の龍も撫でられて、鼻先が光ってますね。観光バス駐車場とカラフルな高層アパート。何しろ台北経由で帰るので、12時には空港に集合ですので、3日目は内容も少々乏しい・・・・。そして、急ぎ足ですが、台北を経由して、無事、広島に帰ってまいりました。やっと、終わり。
2018/02/02
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まだ続いている、社員旅行の香港レポートです。やっと二日目の夜となりました。冒頭の写真は、屋根なし二階建てバスに乗って見た、屋根なし二階建てバスです。さて、マカオから香港に帰ってきて、夕食には北京ダックをいただいてから、「シンフォニー・オブ・ライツ」の観賞。これは、香港の高層ビル群を使って行う、光と音のショーです。香港島のよく見える対岸から見学。高層ビルから光が放射されます。音楽とともに、こんな感じで光が放射されるイベントですが、海沿いはたくさんに人で大混雑。毎日、8時くらいから10分あまり行われるショーです。ショーはあっという間に終わり、続いて、観光屋根なし二階建てバスに乗ることに。乗った場所は、ちょうど、「ザ・ペニンシュラ香港」の前。美しい建物ですね。そして、バスが到着し、屋根のないバスに2階へ。貸切だったので、やりたい放題です。大きなオープンカーといった趣。香港というところは、やたら高級車やスポーツカーが多いです。テンションの上がった社員たちも、気分はカープの優勝パレード。こんな感じで、街を歩く人々を見下ろして走ります。海沿いの道を風を受けながら走る。高層アパート群の間を走る。これは、男人街だったかな。屋台も見下ろします。屋根なしのバスとすれ違いますが、先方は貸切ではないので、テンションが低いですね。香港の中華街の門高層ビル群の間を縫って走ります。未来都市みたいですね~自動車専用道路だって、シートベルトなしの屋根なしのノーヘル。香港名物の道に張り出した大きな看板の脇を通り過ぎ屋台を見おろしそして、終点の女人街に到着・・・。女人街は、とにかく人が多い。香港らしい看板の並ぶ風景です。本日、ここまで・・・。
2018/01/30
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マカオの続きです。聖ドミニコ教会から広い通りの先を望むと、突き当りに見えるのがマカオの庁舎。世界遺産となっているマカオの歴史地区ですが、香港などより、よっぽど古い歴史を持っています。マカオにポルトガル人の居留区ができたのは、1557年。日本の戦国時代ですね。日本の「種子島」に鉄砲が伝わったのが1543年と言われているので、大航海時代が訪れ、ヨーロッパから数多くの船がやってき始めた時代ですね。マカオの歴史が450年以上あるのに対して、香港は、アヘン戦争(1840年)によって、香港島を割譲させて以来なので、マカオよりも200年遅れています。そういう意味でも、「歴史」を訪ねるなら、マカオの方が深みがありますね。大通りではなく、脇道を通って行ってみると、路地にはテントを張りだしたお店がいっぱい。マカオ庁舎前の「セナド広場」から、聖ドミニコ教会前広場方面を望む。マカオというのは、建物がカラフルで、香港とはまったく違った雰囲気ですね。マカオの「民政総署」。ポルトガル統治時代には「レアル・セナド(議会)」と呼ばれていたので、その前の広場も「セドナ広場」と呼ばれます。民政総署の中のホール。そこから階段で中庭につながってます。世界遺産のマカオ歴史地区を後にして、途中、ホテルで食事をして向かったのは、マカオタワー。高さは338M。このタワーは、周囲をぐるっと歩くことができます。かなり怖いですね。中は中で、ガラス張りになったエリアがあり、結構楽しめます。タワーからの風景。きれいな街並みを見下ろせます。こちら、反対側の風景。こちらは中国になりますね。高層ビルも建ち、現在開発中。ガイドさん曰く、今出資すれば、確実に上がる!とのこと。マカオタワーと言えば、実は「バンジージャンプ」人が飛び降りているのが豆粒に見えます。怖いですね。マカオタワーから、カジノへ。マカオ・サンズです。キンピカですね。ガイドさんによれば、財産を失って飛び降りた人が何人もいるとのことでした。その前で記念撮影。急ぎ足のマカオ観光も終わり、高速艇で香港へと帰りました。続く・・・・。一体、いつ終わるんでしょうね。
2018/01/29
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社員旅行二日目は、マカオ。冒頭の写真は、マカオのシンボルでもある、聖ポール天主堂です。さて、香港二日目の朝、7時15分にホテル前で集合しましたが、路上には吸殻がいっぱい。屋内の禁煙は徹底していますが、屋外はすべて灰皿、といった感じでしょうか?WOODPRO一行の二日目の予定はマカオ。カジノの街という印象が強いですね。香港からは、高速艇で1時間ほど。現在は、どちらも中国の管理下にありますが、それでも入国審査、出国審査があります。香港を出航。天気は相変わらずぱっとしません。途中、雲間からわずかに光が射してきたところをパチリ。三本の高い煙突は、どうやら発電所らしい。そして、マカオへ。右側に見えるタワーがマカオタワー。橋の右側がマカオで、左側は中国のようです。かすんだマカオタワー。カジノ群が見えます。Sands という看板が見えますが、ラスベガスに本拠を置く、カジノの運営会社です。マカオの古い町並み。なんとなく、カラフルです。マカオのシンボル 聖ポール天主堂跡。1582年~1602年にかけて建設された教会とのことなので、日本の丁度戦国時代末期。関ヶ原の合戦が1600年ですね。ただ、建物そのものは1835年に台風時の火事によって焼失。現在はファサードだけが残されているため、裏側ではしっかり補強されてます。当時、日本はキリスト教禁止令などが出され、多くの日本人キリスト教徒も日本から追放されたとか。そういった日本人教徒も、この天主堂の建設に携わったので、なぜか教会に狛犬の姿が。なんとも、不思議です。マカオを統治していたポルトガルは、中国人との融合を掲げていたので、教会の敷地内に道教寺院・ナーチャ廟を作ったとか。そして、その道教寺院の横には門もあり、ガイドさんによれば、誰でも通れたらしい。この城壁から内側がポルトガル人の居留区になっていたそうです。聖ポール天主堂跡のファサード越しに見える、カジノのキンピカビル。聖ポール天主堂跡の前には幅の広い立派な階段があります。ローマのスペイン広場前の階段に似ているといわれている、とガイドさんが言っていましたが、スペイン広場を見たことがないので、よく分かりません。階段の下に打っていた、マカオの名物「エッグタルト」。値段は10香港ドルだったかな。想像の通りのおいしい味でした。聖ポール天主堂跡を後にして、聖ドミニコ教会に向かいます。味わいのある街並みと路地も、観光客でいっぱい。聖ドミニコ教会。教会の前の広場の石畳。このデザインの石畳はポルトガルの伝統的なものなのでしょうね。聖ドミニコ教会前広場。ここも世界遺産です。教会内部は白とアイボリーを基調にしたもの。明るくて美しいです。ということで、本日、ここまで。なかなか進みませんねえ。
2018/01/25
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水上レストランのあとに向かったのが、「ビクトリアピーク」。ビクトリアハーバーと、香港の超高層ビル群を見下ろす100万ドルの夜景です。山頂までケーブルカーでも上がってこれて、大きな展望台もあります。最初の写真はその、展望台施設です。すでに、この至近距離でも霧がかかってます。WOODPRO一行は、展望台の施設には入らず、公園内の展望台へ。案の定、100万ドルの夜景は霧に包まれてしまっておりました。本来であれば、宝石箱をひっくり返したような夜景が見えるはず・・・・。100万ドルの夜景は、残念ながらかすんでしまいましたが、香港初日の観光は、これにて終了し、九龍半島の先端に位置するチムサーチョイ (尖沙咀)んいあるホテルに到着。ホテル前にて。ホテルにいったん帰ってから、WOODPRO社長ら数人で付近を散策。中国ではおなじみの風景である「竹足場」。柱も竹だし、踏んで歩くところも竹なので、「足場板」の出番なし。結構大きな建物も、竹足場です。ホテルの周辺は繁華街。金曜の夜ということもあって、若者がたくさん繰り出してました。香港らしい、通りに大きくはみ出したネオン看板。香港の六本木とガイドさんが言っていた、ナッツフォードテラスの入り口の階段。香港というところは、きわめて平地の少ないところです。ナッツフォードテラス。通りにはみ出してテーブルが並び、多国籍の若者たちが集まっています。通行できる幅が狭いので、かなり混雑しています。香港でよく見かける、水タバコ?ホースの先を加えて吸うようですが・・・・。パレットをそのまま使ったフェンス。これはこれで機能的で経済的ですね。古材を使ったビルのエントランス。近寄ってみると、ほんとにバラバラの材料を隙間に詰め込んでいったという風情でした。街角に灰皿。香港では、屋根のあるところはほぼ全面的に禁煙。ただし、屋外での喫煙はかなり自由で、歩きたばこもOKとのこと。ガイドさんおすすめの店を探して、エビワンタンを食べました。エビワンタン。エビをぎっしり詰めたワンタンが5~6個入っていて、麺はソーメン並みの細麺。スープはあっさりして美味しかったですね。30香港ドル。450円程。夜食にはちょうどいい大きさ。街をうろうろしている会社の若者たちに遭遇。繁華街の1階は看板がひしめき合った店舗となっていますが、建物はかなり古めです。シャッターの降りた路地。さすがにちょっと入るのが怖かったので、入り口からパチリ。一旦ホテルに戻って解散し、私一人で海方面へ。ルイ・ヴィトンのお店の前の横断歩道にて。そして、香港島を望む海に到着。すでに現地時間で12時を過ぎていたせいか、明かりも思いのほか少なくて、残念。あいにく、霞が多いですね。海まで、ホテルから10分程度。帰りの道を確認しつつ、ホテルに帰還しました。やっと初日が終わりました。以後、ぼちぼちご紹介します。
2018/01/24
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今年の社員旅行は、会社の創立30周年ということもあって、香港・マカオへと、海外旅行でした。社員旅行は、例年、ガーデニング需要の低下する、1月のこの時期に行います。冒頭の写真は、香港といえば、という風景の一つ「水上レストラン・ジャンボ・キングダム」さて、朝の7時に広島空港集合ということで、とっても早い起床となりましたが、なんとか全員まにあって、広島を出発。台北に向かう飛行機から撮った阿蘇山です。阿蘇中岳と外輪山が見えます。外輪山は草原地帯で、牛が放牧されていたりしますね。阿蘇山 火口。広島から香港への直行便は現在廃止されていて、残念ながら台北経由。乗り継ぎが2時間もあって、結構退屈。暇なので、空港内散策。テナントの入っていない空間を利用して、台湾の「食」をアピール。ベンチも、小龍包。ボルトの看板とスタートする人。台湾をサイクリングで巡りましょうというPR。確かに、時間があったら、いいですね。そして、台北を経由して、いよいよ香港へ!飛行機を降りると、空港内を電車移動。旧正月が近いということで、ディスプレイはすでにお正月気分です。空港でガイドさんと合流し、バスに乗って移動。ガイドさんによれば、香港はアジアで一番のコンテナ取扱量だとか。調べてみると確かに、コンテナの取扱量では、香港がアジアで第一位。ちなみに、アジア第二位は、僅差で神戸でした。香港は九龍半島と香港島がメインですが、九龍半島は当然、中国本土とつながっています。中国本土に入ると、そこが深圳市。ナンバーを二つつけている車は、香港と中国の両方を走れるのだとか。そんな話を聞きながら、時間はすでに夕刻。天気は曇り。WOODPRO御一行様は夕食会場である、「水上レストラン・ジャンボ・キングダム」へ。その前で記念撮影ですが、私のカメラにはストロボがなかったので、ちょっと暗いですね。本社勤務社員は60名あまりいるのですが、参加者は29名でした。水上レストランに向かう桟橋の先には九龍の噴水。そして渡船に乗って水上レストランへ!いかにも香港って感じです。食事会場。最初のスープはお店のスタッフが手早く分けてくれたのですが、多少周囲にこぼれようがお構いなし。このあたりが大陸的ということでしょう。レストランの前の黄金の龍。中国って、やたらと龍が好きですね。お酒も入って、おなかもいっぱいになって、絶好調!WOODPROでは、定年退職後の方もたくさん働いていただいているので、年齢層も髪のボリュームも幅広いです。そして、再び、渡船に乗ってレストランを離れました。レストランに到着した時には薄暗かったのですが、すでに日も完全に暮れて、水上レストランだけがきらびやかに輝いてました。さて、ここから一行は、香港を見下ろす、100万ドルの夜景、ビクトリアピークに向かいました。続く・・・・・。
2018/01/23
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本日はすでに3週間も前の話になった、社員旅行のお話です。社員旅行の二日目は、愛媛県の南西部に位置する、内子に行ってきました。一昨年、夫婦で訪れたので、今回が二度目です。古い町並みを残す「重要伝統的建造物群保存地区」は、全国に112カ所あり、内子のその一つです。この町は、もともと「木蝋」で繁栄した町で、「芳賀家」がその中心でした。なにしろ、社員旅行の行程の中の一つなので、時間も限られていて、ゆっくりとは見ることができませんでしたが、駆け足でご紹介します。木蝋は和蝋燭の原料になる蝋ですが、今では蝋燭自体があまり使われないうえ、石油を原料にした洋蝋燭が主流で、高価な和蝋燭はあまり作られていません。それでも、この町には、和蝋燭のお店があって、今でも、実際に作っておられます。和蝋燭は、とっても長持ち。なんと、素手で、棒を回しながら、棒の周りに蝋をくっつけて太くしていきます。そのため、左手は蝋にまみれて、まるで手袋でもしているかのようでした。決してお安くはないのですが、スペシャルな時間が過ごせそうです。内子は、木蝋の産地として、戦前まで繁栄しており、明治期までの繁栄の面影がそのまま残っています。駐車場に車を停めて、白壁の街並みを歩くと、ほどなく、立派な建物が見えてきます。これが、有料ですが、中を見ることができる「上芳賀家住宅」。この住宅の見学が、この内子観光のメインだと思うのですが、中に入ればゆうに小一時間はかかってしまうので、今回の社員旅行ではパス。時間があれば、必ず立ち寄りたいポイントです。そして、龍の字が印象的な「中芳賀家」現在は、ギャラリーとして使われています。さて、「上芳賀家住宅」「中芳賀家」を過ぎると、起伏のある道の向こう側にこれが、立派なこて絵が目を引く住宅が見えます。これが「本芳賀家」で、木蝋の生産で内子を支えた芳賀家の本家。「本芳賀家」は、現在もお住まいの方がおられるとのことで、住宅の内部は公開されていません。ただ、外観からも格式の高さが分かる作りになっています。白壁の住宅には、「なまこ壁」というのがあって、平瓦を漆喰で固めて作りますが、一般的なのは、斜めの格子状のもの。「本芳賀家」はというと、六角形の亀甲模様になっています。さらに、細かなこて絵のカメの模様。精緻の極みといった印象です。こういった白壁にレリーフ状に描かれた絵を「鏝絵(こてえ)」といい、しっくいをこて盛って描きます。こちらも、本芳賀家の鏝絵。道から正面に見えていたのは、鶴です。その反対側は、竜の模様。鬼瓦も立派。本芳賀家の鏝絵は有名ですが、他にもいろいろあります。龍の鏝絵。この日は店が閉まっていましたが、以前来たときには「鏝絵」を展示したお店もありました。松山からさらに西側にあるだけに、観光客も多くありませんが、とても味わい深い町並みです。駐車場のそばには、高昌寺という由緒ある立派なお寺があります。そこには、大きな涅槃仏もあります。今回の社員旅行ではいけませんでしたが、内子駅の方にもう少し行きますと、内子座という昔の芝居小屋が残っています。1915年(大正5年)に建てられたものです。内側は当然ふんだんに木を使っています。ということで、とても素敵なところなんですが、観光客もそこまで多くはないし、ゆっくり散策するにはいい街ですね。
2017/02/17
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前回は道後温泉の中を中心に書いてみましたが、教は道後温泉本館を外から見てみます。まあ、道後温泉に行ったことのある人であれば、珍しい景色でもないかと思いますが、ご紹介します。ただ、旅館に入った後、夕方や、宴会の後、さらに、早朝撮った写真なので、少々暗かったりしますが、ご容赦のほど。本館、正面入り口。陣笠風の屋根と、道後温泉の看板は、印象深いですね。ただ、この道後温泉本館は、見る方向によって、相当表情が違います。こちらは、正面に向かって、左のコーナーから見たところ。左側面は、凹凸の少なく、平面的で、障子が並び、欄干が見えます。さらに、後ろに回り込んでみると、平面的な建物の後ろには、銅板葺の重厚な屋根の建物がくっついています。前回の記事で、私が二階の広間から外に出たのが、この左側面ですね。暗くなってからの写真ですが、本館の上には赤く光る塔があって、その上に白い鳥の姿が見えます。赤い照明の塔は振鷺閣(しんろかく)といい、太鼓を鳴らす台だそうです。振鷺閣というくらいですから、白い鳥は、鷺でしょう。後ろ側の重厚な建物は、又新殿(ゆうしんでん)といって、皇室専用浴室があるそうです。が、私は見てません。銅板葺の屋根の連なりが重々しいです。そして、これが、「南棟」と呼ばれる部分で、正面に向かって、右側の側面です。こちらは、かなり凹凸の激しい、変化のある作りになってますね。街頭とのコラボ風景が、「文明開花」の雰囲気を感じさせてくれます。これは、近くの駐車場に上がって、道後温泉を見下ろしたところ。正面に見えるのが南棟。右側が、皇室専用浴室のある又新殿(ゆうしんでん)。左端には道後温泉の商店街のアーケードの入り口が見えて、こちらが現在の正面玄関です。さて、再び正面へ。中には、下足入れが並んでいます。道後温泉のそばには、アーケード街があって、お土産購入には最適。路面電車もここまで来ていて、交通の便はいいですね。道後温泉本館は、なんと、朝の6時から営業しています。翌日、6時より前に目が覚めたので、行ってみたら、扉は仕舞っていましたが、すでにチケット売り場には人が並んでました。閉まっている扉もなかなか重厚でいい感じ。丸いこの柄は何かと思って調べてみたら、道後温泉のシンボルマークで、勢いよく吹き出すお湯を模したものだとか。営業時間が6:00~23:00なので、それから外れた時間にいけば、扉のシンボルマークが見えるはず。温泉で温まったからだと思いますが、寒波がきてかなり寒い天候にも関わらず、いろいろ散策できました。「千と千尋の神隠し」に出てくる、油屋のモデルの一つとも言われていますね。
2017/02/13
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すでに2週間が過ぎてしまいましたが、先月の社員旅行の際に、道後温泉本館に行ってみました。松山のシンボルと言えば、やはり、松山城と道後温泉本館が双璧ですね。社員旅行では、早めにホテルに入って、宴会まで長めの自由時間がありましたので、その時間を利用して、「道後温泉 本館」へ。この日は平日の金曜日ということもあってか、中国系の観光客が多く、道後温泉本館前で着物を着て写真を撮ってる女性二人も、おそらくそうだと思います。正面入り口の右側にチケット売り場があって、価格表が掲示されています。風呂に入るだけなら、410円。1階の風呂+2階の広間で休憩すると、840円。さらには、別の風呂に入って個室で休憩したりする特別コースは1000円以上かかりますが、私は、840円の「2階休憩コース」にしました。二階の広間はこんな感じ。まだ時間も早いので、あまりお客さんもいません。「写真を撮ってもいいですか?」と聴いたら、「他のお客様が写らなければいいです」ということでした。広間の隅に、一階の「神の湯」につながる階段があります。1階は撮影禁止なので、写真がありませんが、思ったほど古びて汚い感じはなく、いい感じの温泉でした。さて、温泉につかって二階広間に戻ってくると、お茶とおせんべいを出してもらえます。障子をあけてみると、外は奥行きの狭い縁側になってました。往来する人も見えます。「三階のつきあたりに、【ぼっちゃんの間】がありますよ。写真も自由なのでどうぞ」と、お店の方がい言われたので三階に上がってみました。三階は、個室になっています。その廊下の突き当りに、夏目漱石ゆかりの坊ちゃんの間。この部屋は、夏目漱石がよく利用していた部屋だそうです。よく見る、漱石の写真や、胸像が展示してあります。鴨居の上に並ぶのは、漱石が松山にいた頃の写真。坊ちゃんに登場する先生たちのモデル。障子をあけて外に出てみると、縁側には仕切りがあって、個室ごとに仕切ってあります。ここから、「道後温泉本館」から出て、外側から見てみるのですが、それは次の機会にご紹介いたします。
2017/02/10
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先週の金曜日の社員研修旅行のお話の続きです。オオノ開発さんを見学し、「マデラの森」でバーベキューを食べて向かったのが、松山のシンボル、松山城。市内中央の小高い山の上にお城があるので、市内のどこからでも見えます。登山道もありますが、山のふもとから、リフト&ロープウェイがありますので、らくちん。山の上に上ってから、天守閣まで10分くらいかかります。山に上ると、松山市内がよく見えます。天気はあいにくの曇りですが、雲が薄くなった西の方がぼんやりと明るくなってました。こうしてみると、松山というのは、いろんな色のびるがあって、結構カラフルですね。広場で記念撮影です。松山はやはり暖かいのか、梅も咲いてました。石垣もかなり高く、立派です。思わず下から見上げて写真を撮りたくなりますね。山の上にこの石垣ですから、重厚感もあります。中央が天守閣です。この松山城は、日本に現存する12の天守閣の一つ。内部は、もちろん木造です。天井の木組み。天守閣の上から松山市内を望みます。132Mの城山の上に立つ天守閣ですから、天守閣からの眺めは、地上160Mくらいからの眺めになります。ビルで言えば、45階建てくらいに相当します。大きな門の扉も部分的に補修してありますね。特に、柱の足元は腐りやすいので、傷んだ部分を切って、新しい材料を入れてあります。こういうことは、古い建物にいくと、ごく普通に行われていますね。そして、再び、リフトで麓へ。松山城は、さすがに、松山のシンボルだけあって、見ごたえがありました。余談ですが、天守閣が現存する12城とは、東から青森 弘前城長野 松本城 国宝愛知 犬山城 国宝滋賀 彦根城 国宝福井 丸岡城兵庫 姫路城 国宝岡山 備中松山城島根 松江城 国宝香川 丸亀城高地 高知城愛媛 松山城愛媛 宇和島城です。なんと、愛媛県は、二つに現存天守があるんですね。
2017/02/02
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先に、オオノ開発さんの見学を載せましたが、続いて、社員研修旅行の模様をアップいたします。会社で用意したマイクロバスに乗って、宇品港についたのは朝の6時半ころ。広島はかつて「軍都」とも言われましたが、戦時中までは軍の重要施設が多々あり、宇品港はその主要な物資輸送の拠点でした。そのため、もともとは国鉄も乗り入れていましたが、今では、広島電鉄の路面電車だけです。もちろん、朝早くから、電車も動いています。宇品港から東を見ると、ぼんやりと明るくなった空に浮かぶ小さな山が見えました。これは、宇品島。元宇品と言われます。この周囲は埋め立てですから、まさしく宇品の元ですね。そして、私たちが乗る高速艇。スーパージェット。朝日が昇る中、松山に向けて出航です。実は私は、松山行きの船にのるのは初めてです。ということで、海からでしか見れない風景を乗せておきます。宇品港を出てしばらくすると見えてくる、お城っぽい建物。これは、「呉ポートピア」という遊園地の名残。今は、公園と住宅展示場になってます。呉の港に入ってきて目立つのは、この潜水艦「鉄のくじら」。これは大和ミュージアムの隣にあって、海上自衛隊の運営する資料館になっていて、入場は無料です。実際に使われていた潜水艦です。呉の港に向かって右側には、戦艦大和を作った造船ドックがあります。IHIの呉工場となっています。造船所の向こう側は海上自衛隊の基地になっているので、海には自衛隊の艦艇がいくつも浮かんでいます。呉は平地が少なく、港を見下ろすように、斜面に向かって住宅地が並んでいます。そして、潜水艦もたくさん並んでいます。自衛隊の基地を過ぎると、古びた茶色の大きなプラントがあります。これは、日新製鋼の呉製鉄所。海軍工廠の跡地に、1951年に作られた製鉄所。「工場萌え~」にはたまらない重厚な趣です。さらに進むと、平清盛が開いたとされる音戸の瀬戸。橋を渡ると、倉橋島。一番狭いところでは80Mしかありません。高速艇もスピードをぐっと落として航行します。そして、この音戸の瀬戸の渡船は、日本一短い定期航路と言われています。その間90M。音戸の瀬戸を抜けると、赤い橋が二つ。手前が昔からある音戸大橋で、向こう側に半分くらい見えるアーチが、新しくできた大橋です。このあたりまでは、船もかなり陸地に近いところを通るので、船窓を覗いていてもなんだかワクワクしますね。音戸の瀬戸を超えると、船は陸地から離れて、瀬戸内の島影を遠く眺めながらの航行になります。遠くに見えたこの橋は、おそらく安芸灘大橋でしょう。そして、海に浮かぶ島々と船を眺めつつ松山へ。そして、松山観光港に到着です。約1時間半の船旅でした。
2017/01/31
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バスの中から撮ったので、少々ピンボケですが1月27日(金)は、会社を臨時休業にして、愛媛県まで、社員研修に行ってまいりました。オオノ開発(株)さんは、愛媛県に本拠を置く、産業廃棄物の処理を行う会社です。冒頭の写真は、「Frep Toon」と書かれた看板。これは、愛媛に本拠を置く、オオノ開発(株)さんの愛媛県東温市にある事業所です。産廃処理の事業所の看板には見えないデザインですが、「nature foe the future」、未来のための自然 という会社の理念を表しているようです。その東温市にある事業所はとにかく大きくて、印象としては、「山全体」が事業所というくらいです。その入り口に、幼稚園かと思われるようなカラフルな研究所があります。こちらで、まずは、ビデオを見て説明を聞きました。研究所の前に停まっていたワゴン。「オオノラボ」とありますが、なんとも可愛らしくて、幼稚園の送迎バスかと思うほどです。麓の研究室から、バスでずんずんと山を登りましたが、とにかく広い敷地。カラフルな重機の向こうには、中四国最高峰の雪をかぶった石鎚山系が見えます。そして、山の頂上付近で、バスを降りて見学開始です。工場に大きくかかれた「pops」の文字。これはもちろん、流行歌のポップスではありません。「Persistent Organic Pollutants」の略で、意味は、残留性有機汚染物質のこと。人間が作り出した、有害な有機化合物は、放っておけば、自然を汚染し、環境への甚大な被害をもたらします。そういった人間が人工的に作り出した有害な有機化合物の、製造禁止や、処理を適切に行うように国際的に取り決めた条約が「pops条約」で、日本でも、その条約を履行するための取り組みが行われています。その代表的な一つが、PCBの使用中止と無毒化。PCBは、ポリ塩化ビフェニルの略で、一般にはなじみはありませんが、電気機器の絶縁油として広く使われてきたものです。ただ、PCBが人体に大変有害であるということが分かり、現在では使用禁止となっていますが、世の中の電気施設には数多く残っており、補油する事業者は、2027年までの処理が義務付けられているようです。PCBは毒物ですので、指定業者の指定設備で「無害化」する必要があり、オオノ開発さんが今、一番力を入れているのが、低濃度PCB廃棄物の処理事業。今回見学させていただいたのは、まさしくそのプラントです。まずは、「トンネルキルン」という設備。キルンというのは、木材のKD(キルンドライ)と同じキルンで、「釜」のことですね。トンネル状の釜の中にPCBの汚染物を通して、高熱で燃焼させて無毒化を行います。燃焼無毒化後。そしてこちらは、ロータリーキルン。ぐるぐる円筒形の釜が回転しながら、ドラム缶に入った汚染物を燃焼し、無害化します。投入前のドラム缶。処理後。すべての設備が大がかりで、まさしく「プラント」です。PCBに汚染された廃油のタンク。日本各地から入ってくる「PCB汚染物」の保管庫。かなり大きく、天井も高いのですが、電力会社の電気設備には大型なものがあり、大きな保管庫や、大きなものが降ろせるクレーンや重機がないと、分解して運ぶようになります。が、こちらの施設は大型なので、かなり大きなものまでそのまま運び込めるというメリットがあります。かなり大きく感じられましたが、これでも中くらいらしいです。また、太い電気のケーブルにも、PCBを使った絶縁油が入っていて、これもまた処理が大変とのこと。下手に切ると、有毒なPCBを含む油が出てしまいます。そこで、安全にケーブルをカットするための施設もあります。電柱の上でよく見るこういったものも処理対象ですから、世の中には、ものすごい量の「PCB汚染物質」があるのでしょうね。とにかく印象的であったのは、規模の大きさもさることながら、カラフルなペインティングです。キャラクターとなっている熊は、砥部動物園の人気者ピース君をモチーフにしたものだとか。創業者である会長さんが、「ゴミ屋」というイメージを一新すべく、工場設備や、会社のトラック、重機など、あらゆるものをこの可愛らしいデザインで統一し始めたのが7年前だとか。地元のバスガイドさんによれば、オオノ開発さんのイメージは、この可愛らしい配色のイメージが強いとか。そして、二年前くらいから、さらにもう一段脱皮して「未来のために環境を守る会社」というイメージを作るべく、新たにデザイナーとして起用されたのが、WOODPROとも縁の深い、絵図屋さんでした。去年行われた環境展では、足場板の古材を使って、ひときわ目を引く展示が行われたようです。が、残念ながら、私は見てません。環境展の模様は、勝手に絵図屋さんのブログにリンクを貼っちゃいます。⇒絵図屋LAN ブログ オオノ開發 環境展ブースExhibition booth Design Coordinateデザインも、可愛らしいくまさんから、さらに自然そのものをイメージできる渋い配色に変わりつつあるようです。丁度、重機類のデザインもブログにアップしてあったので、リンクしちゃいます。⇒絵図屋LANブログ オオノ開発 重機マーキングと思っていたら、バスの窓の外を「マデラの森」とペインティングされたトラックが通り過ぎていきました。ということで、オオノ開発さんでの研修を終えて向かったのはバーベキューコート「マデラの森」へ。こちらも、オオノ開発さんの多角経営の一環です。ご馳走様でした。マデラ豚、絶品です。最後になりましたが、見学でお世話になりました、徳山部長はじめ、オオノ開発のスタッフの皆様、本当にありがとうございました。「産業廃棄物処理」のイメージが一新される、目からウロコの研修となりました。
2017/01/30
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小雨降る、古都なら。東大寺の観光バス駐車場から見た、東大寺の南大門。参道には、鹿がたくさんいますが、観光客の過半が中国系の外国人だったような印象です。ただ、中国の観光客のみなさんも、昔のような非常識な印象ではなく、かなり穏やかな感じでした。かつて、日本人の「農協観光団」が世界各地で立小便をしたりして悪評が高かった時代もありましたが、やはり、それなりに旅行にもなれてきたということなのでしょう。東大寺への参道にそびえる南大門で有名なのは、運慶快慶の金剛力士像。いわゆる仁王像で、筋骨隆々、怖い顔の代名詞となってますね。ただ、暗い上に、金網があるので、写真には撮りにくいです。東大寺から、興福寺の国宝館で、有名な阿修羅像などを拝観し、その後、バスの出発時間まで、興福寺周辺を散策。現在、興福寺は、奈良公園と一体化していて、境目は定かではありません。興福寺の東金堂と五重塔。興福寺は、奈良時代に権勢を誇った藤原氏のお寺です。興福寺の周辺は、いろいろ復元工事の最中です。現在残っているのは、東金堂と五重塔ですが、もともとは、中央に中金堂と回廊があったようで、現在、中金堂を再建中。回廊と南大門の跡は、基礎の石だけが残った状態となっています。回廊の基礎の石と五重塔。南円堂南円堂の脇から、三重塔の頭が見えます。ブラタモリの奈良編でもやってましたが、奈良公園の周辺は、奈良の市街地よりも一段高くなっていて、そこに興福寺を立てて街を見下ろすことで、藤原氏の威光を世に知らしめることを狙ったとか。確かに、市街地は、一団低い位置にあります。三重塔。五重塔の大きさを感じた後では、とても小ぶりに見えました。昼食は奈良公園から少しだけ移動した「なら和み館」というところでいただきましたが、奈良ホテルと目と鼻の先。ということで、小雨の中、食後のわずかな休憩時間に足を伸ばして行ってみました。坂道を登ると、そこには、和洋折衷といった印象の木造のホテル。1909年創業で、皇室御用達のホテルです。さて、由緒正しい格式あるホテルを前にして、入っていいものかどうか、しばらく迷いましたが、勇気をだしてエントランス横に立っていた黒服のボーイさんに「見せてもらってもいいですか?」と聞いたら、「どうぞどうぞ」と言うことだったので中へ。流石に、人がいるところをパチパチ撮るわけにもいかず、人目を盗むようにして、目立たないように写真を撮ってきました。吹き抜けを二階から。重厚な木の佇まいと、紅い絨毯に格式を感じますね。集合時間も近づいてきたので、ボーイさんに一礼して、撤退。振り返って、入口のようすです。坂道を下りながら、おそらくホテルから薫ってくるであろうカレーの香りをかぎつつ、次はゆっくりカレーでも食べたいな、なんて思った次第です。WOODPRO様ご一行は、続いて唐招提寺に向かいました。
2016/02/26
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さて、WOODPRO 社員旅行ご一行様は、心斎橋のホテルを出発して、小雨降る東大寺へ。東大寺と言えば、奈良の大仏。大阪の人は、奈良のことを「大仏しかないやん」と言うらしいが、そういう意味では、大阪の人にも認められた唯一のもの、ということになりますね。この東大寺大仏殿は、とにかく大きくて圧倒される存在感です。大仏殿の前に立つ人の大きさを見てもらうと、大仏殿の大きさが分かります。高さ37Mということなので、10階建てのビルよりも高いです。世界最大の木造建築、と言いたいところですが、大断面集成材をつかった建築物には、これよりも大きなものがあるようです。「木造軸組み構造としては世界最大」と少々苦しい世界最大となってます。大仏殿の前で記念撮影。さて、いよいよ大仏殿へ。見上げた軒の裏ですが、見事に組まれた木造建築ですね。すばらしい。大仏殿の前でお線香をあげて、煙を自分の方に招きよせます。これは、お線香の煙で、参詣前の身を清めるという意味らしいのですが、それがいつのまにか、これ自体にご利益があるようなイメージになってしまったようです。、いよいよ大仏の御前で、タカチ君と、イシマツ君。大仏様。正式には、東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)といいます。多聞天とヒロセ君。木造軸組み構造としては、今でも世界一です。お見事。結構みんなおみくじを引きをしていましたが、どうやら東大寺のおみくじは情け容赦がないようで、社員のうち10人余りがくじを引いて、なんと、「凶」を引いた人が三人も・・・・。「凶」のおみくじを見せ合う二人。大仏殿の右側におられます、賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう)。体の悪いところ、よくなりたいところを撫でるとご利益があるとされているので、みなさん一生懸命になでなでしておられます。結果、木でできた像は人気のある場所ほど、テカテカに光ってます。着物の裾からはみ出したものが気になります・・・。おあとがよろしいようで。
2016/02/25
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さて、社員旅行のお話の続きです。インスタントラーメンミュージアムで安藤百福さんの功績に触れ、それから、道頓堀へ移動して、豪華な食事とともに、「たこやき」を自分でつくって食べ、さらに、なんばグランド花月で、「大阪のお笑い」を堪能。一旦心斎橋のホテルに帰ってから、道頓堀で「てっちり」の夕食。社長による乾杯。ということで、大阪を堪能しているわけですが、やっぱり一番気になったのは、外国人の多さですね。金曜日ということもあると思いますが、日中、道頓堀界隈を歩いている人のほとんどは中国系、韓国系の外国人。われわれ日本人の社員旅行一行も、中国語で声を掛けられるくらいに、外国人が多いわけです。広島の片田舎にいると実感が少ないのですが、こういった観光地に来ると、外国人旅行者が増えたことにびっくりさせられますね。道頓堀界隈を歩いてみても、とにかく、ひたすらどこまでも飲食店が並んでいる印象で、「こんなに食べ物屋が並んでいて、大丈夫?」と思うわけですが、それらを外国人旅行者が支えているのも事実なんでしょう。外国人がやたら増えてくると、逆に、日本人旅行者の足が遠のく・・・・。ということもあるでしょうね。きっと、ここで商売をしている人も、複雑な心境なのではないか、と思ったりします。さて、夕食の宴会が終わって、そこからは自由行動へ。若者たちの多くは「ガンダムカフェ」に向かい、冒頭の写真で、グリコの看板前の若者と高齢者の間の世代は、道頓堀界隈を散策した挙句、ワッフルを食べ、人生経験豊富なシニアの方々は、疲れて、ホテルに直帰、となりました。私の知る限りでは、いかがわしいところに行って、ボったくられた、という社員はいなかった模様です。法善寺横丁へ。このちょっと落ち着いた料理屋さんが並ぶ通りでは、しっかりと石畳の路地に打ち水がしてありました。しっとして、いい感じです。お不動さんのあたりでうろうろしていると、どこからともなく歌声が聞こえます。「包丁いっぽん♪ さらしにまいて~♪・・・・・」酒に酔っていい感じで気持ち良くなったのか、見ず知らずの人が歌ってました。まあ、ここに来るとなんとなく、歌いたくなる気持ちも分かる、なんて思っていたら、うちの社長も歌ってました。「包丁いっぽん♪さらしにまいて~」もちろん私は、流行っていたころのことは知りませんが、「月の法善寺横丁」という歌ですね。さて、串カツだるまの前で。それからうろうろと道頓堀界隈を散策して、結局たどり着いたのが、「ワッフル屋」甘いものでお腹を満たし、道頓堀を散策とは、まことに健康的ですね。さて、ワッフルを食べたあと、私は、ぶらぶらと道頓堀単独行動へ。と言っても、よからぬ所へ行く予定もなく、ちょっと写真でも撮ろうという程度のノリです。まずは、道頓堀川に映るグリコの看板。この水面に揺れるネオンに哀愁を感じます。汚い川も、夜にはこうして輝くネオンに覆い隠されるわけですが、とても飛び込もうという気分にはなりません。そういえば、途中で、WOODPROの商品である、スクエアプランターを見付けました。繁華街の一角で、ちょっとしたオアシスを形成。それから、閉店後の帽子屋さんに、足場板発見。しかしまあ、大阪では、なんでもでかくして看板にします。さらに、どの通りに入っても、店がいっぱい並んでる。宗右衛門町を歩けば、あやしいにいちゃんや、ねえちゃんがいっぱい声を掛けてきますが、「大丈夫です」なんて言いながら通り抜け、日付が変わる頃にはホテルに帰りました。まあ、こんな繁華街をカメラをぶら下げて歩いているのは、ほとんど中国人観光客くらいですね。翌日は、いよいよ、古都 奈良 へ。
2016/02/24
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先週の週末に、社員旅行に行ってきました。今回の行先は、大阪&奈良。新幹線で広島を出発し、新大阪から観光バスに乗り換えて、最初に向かったのは、池田市の「インスタントラーメンミュージアム」。日清食品の創始者の安藤百福の像の前で、WOODPROスタッフのヒロセ君。横浜のカップヌードルミュージアムにも同様の展示がありましたが、安藤百福さんがインスタントラーメンの研究をしていたという小屋の復元。小屋の脇には、「チキンラーメン」のチキン君がいたであろう鳥小屋も併設。ラーメンをゆでる大きな鉄なべとヒロセ君と梱包出荷担当のおかちゃん。研究室のイメージからは程遠い雰囲気の中で、二十世紀を代表する発明の一つとされるインスタントラーメンが開発されたんですね。戦後の闇市のラーメン屋に並ぶ人の列を見ながら、なんとかもっと手軽に食べれるようにできないものか、と思ったのが開発の始まりだとか。今や、インスタントラーメンは世界中に広がって、国家と民族の垣根を越えて、小腹を満たしていますが、そのせいか、見学者のほとんどがアジア系の観光客でした。この施設は入場は無料なのですが、300円払うと世界で一つのオリジナルカップヌードルを作ることができます。ということで、社員一同、チャレンジしてきました。まずは、与えられたカップにマジックで絵や文字を書きます。最後まで粘っていたのは、今年になって入社したイシマツ君でした。もともと、彼の周りには、社員旅行のご一行がいたのですが・・・。なんだか、給食が食べられずに、最後まで残されている生徒みたいです。(今どきは、そういうことはしないんでしょうね)最後まで粘って書いたその力作は、彼の分身であるエネゴリ君でした。そのカップに麺を入れ、スープと具をチョイスし、さらに、ラッピングしてくれます。そして中身が衝撃で壊れないように、風船のようなカバーに入れてお持ち帰りです。300円でここまでしてくれるので、絶対オススメです。が、欠点としては、えらくかさばってしまうので、旅行カバンを占有してしまい、あとあとお土産が入らなくなること。梱包を担当してもらっている、大阪出身の女性スタッフがいうには、大阪では、「松下幸之助か、安藤百福」なんだとか。
2016/02/23
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神戸のネタもまだありますが、本日は神戸からの帰りに立ち寄った姫路城のご紹介です。改修のため、長くシートに覆われていましたが、今はその雄姿を見ることができます。改修が終わって、真っ白な漆喰のためにやたら白く見えるということで、「しろすぎ城」なんて言われてニュースにもなってましたね。確かに、白いといえば白いのですが、「白鷺」の名にふさわしい美しさです。この城がシートに覆われていた時に来た際の記事は⇒「天空の白鷺 姫路城 平成の大改修」ただ、現在も天守閣の中は改修中で見ることができません。その代り、西側にある千間廊下を通って天守閣に向かいました。何度か折れ曲がりながら、とっても長い廊下で、廊下の脇には部屋が並んでいます。廊下の途中の窓から撮った姫路城。結構離れてます。それだけ、広いということですね。廊下はまだまだ続きます。部屋には、それぞれいろんな展示がしてありますが、左官道具の展示もありました。長い千間廊下を抜けて振り返ると、歩いてきたと思しき城壁の城壁。この中に、廊下と小部屋が並んでいたようです。改修の終わった姫路城をアップで。さらにアップ。瓦が漆喰で固められて、黒っぽい瓦部分が見えている面積が非常に小さいことが分かります。これが、「白過ぎ」の理由ですね。ただ、この漆喰もだんだんと汚れてきますので、この白さを楽しめるのも今だけです。それでは、別角度の姫路城。絵になりますね。石垣と門記念撮影3月27日にはグランドオープンし、天守閣の中にも入れるようですが、桜の季節でもあり、すごい人出になりそうですね。
2015/01/21
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新神戸駅にバスを止めて、ちょっとだけ六甲方面に歩いた場所に、「竹中大工道具館」はあります。今回の社員旅行では、唯一研修っぽい場所。ゼネコン大手の竹中工務店が建てた、日本唯一の大工道具の博物館です。最初の写真は入口の門をくぐって見える景色。木々に囲まれた、木造平屋ガラス張りのすっきりとした建物です。中に入ると、木の香りが鼻孔を刺激してきます。一階は研修室のようで、大きなフロアーに椅子が並んでいますが、天井も床も木が使ってあって、とっても気持ちいい空間になっていました。展示室は、そこから地下へと広がっていました。大工道具館ですから、それぞれの道具の使い方や機能が分かりやすく展示してあります。WOODPROでは、積極的に定年退職された方を採用していますので、社員の中には、大工さん出身の方もいます。ということで、元大工の松浦さんと、説明に耳を傾ける若手社員。こちらでは、現場監督出身の原田さんによる、「仕口」の説明。すでにパズルとしか思えない精緻な作りですが、これを実用するところが日本人ですね。力の掛かり方を考えて、仕口の形も、使う場所にあわせて考えられています。日本建築を知るには、木のことも知らなければなりません。ということで、いろんな種類の木の丸太をカットして、木の樹皮の様子や、木目、切り口が分かるような展示もありました。杉それから、木取りの説明。どういう風にカットすると、どういう木目になるのか、ということも分かりやすいです。こちらは、ヨーロッパの木造建築の木組み。全体を斧で加工するらしく、日本の木組みにくらべるとワイルドな感じですね。当然、建築に対する考え方が違えば、道具だって変わってきます。日本の大工道具とともに、中国やヨーロッパの道具も展示してありました。そのあたりも分かりやすく展示してあって、面白いです。これは、茶室コーナーに展示してあった障子。日本人らしい、実に細かい細工です。はじめての見学でしたが、かなり見ごたえがありました。神戸観光の際には、おすすめです。竹中工務店といえば、最大手のゼネコンで、どちらかといえば木造のイメージはありませんが、wikipediaで調べてみると、創業は1610年。関ケ原の合戦の10年後ですから、長い歴史です。もともと、神社仏閣の建築を手掛けてきたということで、大工道具にも思い入れというのがあるのでしょう。明治維新後、神戸に進出して、ヨーロッパ型の建築技術を導入して名をはせた、とのこと。それで、神戸に「竹中大工道具館」もあるんですね。「工務店」という言葉をつくったのも、竹中工務店だとか。若手社員にも、いい勉強になったと思います。
2015/01/20
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先週末、会社の研修&社員旅行で、神戸に行ってきました。冒頭の写真は、宿泊した、神戸オリエンタルホテルからモザイク方面を撮ったもの。ちょうどホテルに入ったのが夕方でしたので、黄昏ゆく、マジックアワーの神戸の風景が撮れました。夜景というのはそれなりにきれいではありますは、完全に暮れてしまえば、いつ撮っても同じ顔ですが、黄昏時や夜明けの表情というのは、毎日違います。だからこそ、ドラマチックでもあるんですね。さて、黄昏のホテルを後にして、南京町で中華をいただき、午後8時にその場で解散。自由行動となりました。さらに飲みに行ったグループとか、南京町や元町をうろうろしたグループや、それぞれでしたが、私はカメラをもって、神戸港周辺をうろうろ。そこで撮った写真を上げときます。港町として栄えた、歴史のある町ですので、歴史的な建造物も随所に見られます。ライトアップもされていて、なかなかきれいです。とりあえず、モザイクガーデンの方から、神戸のシンボル、ポートタワー側を撮影ポートタワーは、1963年に作られたということなので、かれこれ50年以上前。しかし、この美しいデザインはほんとに素敵ですね。赤い橋は、ポートアイランドに渡る橋です。そして、午後10時すぎ、ホテルへ。健康的でしょ。
2015/01/19
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京劇を鑑賞して、ここからは、ホテルで休む人、そのままマッサージに行く人、夜市を見物する人に分かれました。で、私は、夜市組に。行ったのは、士林夜市という台北最大の夜市。ただし、行ったのがすでに夜の10時。再集合時間は11時。夜市のエリアがあまりに広すぎて、とても1時間弱で回れるようなものではないですね。本来は、夕食は抜いて、屋台でいろんなものをつまみながらぶらぶらするのがいいのでしょうが、なにしろ盛りだくさんの強行軍ですから、夜市で80円ほどにタピオカミルクティーを飲んだだけ・・・。それでは、駆け足で回りながら撮った写真を少しご紹介します。台北の人は、自宅で夕食を作るよりも、こういった屋台で食事を済ますのが普通とか。タピオカミルクティーフリーツもあります。廟の前には若者たちがたむろっていました。台北の人たちの夜はまだまだ続きそうです。本日もご訪問 謝謝。
2014/01/28
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台湾の社員旅行記もなんと、その9まできてしまいました。さて、油化街から夕食の四川料理を経て、さらに京劇の鑑賞と、もう観光のてんこ盛りです。冒頭の写真は、劇場のロビーで行われていた、演者の方の化粧風景。他には、中国琵琶らしき楽器を演奏する麗しい乙女。さらに、衣装を着て撮影ができたり・・・。なかなか、サービスがいいです。劇は、前半は中国獅子舞の曲芸。ユーモアも交えながら、獅子舞が客席まで出てきたりして、結構楽しめます。休憩をはさんで、第二部は西遊記。偽の三蔵法師一行が登場し、どちらが本物かを争うお話。ストーリーが面白いとかいうことはありませんが、動きも面白く、海外旅行気分に浸ることができますね。観客もほとんど観光客のようでした。本日もご訪問、謝謝。
2014/01/27
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九份から、一気に台北に帰ってきて、恒例の「お土産物屋」に連れて行かれた後、台北で最も古い問屋街である「油化街(ディーホワチェ)」へ。ガイドさんは、日本語的に「テキカガイ」と呼んでました。ここは、乾物やお茶や薬草などの問屋が立ち並び、台湾では裕福な商人の象徴であったとか・・・。全体が少々古びた感じの建物にはなっていますが、全体に凝った装飾が施されています。とはいえ、この日は、なんと、お正月の準備イベントの始まりの日だったらしく、通りは恐ろしい人出。冒頭の写真は、カメラを差し上げてシャッターを切ったものですが、延々と続く人の波と、その両側に連なる屋台の列・・・。年の瀬のアメ横を思わせる混雑ぶりです。最初の写真の中にも、社長を含む数人の社員が写っていますが、ウォーリーを探せ状態です。通りの入り口には、「来台北過好年」とあります。台北にとってもいい年がやってくるということでしょうか?台北の新年はいわゆる旧暦ですので、太陽暦の新年とはずれていて、今年は1月31日が元旦になります。この日は、1月11ですから、少々早い木もしますが、街はすでに年の瀬ムードいっぱいでした。江戸寿司なんて屋台もあります。日本人の感覚からすると、少々色合いが原色すぎます・・・。お立ち台のごとくセットされた舞台の上では、女の子がナッツ類を売ってます。「向日葵瓜子」はひまわりの種。ゆっくりと見る間もなく、取り残されないように「JTB」の旗を見失わないようにただ、人波をかき分けて通りを進みます・・・。やっと人込みの抜け、安堵する社員旅行ご一行。少しだけ歩いてバスの待つ通りに出ると、埠頭らしき門がありました。「大稻埕嗎頭」とありますが、かつては、この港からお茶屋乾物などの物資を積みだしていたようです。本日も、お付き合い 謝謝。
2014/01/24
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野柳地質公園から、海岸沿いを少し走って、一気に山を登っていくと、そこに九份があります。千と千尋の神隠しのモチーフでは?ということで話題になり、日本人観光客も急増しているようです。ただ、どうも、ジブリはそれを否定しているらしいのですが・・・。九份という場所は、もともと家が9軒しかないような山奥集落であったとのことですが、金の鉱山が発見され、それから目覚ましい発展を遂げたとのこと。最盛期は日本統治時代とのこと。この写真は、坑道の入り口に作られたお寺。「今日も安全に、たくさんの金が取れますように(祈)」ということのようです。九份は、もともと平地のなかった場所に階段を作り、横に伸びる街路を作り、その両側に両店が連なり・・・、という感じで発展したようですが、鉱山の衰退し、その代り、観光スポットとして脚光を浴びてます。海の見える急な斜面に街ができているので、当然のことながら海が見えます。一方に海が広がった開放感もこの場所の魅力なのでしょう。坂の途中にある建物ですが、左側が「千と千尋の神隠し」のモデル。右側は「ハウルの動く城」のモデルだとか・・・。確かに、そんな雰囲気にも見えますが、これはあくまでも噂の域を出ないようです。階段の両側にもお店がいっぱい並んでいますが、水平方向の路地には、もっとお店が密集しています。よくみると、なぜか、看板にはひらがなが多い・・・。それだけ日本人が多いということなのだと思いますが、せっかくの海外旅行ですので、露骨な日本語にはちょっと引きますね。台湾の草餅。確か、10元ほどだったので、日本円で40円弱。一つ買って食べましたが、おいしかったです。とても活気にあふれた通りなのですが、閉口したのは「臭豆腐」の屋台。とにかく、臭い。半径10M以内に入ると鼻が曲がるくらいで、食べる以前の問題です。にも関わらず、台湾の人は列をなして買い求めているから不思議・・・。自由時間は50分ほどであったので、ゆっくりと見て回る時間もなく、集合時間にも遅れそうになって、焦りました。ここはやっぱり、じっくりと時間を取って、商店の並ぶメインストリートだけでなく、細い路地を散策したり、赤い提灯に明かりがともり始める夕景を眺めたりしたい場所でした。もし、次に行く機会があれば、せめて、昼から夕方まで、ゆっくりと過ごしたいですね。本日も、お付き合いいただき、謝謝。
2014/01/22
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初日には、台北4大観光スポット(龍山寺・中正記念堂・台北101・故宮博物院)のうち、3つを制覇。二日目は、台北から高速を飛ばして海へ。台北は盆地状の場所なので、海がありません。その台北から北東方向に高速を30分くらい飛ばしていくと、眼の前に海が開けてきます。海が見えると、なぜか、テンションが上がりますよね。海沿いには、リゾートマンションやホテルが建っていて、とってもいい雰囲気なのですが、それをバスの車窓越しに見ながら、野柳地質公園へ。ここは、野柳岬の付け根の部分で、風や波で浸食された奇岩なつくる風景が「風景特定区」に指定されています。日本の国定公園といった感じでしょうか?岬の付け根部分は漁港になっていて、これがまた、なかなか趣があったのですが、バスの車窓から眺めるだけ・・・。漁港の脇を通過するとすぐに広い駐車場があって、野柳地質公園に到着。独特の地層のせいなのでしょう、浸食のされ方が独特です。細い岬の付け根部分をしばらく歩いていくと、奇岩が見えてきます。赤い線から向こうは危険なので、いってはいけません。根本が浸食されて、地層の変わり目もはっきりわかります。海に目をやると、ボールが埋まっているような不思議な形状の岩もあります。天気もよくて、暑いくらいでした。本日もお付き合いいただき、謝謝。
2014/01/20
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旅行の楽しみといえば、やっぱり食事ですね。ということで、初日の食事についてです。空港に着いてすぐに向かったのは、鼎泰豊という有名な小龍包屋さん。日本にもお店があるようですが、台北の本店だけは、その場で作ったものをすぐに出している点だとか。最後は、あんこの小龍包でシメです。夜は、台北101で夜景観賞のあと、台湾料理のお店「欣葉台菜創始店」へ。台湾名物の特産品であるカラスミから始まって、豪華さはないものの、一つ一つが丁寧に作ってある感じで、おいしかったです。ここで、社員旅行の一行の写真をテーブルごとに載せときます。海外旅行ということで、飛行機が苦手な人とか、海外が苦手な人などもいて、参加率は6割くらい・・・。ホテルに帰って、台湾での一日の終わりはやっぱり、足裏マッサージです。30分700元(約2400円くらい)也。足がほんとに軽くなりますね。本日もおつきあい、謝謝。
2014/01/18
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夜も更けてきて、あたりも暗くなってきたところで、台北101へ。地下五階地上101階建なので、101という名前になっていますが、完成した2004年当時は、世界最高のビルでした。高さは509.2m。展望台のあるのは、89階と91階で、高さは400m程度。私は行ったことがありませんが、東京スカイツリーの展望台の高さは、第一展望台が350m、第二展望台が450mなので、その中間くらいですね。5階までは大きなショッピングセンターになっていて、ブランドのお店などがならんでます。世界最速のエレベーターで89階に向かいます。それでは、地上400mから見下ろす台北の夜景をご覧ください。台北101の前に立ち寄った松山文化園区を見えますね。台北の人口は、270万人程度とのことですが、台北市を囲むように新北市という衛星市があり、そちらの人口が400万人近いとのことなので、台北を中心とした都市圏としては700万人近いということなのでしょう。バスに乗り込んで、「みなさん、台北101はいかがでしたか?」と、高校生時代まで日本に住んでいたというガイドの鄭ちゃん。バス内の照明のせいか、安っぽい場末のキャバレーの司会みたいですね。お世話になりました。本日もお付き合いいただき、謝謝。
2014/01/17
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龍山寺の次に向かったのが、「松山文創園区」。観光スポットとしてはマイナーな場所ですが、うちの社長が見つけてコースに組み込んだもの。昔の煙草工場をリノベーションして、芸術振興の中心として活用しています。1930年ころの建物ということなので、まだ日本が統治していた時代に建てられたものということになります。終戦が68年前。私の歳もすでに50を超えてしまいましたが、かつて、この台湾が日本国の一部であったという実感はありません。日本統治時代というのは、1895年~1945年までの50年間。台湾のインフラは日本統治時代にかなりの部分が整備されたので、こういった古い大型建造物は日本統治時代の名残であるものが多いようです。中は古い病院の廊下を思わせる趣・・・。内部はギャラリーなどに活用されていました。古い煙草工場の向かいには、曲線が印象的な近代的なビルが建っていて、コントラストが効いてます。だんだんとあたりが暗くなってくると、雰囲気も出てきますね。レトロな建物の向こう側に、台北101ビルも見えます。集合時間が近くなっても来ない人がいたので心配していると、ちゃっかり、お店に入ってビールを飲んでました・・・。流石です。月も出て、台北初日の夜が始まりました。お付き合い、謝謝。
2014/01/16
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中正記念堂を出て、次に向かったのは龍山寺。台北市内で最古のお寺。といっても、1738年の創建ということなので、それほど古いものではありません。福建省から渡ってきた人たちによって作られたものとのこと。台湾はもともと、中国の統治の外にあったエリアです。大陸国家であった中国は、海洋進出を極端に嫌っていたらしく、大挙して海を渡り、台湾を支配しようとしたことはなかったようです。中国四千年の歴史なんていいますが、ちょっとした海を隔てているだけなのに、中国が台湾を支配しようとしなかったというのは不思議です。そのため、台湾には昔から住む原住民と、その他、海を渡ってきた少数の大陸系の人たちや、海を渡った日本人、あるいは、倭寇と呼ばれた海賊の根城があったりという、まとまりのない感じであったようです。海の向こうに島があることは知っていても、中国としては積極的に関与してこなかったということでしょう。最初にこの島を統治したのはオランダ。17世紀の初頭ですから、日本で言えば、関ケ原の合戦(1600年)よりも新しいということになります。古くからまとまった文明があったわけではないため、古くからある史跡というものは少ないようです。さて、龍山寺。台北で最古、最も人気のあるお寺とはいえ、それほど大きなものではありません。屋根の上には、派手な飾り物が乗っかっています。龍やら、鳳凰やら、よくわからない人形のようなものなどが色とりどりに塗られていて、日本のお寺では見られない色あいです。ガイドの鄭ちゃんに、おみくじを引く際の注意についてレクチャーを受ける社員旅行ご一行。御堂の前にはステンレスの大きなテーブルが置いてあって、その上には、果物とか、お菓子とかが皿に載せられて置かれています。ガイドさんの話では、自分の食べたいものを持ってきて、ここに備えると、それにパワーが宿るので、それをまた持ち帰るとのこと。また、台湾の寺院には賽銭箱のようなものはありません。ガイドさんによれば、ご利益があったら寄付するのだとか。ご利益があるといいですね。
2014/01/15
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今年の社員旅行は、台湾でした。5年ぶりの海外です。5年前に上海に行きまして、それが、最初の海外社員旅行でした。写真だけはいっぱい撮ったので、ぼちぼち整理をしながら載せていきたいと思っていますが、興味のない方はスルーしていただいて問題ありません。冒頭の写真は、10000円で両替した台湾元。現在のレートは、3.7円=1台湾ドルとのこと。 アベノミクス効果で、円は2割程度安くなったので、1年前には80円で買えたものが今は100円。どうしても、輸入するコストが高くなるわけです。広島空港を朝早く出発し、機内食を食べ、台北についたのはお昼頃。有名な小龍包のお店で食事をしたあと、最初の観光地は、中正記念堂。陸軍の施設のあった広大な敷地に、中華民国を建国した蒋介石の功績をたたえるために作られたものです。内部には、大きな蒋介石の像があり、それを守るように二人の衛兵が立っています。一時間交代とのことですが、その間、微動だにしません。どこかがかゆくとも、面白い光景が見えても、美しい女性が通っても、ひたすら前を見て、表情を変えてはなりません。で、ここの見ものは、衛兵の交代式。1時間に一度、人形のように見えた衛兵が動き始め、規律正しく、よく揃った動きは、シンクロナイズドスイミングさながらです。なんとも、凛々しいですね。一時間、このままじっとしていなければなりません。台湾は亜熱帯ということで、この季節にハイビスカスが咲いてました。気温は20度前後といったところで、日本でいえば、10月頃の感じでしょうか。中正記念堂の敷地の端の方では、台湾の将棋らしきものをしていました。お年寄りが話しかけてこられたのですが、「山本五十六」しか分かりませんでした・・・。続く・・・・。お付き合いいただき、ありがとうございます。
2014/01/14
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社員旅行の続きで失礼します。嵐山を出発して、南禅寺へ。昼食は、湯豆腐。流石に名物だけあって、甘みがあってとてもおいしい湯豆腐でした。南禅寺は大変見ごたえのあるところですが、今回は昼食メインで、昼食時間を含めて1時間の予定。またまた早歩きで、大きな三門の脇を通り、法堂の脇を通り、水路閣へ。大きなお寺の佇まいのなかに、突然立ちふさがる赤レンガのアーチの橋は、ものすごいインパクトがあります。これは、琵琶湖の水を京都に引くために明治になって作られた水路橋。もっとじっくり見たいところでしたが、バスの集合時間が迫っていて、後ろ髪を引かれつつ、小走りにバスに帰りました。南禅寺はいいですね。大きな三門にも登れるし、お庭もきれいです。本日も、ご訪問、ありがとうございます!
2013/02/09
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先週末は社員旅行で、東大阪~京都へ行ってきました。宿泊は嵐山でした。この時期は一年の中でも一番見るべきものがない時期ですね。梅もまだ、桜はまだまだ。そのせいで、観光客も少なめなのだと思います。でも、竹林だけは年中青々としていて気持ちがいいですね。背の高い竹が天に向かってまっすぐ伸びていて、その中に垣根で仕切られた道が伸びている様子というのは、日本的に美学に満ち溢れています。竹林は日本中にありますが、この感じは、やっぱり京都だなあ、と思います。嵐山で二時間の自由時間がありまして、お土産などにはあまり興味のない私は、単独行動。曇天でしたが、幸い雨は上がって、気温も高めで、動きやすい気候でした。まずは、天竜寺の庭園散策をしましたが、ゆっくり見ているとここだけで二時間を使ってしまいそうなので、駆け足で散策。花といえば、この時期、庭園の花といえば、山茶花と蝋梅だけですね。裏口から竹林方面に出て、竹林を通って、常寂光寺へ。このお寺で、なんと、うちの社長に会いました。きっとこのお寺まで来たのは、社長と私だけでしょうね。とっても雰囲気のあるお寺さんですが、紅葉の季節に来たかった・・・。紅葉と苔の緑とのコントラストは、想像しただけで見ごたえがありそうです。このあたりでだんだんと集合時間が迫ってきて、そろそろ集合場所に戻らねばなりません。ちょっと早足で向かったのが、竹林の中にぽつんと、こじんまりした神社。野宮(ののみや)神社です。小さな神社なんですが、人がいっぱい。平安時代から続く、由緒正しき神社です。皮付きの丸太をそのまま組んで鳥居にしてあるのも、この神社の珍しいところだそうです。ゆっくり参拝する時間もなく、さらに急ぎ足で、渡月橋そばの駐車場に。やっぱり、曇天で冬の嵐山は、ちょっと彩度が足りませんね。
2013/02/08
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鞆の浦から歩いて、「阿藻珍味」へ。この会社は、瀬戸内で取れる海産物を加工している会社で、地元では「あもちん」と呼ばれています。中でも、「あもちん」の「尾道ラーメン」は、尾道人も認める味です。最近では、広島のスーパーでも売っています。その「あもちん」で手作り鯛ちくわ体験をし、焼きたてのちくわを食べつつ、バスで尾道に移動しました。天気予報は曇りでしたが、尾道へ移動するあたりから雨が降り始めてしまいました。尾道では、ロープウェイで千光寺まで上がった後、雨の中を麓まで下るコース。あいにくの雨ですし、時間もあまりないということで、なんだかバタバタを階段を駆け下りていくような感じでしたが、途中の細道には、尾道名物の石猫が出迎えてくれます。古い民家を改造したカフェがあったり、雑貨屋さんがあったり、志賀直哉の旧宅があったり・・・。ゆっくりと坂道を降りていくと、だんだんと景色も変わってくるし、なかなか楽しいものです。天気が良ければ・・・。尾道というのは猫の多いところです。飼い猫なのか、野良猫なのか分かりませんが、いたる所にいます。もともとが漁師さんの多い場所で、日常的に魚のアラだとか頭だとかが餌として与えられてきた結果、こうして猫の多い街になった理由かもしれません。ということで、石猫探しも楽しいし、本当の猫を探すのも楽しいですね。ロープウェイに乗って、千光寺に参拝し、だらだらと山を降りつつ石猫を探し、尾道水道を堪能し、麓に降りたら、ロープウェイ乗り場の横の「コモン」でワッフルを食べ、少々並ぶようですが、朱華園で尾道ラーメンを食べ、海岸通りを散歩して「からさわ」でアイスモナカを食べ、昇福亭のはっさく大福を食べつつ、大きな草履の西国寺に向かい・・・・、なんてしていると、丁度いい1日デートコースです。本日もご訪問ありがとうございました。
2012/01/26
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池上産業さん、JFEスチールさんと見学させていただいて、研修旅行一行は「鞆の浦」へ。北前船の寄港地として、瀬戸内海をゆく船の汐待ちの港として栄えた場所ですが、陸路中心の今となっては時代から取り残された状態です。風情の残る古い家並みが人気を呼ぶ一方、消防車の通行にも支障があり、過疎化が進んでいるのも関わらず渋滞するということで、ここで生活していくもの大変なようですね。港の入口を埋め立てて橋を架けるという構想が持ち上がったのは、30年も前ですが、それからずっと賛成派・反対派に分かれて争い、今も話し合いが続いています。生活道路でもあり、観光資源でもある。軽トラも通れば、竜馬も通る・・・。観光の恩恵を受けない人にとっては、我慢することばかりの環境なのでしょう。聞くところによると、4:1で賛成派の方が多いのだとか・・・。「崖の上のポニョ」のモデルになったことでも有名になった観光地ですね。思えば、高度成長期に、日本各地の多くの地域で、歴史的な景観を破壊しつつ、利便性を求めてきました。そして、利便性を極めた都市住民が、時代から取り残されたために「歴史的景観」を残している場所を「守れ」と主張する。皮肉なことですね。一度壊してしまえば、二度と取り戻すことはできません。かといって、この場所に暮らす人に不便を強いるのも残酷です。景観を残しつつ利便性をあげるため、橋ではなくてトンネルにしようとか、いろいろな案がでていますが、いまだに平行線のようです。本日もご訪問ありがとうございます。これまで何度かここを訪れました。過去記事はこちらです。2011年3月30日2008年11月24日
2012/01/25
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池上産業さんでハイテクな木材の勉強をしたあと、昼から向かったのは、JFEスチール西日本製鉄所福山地区。JFEスチールは、日本鋼管と川崎製鉄が合併してできた会社で、今回見学した工場は、「日本鋼管福山製鉄所」でした。三方を海に面した、南北3.8キロ、東西2.8キロという広大な埋立地のすべてが製鉄所になっています。木材業界の工場と比べると、とにかく規模が違うので、人もトラックも小さく見えます。最初の写真は、宿泊地である福山市鞆の浦のホテルから目いっぱい望遠で撮ったJFEスチールの工場です。中央で火を噴いているのが、おそらく稼働中の高炉なのでしょう。なにしろ、工場内撮影禁止ということで、「工場萌え~」というフォトジェニックなシーンはいっぱいありましたが・・・残念でした。この製鉄所には、高炉が4本もあり、これは日本では一番多いとのこと。最初に工場の概要と鉄のできるまでの説明を聞いた後、バスに乗って構内を回り、JFEのスタッフの方がガイドしてくれます。なにしろ広い敷地ですので、バスで走っても結構時間がかかります。荷降ろしされたコークスや鉄鉱石の山が山脈のように連なっているそばを抜け、中国電力と一緒に運営しているという発電所の脇を通り、構内運搬用の線路を越え、高炉が連なる様を見上げ、あまりのスケールに目を奪われていると、実際にバスを降りて見学できる「熱延工場」へ。この工場は、厚み10センチあまりの鉄の塊を何台ものプレスにかけて2ミリほどの厚みにしてロールに巻き取る、という作業を行なっています。真っ赤に焼けた鉄の塊とそれに掛けられた水が白い蒸気を上げながら長いラインを駆け抜けていく様は、なかなかの迫力です。この工場だけで、端から端まで1キロとか。スケールが違いますね。でも、この工場で働いている人は、なんと12人。工場は24時間週7日稼動なので、4組のグループが交替で働いているそうです。12人X4組で48人がこの「熱延工場」を運営しています。説明員の人が説明してくれるのですが、狭い通路で長く伸びた隊列なので、説明を聞けるのは先頭だけ。結果として、伝言のように情報を伝えることになります。先頭にいた私が「今、鉄の塊が出てくるのをまっています」と伝えたのですが、途中で、「銑鉄が出てくるのを待っている」→「先生が来るのを待っている」となって、一体どこから?と、周囲をきょろきょろするという間違いが起こるほど。これまで見ることのなかった「鉄」の工場を見学はとっても刺激になりました。工場見学って、本当にワクワクしますね。最近テレビで、工場で物ができていくところをよく見ますが、「ものづくり」にみんなが興味を持つ事は大切だと思います。日本では昔から「もの」を作る技術を持つ人を大切にしてきました。それが技術立国日本の発展につながったのだと思うので、安易なマネーゲームでお金を稼ぐ方がえらい、といった風潮というのはよくないですね。ということで、写真がないので申し訳ありませんが、JFEスチールの工場見学記でした。本日もご訪問ありがとうございます。
2012/01/24
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1月20日(金)21日(土)の二日間は、社員研修に行ってきました。お急ぎのお客様にはご不便をおかけしてすみません。今年の社員研修旅行は、広島県の東側。昔の備後の国です。備後の国の城下町は福山で、まずは、その福山松永町にある池上産業さんにお邪魔しました。福山市から少し山側に入ると、家具の産地として有名な府中市があります。もともと、北米産の家具用材を中心に輸入する会社として発展されましたが、今では、家具用材はもちろん、[WOODWISE]のブランドで、床材などの建築用材や、「積層ソリッドパネル」「サーモウッド」「アセチル化木材 アコヤ」などの新しい素材を積極的に取り入れた提案型の商品展開をしておられます。最初の写真は、研修室の様子ですが、窓際で美しいカーブを描くカンター材は積層ソリッドパネルです。ということで、まずは、池上産業の若手精鋭の方に商品の説明をしてもらいました。内容は大きく分けて三つ。講師の方々に教わったことを、私なりにまとめてみましたが、興味のある方は、池上産業さんのHPをご覧ください。●北米広葉樹について。(講師 諏澤博之さん)私も知らなかったのですが、北米大陸の東側にあるアパラチア山脈の山麓には、広大な広葉樹林があり、広葉樹の森としては、世界で唯一、成長量が伐採量を上回っているとか。広葉樹というのは、計画的な植林が難しいので、自然林の伐採からしか得られません。北米では、自然林の中から択伐(木を選んで森を残しながら伐採すること)を行い、森の回復力、成長力を維持していくよう管理されているそうです。残念ながら、日本の山を覆っていたナラやブナの多くは伐採されて、針葉樹の植林地へと姿を変えてしまいました。そんな中で、地球上に、こうして管理された広葉樹の森があるときいて、ほっとしました。●サーモウッドについて。(講師 坪倉真琴さん)サーモウッドというのは、フィンランドで生まれた技術で、木を高温で乾燥させることで、水分の影響を受けにくいようにしたものです。湿気を吸いにくいことから、腐りにくく、シロアリが付きにくく、寸法安定性の高い材料が得られます。主にパイン材を使って生産され、ウッドデッキや、外壁材、フェンスなどに利用されます。熱処理によって作られるので、製品の方も少し燻製っぽい香ばしい香りがします。色合いも少し褐色を帯びた落ち着いた色合いです。●アセチル化木材「アコヤ」について。(講師 西谷花野さん)アセチル化木材というのは、木材の中の「水酸基」を「アセチル基」に置き換えることで、木の良さを残しつつ、水分の影響をほとんど受けないようにしたものです。化学的に処理されたものですが、アセチル基というのはもともとの木材の中にもあり、全く毒性がありません。木材のアセチル化の研究は、何十年も前からされていました。しかし、量産が難しく、日本国内のメーカーも途中で断念したのですが、オランダの会社が実用化に成功し「アコヤ」という名前で商品化したものです。素材には、ニュージーランドのラジアータパインの無節の材が使われています。木の欠点とされる「反る」「割れる」「腐る」といった現象は、「水分」の存在によって起こります。水分移動が木材の収縮膨張の原因で、その結果として反りや割れが発生しますし、腐るためには腐朽菌が活動するための水分が必要です。その水が木に与える影響を軽減しようする点で、「サーモウッド」も「アコヤ」も共通していますが、水の出入り口を狭くしたのがサーモウッドであるとすれば、アコヤは水が入りこむ出入り口自体を無くしたもの、という感じでしょうか?反らない、割れない、腐らない木なって、本当にに夢のような材料です。私など、「木だから反る、割れる、腐るのは当たり前です」と開き直って仕事をしていますが、もちろん、反らない割れない腐らないに越したことはありません。これからは、木の持つ特性をそのまま生かしたローテク木材と、木の弱点を補って用途を広げたハイテク木材が、適材適所で共存していく時代になるのでしょう。分かりやすい説明を受けた後、WOODPRO研修旅行一行は、池上産業さんの倉庫を案内してもらいました。いつもは、どちらかというと非常に素材に近い、ローテクな材料を扱っていますので、WOODPROのスタッフもとても勉強になったようです。そして、説明、ご案内いただいた池上産業さんのスタッフの皆様にも入っていただいて記念撮影。池上産業の皆様、大変お世話になりました。ちょっと長い文章になってしまいましたが、研修ということでご容赦ください。もっともっと書きたいことはありますが、今日はこのくらいにしておきましょう。本日もご訪問、ありがとうございます。松永港貯木場
2012/01/22
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一泊二日だった社員旅行記が本日も続きます。旭川の上流、美作西部の拠点、真庭市勝山から始まった社員旅行ですが、泊まったのは美作東部、吉野川の上流にある美作市湯郷温泉。二日目はそこから吉野川沿いに下って備前市の閑谷学校。さらに下って、日本のエーゲ海と言われる牛窓へ。写真は、牛窓にあるホテルリマーニのレストランから撮ったものです。色にあふれたキラキラした世界をワイングラスの中に閉じ込めてみました。備前市からブルーラインを走って、牛窓に向かう途中、バスの窓から牡蠣筏の浮かぶ入り江の風景が見えました。牡蠣といえば広島が有名ですが、生産量日本一は広島。二番目が宮城県。三番目が岡山です。「森が海を育てる」という言葉を聞いたことはありませんか?豊かな海を育む成分は川から海にもたらされます。その川を遡ると、そこには豊かな森があります。ここで、社内旅行記の最初に投げかけた「水はどこから来るのか?」というテーマに戻ります。富山和子さんは、土=緑=水であると著書に書いています。豊かな森、豊かな水とは、すなわち豊かな「土」があればこそ。無機質な地表に豊かな土壌を作り出すためには、どれだけの歳月がかかるのでしょう?荒地に強い木々が生え、出来た日陰に別の木が生え、草が繁り、葉が落ち・・・。そんなことを繰り返して初めて、豊かな土が生まれ、「森」ができます。私達は、放っておけば豊かな森が出来るものだと思っていますが、実はそうではないようです。富山さんによれば、日本の森の多くが、日本人が積極的に関与することによって保たれてきたといいます。日本には、豊かな土壌があり、豊かな森があり、豊かな水があり、豊かな海があります。都市に暮らしていると、すべてがあたり前になってきます。蛇口をひねれば水がでて、スーパーに行けば品物があふれている。寒くても、暑くても、スイッチひとつで快適に過ごせる。でも、それが当たり前ではないことに気付くことが、人生そのものを豊かにするための第一歩だという気がします。
2010/12/28
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社員旅行記のつづきです。初日の宿は、岡山県の湯郷温泉。そこを後にして向かったのは、備前市の閑谷学校(しずたにがっこう)。名前からイメージすると、ただの古い学校かな、という感じですが、なかなかどうして立派なものです。1701年に建てられた講堂は国宝に指定されています。この学校は、岡山池田藩が江戸時代の前期に創った庶民のための学校です。通常、各藩には、藩士のための学校として「藩校」というのがありますが、ここは庶民のための学校であるところが特徴。開かれた学校であり、財政的にも池田藩とは切り離して運営されていたといいます。明治維新を機に始まった日本の躍進は世界史的にみても「奇跡」といえますが、その背景には、庶民のほとんどが読み書きができた、という教育レベルの高さにありました。現在の先進国を含む、世の中の多くの国では、下層階級の庶民に教育の機会を与えませんでした。なぜなら、教育は「自由」と「平等」を求め始める動機になることを支配階級の人たちが知っていたからです。下層階級、そして植民地の人々を「無教養」なままにしておくことこそが、保身のためには重要でした。が、日本はというと、支配階級である武家のお殿様自らが、こんなに立派な学校を建てていた。この一事を見ても、日本人の精神性は世界に誇るに足りると思いませか?国家の礎はまさに「教育」にあります。この黒光りする講堂に座り、論語の講義を聴けば、心に沁みてきそうですね。子曰く過ちて改めざる、是を過ちと謂う。(あやまちて あらためざる これをあやまちという )ここの売店で「あいうえお論語」200円を買いました。今でも、この講堂で論語の講義が行なわれることがあるようです。秋ともなると、孔子廟の前の楷の木が赤く染まり、黒光りする講堂の床に映って、それは美しいらしいのですが、付近は大渋滞で大変なようです。この時期は人も少なくて、ちょっと寒々としていますが、どんな季節でも、時を経た建物というのは実に堂々としていますね。。閑谷学校の見所のひとつに、屋根の瓦があります。講堂や孔子廟、門などの屋根には、すべて備前焼の瓦が使われています。一枚一枚色合いが微妙に違う屋根瓦の色合いは、スペイン瓦を連想しますね。そして、もうひとつの見所は、上部が丸くなった石垣。石工さんが手作業で丸く仕上げたんだと思いますが、ほんとにきれいに揃ってます。備前方面に行かれた際には、ぜひとも寄っておきたい場所ですね。
2010/12/27
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真庭バイオマスツアーのレポートが続いておりますが、本日は真庭市を代表する木材加工メーカー「銘建工業」の見学に絡めて書いてみたいと思います。まず、最初の写真は、この工場から出てくる木材の「鋸屑」を集める集塵機。この巨大な集塵機が3日ほどで一杯になるとのことなので驚きです。この会社は国内最大手の構造用集成材のメーカーです。集成材というのは、ラミナと呼ばれる板状の木を貼り合わせてできる、幅広の材料のことですが、テーブルなどに利用される「造作用集成材」と、建築物の柱、梁桁などに利用される「構造用集成材」とがあります。この工場では、後者の「構造用」を生産しています。この写真は、銘建工業の倉庫の写真ですが、太い構造用集成材が使われています。大型の木造建築物に使われる集成材を「大断面集成材」といい、最近では、学校などでも積極的に使われ始めました。今回の見学は、集成材を作る過程で出てくる「鋸屑」を利用した「ペレット」の生産でした。ペレットというのは、鋸屑に熱と圧力をかけて、錠剤サイズに固めたもので、主としてストーブの燃料として使用されます。ストーブといえば、「薪ストーブ」というものありますね。どちらも「バイオマス」を燃料にしたストーブですが、ペレットストーブの特徴は、燃料の投入を自動化できる点です。薪ストーブの場合は、人がタイミングを見計らって投入しなければならないので、手間もかかります。さて、薪の話がでたところで、森林資源のお話。森林破壊の原因にもいろいろありますが、電気の供給が行き届かない地域では「燃料」の用途で使われるケースが圧倒的に多いとのこと。地域の人口が増えれば、それに比例して「燃料」の消費量も増えます。それまでは周辺の木材の成長率と消費量がバランスしていたようですが、途上国の人口爆発がそのバランスを崩し、「根こそぎ」伐採にして燃料に変えざるを得なくなる。周辺に木がなくなれば、大地は乾燥し、砂漠化し始める・・・・・。黄河文明 インダス文明 メソポタミア文明などの古代文明が、あんなに乾燥した砂漠の中にあるのは、文明の結果としてそうなっただけで、実は、最初からそうではなかったようです。文明はエネルギーを消費します。結果として、周囲を禿山し、砂漠化を招きます。文明を育みつつ、森も守ってきたのは唯一日本だけ。と富山和子さんも書いています。木を切った分だけは、ちゃんと木を植えて守っていく、ということは日本人にとってはごくごく当たり前のことでした。里山とは、歴史にも残らないくらいの昔から、日本人がそうやって守ってきた暮らしの象徴ですね。水の豊かな日本の国土というのは、そうやって昔から守られてきたもの。天然資源の少ない日本の中で、先祖から贈られた最大の資源だということを知らないといけないですね。同じ薪を使っていても、今に残っている姿はぜんぜん違うのです。数年前に問題になった日本人の割り箸問題。この割り箸こそは、端材までしっかりと利用するための日本人の知恵の産物でした。それが単純に「機能」だけを重視して、安い中国産を使い始めたから問題だったのです。決して「割り箸」が悪いのではない。大事なのは、使う人の「意識」の方でしょう。今でも、吉野地方では、杉の端材や間伐材を利用して割り箸を作っています。これは、木材のハイレベルの利用方法であり、林業を営む方々の生活の糧でもあります。短絡的な「割り箸=環境破壊」論が間違いであることは明らかですね。日本人のDNAの中にある「もったいない」精神とか、自然を畏敬し、後世に残していくことを美徳とする気持ちが環境問題の最終的な答えのような気がします。
2010/12/24
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真庭バイオマスツアーの途中、旧遷喬尋常小学校に立ち寄りました。この小学校は映画のロケなどでも使われている学校で、立派な佇まいに姿勢を正したくなりますね。玄関の上の校章は高瀬舟をモチーフにしています。かつては、真庭市を流れる旭川に沢山の高瀬舟が往来していたのでしょう。明治40年の建築で、重要文化財に指定されています。1990年までは現役の小学校として使われていましたらしいのですが、昔のままの佇まいをしっかりと残しています。もともと、バイオマスツアーのコースには入っていませんでしたが、以前訪れたときにとても良かったので、私がリクエストしてコースに加えてもらいました。床は真庭で取れたひのきです。ひのきといえば白っぽい印象がありますが、使い込まれた床は黒光りして堂々としています。中でも立派なのは、玄関の上にある講堂です。折り上げ格天井になっており、格式としては最上級のものです。ざっと写真をまとめてみましたので、ご覧ください。この校舎で、何万人という児童が学び、遊んだことでしょうね。傷の一つ一つ、磨り減った階段・・・。木だからこそ、転んでも怪我しない。「こら!廊下を走るんじゃない!」という先生の声が聞こえてきそうですね。お近くに行かれた際には必見です。もっとゆっくりと見たかったのですが、これもバイオマスツアーの行程の関係で、ささっと急ぎ足となりました。
2010/12/22
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社員旅行に関するレポート第三弾です。本日は真庭市勝山の町並み保存地区についてです。と言っても、バイオマスツアーの中で、食事をした場所から真庭市役所まで少しゆっくり目に歩いて通っただけなので、じっくり見学したわけではありませんが・・・。真庭市は周辺の9町村が合併してできた市で、その中心が旧勝山町です。少し前のブログにも書きましたが、岡山から高瀬舟がここまで遡ってきて、美作の国西部の物資集積地として栄えてきたという歴史があります。旭川の東岸に位置し、雁木のあとなどもあるようですが、見逃しました。勝山は岡山県から「町並み保存地区」に指定されています。同じような指定に「重要伝統的建造物群保存地区」というのがあり、こちらは文部省の指定になります。勝山は、岡山県の指定する町並み保存地区ですが、バイオマスタウンなどに見られるように、地域を活性化しようという気持ちが町並みにも良く現れています。この町並みで一番印象的なのは「暖簾(のれん)」です。店舗はもちろん、普通の住宅でも暖簾をかけた家が多く、それを見て歩くだけでも結構楽しいものです。街のひとつの特徴として、住民の皆さんが掛けておられるものなのでしょう。「伝統的建造物群保存地区」や、町並み保存地区といった、昔の生活を偲ぶことができる町というのは、言い換えれば成長から取り残された街でもあります。かつては日本中が伝統的建造物であったわけで、それが戦災や、戦後復興から高度成長の際に、どんどんと新しい建物に変わりました。その中で変わらなかったというのは、その場所そのものが現代の産業構造の中では利用価値が少なかった、ということでしょう。発展から取り残されたがゆえに、昔の面影が残り、観光資源となっています。この勝山の町並みは、普通に普通の人たちが暮らしている町のようです。寒いこの時期などは、観光客よりも、そこで暮らしている人の方が明らかに多いですね。それでもなお、暖簾をかけ、訪れる人を迎えてくれる気持ちが嬉しいですね。「どうぞお入りください」という暖かい雰囲気が感じられます。バイオマスツアーのスケジュールの関係もあり、ゆっくりと散策できなかったのが残念でした。
2010/12/21
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社長、危ない!という感じで、カニのよう手を持つ大きなリフトが活躍中だったのは、真庭市の「バイオマス集積基地」。広い敷地に、市内から持ち込まれた「バイオマス」が集められています。バイオマスという言葉は最近テレビでも耳にすることが増えてきたように感じますが、「バイオ」とはバイオテクノロジーという言葉もあるように、「生物の」ということで、マスとはマスコミのマスで、「大量の」「総量」ということ。ということで、地上に薄く広く広がった生物由来のものすべてを指します。地上から「バイオマス」を取り去ると、そこにはきっと月や火星の表面のような世界が広がるのでしょう。草や木といった植物、人間や犬猫などの動物。それらはすべてバイオマスです。もちろん、残飯とか、腐った木とか、虫とか、ミミズとかもマイオマスの一部です。植物は光合成によって成長します。中学時代のおさらいになりますが、光のエネルギーを使って、植物の内部に生成されるのが炭素化合物。空気中の二酸化炭素の炭素を取り込んで化合物にして固定化し、あまった酸素を空気中に吐き出す活動によって植物は成長します。言いかえれば、光のエネルギーが「炭素化合物(有機物)」という形で植物の中に閉じ込められているとも言えます。動物は植物を食べ、それをエネルギーや体の組織に変えて生きています。ということで、生物由来のものすべてにはエネルギーが内在しています。そのエネルギーを総称してバイオマスエネルギーといいます。分かりやすく言えば、落ち葉を集めて焼き芋を作る。これもすなわちバイオエネルギーを利用したものです。これまで人類は、もっとも身近なエネルギー源として木材を利用してきました。薪を使って暖を取り、米を炊き、魚や肉を焼くというのが、化石燃料が登場するまでのごく普通の暮らしでした。では、なぜ最近わざわざ「バイオマス」という言葉を使うのかというと、使いやすい部分だけではなくて、これまで廃棄されてきた部分の有効活用や、あるいは石油の代替品として注目されているからです。山には倒木が放置されているし、製材所では使えない木の皮が大量に出てきます。少量ではただのゴミにしかなりませんが、これを集めると「資源化」することができます。この集積場に持ち込まれるものは、製材所から出てくる皮や側の部分。山から出てくる倒木や、枝、細すぎる間伐材など。それをチップにして、製紙工場に売ったり、ボイラーの燃料にしたりしています。といっても、ボランティアではなかなか物事は進みません。ここに倒木や不要な木材を持ち込むと、樹種によって1トンあたり3000円~5000円の現金がもらえます。この施設そのものは補助金や市の予算を投じて建設されたものですが、運営そのものは民間で行なっており、かろうじて赤字にはなっていないとのこと。箱を作ることよりも、やっぱり大事なのは事業を「運営」ですね。運営には「人」が必要になります。そこには雇用も生まれますし、雇用が生まれれば活気も生まれます。作って終わりの公共事業ではなく、永続的な仕事を地方に生み出すことが重要ですね。
2010/12/20
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上海ヒルズ(森ビル)の100階展望台から上海の街を見下ろすと、すべてが眼下に見えます。高さ492M。川が見えますが、これが黄浦江といい、上海の中心部を蛇行しながら流れています。ガイドさんによれば、揚子江沿いには山がほとんどないらしい。ひたすらどこまでも平原が広がります。遠くは霞の中にぼやけながら消えていますが、建物以外の起伏はまったく見えません。1時間あまり高速を走って蘇州に着きましたが、蘇州と上海の高低差は10Mもないといいます。中国は共産主義の国ですので、土地の個人所有は認められません。都市部の土地はすべて国のもの。農村部は「集団」のものです。上海に進出する企業は、まず、国から土地の使用権を買わねばなりません。国は外資に土地の使用権を販売し、外貨を獲得します。これが開発のための原資になります。上海バブルで土地が高騰すれば、地主である中国も潤い、基盤整備の資金も潤沢になってきます。現在、上海周辺では、国家の威信をかけて、2010年の上海万博に向けて更なる基盤整備が急ピッチで進められています。北京オリンピックの次は上海万博。街中を掘り返してそこらじゅうで地下鉄の工事中。北京-上海間 1318キロを結ぶ高速鉄道も工事中。万博会場もただ今急ピッチで建設中。取り壊し中かと思われるの古い住居群横断幕の意味は「黄浦江(上海を流れる川)の両岸開発。良好な環境を創造しよう!」といったところだろうか?(あくまでも漢字の字面から想像)中国は大きい。大集団であるがゆえに、先頭が早く走れば最後尾との距離はどんどん広がっていきます。「みんなが一緒に豊かになる」という共産主義の理念を捨てて、「豊かになれるものから先に豊かになる」という方針の大転換が行われたのは、とう小平の時代でした。確かに上海の富裕層は、日本の富裕層を凌駕するほどの金持ちになったようです。しかし、一方で、かつては無償であった医療や住む場所にもお金がかかり始め、共産主義ならではの社会保障制度がなくなったために、貧しい人はますます貧しくなっているといいます。上海の人口は約1850万人。そのうち上海に戸籍のない人が660万人。格差・環境破壊・外資依存・一党独裁・・・世界は未曾有の大不況に突入。いろんな矛盾を孕みながら、これからの中国はどう動いていくのでしょう。折角この時期に上海に研修旅行に行くことができたので、今後の中国の動向にも関心を持ちたいと思った次第です。
2009/02/03
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border="0">上海です。一番目の写真は、上海タワー周辺で、上海といえばコレといった風景。中ほど上に少し見える、青い縁取りのビルが森ビル(通商 上海ヒルズ)です。上海は、揚子江の河口に位置し、商業の中心として発展してきましたが、その歴史は意外の浅く、150年ほどしかありません。アヘン戦争で清が敗れて結ばれた南京条約で港として開港することになり、欧米列強の「租界」が形成され、アジア金融の中心となり、それから現在の発展につながります。丁度日本が「日米修好通商条約」の結果、横浜などを開港し、その港がその後発展したのと似ています。二枚目の写真は、開港から第二次世界大戦以前にできた「租界」時代の面影を残す古い西洋建物群。レトロな雰囲気が漂っています3枚目の写真は、中華人民共和国の国旗と夜景。中国は一党独裁の国です。共産党を批判することは基本的にタブーです。日本では、自民党と民主党で政権争いをしていますが、中国ではありえません。上海は、共産党の強大な権力のもと、外資によって作られた都市です。この華やかな夜景も、なんだか薄っぺらなハリボテのように見えないこともありません。-------------------------------------------------------------------------------------社員研修旅行で上海に行ってきました。このご時勢に海外とは、なんとも豪勢な、と思われるかもしれませんが、「社員旅行で海外に行けるチャンスも、今年限りかもしれん」という社長の気持ちもあり、「北陸派」と「上海派」に社内を二分する争いとなりましたが、決選投票の結果、「上海派」が勝利し、海外社員旅行が実現しました。異文化に触れることで、日本の良さも再確認できてよかったです。なにしろ金融危機からの不景気風はいつやむとも知れず、来年度の社員旅行はつつましく山陰の温泉なんてのもいいかと思ったりしてます。
2009/02/01
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