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少し前のことになりますが、10月12日に、岡山シティミュージアムまで、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」を見に行ってきました。教科書にも必ず載っている有名な作品ですね。といっても、実は、これ、キャノンのプリンターで出力されたもの。展示会も「国宝名宝!?展」となっているように、本物ではありません。すべて、キャノンの最先端の撮影技術と、印刷技術を使って、実物大に複製されたものです。例えば、風神雷神図屏風の場合は、168コマに分けて高精細カメラで撮影して、それを合成して、細部まで再現してあります。ただ、金箔部分については、印刷による再現が困難であるため、実際に熟練した職人の方が金箔を貼って完成させています。本物を見たことがないので比較はできませんが、再現度の高さは素晴らしいです。実はこの展示会は、風神雷神図ファンのうちの奥様が見つけて来たもの。2015年に京都博物館で「琳派 京を彩る」という展示会で、俵屋宗達・尾形光琳・坂井抱一の描いた風神雷神図を見る機会がありました。その際のブログが、こちら。⇒「琳派 京を彩る」 風神雷神図屏風を見る残念ながら、この時は、俵屋宗達の作品だけが展示期間が終わっていて見ることができませんでした。ということで、見つけたのが今回の展示会。美術系ユーチューバーが「複写とはいえ、素晴らしい再現度で、近寄ってみることができるのがいい」という評価。神戸に行く途中に立ち寄ることになった次第です。風神雷神図のほかにも、加納永徳「唐獅子図屏風」(本物は皇居三の丸尚蔵館)曽我蕭白「雲龍図」(ボストン美術館)尾形光琳 「群鶴図屏風」伊藤若冲 「樹花鳥獣図屏風」(静岡県立美術館)などなど、名品を近くで鑑賞できました。興味のあるかたは、こちらをご参照ください。⇒Canon 綴プロジェクト残念ながら、この展示会は、10月20日に終わってしまいました・・・・。
2024/10/21
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9月16日 敬老の日 に、広島県廿日市市吉和にある「ウッドワン美術館」の「造形作家 玉田多紀 ダンボール物語」展を見てきました。9月23日までの展示なので、この週末の三連休で終わりですね。興味のあるかたは是非、ということで、簡単にご紹介します。この展示会場の中は、撮影OKとなっています。作品の素材は、すべて「廃段ボール」です。段ボールの素材を分解して、かなりリアルに表現してあります。近くに寄ってみると、段ボールであった痕跡も分かりますね。AMAZONの文字も見えます。毛も見事に表現されたオランウータン。こういった毛の部分は、段ボールの表面の紙をはがして、こよりのようにして表現してあります。お尻だけ。頭だけ。蓮太郎という、ちょっとホラーな感じのキャラクター。作者の子育ての体験から生まれたものだとか。アートですね。廃段ボールを素材に、ここまで見事にリアルな表現をしているというのは、子供たちにとってもとても新鮮な驚きなのでしょうね。最後には、子供たちが段ボールを使って何かを作るというワークショップ的コーナーもあります。ということで、興味のあるかたはぜひどうぞ。美術館の中庭には、ウッドワンの前代表である中本利夫氏の業績を顕彰するための記念碑が立っています。デザインは、深澤直人氏。顕彰碑の碑文の書は、岸田総理です。総合建材メーカーであるウッドワン(旧 住建産業)は、吉和の地から始まりました。実は、私の父もウッドワンの工場まで定年まで働いたOBです。OB証があれば、美術館の入館料は無料。その家族は、500円。ということで、今回は父親もつれていきました。いつもは、やさいばかりを相手にしているので、たまにはアートに触れるのもいいでしょう。
2024/09/20
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現在、ひろしま美術館で開催中の「フィンランドのライフスタイル展」に行ってきました。人気の北欧のインテリアスタイルですが、「IKEA」をイメージされる方も多いでしょうね。私もその一人です。イメージとしては、シンプルで、カラフルで、機能的で、リーズナブルな感じ。まあ、その程度です。カラフルな丸椅子。シンプルでありつつ、スタイリッシュ。北欧の冬は寒く、長く、暗いので、自然と家の中にいる時間が長くなり、家での暮らしを快適にするために進化してきた、とのこと。余計な装飾はなく、使いやすく、しっくりとなじむ機能的なデザインが多いですね。家具も極めてシンプル。ナチュラルな木質感も北欧インテリアの特徴ですが、「無垢の木」を前面に出すよりも、積層した材料を曲げて椅子の足にしたり、アームにしたりしているものが多いですね。その方が、無垢のまま使うよりも、材積に対する強度がアップして、すっきりと見えます。北欧らしい椅子ですが、足部分やアーム部分、背もたれの部分には、曲がった方にはめて薄い板を張り合わせた積層材が使われています。無垢材で作れば「曲木」という手法になるのでしょうが、それを「積層材」にすることで、量産でき、コストダウンも可能になります。北欧のインテリアは、家具の工業化にも大きく寄与しているんでしょうね。だからこそ、「家具職人」以上に、デザイナーが大切になってくるようにも思います。虫の行列のようにも見えて、なんだかおもしろいです。極めてシンプルな陶器の食器。シンプルな中に、均整の取れたデザインを感じますね。「欅か!」と日本人なら思ってしまう木目。色合いのせいもありますが、これはまさしく「欅」柄。実はこれも薄い板を曲げて積層して、それをスライスして作り出した模様です。伝統的な木工技術だけでなく、こういった新しい技術を使ったデザインのアイディアが豊富なのも、北欧インテリアの特徴ですね。こちら、陶器で作られたオブジェ。花の少ない季節が長いからでしょうか。ビーズで作った鳥のオブジェ。実用性に富んだ北欧インテリアですが、よくわからないオブジェもありますね。カラフルなファブリックのデザイン。丸座にリノリウムを使用してます。東洋リノニュームのイメージが強く、クッションフロアのことかと思ったら、リノリウムは、19世紀にイギリスで生まれた、アマニ油、石灰などの天然素材から作られた、耐朽性の高い素材だとか。クッションフロアーなどは、リノリウムの代替品なんですね。カラフルなビン。キューブ型のガラスのオブジェ。北欧のデザインがお好きな方は、ぜひ!6月2日までの開催です。さて、「ひろしま美術館」ですが、常設でも、印象派の作品がたくさんあって、見ごたえあります。印象はが好きな方は必見ですね。ゴッホ。「ドービニーの庭」
2024/05/20
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2024年12月23日(土)、広島グリーンアリーナで行われた浜田省吾のコンサートに行ってきました。「SHOGO HAMADA ON THE ROAD 2023 YOUTH IN THE JUKE BOX」と名付けられたそのツアーは、1986年までの楽曲だけで構成され、「青春のジュークボックス」がコンセプト。私のような初期からのファンにとっては、とってもありがたいセットリストでした。ここから、非常に私的な話になりますので、興味のないほとんどのかたはスルーください。私が浜田省吾を知ったのは、彼がデビューアルバムを発売した1976年。多感な中学2年14歳の時、友人のお兄さんから回ってきた「生まれたところを遠く離れて」というデビューアルバムをダビングしたカセット聞いて衝撃を受け、一気にファンになりました。ただ、地元広島でも、彼はマイナーな存在で、同級生にも彼のファンはカセットを借りたその友人くらいしかいませんでした。高校2年の時に行ったコンサートでは、コンサートの3日前にチケットを購入しても、前から9番目。浜田省吾本人が「広島-ヤクルト戦」の観客席みたい、と自虐的なことを言って笑いをさそう、という状態でした。それが、1978年ころ。私が高校3年生の時、浜田省吾ファンの友人と、ギター部であった弟たちとバンドを組んで高校の文化祭のステージに参加。浜田省吾の曲を3曲ほど歌いました。当時は、浜田省吾の曲を演奏するようなグループは絶無です。浜田省吾の人気がぐっと出始めて、コンサートチケットも手に入りにくくなったのは、1980年代に入ってから。ちょうど私が大学に入学したころです。コンサートツアーの名前を「ON THE ROAD」とした1982年くらいからです。私は大学2年。彼の大躍進が始まります。1982年に武道館でのコンサート。今では、ちょっと売れれば武道館でコンサートをしていますが、当時は、武道館でコンサートすることは「一流アーチスト」の証でもありました。1983年にはホリプロから独立し「ROAD & SKY」という個人事務所を設立。年間100本以上のコンサートをこなし、精力的にライブ活動を行い、ついに、1986年、2枚組アルバム「JBOY」で、オリコンのアルバムチャート1位を獲得しました。ということで、今回のコンサートは、デビューから「JBOY」までの曲で構成された、まさしく「青春のジュークボックス」です。なんと、すでに還暦を過ぎた私が、中学、高校、大学、そして、就職して上京したころに聞いていた曲なんですね。当然のことながら、コンサート会場は、おじさん、おばさんでいっぱい。すでに70を超えた、白髪のミュージシャンと、人生の苦楽を経験してきた初老のファンが、手を振り上げて盛り上がる姿というのは、ちょっとした感動ものです。青春を取り戻した瞬間ですね。私は、前から9列目の席でしたが、左には、指パッチンをしながらリズムをとるおじさん。右には、「かっこいい。やばい。」と言いながら、一緒に歌うおばさんに挟まれて、少々気が散る部分がありましたが、つかの間の「非日常」を楽しんでいるのだから、ということで、OKです。それにしても、浜田省吾は、70を超えても、声も出てるし、動きも軽やか。大画面にアップになったときは、皺も気になったりするものの、若いですね。私もまだまだ老け込でいる場合じゃないな、と思った次第です。
2023/12/27
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本日は、先週の土曜日に行った「古材エジプト美術館展」のご報告です。場所は広島県東広島市にある「東広島市立美術館」で、東広島駅のすぐそばにあります。大きな美術館ではありませんが、新しくてきれいですね。そこで11月26日まで開催されているのが、「古代エジプト美術館展」。「古代エジプト美術館」は、渋谷にある美術館で、その収蔵品を見ることができます。うれしいことに、館内は一部を除いて撮影可。ということで、写真も交えながらご案内します。入館してすぐに、比較的細かな古代エジプトの発掘品が展示されています。そのためか、皆さん、ひとつずつ説明を読みながらじっくり見ていくため、行列ができたりしています。古代エジプト文明といえば、紀元前3500年から、クレオパトラのいた紀元前30年ころまで、なんと、3500年も続きました。3000年も前に、この精緻な工芸品が作られていたのですから、驚きですね。こちら、トキの顔をした神様のトト神のフィギア。こちらは、ライオン。こちらは、コブラ。こちら、魚さらに、ふんころがし。ふんころがしは、きれいな丸い糞を作るので、太陽との関連が想像され、神の化身とされたらしい。こちら、なんと、ハヤブサのミイラ。ということで、エジプトは神様も、頭がトキであったり、猫であったり、ワニであったり、動物の化身が多いですね。びっくりするのは、紀元前にして、このリアルな顔の像。日本の埴輪と比べると、相当写実的です。こちら、神殿の柱の輪切り。化粧用のパレット。レリーフ。首飾り。装飾品もかなり手が込んでいて、きれいです。こちらは、ミイラにする前に抜いた内臓を入れておく壺だとか・・・。こちら、ミイラを入れておく棺。下にミラーがセットしてあって、裏側も見ることができますが、色もきれいに残っていて、すごいです。思った以上に、古代エジプト時代のものがたくさんあって、とても興味深い展示でした。興味のあるかたはぜひ、どうぞ。⇒東広島市立美術館 「古材エジプト美術館展」 11月26日まで
2023/11/14
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去年の12月26日(月)のことですが、会社を早退させてもらって、浜田省吾のコンサートに行ってきました。日曜日のファンクラブ先行予約が落選し、第二希望の月曜日となった次第です。ということで、まったくもって興味のない方は、スルーください。前回のツアーが2016年だったということで、6年ぶりのツアーだとか。ただ、その間に、ファンクラブだけのコンサートツアーが2017年、2018年、2019年と行われていて、実際に私が見たコンサートの最後は、2019年でした。ファンクラブ限定コンサートツアーでは、ここのところ、「70年代に発表した曲限定」「80年代前半に発表した曲限定」のコンサートが行われていて、昔からのファンとしては、至福のコンサートとなっていたのですが、2020年に予定されていた「80年代後半に発表された曲限定」のコンサートは、新型コロナのパンデミックで中止されたまま、2022年の1月に、武道館でチャリティコンサートが行われています。そのコンサートは、1982年に初めて武道館でコンサートを行った時と全く同じセットリスト、という、初期からのファン垂涎のコンサートですが、わずか二日だけのコンサートで、チケットを手に入れることすら大変でした。そして、今回のコンサートツアーになりました。浜田省吾も今年70才。昔であれば、完全なジジイですが、小田和正(75才)矢沢永吉(72才)さだまさし(70才)と、まだまだ完全現役のミュージシャンがいっぱいですね。そういえば、中島みゆきも70才で、ユーミンも68才。高齢化社会の日本を象徴しているようにも思いますが、「現役年齢」が広がっていることも実感しますね。そして、そのコンサート会場入り口にあったのは、こちらのコンサート告知看板。手前から、●ドゥービー・ブラザーズ 1971年デビュー●ディープ・パープル 1968年デビュー●ジャクソン・ブラウン 1972年デビューが、なんと、広島までやってきてコンサートを行うようです。いずれも、かつて、一世を風靡した人気アーチストですね。おそらく、みんな、70歳代だと思われます。今回のコンサートの個人的な感想を少し。・1980年代までの曲が少なく、選曲は残念だった。・なぜか、若い人が増えたような気がする。・新型コロナで中止になる可能性も想定してか、セットは極めてシンプル。来年は、アリーナツアーも行うという宣言もあり、まだまだ引退はなさそうです。少子高齢化という大きな問題はありますが、逆に、高齢になっても元気に、アクティブに社会と関わっていく時代でもあります。ただ、第一線でストレスの真っ只中にい続けるのもつらい。ちょっと楽なポジションで、第二の人生をアクティブに生きる。それが、元気で長生きの秘訣かもしれませんね。浜田省吾に関する、拙ブログの過去記事⇒2005/10/30 浜田省吾のコンサートに行く。⇒2005/10/31 浜田省吾のコンサートで思う。⇒2011/05/17 浜田省吾を考えてみる ⇒2016/01/06 浜田省吾 ON THE ROAD 2015 に行く⇒2016/10/24 浜田省吾コンサートin大阪城ホールに行く、お伴をする⇒2016/12/27 浜田省吾 ON THE ROAD 2017 の思う ⇒2018/12/05 浜田省吾 「100%fan fun fan 2018」に思う⇒2019/11/20 浜田省吾 「100%fan fun fan 2019」に思う
2023/01/06
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本日は、10月4日のブログでご紹介した「はしもとみお 木彫展」の続きです。実は、この企画展には、たくさんのWOODPRO商品を使っていただいてます。前回のブログでは、あえてそれを外したところで記事にしたのですが、今回は、WOODPROの商品にからんだところを主にご紹介いたします。まずは、冒頭の写真。のそりのそりと歩いてくる、ちょっと小太りでふてぶてしい感じの猫ちゃん。足元のステップは足場板古材の木っ端ですね。波釘も見えます。続いてこちらは、「足場板モバイル屋台」WOODPRO 杉足場板専門店で販売している商品ですね。【WOODPRO SHOP】にあったものこちらに持ち込んだものだと思われます。こちらにも、猫ちゃんがゆったりとくつろいでます。内部にも猫ちゃんが隠れてます。そして、その隅っこにはなんとツチノコらしき生き物。こちら、「◇国産杉 つんどくボックス」が積まれずに壁面に固定してあります。軽量なものを置くだけなら、背板にビス打ちして壁面と固定することもできますね。こちらは、可愛らしいわんちゃんたちが置かれていて、可愛らしいです。ブレーメンの音楽隊を思わせる、多重動物。OLD ASHIBA(杉足場板古材)の上を歩く、ペンギンたち。小さなサイズの動物の木彫が、OLD ASHIBA(杉足場板古材)の上に並んでいます。サイズは小さくても、質感のリアルさは変わりません。作品の木彫は販売されていませんが、「ましもとみお」さんの木彫をもとにした樹脂製のミニフィギアのガチャが並んでいて、記念品としてもいいですね。実際に動物園や水族館で売られているもののようです。ガチャ 1回 500円。本当は「カメ」を狙っていたのですが、4回チャレンジして、ペンギン 2、コツメカワウソ 1、イルカ 1 でした。家に持って帰って、さっそく、「味のある桟木」で作ったフレームの上に置いてみました。記念品売り場では、「足場板のアップサイクルに取り組まれています。今回、ご協力いただきました」ということで、ご紹介もいただき、ありがとうございます。10月23日までで、残る展示期間も2週間になってきました。皆様、お見逃しのないよう。おすすめですよ。
2022/10/06
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本日は、はつかいち市民ギャラリーで行われている、「はしもとみお 木彫展」をご紹介します。8月20日~10月23日までの開催なので、会期も残り少ないので、興味のある方はお急ぎを。⇒はしもとみお 木彫展 IN はつかいち私は10月2日(日)に行ってきたのですが、その日はちょうど、隣接する「廿日市文化ホールさくらぴあ」で、谷村新司のコンサートも行われていていました。正直なところ、はしもとみおさんのことはほとんど知らずに行ってきたのですが、想像の10倍以上に見ごたえがありました。はつかいち美術ギャラリーは、廿日市市役所内にあるギャラリーで、少々ローカルではありますが、駐車場も無料だし、動物好きの方や、お子様連れの方にはとってもおすすめです。展示室は三つに分かれていて、最初の部屋に入ると、明るい感じで動物たちがお出迎えしてくれます。「木彫展」なので、当然すべて木彫りなのですが、素晴らしいのは、あまりにリアルな質感と動物たちの表情ですね。中でも一番すごいと思ったのは、こちら。時に、べたっと平たく寝ころんだ、ちょっと肥満気味な猫です。なんとも言えない毛の柔らかな質感も感じられ、とても木彫りとは思えないほど。さらにぐっと近づくと、確かに、ノミや彫刻刀の後がしっかりと残っています。すごいなあ、と感嘆。展示してある木彫の中には「触ってOK」というものも多く、木の優しい質感と、木彫りの凹凸感を感じることもできます。二つ目の部屋には少し照明が落としてあり、大きなくまさんが鎮座。その周辺や前にいろんな動物たちが並んでいます。とってもやさしい表情のくまさん。名前は「シュウくん」。この「シュウくん」の製作の様子を、ビデオで見ることができます。大きな木の塊にざっくりと荒いイメージを描き、それをチェーンソーでそぎ落としながら形を整えていきます。そこからノミで形を彫り出していくいくのですが、見ていて飽きません。2017年4月から、2018年の5月までの製作期間とのことなので、一年以上かけて作られているんですね。そのシュウくんの顔面アップ。一本一本のノミの跡が、この質感と表情を生み出していることが分かります。足の間に置かれたリンゴ。人気者のシュウくんには、いろんな動物たちがくっついてくつろいでいます。テントウムシもいて、なかなか素敵な遊び心ですね。小さな子供がテントウムシも発見して、声をあげながら喜んでました。森の長老。亀とくだもの。イグアナ。お茶目なチンパンジー。とにかく、一つ一つの動物たちの生き生きとした表情に魅了されますね。猫好き、犬好き、動物好きはもちろん、そうでなくてもとっても見ごたえのある展示となっていますので、絶対おすすめです。
2022/10/04
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5月29日の日曜日、広島県安芸郡熊野町にある「筆の里工房」で開催中の「野村重存の楽しいスケッチ画展」に行ってきました。「野村重存」といってもピンとこない方が多いかもしれませんが、「プレバト!」というTBSの番組で、水彩画を担当している先生です。ということで、名前よりも「顔」の方が売れているからか、ポスターにも大きく顔が入ってます。展示室内は撮影禁止なので、写真はありませんが、やっぱりその道の第一人者とされる人というのは、すごいなあ、という印象です。ということで、入り口の様子。12時ころにいったん混雑が緩和しましたが、会場に入るために行列ができる盛況ぶりでした。思わず感嘆するような精緻な作品や、「プレバト!」の中で、神手本と言われた作品も多数展示されていて、楽しいです。「筆の里工房」のある安芸郡熊野町は、広島市と呉市と東広島市の中間あたりの山間部にある田舎町です。有吉弘行の出身地ですが、筆作りが最大にして唯一の産業ともいえる町。町の中心施設が「筆の里工房」になります。前回ここを訪れたのは、広島県内が水害で大きな被害を受けた2018年。熊野町でも、犠牲者が出るくらいの被害を受けた直後でした。その際のブログがこちら。⇒広島県熊野町「筆の里工房」に「筆が奏でる琳派の美展」を見に行く⇒熊野町 土砂崩れ中で残ったゆるぎ観音~榊山神社熊野町は「筆の町」として有名です。なんと、日本で作られる筆の80%はこの周辺で作られているようです。筆の里工房では、筆に関わる歴史を紹介しています。伝統工芸士の方が、実際に筆作りを実演しながら作り方を説明してくれたりもします。書道の筆ももちろんですが、熊野町が有名になったのは「化粧筆」。世界の有力ブランドの化粧筆のほとんどは熊野町の工房で作られています。また、筆の里工房に行ったことがない、という方はこの機会にぜひどうぞ。水彩画というのは、小学校から美術の時間に書いたりしてなじみもあるので、見てるとついつい「書きたく」なります。ということで、今回も本を買ってしまいました。一番下が、かれこれ10年前に買ったと思われる「水彩スケッチの教科書」という本。これは、偶然、野村重存さんの書いた本でしたが、当時は全く知りませんでした。しかし、その後、絵を描くこともなく、さらに今回、2冊も本をかってしまいました。最新の本には、なんと、QRコードで、書き方の説明動画を見ることができます。これは分かりやすいですね。老後に備えて、そろそろ趣味を広げようかなどと思っておりますが、どうでしょうか?
2022/05/30
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月曜日、火曜日と、平和公園がらみの記事をアップしておりますが、一番の目的は、旧日本銀行広島支店で行われている「1976-1978 基町 写真展」を見ることでした。たまたまネットで見つけて、気になったので行ってみた、というところです。写真展の会場となった「旧日本銀行広島支店」は、いわゆる被爆建物です。この写真は、広島市中心部、紙屋町から平和大通りに向かう途中の陸橋の上から撮った写真ですが、左側にある石作りの3階建ての建物がそれです。原爆投下の際も残った希少な建物ですが、今はイベントや展示に利用されています。「1976-1978 基町写真展」は、全日本学生写真連盟という大学生のグループが、「原爆スラム」撤去の直前に撮影した写真を展示したものです。当時大学生の方々なので、今では70才くらいの皆さんだと思いますが、昔の写真を整理している中で「基町」の写真を見つけ、今回、広島で写真展をしようということになったようです。会場には、その時実際に基町で撮影をした方も来ておられましたが、「全国学生連盟」なので、広島の方ではありません。写真そのものは撮影不可なので、会場の様子を撮らせてもらいました。なにしろ、150人の学生が撮影に行ったということなので、写真の数も膨大とのことでしたが、今回の展示は、その中からほんの一部。「基町」と言っても、広島の方でないとピンとこないかもしれません。あるいは、広島の人でも、若い人はピンとこないかもしれませんが、広島城に隣接する「原爆スラム」と言われたバラックの立ち並ぶエリアです。原爆が投下され、町が破壊され、住む場所を失った人たちがバラックを立てて住み始めた場所が基町でした。基町は陸軍第五師団の本部があり、広島城周辺は軍用地であったため、原爆投下後も、比較的すぐに住みやすい「空き地」であったことが不法占拠された理由です。瓦礫を片付けなくても家をバラックを立てることができた、ということですね。その広大な軍用地だった場所に、家を失った人たちが住み始めてできたのが「原爆スラム」です。私が小学生であったころ、広島の中心部に電車で出かけると、電車の車窓から、川にはみ出さんばかりのバラックが並んでいたのが印象的でした。原爆の投下と廃墟となった町。そこに残された人の、生きる手段の一つが空き地にバラックを立てて住むという行為で、広島にとっては、戦争の傷跡ともいうべき場所が「原爆スラム」でした。「戦後」をそのまま残した場所が、基町スラムであったともいえます。そこに暮らしておられた方には「スラム」という呼び方は失礼かもしれません。不法占拠であったかもしれませんが、そこにはちゃんとした自治もあり、日本人らしい暮らしがあったようです。「仁義なき戦い 広島死闘編」では、北大路欣也扮するやくざが最後に逃げ込んだのが、基町のバラックでした。「夕凪の街 桜の国」という映画があって、その中に出てくる川沿いの桜の風景があるんですが、それも確か、基町のバラックで、ヒロインが住んでいたのが基町です。⇒映画「夕凪の街 桜の国」を見ました。(2008年6月)現在では、原爆スラムのあった場所に、高層アパートが立ち、大きな公園ができ、アリーナができたり、図書館ができたりして、まったくその面影はありません。そして、これから、サンフレッチェ広島の新しい本拠地として、サッカースタジアムが立つことになっています。広島城と、基町高層アパート群。
2022/03/30
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11月14日の日曜日に、「バンクシー展」を見に行ったということはブログにも書きましたが、実は、その後、広島県立美術館で開催中の「古伊万里展」も見てきました。大人気、チケット完売のバンクシー展に対して、「古伊万里展」は少々寂しい感じで、駐車場もガラガラでした。何を隠そう、私自身が、妻に誘われてきた、という状況です。ただ、行ってみると、知らないことも多くて、とても勉強になり、目の保養にもなりました。興味のある方は、ゆっくり見ることができるので、おすすめ。最近の美術館は、限定的ながら「撮影OK」というところが増えてきて、いいですね。SNSでの拡散狙い、といったところでしょうか。さて、その「古伊万里」ですが、私も「なんでも鑑定団」で名前を知っている程度で、正直まったくの無知でした。ただ、古伊万里のイメージということ、この写真のようなきらびやかな感じですね。私のように「古伊万里」についてよくわからないという方もあるので、少し整理してみます。・伊万里焼は「磁器」で、陶器よりも固く、白く、装飾性に優れ、技術的に難しいことから、ヨーロッパでは作ることができず、産地としては中国の「景徳鎮」が有名。・「磁器」の技術が日本に持ち込まれたのは、秀吉の朝鮮出兵(1592-1598)の際に、鍋島藩(現在の佐賀)の藩主が朝鮮から陶工を連れてきたことに始まる。・1610年代に磁器に適した土が発見され、有田で「磁器」の製作が始まったとされる。初期の作品も展示してありましたが、見た目にも素朴で、陶器の延長といった感じでした。初期は結構地味な感じでしたが、そこからの技術の進歩が素晴らしいです。これは日本人の職人的な探求心のなせる業かと思いますが、1640年代になると色彩も鮮やかになり、「輸出」も始まります。「伊万里焼」というのは、有田周辺で焼かれた磁器が、伊万里港から積み出されたことで「伊万里焼」と呼ばれるようになったもの。ヨーロッパには磁器を作る技術なかったことから、王侯貴族らはこぞって中国から磁器を輸入していました。折しも、中国では、朱元璋の作った明が衰退し、満州から起こった清への移行期で混乱したため、磁器の生産も減少。そこで、中国磁器の代替品とされたのが、「伊万里焼」だったというわけです。当時日本でつくられた磁器が大量に海を渡りました。そのため、ヨーロッパのニーズにこたえる形で、デザインも西洋化されたものが多々あります。その後、清朝が落ち着いてくると、中国からの輸出が増え、伊万里からの輸出は減ってきたようですが、その後も技術は洗練、進化していきました。ドイツの有名な磁器であるマイセンは、伊万里焼の影響も受けつつ、18世紀初頭に磁器生産に成功し、その後は、ヨーロッパ自前の磁器の時代に入ってきます。ということで、こちらは、広島県立美術館で、12月5日までの開催です。
2021/11/19
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14日の日曜日、ひろしま美術館で開催中の「バンクシー展」に行ってきました。大人気の展覧会ということで、基本的には予約制で、余裕があれば当日券も販売するというスタイル。「行ってみたいね」くらいの気持ちでしたが、うちの奥様がネットで調べると、どうも当日では入れない可能性が高かったり、相当待たされそう、ということで、すぐに予約。それが、14日(日)のオープン直後の9時でした。混雑を予測して、30分くらい前についたのですが、すでに「当日券完売」。予約しておいてよかった!と実感。早めに行ったこともあって、並んだ順番も前から2組目。ほぼ先頭を切って入館したので、前に人が詰まることもなく、ゆっくり見れました。バンクシーと言えば、私も名前くらいは知っていて、代表作のいくつかは分かりますが、深く知っているわけではありません。バンクシー自身は「正体不明の謎の人」なので、彼からの直接のメッセージや解説があるわけではなく、内容はある意味「客観的」な考察となっています。バンクシーのアトリエを想像で模したものも展示されています。ちなみに、会場内は「撮影OK」です。会場に入るとすぐに、にっこりと笑うレンジャーがお出迎え。会場唯一の記念撮影場所。私は2組目でしたが、きっと、ここで相当並ぶのでしょうね。ということで、私。もちろんレプリカだと思いますが、たくさんの作品が展示されています。有名な作品を数点知っていただけ、という私にとっては、その作品の幅広さや表現方法に驚きました。「すみません、そのライフスタイルは売り切れです」といった感じ。ライフスタイルという、本来無形のものが「売り切れ」ということで、現代の物質消費文明をパロっているということでしょうか。もともと、バンクシーは「落書き」アーチストなので、作品の多くは違法に街中の壁などに書かれたものですが、こちらも代表作。もし、落書きがどんなものでも変えるなら、それは違法になるだろう という感じでしょうか。もともと落書きは違法なのでしょうが、落書きに内容が「力」を持ってしまうと、権力によって取り締まられるというメッセージ。バンクシー作品にしばしば登場する「ネズミ」は彼自身だとか。にこやかな悪魔に笑顔で泣き叫ぶ子供を連れ去る、ミッキーとマックのピエロ。やっぱり、一番怖いのは、笑顔の下の悪魔ですよね。世の中には、表面はきれいに装飾されていても、中身はどす黒い醜悪なものが隠れていたりするものが多いです。作品についてとやかく言うには、私の見識が不足していますので、この辺にしておいて、もし、予約が可能な方は、ぜひどうぞ!どうも、思想的に右とか、左とか、そういった話ではなくて、世の中に満ちている「矛盾」を彼なりの視点で痛烈に風刺して表現しているんだなあ、と思いました。ダンボールにステンシルで書かれた絵ですが、怖いです。ということで、私の理解が追い付かないので、珍しく図録も買って帰りました。
2021/11/15
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少し前になりますが、10月3日に、広島県三次市にある「奥田元宋・小由女美術館」に「ホキ美術館名品展」を見に行ってきました。「ホキ美術館」というのも知りませんでしたが、千葉市にある写実絵画を集めた美術館です。館内撮影禁止ですので、買って帰った絵葉書で失礼します。「写実主義絵画」というのは、リアリティを追求して、細部まで繊細に描いた絵画で、ありきたりの表現をすれば「写真」に近い印象ではあります。写真でさえ、同じ風景を撮っても、撮る人によって変わってきますが、絵画となればなおさら、作者のフィルターを通して投影されたリアリティというのは、「意思」を反映してきます。二次元の表現ではありますが、そのに「重み」が感じられるから不思議ですね。私のような素人には、ピカソ的な抽象絵画よりはかなり分かりやすく、感銘を受けやすいです。「奥田元宋 小由女美術館」は、三次市出身の日本画の巨匠 奥田元宋と、その奥様でありう小由女さんの作品を収蔵する美術館です。奥田元宋は、紅葉した山と、そこに浮かぶ月を描いた作品を多く描いたからだと思うのですが、美術館の中央に、月を見るための水場が設けられていて、満月の夜には観月会が模様されます。この日は当然昼なので、月は出ていません。チラシの裏面。読みにくいと思いますので、こちらをご参照ください。⇒ホキ美術館名品展11月3日までの開催ですので、ドライブがてらいかがでしょうか?そばには、産直市場や、公園もあって、お子様連れでも楽しめます。
2021/10/13
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シルバーウィーク前半の三連休の最終日は、父の故郷の廿日市市吉和にお墓参り。その際、ふと、「そういえば、ウッドワン美術館で、丸シールアート展をやってたな」ということを思い出し、行ってみることにしました。冒頭の写真は、新宿副都心ですね。なんと、廿日市市吉和のウッドワン美術館での展示は、9月26日が最終日なので、見たい方はお急ぎを!丸シールアートの「大村雪乃展」部分は、すべて写真okとなっています。「丸シールアート」は、先日、全国版のテレビでも紹介していましたが、市販の丸シールを貼って作るアートです。こちら、おなじみの道頓堀の風景。近づいてみると、すべて大小の丸シールで作られていることが分かります。丸シールで描く、点描ですので、色も鮮やか。ポスターにもなっている、おなじみ、函館の夜景。日本三大夜景の一つですね。「ウッドワン美術館」は、その名の通り、木質建材メーカー「ウッドワン」が運営する美術館で、こじんまり美術館ですが、結構変わった企画展を行っていて、以前は、「小松美羽展」もありました。⇒小松美羽展-ウッドワン美術館 を見に行きました。ウッドワンの社員&OBは、入館無料。その同伴者は、500円で入れる、ということで、ウッドワンOBである父を連れ出して、500円で入館しました。野良仕事の途中で連れ出したので、ちょっと美術館にはふさわしくない服装ですが・・・・。現在86才です。ちょっと離れてみると、とても丸シールで描かれたとは思えないですね。最後に、自分でシールを貼って参加するイベントも開催中。一人1枚でお願いします。何しろ、市販の丸シールでこれだけの作品が作れるとはすごいですね。
2021/09/21
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11月1日(日)に、尾道美術館で開催中の「山本二三展」を見に行きました。正確に言えば、尾道に行ったついでに、面白そうだから入ってみた、というほうが正しいですね。山本二三といっても、おそらく知らない人が多いと思います。私もその一人でしたが、この人は、宮崎駿監督や、高畑勲監督といった、アニメ界の巨匠のものとで、背景画を担当した人です。「背景画」を変えたともいわれる、レジェンドのようです。確かに、日本のアニメにクオリティの高さの秘密は、背景の美しさにあるといっても過言ではありませんね。さて、尾道美術館は、千光寺公園内にあり、海側のお寺のような大きな屋根の建物は最初に作られたもので、その後、前側を安藤忠雄の設計で増築されました。美術館に入るとすぐに大きなタペストリー。天空の城 ラピュタ の背景です。そしてこちらは、「時を駆ける少女」。アニメの背景にするにはもったいない美しさと奥行感、雲のボリューム感ですが、この背景があればこそ、その中の人物にもリアリティが生まれてくるのでしょう。もののけ姫の背景は、森の荘厳さや、気高さがよく出てますね。やっぱり、物語の「空気」を作るのは、こういった緻密な背景だということが分かります。展示スペースを抜けると、尾道水道を見渡せるホールへ。外には出れないので、窓越しにパチリ。ホールの一角に、もののけ姫の森をイメージした、写真コーナーがありました。絵葉書を買って帰って、さっそく玄関の「OLD ASHIBA 壁掛けレール」に飾りました。アニメの好きな方、絵に興味のある方、11月15日までなので、今週末が最後です。お急ぎを。こういった、「背景」に脚光が当たるということは、とても素敵なことだと思います。
2020/11/04
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10月17日(土)に、出雲まで、清塚信也のコンサートに行ってきました。私の趣味というよりは、うちの奥様の趣味ですね。2012年にも、私の地元である「はつかいち市民ホール」で行われたコンサートに行って来たのですが、それから8年ぶりです。⇒清塚信也さんのコンサートに行ってきました。席は定員の半分ほどに制限されていて、入口では、名前などを登録し、もちろんマスクも着用で、コロナ対策にもかなり配慮されていました。私には音楽的な知識や素養がさほどあるわけでもないので、清塚さんのピアノの技量が上がったかどうかは判断できませんが、少なくとも、トーク術はかなりレベルアップしていました。他の人のピアノコンサートに行ったことがないので、比較はできませんが、トークの時間の割合は多めだと思います。今年はベートーベンの生誕250年らしく、「ベートーベンのどこがすごいのか」を説明してくれるのですが、思はず引き込まれる興味深さと面白さでした。笑いを織り交ぜた絶妙なトークと、美しいピアノの演奏のギャップも、清塚信也さんの大きな魅力であることは間違いありません。なにしろ、私のようなクラシックにさほどなじみのない人間でも、コンサートに行き、よかったと思うのですから、音楽の楽しさを多くの人に知ってもらう、という意味でも、価値あるコンサートですね。ベートーベンから、J-POP やディズニーの楽曲のピアノアレンジ、それから、テレビドラマなどで使われたオリジナル曲まで、幅広いジャンルの楽曲が楽しめ、私のようなクラシックに造詣が浅くても楽しめますので、ほんとおすすめです。また、お笑い芸人のライブよりも笑えますので、二度おいしいコンサートと言えるでしょう。通常、コンサートと言えば、撮影録音禁止ですが、なんと、「アンコールに限り」、静止画動画撮影自由、ということで、こんな写真も撮れました。なにもないステージに、ぽつんと大きなピアノが置かれていて、清塚信也さんのピアノの音だけが会場に響きます。看板や照明など、無用なものは一切なにもないステージです。突然、「コンサートは撮影自由」と宣言されたので、電源を切っていたスマホが再起動する前にアンコールで再登場したので、頭が少し切れてしまいましたが、スマホで動画も撮りつつ、右手では鞄の中からコンデジを取り出して、写真を撮る、という両刀使いです。そして、アンコールも終了。とても素敵なコンサートでした。
2020/10/19
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外出自粛ムードから脱しきれず、なおかつ天気も今一つのオリンピック4連休でしたが、どのように過ごされたでしょうか?我が家には、尾道の家内の実家から、義母と義妹がやってきまして、廿日市市吉和のウッドワン美術館へ行ってきました。ウッドワン美術館では、現在「~カミワザ立体切り絵~ SouMaの美しき世界展」が開催中。なんと、一枚の紙から、立体的な切り絵を切り出す、というまさしく神業の展示会です。冒頭のエッフェル塔は、塔はもちろん、その台となっているボックス部分、ボックスの中と外にある花、すべて、一枚の紙から切り出されたもの。個別に作って貼りつけてあるものではありません。特設展の会場は、最後の一点を除いて、すべて写真OKでした。一枚の紙から、女性の横顔と、その手前の糸を張ったような、レースのような前景まで、すべて一枚の紙です。デザインとしても素晴らしいのですが、これを一枚の紙から切り出すというのは、いったいどんな頭の構造なのだろうと思ってしまいますね。アップにしてみると、こんな感じ。まるで、レースの生地です。決して貼りつけたりせず、一枚の紙からこれを作り出すとは、まさしく神業。こちらの麗しき、和装の美女も一枚の紙からカットされたもの。髪の表現の細かさや美しさは実に繊細ですばらしいです。そして、びっくりなのは、女性の顔。これも書かれたものではなく、紙をはがすことによって透けて見える背景の濃さで表現しているのですから、驚きですね。紙を切るだけでは表現できない「濃淡」の表現を、紙を部分的に剥いで、薄くすることで行うという発想もすごいですね。この朧月は、紙を部分的に剥がすことで表現されています。剥がして濃淡を表現する技法を駆使して作られた作品。まるで描かれたような立体的な図形ですが、これは、紙を厚み方向に薄く剥がすことで表現されています。ティアラ。ここまで来ると、紙なのかどうなのかもよくわからないくらいです。錦糸で丁寧に編み込んであるかと思われるティアラですが、もちろん、紙を切って作ったものです。ある意味、一番驚いたのは、この作品、なんと、作者のSouMa さんが、小学生の時に作った作品だそうです。8月末まで開催中ですので、三密を避けて、山間で美術鑑賞など、いかがでしょうか?美術館のまで、記念撮影。館内は、検温、消毒の上、マスク着用です。
2020/07/27
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3月15日(日)、ひろしま美術館に「印象派のいろは展」を見に行ったら、新型コロナウィルスの影響で、閉館中・・・・。直前にネットで確認はしていたのですが、閉館中なら当然、一番目立つところに書いてあるだろうという思い込みのでいで、ちょっとスクロールしたところに掲載してあった「閉館中」の案内を見落とした。日曜の朝早くに出発したのに、残念・・・。シャッターの降りた美術館の前では、手持無沙汰そうな警備員の方が、シャッター前を行ったり来たりしている姿が印象的でした・・・・。美術館が閉まっていたので、やむなく、近くにある「広島そごう」に寄ろうとしたら、こちらも新型コロナの影響で、開店が11時からに。結局、駐車料金を200円かけて、戻った次第。残念・・・・。予定通り、20日から再度開館するかどうかも微妙だが、会期が22日までなので、休館した分、人が集中して、感染リスクも高まりそうだが・・・・。
2020/03/17
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先週末は、天気も今一つということで、県北の三次市三良坂にある、「三良坂平和美術館」に、斎藤清版画展(後期)を見に行ってきました。この版画展は、前期・後期に分かれていて、前期も見に行ったことも、ブログに書きました。⇒三次でアートをめぐる 安西水丸展&斎藤清版画展ということで、前期を見てみると、とってもよかったので、今回、後期も見に行って来たしだいです。もともと小さな町の美術館なので、ちょっと公民館っぽい感じの美術館です。入館料も400円で、リーズナブル。前回は「撮影禁止で、館内の写真はありません」と書きましたが、拙ブログにスタッフの方から「館内写真OKですよ」というメッセージもいただきました。写真1点単位の撮影はNGですが、館内の写真はOKです。来館者が少ないので、ゆっくり見学できます。私も版画のことにはぜんぜん詳しくないのですが、とにかく、構図というか、デザインが素晴らしく、アートです。さらに、構図の美しさを際立たせる技法がちりばめられていて、これは写真では伝わりませんね。こちらは、有名な「会津」のシリーズ。作品をアクリルにはさんで、裏面からも見ることができるようになっていたり、工夫も随所にあります。版画ならではの表現も知ることができて、ほんとに素敵な展示でした。3月22日まで開催されていますので、三次方面に行かれる方はぜひどうぞ。わざわざ行ってみる価値も十分あります。買って帰ったポストカードと展示会のちらし
2020/02/17
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1月13日の成人の日は、中国山地の山間の主要都市である三次市にある美術館を巡ってきました。一つは、「奥田元宋・小由女美術館」で開催中の「安西水丸展」。もう一つは、平成の大合併で三次市に編入された、三良坂町にある「三良坂平和美術館」で開催中の「斎藤清版画展」。「奥田元宋・小由女美術館」は、とってもきれいな美術館で、中央には、満月の日だけは夜間も開館して月見の会も催されます。この水を張った中庭に、満月が昇ります。奥田元宋と言えば、日本画の巨匠ですが、「元宋の赤」という言葉があるくらいに、印象的な赤を使った作品が有名で、当然、美術館にも展示してあって、とにかく圧倒されます。作品の撮影はできないので、買ってきたポストカードで雰囲気だけでも・・・・。奥田元宋の作品には、印象的な月がつきもの、ということもあって、美術館も「観月」をテーマに作られているようです。さて、奥田元宋・小由女美術館も、今回が3回目。前回は2017年で、その時は「山下清展」を見に行きました。そして、今回は、イラストレーターの「安西水丸展」おそらく、どこかで目にしたことがあるであろう、味のあるイラストが特徴ですね。500点もの展示がしてあって、なかなか見ごたえがありました。挿絵から、本の表紙、ポスター、絵本、漫画など、いろんな作品がありました。なんというか、いわゆる「上手」ではないのですが、とにかく味わいがあります。誰でも書けそうなのに、誰にもかけない世界がありますね。10時ころに入館したときは人も少なかったのですが、12時過ぎて帰るころには、駐車場もいっぱいでした。1月19日までの特別展なので、今週末まで。興味のある方は、ぜひ。お勧めです。買って帰ったポストカードを、「OLD ASHIBA 壁掛けレール」に置いてみました。一本の水平にひかれた線の重要性がよく分かります。一本の線が、二次元の空間を一気に三次元にしてますね。奥田元宋・小由女美術館で、「味」のあるアートを堪能した後、近くにある「コニリア」という、カフェ&雑貨屋さんで昼食。こちら、デザートとエスプレッソ。そこから、15分くらい車で走ったところにあるのが「三良坂平和美術館」。こちらは、ほぼ「公民館」に近い印象の佇まいで、来館者もまばら・・・。斎藤清という方は、版画ファンが選ぶ人気投票でダントツの第一位という人のようですが、実は私も知りませんでした。出勤途中に聞くラジオで、パーソナリティーの本名正則という私と同世代のアナウンサーが「よかった」と言っていたので、行ってみることに。なにしろ版画なので、どの作品も100枚くらい刷られたものですので、原画とか、日本画や油絵のような一点しかないものではないため、この機会を逃すと二度と見れない、というたぐいのものはありませんが、こうして、まとめて見ることができる機会もないと思います。こちらも撮影禁止なので、買ってきたポストカードで・・・。とにかく、構図の素晴らしさに感嘆いたしました。もちろん、構図と、刷りのテクニック、紙を含めた版画の質感というのは、やはり、実物を見てみないと分からないですね。ご興味のある方は、こちら、ご参照ください。⇒やないづ町立斎藤清美術館「斎藤清版画展」は、前期と後期に分かれていて、現在、前期を開催中で、100点あまりの作品を展示中です。作品を入れ替えて、1月30日から後期が始まります。肌寒い山間部で、アートを堪能した成人の日となりました。
2020/01/14
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11月17日(日)のことですが、浜田省吾のファンクラブ限定コンサート「100%fan fun fan 2019」に行ってきました。昨年「100%fan fun fan 2018」があり、70年代に作られた曲限定のコンサートが行われ、まさしくその時代、浜田省吾の歌とともに生きた中高生時代を思い出して感涙にむせんだものです。その時のブログがこちら。⇒「100%fan fun fan 2018」で、今年は、1980年代前半の楽曲だけで構成されたコンサートでした。今でも覚えているのですが、私の大学時代の学籍番号が「8031099」。80年入学の法学部法律学科の99番目の学生、ということで、大学入学が1980年です。今回のコンサートというのは、まさしく私の大学時代と丸かぶりの楽曲で構成されていたということになりますね。浜田省吾のファンでなければどうでもいい話ではありますが、今やテレビに出てこないビッグネームとなった「ハマショー」が、じわじわと人気が出始めた時代でもあります。70年代の浜田省吾は、コンサートも満席にならず、ひたすら日本全国、お声がかかれば歌っていた時代。80年代に入ってくると、その効果が出始め、「我こそは浜田省吾のファンである!」といった、現在の彼のファン層の中核をなす、熱いファンがたくさん生まれてきました。私の大学時代には、すでにコンサートのチケットが入手しにくい状況にもなり始めていましたね。今回のコンサートの対象となったアルバムは、「HOME BOUND」「愛の世代の前に」「PROMISED LAND」の3枚で、彼も30才前後のもっとも勢いに乗った時代でした。浜田省吾唯一にして、最大のヒット曲である「悲しみは雪のように」は、「愛の世代の前に」というアルバムに収録された一曲で、決して目立った曲ではありませんでした。おそらく、いまも、当時の浜田省吾のファンからすると、あの曲より、もっといい曲がいっぱいあるのに!ということになるでしょう。「悲しみは雪のように」がテレビドラマ「愛という名のもとに」の主題歌となって爆発的にヒットしたのが1992年ですから、曲が発表されて10年以上もたったあとでした。これをもって、浜田省吾の名は広く知られるようになったのですが、まさしく80年代というのは、コンサート活動を中心に、厚く熱いファン層をじっくりと作り上げていった時期でもありました。だからこそ、今もって彼のファンが依然に変わらぬ熱で応援してるんですね。今回のコンサートは、当時からのファンにとっては、まさしく、人生の荒波を超えての「神様からの贈り物といっても過言ではないかもしれません。コンサートに来ていたのは、もちろんファンクラブの会員なのですが、年代的には、40代後半から60才くらい。一気に、35年をさかのぼって、あの日に帰ったんですね。その感、就職、結婚、子育て・・・・、いっぱい苦労もしてきて今、このコンサートに来てる、って感じです。ホールにセットされたこじんまりしたインフォメーション前で写真を撮るファンたち・・。来年は、80年代後半の楽曲だけのコンサートがある予定です。ファンクラブ限定なので、興味のある方は、ファンクラブにどうぞ。ほんとはいっぱい書きたいことがありますが、あまりにマニアックな話になってくるので、この辺で。
2019/11/20
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10月27日(日)の朝、ひろしま美術館に行ってきました。実は、この日が最終日だったのですが、「印象派、記憶への旅」という企画展を行っていました。ひろしま美術館には、もともと印象派の絵画が多く収蔵されていて、今回は、箱根のポーラ美術館と共同での企画展。普段は見ることができない「ポーラ美術館」収蔵の印象派の絵画を見ることができます。最近の美術館は、だんだんと写真OKのところも増えてきました。撮っていいものと悪いものがあるのですが、海外の美術館が基本的に撮影OKであることを考えれば、なぜ今までダメだったのかな、とも思いますね。ということで、堂々と写真を撮ってみました。スタニスラス レビーヌの「パリの市庁舎とりんご市」ひろしま美術館収蔵今でも、ほぼこれに近い風景を見ることができるようです。こちら、モネの「セーヌ河の日没 冬」アップにして写真も撮れるので近くでじっくり見た記録も残せます。タッチがはっきりと分かりますね。こちら、モネの同じようなタッチの作品を並べて展示。左がひろしま美術館収蔵の「セーヌ河の朝」右がポーラ美術館の「国会議事堂 バラ色のシンフォニー」こういう展示は企画展ならではですね。スーラの「グランカンの干潮」アップで見ると、点描の様子がよくわかります。ということで、朝いちばんで行ったということもあり、まだ入場者も少なく、写真も撮りやすかったですね。まあ、ちゃんと絵の写真を見たいのなら、「図録」を買うほうがきれいですが。家に一枚飾りたいな、と思った絵がこちら。ベルナール ビュッフェ「白地に青い縞の背景の百日草」生きた花の百日草は玄関に飾ってありますが・・・・。美術館そばの公園の木々は、少し色づいてきました。
2019/10/28
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先週の土曜日のことになりますが、「杉山清貴とオメガトライブ」のコンサートに行ってきました。「杉山清貴とオメガトライブ」といっても、おそらく、40歳未満までの方にはまったくもってピンとこない、名前さえ聞いたことがない、というのが普通でしょうね。活動期間は、1983年4月~1985年12月まで。3年足らずの期間ですが、かなり人気がありました。当時のファン層はそっくりそのまま50才代になり、コンサートも、その前後の客層が極端に少ないのも特徴。おそらく、50代の方にとっては、この上なく「懐かしい」バンドなのです。最大のヒット曲は「ふたりの夏物語」で、独身時代には私もカラオケで歌ったことがあります。バンドのボーカルである杉山清貴は、バンド解散後にソロ活動をしていますが、今回、解散後初めて、オリジナルメンバーで再結成され、ツアーが行われています。バンドメンバーの中には、すでに一般人のメンバーもおり、とりあえずツアー終了後には解散となります。広島での会場は上野学園ホール。私などは「郵便貯金ホール」という名の方がなじみが深いのですが、広島では初めての本格的なコンサートホールとして完成し、昔は結構行きましたが、今ではたくさんホールができてしまい、おそらく30年ぶりか・・・・。さて、その「杉山清貴とオメガトライブ」といえば、夏を連想させるおしゃれなバンドというイメージで売っていて、ちょっと背伸びした感じが「バブルの到来」を予感させるものでした。バブルが1986年からといわれていますので、まさしく、その直前の時期に活躍したことになります。おしゃれなバーで、いかした女性をナンパする、というような、およそ私の私生活とはかけ離れた内容の曲の世界観が多かったのですが、共感というよりも、そのおしゃれ感がよかったのでしょう。とはいえ、実は私も、それほどのファンではなく、ちょっとカラオケで歌ったくらいの話ですが、バブル前の時代のBGMでもあったと思います。4月21日 午後6時半から、WOWOW で横浜でのコンサートを生放送するようですので、WOWOWニ入会されているかたは、ぜひご視聴を。
2019/04/04
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誰もが、どうしても離れられないミュージシャン、というのがあると思いますが、私の場合は、浜田省吾です。出会いは、中学2年生の時で、かれこれ40年以上も前の話。フォークギターを弾き始め、井上陽水や吉田拓郎に目覚め、音の悪いラジオにかじりついて、ラジカセで流れる音楽を録音して聞いていたころ。友人のお兄さんからもたらされたカセットテープが浜田省吾の「生まれたところを遠く離れて」というデビューアルバム。そのアルバムを聴いて、僕は一気に彼のファンになりました。デビュー曲の「路地裏の少年」を、覚えたてのギターを弾きながら歌ったものですね。彼の出身は広島。その広島でさえ知名度がなく、彼のファンと言えば、カセットテープをもたらしてくれた友人のお兄さんやその周辺に限定されていました。高校に入ったころにも、彼は人気が出ず、高校2年の時に初めて行ったコンサートは、コンサートの1週間前にチケットを買ったにもかかわらず、前から9番目。今はなくなった広島公会堂の、さほど広くない観客席さえ埋められない程でした。「広島-ヤクルト戦みたい」と、彼がコンサートで笑いを誘ってましたが、まあ、そんな状況でしたね。そうなると俄然、ファンである自分の重みというのも「希少価値」がついてきます。ということで、その後、人気が出て、コンサートのチケットも入手困難になっても、ファンを続けてきました。まあ、今では、うちの奥様の方が大ファンになっていますが、きっかけは、僕がプレゼントした「浜田省吾セレクト」というカセット。もちろん、セレクトしたのが僕。そういうのが、当時は流行っていたんですね。中学、高校、大学・・・・。多感なころをともに過ごしてきた、浜田省吾の曲。歌の良し悪しの問題以前に、青春を共に生きてきたという「思い入れ」もあって、就職後に出たアルバムには比較的思い入れが少なかったりもします。コンサートに行くたびに、新しい曲が多くて残念な気持ちになり、それでも、「まあ、いいか」と思っていましたが、なんと、今回の、ファンクラブ限定コンサートでは、「デビュー5枚目までの曲だけでコンサートをする」というもの。タイトルもなんと「Welcome back to the 70'」70年代にようこそ!ですよ。これぞ、恵まれなかった初期のころのファンが待ち望んでいた選曲です。このコンサートは、ファンクラブ限定ということもあって、その情報が広まると、なんと、ファンクラブ会員が万単位で増えた、という話もあります。ということで、広島公演は、実は、11月18日に終わっていますが、まさしく、あの頃に帰るコンサートでした。アレンジがどうとか、あの曲はいらないとか、いろいろ思いはありますが、それはもう贅沢というものでしょうね。「次は80年代の曲だけで」なんてコンサートで言ってましたが、80年代は、彼が最も精力的にアルバムを出し、かつ、人気も出てきた頃なので、「80年代前半と後半の2回に分けて・・・」なんて言ってましたが・・・。実現すれば嬉しいです。正直、90年代以降になると、相当思い入れが少ないので、80年代まででこの企画も打ち止めにしてもらえればと思ってます~コンサートのリーフレットについていた、缶バッチ。ちなみに、彼のコンサートは、ファンクラブイベントだけでなく、結構前から本人確認付。ネット申し込みし、本人がいけなくなると、キャンセルするしかありません。そのため、ネットオークションに掛けることもできません。いち早く、こういうことに着手するところが、彼の誠実さなのだろうと思います。先日、北海道と広島だけで放送している「松崎真人のミュージックJ」というラジオ番組でも言ってましたが、「自分のプロダクションで、若手を育てる活動を最初に行ったのは浜田省吾」と言ってました。彼は、ROAD&SKY というプロダクションを設立していますが、その事務所で人気が出たアーティストとしては、スピッツや斉藤和義がいます。ということで、テレビへの露出はあまりないので、「生きてるの?」と思う人がいるかもしれませんが、結構地味に頑張っていたりもします。浜田省吾は1952年生まれなので、現在66才。それにしても、60代の現役アーチストの元気なこと・・・・。ほんとにたくましいですね。実は、今回のコンサートは、同い年の友人と二人でチケットを取っていました。残念ながら、その彼は、突然若くして急逝してしまい、私の隣の席が空席に。本人でないと入れないシステムなので・・・・。キャンセルはできたのですが、それもなんだか忍びなくて。彼も私に負けず劣らず昔からのファンで、コンサートも楽しみにしていたのですが・・。残念でした。でもきっと、あの場所に来てたはずだと思います。昔の曲を聴きながら、なんだか、やっぱり泣けました。
2018/12/05
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11月28日まで、福屋広島駅前店で行われている、「ありがとう新井貴浩選手展」に行ってきました。それにしても、こんなに愛された選手が過去にいただろうか?というくらいですね。福屋というのは、広島を本拠とする地方デパートですが、その広島駅前店の1Fに、パネルがたくさん展示してあって、たくさんの人でにぎわってました。「家族の絆」なんて、今時、チープなテレビドラマでさえ流行らないダサい言葉ですが、これをいてしまえるのが、新井さんのすごさです。プロ野球の世界は実力の世界。そんな厳しい世界で「家族」なんて、甘っちょろいことを言っていては勝てない!はずですが、カープはセリーグ三連覇を果たしました。逆に、今の広島カープの強さの秘密は、「家族」と言ってはばからない雰囲気にこそあるのだとも思います。お立ち台で抱き合う新井さんと菊地。こんなヒーローインタビューを見たのは初めてです。新井さんは今年、活躍としては今一つでしたが、チームの精神的な支柱としての存在感はMVP級だったと思います。来年から新井さんもいなくなりますが、それが「家庭崩壊」につながらないか、それが心配ですね。行列に並んで撮った、新井さんとのツーショップ写真。新井さんに抱きすくめられる私。ちょっと恥ずかしいのでモノクロにしてみました。これが、今回の「新井選手展」の目玉でもありました。実物大の新井選手のパネルです。ほかにもいろんなパネルがあります。9階に上がると、「新井さんTシャツ展」も行われていました。なんと、2000本安打の25本前から、カウントダウンが進むたびにTシャツが作られていたようです。こちら、「あと21本」の時のTシャツで、中崎と、新井犬。そして、あと1安打に迫った時のTシャツがこれ。現役最多 242併殺打、戦役最1693三振 175失策。まさしく、ディスる内容ではありますが、裏返せば、それだけ長く現役を続けて来れた証でもありますね。 そして、2000本安打のTシャツ。このTシャツが出るところが、新井さんのすごさなんですね。そして、菊池のサヨナラヒットのあと、そこに誰よりも早く飛び出してきた新井選手のTシャツ。「ありがとう新井貴浩選手展」28日までなので、なんと、明日までですね。興味のある方は、ぜひどうぞ。
2018/11/26
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先日の日曜日のことになりますが、夫婦で、「不自然体」という東京03の単独公演に行ってきました。広島公演は、アステールプラザ中ホールという、547席程のホールですが、満員です。満員というか、チケットそのものが抽選なので、実際に公演を見たい人はもっと多いという人気ぶり。実際、前回の公演は「ハズレ」ました。「見に行きたい!」と言ったのは、うちの奥様で、大のお笑い好き。お笑いには、かなり厳しいです。私が説明するまでもありませんが、「東京03」はお笑い芸人の3人組。角田・飯塚・豊本という三人の個性が作り出す独特の世界は、大爆笑というよりも、なんとなく、こみあげてくるような「おかしみ」があります。今回のテーマは「不自然体」。吉田卓郎の名曲「イメージの詩」の中に、「自然に生きるってわかるなんて、なんて不自然なんだろう」という歌詞がありますが、人間、自然に生きようと意識知ればするほど、なんか不自然になって、それを客観的に見てみると、なんとも言えない「可笑しさ」がありますよね。そういう、人間としての「おかしみ」をほんとにうまく表現していて、おしゃれだと感じました。テレビでの露出が極端に多いわけでもないと思いますが、客層は若い子から、私くらいの50代まで幅広く、「グッズを買うと握手ができる」ということで、公演終了後には、それに並ぶ人の長蛇の列ができてました。チケット代は5900円。まあ、安くはありませんが、生で見てみる価値はあります。
2018/09/12
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先週の日曜日のことになりますが、広島市商工センターにある、泉美術館で開催中の「カープ物語展」に行ってきました。左側がそのチラシで、右側は、各自、選手のスタンプを押して行って、自分のベストメンバーを作る、というスタンプラリーです。「泉美術館」は、西日本ではまあまあ有名な「ゆめタウン」のイズミの運営する美術館で、広島市西区商工センターにある、ブランドショップエクセルの5階にあります。広島発祥の企業ということで、広島愛にもあふれていて、毎年、カープを題材にした展示会を行っていますね。入ると、カープ選手の似顔絵がお出迎え。よく似てます。会場内は、基本的に撮影禁止。ところどころ、こういった「撮影ポイント」が用意されています。今年は、地元紙「中国新聞」のカメラマンが撮った、とっておきの写真をたくさん展示してありました。復興期から、万年最下位と言われた時代から、赤ヘル軍団の誕生、そして、山本浩二や衣笠のいた黄金時代、低迷期、そして、近年の第二次黄金期・・・。「写真」が切り取った一瞬が、一気にその時代をよみがえらせてくれますね。写真パネルを見ていると、なんだかウルウルしてしまうのは、きっと、年のせいでしょう。去年引退した廣瀬の胸に顔をうずめて泣いている菊池の写真は時に印象に残りました。歴代ユニホーム。私の小学時代の印象は、帽子がHの時代。左から3番目で、帽子が赤くなって、「赤ヘル」の時代になりましたね。ということで、ご紹介できるのは一部ですが、今月末までの開催なので、お近くの方はぜひどうぞ。ちなみに、泉美術館から200MくらいのところにWOODPRO shop&cafeのありますので、ぜひ、どうぞ。
2018/09/04
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まずは、この衝撃的な家系図から。私も思わず目を疑いましたが、ピーターラビットのお父さんは、「パイ」です。それだけなら、非現実的なメルヘンの世界ということもあり得ますが、現実はメルヘンのかけらもありません。実は、お父さんは、「マクレガーさんの畑で事故にあってパイにされた」のでした。とはいえ、童話の世界でこれはなんとも・・・・。ただ、これは、「自然界のなんだるか」を伝えたいという、著者、ビアトリクス・ポターのこだわりがあるのだとか。ピーターラビットのお話の背景には、「自然界の現実」という、厳しい側面もあるんですね。ただ、かわいらしいだけじゃないんです。ロハスフェスタに行く前に、ひろしま美術館の「ピーターラビット展」を見に行ってきました。大変珍しい内容らしく、とても人気で、午後からは入場規制もかかるほどだとか。ということで、混雑する前の開館の少し前から並んで入りました。正直言いまして、私のピーターラビットの知識と言えば、ウサギのキャラクターだということくらい。豚とか、猫とか、いろんなキャラクターがいるようですが、正直これまで全然関心がありませんでした。ただ、実は、我が家には、ピーターラビットの本が全巻あり、なおかつ、マグカップなどのグッズも相当ある、ということも初めて知りました。男なんて、そんなもんでしょう、ということで、ご容赦のほど。シリーズ最初の「ピーターラビットのおはなし」が発行されたのが、1901年。今から100年以上前なんですね。詳しくは、こちらを⇒ピーターラビット 日本公式サイトこちら、恒例の我が家の玄関先ギャラリー。さっそく買ってきたポストカードを飾りました。一番手前のデッサンこそが、ピーターラビットのもとになったもの。その原画も、展示されていました。ほとんど無知のまま言ったのですが、著者の動物も見る観察眼と、生き生きと描かれた姿は素晴らしいですね。日本でも珍しい展示らしいので、ちょっとでも興味のある方は、ぜひどうぞ。6月4日まで、ひろしま美術館で開催中です。
2017/05/31
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12月24日。まさしく、クリスマスイブの夜、広島グリーンアリーナで行われた、浜田省吾のコンサートツアーに行ってきました。アリーナツアーが決定し、最初にファンクラブ枠で取ったチケットでしたが、関は、2階スタンドG-22列 16番目。丁度、ステージに向かってほとんど真横に近い左側の上の方で、ステージを横から見下ろしような、少々残念な位置。ファンクラブの枠だからといって、一般の購入と全く区別のないところが、まあ、浜田省吾のコンサートらしいという気もする。コンサートチケットの高額転売は、昭和のダフ屋よりも悪質。ネットオークションにかけることで、恐ろしい価格にまで跳ね上がる。浜田省吾のコンサートでは、はその高額転売対策のため、徹底的な対策が行われていて、入場の際まで席も分からず、本人確認もされるので、転売はできないようになっている。ややもすれば、コンサートチケットの高騰がステータスとばかりに放置する業者の多い中で、こういう取組にも好感が持てる。彼が、ここまでファンに支えられてきたのも、仕事に対する、誠実な態度があればこそ、という気がする。ミュージシャンといえば、少々破天荒で、乱暴なくらいが「らしい」という印象もあるが、浜田省吾から伝わってくるものは、音楽やファンと向き合おうとする「誠実」な姿勢。私自身が、中学二年で「路地裏の少年」を聞いた瞬間から、40年あまり彼のファンを続けているのも、彼のその人間性によるものが大きいと思う。コンサートの集客力や、影響力も大きさを考えると、彼くらい露出の少ないミュージシャンはいないだろう。テレビには基本的に出ない。CMにももちもんでない。災害後のスタンドプレーはしない。だから、知らない人は全く知らないし、気にもしていない。浜田省吾のファン層の中心は、すでに50歳代。子育ても終わった世代で、時間的にも経済的にも多少余裕がある人たちが多いのだろう。そのせいか、コンサートの「はしご」をする人がとても多い。なにを隠そう、うちの奥様も、大阪、名古屋、広島と「はしご」している。うちの奥様の友人もまた、浜田省吾のファンが多く、友人たちもまた、埼玉、名古屋などを「はしご」。今回の広島公園は、ツアーの最終日であったこともあり、おそらく、相当な割合の人が「何度も見た」ものと推察される。そのせいか、それぞれの曲にある「お約束」が多い上に、みんなしっかりと揃っている。私は「はしご」の趣味はないので、今回が最後であったが、一生懸命手拍子をしていたら、全員一斉に、指を天に突き上げたりする。そういうことに気を取られて局に集中できなかったりするので、正直な気持ち、「お約束」は嫌いだ。ただ、私以外の多くの観衆は、それによって会場全体と一体化するというコンサートならではの快感というものを感じるのだろう。私などは、ただの頑固者だ。今回のコンサートは、比較的古い曲が多く、ファン歴40年の私としては、とてもうれしかった。彼のサードアルバムに収録されている、[ミッドナイト・ブルートレイン]という古い曲がある。その曲が流れた時、なんだかジーンとして、うるうるきた。初めて浜田省吾のコンサートに行ったのは、高校二年生の時で、その時のコンサートがまさしく、浜田省吾のサードアルバム「Illumination」が発売されたとき。38年も前の話。当時はまだ、地元の広島でさえ小さなホールの客席も埋まっていないような状況。それでも日々、ブルートレインにゆられて、街から街へとコンサートをくりかえしていた時代を歌ったのが、「ミッドナイト・ブルートレイン」という曲。ということで、次のツアーはいつになるか分かりませんが、全国のファンのためにも、あの頃の気持ちを忘れずに、いくつになっても頑張ってほしいですね。※イラストは、10年以上前に巻いたものを流用しました。
2016/12/27
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10月2日(日)、広島県立美術館に、「東山魁夷展」を見に行きました。東山魁夷展⇒こちら。東山魁夷といえば、昭和を代表する、画壇の巨匠。誰もが、その絵を一度は目にしたことがあると思いますし、一度目にすれば忘れられないでしょう。そのくらい独自の画風があり、インパクトもあります。1908年生まれで、1999年没。丸ごと20世紀というような人生ですが、命さえあきらめかけた太平洋戦争の末期、訓練中に見た阿蘇山の美しさに心を奪われて、「もし、生きていられたら、思い切り自然の美しさを描こう」と決意した、とのこと。今回の美術展では、集大成ともいえる、唐招提寺に障壁画、68枚も広島にやってきてます。最初の写真は、私が珍しく買った、「図録」。中には、唐招提寺の障壁画もこんな感じで入ってます。今月末まで、広島県立美術館にて開催してますので、ぜひとも、芸術の秋を満喫ください。余談ですが、東山魁夷展で、尾道に住む友人に出会いました。午後から広島で研修があり、東山魁夷展を見るために早く家を出てきたとのこと。彼は、私が「写真の師匠」と呼んでいる友人ですが、彼もしっかり、図録を買ってました。ほんとに、思わず、買いたくなります。帰宅後、さっそく、買った絵葉書を自宅玄関に並べてみました。どの絵も素晴らしいので、思わず12枚も絵ハガキを買ってしまい、並べきれません。絶対オススメですよ。
2016/10/03
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8月27日(日) 廿日市市吉和にある、ウッドワン美術館で開催中の「永井秀幸3Dアートと絵本原画展」を見に行きました。特別展の会場は、写真もOK。ただ、9月の4日で終わりのようなので、興味のある方が今週末までにどうぞ。永井秀幸さんのHPは→こちら。目の錯覚を利用して、平面を90度折り曲げた紙に書いた二次元の絵が、三次元に浮き上がって見えるというもの。小人を守っているように見えますが、見る角度を変えると、鼻も曲がって、こんな感じ。不思議な世界ですね。大きなパネルも用意してあって、記念撮影も可能です。一番手前の絵は、地面の壁面にまたがる葛のようなものに腰かけたように見えますが、反対から見るとこんな感じです。面白いですね。
2016/08/29
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この三連休の天気予報は「雨模様」であったので、特にお出かけの計画もせずゆっくりと過ごすことにしましたが、意外にも、三日ともまあまあの天気で、石見銀山あたりに行ってみればよかったかな、と少し後悔しつつ、ただ今、泉美術館で開催中の「カープ物語展」に行ってみました。泉美術館というのは、広島市西区商工センターの「エクセル」というブランドショップの上にある美術館です。「ゆめタウン」などを運営する、広島の地元企業であるイズミの美術館で、創業者の名から、泉美術館という名になっているようです。そんなに大きな美術館でもありませんし、入館料も手ごろなので、気軽に行けます。といういことで、今回の「カープ物語展」の入館料は300円。戦後の焼け野原であった広島に市民球団が生まれた経緯や、球団消滅の危機に際しての樽募金、そして、広島市民球場建設、初優勝、黄金時代・・・・・。広島の復興とともに、カープの歩みを写真パネルで紹介しています。写真パネルは撮影禁止なので、遠くからこそっと撮ってみました。こうして草創期からのパネルを見ていると、カープが市民の球団であることがよく分かります。なにしろ大きなスポンサーがあるわけではないので、自らが稼いで選手の給料も払わなければなりません。同じ働きをしても、給料はジャイアンツの半分以下。だからこそ、お金を掛けずに、選手を育て、大事に使うという、チームの風土が生まれたのでしょうね。ファンと選手との一体感は、市民球団ならではなのだと思います。12球団中最低の環境の中で、これまで頑張ってきた選手の活躍を礎にして、今のカープもあるんですね。初優勝は、1975年。私は中学2年生で、ちょうど修学旅行のバスの中。バスの中でラジオを優勝の瞬間をクラスの仲間と聞き、その後みんなで「勝て勝てカープ」を歌った記憶があります。そこから、カープの黄金時代に入ります。広島中が大フィーバーで、こんなものまで売られてたんですね。カープ扇風機。カープ鉛筆。当時の雑誌カープの永久欠番といえば、この二人。ミスター赤ヘル 山本浩二と、鉄人 衣笠。そういえば、月曜日の「しくじり先生」の特番で、B&Bの洋七が「当時、王さんを抜いて球界最高年棒であった山本浩二さんの年棒が8300万でしたが、自分は1ヶ月で稼いでいた」と話してましたね。9月4日まで開催中なので、気になる方は、ぜひどうそ。今のところ、お客も少なくて、ゆっくり見れます。
2016/07/20
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広島県立廿日市高等学校出身のミュージシャン、RED☆EYE のセカンドアルバムです。2000円。確か、平成11年卒と書いてあったので、35歳かな?6月18日(土)に、廿日市高校の同窓会総会が行われ、二年前に幹事だったこともあり参加してきました。その際、懇親会のアトラクションの一環として出演していたのが、このRED☆EYE です。ただ、同窓会の懇親会なんていうのは、みんな話をするのに一生懸命なので、聴いている人もあまりおらず、ちょっとかわいそう・・・。熱唱する RED☆EYE.ラップ調のノリのいい音楽。首にはけん玉。カープのTシャツ。実は彼は、廿日市で行われる「けん玉選手権」の公認応援ソングも歌ってると、紹介がありました。が、その時はあまり耳にも入らず、懇親会が終了し、会場の外に出たら、彼がCDの即売会を行っていて、少々お酒も入っていた勢いもあり、ついついそのCDを買ってしまいました。その際の写真。顔が赤くて、締りのない顔ですが、RED☆EYE とのツーショット。さてさて、その彼のCDですが、やっと、この日曜日に車の中で聴きました。すると、これがかなりいい。ラップ調ではあるけども、耳によくなじみ、口ずさみたくなるようなメロディ。広島-阪神戦への往復の車の中は、ずーっとRED☆EYE でした。もし、機会があったら、積極的に聞いてみてくださいね。ひょっとすると、数年後にはBIGになってるかも。⇒RED☆EYE オフィシャルサイト視聴もできます。ほんとにおすすめ。
2016/06/28
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ひろしま美術館に「最後の印象派展」を見に行ってきました。印象派と言えば、19世紀後半に起こった芸術活動で、モネの「印象・日の出」に由来します。それまでの絵画というのは、パトロンがついて、宗教絵画とか、貴族の肖像画などを描くことが主流でしたが、もっと外に出て、自然な風景や風俗を描くという活動が始まって、それが印象派と呼ばれたようです。1960年代から70年代活躍したのが、モネ、マネ、セザンヌあたりで、名前は聞いたことがあると思います。ゴッホとか、ゴーギャンはポスト印象派と言われる、1980年代から活躍したグループで、さらに自由に表現方法もバリエーションが出てきます。ということで、ここまでは「印象派」ということでかなり脚光を浴びているのですが、今回の「最後の印象派展」というのは、主に19世紀に入って活躍した画家を中心とした展示でした。初期の印象派からすると、2世代くらいあとになるので、第一世代の人たちが高齢になって、亡くなっていく時代ということになります。くわしくは、こちらをご参照ください。ひろしま美術館「最後の印象派」展私も時々美術館には行きますが、特別芸術に造詣が深いというわけでもありません。ただ、こういった芸術の動きというのは、時代背景と一緒に考えると面白いです。印象派が起こった1860年頃といえば、日本では1860年「桜田門外の変で、井伊直弼暗殺」が発生し、まさしく幕末の混沌とした時代から、1868年の明治維新。アメリカでは、南北戦争がはじまり、中国では、さらなる植民地化が進行。マルクスが「資本論」を書いたのが、1867年。18世紀半ばから始まった産業革命によって、19世紀半ばには印象派の舞台となったフランスにも鉄道網が整備され、パリからノルマンディー地方まで容易に移動できるようになったことで、絵画の世界も創作の幅が広がったということらしい。印象派の創作の舞台となった、ノルマンディー地方というのは、当時のリゾート地であったらしい。産業革命がもたらした豊かさとか、レジャーの発達、自由な気風が、それまでの殻を破る印象派の原動力でもあったんでしょうね。印象派の話の中に、しばしば浮世絵の影響を受けたといった話が出てきますが、幕末から明治初期にかけて、日本にやってきた欧米人がこぞって美術品を持ち帰った結果ですね。日本そのものが混沌としていたことで、日本の芸術品が大量に流出しやすかったのでしょう。さて、この「最後の印象派」ですが、正直、名前もあまり聞いたことのないような画家が多いのですが、絵そのものの技法も進歩しているように思いますし、印象派から次の時代への橋渡しとして、とても重要であったように思います。とまあ、私ごときが偉そうに書く必要もないのですが、この「最後の印象派」展も、広島では3月27日(日)までのようです。興味のある方は、この週末にどうぞ。我が家の玄関先の「OLD ASHIBA 壁掛けレール」にポストカードを飾りました。
2016/03/24
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2月6日(土)、広島県立美術館に、「北斎の富士」展を見に行ってきました。葛飾北斎の、冨嶽三十六景と、富嶽百景を一挙に展示するという、まことにお正月らしいイベントです。本当は1月に行けばよかったのですが、ばたばたしているうちに2月になり、この特別展も2月14日で終わり。興味のある方はお急ぎのほど。いつものことながら、全集を買えないので、絵葉書を買ってきました。こうして切り取ると、並べ方の雑さが気になりますが、ご容赦ください。世界が衝撃を受けて、世界の美術の流れを変えたとまで言われる日本の浮世絵ですが、なにが日本のオリジナリティかというと、やっぱり、構図の妙なのでしょうね。日本の美意識というのは、着物の柄にしろ、日本画にしろ、お花にしろ、余白の妙というか、バランスの妙というか、何もないところにも何かを感じさせる深さがありますね。ということで、我が家の玄関の「OLD ASHIBA 壁掛けレール」に、買ってきた絵葉書を飾ってみました。こうして、行ってきたイベントとか、四季折々に絵葉書を変えて飾ってみるのもいいのです。さて、冨嶽三十六景と富嶽百景というのは、ともに北斎の作ですが、冨嶽三十六景は、色版画で単品販売されたもので、富嶽百景は、白黒の冊子状になったものです。富嶽とは、富士山のこと。有名なのは、展示会の垂れ幕にもなっている「赤富士」と、豪快な波のうねりの中に富士が友禅と立つ「神奈川沖浪裏」。実は、以前ブログにも書きましたが、北九州であった「ボストン美術館収蔵の北斎展」というのも見に行ってきましたが、そこでも「赤富士」と「神奈川沖浪裏」の絵葉書を買っていたのでかぶってしまいました。が、比べてみると、微妙に違います。左がボストン美術館。右が、今回買ったもの。もちろん、印刷が違うので、微妙な色というのは違うのですが、それだけでなくて、グラデーションの範囲や、濃淡の具合に違いがありますね。これも、手刷りならではの味わいということなのでしょう。なにしろ100点以上の富士山の絵がありますから、結構時間もかかります。富士山に絡めて、当時の人々の営みが生き生きと描かれていて、どうしても見入ってしまいますね。当時は本当に遠くからでも、よく富士山が見えたのだということも実感できます。とっても、おすすめです。
2016/02/07
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去年の12月25日の話になりますが、浜田省吾のコンサートに行ってきました。場所は、広島文化学園HBGホール。かつては、厚生年金ホールと言ってた場所です。今回のツアーは「ホール」ツアーで、1回のコンサートの観客が少ないため、チケットの争奪戦も相当なもので、30年もコンサートに通い続けて、ファンクラブ枠で申し込んだ人でさえチケットが手に入らない人が出るほど。ただ、浜田省吾のコンサートが「良心的」だと思うのは、当日まで座席の位置が分からず、なおかつチケットの転売ができないシステムになっていること。私はファンクラブ枠で申し込んだのですが、当日は、ファンクラブの会員証と免許証を持って会場に行き、その場でチケットが発行されます。オークションサイトで10万とか20万といった値段がつくことがステータスになっていたりする昨今の状況というのは、本当に残念です。チケットが転売目的で買われると、当然、善良なファンはチケットの入手が困難になります。結果、どうしても行きたければ高いお金を出してチケットを買うことに。それでも行きたいというファンの心に付け込んだ醜い商売で、やってることはダフ屋です。なんとか取り締まれないものかと思いますね。チケットが発行されてみると、「私と友人」も「うちの奥様と友人」も二階席。ホールなので、それでもかなり近いのですが、うちの奥様のテンションはぐーんと下がりました。それがなんと、一階一列目中央のチケットを持っていた友人夫婦と、トイレ前で偶然出会い、「一番前では見たくない」ということで、チケット交換し、めでたく、うちの奥様とその友人は最前列で見ることになりました。なんとびっくりな展開です。さらには、隣に座っていた、相模原から来たという人と一緒に盛り上がり、翌日には広島駅まで見送りに行ってました。人の縁というのは、いろんなところにあるものですねえ。これまで何度かこのブログでも書いてきましたが、浜田省吾と私の一方的な付き合いはかなり長いです。興味のある方は、こちらを。⇒2011年5月 浜田省吾を考えてみる ⇒2007年11月 浜田省吾のコンサートに行ってきました! ⇒2005年10月 浜田省吾のコンサートで思う。私が初めて省吾のコンサートに行ったのは、確か高校二年生の時。彼の三枚目のアルバムである「イルミネーション」が発売された直後でした。私が初めて省吾の曲を聞いたのは、中学二年の時で、「生まれたところを遠く離れて」というデビューアルバムが発売された直後。ギターなんぞを弾きはじめて、吉田拓郎とか、井上陽水の曲を弾きはじめたころ、友達のお兄さんからもたらされたのが、浜田省吾のデビューアルバム。それ以来、すでに40年間のファン歴です。ただ、音楽と言うのは、その質の高さ以上に、自分の生きてきた時代と自分の感受性によって主観的な価値が決まってくるので、どうしても多感であった青春時代に聴いた曲の方が思い入れがあります。ということで、やっぱり、大学時代くらいまでの曲というのが思い入れも深いわけです。ひとりで音楽を聴く時間も多いし、多感な分、いろんなことを考え、経験しながら成長する時期なので、音楽だってその中に練り込まれています。うちの奥様は、今では私以上に浜田省吾ファンですが、きっかけは、私が贈った「好きな曲を入れたカセットテープ」です。あの頃は、カセットテープに曲を入れて贈るということが結構流行ってましたね。50代の人なら、贈った経験とか、贈られた経験がある人も多いでしょう。そんなわけで、ファン歴40年と言っても、密度がグーンと濃いのが最初の8年で、あとの32年というのは、私にとっては消化試合みたいなものです。今回のコンサートなどは、新しいアルバム「旅するソングライター」の曲が三分の2。私の思い入れの深い時代の曲はほとんどないんですね。その点はやっぱり残念でした。そして、2016年にアリーナツアーを行うことが発表されました。ニューアルバム発売記念コンサートではないので、昔の曲もいっぱい歌うのでは?と期待しているのですが、どうでしょう?
2016/01/06
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8月1日 土曜日。広島市安佐南区の広島広域公園内のエディオンスタジアム(ビッグアーチ)で、Mr.Childrenのコンサートに行ってきました。全国的な猛暑の一日ですが、広島も例外ではなく、広島県の内外から集まった5万人近くの人は、公園内の木陰や、スタジアムのコンコースの日蔭に座り込んで、開宴30分前には、座席にはほとんど人がいないという状況でした。渋滞している車のナンバーを見れば、山口、岡山などの近県はもちろん、神戸、大阪などの関西圏や大分、福岡といった九州など、さまざま。駐車場もほとんどないので、家族を送ってきたお父さんは、奥さんや子供たちのために、遠距離を走り、コンサートの間中、どこかで待機するのでしょうね。お疲れ様です。コンサートのチケットは、友人がファンクラブで取ってくれたもの。コンサートといえば、浜田省吾のコンサートに行くくらいでほかのコンサートもあまり見たことがありませんが、Mr.Childrenのコンサートには、20年くらい前にも一度行ったことがありました。その時は、どうやら、桜井さん自身が精神的に病んでいた時代らしく、淡々と演奏するだけで、MCもないし、まったくもってやる気の感じられないものでした。それで私の印象はぐっと悪くなり、以来、コンサートにも行ってませんし、アルバムもたまに聞くくらいで、特別な大ファンということではありません。で、今回、チケットを取ってもらったということもあり、久しぶりに行ってみた次第です。ツアーのタイトルは「未完」です。コンサートの中身については、ファンの人たちが詳細に伝えていることと思いますので、私があえて書く必要もないでしょう。コンサートに行って閉口するのは、曲ごとに、さらにはフレーズごとに観客のすべきアクションも決まっていること。初心者としては、大変困ります。手拍子をしていたかと思うと、突然両手を頭上に差し上げたりされると、一人だけ手拍子をしていて、ちょっと恥ずかしい。どうも、演奏者がおういう動きを細かく指示しているようでもないので、おそらく誰かがどこかで初めて、それをまた、誰かがまねて、いつのまにか、「それをしないとファンではない」的な雰囲気になってしまったのではないか。とすると、結局、この数万人という大観衆は、一部のファンの思惑通りに動かされているということではないでしょうか?。まあ、浜田省吾のコンサートでもそうですが、基本的に、コンサートで弾けるということのない性格なので、盛り上がっている人をみると、かえって冷静な気持ちになってしまう。一緒に行った人間としては、あまり面白くないでしょう。ただ、実際には、こんな僕自身は、それでも結構楽しんでます。最近のコンサートでは、大型スクリーンに映像を流すのが当たり前になってきてますね。特に、スタジアムなどの広い会場では、リアルの演奏者は米粒みたいにしか見えないので、どうしても画面を見るようになってしまいます。音は確かに大きいけど、音質はあまりよくなくて、歌詞も聞き取りにくい。Mr.Childrenあたりは、そもそも歌詞が分かりにくいのに、コンサート会場では、さっぱり聞き取りにくく、歌詞を覚えてないとつらいですね。さてさて、5時に開演し、日が沈んだ6時半くらいまではまさに灼熱地獄。麦わら帽子に、さらにタオルをかぶって日よけをし、タオルの隙間からステージを覗く、というくらいの感じでした。日没して、だんだんと暗くなってくると、照明効果もぐっと上がってくるし、帽子を脱ぎ、タオルも外して身軽にもなってきて、暑いながらも多少快適になってきます。終わったのは、8時半。3時間半のコンサートでした。かなり暑かったけど、いいコンサートでした。周囲からは楽しんでいるようには見えないと思うのですが、私なりに楽しみました。行きは弟の奥様に会場近くまで送ってもらい、帰りは、一緒にコンサートに行った友人の知り合いに迎えに来てもらい、とっても助かりました。こういう辺鄙な場所では、行き帰りにかかるストレスがとっても大きいので、コンサートは灼熱地獄の中であったとはいえ、そのストレスがなかったことは、とっても幸せでした。ありがとうございます。ミスチルの野外コンサート。広島は三番目で、まだまだ7カ所残ってます。帰りには、京セラドームのコンサートのチラシも配ってましたね。
2015/08/03
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現在、広島県立美術館では、「藤子F不二雄展」を開催中。ちょうど、お嫁さんが友達の結婚式があるということで、孫をつれて帰ってきてくれたので、一緒に行ってみました。夏休みにも入っているので、混雑を予想して、9時の開園の20分前には到着。地下駐車場にもすんなりと入れました。やっぱり、出足の30分でかなり違います。冒頭の写真は、入口に入ってすぐのところにあるパネルで、背景の絵と同化してますが、二人の孫です。まだ、会場直後だったので、この状態で写真が撮れたと思うのですが、ほどなくごった返してしまったものと思われます。後ろにも人が並んでいて、ちょっと雑な写真ですが、ご容赦の程。じっくり見ていただくと、懐かしいキャラがいっぱいいます。今の子供たちはなんといってんもドラえもんなんでしょうね。私にとっては、ドラえもんはすでに子供漫画を卒業した後に出てきたものなので、自分自身が楽しんだ記憶はありません。私が子供のころは、「おばけのQ太郎」「梅干し殿下」「パーマン」あたりですね。展示室は写真NGなので撮れませんでしたが、お子様用の展覧会ということで、子どもと写真が撮れるコーナーもあって、なかなか楽しめます。おばQの背中に乗る。のび太の机から出てくるパーマンになれるどこでもドアなどなど。このコーナーもおそらく、そのうちごった返してきて、順番待ちになってしまうのでしょうが、朝いちばんでいったので、まだまだ遊び放題でした。整理券をもらって、Qちゃんとの握手会、というのもあります。握手会が終わって、急いで帰っていくQちゃん。ということで、出かけるなら、早めに行きましょう。川崎には藤子不二雄ミュージアムというのがあるようですが、人がいっぱいで予約しないとダメみたいですね。県立美術館 藤子F不二雄展→案内→ポスター三世代にまたがって楽しめるのが、藤子不二雄さんのすごいところですね。孫がいたので、じっくりとは見れませんでしたが、きっと、お父さんたちがじっくりみても楽しめるイベントだと思います。
2015/07/22
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日曜日に、広島県立美術館で開催中の「スペインリアリズム絵画の鬼才 礒江毅展」に行ってきました。私は、どちらかというと、抽象画よりもリアリティのある絵の方が好きなので、とてもよかったです。緻密な描写の中の力強さというか、内面までも描こうとするその努力がすごいですね。私は木を扱う仕事をしてますが、特に木の描写には驚きました。木といっても、「板」や「古びた家具」ですが、質感が伝わってくるようでした。写真で撮れば、それはまさしくリアリティなのでしょうが、実物と表現の間に人の手が介在することで生み出される力というか、生命というか、まあ、難しい話はいいんですが、とにかく見に来てよかったと思いました。作品数も多いし、どの作品も見ごたえがあって、なかなか前に進めないくらいです。残念ながら、8年前に、54歳の若さで他界されたとのこと。ということで、そこで記念に買ったポストカードを玄関の飾り棒の上に飾りました。我が家初の裸婦像です。24日までの開催なので、まだ見てない方は、ぜひどうぞ。
2015/05/21
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10月26日の日曜日の話ですが、広島県立美術館で開催中の「ポーラ美術館コレクション展」に行ってきました。モネ、ルノワールからピカソまで、というサブタイトルがついている通り、印象派以降の作品が出展されています。ポスターにもなっている少女の絵は、ルノワールの「レースの帽子の少女」。1891年の作品です。このほか、モネ、ルノワール、ローランサンなどなど、時代を代表する画家の作品が72点展示されてます。11月9日(日)までの開催なので、興味のある方は、ぜひどうぞ。ポーラ美術館というのは、箱根の仙石原にある美術館ですが、あらためて日本各地の美術館には、世界の名品がコレクションされているものだと思います。ちゃんとした絵は変えないので、いつものことながら絵葉書を購入。玄関脇の壁掛けレールで、ミニ展示会です。私も絵を見るのは好きですが、今回の展示を見て、やはり、深く理解するには「流れ」を理解することが重要かな、と思い、印象派についての本を買ってみました。(まだ読んでません)それから、うちの奥様の希望で、モネの睡蓮をモチーフにした缶に入ったクッキーも買いました。三階では「ポーラ美術館コレクション展」を開催していましたが、二階では「広島が生んだ芸術家たち―圓鍔勝三・山路商・和高節二」というのが行われており、こちらもまた、とても興味深いものでした。今回県立美術館に行って気付いたのは、「撮影OK」の札の存在。これまで、原則として館内は撮影禁止であったと思うのですが、撮ってもいい作品には、そういう印がつけられていました。そろそろお隣の縮景園も紅葉し始めますし、美術館見学にはいい時期になりますね。
2014/10/30
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関門海峡方面にミニ旅行に行った際、北九州市立美術館でやっていた、ボストン美術館収蔵 北斎展を見てきました。北斎といえば、富嶽三十六景が有名ですよね。北斎は、90歳まで生きて、死ぬ間際に「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」と言ったというから、すごいですね。90歳にして、あともう少しで極められるのに、と思ったのでしょう。いやいや、すごいです。西洋の絵画に影響を与えた日本人としても有名です。美術館に行ったら、記念に絵葉書を数枚買いまして、OLD ASHIBA壁掛けレールに飾ります。確かに、このダイナミックな構図が西洋に与えたインパクトというのはすごかったでしょうね。私も決して美術に詳しいわけではありませんが、こういった構図の妙というのは、現代日本の漫画の世界にも生きているような気がします。ボストン美術館浮世絵名品展 北斎8月31日まで、北九州市立美術館分館で開催中です。
2014/08/06
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雨の日曜日。前から気になっていたゴッホ展に行ってきました。「空白のパリを追う」というサブタイトルの通り、誰でも知っているような作品はあまりないのですが、試行錯誤していたゴッホの苦悩を感じさせる作品群は、結構新鮮なものがありました。ゴッホの人生が不遇であったことは有名ですね。生涯で売れた作品は1枚だけだったとか・・・・・。キャンバスだって、絵の具だって、売れない画家にとってはこの上なく高価なものだったんですね。気に入れない絵の上に別の絵を塗り重ねた作品、というのもかなりあるようで、今回のゴッホ展では、ゴッホの生き様というか、作品の背景なんかも説明してあって、分かりやすかったです。9月23日までやってますので、興味のあるかたはぜひどうぞ。それから、もう一つ。ぜんぜん知らなかったのですが、県立美術館の地下で、「中西繁 廃墟と再生展」というのを開催してました。入場無料なので入ってみたのですが、これは想像以上によかったです。とにかく大きな絵の迫力もさることながら、ちょうど中西繁さんご本人が解説中でした。チェルノブイリなどの廃墟の絵は、最近はやりの「廃墟マニア」にはたまらないものだと思いますが、それは単に「廃墟萌え」ということではなく、人間の営みとしての、荒廃と再生のサイクルを描き出したもの。それとは別に、ヨーロッパの街並みを描いた明るい色彩の絵も多数展示されていて、とても素敵でした。経歴を見てみると、東京理科大の建築科の卒業のようですので、街や景観に対する視点というのが、芸術家というよりも建築家のそれのような印象を受けました。最新作は、「尾道夕景」。黄昏の尾道を描いた作品でしたが、その作品意図も解説していただいて、分かりやすかったです。皆様におすすめしたいところですが、残念ながら、昨日が最終日。私としては、とてもラッキーでした。雨の日曜日でしたが、とてもアートな一日になりました。
2013/09/02
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25日の日曜日、ROKETSの納島社長がポスターのデザインを手掛けている「森のジャズLIVE2013」に行ってきました。このイベントの特徴は、地域の町おこしの一環として、地域のボランティアを中心に運営されているという点です。私は初めてだったのですが、回を重ねて、今回で13回目という歴史のあるイベントでもあるようです。場所は、広島市安芸区阿戸町。広島市を合併してはいますが、鉄道はなく、国道2号線や、国道31号線といった幹線道路からも外れた辺鄙な田園地帯です。会場は「里山あーと村」の森の中の予定でしたが、前日からの雨のため、中学校の体育館での開催となりました。この「里山あーと村」には、今回いけませんでしたが、地域のみなさんが森を切り開いて作り上げたもののようですね。ということで、このコンサートもまさに「手作り」といった印象でした。残念ながら「森」ではなく「体育館」での開催となってしまいましたが、演奏内容はさすがに素晴らしいものでした。日頃ジャズに親しむことも少ないのですが、豊かな時間を堪能できました。3時間くらいの長いステージなのですが、あっという間に時間が過ぎていきました。素敵なミュージシャンの皆様、ボランティアの皆様、ありがとうございました!ちょっと反射してますが、現地で撮った、納島さんデザインのポスター。3人の歌姫を象徴する、三羽のカナリアのデザインですそれぞれに素敵な歌声を聴かせていただきました。森の中で聴けたら、それはさらに素晴らしかったと思いますが、体育館でも、十分に素敵な歌声でした。毎年、8月最後の日曜日の開催ということが決まっているとのことなので、ジャズの好きな方は、今から予定しておくのもいいですね。
2013/08/27
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日曜日、「はつかいち文化ホールさくらぴあ」で公演された、「王様と私」を見てきました。主演 松平健 暴れん坊将軍です。発売日には、開始時間よりも30分以上前に並んだのですが、すでに100人以上の人が並んでいた、という公演です。1860年代のバンコクが舞台で、タイの王様と、王様の子供たちの家庭教師である、アンナというイギリス人を中心とした物語です。図式としては、旧態然とした王様と、文明の香りあふれるイギリス夫人の交流によって、王様の心が開かれ、文明化されるといった感じでしょうか。3時間近い公演でしたが、ユーモアもあり、出演者の演技もさすがにプロだなあと思われ、しっかりと楽しめました。たまには舞台というのもいいものです。日本の大政奉還があったのが1867年ですから、まさしくその時代です。アヘン戦争が1840年。欧米列強がこぞってアジアに進出し、植民地支配を進めつつあった時代なんですね。アジアで植民地支配をうけなかったのは、日本のタイだけですが、タイを列強の植民地支配から守ったのが、松平健扮する、ラーマ4世だと言われています。ちなみに、この「王様と私」は内容が不敬であるということで、タイでは上演禁止となっているそうです。連日、豪雨と猛暑の話題ばかりですが、体調管理をしっかりされて、よいお盆をお過ごしください。本日もご訪問、ありがとうございます。
2013/08/09
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金曜日、広島県廿日市市の「さくらぴあ大ホール」で、NHK広島主催の「清盛幻影 交響朗読絵巻」なるイベントがありました。入場無料ですが、事前の応募して、抽選の上当たればチケットが手に入るというものですが、うちの奥様が出したものが当たったので見に行ってきました。金曜日は、5時過ぎに会社を出て帰宅。夫婦で行ってまいりました。清盛の物語をベースに、加藤あいの語りが入り、広島交響楽団の演奏、東儀秀樹の雅楽などが楽しめるという、なかなか見応え聞きごたえのあるイベントでした。先日は、同じホールで、ピアニストの清塚信也のリサイタルを聴きましたが、やはりオーケストラとなると迫力がありますね。加藤あいの朗読も落ち着いていてよかったです。東儀秀樹の雅楽も雰囲気充分で、まさしく平安絵巻といった趣でした。とはいえ、仕事を早めに切り上げた分、見積もりが終わらず、土曜日に持ち越してしまいましたが、こちらもなんとか予定していた分は終わりました。実は、「平清盛」を見ていないのですが、ちょっと見てみようかな、という気持ちになりました。本日も、ご訪問ありがとうございます。このイベントの模様は、中国地方で、3月20日午後1時5分から放送されるようDす。※以前書いた、宮島のブログはこちらです。
2012/03/10
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柄にもなく、ピアノリサイタルなんぞに行ってきました。清塚信也なる、ピアニストのコンサートです。うちの奥様が「僕らの音楽」に出ているのを見て、「おもしろい人だ」と思っていたら、「廿日市文化ホールさくらぴあ」でコンサートがあることが分かり、発売日に並んで、チケットを取りました。彼は、「のだめカンタービレ」のピアノの演奏を担当した人です。今売り出し中の若手ピアニストと言っていいでしょう。コンサートはピアノのみ。ステージの中央にピアノが一台あるのみ。演奏の間に、演奏時間よりも長いくらいのMCが入るのですが、それがとっても興味深くて、面白い。下手なお笑い芸人よりも、よほど笑えます。ピアニストといえば、ショパンとリストが有名なことは私でも知っていますが、この二人は同時代を生きたライバルだったそうです。結核を患い、病弱で小柄なショパンと、大柄で、頑健で、色男であったリストの話を面白おかしく話してくれました。話が面白いので、MCの間は眠らないのですが、演奏が始まると、アルファ波が出始めて、うとうととすることもしばしば。正直いいまして、演奏の良し悪しを云々するほどの知識もなければ能力もありませんが、とっても素敵な時間をすごさせてもらいました。これで2500円(さくらぴあ会員2000円)は安い。帰りには、「夜のショパン」なるCDを買い、うちの奥様が、サイン&握手してもらいました。たまには、クラシックもいいものです。
2012/02/24
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5月15日の日曜日、広島グリーンアリーナであった浜田省吾のコンサートに行ってきました。14日15日の二日連続であったのですが、うちの奥様などは二日とも行きました。人気アーチストのチケットの場合、いい席はヤフーオークションで高額取引され、それを狙ってチケットを買いあさる不届きな輩も多く、オープンなダフ屋と化していまます。そこで、今回のツアーでは、席が分かるのはコンサート当日。改札みたいな機械を通すと、席番が出てくるという仕組み。で、行ってみると、なんと、前から7番目の正面に近い場所。うちの奥様などはテンションが上がりまくりです。コンサートは3時間半の長時間。そうですね、三分の2は立ちっぱなし・・・。平均年齢は、おそらく40歳代の中盤・・・・。男女比率は、男性3に対して、女性7くらい。会場の収容人員は7200人。浜田省吾自身は59歳。まあ、最近のアラカンというのは、まだまだエネルギーに満ち溢れていますね。あ、念のため、アラカンというのは、「アラウンド還暦」ということのようです。さて、今回のお題は「浜田省吾を考える」ということでした。彼はおそらく日本で最も不可解ミュージシャンです。(怪しさでは内田裕也に負けてますが・・・)ヒット曲は1曲。かれこれ15年も前のドラマの主題歌となった「悲しみは雪のように」。サングラスを外した顔が不明。テレビでの露出、ほぼゼロ。タイアップ曲、ほとんどなし。にも関わらず、今なお日本各地でアリーナを満員にし、チケットの入手が困難・・・。声は太い。声がいいのかどうかも分からないし、歌がうまいかどうかも微妙。ものまね番組でも数人チャレンジしたものの、どれも似てない。さらに、知っている人が少ないので、受けない。ルックスは、特別かっこいいわけでもなく、ファッショナブルではない。あいも変わらずサングラス。最近は白髪染めもやめたのか、コンサートも白髪混じり。ダンスはうまくない・・・。時に笑える。ギターも特別うまいようではない。にも関わらず、今なおこの人気を保っている・・・。歌の良し悪しもかなり好き嫌いが出そうだ。ひとついえるのは、彼のファンの多くは「マニア」だということ。巨大なマニアの集団であるとも言えます。「ファン」と「ファンでない人」がはっきりしています。「ファン」は熱烈だが、そうでない人はほとんど彼のことを知らない。メディアへの露出がないため、知りたくない人にはほとんど情報がいかないので、当然といえば当然の結果ですが・・・。私が浜田省吾のファンとなったのは、中学二年のときでした。ギターを弾き始め、吉田拓郎とか井上陽水といった当時の人気フォークシンガーの曲から練習し始めるのだが、そんなときに友人のお兄さんから教えてもらったのが、デビューしたばかりの浜田省吾。「路地裏の少年」という、いかにも貧乏臭いタイトルのデビュー曲に感動して、それからファンに・・・。かれこれ、35年も前の話ですね。最初にコンサートに行ったのは、3年後の高校二年生のとき。当時はコンサートに行くこと自体がなんだかちょっと不良っぽい気がしてドキドキしたのですが、コンサートの三日前に取れた席が前から9番目。当然客席はガラガラ。という風な状況であったので、当時のファンというのは「俺達の浜田省吾」という感じがありました。大学時代までは、それでも普通にチケットが手に入ったのです、取れる席はだんだんと後ろに・・・。それから就職して、忙しく働いているうちに、彼はどんどんとビッグになり。コンサートに行く暇もなかったのですが、いつの間にかチケットも入手困難。気分としては、昔の友人がどんどんと遠くに行ってしまったような感じでしょうか。大学時代までは、ギターを弾いて歌う歌の多くが浜田省吾でしたし、高校時代には文化祭にも出ましたが、そのとき歌ったのも浜田省吾。だから、大学時代までの人生のサウンドトラックは彼の歌であったと言っても過言ではありません。そのため、私が好きな歌、思い入れのある歌というのは、浜田省吾がデビューして35年の内、最初の15年くらいに集中しています。その後の歌はどうも思い入れが少なくて、タイトルさえ思い出せないほど・・・。まあ、後半の曲はコードもコード進行も難しくなって、自分のギターの腕では弾くのが難しくなってしまった、という悲しい現実もあります。カラオケに行くと、浜田省吾の歌を歌ってみますが、ほとんど誰も知りません。しかし、もしも仮に知った人がいれば、とっても意気投合。そして、自分がどのくらい昔からファンであったかという話になります。「え、あなたもハマショーのファンだったんですか!ところでいつから・・・」という具合。浜田省吾はビッグになったのに、いつもファンは「隠れキリシタン」の気分なのです。ということで、今では、うちの奥様の方が圧倒的に熱烈なファンです。そもそもは、恋愛時代によくある、「お気に入りの曲」カセット。「浜田省吾セレクト」とか、自分で勝手に名前をつけて、うちの奥様に渡した日から現在につながっています。彼はかなり社会派の曲が多く、ちょっとものの見方がステレオタイプという感じもしますが、南北問題とか、環境問題、原子力の問題、戦争の問題、過労死の問題、ストーカー問題、家族の問題など、社会的なテーマを歌にしています。そういったテーマというのは、本来女性には嫌われやすいものですが、それでも女性ファンが離れずにいるところが不思議ですね。最新のDVDなんて、自分の歌のバックに、「映像の20世紀」を彷彿させる映像を流し続けるというもの。過去からつながった現在、そして現在からつながった未来。その中で常に織り成されてきた人間の喜怒哀楽。自分達に残された今と、子ども達に残すべき未来・・・。私的には、それをしっかりと考えるべき時だというメッセージなのだと受け止めました。マニアの域を超えてひとつの宗教であるといえるかもしれません。そう、だからこそ、浜田省吾のファンは隠れキリシタンなのです。「私、大きな声では言えないんですが、浜田省吾のファンなんですよ。そう、まだコンサートもガラガラであった頃から・・・・。内緒ですよ」なんてね。長くなりましたが、実はまだまだ書き足りません。ご訪問、ありがとうございます。
2011/05/17
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「はつかいち文化ホールさくらぴあ」で行われた、東儀秀樹と古澤巌のコンサートに、うちの奥様と一緒に行ってきました。私は発売当日に買いに行ったので、前から8列目の中央といういい席でしたが、会場はほぼ満員。東儀秀樹と言えば、雅楽とその他の音楽をジャンルを超えて融合した人として有名です。古澤巌はバイオリニストで、葉加瀬太郎と一緒に活動したりして、クラシック出身のクロスオーバーな活動を行う第一人者。よく知りませんでしたが、テレビやCMでも結構使われているようです。二人の紹介はともかく、とても素敵なコンサートでした。ウイットに富んだ語りを交えて、ほんとに素敵な音楽を聞かせてくれました。楽しかったというのが正直な感想ですね。東儀秀樹は、主に、篳篥(ひちりき)という楽器を演奏するのですが、これがとても不思議な音色で、バイオリンともよくあいます。形はリコーダーに似ていますが、長さはもっと短く、同じ穴の押さえ方でも、吹き方によっていくつもの音を出せるという奥深い笛です。なんであんな簡単そうなもので深い音が出るのだろう?と思うくらいでした。もうひとつ、笙(しょう)という楽器で、こちらはさながら、小型のパイプオルガンです。天から光が差し込む様を表現したとのことですが、幾重にも音が重なって聞こえる感じは、まさしく、教会で奏でるパイプオルガンの荘厳さです。平安の昔から、ほとんどその形を変えずに今に伝えられた楽器がこれほどまでに美しい音色を奏でるということに、ちょっと感動しました。とまあ、私が説明しても伝わらないと思いますが・・・。東儀秀樹と古澤巌のアルバムを買って、夫婦で握手をしてもらって帰りました。音楽は人の心を豊かにしますね。生きていくうえで必要不可欠なものではありません。でも、不思議なことに、人生を振り返ると、そこには必ず音楽があって、思い出と強く結びついています。音楽によって奏でられる振動が、人の心に共振、共鳴するかのようです。音楽というのは、心の結構深いところまで届いているのでしょう。ステージの上で、楽しそうに音楽を奏でる様子を見ながら、「音楽っていいなあ」とあらためて感じたのでありました。
2010/10/17
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ほんとにいい映画でしたよ。いままでも見たい見たいとは思っていたのですが、今回、TUTAYAの100円デーを利用して借りました。見ていない人は、ぜひとも見てください。分類すれば、きっと「原爆映画」「反戦映画」ということになるんでしょう。でも、そういった型に無理やりはめ込むのはかえって偏見の原因になると思います。これはやっぱり、人間の物語なんですね。一人の、そして、そこからつながる人たちの物語です。戦争の悲惨さというのはよく言われますし、学校でも習います。原爆で20万人の人が死んだ。と。でも、人数が多いから悲惨で、少ないから悲惨じゃない、というものではありません。一人死のうが、10万人死のうが、100万人死のうが、それは結局、ひとつのかけがえのない人生に数字をかけただけのこと。大事なのは、かけられた人数の方ではなくて、ひとつの人生の方でしょう。大切なのは、一人ひとりが「生きる」こと。この映画は「多くの被爆者が大変な思いをした」という映画ではありません。20万人の中の、ひとつの命を切り取って描くことで、そこに誰もが容易に感情移入できる普遍性を生みました。もしかすると、自分であったかもしれない。と。そういう気持ちです。幸せを願うこと。普通に生きて、結婚して、子供を生んで、育てて、仕事をして・・・。そういったごくごく普通のことが、実は何より大切なことなのだということを実感する。原爆反対、戦争反対。それも大切だけど、そんなこと以上に、自分の目の前にいる人や家族のことがとても大事に思えてくる。だからこその戦争反対だし、原爆反対なんですね。自分だけじゃなく、みんなにそれぞれの人生があって、それぞれに喜びとか、悲しみとかを抱えて生きてる。そんな当たり前のことが実感できて、なんとなく人に優しい気持ちになれたりする。そんな映画でした。
2008/06/16
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仕事の方は、現在春のガーデニングシーズン真っ只中ということで、工場も連日残業中。そんな中、とっても心苦しかったのですが、金曜日は定時に仕事をやめ、後ろ髪を引かれる思いで会社を後に。自宅に帰り着替えをし、奥様と二人で一路広島市内へ。押尾コータローのコンサート会場は厚生年金ホールの隣のアステールプラザ大ホール。大ホールといっても満員で1000人くらいでしょうか。少し席は余ってました。実は隣の「中ホール」では、甲斐よしひろのコンサートもやってましたが・・・。それはさておき、押尾コータローのコンサート、よかったです。とにかく、彼はすごいです。なにがすごいといって、すべての演奏はアコーステックギター1本。基本的には、弦が6本張ってある、我が家のギターとなんら変わりません。が、そこから生み出される音というのは、サイドギターとリードギターと、パーカッションをまとめて3人分、あるいは4人分という感じです。ギターといえば、左手で弦を押さえ、右手で爪弾く、というのが常識ですが、彼の演奏は常識破りでした。左手でも弾くし、右手でも弦を弾くし、弦は叩くし、ギターそのものも叩くし、ま、なんというか、どうやって音を出しているのかさえよくわからない手品師のような演奏です。やっぱ、これがパフォーマンス、というもんだなあ、としきりに感心してしまいました。たしかに、3人で演奏すれば同じように重厚な演奏はできるでしょう。でも、もし野球で、外野を一人で守っていたら「すごい」と思うではず、そんな感じです。それから、次にびっくりしたのは、アコーステックギター1本。歌なし。「まさか立ち上がるなんてことはないだろう」と思っていたら、後半は立ちっぱなしになりました。おまけにウェーブまで。女性の割合が65パーセントくらいだと思いますが、中には腰を振って、ロックコンサート並みの盛り上がりを見せる人もいました。関西弁の語り口の軽妙で面白いし、かなりお勧めのコンサートです。演奏を見ていても、ギターを弾くのが好きなんだなあ、という感じが伝わってきて、なんとなく心もあったまる、そんな感じ。30代だと思っていたら、今年40歳になったそうです。我が家のギターも弦は6本。にもかかわらず、そこから生み出されるものの違いはまさしく雲泥の差です。だからこそプロなんですね。書道家は筆で表現する。画家は筆で、彫刻家はノミで、料理家は包丁で、芸術でも、スポーツでも、エンターテイメントでも、同じ道具なのに、それを手にする人が変わるだけでまったく違うものが生まれてくる。それは結局、それぞれの中にあるものを、道具を使って「表現」しているということなのでしょう。道具は蛇口に過ぎません。中にあるもの以外は出せない。それが真理です。押尾コータローのコンサートにて、人間の可能性を感じたのでありました。家に帰り、高校時代にアルバイトして買ったギターを手にしてみてる。所詮私は、ジャンジャカジャカの域を出ることができませんでした。高校時代から進歩なし。
2008/04/19
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