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生井ファームの栃ルビーフルーツと野菜に様々な調理法を施した9種類のオードブルタラバ蟹とアボガドのガトー仕立て~フレッシュトマトのクーリー バジルオイルのアクセント~220℃で焼き上げたパイ包み~白トリュフと国産茸の芳醇な香りを閉じこめて~ブイヤベース アシェットスタイル~真鯛と帆立をマルセイユ伝統の味付けで サフランの香りに包まれて~上州牛フィレ肉のグリエ~じっくり焼いたポロ葱と食感を楽しむ野菜と共に~ホワイトチョコのクリームに閉じこめたたくさんのフルーツ~香り高きバニラを感じて~紅茶パン&AOCプロバンス産 朝摘みEXオイルバケティーヌ フィグノア プティパンコンプレ バジルオリーブパン プティパンクルミお隣の方に 写真を何枚か頂きました(*^m^*)しあわせいっぱいのお二人末永く お幸せに .。・:*:・°`☆、。・:*:・°`☆
April 29, 2011
結婚式に出席して来ました協会で「新郎神父入場~」の案内の後2人が登場し 歩き始めたら クスクスと笑い声え なんで? と思ったら「新郎新婦」と受け取った人が殆どだったから のようでした(*^_^*)あれ~新婦はお父さんと登場って みんな 知らないのかな ~?ま 新郎新婦なのに 神父さんで(笑)ね(^m^ )ここからずーっと 和やかな式 披露宴となりました ♪
April 29, 2011
久しぶりの都内 ~ 同期の集まり自然食ビュッフェを楽しみました「相談の時 暗かったよ ~」と 友人「暗いつもりは無いんだけど 気持ちがなかなか浮上しなかった(/。\)」と 私「自粛するという意識は無かったのだけれど買い出しや 介護のための外出以外は出掛ける気分になれずにいたの」「そーゆーのを クライってゆーのよ ~」まとめ役になっていた 会社の同期会の日程が近づくにつれて余震の心配もあるけれど潰す訳には行かないな~ 開きたいな~みんなに会いたいよね段々と変わって来て(*^^*ゞ開催となりました前の週に 崩していた体調も回復して お食事を堪能一緒の時間を ゆっくりと過ごして来ました
April 28, 2011
「うち 何もなかったよ」と言う人達とテレビで映る被災地域の 大変な様子と我が家の損害も 何もなかった人達からみたら かなり「大変」な位置づけになるまた 最も被害の大きな宮城で生活していた子供は丁度帰宅中で 無事だった被災の立場と 無事の立場とあまり「よかった」と言うのも 気が引けるけれど 全く 何事も無かったかのように娯楽を楽しむ人達を見るのは 妬む気持ちは無いけれど なんだか 疑問が残る自分達は安全な場所に居て「あなたの息子は 早く仙台に帰って ボランティアしないの?」そう言われると 逆の立場だったら 同じ事言えたのかな?そう言われたら どう対処したのかな?そう思わずにはいられなかった今朝の新聞に 仙台の様子まだ ガスの点検も済んでいない地域に入っている下宿先バイト先の塾から 電話連絡来週からスタートとの事原発問題の解消されていない福島を抜けて住まいの様子を見に行く事に「遂に召集令状が来たか」とおじいちゃん「救援物資に 米を持って行け」と食事も 学食はお昼のカレーのみさすがに「自炊するかな」のひとことせっかくだから おかずも作れるように 頑張ってね♪私自身 建物の8階で経験した大きな地震の揺れ物が倒れ 落ち 崩れこのまま倒壊したら 確実に死ぬという恐怖に足が竦みまた テレビに映し出される あまりに凄まじい被害の様子に心がなかなか戻れずにいましたやっと 久しぶりに 更新する気持ちになれて冗談も言えるようになって何気なく言ったこと 書いたことが誰かを傷つけてしまっていたら ごめんなさいね m(__)m
March 31, 2011
日を経て 実家へ 私が持っていた 卓上グリルを届けに計画停電にも慣れて来て 湯たんぽも併用「大丈夫だよ」との事でも 練炭は一酸化炭素中毒の心配があるとテレビでやっていたので 心配に ・・そーいえば卓上ガスコンロは 電気と関係無いんじゃない?という 最初の提案を拒み続けていた父を説得してやってみる事に♪初日は ファンヒーターのガス栓から卓上コンロを引いて 鍋でお湯を沸かしてみた蒸気で部屋が曇る程になって結構 暖かくなったその後は 煮物を作ったり 先日は お昼にラーメンを作って一緒に食べたり 熱源も無駄にせず 調理した物を 美味しく食べられるのでこれも いいかも 昔の物を出して来たり 節約節電 アイディアを活かして工夫するのも 面白いもの(*^^*)1000年に1度と言う規模の地震平安時代に記録が と聞き歴史や古典の中の事と 別世界のような思いでいた時代に初めて親近感を抱いた 私でした(^^*ゞ(被災の事ではなく 嬉しい事だったら どんなに良かったでしょうねm(__)m)
March 29, 2011
暖房器具実家では ガスファンヒーターを利用している電気と連動しているので震災後 計画停電の度に使えなくなってしまう 「物置から 何十年も前の練炭を出して来て炭を入れて使い始めた」と父「寒くないの ~?」「うちのストーブ 3つあるんだから1つ持って行こうよ」と次男「オレが寒い!」 おじいちゃんのひとことで あえなく却下となりました f(^^;) 父との話に「こちらは塀も壊れず 屋根も無事で 被害は殆ど無いから 大丈夫ですよ」おじいちゃん「そうですか こちらは塀が全部倒れて 屋根も棟瓦(ぐし)が駄目になって ・・」地震の被害が大きいのは 我が家かもしれないけれど実際 暖かく過ごす事が出来ている 殆ど1人暮らしの 80過ぎの父が 練炭1つで 寒さを凌いでいる状況客観的に見てどちらが 今 手を差し伸べて欲しい「被害の大きさ」なのだろう?
March 28, 2011
いつもポケットに入れていた 携帯ラジオ自治会で貰った 自家発電の懐中電灯 ペットボトル行火 500mlのペットボトルにお湯を入れておくと結構 あったかいです (*^^*) 我が家の熱源 燃料は 灯油 ガス 電気と別れていたので 地震直後 電気がストップしても 暖房は石油ストーブで暖かくお勝手はガスコンロで 調理も出来ました ただ 炊飯器が使えないので その分 卓上ガスコンロを出して 利用しましたが ・・「ん~ ガスでご飯 炊けるようにしておいて 良かった(^^*ゞ」買い物も 母の介護に通うようになってから 結構沢山買い込んで 冷凍室に肉や魚を常備するようになっていたので慌てずに済みました何日かしてから買い物に出た時に スーパーやホームセンターの棚が 異常事態になっている事に吃驚インスタントやレトルト 保存食品 納豆 卵 電池 卓上ガスコンロ カセットコンロ ストーブ ゆたんぽみんな品切れ状態でした 「あら 私 世の中の動きに取り残されてる ~?」(*^^*ゞその後も 計画停電の実施灯油の流通もストップし 在庫を少しずつ少しずつ節約しながら ストーブを利用 ホットカーペットが消えてしまうと 足元が寒い毛布を掛けたり ペットボトル行火を抱えたり 毎回 工夫しています
March 28, 2011
ご無事でいらっしゃいますか ~? 我が家は多少 修理が必要な状況になりましたが(塀が崩れました (/。\) 屋根も ) 日常生活は なんとか出来ています ニュースを聞き続けていますが津波や火災 建物の倒壊行方不明 亡くなられた方々被害の大きさに 言葉が見つかりません 1日も早い復旧を 心から願っています 道路側に倒れた塀を 翌日 すぐに片づけて頂きましたすべて「瓦礫」ですね (*^^*ゞ こんな感じで すっきり~ きれいなものです 屋根も壊れました(;_;)これを機に 子供達が卒業記念で作った瓦を乗せようと(実際 数が足りないので)出して来ました仙台で生活していた次男は 帰省中で そのままずっと 一緒に過ごしています 横浜の長男とは 静岡で大きな地震があった後暫く連絡がとれなくなりましたが それほど生活に変化はなく 今はすっかり元通りとの事 ただ 先日は九州でも地震がありましたね 余震も毎日のように続いています原子力発電所の事もありますし不安な日々は いつ終わるのでしょう?被害の大きな地域の皆さまの事を思うと 心がいたみます私にも出来ることを 毎日心がけながら 被災地の皆さまへ お見舞い申し上げますそして ・・我が家へも 沢山のお気遣い 感謝しています
March 24, 2011
のぼうの城のことジョゼさんに声をかけて頂いてもっともっと書くつもりだったのだけれど ・・・すっかり間があいてしまいました・・俺たちがついてなきゃ あののぼう様はなにもできゃしねえ領民たちに そう言われながら慕われ 助けられ 戦をも乗り越えていく城主籠城の話が出たとき村人たちは 一様に騒ぎ 申し付けを避難したのに長親の名を出すと「しょうがねえなあ あの仁も」「のぼう様が戦するってえならよう我ら百姓が助けてやんなきゃどうしようもあんめえよ なあ皆」とうてい領主の徴発に応じる百姓とは思えない態度で返している優れた城主 長けた総大将と言うのではなく何もできない「成田長親」それゆえ 家臣はおろか領民までもが 何かと世話を焼きたくなる愚者としての印象 生のままの自分をさらけ出しているだけの長親そういう男なんだよ あの男は三成は言った「この忍城の者どもは 士分も領民も一つになっておる」と言わしめたのである何処の土地 地域でも諍いなどしないで 一つになれることが 理想 なのでしょうね何でも出来て統率力があって 完璧な指導力を発揮出来る人間能力があること自体 素晴らしい事だけれど何も出来ない事もまた 不思議な魅力を醸しだし 人の心を引きつけ 偉大な「力」を生み出すのぼうのような人柄ちょっと(かなり)羨ましいそれから もうひとつ 強き者が強きを呼んで 果てしなく強さを増していく一方で弱き者は際限なく虐げられ 踏みつけにされ一片の誇りを持つことさえも許されない小才のきく者だけが くるくると回る頭でうまく立ち回り人がましい顔で幅をきかすならば無能で 人が良く 愚直なだけが取り柄の者は踏み台となったまま死ねというのか「世の習いと申すなら このわしは許さん」 長親は決然といい放ったその瞬間成田家家臣団は 雷に打たれたがごとく一斉に武者面をあげ戦士の目をぎらりと輝かせた(・・・そうだったのか)丹波は 長親と自分との違いをまざまざと見せつけられたおもいがしたなんの武技もできず 聡明さのかけらも感じさせないこの大男が余人が捨てた ただひとつのものを 持ち続けていたのぼうの城 和田 竜う~ん無能で愚直な私は 虐げられ踏みつけられ滅んでしまうのでしょうか ?「世の習いと申すなら この私は許さない」そうかっこよく 言ってみたい (^^*ゞ でも「しょうがねえなあ あの花(/。\)も」「花(*^_^*) が何かするってえなら みんなが助けてやんなきゃどうしようもあんめえよ」「俺たちがついてなきゃ なにもできゃしねえ」って支えて貰えたら 嬉しいなあだって 助けて貰えなかったら 生きて行けない(*^^*ゞ
June 7, 2009
のぼうの城 和田 竜「刑部よ 人とはこんなものなのか銭と武力で圧倒すれば これほど簡単に性根を失うものなのか」三成は 30歳になっても変わらぬその端正な横顔を吉継にみせたままそうつぶやいた(好漢だ)吉継は 三成の横顔をみながらおもった吉継のみるところ 三成はその容貌とはうらはらにとてつもなく激しい気性の持ち主であるかつ 強い美意識で自らを律する男でもあった三成のまずさは そうあることを自分にだけではなく他人にも求めたことにあるそして 他人が自分の規範に合わないとみるや天下で5本の指に入る頭脳から繰り出される言葉でもってその者を正面から罵倒し面目を失わせたそのことは 身内にも多くの敵を作らせたが吉継だけは三成の心の置き所を快とし 同時に「数多い敵からこの男を守ってやらねばならぬ」と自らの役割を決していたいま 三成の目の前で起きている出来事はとうていこの男の美意識にかなうものではないそれどころか(なぜ命を張って戦を仕掛けぬのだ)攻城軍の主将にあるまじき心情すら抱いている善継は 三成の言葉を美意識の発露として受け止めたが一面現実化のこの男は「勝利者のみが抱ける甘美な感傷じゃな」と その心中とはまったく逆の言葉で三成を諫めた三成は黙っていたただ 心の中でおもっていたことがある・・・忍城の者どもも こうなのだろうか銭を積めばしっぽを振り 殴ると脅せば尻尾を垂れる人間とは そんな他愛のなのものなのかそうなれば 人間全体を見限ってしまうであろう自分を三成は容易に想像できた権力 暴力 圧力 ・・また 有利 優遇されることで人間性を失ってしまうあって欲しくないと願いながらそれは 理想論でしかないのだろうか三成は繰り返す.。・:*:・°`☆一冊全部 読み終えました歴史物にしては珍しく女性に人気があるとの話があったけれど「なんなとなくわかるような気がする」読後感を持ちましたもっと早く纏めて長親の戦の様子 周りの人達とのやり取りを書きたいのですが用事をしたり 出かけたり時間が無くて なかなか更新出来ません (*>_
May 5, 2009
白河 桑名 行田サミット平成21年5月4日(月)教育文化センター「みらい」文化ホールにて三市紹介スライド上映第1部 記念講演 演題『のぼうの城』 講師 和田 竜第2部 パネルディスカッション テーマ 『歴史と観光』パネラー 白河市長 鈴木 和夫 桑名市長 水谷 元 行田市長 工藤 正司コーディネーター 大正大学 准教授 塚田 良道 講演を聴きに 行って来ました (*^^*)先日 案内のチラシが入って「オレ 行くかな」 とパパ今日「和田 竜の講演行くんだよね」「オレ 行くよ」「一緒に行こう ~」「で 何時からだ?」「えー パパ知らないの? この前 案内見てたじゃない(/。\)」「行く気があるんだったら とっとけよな!」 (もー パパ 行く気だったんでしょ (--メ))こんな感じで ぶつぶつ言いながら 早お昼を食べてお出かけ ♪会場 駐車場に白河のバスが停まっていて「なんで白河と縁があるか わかるか」とパパ「んー 桑名とも交流してるんだよね」「それで?」「えーっと ( ‥) ???」「講演の中で話が出るから よく聞くんだな!」また怒られてしまった (*^^*ゞ 白河藩 桑名藩 忍藩の三方領知替え文政6年(1823)3月24日江戸幕府は白河 桑名 忍の3藩に領知替えを命じたこれにより白河藩主松平定永は桑名藩へ 桑名藩主松平忠堯は忍藩へ忍藩主阿部正権は白河藩へと移ることとなったこれが行田 桑名 白河の三市友好提携のもととなった「三方領知替え」である領知替えは「天封(てんぽう)」または「国替(くにがえ)」ともいい豊臣秀吉が賤ヶ岳の戦いの後 織田信長の有力武将を配置替えしたところから始まる和田 竜さんの講演は「のぼうの城」を書くきっかけや 映画化の話何度も博物館や丸墓山に来た事など小説の裏話が 盛り沢山でした私の印象としては 風貌 話し方等 イチローに似てるかな ~ 思いがけず 本にサインもして頂いて ・・○○さんへ って私の名前 ♪パパ ごめんね m(_ _)m映画は再来年 公開予定主役は誰が演じるのでしょう ?? (*^_^*) そして 三市の市長さんのパネルディスカッション☆ あらあ 市長さんって面白いのね ☆時間がかなり押しているにもかかわらず会場の皆さま 勿論私も 話に聞き入ってしまいました o(*^^*)o(随分 裏方さんの巻きが入ってましたけど)
May 4, 2009
「戦がないじゃと」百姓 家臣らがざわめき始めたその中には下忍村の乙名 たへえとその息子のかぞうもいた下級の侍どもは純真なものである「戦がないとはいかなることにござるか」怒気を発して丹波に詰め寄る者もいる「ちっ」とふてくされたようにその場を離れていく和泉を一瞥して丹波は一同に向かい 厳命を下した「皆の者 今聞いたこと他言すれば命はないものと心得よ」猛将丹波のひと言に百姓はおろか侍どもも震え上がったときである「あのな みんな」長親が場の雰囲気にまったくそぐわぬ声を発した(何を言う気だ)丹波は長親に向き直り 正面から目でそう問うた 「すべて話そう」長親はいった「ならん」丹波は素早くとどめる「隠せば噂は広がる 洗いざらい話せばみんなわかってくれる」長親は当然のことのようにいう脅しあげて口を封じるからこそ噂は真実をもって人から人へと伝わるすべてをぶちまければ家臣や百姓らは自ら口を閉じる意味を知り内通の噂が北条家にまで洩れることはなくなるだろうと長親はいっているらしいだが 家臣はともかく秀吉の支配下に入ってもなんら問題のないはずの百姓など信用していいものかやがて丹波は(・・・わかった)と 長親に目でうなずくと百姓らに向き直ったすべてを話す相手を信頼して みんなに話す隠して隠して 秘密にして一部の人間しかわかっていない閉め出された方は どう感じるだろう物事が内緒で進められ こそこそとする様子は何気ない拍子に わかるもの人を除外し 人を試したり ・・自分がされたら どう感じるのだろうまず 自分から話をして 相手を信頼しなければ 疑念を抱かれるすべてを話すこと よく理解し合うこと大事ですよね (*^^*) そう書きながら ・・言わない思いやりって事もあるし 悩んでしまいそう (^^*ゞ どんな形であっても信頼関係を作り しっかりとした繋がりを持てるように努力して行く事が 大切なんですよね (*^-^*)
April 23, 2009
「あのな」そこに座の空気に斟酌しない 馬鹿の声が聞こえた長親である「北条家にも関白にもつかず今と同じように皆暮らすということはできんかな」世迷言を言い出したあまりの暴論に 成田家臣団は一様に唖然とした山角 成尾にいたっては すでに怒気を発している丹波も目もくらむ思いがしたが(・・・そういえば)と 一方で思い直した長親は 先だっての衆議のときにも同じことをいっていた無論 その馬鹿馬鹿しさに誰も相手にしなかったがなんのつもりかこの馬鹿は 今度も同じ事を繰り返している・・・今と同じように皆暮らす誰もが望んだことである長親は ただそれを口にしたに過ぎない(だが そんなことができるくらいなら こんな苦労はせん)丹波が長親の妄言を叱りつけようとしたとき「この大たわけが」怒鳴り声を上げたのは長親の父 泰季である長親の首根を押さえるや 板敷きに何度も息子の頭を叩きつけ申し訳ござらん と北条の使者に繰り返し謝った70過ぎの老人に 40男がねじ伏せられているその画は 滑稽とも何とも言いようがなかった北条の使者は怒りも忘れ しきりに瞬きを繰り返しただが どういうわけか長親は頭を打ちつけられながら怒るでもなく かといって謝るでもなくただ無言でいた(またこの感じだ)丹波は 妙な違和感を長親に時々抱いたそれは 少年のころから長親と付き合い何度か得てきた感覚であるなんなのだ 長親にはとうてい不似合いなこの感じは ・・・のぼうの城 和田 竜子供が喧嘩をしたときは「仲直りしようね」と 親は間を取る宥め 仲立ちをし また一緒に遊べるように誰もが配慮する子供はまた 何も無かったように 遊び始める成長して行くに連れ何故 元に戻れなくなってしまうことが増えるのだろう仲違いしたら「ごめんね」と誤解や悪かった所を反省し 改めて行けばいいのに誤解したことを根に持ったり 間違った所 改善する事の話が出ると「ごめんね」ではなく 逆恨みをしたり だんだん 嫌がらせや当て付けをするようになったりそんなことをするからそれはおかしいよ 間違ってるよ と指摘されるまた 悔しくて さらに様々な事を企むようになる「悪かった」「すまなかった」と それだけで和解すれば なんでもないことなのに仲違いする人がいたらどちらの味方をする というのではなく一緒に 穏やかに 和やかに和気藹々と過ごせるよう 私は願う汚い噂を流す人 人の悪口を言う人 その事を信じるのではなく楽しい話が出来る方がいい面白い人 尊敬出来る人 一緒にいて心温まる人がいい誰かを攻撃したり 仲間はずれにしたり 中傷したりそんなことを面白がってするような生き方例え 「馬鹿」「空気が読めない」そう言われようと私も「北条家にも関白にもつかず今と同じように皆暮らすということはできんかな」そう 呟くだろう
April 21, 2009
三献茶秀吉が信長麾下(きか)の部将だった近江(現在の滋賀県)長浜城主時代のことだこのとき秀吉は 初めて万石の大名になったこともありやたらと領内を騎馬で走り回っては 領民たちに声をかけたその帰りに「観音寺」という長浜城から1離半ほどの近郊の寺に立ち寄った「茶をくれ」秀吉が命ずると 1人の少年がぬるくたてた茶を大きな茶碗に7 8分目ほど入れて持ってきたという「うまい」遠出の帰りで喉の渇ききっていた秀吉は一気に茶を飲み干し「今一服」と茶碗を返した2度目に少年が持ってきたのは大茶碗に半分足らずの量で 先ほどのより少し熱めの茶であるそれも飲み干し さらに一服所望すると3度目は暑気の強いころにもかかわらず湯気がたって見えるほどの熱いお茶を小さな茶碗に入れて持ってきた(・・・なるほど)茶を喫しながら 秀吉は微笑を浮かべた(喉の渇きが和らぐに従い 茶の熱さと量を変えたか)ためしに秀吉が少年に「何ゆえ3度献じた茶に変化を与えたのか」と問うと少年は秀吉が予想した通りのことを誇るように答えたそれも自ら考えてそうしたという秀吉は この機転にも感心したがむしろ自らの才覚を主張してはばからない清々しさと領主であると知りながら堂々とそれをやってのけた胆力を気に入った(かつてのわしのようじゃ)秀吉はそう思ったのに違いない「名は」と 問うと少年は「石田佐吉」と 答えた12歳のころの三成であるこの出会いをもって秀吉は三成を召抱えることに決めたこの話は 広く世間に流布され 3度茶を献じたことから「三献茶」と称された秘書検定に 上司が外交から戻ったとき どんなお茶をいれたら良いかそんな問題が出たと 聞いた事があるこの話を知っているかどうかを含めての問いらしい確かに 喉が渇いているとき熱いお茶では なかなか飲めない飲み頃の温度というものがあると思うでも そんな気遣い日常 できるでしょうか ~?(*^^*ゞ先にお湯を茶碗に入れてから急須に注ぐとポットの熱い温度が下がり 量も測れ無駄が無く注げると 近所の人に教わったコーヒーメーカーをいろいろ見ていたら適温の90度のお湯を 保温状態ではなく沸かし立てで注げるという物を見つけ 感動☆あ ポットも 98度 90度 ミルク玉露茶用温度設定 いろいろありましたね (^^*ゞ
April 20, 2009
「のぼうの意味 わかったよ!( ^-^ )」「でくのぼう なんだよな」「で のぼう様 ~」きゃー花(*^^*) も「のぼう」って呼ばれそ ☆丹波は疾走しながら長親をおもったのぼう様とは 「でくのぼう」の略であるそれに申し訳程度に「様」を付けたに過ぎない長親は図抜けて背が高い脂肪がのっているため横幅もあり身体つきは大きいが容貌魁偉であるとか 剛強であるとかいった印象を一切ひとに与えなかったのぼうの城 和田 竜
April 20, 2009
武州忍城は 現在の埼玉県行田市に位置した成田氏の居城である成田氏はその系図をたどれば大化の改新で功があった藤原鎌足に行き着く名族で北は利根川 南は荒川に挟まれた行田市周辺の一帯を領してしたらしい成田氏の業績を記した『成田記』によると忍城は「知人勇の三徳を備えた武将」といわれ成田家の所領を飛躍的に拡大させた15代親泰が築城したという本領である成田の在所(現在の埼玉県熊谷市上之)から忍の地を征服し引き移ったときのことだ三成の時代から およそ百年前にあたるいまは15代親泰を経て上杉謙信とも一戦を交えた16代長泰も4年前に死に長泰の子 成田氏長が17代目の当主となっていた兵力はわずかに一千である三成が率いるであろう二万の兵にあらがうべくもない「武州忍城をすり潰せ」秀吉から下知されたとき三成はこの百年前に築城された忍城の絵地図を見せられた・・・湖に城が浮かんでいる三成は小さく驚いた忍城は 洪水が多いこの一帯にできた湖とその中にできた島々を要塞化した城郭であった三成が改めて絵地図を見ると本丸をはじめとして二の丸 三の丸 諏訪曲輪といった城の主要部分のそれぞれが独立した島であった大きな湖のほぼ中心にそれらの島は浮かんでおり橋で連結されていた本丸などの主要部分の周りは 侍たちが住む武家屋敷群が囲んでいるこれも独立したいくつかの島々であるさらに湖を出た城の東部の陸地には 一本の道が突き出るかたちで通っておりその両側に町家が立ち並んで城下町を形成していたただしこの城下町も湖から流れ出る水路が塀となり城内に取り囲むかたちをとっている(異様な城じゃな)三成は 絵地図を凝視していた秀吉は このとき示唆じみたことを言ったが他意はないただ この城の形状を指して言葉を発したに過ぎなかったのぼうの城 和田 竜「へー パパ 上杉謙信 ここに来たことあるんだ ~?」「去年の大河でやってただろう ガクトの謙信が陣を構えて って見たじゃないか」「ん~ 見ながら寝てたかも (*^^*ゞ じゃ 阿部謙信も来たのかなぁ?」「ウーン /(-_-)\」「博物館の催しに参加した時 説明聞いただろう」「えーっと そんなような気もする (^^*ゞ 」「せっかく連れて行ってやったのに なんにも覚えてないんだな」「みんなで一緒に おべんと食べたの 覚えてる ~♪」
April 18, 2009
のぼうの城 和田 竜時は乱世天下統一を目指す秀吉の軍勢が唯一 落とせない城があった武州・忍城周囲を湖で囲まれ「浮城」と呼ばれていた総大将・成田長親は領民から「のぼう様」と呼ばれ泰然としている男智も仁も勇もないがしかし 誰も及ばぬ「人気」があったこの城敵に回したが 間違いか「この本 知ってる?」先日 パパが新聞の案内を見ながら 声を掛けてきた「おじいちゃん(父)が入院中 人に貸して貰って 読んでたよ」「へー で 内容は知ってる?」「( ‥) ン?」その後 買って来て「一気に読んだ」と私に読むよう 勧めてくれた「親子で話 すれば ~」だって (^^*ゞ 皆さまへ ・・いつもいつもご無沙汰で すみません m(_ _)m同じ言葉ばかり繰り返していますがゆっくりゆっくり 続けて行きますね
April 17, 2009
お祝い我が家は クリスマスから始まって長男の誕生日 お正月 私の誕生日両親の結婚記念日 私たちの結婚記念日と成人式まで お祝い事が続きます当日のお祝いも 勿論嬉しいですがなるべく みんなが揃った時に「おめでとう」と お祝いします我が家と実家と みんなでお食事 (*^^*) 別々になってしまう時もありますが両方の家で 2回お祝いとなんだか得した気分かな ~♪外食も美味し 買ってきた物を並べて味わうのも楽し出前を頼むこともあるかな ☆ 「次回は鍋でもしようか」と提案が !( ^-^ ) 友達と祝うのもまた いいですよね ( ^-^)∠※.。・:*:・°`☆、。・:*:・°`★
January 7, 2009
初詣に行って参りました ~毎年購入の絵馬と はま矢です (*^^*) 3日夜 五穀豊穣のお食事を頂いて 帰りました健康と幸福を たくさんお祈りしましたよ ♪
January 3, 2009
新春のお慶びを申し上げます本年も どうぞ宜しくお願い致しますね (*^^*) 家族みんなで のんびりと過ごしております賀状もたくさん頂きまして ありがとうございました結婚された方 引っ越しされた方 お子さんの成長葉書の中に 皆さまの近況があふれています我が家は ・・・母の介護 ショートステイと私が実家にお泊まりの生活が 今年も続きそうです (*^^*) おじいちゃんは 畑仕事を頑張ってパパも仕事に 趣味も楽しんでまた 一緒にお出かけ 旅行も出来るかな ~子供達は 充実した学生生活を送ってね (*^_^*)そうそう 暮れに子供達が帰省するとき珍しく「なんか買って来て ~」と呟いてみた私父が「ちょっと頼みたいものがある」と言ったのが きっかけだったのだけれど ・・長男が『バームクーヘン』 次男が『萩の月』を ~♪みんなで美味しく 頂いています (*^.^*)
January 1, 2009
皆さまへ ・・今年は母の介護と父の入院が重なり実家に泊まる事の多くなった一年となりましたパソコンを開く時間が少なくなって更新も 皆さまへのコメントも あまり書けなくなってしまいましたが皆さまの記事を読ませて頂くのを いつも楽しみにしています.。・:*:・°`☆、。・:*:・°`★本年も大変お世話になりましたどうぞ 良いお年をお迎え下さいませ 皆さまのご健康とご多幸を お祈り致しております (*^_^*)
December 31, 2008
奈良 京都の旅 ~ ち~さん 来楽暮さん ゴン母さんとの出会いの後に ・・Q会開催の日に 家族 ・・ と言っても 主人と2人夫婦で関西方面に出かけて参りました (*^_^*) ブログでお世話になっている皆さまとも どうしてもお会いしたくて お話ししたところ東京駅で会う 大学祭にお邪魔させて頂く等 いろいろ検討して頂いて幹事のあみこさんが 呼びかけてくれました当日の様子 3人の方は 既にアップさせて頂きましたがなかなか 怒濤の更新☆と言うわけに行かなくて (*^^*ゞQ会マスコット キュートなゴンちゃんを囲んで ・・ パラリンピック銀メダルのち~さんに メダルや記念品 写真をたくさん見せて頂いたり来楽暮さん ゴン母さん 皆さんと 出発の時間まで 話が弾みました 来楽暮さんのかわいいストラップ♪ 頂いたシュシュは旅行中 私の髪に ~ち~さん ゴン母さんにも お土産を貰って ・・本当に 会の前もその後も すべてお世話になったまま東京駅へ ~ Q会の様子は 参加された皆さまのブログで 拝見しましたよ (*^_^*)楽しさを分けて下さって ありがとうございます何度もメールを送って頂いたQ様 妻さまも 感謝しています ☆棟梁さん 次回は会えますように ~ アネゴさま BB命さま GBさん ブラックくん皆さま 楽しみにしていますね ♪ ・・ 一泊目のお食事 ~2泊目です ~ こーんな感じで 写真をいっぱい撮りました☆
November 25, 2008
ドッグカフェにて.... キャットカフェにも行ってみたい 花(*^_^*) ワンちゃんもにゃんちゃんも 大好きですぅo(^-^)o
November 23, 2008
今日は夕方から Q会が開かれます... 家族旅行の花(*^_^*)は 参加出来なくなってしまったのですが あみこさんが計画を立ててくれて 来楽暮さん ち~さん ゴン母さんが 集まってくれました パラリンピックのメダルや写真 記念の品物を たくさん見せて頂きましたよ~ お話弾んで あっという間に 新幹線の時間... 今はもう 東京を出発して 京都に向かっています 皆様 ありがとうございました m(_ _)m Q会のお話 ブログで楽しみにしていますね (*^_^*)
November 22, 2008
金曜日のことです (*^_^*) あれ 自動車が全部家にある ~?夕方 実家から戻ってみると 2台の車が ・・「パパ なんで会社に行ったの?」そー思いつつ お夕飯を済ませてのんびりしていると「駅まで迎えに来るように」とメールが 。。時間通りに 電車から降りて来ました「はい 土産 ~」あら めずらしー ・・・『北海道農学校 純北海道産特製ミルククッキー』って書いてあるモンドセレクション最高金賞受賞ですって ☆「なんで北海道大学認定なんだろうな」「んー 北海道大学 行ってきたの?」「(^-^ ) ニコッ」んー わからないなぁ ?先週は韓国だったし ・・各企業 各大学を 駆け回っているパパ私には 仕事の事は わかりません (*^^*ゞ ポリポリ で 昨日は 父も一緒に3人で次男の学校の大学「彩」へ ~今年のテーマは 「一彩合祭」ロボットを操縦させて貰ったり 本物のアンモナイトや化石を見ながら学生さんに 丁寧に教えて貰ったり留学生の方とお話したり日帰りは忙しいかなと思っていたけれど 結構ゆっくり出来て展示や催しも 充分楽しむことが出来ました父の意外な?面も発見出来て 面白かった ~ (*^^*) 学生さんでも誰でも 和やかに話しかけて会話が弾んじゃうこれはもう 特技でしょうね(私や孫にも分けて欲しい その才能♪)「留守番してるよ」と 送り出してくれたおじいちゃんに喜多方ラーメンと いも煮をお土産に自動車の中で しっかり熟睡して帰った 花(*^_^*) でした
November 2, 2008
こんにちは ~またまた ご無沙汰です (*^^*ゞ ポリポリ まっちさんから ・・「介護ガンバレ」のメッセージを添えて 来楽暮さんのコサージュを送って頂きました ~ありがとうございました (*^^*) もー 吃驚ですぅ 。。ピンクのコサージュ軽くて とめやすくて 綺麗で 可愛らしくて ・・嬉しいです (*^_^*)大切にしますね ~ありがとうございました .。・:*:・°`☆、。・:*:・°`★母の様子も 随分落ち着いて来て「おまえたちが泊まらない日を作ってもいいかな」「また 2人で暮らせる日が来るかな」そう 父の呟く事が増えてきました母の腕も少しずつ柔らかく動くようになって来たと着替えを手伝う度に 感じています少しずつ ・・ 少しずつ 。。母のショートステイの日数もだんだん減っていくかな ~皆さま いつも見守って頂き また 助けて頂いてありがとうございます 。。
October 21, 2008
皆さまへ ・・今回もまた すっかりご無沙汰してしまいました元気にしています ~更新リクエストメール そして私書箱に ありがとうございましたずっと更新 考えていたのですが 日にちばかり 過ぎてしまって ・・メールの返事を 近況報告としてそのまま 記事にさせて頂きますね 。。 こんにちは ~更新リクエストメール ありがとうございました介護の日々 我が家と実家 半々の生活が続いています記事にしようかな 書きたいな と思うこと幾つかあるのですが頭の中で 纏まらずにいます難しく考えずに 写真を載せて ひとことでも ふたことでもいいんですよね ・・ (*^^*) あちこち お出かけするゆとりも出来ましたお菓子作り お料理も 楽しんでいます読書もまた 少しずつ 。。いつもありがとう ~もうちょっとしたら 更新 出来るかな ~ ?それでは また 。。 (*^_^*) こんにちは ~メール ありがとうございました (*^^*)いつもお心遣い 感謝しています母の介護 ・・今月は 実家の方へ「半分お泊まり」という状況です昼間は家に戻って 洗濯 食事の用意夕方 再び実家で 3人の生活 。。 自宅に居るときは 日中 母のショートステイ先へそして 父の様子を見に ・・父の食事を作ることもあれば 届けるだけの時もありまあ 気ままに 「好きな物買ったから いいよ」或いは 「あるものでいい」と言う事もあるので随分 楽をしています同居のおじいちゃんも 「90歳過ぎて 一人でご飯炊きするとは思わなかった」と小さな炊飯器でご飯を炊いてお総菜を買って来ていることも 。。全部私が作った物 というより少しずつ お勝手のこと出来るようになって行ってるみたいです私が倒れた時も 義母が寝込んだときも 父 母 義父が入院したときもその時その時いろんな事がありました家族が 姉妹が 子供達がみんな それぞれに出来ることを協力して 助け合って 具合が悪いから じゃなくていつも いつでも 協力して 助け合って ・・いいですよねそんな関係 って (*^_^*)
September 8, 2008
母が リハビリ施設から戻ってきました先月29日父と一緒に迎えに行きそのまま私も実家で生活です母はとても元気で 食欲もかなり出てきました ☆一ヶ月半 リハビリ施設でお世話になって ・・ 一対一の介護から 離れたから見えるようになったことも幾つか あります機能の回復は なかなか一人で全部出来るような所までは戻りませんがまた ショートスティとデイサービスでお世話になりながら家庭 家族という単位で 母を見守っていこうとみんなで話し合いました今までは 姉と私が2人で交代で母を介護していましたが退院して 大体のことは自分で出来るようになった父がこれからは 一緒です週に3 4日 ショートが入り 2日間は 朝から夕方までのデイサービス「予定がいっぱいだね ~♪」と 嬉しそうな母夕方には 「明日は何があるんだっけ?」と確認して着ていく洋服のお洒落も忘れずに楽しんでいます (*^_^*) 皆さまの所にお伺いする事が少なくなってしまってとても残念なのですが私も家族も 元気に暮らしています相変わらず「いなくていいよ ~」と言うパパ(「実家に帰りやすいように言ってるんだ」とは 本人の弁まったく 天の邪鬼です (*^^*) )時々 携帯から ・・家に戻ったときはパソコンから 皆さまの所に飛んで行きますのでどうぞ 花(*^.^*)の事 忘れないで下さいね ~宜しくお願い致します ♪どもども( ^-^)∠※.。・:*:・°`☆、。・:*:・°`★
July 2, 2008
大文字草実家の庭で写した写真です「今年もまた咲いた ~」そう思いながら シャッターをパチリ子供の頃住んでいた家の庭でも八つ手の木の下に 紫蘭と一緒に咲いていました私にとっては 「大文字草」ユキノシタとも呼ぶと 聞いていました先日 お花に詳しいyuki1040005さんのページに この花の写真を見つけて ・・「キジンソウ」とありましたいろいろな呼び方があるんですよね和名洋名 通称 愛称金線草(きんせんそう) 雪の下 イワブキ キジンソウ ユキノシタ科とありました変わった形の 可愛いお花です ~ (*^_^*)
June 24, 2008
ニゲラ真っ白に咲いているけれど 和名は 黒種草青や ピンク 紫 クリームの花の色も綺麗花言葉は 『不屈の精神』「未来」「夢で逢いましょう」など ・・今は花期が終わって 風船のような鞘の中に種がいっぱい出来ています人生のテンポ私は記事を書くのが遅いです他の方のブログを読ませて頂いているとお仕事をしながら 好きなこと 趣味 読書などもたくさんされながら面白い記事を毎日のように更新されている ・・どうしてできるんだろう って 羨ましくなります私は 書きたいことがあっても 書き出すまでに 時間がかかるパソコンを開いても 取りかかるまでにまずワンクッション書き出してからも また 時間のかかることたぶん 皆さんの何倍も .・゜゜・(/。\)・゜゜・.記事を拝見して コメントを書くのも時間かかってますね ~辿り着いても 眠くなって時間切れ (*>_
June 23, 2008
母の帰宅17日 2泊3日の外泊許可を貰って母が帰宅しました母がまずしたことは友達への電話「あのね ○○さん 私ね シンド3なの ~」え 今 なんて言ったの?もー 「要介護3でしょ ~ 」姉と 笑い転げる私 「あら あなた 声が小さいわよ」それって あんまり可笑しくて 受話器押さえているんじゃない ?すまして新聞を読んでいる父「ねえ おじいちゃん 可笑しくないの~?」「あ いや そりゃあちょっとは なあ」と吹き出すこの後何度か 用を頼まれる度に「おばあちゃんは シンド3だからね ~ ヽ(^-^ )」と呟いたら「構うんじゃないっ 大した違いじゃない (*'へ'*) 」と怒られてしまった (*^.^*)ふぇ~(大した違いだよ ~)地震で大変だったのは 次男Hのところ ・・今も 被害のニュースが流れています報道が終われば それで終わり ではないですものね一日も早い復旧 願っています母は リハビリ施設に戻っていく途中スーパーで買い物がしたいということでちょっと寄ってみましたいつもは車椅子なのですが今回は カートを押すだけで歩いて買い物が出来ました短時間でしたけど こんな事は 久しぶりです母の回復に ほっ (*^^*)母の努力に 応援 ☆ 皆さまに 感謝ありがとうございます ~
June 20, 2008
結婚指輪についてちょっと面白い記事があったので 載せてみますね ~結婚指輪 する? しない?あなたはどっち ネット調査の軍配は「好印象」「違和感」真っ二つしている派男性 少しでも 妻とのつながりを感じていたい既婚者だと第三者に分かるし 自身も指輪を見ることで理性に歯止めがかかり無茶をしなくなるから暗黙に既婚者と伝わる 海外の仕事の際 年齢的に既婚の方が印象が向上し 経験上有利な点が多いしたくないが「既婚隠し」と誤解されたくない女性していないとなくしそう 水仕事のみ外す海外旅行などでは必ずする 万が一の事故に遭ったとき 裏に名前が彫ってあり誰だかわかるので結婚していれば 指輪をするのが当たり前という感覚があるから体重増やむくみの判断基準にもなるしていない派男性仕事に支障をきたすので似合わないから するなと妻に言われているそもそも男がするなんて嫌なので 結婚の際に断って持っていない指に違和感があり きつくもなってきたので 配偶者と話し合って 二人同時にやめた正直ちょっと冷めた時期もあったので女性仕事や家事の時に邪魔子供が生まれ スキンシップをとるのに体に当たるのが気になるから縛られているみたいで嫌結婚式で一つの儀式として指輪交換があり そのために作ったようなもの因みに我が家は 二人とも最初からしていません ~ f(^^;) ポリポリパパは全く関心が無いから ・・私は している事自体が気になってしまうのと家事の時 いちいち外すのが大変なので 。。記事を読みながらけらけら笑っていたら「全く 何がそんなに可笑しいんだ」と パパ「ね 結婚指輪 何処にしまってあるか知ってる?」「知らない」「そーだよね ~」お互い 指輪に関して無関心だから 喧嘩にもならず ・・でも どちらかに拘りがあって「なんでしないの」とか「絶対するように」とか強制するようなことがあったら 大変なんでしょうね (*^m^*)まあ 別のところで価値観の相違たくさんあるのだけれど ・・結婚指輪皆さんは どうされていますか ~?独身の方は どんな夢を描いているのかしら ?そう言えば母と姉 義兄は してますね ・・ (*^_^*)
June 16, 2008
朝 パソコンを開きながら テレビを見ていると「岩手の方で地震」アナウンサーが告げた「地震の警報が出ています 注意して下さい」そんな言葉を聞きながら地震の予告なんて珍しいと のんびり落ち着いている私程なく グラグラと揺れる震度1くらいかなそれほど大きいとは 感じなかったけれど ・・それから テレビは特別報道に変わりどのチャンネルも ニュース ニュース!え 岩手が震源?宮城も震度6「Hにかけてみろ」とパパ次男に電話「・・・・」まあ こんなに凄い地震なのに まだ寝てるのかしら?・・ 物が当たって 気を失ってたら大変「おかけになった電話は電源が切れているか 電波の届かない ・・・・」あら 繋がらない 心配すること 数分何度かかけて やっと通じて ・・「ボクもかけてたんだけど 繋がらなかった」回線が集中していたんですね 「こんなに大きく揺れたの 初めて ~」「また警報出ているから ドアか窓 開けておいた方がいいよ」特に落ちた物 壊れたは 無かったとか(よかった ~)パパが単身赴任中も 宮城は大きな地震があって 心配しました長男が神奈川に行ったときも ・・(このときは 震度4でしたけど) 離れていると 見えない分 余計に心配しちゃいます亡くなられた方も 何人か ・・行方不明の方々も いらっしゃるようですこの地より心より お見舞い申し上げます
June 14, 2008
隅田の花火先月下旬お陰様で 父が退院することができました記事に書こう 書こうと思いながら母の退所の時期の事もあってすっかり遅くなってしまいました退院して なんとか一人で生活を始めましたがなんでも全て 入院前のように出来るというわけには行きませんまして 母と一緒になれば 母の介護が加わります私と姉も 勿論手伝いますがどうすれば一番いい方法なのかケアマネージャーさんや 相談員さんヘルパーさん 看護士さんに助けて頂きながらまた 教えて頂きながら毎日が過ぎて行きます家族で揃って過ごせる日が早く来ると いいのですが ・・隅田の花火ご近所の方から 頂きました今日も何人かの方が母の所に お茶菓子を届けて下さいました施設の皆様で召し上がって下さいと姉がお渡ししたと メールが ・・私も午後 行って来ますね ~皆さまありがとうございます (*^_^*)
June 13, 2008
10カ国大使夫人のガーデニング先日のホテルオークラでのバラの中でこの花は特別に印象の深いものになりました真っ白な花にカメラを向けるファインダーを覗くと ライトが光った花の色が変わる実際に眼にするより 花は赤く映るこれも演出なのだろうか ・・黄色や緑 青や紫様々な光が当てられれば ほんのりと その色に染まる予感人もまたやさしさを向けられれば やさしさをあたたかく見守られれば あたたかく穏やかであれば 穏やかに ・・いつまでも和やかでありたい 花(*^_^*)でした ~♪
May 14, 2008
祖母の写真先日 古いアルバムを母と眺めていた時の事祖母の子供の頃の写真が 何枚も残っているので話を聞いてみた「おじいちゃん(母の父) 早くに亡くなっちゃたんだよね」「そう まだ十歳の時にね」「ふうん」私が子供の頃 三十三回忌をやったのを覚えている遺影は W大の学帽を被ったものだった母は校歌を諳んじている祖母の実家は 代々お代官 村長をつとめた家母は「ねえや」に育てられたと 口癖のように話す祖母は弟妹も多く母にとっての叔父さん 叔母さん 従兄弟従姉妹の中には上場会社の社長 大学教授 様々な仕事に就いている人がいる先代の葬儀には 土地柄もあって当時の前総理○氏も参列して下さったそうだ今は 蘭の温室栽培を手がけ私の結婚式には 生花の胡蝶蘭ブーケをお祝いに頂いた祖母と暮らしながら私は子供の頃義理という言葉の意味が分からないほど穏やかで和やかな 幸せに満ちた家庭に暮らした嫁ぐときも 周りの人は皆 「同居はいや」そう言う中で二世帯住宅ではない ごく普通の家の同居を快く望んだこの年になって 政治のことも 私なりに考える時もあるご先祖さまがどんな采配を振るっていたか 私は知らないけれど決して 人を潰したり 疎外したり或いは 特別な個人 団体を優遇したり地位を乱用しては いけない筈だ権力を持った方へ ・・心ある政治を 願うばかりです 子供たちが成長しやはり 同居したいと思えるのは嫁いだ生活が 穏やかで和やかだったからだろうかまだまだ進学したばかり何年も先の事ではあるけれど 。。
May 13, 2008
お墓参り家から近いこともあって 私はよくお墓参りに行くお彼岸 お盆の他に 小月命日に行く人が多い命日に行けない場合は 一日と十五日近くに ・・そう聞いたことがあるお正月にも新年のお花をあげたくて年末年始 たくさんの人が訪れるこの辺りは農家が多いので家で育てたお花が それぞれのお宅の墓地に飾られる願掛けの時のお参りの仕方は ~えーっと ナイショにしておきますね (*^^*)楽しいこと お祝い事 すべて 何代にも渡るご先祖さまから頂いたしあわせ心を込めて いつものお参り感謝の日々に お礼参り (*^_^*)仏様 そしてお墓に 我が家も庭に咲いた花々を いつもいつも飾っている出掛けたときはお香をお土産に ・・花の代わりに焚くことも ~★。、:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。、:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。、:*:。.:*:・'゜
May 12, 2008
お隣(実家)の方からバラの花を頂きましたカシャカシャとカメラを向けていたら「あなたなら 写真を撮るだろうと思ってた」姉が言った「んー お隣のお庭の様子 撮らせて貰えたら 嬉しいんだけど ~ フェンスにも きれいに咲いているもんね☆」『バラが見ごろを迎えます』新聞に 案内が入りましたこんな近くに 何カ所もバラ園があったなんて ・・また「行って来ますね」 そう言って花の中で 静かな時間を過ごしたい足利のフラワーパークで「藤」も写真に残したいな ~
May 12, 2008
父と母二人とも車椅子で 何を話しているのだろう ・・昨日母は本格的なリハビリのため ロングスティへ 。。
May 10, 2008
携帯からの更新です 写真 二枚入りましたでしょうか~? 携帯更新 イメージ通りに記事を書くのは 難しいです
May 9, 2008
ホテルオークラ東京「平安の間」にてGardening Fair 同時開催イベント10カ国の料理フェスタ ナショナル ジオグラフィック写真展ボタニカルアート展久しぶりに 都内へ ・・花と写真とお料理とボタニカルアートを楽しんで来ました親子 姉妹 ご夫婦 お友達 ~一緒に来ている方の様子を見ているのも 人間関係 勝手に想像させてもらって 面白いものです一人の方も 結構いらっしゃいますね 。。薔薇 デルフィニューム 鈴蘭 オンシジューム ・・花 つぼみ アレンジ 構成気づいたら 130枚以上も写真を撮っていました自分に? お土産に? 贈り物いっぱい (*^.^*) そーいえば もうすぐ母の日ですね お花の食器も素敵 ~
May 7, 2008
桜の中で ・・いつもいつも先に行く人フラワーパークの中で 二度ほどはぐれた(もー 信じられない。。。)私は思いっきり写真を撮るあんなにカメラが好きな人なのに花の写真は撮ろうとしない風景と同じようにそこに咲いている花たちにもっと近づいて 話をしてもいいんじゃないかな
May 6, 2008
白 一重の山吹黄色の一重 八重の山吹はよく見かける確か 我が家にもあったはず ・・真正面から撮った写真斜めからの写真いろいろな角度から眺め 写してみる表情が みんな違う人もまた いろんな表情角度を変えればどんな「顔」を見せてくれるのだろうと 期待するこの花に私の心は映っていますか ?
May 6, 2008
一番最後に咲いた 我が家の牡丹ほのかに桃色がかった白ふんわりとやわらかく 好みの写真に仕上がったきれいな写真はたくさん撮れるようになったけれど何枚も何枚も 何十枚も ・・・その中で 本当に気に入ったものは やっと一枚 あるかないか ・・思い通りに 写せるようになったらどんなに面白いだろう思い通り ・・そうではなくて自然の素晴らしさをありのままに 写し私の心を重ねていく ・・それが望みなのかもしれない出来上がった作品を見て何かに気づく「瞬間」それもまた 楽しいひととき
May 4, 2008
長男が神奈川に住むようになって 以前の横浜の住まいが空き家になった 次男に K大へのお話を頂き 兄弟で生活させるのも いいかもしれない (私も遊びに行けるし~(*^_^*)) そう考えた時期も あった 十数年ぶりに鍵を開け 中に入る 長男も 「ここに机を置いて ベッドとテーブルと......... 大画面のテレビも欲しい」 希望を言った 結局 現在の学生会館の更新時期 食事 買い物 交通の便 自治会の事 いろいろ考えて 保留に ..... もし2人が一緒に暮らしたら 「H、ごはん用意して!」 「H、ゴミ出しておいて~」 「H、お風呂洗って~~~」 きっと下がいいように使われてたナ~ (^^ゞ けれど、母の介護の留守中 帰宅した長男と 次男 おじいちゃん 3人の生活は ごはん炊き 洗濯 運転手 長男 お風呂洗い 次男 予想外の「結果」だった 横浜に進学し 月に数回 子供達を訪ねる生活を選んでいたら また 違う「今」が あったのだろうか
April 29, 2008
桜大学の中に咲いていた花 桜はずっと 入学式の頃に咲くものと思っていただんだん早くなって 3月の下旬 ・・4月の今頃なんて もう すっかり葉桜になっているブログを書くようになって 初めて 東北 北海道の開花時期を意識するようになったそれが 日本の南北の長さを しみじみと感じた春でもあった高速を走りながら 北に行くに連れて 木々の黄緑の合間に 薄桃色が浮かんで来る「紅葉じゃなくて こういうのはなんていうんだっけ?」「新緑?」「花の色も含めては?」「さあ」そんな話をしながら 午前中 次男の下宿に到着玄関を開けて すっかり生活感のあふれた部屋に思わず喚声を上げた 目的のインターネットの開通部屋の片付け届けたものを確認して 大学へ ・・あと僅かで 消え入りそうに咲いている花に近づいてシャッターを押すパソコン画面に広がった写真は そんな儚さとは無縁で降るように見事な 満開の桜だった
April 28, 2008
ゼラニューム 病院の通路の出窓に置いてある鉢花 ・・毎日のように通っていると その成長の様子 変化に ドキッとすることがある父の入院で 始めの頃には あまり気づくことはなかったのにこの頃は 蕾がふくらんだかな 花が開いたかな 通る度に ひとつひとつ 眺めるようになった蕾の塊は静かに頭を持ち上げて花びらの爆発の時を待っている鮮やかな赤のゼラニュームの中に うっすらとサーモンピンクの筋の入った 白い花 昨日咲いているのは二輪だけで あとはみんな蕾だったのに ・・明日は 五輪 六輪 もっと開くのだろうか 父は ベッドの手すりに掴まりながら ゆっくりと立ち上がり バランスを崩さないように 車いすに移動自分で動かしながら 休憩所まで行き同じく 車いすの母と 並んで話す ・・平行棒での歩行練習も始まったとのことごく自然に ・・自分のことを 自分で出来るようになるにはあとどのくらいかかるのだろうリハビリは まだ始まったばかり 。。
April 26, 2008
「あれ 今日は居たの?」「うん(*^^*)」「居る日だったっけ?」「もー 予定渡してあるでしょ (--メ)」黙々とパソコンを続ける 花(*^^*)「まったく 家に何しに帰ってきてるか わからないよなー」「ポリポリf^^*)」「携帯買ってから そればっかりやってる (--)ム!」「ごめんね ~ m(__)m」「何撮ったか 見せてみろ」「えーっと これ ~ (^.^)」新しい携帯で きれいな写真が撮れるようになってからデジカメでもたくさん写すようになった今持っているのは 携帯デジカメ どちらも500万画素☆700万~1000万画素あるのが欲しいけれど結局機能を全部使いこなせないので ま いっか~ というところ(自分で買ったんじゃないし (^^ゞ)「パパのは何画素なの?」「オレのは900はあるかな」「あ ずる~い (>_
April 24, 2008
実家での夜は 長い母が早寝をするので 私も一緒に休む事にしているテレビを見たり 本を読んだりすることもあるけれど夜中のトイレに付き添わなくてはいけないので 段々早寝をするようになった(1時間 2時間おきの夜中の付き添いは ある意味「戦い」なのですよ (^_^;))8時になれば もう歯も磨いて パジャマに着替えて すっかりおやすみ支度☆「ピンポ~ン ♪」あれ ・・ 今頃 ?? って パパに決まってるか ~ (*^^*ゞ「どーしたの?」「ちょっと病院寄ってきたから ・・」「ああ 昼間 おじいちゃんやっと坐るリハビリ始めて ベッドに腰掛けてた」「そうみたいだね かなりフラフラしてるから 安定するまで時間かかるな」「足も 私より細くなっちゃったしね ・・」「・・・」「で 何か用 ~?」 「別に」「(..) んー?」「じゃ コーヒーでも飲んで行こうか」「ん」そんな感じで さっさと飲んで 帰って行きました 。。「何しに来たのかな ~?」
April 23, 2008
「天の邪鬼」ゴールデンウィークは 次男の所へ ...「パパ、いつ行くの? 私が実家に泊まる日 選ばないでね~」「○△日~♪」「あ ダメ その日は (>_<) 私の都合も考えてくれる~?」「インターネット開通の日だから その日に行かなきゃ意味がない」「じゃあ 泊まる日変更してくる ...」「ぜ~んぶ泊まって来ていいよ~♪」「あ そ ホントだね~ ~~(-.-;)」介護のお泊まり 1泊2泊姉と交代の日々は 続いているカレンダーに 家に居られる日は印をつけて ...パパに渡したら「オレ 全部真っ白でいいんだけど~」「パパがそー言った」と 姉に伝えたら「まー Tさんも天の邪鬼ね~ ウチなんか 印がもっといっぱいついてるといいなあ って 素直に表現するよ~」うん パパ ものすご~く 天の邪鬼o(^-^)o
April 21, 2008
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