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武蔵野航海記
明治憲法
憲法を作ることは明治政府の当初からの方針でした。
またヨーロッパやアメリカと結んだ不平等条約撤廃のためにも近代国家としての装いである憲法はどうしても必要でした。
また在野の民権論者たちも憲法の制定を強く望んでいました。
政治家の中では伊藤博文(1841~1909)が特に憲法制定に熱心でした。
彼は1882年(明治15年)から1年半にわたりヨーロッパで憲法の勉強をしています。
そしてヨーロッパの憲法の根幹にキリスト教があるということをはっきりと認識しました。
福沢諭吉や中江兆民など表面的にしかヨーロッパ思想を理解しなかった者たちとは違って、はるかに深くヨーロッパの仕組みを悟っています。
彼は帰国後に枢密院で憲法に関して次のような発言をしています。
「東洋の国で憲法政治が行われたことはないので成功するか否か非常に心配だ。
ヨーロッパ諸国の憲法政治には数百年の歴史があるが、それが成功しているのは民心が帰一している機軸があるからだ。
このような機軸がなくて政治を人民の妄議にまかせればその国は滅びるしかない。
ヨーロッパにはキリスト教という機軸があって人心はこれに帰一している。
ヨーロッパ諸国において憲法政治がうまくいっているのはキリスト教という機軸に乗っかっているからだ。
ところがわが国では仏教も神道も充分に人心を得ていない。
仕方がないので天皇をもってキリスト教に替えて憲法政治の機軸とすることにした。」
天皇制をキリスト教の代替物にすると言うのです。
また国家に機軸がなく、ばらばらな状態の国民に政治をさせたらとんでもないことになるとも発言しています。
これもヨーロッパの政治思想の根本にある考え方です。
まず初めに神の意思に沿った政治を行わなければなりません。
その政治を誰が行うかはその次の問題です。
国王が神から委託されたとして絶対的な権力を持って行うというのも一つの考え方です。
国王に任せると神の意思と反することが行われるので国民の代表による代議制でやるというのももう一つの考え方です。
ヨーロッパの近代の歴史というのは、神の意思に沿った政治を誰が行うのかを争った歴史です。
国王が神の代理人として政治を行うのが正しいという専制主義と、神が国王を代理人としたなどというのはデタラメで国民一人一人が神と直接繋がっているとする民主主義が抗争したのです。
どちらの場合も法(神の意思)が政府より上にあります。
これを法治国家といいます。
法(神の意思) → 国王の政府 → 国民
法(神の意思) → 国民の代表が作る政府 → 国民
立憲君主制度というのは上の二つの中間で、一応国民に主権を認めた上で国民が国王に主権の一部を移譲したという考え方です。
専制政治というのは国王が神から政治を委託されたので国民は蚊帳の外に置かれています。
共和制は国民と国家が主権の一部をやりとりするという契約を結んだものです。これは立憲君主制も同じです。
博文がヨーロッパで憲法を勉強した19世紀後半には専制国家はありませんでしたからどこの国の憲法も国民と政府の契約でした。
国民の代表が政治を行う民主主義(デモクラシー)は手段であって目的ではありません。
デモクラシーとは、大衆(デモ)が行う政治(クラシー)という意味です。
ヨーロッパでは実際のところ民主主義はあまり評判が良くありません。
教養のない大衆が政治のことなど分るかというのです。
日本で政治体制の違いを強調するのは政治の目的がはっきりしていない証拠です。
20世紀初めまでヨーロッパの政治家はほとんどが貴族でした。
議会はありましたが制限選挙で財産のある者しか選挙権がありませんでした。
財産がある者は教育を受けているので政治に参加する資格があるわけです。
ヨーロッパで普通選挙制(成人男子全員が選挙権を持つ)になったのは第一次世界大戦の影響です。
永年にわたる総力戦で何百万人という国民を兵士にして戦わせなくてはなりません。
国民に国土防衛の義務を負わせるには権利も与えなければなりません。
だから兵士となる者(成人男子)全員に選挙権を与えたのです。
この国土を守る義務を果たすものが正規の国民であり政治に参加する資格を持つというのがギリシャ・ローマ以来のヨーロッパの伝統です。
ここから考えると国土や地方自治体を守る義務のない外国人に参政権を与えるという考え方は伝統とはかけはられています。
話がそれてしまいましたが、正しいキリスト教の信仰を持ち、神を恐れ教養のある者というのがヨーロッパの政治家の資格です。
これはアメリカでも同じです。
大統領候補は、自分がいかに信心深いキリスト教徒であるかを国民に必死にアピールしています。
神が貴方を選んで教会に来させた理由は人間には分りません。
道徳的に優れているからとか人生に悩んでいるとかは関係がありません。
分っているのは神が貴方を選んだということだけです。
神は完全に自由であって自由に救うべき人間を選ぶのです。
また人間がいかに努力をしても神が決めた予定を変えることは出来ません。
因果応報が骨身に染みている日本人にはとうてい受け容れられないでしょうがキリスト教の神というのはこういうものです。
日本の天皇の位は天照大神の子孫に限られています。
天皇の子孫がどんなに不道徳でだめな者でも天皇になることが予定されています。
逆にどんなに優秀なものでも血筋が違えば天皇にはなれません。
天皇になるのは昔から予定されている者で、当人の資質や努力とは無関係だという点でもキリスト教の予定説と似ています。
キリスト教の信者も人間ですから不完全です。
しかし神は人間が不完全だから余計に愛してくれます。出来の悪い子供ほど可愛いのです。
歴代の天皇も出来の悪いのが多いですが、出来が悪いが故に日本人から愛されます。
このような点も天皇とキリスト教は同じです。
このように明治政府は天皇とキリスト教の神が似ていることに着目して天皇に神の性格を持たせるようにしました。
明治憲法では天皇は神としての扱いを受けています。
憲法制定時の「告文」で、天皇が憲法を作り国民に与えたということになっています。
そして天皇はこの憲法の遵守を天皇の先祖に誓っています。
明治憲法はドイツ憲法を参考にし内容が似ていると思われていますが、上記の「告文」を見れば全然性格が違うことが分ります。
ドイツ皇帝は人間であり神の法に服さなければならない点では一般のドイツ人と同じです。
神の法に基づいて政治を行うに当たり、一般のドイツ人と皇帝がその役割分担を契約で決めたのです。その契約内容がドイツ憲法です。
ところが明治憲法では、「法」の内容を決めたのは天皇です。
ドイツ憲法では「法」を決めたのは神ですからここが違います。
つまり天皇はドイツ憲法では神の位置にいます。
神の法 → ドイツ皇帝 → ドイツ国民
天皇の法 → 日本国民
ドイツ皇帝は憲法の遵守を契約相手であるドイツ国民に誓っています。
一方神である天皇は、神仲間である天皇の先祖に憲法の遵守を誓っています。
天皇は先祖の遺志を継いで憲法を作ったのですから、一緒に憲法を作った仲間に遵守を誓っているのです。
第三条で「天皇は神聖にして侵すべからず」と規定しています。
ドイツ皇帝は神の法を犯せば罰せられます。だから不可侵ではありません。
天皇は自分で法を作ったわけですから自作の法で罰せられるわけがありません。だから不可侵です。
このように明治政府は天皇をヨーロッパでは神に相当する位置に付けたのです。
そして「天皇の法」である明治憲法の具体的な内容である「国民の権利義務」「議会」「司法」といった内容はヨーロッパの憲法と同じものにしました。
明治憲法を補強するために作られたのが「教育勅語」と「国家神道」です。
「教育勅語」は憲法が発布された翌年の1890年に作られました。
難しい漢字が使われていますので簡単な漢字に直して記してみました。
年配の方は皆暗誦できるまで叩き込まれたものです。
朕思うに 我が皇祖皇宗国を始むること宏遠に徳をたつること深厚なり。
我が臣民よく忠によく孝に 億兆心を一にして世世その美をなせるはこれ我が国体の精華にして教育の淵源また実にここ存す
なんじ臣民父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し朋友相信じきょうけん己れを持し博愛衆に及ぼし学を修め業を習ひもって智能を啓発し徳器を成就し進て公益を広め世務を開き常に国憲を重じ国法に従い一旦緩急あれば義勇公に奉じもって天壌無窮の皇運を扶翼すべし
かくの如きは独り朕が忠良の臣民たるのみならず又もってなんじ祖先の遺風を顕彰するに足らん
この道は実に我が皇祖皇宗の遺訓にして子孫臣民のともに遵守すべきゆえんを古今に通じて謬らず之を中外に施してもとらず
朕なんじ臣民とともにけんけんふくようして皆その徳を一にせんことをこい願う
教育勅語を儒教精神を国民に植え付けるための文章だという人が多いのですが、これは儒教とはまったく別の思想です。
「臣民」という言葉が使われていますが、儒教の臣は皇帝に仕える特権階級で国を守る義務はありますが素晴らしい生活が保障されています。
一方の民は何の期待もされておらず税金を払えばあとはほっておかれるものです。
全く別の両者を一緒にした「臣民」とは日本独自の概念でチャイナにはありません。
教育勅語は天皇に対する忠を先にし親に対する孝を後にしていますが、これは儒教とは順序が逆です。
チャイナでは親のためには主君を犠牲にするのが正しいのです。
またチャイナでは庶民に兵役を課することはありません。税金さえ払っていればいいのです。
要するに「教育勅語」は天皇が神として日本人に新しい道徳を授けたのです。
神としての天皇を補強するために作られたもう一つの物が国家神道です。
明治になって作られた国家神道はそれ以前の神道とは全く別のものです。
昔からの日本の神というのは全能のものではなく、怨みを持ったまま死んだ者の霊や自然の霊などが入り混じっています。
天や地を創造したというような崇高なものではありません。
また江戸時代までの日本人の天皇観は自然物の一部でそこにあるだけのものでした。
そういった頼りない神々を、天皇の先祖をトップに整然とランク付けしたのです。
また天照大神は太陽神で自然の恵みをつかさどるというように天地創造したキリスト教の神の性格を与えたのです。
要するに国家神道とはキリスト教を模倣し、ヤハウェ(キリスト教及びユダヤ教の神)の代わりに天照大神を持ってきたものです。
このようにして天皇は神となりました。
神の意思は必ず実現されます。
明治憲法ができた1889年(明治22年)には神である天皇の信用は高くありませんでした。
ところが天皇の軍隊が強大な清やロシアの大軍を打ち破るという奇蹟を実現したので天皇教の信用が一挙に高まっていきました。
そして昭和に入る頃には天皇の権威を疑ることが出来なくなってしまったのです。
私の親戚に慶応大学の経済学部を優秀な成績で卒業したおじいさんがいました。
彼は太平洋戦争が始まった時20歳台の前半でしたが、戦争が始まった時の感想を彼は次のように語っていました。
「天皇の軍隊が負けるとは考えてもみなかった。一方でアメリカ軍も強いということは分っていた。
どちらも負けそうにないから最終的にどうなるのか分らなくなった。」
インテリでさえ天皇の軍隊の不敗を疑っていなかったのです。
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